《第1回戦:豪華客船STAGE 童貞男 VS モブおじさん》
『道程』
~~~~○
「なんだこのマッチングはぁ~ッ! やっていいことと、悪いことがあるだろうがぁ~~~ッ!!」
童貞男は心の底からそう叫んだ。
場所は戦場・豪華客船ステージの甲板の上。船首にフェム王女像を戴せ海上を進む巨大な船の上で一人、彼は夜空の星々に向かい思いの丈を咆哮する。
「なにが悲しくておっさんなんかと戦わなきゃいけねぇんだ! チクショー!」
貞男はこの対戦カードを決めた大会運営者である五賢人を恨んでいた。できれば可愛い女の子と戦いたかった。そしてどさくさに紛れて密着したり、女の子の匂いを嗅いだりしたかった。そして何よりおっぱいが揉みたかった。
そんな貞男の思いをよそに、戦いは既に始まっていた。
この戦場のどこかに、エントリーネーム『モブおじさん』が存在するはずだ。
「こうなったら、何がなんでも勝ち上がるしかねぇな……!」
勝ち上がれば賞金ももらえるし、全国に貞男の姿が放映されることだろう。そうすればあっという間に女の子にモテモテ、「きゃー! 貞男くん恰好いい!」「抱いて!」という黄色い声が溢れかえることに違いない。
少なくとも貞男はそう信じていた。彼の持つ童貞力にかかれば、そのような妄想など造作もないことである。
そうして貞男が世迷い言のような展開を空想していると、宵闇に紛れて人影が甲板に現れた。
それはずんぐりとした体型の、気色悪い中年男性であった。その男は、ニチャァア、とした笑みを浮かべて口を開く。
「自分から居場所を教えてくれるとは、随分と余裕だねぇ……!」
貞男の魂の咆哮を聞きつけて来たのであろうその男は、潮風を受けながら貞男に対峙した。
彼我の距離は十数メートル。
貞男は目を細め、男を睨み付ける。
「……おっさんこそ、外見に似合わず正面から姿を見せてくれるたぁいい度胸じゃねぇか」
貞男は口では相手を褒めながらも、内心警戒心を強めていた。
童貞道を極めた貞男にとって、奇襲とはなんら脅威ではない。なぜなら童貞が視線に敏感であるのは当然のことであり、たとえ死角からの攻撃であろうとそれを事前に察知するのは貞男にとって造作もないことだった。
――故に、油断できない。
自らその姿を見せるということは、奇襲や暗殺といった絡め手ではなく、正面からの戦いを得意とするということ。
貞男は童貞お得意のポーカーフェイスで平静を装いつつ、男の様子を観察した。
「俺が攻性童貞道の使い手だって知りながらそんな舐めた態度取ってんのかよ、てめぇ……!」
「ぐふふ……そうだったねぇ。そういえばキミ、『魔法使い』とか呼ばれてるんだっけ? ……ああ、凄いよねぇ」
中年男は、肩をすくめてみせた。
「子供のお遊戯会で頑張った称号だったかなぁ? いやぁ、偉いねぇ……もっと褒めてあげようかぁ? クフフッ!」
「……てめぇ!」
男のバカにするような物言いに、貞男はその額に青筋を浮かべた。
その言葉は世界中の童貞道に携わる者を、そして貞男が世界童貞選手権で打ち破ってきた様々な強敵を愚弄する言葉でもあったからだ。
貞男は静かに構えを取る。
その構えは右腕右足を前に出し腰を落とした、攻性童貞道肉食系の基本の型である『自慰IN(自慰の最中に入って来ンじゃねーよババア!)』の構えだ。
それは右腕で母親が開けた扉を押さえつつ左腕でズボンを上げる動作が元になった構えで、最小限の動作により攻撃を行うことができる攻性童貞道基本にして最強と名高い最速攻撃の型。空手道における慈陰の型も、これを元に作られたと言われている。
「……いいぜ、売られた喧嘩は買ってやる」
貞男もバカではない。相手が挑発をしてきたのはわかっている。
だがだからこそ、正面からそれを叩き潰す必要があった。
そうでなければこれまで彼が培ってきた童貞道の修練も、そして彼が打ち倒してきた数多の童貞たちの悔しさやイカ臭い汗と涙も、すべてが無駄となってしまう。
「最初から全力で、一撃で、叩き潰す!」
貞男は目を閉じ、精神を集中した。
「我、未だ大悟を識らず――」
精神修養も行う童貞道において、感情の昂ぶりを攻勢へ生かす攻性童貞道は、異端とも言える修練道である。それは彼の釈尊の唱えた大悟への道と、真逆を行く道だ。
だがそれを、攻性童貞道の免許皆伝者である貞男は誇りにすら思っている。
なぜならゴータマ・シッダールタは元々子持ちの王様であり、女に不自由しない非童貞だったからである!
