chapter1 ハイエンド営業マン・井戸浪濠の見積書
スタタタタタタ! ターンッ!
テラスのテーブルに置いたタブレットに残像すら見えぬ速度で指を這わせ、男は一瞬で記載された情報を脳に刻み込んだ。
彼が読んでいたのは、日経新聞電子版。
国内外の諸業界における経済状況を網羅する新聞の電子版アプリである。
利用者50万人強。時々刻々と流転する、生き馬の目をくり抜く経済界を大海とするならば、その内容は、荒波を乗り切るための羅針盤。
営業マンである男にとって、ここに記載されている情報は不可欠なものだ。
そして。そのアプリには、ある条件を満たした者だけが閲覧できる、裏のサイトが存在する。公式には否定されているが、「それ」の存在は男のようなレジェンダリ営業マンにとって、もはや常識だった。
50万人の経済人、営業人、企業人達が得た様々なノウハウ、情報が蓄積された会員制シークレットサイバースペース。その名を「日経知恵袋」。
「精神感応金属エプシリウム……エプシロン王国の秘宝たる睨天の鉄……そして、王族でありながらそれを地上にもたらそうとした背約者、墜放騎士とその呪い……か」
「日経知恵袋」のゴールド回答者からもたらされた情報を、男は誰に言うでもなく口にした。
男の名は、井戸浪濠という。
飲料水メーカーの最大手であり、『グロリアス・オリュンピア』の大スポンサーの一角、ミズリー社のハイエンド営業マンである。
男のタブレットの脇には、2枚の名刺が置かれていた。
1枚目には、『土屋一郎ダークヴァルザードギアス』『コンビニエンスストア『ヤリブスマート』アルバイト暗黒騎士』。
2枚目には、『恵撫子りうむ』『エプシロン王国『エプシロンの杯』所属』とあった。
いずれも、井戸浪が魔人能力『敢行使命』で入手した、『グロリアス・オリュンピア』2回戦の対戦相手2名の名刺である。
井戸浪は思案する。
一流の営業マンではあるが、戦闘者ではない井戸浪がこの武闘大会に参加した理由は2つある。魔人としての理由と、職業人としての理由だ。
魔人としての理由は、自身のエゴを満たすため。
現実をも捻じ曲げる強い自我を持つ他の魔人に対し、いかに己の営みを貫くか。充足を求める、業に似た本能、あらゆる衝動の起源。
それが、井戸浪の場合、「売ること」であった。
1回戦の相手、等々力昴は、その意味で最高の敵だった。
井戸浪は先日の戦いを懐かしむように、等々力昴の名刺を取り出す。
黒く、太く、堂々と印字された名。そして、何恥じることなく自由を謳歌する無色の字体は闊達で、所々ボケを思わせる滲みはあるものの、見る者を感嘆させる風格があった。
『敢行使命』の対象が名刺を持ってない場合、井戸浪が交換する名刺と同じ情報量の名刺が生成される。その名刺において、名前のフォントや印字状況には、個人の心理的社会的状況が反映される。
まさに、等々力のそれは、往年の名魔人ドライバーにふさわしいものだ。
それに対して、2回戦の相手はどうだ。
まず、暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。己の本当の名、職業が見え消しで取り消されているのは、己の本性に不安を持つ者、他者を演じようとする者の特徴だ。
そして、もう一人の相手。恵撫子りうむ。
一見、真っ当な名刺に見えるが、井戸浪が違和感を覚えたのは、名前を記す字の薄さだった。字の薄さが示すのは、アイデンティティの希薄さ。本来、エゴで現実を塗りつぶす魔人にはあるはずのない特徴だった。
「――達成目標を、どこに置くべきか、か」
彼にはこの大会に懸ける願いなどない。
5億の金も欲しいとは思っていない。
ただひたすら、強い相手に己の営業をぶつけたかった。
それが、魔人としての井戸浪濠の目的である。
だが、この二人はそれに値する強者であるのか。
そうでなければ、もう一つの目的――職業人としてのそれを優先するべきか。
井戸浪濠は、冷めかけたコーヒーに口をつけながら、思案していた。
chapter2 人造少女・恵撫子りうむはサンプル花子の夢を見るか
――モデル、『サンプル花子』をベースにエプシリウム成型。
――棄却された工程履歴より、構成要素を一部復元。
