「次なる試合は、王女様。互いの実力、経験が拮抗した者同士の対戦をあつらえましてございます。まだ地位も名声もない、言わば……新人戦でございますかな」
五賢臣がひとり、老いた男は頭を下げる。
グロリアス・オリュンピア初戦の組み合わせは、五賢臣のメンバーそれぞれの様々な——そう、実に様々な思惑により決定されている。
全ては、王女に極上の能力戦を堪能させるための配慮だ。
「心ゆくまでお楽しみいただければ幸い」
「ええ、胸が躍るようです」
色素の薄い、さらさらと絹糸のような髪をした少女は、穏やかに目を細める。その心の内に、燃えたぎるような情熱を隠して。
◆◆◆◆
グロリアス・オリュンピア大会本部、選手控え室。パイプ椅子に腰かけたモッズコートにジーンズ姿の青年と、横に控えて座る黒髪ボブヘア、シンプルな白のブラウスと紺色のスカートの少女の姿があった。どこか無感情に見える目がふたりの共通の印象だろうか。
ごく平凡な見た目の青年は、やや顔に緊張を見せていたが、隠す様子はない。本人は漆黒の兜で自分の顔が覆われていると信じているからだ。設定では目のところは赤く光る。そういうのが格好いいと彼は思っている。
「暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様。試合時間となりました」
やがてノック音とともにドアが開き、室内の少女とうりふたつの顔をした少女が現れる。サンプル花子。量産型戦闘用美少女である。室内の紺スカートの少女もまた。
「ご案内いたします。どうぞこちらへ」
『暗黒騎士ダークヴァルザードギアス』は、立ち上がり、軽く深呼吸をした。そして、傍の少女に向け言葉を放つ。
「アナスタシア」
少女は……アナスタシアは、じっと青年を見上げる。
「我が名を呼べ」
「はい。暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様」
「……うむ」
ひととき、ふたりの虚ろな目に、火花のような小さな光が灯った。
「我が目的はふたつ。闘争、勝利。そして我が名を世に轟かせることである」
三つありますけど、とはアナスタシアは言わない。従順なデザインの彼女は、ただうやうやしく頭を下げるのみだ。
「そなたに勝利を持ち帰ろう。待つが良い、アナスタシア」
「光栄に存じます。暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様」
案内役のサンプル花子とともに、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスはゆっくりとした足取りで外に出ていく。彼女が破れ目を補修したリュックサックの背中を眺め、アナスタシアは目を細めた。
その表情には、画一的なサンプル花子の笑顔とは微かにどこか違う、憧れにも似た喜びがあった。
最悪は、もう終わったと思ってた。
でも違う。神様なんてきっといないか、いてもあたしの前にバラバラとムカつくものばかり撒いていくような、根性曲がりに違いない。
あたしは、格好悪い大股で歩く。案内役が小走りにあたしを追い越そうとする。腹が立って腹が立って、あたしはさらに早足になる。
なんで、また——
無表情な顔をにらみつけてやった。その顔は、ママとあの女にそっくりで。
グロリアス・オリュンピア。大会に配備されているのは、大量のサンプル花子。
わかっていたはずなのに、胸のムカつきはなかなか止まらなかった。
でも、それだけならまだいい。まだ我慢できる。
(……あの男!)