「――《チェリー暴威》!」
貞男はその目を見開く。
同時に頭の中に次々と目の前の中年男の過去の性生活が浮かんでいった!
そして――。
「……なんじゃこりゃァアア!」
モブおじさんの性生活が、彼の頭の中に繰り広げられる!
「おま、お前ーーー! ふじゃっ、ふっざけんなコラァァーーーー!」
貞男の叫びと同時に、周囲に嵐が吹き荒んだ!
それは波動とも言える感情の嵐。
辺りには激しい暴風が唸りを上げ、そして強力な力場が形成されていく!
「こ、これは……!?」
たまらずモブおじさんが腕を額に当て、なんとか目を開けようと試みる。
しかし貞男の周囲の強風はなおも増大していき、周りの空気を攪拌していった。
「ここまで……ここまで怒りが沸いてきたのは童貞になって初めてだ……」
それは静かに。
しかしそれでいて、その貞男の声色からは強烈な怒りが滲み出ていた。
「お前いったい何人とヤってやがんだァッ! これが――吐き気を催す邪悪かッ!!」
童貞には刺激の強い数千を超えるモブおじさんのプレイ内容。
その性行為を頭の中にぶち込まれ、貞男は(可愛い女の子との行為はともかく)老若男女問わずのプレイを見せつけられた不快感に心底吐き気を感じていた。
「お前には手加減なんて必要ねぇー!」
貞男の髪が逆立ち、名実ともに怒髪天を衝く!
ついでに股間も天を衝く!
なぜなら彼は童貞だから!
数千人にも及ぶモブおじさんの性生活の相手の中には、貞男の好みの女の子もいたのである!
そんな様子を見せつけられて、股間がそそり立たない童貞は存在しない!
「食らいやがれ、童貞奥義――!」
貞男の怒りが、その拳に集う!
「――不貫!」
童貞道に鍛え抜かれた神速の突きが、爆風を伴い炸裂する!
貞男の魔人能力による巨大な衝撃波は周囲を巻き込みながら、モブおじさんごと客船を両断した!
それに伴って水柱が上がり、辺りに海水が飛散する。
激しい轟音と共にバラバラになった船の残骸が、まるで小島のように海へと並んで浮かんだ。
そして海水の雨が止んだ頃、元々甲板だった箇所に立っていた貞男はゆっくりと息を吐く。
「――チッ、ちょっとやりすぎたか」
明らかなオーバーキル。
さすがに跡形もなく吹き飛んでしまっては、エプシロン王国の秘薬といえど蘇生は難しいかもしれない。だがモブおじさんと名乗るあの男は、そうなるのが相応しい凶悪な犯罪者でもあった。死刑すら生温いだろう。なにより羨ましい。なんだよあんなにセックスできる能力なのかよ。俺もそんな能力が欲しかった。でもできれば同意の上でイチャイチャしたい。そういうなんかいい感じのモテモテになる能力にでも目覚めねぇかなぁ。優勝したらそれを願ってみるのもありかもしれない――。
そんなことを考えていた貞男の動きが止まる。
そしてその視線が、一点を見つめ動かなくなった。
そう、なぜならそこには――。
「――ふひひひひ……! なかなか……凄いじゃあないか。さすがだよ、『魔法使い』」
浮かぶ船の残骸の上、無傷のモブおじさんが立っていた。
不敵に笑う彼を、貞男は睨み付ける。
「てめぇ、どんな手品を使いやがった……!」
そう言いながらも、同時に彼は察していた。
――魔人能力に対抗できるもの……それは、魔人能力!
それに伴って、貞男の怒りは幾ばくか収まっていた。
貞男がモブおじさんのことを許し、その怒りが鎮まったわけではない。
彼の童貞としての直感が、目の前の存在に警鐘を鳴らしていたからだ。
童貞は自分だけが余る合コンなど、死地に置かれる状況には慣れている為、危険察知能力が高い。
よって貞男はいつもなら感情のままに暴れるところであったにも関わらず、冷静さを取り戻すことができたのだった。
「盾か何か……おそらく無効化能力の一種か」
貞男は服すら破れていないモブおじさんの状態を確認して、そう呟く。
モブおじさんはその言葉に応えるかのように、ニィ、と笑った。
「くひひひ……。お前がそんな強力な武器を持つように……俺は、最強の盾を持つのさぁ……」
「……へっ。そういうことかよ」
モブおじさんの言葉に、貞男もその顔に笑みを浮かべる。
ここにきて貞男は、五賢人がこの組み合わせの対戦カードを用意した意図を完全に理解した。
――このマッチングはつまり、最強の矛と最強の盾の能力対決……!