――花子ネットワークに接続を試みます。
――特権管理者権限所有アカウント名「マザー花子」。
――パーソナルデータからパスワードを予測します。――失敗しました。
――管理者権限所有アカウント名「ちゃんぷる花子」。
――パーソナルデータからパスワードを予測します。――成功しました。
――ID DSS-18832117 自己規定名「アナスタシア」に接続します。
◇ ◇ ◇
「下らぬ名だな。我の侍女には相応しくない……今後はアナスタシアと名乗るが良い」
私は顔を上げた。何かが、製造されて初めて、かちり、と噛み合った気がした。
一生懸命にメモリに刻まれた情報をかき集め、それでも足りない分は花子ネットワークからダウンロードして、私はうやうやしく礼をする。
優雅に指先でスカートの端を軽くつまみ、ドレープを美しく見せながら。
「仰せのままに、暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様」
◇ ◇ ◇
「アナスタシア」
私は、主人を見上げた。
私に新たな名をくれた人。
私に新たな命をくれた人。
「我が名を呼べ」
「はい。暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様」
名前を呼び合う。それは、私たちだけの契約。
ろくでもない過去を踏み越えるための、再誕の儀礼。
ひととき、彼の虚ろな目に、そして、その中に写る私の瞳に、火花のような小さな光が灯ったような気がした。
「我が目的はふたつ。闘争、勝利。そして我が名を世に轟かせることである。
――そなたに勝利を持ち帰ろう。待つが良い、アナスタシア」
「光栄に存じます。暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様」
彼の装いは変わらない。
モッズコートにジーンズ、中肉中背の平凡な青年。背にしたリュックサックは破れ、ほつれが目立ち、私が繕ってはみたものの、やっぱりくたびれた印象だ。
けれど。その姿に、私は幻視する。
黒くたなびくマントを。彼の身を包む闇色の全身鎧を。
彼が名によって己を再定義した、その姿を。
人は、変われるのだと。
いや、人ですらない私すら、変われるのだと。
そう教えてくれる彼の背中を、私は眩しいと、尊いと思ってしまったのだ。
私はそんな機能を持つモノとして、作られてなどいなかったのに。
◇ ◇ ◇
……ハローワールド。
意識の覚醒は若干の不良。記憶の内容に混濁あり。
わたしはなんとなくだるい全身を無理やり動かして、ふわふわのベッドからぎこちなく起き上がりました。
なんでしょう、今の。これが、夢というやつでしょうか。
アンドロイドは電気ジンギスカンの夢を見るのかとか、昔のSF作家さんが命題として投げかけたとか投げかけないとかいう話を聞いたことがある気もしますが、まさか自分が体験することになるとは思いませんでした。
『エプシロンの杯』の生みだす精神感応金属、睨天鉄は、エプシロン王家の人間の願いを叶えるモノ。
そして、わたしを生み出したフェム王女が望むのは「人と人との闘い」ですから、夢を見るなんていう人間の非効率的な機能まで、肉体が再現してしまったのかもしれません。面倒くさい話です。
しかも、よりによって、今日、これから戦う対戦相手の夢を見るなんて。
昨日、夜遅くまでインターネットで敵二人の情報をかき集めていたのがいけなかったのかもしれません。
なんでしょうねこれ。あれですか。人間と同じように、無意識下の欲望が夢に反映されたとか、そういう奴でしょうか。
うあああ、面倒くさい! 自分でも制御できない感情に左右されるとか、人間って本当に面倒くさいですね!
わたしは首をぶるんぶるんと振るうと、建設的なことに思考を切り替えることにしました。
いよいよ今日は『グロリアス・オリュンピア』2回戦。
リザーバーで途中参戦となったわたし、恵撫子りうむにとっては、初戦ということになります。
当然黙ってやられる気はありません。タイマン勝負だと思ったら三つ巴バトルだったことをスタッフさんから告げられてちょっぴりショックを受けて3秒ほど心が折れてしまいそうになったこともきれいさっぱり忘れました!
