「おばあちゃん!」と小さな子は大きな声をあげました。 「お願い、わたしを連れてって! マッチが燃えつきたら、おばあちゃんも行ってしまう。 あったかいストーブみたいに、 おいしそうな鵞鳥みたいに、 それから、あの大きなクリスマスツリーみたいに、 おばあちゃんも消えてしまう!」 少女は急いで、一たばのマッチをありったけ壁にこすりつけました。
──────ハンス・クリスチャン・アンデルセン著
結城浩訳 『マッチ売りの少女』 より
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
燃え盛る炎が立てるごうごうとした音は、まるで歓声のようだった。
何かが爆ぜては立てるぱちぱちとした音は、さながら喝采のようだった。
煙のスクリーンに映し出される赤々とした光は綺羅びやかなイルミネーションで、
遠く聞こえるサイレンは、楽隊の奏でる愉快な音楽なのだろう。
天幕いっぱいに広がった熱量はステージだけでは受け止めきれず、彼女が身を横たえる舞台袖にまで興奮を届けてくれた。
偽花火燐花は夢を見ていた。
故郷の夢、家族の夢だ。
それは足りぬ酸素に混濁する意識が見せる、今際の際の優しい夢。
ただそれだけの筈だった。
「(ああ――…素敵)」
団長が朗々と口上を述べ立てる。
ルカのナイフワークが作り出したピンと張りつめた空気を
フレンケルのジャグリングが歓声へと変える。
ハビエルとアルベルト、それからカルロスは翼が生えたように空中ブランコで飛び回り
道化のパブロのひょうきんな仕草は暖かな笑いを誘う。
スティーブンの手繰る動物たちは、エリックの奏でる音色に合わせて一糸乱れぬ統率を魅せた。
「(いつかわたしも、世界中を、楽園に)」
楽園だった。
燃え盛る炎の中こそが彼らの舞台で、そして楽園なのだ。
すべて思うがままの至高の技芸の数々に、挙がる歓声、弾ける笑顔。
彼女の夢見るすべてが、そこにあった。
彼女の『楽園』はここにある。
そう“認識”すると同時に、偽花火燐花は事切れた。
怪盗サーカスと呼ばれる事となる魔人は、このとき輪廻化生たのだ。
失楽園。
――後にそう呼ばれることになる痛ましい火災事故において、生存者はいない。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
「ちぃーっす」
なんとも気怠い病室の静寂を軽薄な声音でぴんと弾いたのは、意外な来客だった。私は、ぱちくりと目を瞬かせる。
「内裏くん?」
「災難だったよねえ。でも、思ったより元気そうじゃん」
へらへらと軽薄な、見る人によっては人懐こいと表現するであろう笑みを浮かべ、その青年は手土産のケーキの小箱を揺らして歩み寄ってくる。
「(ああいやあ、意外でもないのか)」
私――柊木茜音はすぐに思い直した。
来訪者の名は内裏エイジ。警察学校時代からの同期で、今は本庁の捜査一課で働いている魔人警官だ。
私がいまこうして入院しているのも、先日に魔人犯罪者――放火魔術師と接触したことに起因するから、その捜査の一環だろう。
「……どうしたの。当分は徒士谷警部補とグロリアス・オリュンピア関連の専従になるって話じゃなかった?」
「それはそうだけどさあ」
怪訝そうに首を傾げる私に、内裏くんはやはり首を傾げて応じてくる。
「別に見舞いぐらい、いいっしょ」
「んんっ…」
もしかして本当にただお見舞いに来ただけだったのだろうか。
仕事の話としか思っていなかったので、なんだか厚意を無碍にしてしまったようで少しだけ後ろめたい気持ちになってしまう。
私は、内裏くんのことが少し苦手だった。
別に彼がなにか悪いわけではないが、警察学校時代から大体のことはそつなくこなす要領の良さを持っていて、愛嬌のある振る舞いでいつも周囲に人が絶えなかった。
平々凡々に日々の業務にすり減った自分と違い、彼は花の一課で活躍しているという。先日も、環七で魔人を相手に大立ち回りを演じたとのことだ。
我が身と比べ、なんとも居心地の悪さを覚えてしまう。
「それに、茜音ちゃんの件なら捜査や聴取は先送りになるよ。少なくとも怪我が治るまでは」
「下の名前で呼ぶのやめて」
「おっと」
あと、単純にこうやってグイグイ来る感じが普通に苦手だ。内裏くんはヘラヘラと笑って肩をすくめて済ませた。
「それにさ、どういうこと? 怪我なんて大したことないのに」
もちろん現場復帰にはもうしばらく時間もかかるだろう。それでも、聴取ぐらいはさして障りのある話ではない。
「“そーゆーこと”になってるの。聴取をするには茜――柊木ちゃんの回復を待たなきゃいけない、聴取ができないから捜査は進まない、捜査が進まないから逮捕状も取れない、と」
内裏くんは顔を曇らせてベッドの脇の机に週刊誌を広げた。ちゃんづけもちょっとなあ、と思いながら私は示された記事に目を落とす。
それはどうやらグロリアス・オリュンピアの特集記事のようで、予選を勝ち抜いた22名の紹介が列記されている。その中には彼の上司である徒士谷真歩警部補、と――…
「……これは」
赤く印のつけられたそこには、あの時の大道芸人の少女。
偽花火燐花の名前が連ねられていた。あの時意識を失う間際に聞いた少女の口上を思い返す。どうやら、夢ではなかったらしい。
「大会にミソつくのを嫌ったのか何なのか。どっか上の方で横槍が入ったんだろうって先パイは言ってたよ。ふざけた話だよね」
しかめっ面を浮かべて苦々しげに吐き捨てる内裏くん。
彼は、誰かの都合で筋目を曲げられることに、まだ怒ることができるのだろう。それは自分がとうに失くしてしまったものだったから、笑うよりも敬うよりも、やはり座りの悪さを感じてしまう。
「ま、ほら、身内やられて黙ってもいられないじゃん? だからまずはこのコを下して、“大会参加者”じゃなくしちゃおうってね。そうすりゃまあ、運営にも最低限の義理は立つ―――ってのは先パイからの受け売りだけど」
言葉を切って、内裏くんはまっすぐに見つめてくる。
「思い出せる限りでいい、柊木ちゃん。偽花火燐花と何があったか、教えてほしい」
「………結局仕事の話、かあ」
「?」
「なんでもない。内裏くんは真面目だよね」
「出来ることを一歩一歩、ってのがうちのボスの口癖でね」
「でもあの人ワープするじゃん」
「んっふふ、確かにぃ~」