怒りによりあらゆるものを吹き飛ばす衝撃波を放つ貞男。
一方、どのような能力によってかそれを防ぎきるモブおじさん。
これはそんな二人の能力を考慮した、五賢人が仕組んだマッチなのであろう。
貞男は笑いつつ、一人納得して首を横に振った。
「だけどよぉ……。『盾』なんかで俺に勝てると思ってんのか……? いくら最強の盾があったところで、攻撃しなきゃあ戦いは勝てねぇんだぜ」
「キヒヒ……そうさなぁ……その通りだよ。頭がいいねぇ、キミィ」
モブおじさんはそう言いながら笑うと、右腕を前に突き出した。
「……やれやれ。それじゃあこっちからも攻撃させてもらおうかなぁ。……最近は運動してないんだけどねぇ」
モブおじさんは構える。
そしてその構えに、貞男は見覚えがあった。
「――まさか、その構えは!?」
貞男はとっさに腕を前に出して身を守る!
貞男が取るのは童貞道草食系の型、『いや、自分そういうのほんと無理なんで』の構え!
しかしモブおじさんはそれに構わず、その手刀を海へと叩き付ける!
「和姦道強引系奥義――『ほんと先っちょだけだから!』」
瞬間、海面に水柱が上がる!
その手刀は貞男の横に逸れて、そこに広がっていた海を割り開いた!
「――こ、こいつは……! モーゼの使ったとされる和姦道の海すらも割る究極奥義……!? なぜお前がそれを……!?」
「ヒ、ヒヒヒ……! 久々過ぎて狙いを外したか……。なぁに、昔ちょっと顧問をしたことがあってねぇ……。当時は俺も真面目だったから、教え子に混じって覚えちまってなぁ~! ケヒヒヒィ!」
モブおじさんの言葉に、貞男は自分の額から汗が流れて落ちていくのを感じた。
――こいつは、侮ってもいい相手じゃない!
まるでクラスのペア決めで残っていた相手がブス一人だったときのような死地の感覚が、貞男の背筋を貫いた。
――油断すれば、やられる。
貞男は気を引き締め直して、強者を見る目でモブおじさんを見据えた。
「和姦道の顧問だかなんだか知らねぇが……お前がクソ野郎なのには変わりねぇ! むしろ俺の怒りはさらに高まったぜ……!」
以前、貞男は和姦道を修めた顔の良い青年と戦ったことがある。
彼は自身の為、そして何より愛する妹の為にその技を振るっていた。
決して目の前の男のように、自己の欲望の為に他者を蹂躙していたわけではない!
「お前は絶対に許さねぇ! 六淫流の槍……槍ち……やりちぶ……? ……えっと……ともかく! 顔の良い和姦道のアイツの為にも! 和姦道の技を悪用するお前は! ここで俺がぶっ倒す!」
「キヒヒヒヒィ~~~! やってみなぁ~~!」
モブおじさんはそう言うと、まるで『命』の文字のように片足を上げ両腕を広げた構えを取る。空手の型である珍手の動きに似たこの構えは、和姦道における『チンティ(チンコもティッシュも準備万端)』の構えである。
その構えは相手に飛びかかりやすく、威嚇の意味もあるということを貞男は知っていた!
モブおじさんはチンティの構えを取ったまま、その顔にいやらしい笑みを浮かべた。
「ヒヒヒ……! ここから先は俺の『世界』だ……! 侵犯し尽くせ! 《MOBの『世界』》!」
瞬間。
モブおじさんの声と共に、その姿が消えた。
「な……なにィィーー!?」
一人残された貞男は叫ぶ。
慌てて周囲を見回すも、辺りには水飛沫一つたっていない。
寄せては返す波の音が静かに響き、そこから生物の気配は一切が消え失せていた。
「そんな、馬鹿な……! 俺の童貞感性にも反応しねぇだと……! ただの迷彩ってわけじゃねぇな……!?」
貞男は分析しながらそう口にする。
モブおじさんがなんらかの魔人能力を使ったのは明らかである。
――無効化能力ではなく、消失能力……? いや、しかし……!?
貞男は焦りに多少混乱するが、結論は出ない。
貞男は特別頭が回るというわけではないのだ。
……しかしだからといって、バカというわけではない!
「……いいぜ。そっちがそう来るってなら!」
貞男は瞬時に頭を切り替え、心を落ち着かせる。
《チェリー暴威》は感情を爆発させる能力。だからこそ、貞男は自身の感情を制御する訓練を積んでいた。
彼は落ち着いて、敬愛する加藤鷹のことを頭に思い浮かべる。
――ゴッドフィンガーの前では、聖母マリアですら潮を吹く!