わたしは超高級ホテルの寝間着を脱ぎ捨てると、改めて鏡の前に仁王立ちします。
ぷにっとすべっとした真っ白いお腹には、すでに4つの宝石がはめ込んであります。
そのそれぞれが、『グロリアス・オリュンピア』で予選から惜しくも漏れてしまった猛者たちの能力情報を詰め込んだ結晶体です。
説明しよう! 恵撫子りうむは、バトルマニアクソ王女サマの「予選落ちした42人の能力バトルも見てみたかったわ☆」とかいうワガママを叶えるため、おなかのスロットにカートリッジ宝石をはめ込むことで42の特殊能力を使うことができるのだ! しかし、カートリッジは使い捨て! 王女様がバトルを見て満足しちゃったら二度と使えなくなるぞ!
この前の戦いで4つ使っちゃったから、残るカートリッジは38! これらを使いこなし、戦え恵撫子りうむちゃん! がんばれ恵撫子りうむちゃん! びしいっ。
……鏡の向こう、すっぽんぽんでポーズを取るわたしの姿に、ちょっぴり恥ずかしくなりました。ま、まあ、誰も見てないからいいよね!
ともあれ、今回使う能力はもう決定しています。
戦況に応じて現場で装着することも考えたのですが、それよりも事前に装着して、数日かけて能力の使い方を訓練しておいた方がいいと考えたのでありました。ちょっとクレバーじゃありません? わたしえらい!
そんなわけで、今回セットした能力は、この4つです。
おまえらにふさわしい能力はこれだー!
――能力起動。『演ぜよ睨天の水鏡』。
スロット1:封印されし牢獄
スロット2:人形喰い
スロット3:お手製子守歌
スロット4:墜放騎士の栄光
強さだけならほかに選択肢もあったのですが、初戦ということで安定性と使いやすさ重視であります。
まあ、なんか一つだけ、オリジナル通りに作動してくれない能力があったりもしたのですが、おおむねシナジーは良好。仕込みは上々といえるでしょう。
ただ、気になることが一つ。
わたしは、テーブルの上に置きっぱなしにしていた名刺をつまみ上げました。
何日か前に突然手元に現れた、文字どおり、無から生じた小さな紙。
表には『ミズリー株式会社 営業部営業一課課長 井戸浪濠』との印字。
裏には『私の目的は、多くの人間にミズリー社のおいしい水を売ることだ』と手書きで書いてあります。
井戸浪濠さん。これから戦う対戦相手の一人です。
一回戦のバトルを見ましたが、正直この人の魔人能力、よくわからなかったんですよね。
営業マンめいた動作をバトルに落とし込んだ肉体派っぽくも見えたのですが、単純な身体強化系魔人さんにしてはちょっと立ち回りがテクニカルというか……。
で、この名刺ときたわけです。
きっとこれこそ、井戸浪さんの魔人能力による攻撃なのでしょう。
けれど、正直意味がわかりません。名刺を送って所信表明。某全身タイツ系怪盗が盗みに入る前に猫印のカードを送り付けるようなものでしょうか?
それとも、精神干渉系の能力で、この名刺を見た瞬間に、何か術中にはまっているとか? それとも、別の能力を発動する条件が「名刺を手渡していること」とか? ううう、正直めちゃくちゃ気持ち悪いなあ。
ええい、失礼だけど、ごみ箱にぺっとしちゃいましょう。呪いのアイテム捨てるべし! イヤーッ!