壁を殴りたくなって、やめた。あたしは控え室に案内される時、廊下で一戦目の対戦相手——あのふざけた名前の男を今朝のテレビ特番の映像で目にしていた。
どこにでもいるような黒髪の、地味な奴。友だちがこれが彼氏って写真を見せてきたら、後でちょっとした粗探しトークが始まりそうな、そんなくらいの男。
そして、横にサンプル花子を連れて何か話をしていた。やっぱり、よりによって、ママとあの女と同じ顔、同じ髪型の。
最悪。
あたしは案内(というより、無理に先に進んだ)された広いスペースへとたどり着く。観客席のものすごい歓声が、あたしの鼓膜を震わせた。先に着いていた男はなんだかジロジロとこっちを見てくる。
どうせ、こんなガキが出てくるなんて思わなかったんだろう。
わかるはずがない。そのガキがどれだけあんたたちに腹を立てているか。ママと同じ顔の女の子たち。それをいいように扱う奴ら全部をめちゃめちゃに憎んでいるか。
なんだかうるさいアナウンスを聞き流しながら、内心ではもう、イライラが止まらなかった。
そして、戦場への転送が始まった。
地獄、と告げられていたそこは、確かになんとなくイメージする通りの場所だった。洞窟の中みたいにごつごつとした岩がたくさんあって、足元には血の色をした嫌な臭いのする川が流れている。天井は高くてよく見えない。
大会参加者には三日前に試合の戦場が知らされる。地獄なんてどこで下調べすればいいかわからなかったから、『VR地獄』で疑似体験してイメージトレーニングをした。そんなに予想と外れていないようで、ホッとする。
ところどころに鬼がいて、ガリガリに痩せた亡者(多分)を金棒で叩いたりしている。ただ、あれは実体のない影のようなホログラムのようなもので、別に生きてはいないし、物理的に影響も受けないのだそうだ。夢の国のアトラクションみたいな感じかな、と思う。かなり悪趣味だけど。
あたしは暑いような寒いような、変な空気の中をふらふらとうろついていた。しばらくいると体力が削られる感じがする。早く決着をつけないといけないし……そのためには、あの暗黒騎士とやらを見つけないといけない。
もちろん、ちゃんと備えはしている。あたしはごく小さなエネルギー弾を周りにいくつか巡らせていた。『サンプル・ビット』。威力はほぼ犠牲になるけど、持続力があって、急な攻撃があっても対処できるはずだ。
やがて、岩でごつごつした通路の奥へ奥へとあたしは進んでいた。そろそろ相手と遭遇しかねない、と手に汗がにじむ。でも、あたしの能力はとにかく敵を見つけないとどうしようもない——。
あたしは足を止めた。少し先の広く、ぼんやり明るくなっているところに、人影が見えた。鬼じゃない。人間だ。モッズコート。さっきのあの、対戦相手。こちらに近づいてくる。
襲撃を予感して、あたしは『サンプル・ビット』を解除。一歩後ろに下がる。でも、そいつはすぐには攻撃をしてこなかった。代わりに剣みたいなものをぶん、と振って、大声でこんなことを言い出したのだ。
「よくぞ我が故郷、緋の煉獄ギルガザールに足を踏み入れたな、娘よ! 我は暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。血の歓迎を致そう」
(……なんだそれ)
あたしは呆れた。なんか、テンション上がりました、みたいな顔してるし。
その剣がダンボールでできているのに気がついた時、あたしはイライラが頂点に達しつつあるのを感じ、思わず顔をめちゃめちゃにしかめた。
最悪。
◆◆◆◆
「……ふざけんな」
不機嫌そうな顔をした少女の第一声はそれだった。地獄の景観にいい具合に気分が上がっていた暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、眉をひそめる。
「何それ、バカにしてる? その年でごっこ遊び? そんなダンボールで……」
「我が暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードを愚弄するか」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは右手を振るう。おぞましき地獄の岩壁、その突起部がすぱりと切り取られ、枯れた大地に転がった。魔人能力『イーヴァルディの砥石』。彼が手にし、それと信じた物体は、鋭い刃を持つ暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化す。
少女は口をつぐみ、構えるように腰を軽く落とす。暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードの切っ先が、まっすぐに少女の視線とぶつかった。
「娘、かかってくるが良い。そなたは因縁が導きし我が好敵手と認める!」
「……意味わかんない。あと、娘娘言うな! 『サンプル・シューター』!」
少女の手に何らかのエネルギーが収束。拳大の弾丸が放たれる。暗黒騎士ダークヴァルザードギアスはそれを身をひねって難なくかわし——。
少女は隙を突いたように、だん、と跳躍。見る間に彼女の姿は暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの至近へと迫っていた。
「あたしは、阿呂芽ハナだっ!」
伸ばした腕が暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの顔に触れようとしたその時。
「『サンプル』……っ!」
慌てて阿呂芽ハナは腕を引いた。暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードを高く構え、自らの顔を守るように掲げていた。
あたしは跳びすさり、小さく舌打ちをする。多分、あいつはあのダンボールを本物の剣みたいな斬れ味にできるんだ。奴の攻撃は、見た目より強力だと考えた方がいい。少し遅かったらあたしの手にはちょっと愉快じゃないくらいの傷がついていただろう。それにしても。
今、あたしの動きが読まれた?