そして貞男は吠えた。
「――『3チン』!」
貞男は脇を締め、内股で身をすぼめた構えを見せた。
それは空手道における三戦の構えに酷似した童貞道草食系・最強防御の型、彼のチンの始皇帝が提唱したとされる『3チン(3本チンコを相手にするエロ漫画のポーズ)』だ。それは極度に草食系を極めた結果、AVかエロ漫画談義しかできなくなった哀れな童貞の感性を表した構えであり、この構えが空手道に継承されていったことは明白な事実である。
「へっ……。童貞道草食系は守りの型……! 『盾』を扱えるのは、何もお前だけじゃねぇんだよっ!」
3チンは左右からの口元へ向けられた攻撃を守るために両腕を配置し、そして足は股間を守るために備えた最強の防御力を誇る構え。それは人体の正中線に集まった急所を守ることに特化した、理に適っている防御術なのである。
難攻不落の要塞と化した今の貞男相手では、たとえ拳銃やRPG(対戦車グレネードランチャー)を持ち出したところでまるで効きはしないだろう!
貞男がこの状況でダメージを受けるとしたら、真面目そうな女子委員長が夏休み明け直前にチャラめの男と腕を組んで歩いていたのを目撃したときとか、自分よりも童貞レベルが高いと思っていた男友達がこっそり童貞を卒業したのを一ヶ月以上も秘密にされていたときとか、そういうときに限る!
つまりこの状態の貞男は――おおむね無敵なのだ!
しかしそんな貞男の背後に、モブおじさんが突如姿を表す!
「ヒヒィー! 和姦道強引系秘奥義! 『天井のシミ数えている間に終わるからよ』ー!!」
そう叫びながら、いつの間にか全裸となっていたモブおじさんは後ろから貞男に飛びかかった!
それは和姦道における王道にして最速の技。相手の意識外からの超高速の突き。それは受けた相手からしてみればまるで時間を早送りしたかのように見える超スピードの早業である!
それに対して貞男が受けるのは最強防御を図る3チンの構え!
モブおじさんは飛びかかると同時に吠える!
「バカめぇ! その構えは尻穴がガラ空きなんだよォー! その処女、もらったッッ!!!」
3チンの構えとは、正面からの打撃を受ける構えである!
よってそのやや後ろに突き出た尻こそが、無防備となる唯一の弱点なのであった!
そして童貞道は尻穴を狙う同性愛者と戦うことを想定した武術ではない!
そんな防御というよりむしろ迎える体勢となっている貞男の尻に、セックス回数によりキレ味が上がるという和姦道の特質上ダイヤモンドを越える硬度となっているモブおじさんの性器が迫る!
――しかし!
「――あめぇんだよ!」
ガチン! と。
まるで鋼鉄がぶつかりあったかのような衝撃音が、辺りに鳴り響いた。
股間の槍を弾かれたモブおじさんは、その顔に焦りの表情を浮かべる。
「な、なんだと! 貴様、まさか……! 尻を鍛えているというのかッ!!」
モブおじさんの槍の衝撃により、貞男のズボンは引き千切れて前後の中身が露わになる。
しかし、その中に収まっていたケツは綺麗に無傷だった。
貞男はニヤリと笑う。
「俺は『魔法使い』だ。童貞道を極めた男――だからこそ、その弱点も当然知り尽くしてるぜ!」
3チンの構えは人体の構造上、すべての筋肉が最大の硬度を保持する。
よって鍛えた括約筋というその城壁を突破することは、たとえ和姦道の達人といえど容易なことではない!
いや、和姦道の達人だからこそ! 潤滑剤も何もない状況で、無理矢理そこに挿入することは不可能なのである!
貞男は3チンの構えを解くと、一息で振り返った。
「お前の『盾』がどんなものかはわからねぇ……だけどよ!」
さっきまでは甲板だった海に浮かぶ床を蹴り、貞男はモブおじさんとの距離を詰める!
「ひっ……!?」
「こうして『盾』の内側であろうお前の体に直接叩き込むなら――多少は効果があるんじゃねーかッ!?」
そして再び、貞男は拳を叩き付ける!
今度は直接、モブおじさんの体へと!