小さく吹き出して笑うのに釣られて、わずかに口角が緩んだ。
「ま、協力するのは構わないけど――」
「けど?」
「ちゃんづけもやめて」
「えー」
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
『―――と、こんな所スかね』
「そうか、わかった。柊木巡査の方はとりあえず大事はないんだな?」
『うす。先パイの読み通り、報告よりかなり軽傷っしたね。デートの約束も取り付けました』
「なにちょっと付け込んでるんだよお前」
『うぇっへへへへ』
電話越しに、相棒兼部下――内裏エイジからの報告を受けながら真歩は机に広げた書類を手繰る。
ES-08号事案……通称怪盗サーカスの捜査において、改めてリストアップした大会関係者資料……その中において、一回戦の対戦相手たる偽花火燐花は、なんとも“匂う”相手ではあった。それ故にこうして彼女の経歴を、能力を、人となりを、洗い直している。
「炎をモノに変える。変えた炎を元に戻す――ね。」
パイロマンサー、と彼女を呼称するに至った奇妙な火災痕。その説明はつくだろうが、“人さらい”に使える能力では無さそうだ。少なくとも、彼女単独では。
「どうも引っかかるンだよなァ」
捜査資料の上から彼女に感じた“匂い”。それが払拭できない。
“刑事の勘”などと言ってしまえばそれまでの、特に根拠のないものなのかもしれないが
「(……何かを、見落としている気がする)」
『……直接接触してみますか?』
「ダメだ。リスクが高い」
沈黙をどう捉えたのか。示されたエイジの提案を真歩は即座に却下した。
『リスクって……場外での戦闘は禁止されてるんだから、接触だけなら危険ってわけじゃあ』
「法律破ってるやつがなんでレギュレーション守ると思うんだよ、バカ。接触は許さん」
『でも…』
「でもじゃない。お前の能力じゃいざって時に逃げも打てないだろうが」
有無を言わさぬ調子で、言い募るエイジを遮る。
内裏エイジの魔人能力――『代理のエイジ』は、対象からの依頼や承認があれば、自身の行動を対象が行ったことにする事ができる――そういう能力だ。
例えば真歩の承認があれば、グロリアス・オリュンピアの選手が宿泊するホテルに“真歩として”入り込むことだって出来るだろう。
様々な局面で有用だし、真歩の能力との相性もいい。が、それでも直接魔人と相対することの出来る能力ではないのだ。真歩は上司として、とても許可できなかった。
「お前はお前でやってもらうことはある。焦るんじゃあない」
『………うす』
不承不承といった調子ながらもこちらの言を受け入れたのを確認して、ため息混じりに通話を打ち切る。
「……楽園のサーカス、か」
喉奥がひりつくような異物感は、枯草の奥で燻るような異臭は、未だ拭えない。
失楽園、不審火、誘拐、魔人能力、ジェイムズの死、怪盗―――
捜査資料をたぐりながら、真歩はひとり静かにその正体を探ることに耽溺した。
「(何かを、見落としている)」
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
「ら、ら、らん、らん、らら、らん」
パペット人形を操りながら、偽花火燐花は鼻歌を歌っていた。楽園の歌姫ヴァーニャのように人を引きつけるそれではなく、ときに調子を外すどこにでもいる少女のそれだ。彼女は上機嫌だった。
本戦出場選手には、大会期間中は宿舎として高級ホテルの一室があてがわれる。
希望があれば自宅やセーフハウスを利用することは可能だが、燐花は迷わずこの恩恵に預かることとした。綺羅びやかな内装、上品な調度品、ふわふわのカーペット、天蓋付きのベッド!
いつか誰もが認める世界一の大道芸人になったら、こういう場所にいつだって来れるようになるのだろうか。それは、なんだかお姫様みたいだ。
思わず笑みが溢れる。
成功の証を“かたち”にするのは大切なことだと、団長も言っていた。
「あ、あれ…? あれれれ?」
そんなことを考えてにまにまと笑っていたら、手繰るパペットの糸がもつれてしまった。お客さんの前でなくてよかった、と思いつつ、もつれた糸を解きにかかる。
「ど、どうして上手く行かないのかな。そう、モーリー、モーリーはいつも言っていたっけ。人形は自分で自分は人形なんだって、一つになるからうまくいくんだって。そう、一つ。そうすれば指先と同じように操れるの。ああ、団長もおんなじことを言ってたっけ。一つ。一つだからうまくいく。みんなで一つの楽園。楽園の中では舞台も観客もみんなみんな一つのものだって。一つの芸術なんだって。だからだからそう、一つ、一つに―――」
ぶつぶつとうわ言を呟く彼女のうつろな瞳に、ちろりと炎が宿った。
『世界中を、わたしの舞台にする』
それは彼女の夢だった。
そして彼女自身の認識において、舞台とは楽園で、楽園とは炎だった。
そこでは理想の舞台が発揮され、そしてみんなみんな、笑顔になるのだ。
少なくとも、彼女はそう“認識”している。
しばし思考をその楽園に遊ばせる中、彼女は恍惚とした表情でほろりと笑みをこぼした。グロリアス・オリュンピアにおける一回戦の対戦相手は、燐花にとって特別な相手だったからだ。
「ああ、かの美麗なる女戦士よ、貴女は今いずこにいらっしゃるのでしょうか!」
団長ならこういったであろうという口上を口にしながら、燐花はふと、窓の外に目をやった。
「……え?」
瞬きを数回。目をこすること数回。頬を両側からはたくこと、さらに数回。
それらを繰り返しても、窓の外の光景は変わらない。
ホテルの入り口の近くに広がる大きな広場。グロリアス・オリュンピア関係者にホテルが貸切られている今は人影もまばらだが、その人影の内の一人。
「ああ、ああ、…すてき」
そこには、彼女の求めてやまない相手。
一回戦の対戦相手である徒士谷真歩の娘。
徒士谷かがりがそこにいた。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
「らららん、らららん、らーんららんら、らんらんらんら」
ごきげん。
今の私を4文字で表現するなら、間違いなくこの言葉になるだろう。
そう。私、徒士谷かがり11才は今、すこぶるごきげんなのだ。
それを何故かと聞きますか? 聞いちゃいますか、お客さん?