なんで、という疑問は置いておく。そんなことを考える時間はない。最初のコンボを外したのだ。あたしの攻撃は、相手がナメてくれた時が一番ハマりやすいんだけど……どうも無理らしい。
「『神速斬撃・アルグ=ディアス=ゼネキス』」
心底バカみたいな技名のコールとともに、あのダンボール剣が右から大きく振り下ろされる。あたしは軽くそれを避け、『跳び箱』を利用することにした。相手の肩に向け、手を伸ばし——。
ひらり、と相手はあたしの一撃をかわした。まるで、わかっていたかのように。
おかしい。おかしい! あたしは大きくぐらついた姿勢を立て直し、紙一重でなぎ払いを避ける。
「跳び回るのが得意と見えるな、娘。我にはその技は通用せぬぞ」
なんで……。あたしははっとした。『跳び箱』と『サンプル・シューター』は、何かあった時にあたしがいつも使う、基本中の基本の技だ。
あたしが戦うところを、こいつはどこかで見たことがある?
さっと頭の中が冷えた。だとしたら……どこまで知っているのか。あたしの手の内を。『コラボ技』を。
どこで……どこで会ったことがあるんだっけ。あたしはそのどこにでもいそうな顔を思い出そうとしたけど、無理だ。わかるはずがない。
もしかしたら、どうにか手を回してわざわざ調べたのかもしれない。そんなに頭が回るような奴にも見えないけど。
その時突然、暗黒騎士野郎はあたしに向けてダンボール剣を投げつけてきた。反射的に手を翳して頭をかばう。
ぺちん。情けない音がして、剣はぽとりと地面に落ちた。暗黒騎士野郎はその隙に、踵を返して奥へ奥へと走り去っている。
ぞっとした。これが本当に剣なら、あたしは腕にひどい怪我を負っていたはずだ。それどころか頭まで……これは、あんまり考えたくない。
能力に制限時間があるのかも。次に、あたしはそれに思い至る。ダンボールはさっき、確かに本物の剣みたいになっていた。今はただの紙だ。長いこと使える能力ではないのかもしれない——あたしの力と同じに。
それなら、どうにかなる!
あたしは息を大きく吸うと、奴を追いかけることにした。奥へ、奥へ。地獄の果てまでも奴を追ってやる!
◆◆◆◆
暗黒騎士ダークヴァルザードギアス……土屋一郎の普段の職業は、都内某所のコンビニ店員である。ある日、彼は勤め先の店の入り口付近で、喧嘩を目撃した。男が三人、対するのは少女がひとり。すぐに少女が倒され終わりだと思った。だが、それは誤りだった。
(『サンプル……』)
(ウオオオーッ!)
(『……アロー!』)
(ウオいぎゃあああアアーッ!!)
鮮やかな動きで、彼女は三人を次々にあしらい、吹き飛ばす。彼は通報することも忘れ、その動きに魅入っていた。
(さっき言ってたやつ。指一本触れず、返品して。分かった?)
(わ、分かりましたぁ!!)