「――不貫!」
「カッハァッ!」
モブおじさんは腹部を突かれ、悲鳴を上げた。
しかし――。
「――浅いかっ……!」
貞男は顔をしかめる。
モブおじさんは貞男の拳を見切り、とっさに後ろへと飛んでいた。
貞男の繰り出す不貫は本来、彼の魔人能力である《チェリー暴威》から生み出される衝撃波を操り、脳震盪や内部破壊を行う技だ。
衝撃波も波である以上、音波のように波の性質を持つ。
彼は不貫を対人に繰り出す際は、無意識的にその振動波をコントロールし、共鳴現象を起こして効果的に振動を叩き付けているのであった。
だからこそ、貞男の不貫は位置の微妙なズレにとても弱い。
貞男の高度な《チェリー暴威》のコントロール力が災いして、モブおじさんを仕留め損なったのであった。
モブおじさんは、ついさっきまで豪華客船の一部であったカジノテーブルに着地し、その突き出た腹に手を当てる。
「ヒ、ヒヒ……! 今のは……少ぉし効いた……ぞ」
息を切らしつつ、モブおじさんは片膝を着く。
「……だが和姦道とは、相手の息遣いや間合い――即ち『機』を読む、防御に特化した武術。一度見た技は効かぬよ……!」
「チッ……! そういや、和姦道はそんな流派だったな……!」
和姦道は初見必殺である童貞道と対極的な武道である。
よって一度見せた不貫では、必殺の一撃を加えることができなかったのであった。
モブおじさんはその顔に苦悶の表情を浮かべながらも、ゆっくりと立ち上がる。
「今ので仕留められなかったのが……お前の運の尽きよ。――今からお前の存在を……侵犯し尽くす!」
「……はっ、言ってろ!」
モブおじさんはまたも『命』のようなチンティの構えを取る。
「いかに『魔法使い』といえど、それは童貞同士の間で行われた児戯に過ぎん! 井の中の蛙よ、この大海に沈むがいい! 《MOBの『世界』》ッ!」
その声と共に、モブおじさんの姿が消えた。
「またかよ!」
貞男はそう吐き捨て、また3チンの構えを取る。
この状態であれば、貞男は全方向からのいかなる攻撃にでも対応できるからだ。
そしてしばしの間、戦場を静けさが支配した。
精神を研ぎ澄ませた貞男の童貞イヤーに、わずかな水音が聞こえてくる。
「――そこだ!」
突きと共に放たれる衝撃波!
しかしそれは、海辺に浮かんだ椅子を粉砕するに終わった。
「チッ……! 囮か……!?」
チャポン、とまたも水音。
重ねて貞男が衝撃波を放つが、次に破壊したのはプールバーに備えられていたビリヤード台であった。
「……クソ!」
そうしてそれから幾度も作為的な水音が響き、その度に貞男の衝撃波が空を切る。
童貞とは悪意に敏感であるが故に、モブおじさんのあざ笑うかのようなその動きは徐々に貞男の精神を削っていった。
――しかし。
「……いいぜ。そうやって逃げ回ってろ。こっちはお前に対する怒りが……いい感じでこみ上げてくるぜ!」
貞男の中にイライラが蓄積していく。
そしてその怒りは、彼の能力をどんどん強化していった!
必殺の一撃を放つ為、貞男は常に神経を張り詰める!
そしてついに、その時は訪れた。
貞男はその真後ろに新たな気配を感じる。
今までとは違う、迫り来る感覚!
「――そこだぁー!」
貞男が声を上げつつ、拳を構えて振り返った!
そこにあったのは――!
――おっぱい。
――おっぱい? 女? いや、違うこれは――!
貞男の思考が一瞬、フリーズしてしまう。
それに目を奪われてしまった貞男を、誰が責められようか!
貞男の目の前に現れたのは、船の船首に飾られていたフェム王女の石像であった。
それは精巧に作られており、揉み心地がよさそうな胸の質感までもが再現されている。
よって貞男は偽物のおっぱいとはいえ、それに一瞬意識を向けてしまったのだ!
なぜなら彼は、童貞なのだから!
「――隙ありぃ!」
そしてその石像の影に隠れるようにしてモブおじさんが迫り、そのまま貞男へと組み付く!
その組み付きは和姦道の組み技、『ちょっと休憩するだけだから』である。
腕の関節を極めながら足を絡ませ、相手の重心を崩す大技だ。
しかし受ける貞男も、『魔法使い』の名を冠する王者!
「――《チェリー暴威》!」
バランスを崩され体を倒された瞬間、彼は衝撃波を後ろへと放ち受け身を取る!
そうして彼は反作用により叩き付けられる衝撃を打ち消そうとした!
――だが、すぐに彼は違和感を感じる!
「これは……ベッドだと!? いつの間に!?」
「ククク……! 俺の《MOBの『世界』》は異物を漉し取るフィルターのような結界を張る能力……! 結界で物を押し出すことで、念動力のように重量物すらも軽々と動かすことができるのだぁ!」
モブおじさんはそう言いながら、貞男をベッドに組み伏せる!