何故ならば、そう、何故ならば。
私は今、ママのおごりで都内某所の高級ホテルをエンジョイしているからなのです。
ママの! おごりで! おごり?まあなんか色々あるみたいだけどとにかく! 高級ホテル! なんてすてきなひびき!
いや、高級かどうかは正直そこまで重要じゃないんだけど、ママが私のためにこんな風に手間をかけてくれたってことだけでもう、世界の真ん中でママありがとうを叫びたい。
もちろんママは私を大好き(そして私もママ大好き!)なんだけど、いかんせんいそがしいので、こうして大好きを形にしてくれることは実はめずらしいのだ。
それがたとえ、ママがお仕事の都合で参加したグロリアス・オリュンピアの参加者特典のおこぼれであっても、ママにそうする機会をくれた世間の歯車的なあれこれに、今だけは感謝の気持ちでいっぱいの私だった。
え、学校? 残念でした! 今日は土曜日なのでお休みです! ついでに言うと、このホテルにいる間、学校ある日は特別にママが送り迎えしてくれてます! こんな事久しぶりだ。ああ、ビバ・グロリアス・オリュンピア! 王女様ありがとう!
さてさて、時刻は昼過ぎ。ホテルはグロリアス・オリュンピア関係の人達で貸切らしいから、普段ならお金持ちの人達でごった返していそうなホテル入り口前の広場にも、人の姿はまばら。
意味もなくぶらぶら歩いたり、くるくる回ったりして高級なホテルの高級をエンジョイしていた私だが、さすがにしばらくすると飽きてきた。
お部屋にいればよかったのかもしれないけど、そっちだと時々ママがお休みしたりお仕事したりしてるから、あんまりじゃまになりたくないのだ。
ぼんやりと案内板を眺める。ここがなになにタワー前広場、あっちがなにがしペンションエリア、そっちがなんとかツインタワー広場。こっちがかんとかプールゾーン。
そうだ、プールとか見に行ってみよう。ひょっとしたら、参加選手の中にいたかわいいラッコさんとかいるかもしれないし(あのラッコさん、ただものじゃない気配が何となくかわいくて、私の中でママの次ぐらいに注目選手だ)。
そう思った私は、プールの方にてとててとーと走っていったのだった。
で、しばらく後。
「ラッコさんいなかった……」
そこはかとなくがっかりしながら広場に戻ってくる私がいた。そこの君、笑わないように。生のラッコさんなんて見た事ないんだから、ちょっとぐらい期待しちゃったっていいじゃない。
「……あれ」
戻ってきて、先ほどまでと少し変わった風景に気が付く。
人の姿がまばらなのは変わらない。
ただ、そのまばらな人々の中に一人、普段見る事のないタイプの人を見かけたからだ。
あれは、そう。幾つものこん棒を空中に投げながら、その笑顔で周囲を明るく照らしているようにも見える、彼女は。
「ぱふぉーまー……さん、って言うんだっけ」
リボンがたくさんついた紫色の服を着た女の人。多分私よりは年上だけど、まだ大人にはなってないぐらいの、お姉さん。
お姉さんはたくさんの……ええと、1、2、3……と、とにかくたくさんのこん棒を次々空中に放り投げては受け止め、受け止めては放り投げ、空中でまるで生き物のようにおどらせる。
夢みたいな、おとぎ話に出てくるみたいな、ふしぎな風景。私は思わず見とれてしまう。
ふと、お姉さんと目が合う。異様に落ち着いた……あるいは、何かに取りつかれたかのような静けさが印象に残る。だけど、それが見えたのも一瞬。次の瞬間、ぱあっ、と彼女の表情がかがやいたのが見えた、気がした。
しゅぱん、しゅぱん、しゅぱん、と、こん棒たちがお姉さんの手から高くとんでいく。そのままお姉さんはくるりと一回転し、落ちてくるこん棒たちを見事に受け止めて見せた。
「……すごい!!」
全私が感動に包まれる。私はおもわず全力で拍手していた。お姉さんは改めてこちらを見ると、ゆっくりと一礼してくれる。
「あ、ありがとう……じゃない。ええと、団長、団長ならこうやって……見目麗しきお嬢さん、ご声援誠にありがとうございます。
ただいまの演目を演じましたるは、我らが『楽園のサーカス』秘蔵の至宝、偽花火燐花!