一瞬だけ、店内電話に手を伸ばしたままの彼と、少女の目が合った。
そう、行く当てのない阿呂芽ハナがサンプル花子の件で怒り、遭遇した男たちを叩きのめしたその時。土屋一郎は、名もなきコンビニ店員としてその場で全てを見ていた。
とはいえ、それきりだ。少女はそのまま逃走したし、彼も店長に軽く報告をした程度で、何もなくその日は過ぎた。彼にとっては鮮烈な印象を残す出来事であったが、少女がただ居合わせただけの彼の顔を覚えているなどということは、万が一にもないであろう。
ただ、彼の密かにねじ曲がった認識に、ひとつの火が灯った。
あの少女と自分が戦えば、結果はどうだ。彼女の攻撃はどう捌く。自分の剣は届くか。彼はグロリアス・オリュンピアに出場を決めてからも、格好いいポーズの練習とアナスタシアとの訓練の傍ら、密かにイメージトレーニングを重ねていた。
その当の少女と戦うことができようとは、思いもよらなかった。
◆◆◆◆
地獄の息苦しい空気の中、暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードに『相応しい』物を無意識的に探しながら、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは疾駆していた。この場の空気は、煉獄の地に生まれし設定の彼の身体をも蝕む。具体的にはステージギミックとして、1ターンに2程度のスリップダメージが生じる。残りHPには気をつけよう。
『サンプル・シューター』。
あの少女はそうは言っていなかったか。暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、ふと思考を巡らせた。同じ技を、自分は知っている。
あたしが暗黒騎士野郎に追いついた時、奴は山積みの骨が並ぶ血の池のほとりで、針山地獄の長い針を顔を真っ赤にして引き抜いているところだった。地面から顎くらいまである長さの大きな針を持って、ちょっとやり遂げた、みたいな表情で何かぶつぶつとつぶやいている。正直気持ち悪い。
「暗黒騎士なんとかかんとか……あのさ」
あたしは声をかけた。多分、こいつは隙を突いて妙なことをしてくるタイプの敵じゃない。だからって、厄介じゃないわけはないけど。
「聞け。あたしが勝ったら、あの子を解放して」
「あの子とは」
やっぱり、あっさりと会話に乗ってくる。計算なのか、余裕なのか、それとも素なのか。
「あんたと一緒にいた、あの子」
「よもや、我が侍女アナスタシアのことか。あれは自ら我が元に……」
あたしはまたイラついた。何が自らだ。そんなわけない。最悪。最悪だ。
「いいから! そうして」
「それは……いや、ちょっと困る……」
急に普通の人みたいな口を利いたので、あたしは逆にびっくりしてしまった。
「困る、が……否!」
あと、またすぐに変な口調に戻るのもやめてほしい。
「我はあの者に勝利を約束した。であれば、そのような口出し、全くの無意味!」
「いや、意味がわかんない……」
「我は邪法の元に生まれし高貴なる暗黒騎士」
鋭く尖った針が、あたしに向かって突きつけられる。ただでさえ物騒な武器だけど、ダンボールは剣になった。なら、もしかしてこの針も。
「道理に従う理由などなし」
わかんないけど、わかんないけど。
こいつ、お腹の中がグラグラ煮え立つくらいムカつく、ってことはわかった!
あたしは、両腕を上に差し上げる。エネルギーのうねりを感じる。攻撃範囲が広すぎてご近所の迷惑になるから、普段あまり使えない手、これならいけるはず。
「『サンプル・レイン』!」
何が読まれているかなんて関係ない。打てる手は全て打つ! 全力であたしは。
こいつを打ちのめしてやる。
◆◆◆◆
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが阿呂芽ハナの攻撃に対処できた理由のひとつが、あの日の偶然の出会い。
そしてもうひとつ、『サンプル・シューター』の軌道を読むことができたのは、サンプル花子であるアナスタシアとの訓練の成果だった。
だが、未知の攻撃には彼も怯まざるを得ない。
エネルギーの弾が、流星群のように降り注いだ。ひとつひとつは『サンプル・シューター』よりも小さく、威力も弱い。しかし、速度と量が。