豪華客船なのだから、客室にキングサイズのベッドがあるのも至極当然なことである!
――ま、まずい! この状況は、絶対にまずい!
貞男は焦る。
なぜなら彼は今、マウントポジションを取られたような体勢でモブおじさんに押し倒されているからだ!
「グワァ~ハハハ! これで終わりだぁ~!」
モブおじさんは貞男を押さえつけたまま、その腰を浮かせた!
「……だから、あめぇっつってんだろうがァーーー!」
貞男は吠える!
童貞は卒業したいが、処女は絶対に守り通したい!
そんな思いを込めて、貞男はベッドの上で防御の構えを固めた!
「――3チン!」
童貞道絶対防御の構え、3チン!
この状態であればたとえ和姦道の達人により尻穴を狙われようと、完全に防御することが可能!
童貞道の絶対防衛要塞と化した貞男の後ろの穴を犯すことなど、何者にも不可能なのである!
しかしそれを見て、モブおじさんは不敵に笑った。
「グッフフ……そうだな……。いかに和姦道を修めた俺といえど、童貞道の『魔法使い』を相手にして楽に勝てるとは思っておらんよ……だが、だがな! 最後に勝つのは俺なのだぁ~~!」
そう言うと、モブおじさんはその尻をゆっくりと下ろしだした!
その狙いは――貞男の股間!
「ま、まさか……やめろぉ! そ、それだけはァーー!」
貞男の股間は、先ほどモブおじさんの性生活を覗き見たせいで、今もなおそそり立ったままであった!
なぜなら彼は、童貞なのだから!
それほどまでに、モブおじさんの性生活は童貞には刺激が強過ぎたのである!!!
「ヒィーヒヒィー! お前の童貞はここで終わりだぁー! 和姦道強引系裏奥義――!」
モブおじさんの腰が沈み、その尻が貞男のそびえ立つ股間の塔へと迫る!
「――『緊張しないでいいからね~』!」
「……グワァァァァアアア!!!」
ズプリィ! と激しい音をたてて二人は結合した!
誰がこのような汚い絵面の展開を望んだのだろうか!
くっ二人をマッチングした五賢人許せないぜ。
「グフフフ……動くぞぉ……!」
「やめろぉぉおおお! やめてくれぇぇええええ!!!」
モブおじさんがその腰を激しく上下に動かしだす!
真夜中の海面に水音が響く中、涙を流しながら貞男は叫んだ!
「これが……これが人間のすることかよぉ!」
貞男の心に、メラメラと闘志が燃え上がる!
何があっても目の前の男を、彼は打ち倒さなくてはならない!
そう! 彼の魂が! 慟哭しているのだ!
「愛がないセックスなんて、ノーカンなんだァーーー!」
それは彼が、前に和姦道の顔の良い男と話した理屈!
その理屈からすれば、こんな強姦はセックスに入らない!
それはそうと貞男はエッチなお姉さんになら強姦されたい! 愛がなくてもいいから童貞を卒業したい! だからこんな中年おじさんではなく、エッチなお姉さんに強姦して欲しいのだ!
さまざまな思いが貞男の中を駆け巡る!
そしてそれは、彼に力を与えた!
「いくら和姦道の達人といえど――初見の技には対応できねぇだろうが!」
貞男は魔人の力を、そして己の正義と怒りを、自身の股間に集結させる!
「童貞道最終奥義――『あ、やべ、でちゃった……』ーーー!!!」
貞男の声と共に、彼の股間が激しく震えだした!
それはいざヤレる状況を前にしたところで押さえが効かず、相手の女の子に触れてもいないのに漏らしてしまい機会を逃してしまうという、童貞の本質を示した攻性童貞道の隠された究極の技である!
貞男の声と共に《チェリー暴威》が発動し、その股間から最大級の衝撃波がモブおじさんの内側に向けて放たれ、そして爆散する!!!
――はずだった。
「――グワァァーー!? な……なんだこれはァァーーーー!?」
貞男は叫ぶ。
なぜならその力が発動せず、逆に彼の体が震え始めたからだ!
その振動は次第に大きくなり、ブルブルと震え続ける!
狼狽する彼を見たモブおじさんが、不敵な笑みを浮かべた。
「ク……ククク……! 教えてやろう……。お前に近付いたさっきの一瞬……! あの瞬間、俺はお前を《MOBの『世界』》のフィルターに通して、あるものを排除したのだ……!」
次第に震えが大きくなる貞男の上で、モブおじさんは笑う。
「俺が排除したのは、お前の魔人能力――ではない。俺の力ではお前の防御を越えてダメージ与えられない。だから確実に倒す為に、お前の能力を利用する必要があったのだ……!」
それは最強の矛とも言える相手の攻撃能力を利用した、モブおじさんによる攻勢!