ジャグリングの名手フレンケルより受け継がれましたスリー・アップ・ピルエットの妙技、お楽しみいただけましたでしょうか?」
偽花火燐花……1回戦のママの対戦相手。なんだかイメージと違って芝居がかった口調のお姉さんだな、と思う。そして、何かが頭に引っかかった。それでも、すごい物を見れたというドキドキが私の思考を単純にし、引っかかりはそのまま手からこぼれ落ちていく。それを頭の片隅で追いながら、私は何度もうなずき、お姉さんに返答した。
「うん! すごく楽しかった!」
そのまま、心から溢れた言葉を口にする。
「こんなすごい物見たの、久しぶり! ……え?」
自分で言った言葉にびっくりする。思いもよらなかったからだ。
お姉さんもびっくりしたのか、目を丸くしている。
いや、でも、そうだ。私はこれを……お姉さんを、ではなくて、このジャグリングの技を。
どこかで見た事がある?
『次なる演目を演じますは、我らが『楽園のサーカス』が擁するジャグリングの名手、フレンケル! 彼の超絶技巧、そしてフィニッシュのスリー・アップ・ピルエットの妙技をとくとご覧あれ! うまくいったらご喝采!』
こぼれた物に、手が届いた感じ。頭の中によみがえる、なつかしい光景。
大きなテントの中心、スポットライトが照らす中、すごいおひげのおじさんが口上を述べている。
私は、パパの隣の席で、身じろぎひとつせずそれを見ている。
おじさんが退場した後、入れ替わりに出てきた大きな男の人がこん棒を自在に操る、ふしぎな風景。
それは遠い昔の事で、頭の奥にしまわれていたけれど、大切な思い出の一つ。
そうだ、お姉さんのあの口上。それに、ジャグリングのうまいフレンケルさん。
そして、シルク・ドゥ・パラディという、その名前。
「……そう、うん、久しぶりなんだ。
お姉さんは、シルク・ドゥ・パラディの人なんですね。昔、パパにこっそり連れて行ってもらった事があったんです。それで……」
言葉を続けようとして、お姉さんを見た私は、思わず口をつぐんでしまった。
その時のお姉さんの表情を、私はきっとずっと忘れないだろう。
それは、なにかをなつかしむような、大喜びする寸前のような、あるいは、今にも泣きだしそうな。そんな、笑顔。
「そう……そうなん、ですね」
その表情はすぐに消え、お姉さんは笑う。
それは、まるであのすごいおひげのおじさんのような、お客様に向ける笑み。
「知っててくれたんですね……私達の楽園のサーカスを……ううん、違う、そうじゃないな。団長なら、もっとこうやって……いやはや、善き観客に恵まれて我らとしても鼻が高い! しかもお父上ともども、親子二代でご覧いただけるとは! 演者冥利に尽きるというもの!」
お姉さんは感極まったのか、口調をころころ変えながら、声を張り上げて感激の言葉を語る。
ついさっきまで忘れてたとはあんまり言えない感じだけど、お姉さんがうれしそうだからいいかな……。
……あれ?
「あの、お姉さん。私のパパのこと、知ってるんですか?」
私はシルク・ドゥ・パラディを見た事があるとは言ったが、誰と、とは言わなかったはずだ。お姉さんがシルク・ドゥ・パラディの人だとしても、ただの観客に過ぎない私達親子の事をいちいち覚えているとは思えない。実際、さっきまでお姉さんは私の事に気づいていなかったし。
お姉さんは答える。
「もちろん、よく存じておりますとも。徒士谷ジェイムズ様は、我らの最も熱心な観客でありました」
パパがサーカスに入れ込んでいたなんて、初耳だ。私と一緒に行ったのも1回だけのはずだけど。
……パパと、サーカス?
口の中が一気にからからになる。この連想がまちがっていてほしい。その一念でお姉さんを見る。
パパが一番熱心に追っていたサーカスなんて、一つしかない。
思いは通じず、お姉さんは続ける。
「ショウの楽しみ方はお客様にて夫々なれば、手練手管を明かそうとするを決して野暮とは申しません。それほどまでに楽しんでいただけたなら、我ら一座としては望外の喜びという物。……そして」
彼女はにこり、とやわらかく笑うと、横に置かれたかばんから、きれいなかざりのついた封筒を取り出した。
「残念ながら楽園に招くことが叶わなかった彼を継ぐ者が現れるならば。我らが舞台に共に立つというならば。我らはそれを歓迎いたしますとも」
その笑みのまま、彼女はつかつかと私に歩み寄ると、封筒を私の手元に強引に押し込む。
「……しょ、【招待状】、です。徒士谷かがりさん、それに、徒士谷真歩さん。
瞬きすら許されぬ、そんな楽園を。貴方達に」
彼女は……怪盗サーカスはそう言うと、大げさに一礼する。
怪盗サーカス、招待状。
それの意味するところを、私は知っていた。とてもとても、よく知っていたのだ。
だからそのまま、彼女が立ち去るまで。私は微動だに出来ずにいた。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
瞬きほどの間もなかったように思う。
試合開始の宣言を聞いたか聞かずかと言ったところで、この身は“その場所”に転送されていた。
転送場所はランダムであるため、まずは戦場の把握が重要となる。徒士谷真歩は一瞬だけ目を閉じて神経を集中すると、辺りの様子を確認した。
「……できれば外がありがたかったが、そうもいかないか」
戦場となるピラミッド地形。今自分がいるのはその内部だろう。
能力でピラミッドと周囲の砂漠地帯、両方を自由に行き来できれば相当に有利に立ち回れるが――…そうはさせまいというのが運営の意図だろう。戦力のバランスを取ったか、或いは警察上層部が相当に粘って参戦枠を得た経緯があるから、意趣返しなのかもしれない。
「(――というのは穿ち過ぎか)」
灰色の石の壁が四方に広がっていた。壁のうちの一角にある扉を開けば、やはり石造りの通路が広がっている。