大量の小石の雨に撃たれたような痛みに、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスはうめき声を上げる。頭を針……剣でかばうも、攻撃は止まない。避けようと走れば、そこに向けひたすらに降り注ぐ。逃げ惑う彼の行く手を巨大な血の池が阻み、遂には足を止めて耐えるしかなくなった。外れた弾丸は緋い水を跳ね飛ばし、飛沫で地面を焦がす。
やがて雨が止む。目の前には阿呂芽ハナ。胴にハイキックを受け、体勢が崩れる。針を振ろうとし……既に『イーヴァルディの砥石』の効果時間三分が過ぎようとしていることに気づく。
一度剣にした物体は、数時間は暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化す資格を失う。別に、他の武器を使うことによるデメリットは何もない。だが、彼は信じていた。暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードをのみ用い戦う、最強の騎士であるのだと。彼は針を自ら手放し、地面にからからと転がした。予想外の動きだったか、阿呂芽ハナは少し彼から距離を取った。
阿呂芽ハナが岩壁に手を突き、そこから大きく跳躍する。軌道は、読める。一度かわし、その隙にまた『別の』暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードを——。
彼の瞬時の計算は、裏切られた。阿呂芽ハナは、空中で小さなエネルギー弾を放ち、反動で軌道を変え、急降下する。間に合わない。
空から降ってきた阿呂芽ハナは彼の額に手で触れた、その一瞬を逃さなかった。
「『サンプル・シューター』」
至近距離の、全力殴打に近い威力。暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの身体は弾けるように倒れ込んだ。
そのまま血の池へ転がり落ちそうになり、地面に爪を立ててこらえる。左腕は緋の水に浸かり、煉獄の地に生まれし設定の彼の身体をも蝕む酸に灼かれた。
彼は情けない悲鳴が漏れるのを噛み殺し、どうにか起き上がろうとして、ふらふらと骨の山に倒れ伏した。半身は崩れ落ちる白い人骨に埋もれ、一瞬軽く意識が飛びかける。
「……ひとつ聞かせてよ。あんた、なんでそんなにあの……あの子にこだわるの」
明滅する視界に、阿呂芽ハナのシルエットが見える。朦朧とし、やや素に——土屋一郎の意識に戻りながら彼は答えた。
「決まってる。あの子は……あの者は」
少女のシルエットに、アナスタシアの姿が重なる。そして、ふたりきりの訓練時に交わした会話が、突然稲妻のようにフラッシュバックした。
◆◆◆◆
(私の『サンプル・シューター』は、エネルギー切れになるとおよそ三分間撃つことがかなわなくなります)
(なるほど。では訓練は休憩ののちに……)
(いいえ)
アナスタシアは、サンプル花子らしからぬ軽く熱のこもった口調でこう彼に告げた。
(今、今こそが私を倒すべき時です。この機を逃してはなりません。暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様。実戦は)
アナスタシアにまだ名がなかった頃、彼女は嗜虐趣味の元主に虐待を受けていたらしい。時折まるで人のような顔をするのは、その傷跡の影響か、あるいは、怒りの。
(時間を止めてはくれません)
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、手にした30センチ定規……もとい暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードを忠実なる侍女の首筋に向けた。彼女は、満足げに薄く微笑んだように見えた。
◆◆◆◆
現実の彼は、頭を押さえながら起き上がる。酸に灼けた左手は、動かそうとすると裂けるような痛みが走る。
阿呂芽ハナは、時間を稼ごうとしている。もしあの能力がアナスタシアと同質のものであるのならば、エネルギー切れをも同様に起こしている可能性がある。
「あの者は、俺の……我が名を初めて。初めて呼んでくれた」