モブおじさんはゆっくりと息を吐きながら、言葉を続けた。
「俺が排除したのは――お前の《チェリー暴威》の『コントロール力』だ」
「コ、コントロールだと……!?」
貞男は震え続けるその唇で言葉を紡いだ。
「じゃ、じゃじゃじゃじゃあああここここの震えは……!!」
「そう……コントロールを失った衝撃波が、お前にも返って来ているのだァーーー!」
「な、なにぃぃぃいい!?」
貞男の叫び声とともに、その体がより一層震え出す!
衝撃波とはすなわち、空気の振動!
その指向性を失った波が貞男の局部から放射され、彼の体へと逆流する!
「ぶおおおうぶぶぶぶぶぶヴヴヴヴヴ!!」
それはまるで人間バイブレーター!!
放たれた振動は彼の体を震わせ続ける!
「グアア! この振動はァァ!! ダメだ! このままだと……俺は越えてはいけない一線を越えてしまうゥウーーー!」
そして貞男は自らの生み出した振動に、神経をも蝕まれていく!
その上で腰を振るモブおじさんが、ニチャアといやらしい笑みを浮かべた!
「――その境界、越えてみな」
「……ヴヴ、ヴワワワァァアアーーー!!!」
貞男は叫ぶ。
そうして、彼は果てた。
心の底から果てた。
まるで魂を抜かれるかのようなその感覚に、貞男はモブおじさんに覚えていた怒りの全てを搾り取られた気がした。
貞男の振動が収まるのを見計らって、モブおじさんはその体を離す。
「――俺の勝ち、だな」
そう静かに言い放つモブおじさんに向けて、貞男は今もなお震える腕を伸ばした。
「……ぐ、くそ……! そんな……馬鹿な……! 俺は……俺はまだ……戦……え……」
しかしモブおじさんは首を横に振る。
「無理するんじゃあない。今のお前は自身の能力を直接受けて、体の中がズタボロになっているはずだ。そしてその感覚は『賢者タイム』によって増幅されている。下手に動くと、後遺症が残るぞ」
「う……ちく……しょう……! 動け……動いてくれよ、俺の体……! なんで……動かないんだ……!」
それは数ある格闘技の中でも最強と名高い童貞道を極めた者が持つ特殊能力、『賢者タイム』。
使いようによっては自身の知能指数や反応速度を飛躍的に向上させることができる能力だが、同時に神経過敏による痛みを増大させることがある諸刃の剣であった。
この力を使いこなすことができる人間は、極めて少ない。
いかに『魔法使い』と呼ばれる貞男であっても、万全の準備をしていない状況ではこのようにその力に呑まれてしまうこともある。
貞男は星空を見つめて、涙を流す。
「俺の戦いは……! これで終わりなのか……!」
「……ああ。そうだよ」
モブおじさんはどこから取り出したのか、自身の着ていたスーツを再び身につけ始める。
貞男は絶え間なく涙をこぼしながら、口を開いた。
「童貞道は……最強の武術のはずだったのに……! 俺が、俺が負けたら、門下生のみんなにどう顔を合わせたらいいんだ……!」
貞男は絞り出すようにそう呟いた。
一時的にネガティブだったりセンチメンタルになってしまうのも、『賢者タイム』の副作用である。
モブおじさんはため息をつくと、スーツの内ポケットからタバコを取り出して口にくわえた。
「童貞道は卒業を目的としている……。だからそれを極める道というのは、大きな矛盾を孕んだ道なんだよ。それはとても孤独で、困難な道程だ」
彼はライターを取り出し、タバコに火を付ける。
「……だからこそ、勝っても負けてもその道程こそが尊い――と、俺は思うけどね。……若者よ、結果ではなく過程を楽しみなさい」
煙が海の空気に溶け込んでいく。
貞男はモブおじさんの言葉を聞いて、空に輝く星々に目を向けた。
そして二人の間に、沈黙が流れる。
先にその沈黙を破ったのは、貞男だった。
「……あ……なんか、どうでもよくなってきた……。そもそも童貞道のメンツとかってぶっちゃけ俺どうでもいいし……。この試合、まだ終わらないんスかね……」
貞男は『賢者タイム』の作用で素に戻っていた。
そして気まずい沈黙が二人の間に流れる中、唐突に彼の視界が切り替わる。
気が付けば、貞男は医務室のベッドに寝転んでいた。
試合が終了し、転送されたのだ。
備え付けのモニターには、同じく転送されたのであろう勝者となったモブおじさんが、試合会場の真ん中で客席へと向けて手を振る姿が映っている。会場は大ブーイングに包まれているようだった。