しんとした薄暗い石室は実際の気温に関わらず寒々しい心地を覚えさせた。これという光源がないにも関わらず視界が保たれているのはどういう理屈か―――理屈はさておきテレビ的な理由だろう。戦闘が画にならないんじゃあお話にならない。
そんなことを考える傍ら、手早くこれからの方針を策定する。ここまでの状況は、概ね想定の範囲内だ。
兎に角もまずは歩こう、というのが既定路線。基本戦術と言ってもいい。能力による移動先は多いに越したことはない。
そして索敵。これは早ければ早いほど良い。
相手の能力を考えれば、密閉空間に火を放たれる、というのが最も危惧するべき事態なのだ。
「……それさえ避ければ、まず負けはねえ」
口に出してみれば、笑えるほどに違和感がある。そんなわけない、という確信があるのだ。
結局、偽花火燐花から感じる違和感――“見落とし”の正体は、掴めないままでいる。何かを隠し持っている、何かを仕掛けてくる。そう想定してしかるべきだろう。
そして、何をしてくるかわからない魔人――そういう連中の相手こそが、己が日々積み重ねてきたものなのだ。
やることは、変わらない。徒士谷真歩は、乾いた死の匂い漂う迷宮の中、その一歩目を踏み出した。
一辺がおよそ180メートル。一通り歩いてみての大雑把な計測としてはそんなところだ。クフ王のピラミッドが底辺部で一辺230メートル程度という話だから(一応調べたのだ)、そのあたりがモデルだとすれば今いる場所は真ん中よりやや下の階層、といった所だろうか。
多少のトラップはあるが賑やかし程度――回避は容易だが、逆に言えば直撃すれば出血は馬鹿にならない。そしてここまで歩いた限り、対戦相手の姿はもちろん、上り階段も下り階段も、外への通路も見当たらない。
「結構凝ってるじゃあないの」
能力故に培った特技、といった所で。真歩は歩けば大体の位置情報は把握できる。そうして頭の中に描いた地図に不自然に空いた空洞を、ステッキを模した仕込杖でこつりこつりと調べてまわれば、やがてかちりと小気味の良い音とともに、仕掛けが作動したようだった。
スライドした壁の向こうにはそれぞれ上りと下りの階段。
「下だな」
と、判断する。
外に出るにしろ待ち伏せを警戒するにしろ、向かうなら下一択だ。興行の成功に配慮する気はさらさらないが、それにしたって下からの火に煙で燻されて終わりとなったら締まらないなんてもんじゃない。
「………ふん」
階段を下り始めてすぐに気づく。
僅かに感じる空気の対流、温度の上昇、硫黄臭――はマッチのそれだろうか。
――…この階にいる。
唇を引き結ぶ。
仕込杖をいつでも抜けるように手をかけながら、一層慎重に歩みを進める。
睨みつけるように辺りに視線を走らせれば、視界の端で見覚えのあるスカートが翻り、曲がり角の向こうへと消えていった。
罠だ。
と、断ずる。
罠であり、挑発であり、誘引。
それが可能なほどの、準備時間を与えてしまったというところか。いや、それでも十全ではないはずだ。追わずに出方を見るか、いや、いま追われているのは自分の方ではないか。地の利は相手にあるが、地力で劣るつもりはない。それを発揮するなら―――
瞬時に幾つもの思考が駆け巡り、やがて追跡の決断を下す。
見つけたのなら、可能な限り速やかに決着をつける。つまるところ、それ以上の方策はないのだ。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
「――あ、えへへ」
その先には、笑みをほころばせた少女が居た。ゴシックロリータ、というのだろうか。ひらりひらりとはためくスカートが、乾いた死の蔓延するピラミッドの迷宮に、不思議な調和をもたらしている。
「よ、ようこそ、私達の舞台へ!あ、あ、会いたかった、です。徒士谷真歩……さん!」
上ずった声で吃りながら、上気した顔にらんらんと瞳を輝かせて、偽花火燐花は声を上げる。
「……。」
真歩は、沈黙と睥睨でもって応じた。
位置はピラミッド全体で言えば外縁部に沿った端の方、ということになるだろう。ちょっとした広間になっている空間の、中央を挟んで等距離に、二人は向かい合っている。
燐花の後ろにある大扉がピラミッドの出入り口だろうか。当初の目論見通りに外に向かおうとするなら、彼女に背を向け、そしていかにも重厚な扉を開かなければならない形になる。
「ES-08号――略取誘拐の既遂十二件、未遂一件―――殺人が一件。通称は」
真歩の瞳に炎が宿り、その焦点を燐花に合わせた。
「怪盗サーカス」
それを受けて、燐花は恍惚とした笑みを浮かべる。
「はい」
真歩は誰よりも誰よりも自分を見ている。こんなにも焦がれ、求めている。それがたまらなく嬉しかった。
だからこそ万感の思いを込めて、それを肯定した。
「私たちは、特別な人達を、“楽園”に招くんです。王女様や、あなたみたいに。ごめんなさい、ちょっと、怖かったですか、びっくりしましたよね。ででもそれをみんなに見せれば、みんなが私達を見てくれるんです探偵さんは失敗しちゃったけどだからこんどはいっぱいいっぱい練習も準備もしてそうやってそうやって楽園や私の舞台は世界中に」
燐花は真歩を見ているようで見ていない。
うわごとのように彼女だけの理屈を並べ立てて
「ああ、そうかよ」
次の瞬間には
「かっ――!?」
鳩尾に、真歩の携えていた仕込杖を突き込まれ、その言葉を断絶させることを強いられた。
「なあ、おい。ES-08号。ご高説は結構だが――
いま、お前の目の前にいるのは誰だと思っている?」
苦悶の唸り声を上げながら燐花の身体はくの字に折れ曲がり、そうして突き出された頭部の、その鼻っ柱を更に蹴り上げる。骨ごと砕ける音がした。
「グロリアス・オリュンピアに臨む戦士? 違う」
叫びともうなりともつかない声を上げてのけぞる燐花の横っ面を、更に後ろ回し蹴りが打ち据えた。血と反吐を撒き散らして吹き飛ぶ。
「犯罪者を追う警察官? 違う」