(仰せのままに、暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様)
誰にも見せなかった創作ノート。鉛筆書きの設定に支配された、ひとりきりの死んだ心に、表に出せぬ歪んだ認識に、彼女は歩み寄ってくれた。
「ならば我は、あの者に報いねばならぬ。勝利の誓いを守らねばならぬ」
彼の孤独な世界は、あの瞬間微かに救われたのだ。
滑稽でも構わない。無益でも構わない。短い間だけでも、共に歩くと決めた。
彼は暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。邪法の元に生まれし高貴なる存在。
だから、貫いてみせる。
彼は拾った大腿骨と思しき長い骨を、右手でしっかりと握り締めていた。
『イーヴァルディの砥石』。彼がそう信じれば、触れたものは三分間に限り全て本物の魔剣と化す。
(こは剣。長き刃と頼もしき柄持つ剣。その刃は全てを切り裂き、全てを穢す)
骨は……剣は唸りを上げ、阿呂芽ハナへと襲いかかる。
暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラード。
彼は、信じた。
ヤバい。まずい。時間が。
あたしの力は、まだ回復していない。大技を撃つと減りが早い。時間を稼ごうとしたのも、バレている。歯を食いしばりながら、刃(骨だけど)をかわす。一撃、二撃。牽制の足払いを避け、身を沈め——。
「『雷鳴刺突・ギムシュトラウス=マギナ』」
鋭い突きが、あたしの……あたしの額目がけて。
ダメだ。頭は、ダメ。
あたしは反射的に腕で頭を抱え込む。鋭い痛みが走った。
袖がざくりと裂け、赤い血がだらだらと流れていた。同時に、揺れるような目まいがする。吐き気がする。心臓はばくばくと、うるさい。
うるさい。うるさい。うるさい。
なんであたしの邪魔をする! 最悪な状況。最悪な奴ら。あたしはただ、前に進みたいだけなのに。
「行け、ダムギルスヴァリアグラード!」
暗黒騎士野郎が叫ぶ。耳がわんわんする。気持ち悪い。
「『灰燼流星・グレオリザイン=ゲネス』」
空高く、何かが投げ放たれる。それは、あたしの『サンプル・レイン』に少しだけ似ていた。骨が、何本もの骨があたし目がけて降ってくる。さっき拾ったんだろう。なんか剣の名前を大事そうに呼んでいたわりには、何本あってもいいらしい。最悪の攻撃だ。あたしは頭を守ってうずくまりかけ——。
違う。
あたしには、力がある。ママに守られるままの、何もできない子供じゃない。
(最悪――なのは、ここまでだ……!)
手を差し上げる。エネルギーがみなぎる。三分間は、経っていた。
「『サンプル・シェード』!」
エネルギーは、あたしを屋根のように包む。それは、降ってくる刃をいくつか弾いて消えた。消費は大きくて効果時間はごく短い。でも、それで十分。
あたしは嫌な気分をこらえながら、風のように走り込んできた暗黒騎士野郎の刃を避け。
「『サンプル』……」
「そっ……『蒼穹連撃・フィズ=ガルナ=ヴァルガナール』」
血の池でボロボロにダメージを受けて、だらりと垂れ下がっていたはずの左手から、二度目の斬撃が走った。あたしは、読みそこねた。
脇腹が、裂ける。血が噴き出す。奴の爛れた左手には、短くて細い骨が握られていた。ものすごく痛そうな涙目。……あたしだって、泣き出しそうなくらい痛い。
ずるい……ずるい。さっきといい、今回といい。なんで魔剣的なものが増えていいのか、意味がわからない。最悪。最悪だ。
あたしはがくりと膝をつく。力が、血とともに抜けていく。
「降伏を勧めるぞ、娘」
奴の声は震えていた。誰が、と言おうとして、あたしの声もかすれているのに気づく。
「誰が、降伏、なんて……」
あたしはまだ全部を出し切っていない。一試合目から手の内を全部見せたらその後がキツい、なんて計算していたわけじゃないけど。
奥の手を抱え落ちするのは最悪だ。
「『サンプル』……」
暗黒騎士が身構える。
「『シューター』!」
掌から放った光の弾は、まっすぐに標的へ飛んでいく。
分かってる、どうせこれも回避するんだ。この距離じゃ通じないのはもう理解してる。
予想通りに相手は紙一重でその弾を避けた。ここだ!