貞男はそれを見て、大きく息を吐いた。
「……なにやってんだろ、俺」
貞男は今日あった出来事をさっさと忘れる為、どこかスッキリとしたその頭で夕飯に何を食べようかと考え始める。
――今日はマックでも、食いに行こうかな。
そんなことを考えながら、彼はまた日常へと帰還するのであった。
■ ■ ■
「おじさん!」
「おお、シロナくん」
大会会場に転送され、そこでしこたま罵声を浴びてきた茂部を、会場の廊下で待っていたシロナが迎える。
「おじさん、凄かったです……! まさかおじさんがあんなに戦えるなんて……って、おじさん!?」
「う、ぐ……!」
突如、茂部はその膝を地面に着く。
「お、おじさん! だ、大丈夫ですか!? 今、救護班の人を……!」
慌てて支えるシロナを、茂部は手で制した。
「だ、大丈夫だ……。今はまだ試合が終わったばかりの選手がいっぱいいるから、人は呼ばないでくれ……。『魔法使い』の衝撃波をまともに受けてこの程度だったんだから、恩の字だよ」
魔人能力《チェリー暴威》。
その衝撃波のコントロールを失わせて本人に返したまではいいが、当然その衝撃波を茂部が操っていたわけではない。発散し散乱した衝撃波はあの瞬間、茂部の内臓をズタズタに引き裂いていた。
「勝てたのは……本当に運が良かった」
「で、でも、おじさん……!」
シロナは茂部を心配するような表情を浮かべる。
「や、やっぱりこんな危険な戦い、棄権しましょう……! ボク、我慢するから! 成人してから、きっとまたおじさんのところに会いに来るから……!」
「……馬鹿。青春ってやつはね、一瞬しかない物なんだよ」
青春。
そんなもの、茂部には存在しなかったと言っても過言ではない。
なんの面白みもない生活に、迫害され続ける日々。
よって魔人能力に目覚めた茂部は、世界に復讐を誓ったのだ。
悪逆の限りを尽くそうと、そう決意した。
――しかし、だからこそ。
一瞬でもその復讐を忘れさせてくれた目の前の子の願いは、絶対に叶えてあげたかった。
これは、新たな復讐なのだ。
人生に輝かしい青春なんて一欠片も存在しなかった茂部による――これまでの人生に救いなんてなかったシロナの為の。
――そんなささやかな、不平等な世界への復讐劇。
「……それに、子供は大人に甘えるのが仕事だからね。キミはこれまでの分まで、たくさん我が儘を言ってくれていいんだよ」
「……おじさん」
茂部はシロナに笑いかける。
「……でも俺のことはね、放っておいて欲しいんだ。俺が傷ついたり頑張っている姿なんて、誰にも見せちゃいけない。俺のしてきたことはとても償いきれる罪じゃあないからね。そんなまるで善人みたいな素振りを見せたら、被害者が俺を憎めなくなって可哀想だろう?」
それは復讐者として決めている茂部の哲学だ。
彼は世界に復讐する。
だからそのさらなる復讐の的にもなろう。
そう決めた以上、たとえ復讐の方向性を変えたところで、彼は復讐の的であり続ける必要があるのだった。
「――だからね、俺は憎まれるべき対象として、同情されちゃいけないんだ。モブおじさんとして、悪役に徹するべきなんだよ」
「……で、でも! 治療ぐらいは受けないと……!」
「……うん。だからもうちょっとして他の選手たちがいなくなったら、こっそりと行こうね」
茂部はシロナに笑いかける。
「大丈夫、安心して。もう少し勝てばきっとオリュンピア部が設立できるから」
「おじさん、ボクは……」
シロナは何か言葉を言いかけて、そして飲み込んだ。
二人の間にしばしの沈黙が流れる。
そして機を見計らって、茂部が口を開いた。
「……さあ、難しいことはともかく、医務室が空くまでは何か美味しい物でも食べに行こうかねぇ。五千万の賞金が出るんだから、何でもシロナくんの好きな物を食べさせてあげられるぞう! さあ、何か食べたい物はあるかな?」
「えっ、えっええっとじゃあ……ハ、ハンバーガー、とか……?」
上目遣いで恐る恐る答えたシロナに、茂部は首を傾げる。
「……そんなんでいいのかい?」
「ご、ごめんなさい……ボク、あんまりそういうお店屋さんって知らなくて……」
申し訳なさそうに話すシロナに向けて、茂部は優しく笑った。
「……はは、じゃあ牛丼にしようか。お腹いっぱい食べていいからねぇ」
そんな会話を交わしつつ、二人は連れだって会場の外を目指す。
きっと彼らはこれからも、二人揃ってその道を歩いて行くのだった――。