その手に携えていたのはナイフ、だったのだろうか。
それを振るって放つよりも早く、仕込杖より抜き放たれた刃がその手首を斬り飛ばしていた。
「仇討ちに挑む復讐者? これも違う」
返す刀を大上段に。
裂帛の気合とともに豪剣を振り下ろせば
「テメェのそのイカれた理屈で、奪うと宣った子どもの」
偽花火燐花の姿は、縦から真二つに裂かれる。
「母親だよッ!」
愛する娘、かがりに害が及ぶ。
それは、それこそが真歩にとっては何よりも我慢できないことで、そして超えることを決して許さざるラインだった。
誰の目から見ても明らかな。あまりにも明白な決着。
「あ、あァ…」「…――うれしい」
―――その筈だった。
「そんなにもそんなにも、わたしを見てくれるんですね。熱く熱く、やっぱり、うん。こんなにすてきな観客を、楽園に招くことができて。わ、わたし、しあわせです。夢に一歩、近づけました」
偽花火燐花の声が響く。真二つに裂かれた唇は半開きで動かぬまま、何処から声が出ているかは判然としない。
ちりちりと音を立て、紫の衣装が真っ赤な炎に包まれていく。炎は燐花の全身に燃え広がり、照り返しで真歩の顔を赤く染めた。
真歩は気色ばみ、引いた刃とともにじりと一歩後退する。
そして。
「……輪廻化生」
能力が解かれ、石床に偽装されていた炎が、二人の足元から吹き上がった。
それは、見る間に部屋全体に広がっていく。
瞬く間に、部屋の全てが炎に覆われる事となった。
真歩の最初の見立ては正しかった。
燐花は、すでに部屋に罠を仕掛け、誘引していたのだ。
地の利は、完全に燐火にあった。
そして。
「……くそ、そういう事か」
眼前にふわりと降り立った偽花火燐花を見て、真歩は呟く。
「炎をモノに変える……そういう事か、ES-08号……!」
彼女が見落としていたのは何か。その答えが眼前にあった。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
輪廻化生
偽花火燐花の魔人能力は、炎に触れ、形と性質を自在に作り変える能力だ。
例えばナイフに変える。
例えば絨毯に変える。
例えば石床に変えて仕掛けておいたり、
例えば鳩などの生物に変えて動かすことも、
ヒトに作り変えることだって出来る。
『楽園のサーカス』を襲った火災事故において、偽花火燐花という名の少女はこの能力に目覚めた。死の間際の幻想のなかに、楽園の中の理想の自分を見出し、炎から自分自身を作り上げ、そして死んだ。
……そうして残されたのは、歪んだ幻想によって作り上げられた、歪んだ幻想のままに徘徊する“魔人能力そのもの”だ。怪盗サーカス、あるいはES-08号事案と呼ばれる魔人犯罪者の正体とは、それだった。
失楽園――後にそう呼ばれることになる痛ましい火災事故において、生存者はいない。
遺されたのは、今わの際に少女が夢見た炎のみである。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
「かくして!」
朗々と少女は語りあげる。
先までの、興奮のままに並べ立てるひどく上ずった語り口ではなく、人が変わったかのように堂々とした節回しだ。
「かくして生まれたるが我らが楽園のサーカス最後の末裔にして忌むべき落胤! 紅にくゆるこの楽園こそが我らが舞台なれば!かの劇作家になぞらえて、この世は遍く舞台なれば! そこに踊るは偽花火燐花!」
熟達した軽業師のように飛び回り
練達したジャグラーのようにナイフを振るい
卓越したマジシャンのように、真歩を翻弄する
少女が楽園と信ずるこの場所において、彼女はあらゆる技芸を収める至高の芸人だ。―――そのように、作られたから。
「……世のすべてを、楽園に招くものでございます」
うやうやしく一礼する少女を叩きつけるような一刀で斬り捨て、地獄じゃねえか、と真歩は吐き捨てた。
至高の技芸を持つ魔人を向こうに回して、一線級の戦闘魔人である真歩は十分以上に戦うことができる。
だがそれは、斬り捨てた端から炎を辿って再生したり、全く別の場所から同じ少女が生えてこなければ、の話である。
そして、地の利は完全に握られていた。辺り一面に広がる炎は、燐花が腕を振るうだけでナイフやバトンや、バルーンや鞭に変じ、そして炎へと還っていく。
燃え盛る熱は体力を奪い、減りゆく酸素は思考を奪う。
持久戦は敵を利するが、さりとて短期決戦に持ち込む手もなし。
真歩に出来るのは、開始地点へと戻る事で呼吸の乱れを整え、再度挑むことぐらいだった。
……そうしたことが幾度か繰り返され、何度目かの開始地点。
「……くそ、らしくない」
真歩は誰に言うともなく呟く。体力と思考を奪われ、焦りがつのっていた。深呼吸をしようにも、残された酸素が少なければ何の意味もない。
「負ける訳にゃいかないんだけどな……」
だが、それは果たして何のためか。
戦士としての栄光のためでも、警察としての職務のためでも、夫の仇討ちのためでもない。では、娘を害そうとした者への怒りのためか……?
「……いやあ、違うな…」
部屋の壁にもたれかかり、なんとか呼吸を整えようと試みる。
ふと、胸ポケットに入れた何かの感触が気になった。
取り出してみると、それはお守り……確か、自宅に近い神社で販売している物である。
試合前に、娘が願掛けに、と渡してくれたものだ。
それを目にした瞬間、真歩の脳裏に記憶がよみがえる。
それは、少しだけ昔のこと……。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
私は、かわいそう、という言葉が嫌いだ。
別にわかってくれなくてもいいけどさ。
かがりちゃんかわいそう。
鍵っ子なんてかわいそう。
親が魔人でかわいそう。
母子家庭なんてかわいそう。
父親が死んでかわいそう。
かわいそう、かわいそう、かわいそう! もうウンザリ!