「『リバース』!」
あたしは力の限り叫んで掌を返し、腕を曲げて、放った弾丸を引き寄せた。
『サンプル・シューター』の軌道はVの字を描いて、暗黒騎士野郎の無防備な背中に炸裂する。背負ったリュックサックが破損して、中身がばらばらと宙を舞った。
取り回しのいい隠し技。あたしのとっておきだ。そして。
「『サンプル』」
これで、仕留める。
「『アロー』!」
ふらついた暗黒騎士野郎に、あたしは全力を込めたエネルギーの矢を放つ。奴はあっけなく吹っ飛ばされ、もう一度血の池のほとりに倒れ込んだ。
あたしは、荒い息を吐く。ぐらぐらするような目まいがまた戻ってくる。今ので力はもう尽きてしまった。痛みと流血もきつい。これで倒せなければ後はない。
そのまま倒れてろ、と心の中で願う。
けど、奴は起き上がった。
額には脂汗、膝はがくがく震えて、肩で大きく息をしながら。
必死で、みっともなくて、全然暗黒騎士っぽくない。
この戦いはきっと、あたしの方がずっと死に物狂いなんだと思っていた。けど、その姿は今のあたしとなんの違いもないように見えた。
……同じ状況なら、まだいける。エネルギーがなくたって、できる限りやってやる。
あたしが脇腹から流れる血に手を濡らしながら歩き出した、その時だった。
「『降刃……招来・ラムザル=デスレイド』」
斬撃を警戒したあたしの脚に、鋭い痛みが突き刺さった。
◆◆◆◆
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、地面を蹴りつけたその足で大きく数歩踏み込んだ。蹴り飛ばしたのは、先ほど宙に投げ飛ばし、阿呂芽ハナに弾き飛ばされた短い骨……未だ暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードのままの一本。それはあやまたず少女のふくらはぎを傷つけた。
一瞬、阿呂芽ハナは驚いたように己の脚を見下ろす。その隙が、彼の求めていた好機。
「『斬華』……ゲホッ、『真撃・エグゼス=』」
彼は痛みに耐えながらも、地獄の空気を震わせんばかりに叫んだ。
「『ガルズグリッド』!」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスである己を、貫くために。
袈裟懸けの剣閃に、鮮血の花が咲く。
阿呂芽ハナは、胴を大きく切り裂かれながら、悔しげに顔をぐしゃぐしゃと歪め、やがてゆっくりと倒れ伏した。
「……我が名を呼べ。アナスタシア」
彼はかすれた声でつぶやく。
この戦の模様は全国に中継をされているが、観客の反応を彼が知ることは叶わない。
だが、それでも、忠実なる侍女は彼の真の名を呼ぶだろう。無感情な声に無上の喜びを込め、彼を呼ぶだろう。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。
彼は、信じた。
◆◆◆◆
『阿呂芽ハナ、戦闘不能につき、勝者、暗黒騎士ダークヴァルザードギアス!』
勝者は、血に濡れた暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードを……ただの一本の人骨を、地獄の空に突き上げた。
王女は顔を輝かせ、観覧席からほう、と小さく満足のため息をついた。
そして控え室でひとり見守る侍女は、静かな拍手を送った。主の名を小さく呼び続けながら。
……あたしの頭の中には、ママがいる。
それはただの例えで、別にあのママ本人が元気に生きていたり、なんてことではない。ついでに、あたしの心の中にママは生きている、とかそういう泣かせる話なんかでもない。
あの事故の日、あたしは頭を強く打って、脳の機能の一部が麻痺していたらしい。昔の医療技術だったら、一生寝たきりで終わるところだったのだとか。でも、今は違う。
今は、サンプル花子がいる。
造られた女の子。人間とほとんど同じ身体のつくり。でも、人間と同じ権利なんてない。ただの商品。
……彼女らの量産で、医学は——特に、脳の部分移植という分野は飛躍的に進歩したのだそうだ。そんな進歩、いらなかったのに。
あたしの頭の中には、ママがいる。
あたしは、移植されたママの脳の一部と、そこに宿っていた力を受け入れ、そして無事に目が覚めた。手術跡が残ったのが嫌で、見えないように髪を伸ばしたりなんかもした。
最悪だ。最悪にもほどがある……昔話だ。
目が覚めた。見慣れない白い天井に不思議な気分になる。痛みはもうない。死んだ気分はあまりしないから、多分どうにか生きたまま治してもらえたのだろう。そういうことにする。
消毒薬の匂いのするベッドの上は、嫌な記憶を思い出す。あたしは周りのスタッフが止めるのを振り切ってさっさと起き上がり、医務室を後にした。と。
「……最悪」
また、思わずつぶやいてしまった。だってよりによって、あたしを切り刻んだ相手とまたすぐ鉢合わせするなんてこと、ある?