それでもどうにも世の中のちゃんとした大人たちと、彼らの真似をしたがるイイ子ちゃん(そう、帰りの会で告げ口したがる女子だ!)は、私のことをかわいそうと呼びたがった。
あれはそう、もう一年ぐらい前だったかな。一度、本当に我慢ができなくてクラス中を巻き込んだ殴り合いの大喧嘩にだってなったこともある。
その時は、普段あんなに格好いいママがあちこちに小さくなって頭を下げて回る姿を見ることになったから、ケンカはもう二度としないって心に誓ったのだ。
「………なあ、かがり」
「……」
その日の夜、ほっぺたに貼った湿布を張り替えてもらいながら、ママが切り出してきた話がある。
「……ママさ、内勤に切り替えようと思うんだ。そういう話があってさ」
「…………ないきん?」
「あー…わっかんないか。つまり、今みたいに悪いやつをとっ捕まえたり追っかけたりの仕事じゃなくて、デスクワークで、えー…パソコンで仕事したりする感じになること。夕方にうちに帰れるようになります」
「………」
「…その、今日みたいなことがあって、もちろん、かがりは良くなかった。よくなかったけど、えぇーっと……その、ママも良くなかったんじゃないかって、思ってて」
節くれだって固くなったママの手を目で追いながら、私は顔をこわばらせた。
話しぶりや、ヘンに言葉を選ぼうとする間が、隣のクラスの先生みたいだったからだ。
「………つまり、れいちゃんやちーちゃんちのママみたいに、ちゃんとママできてないなって、思ってて。……かがりにも、かわいそうなことしてるなあって」
「なにそれ」
唇を尖らせて、ママの顔を見上げる。
「誰がそんなこと言ってるの。そんなの、私がぶっ飛ばしてやる」
「かがり」
ケンカはもうしないという誓いを二時間で忘れた私に、ママは困ったような顔を見せた。
「だって、ママはママだよ! 他のひとが、何言ったって関係ないじゃん!」
本当は困らせたくなんてなかったけれど、言葉のほうが次から次へとこぼれ落ちてきた。
「私は! 強くて、格好良くて、わるいやつをやっつけてるママが好き! パパを殺したやつだって、ママに捕まえてほしいもん! そのために頑張ってるんだもん! 本当は、私が自分でつかまえてやりたいけど、できないから、そのぶんママが頑張ってるからって! だから、他の人がなんて言ったって私は 私はあ…!」
言葉だけなら良いけれど、涙まで次から次にこぼれてきて、なんだかもうわけがわからなくなってしまう。とにかく私は悔しかった。悲しかったんじゃあない、くやしかったんだ。
「ママが、本当はつらいならしかたないよ。でもさあ、――ママまで、私のことかわいそうだなんて言わないでよぅ……っ」
「……かがり」
伸びてきた大きな腕が私を抱きしめる。暖かくて、少しだけ震えていた。
「ごめんな、ごめん。そうだな…」
わあわあ泣く私の背を撫でながら、ママは静かに言ってくれた。
「私も悔しい。……一緒に、戦おう」
かわいそう、という言葉が嫌いだ。
だって、私だってママと一緒に戦っているんだもの。
別に、わかってくれなくてもいいけどさ。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
「(……そうだ)」
瞬きほどの時間しかたっていないと思う。
だが、それ以前とそれ以後では、世界の見え方が劇的に変わっていた。
「(そうだ、戦っているのは私一人じゃあない)」
それを思えば、紛いの炎と名乗ったという対戦相手に頼るまでもなく、胸の奥には明かりが灯る。お守りを一度握りしめ、それを再び胸ポケットに収めると、真歩は前を向き、再度戦場に赴いた。
もちろん、状況が劇的に変わったわけではない。
相手は至高の技芸を持つ魔人で、地の利は完全に握られ、持久戦は敵を利するが、さりとて短期決戦に持ち込む手もなし。
「(それもこれも元を返せば、このバカみたいに燃えてる炎のせい……つまり)」
いや、一つだけ、手はあった。
「(この炎を全部まとめて消し飛ばせば良いわけだ)」
賭けであり、チャンスは一度だ。
スーツの裾に燃え移った炎を、燐花が軽く撫ぜる。それはすぐにナイフに変じ、真歩の肌を焼き切った。
「ちぃ…!」
苦悶の表情。乏しい酸素をまた少し浪費する。
「すごい、やっぱりすごいなあ。ルカのナイフもジョエルのアクロバットも、こんなにもついてきてくれる人、初めてです! ああ、やっぱり最高の舞台! ここが、楽園なんだわ! なんて素敵な!」
輝くような笑顔が、ちらちらと揺れる炎の中に映し出される。
一方で、火の勢いはやや弱まりつつあるのが見て取れた。
―――お誂え向きの頃合いだ。勝負に出る。
「いいや」
霞む視界の中、しっかりと石床を踏みしめて駆け出す。
この数十分の間に、幾度となく交わした刃だ。幾度かは相手を斬り裂き、幾度かはこの身を焼かれた。
振るわれた炎の鞭を巻き落として、愛刀で胸を貫く。炎と消え行く少女の姿を斬り捨てて、そのまま背を向けて駆け出した。向かう先は外へとつながる大扉!
刃を交わす中、明らかに燐花は真歩がそこに向かうのを警戒していた。意図することを、向こうも気づいているのかもしれない。だからこそ、押し通る!
「ここはお前の楽園なんかじゃあねえよ」
斬り捨てた燐花は、能力を振るい、状況を確認し、そこから阻止に動くまでに幾許かの時間を要する。それだけの時間があれば、十分なはずだ。
「あ…ひどいです。もったいないですよ、こんな素敵な舞台を、降りようなんて」
燐花が振るったのは炎から編み出した猛獣を操るための鞭だった。飛び上がったところに足首に絡まったそれを足首ごと切り落として、勢いのままに扉に迫る。
「ここは」
愛刀を振るうこと二度。
火花を上げながら、扉に十字の切れ込みが入る。
「あたしたちの」
衰えない勢いのままに仕掛けた体当たりが扉の役目を完全に崩壊させ、真歩はピラミッドの外部に転がり出た。
砂漠の上天に輝く太陽が、石の墳墓の中に差し込む。
「東海道だ――っ!!」
その光を見上げて
「あ―――」
燐花は目を細め
「きれい」
と、呟くと同時。
二人が対峙していた広間は、閃光と爆音に包まれた。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
「は、は、はァ――!」
砂の上にごろりと転がって、ようやく新鮮な酸素を胸いっぱいに取り込む。
「うまく、いったか」
酸欠の影響か、じんと頭の奥がしびれる心地がする。少なくとも、ES-08号が出てきたり追撃を加えてくる様子はない。
密閉空間における火災状況下での長時間の戦闘。
可燃性ガスが充満したところに、急激に大量の酸素を送り込むことによる爆発的な燃焼―――バックドラフト現象と、それを利用した爆風消火。火を扱う魔人と対する時点で使用を想定していた手札の一つだ。上手くいく保証はなかったが――
「さて」
ほどなくして、決着を告げるアナウンスが流れた。
熱砂の上に、本格的に脱力する。
まずは勝利した。ES-08号の能力も明かした。これは大きい。
「あのやろう、どうしてくれようか」
が、捕まえるとなるとこれは難事だ、とも思う。
あの娘が魔人能力そのものであるなら、今回見せたように、やつの能力下にある炎がすべてES-08号自身として動きうる可能性すらある。そしてそれらは、そこらの石ころや、カーペットや、公園の鳩に普段は変えられているのだ。
試合であれば、会場内にある炎をすべて消し飛ばすことで解決はできた。だが、事前に調べたところによれば偽花火燐花は“世界中を旅していた”そうではないか。
「(二年間、沈黙していたのはこのあたりが理由か)」
どこに、どれだけいるかもわからない。そのような相手を、どう、追い詰めるか。些か、手に余る問題のように思える。
「――は。あるじゃあないか。おあつらえ向きの手が」
酸欠と、戦闘の高揚でハイになっているのか。くつくつと笑みがこぼれた。
とかく出来ることを一歩ずつ踏みしめていくとして、今向かうべき先は――
「お国に動いてもらおうじゃあないの。王女様も、嫌とは言うまい」
願い事、だ。
ニューカレドニアは、諦めなきゃあなるまいが。
テンションのままに笑みをこぼして、乾いた喉元に砂が入り込み、盛大にむせた。
ああ、なんだか無性にタバコが喫いたい。
ジェイムズが愛飲していたキャメル・ナチュラル。
もう何年も喫っていないし、娘にも怒られてしまうだろうか。今なら、焦げ臭いからバレずに済ませられないだろうか。
そんなことを考えながら、砂の上の王墓を見上げ続けた。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
グロリアス・オリュンピア 一回戦 ピラミッドSTAGE
“輪廻化生”偽花火燐花 VS “東海道五十三継”徒士谷真歩
勝者:徒士谷真歩
決まり手:焼失
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
らら、ららら、ららら、らら、ら、ら、ららら、ららららら……。
あ。き、聞こえてましたか。恥ずかしい……歌もずっと練習してるんですけど、なかなかうまくならないんです。ヴァーニャならもっとうまく歌えたんですけど。ヴァーニャはどうやってやっていたのだっけ……。
え、歌の話はまた今度、ですか? それはかまいませんけど、わ、わたしは特に面白い話とかできない、ですよ。グロリアス・オリュンピアでもま、負けちゃいましたし。
そのグロリアス・オリュンピアの話、ですか。あ、徒士谷真歩さん。ええ、すごい人でした。ジョエルのアクロバットやハビエル達の曲芸のスピードにもずっとついてきてくれたんですよ。あんなのは初めてでした。さすがグロリアス・オリュンピア、って感じです。
でも、わたしが一番うれしかったのは、その事じゃないんです。彼女は……かがりさんもそうでしたから彼女達、って言うべきでしょうか。彼女たちは、私達を、わたしの事を見ていてくれた。追い求め、焦がれて……記憶に留めて、いてくれた。それがすごくうれしかったんです。
だ、団長がいつか、言ってました。『我ら楽園のサーカスとて、永遠ではない。いつかは途絶え、終わりが来る日もあるでしょう。されど、ああされど。お客様が楽園のサーカスを覚えていて、記憶に留めて、思い返してくれるなら。それが途絶えない限りにおいて、楽園のサーカスは無限に続いていくのです』……って。いい、言葉ですよね。
だから、わたしは、楽園のサーカスを続けます。わたしだって永遠ではないけれど、私達が少しでも長く楽園のサーカスを続けて、ひとりでも多くの人が楽園のサーカスの事を覚えていてくれるなら。それは、無限に楽園のサーカスが続いていく、って事ですから。
だから……モーリー。ジャック。フラン。マキ。パブロ。メイリン。フレンケル。ルイス。ハビエル。ゲイリー。ルカ。カルロス。サーシャ。スティーブン。ジョエル。エリック。ロベルト。イワン。ジェシカ。アントニオ。アルベルト。ヴァーニャ。エミール。ハロルド。団長。それから、12人の招待客の方々と、135人の一般客の皆さん。
彼らのためにも、わたしは頑張りますから。だから……。
……あれ? あの、どこにいかれたんですか……? まあ、いいですけど。
らら、ららら、ららら、らら、ら、ら、ららら、ららららら……。