暗黒騎士……なんとかギアスは、あのサンプル花子と一緒に廊下を歩いていたようだった。もしかしたら、このバッティングを避けるためにみんな止めたのかもしれないけど、もう遅い。ばらばらと、警護の人やサンプル花子たちが集まってくる。
あーあー、あっちもなんだか気まずい顔をしてる。あたしは、意を決して話しかけた。
「……あんたさ」
「何用だ」
「あんたじゃない。そっちの子の方」
サンプル花子は、小さく首を傾げた。やっぱり、腹が立つくらいにそっくりだ。
「なんでそんな頭おかしい奴と一緒にいるわけ」
暗黒騎士野郎は、我を愚弄するかとかなんとか言い出したけど、知ったことじゃない。あたしは、この子と話がしたかったのだ。
あたしは何かを期待していた。お買い上げいただきましたから、とか、そう設定されていますから、とか、そういうお決まり以外の答えを。
「暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様は」
名前、いちいちフルネームで呼ぶのはどうにかしてほしい。長い。
「私に名前を下さいましたから」
……ああ。
あたしはまぶしい気分になって目を細めた。
バカになんてできない。暗黒騎士野郎の気持ちを笑うことは、あたしのママへの気持ちを侮辱することになる。この子の気持ちを笑うことは、ママのあたしへの気持ちを疑うことになる。
アナスタシア、って、奴は呼んでいたっけ。
「あっそ。それじゃ」
あたしは小さく手を振って、ふたりに……暗黒騎士ダークヴァルザードギアスと、アナスタシアに背を向けた。
あたしの名前。阿呂芽ハナ。
呼んでくれるのは、友だちと、それから——。
「おかえりなさい、ハナ」
あたしは、仏頂面でアパートに帰宅した。やっぱり、できれば遭遇したくはなかったけど、でも仕方がない。というか、なんでこの家に帰ってしまったのか、自分でもよくわからない。
あたしの母親を名乗る女は、今日もエプロンに三角巾姿だ。
「中継を見ていましたよ。驚きましたが、お疲れ様でした。ゆっくり休んで——」
「治療は受けたから平気。洗濯物置きに来ただけ」
「でも」
「平気ったら平気」
中継。そうだ。あたしのみっともない負け姿が全国に知れ渡ってるのは辛いものがあるけど、仕方がない。今日は大会の人に送ってもらったからいいとして、明日からは道でひそひそ噂をされたりもするんだろう。
あたしは負けて、賞金も、願いも、手に入れ損ねたのだから。
急に、何か熱いものがこみ上げてくるのを感じた。この女の前で泣くなんて、プライドが許さないからこらえる。
あたしは自立に失敗した。本当の両親のことは何もわからない。最悪の状況は、何も変わらない。
でも。でも、だ。
あたしは、確かに一度立ち上がった。なら、何度だってやれるはずだ。諦めたりなんかしたくない。いつか、望むところにたどり着く。
あの女が、あたしをじっと見つめていた。嫌な視線。けど、でも、どうしてだろう。
あたしは、ほんの少しだけ気まぐれにガードを下げてもいいような、そんな気持ちになっていた。
「……やっぱり、ちょっと休んでく」
「それがいいでしょう。お茶を淹れましょうか」
「別にいらない」
あたしは荷物をどさりと下ろす。
最悪なのは、あの時まで。そうだ。そう決めたのだ。
「……ただいま」
◆◆◆◆
「お疲れ様でした。暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様」
「うむ。地の利が我にあったとはいえ、なかなかの戦であった。阿呂芽ハナ。我が好敵手として相応しき相手であったことよ」
「何よりでございます」
時間は少々巻き戻る。大会医療室内での出来事だ。暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの負傷は既に治療済み。アナスタシアは無残な状態のモッズコートを見てから軽く目を伏せ、うなずく。
「しかし、まだ足りぬ。次の戦。次の次の戦。さらに次。全てに勝ち名乗りを上げ、この名を世に知らしめる」
「ええ」
「我が呪われし血が疼く。百年前、グレアラムの墓所にて幽鬼どもと剣を交えた時以来のことよ」
アナスタシアは、あ、わりと長生きの設定なんですね、などとは言わない。ただ、目を細め主の話に懸命に耳を傾ける。
「次の勝利もまた、そなたに約束しよう。アナスタシア」
「はい。暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様」
狂った主従は、それだけでただ幸せだった。