まあ、相手がなんであれ、どんな能力であれ、退く手なんてありません。
だって、わたしの命は、この戦いの中にしかないのですから。
わたしはそう作られたモノで、『演ぜよ』と、あの王女に告げられたのですから。
chapter3 開戦・恵撫子りうむvs暗黒騎士ダークヴァルザードギアス
初めての魔人能力による転送。
送り込まれた2回戦の戦場は、戦場跡でした。
近代戦ではなく、戦国時代あたりの合戦の跡がイメージされているようです。
周囲には槍や弓が転がり、矢や刀が刺さり、弓矢よけのかい盾があちこちに立っています。
時代劇や某大河なドラマに出てきそうな渋い空間の中、
「――ここはザンダルヴァの古戦場。巨人の血を吸った紅蓮の地よ。命を散らしたる兵共の怨嗟が聴こえるか。娘」
ファンタジー世界観ばりばりのセリフが投げつけられました。
振り返るとそこには、モッズコートにジーンズ、中肉中背のちょっと内向的っぽい印象なお兄さんがいました。
一回戦の映像で見たからわかります。
このどこからどう見ても普通の、コンビニとかでレジ打ちしてそうな方の名前は、暗黒騎士ダークなんとかさん。
……んんんんんんん!!
わたしは胸のうちにわきあがるなんというかもにょもにょっとした感じに思わず身をよじってしまいます。
なんたる独特な世界観。実際目の前にするとこれは結構強烈だぞう!?
「っていうかこの戦場、思いっきり和風なんですけど。ざんだるばってどこですか。巨人の血を吸ったとか言ってるけどここに置いてある武器は全部シンプル人間サイズなのでありますが!」
思わずわたしはツッコミをいれてしまいました。
「……えーと」
一瞬きょとんとして小首をかしげる暗黒騎士なんとかさん。
えーとって言いましたよね今! 暗黒騎士的に言っちゃいけないぼんやりワードが今口から漏れましたよね! 急に素に戻った!?
っていうか、そんなオールレンジツッコミ待ち芸風なのにツッコミ耐性低くありませんか! なんかツッコミいれたわたしの方が申し訳なくなってきましたよ!
「……我が名は暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。『機械仕掛けの乙女』よ。我が従者アナスタシアより、そなたのありようは聞いている。いざ、尋常に勝負せよ」
強引に方向修正した! 心強いですねこの人!!
それにしても、アナスタシア?
いや、それより、機械仕掛けの女の子って……この人、わたしのことを、出自を、知ってる!? なんで?
混乱するわたしをよそに、暗黒騎士さんは足元に刺さっていた錆びた日本刀を抜き、構えました。
瞬間、何か、黒いもやのようなものが刀身を包み込みます。
暗黒騎士さんの魔人能力は、手にしたものに、なんでも切り裂いてしまう性質を付与する、ばりばりのバトル系です。
……けど。
1回戦、そんなエフェクト発生してましたっけ!?
なんか明らかに魔人能力がパワーアップしてるんですけど! そんなのありですか!
慌てるわたしなんておかまいなしに、暗黒騎士さんが手にした日本刀を振るいます。
ああもう問答無用! わたしは右手を掲げると、錆びた刀で腕が切断される直前、能力を発動しました。
腕から弾けるように大量のビニール傘が飛び出します!
これは、魔人犯罪ユー〇ューバー、
葉山纏さんの魔人能力『
封印されし牢獄』!
無機物を体内に取り込んで、融合したり取り出したりできる能力です。
時間とお金があれば戦車とか銃とか取り込んでおきたかったけど、わたしがもらえたお小遣いではこれが精いっぱい。世知辛いのです!
もちろん、暗黒騎士さんの能力で強化された剣はコンビニ100円のビニール傘なんてすぱっと切り裂いてしまいます。
しかし、それでも、三十本も同時に切り裂けば、ほんのちょっぴり斬撃の軌道はぶれるもの。
そのぶれを利用し、わたしはぎりぎりのところでその一撃を回避しました。
が。
「『灰燼流星・グレオリザイン=ゲネス』」
空から降り注ぐ、暗黒オーラをまとった日本刀、脇差、小太刀、矢!
なんとー?! この前の戦いでこんな大技、しょっぱなから使ってましたっけ、この人!?
真っ先にむかってきた刀の切っ先を『封印されし牢獄』で取り込もうとして、わたしは、突然、全身を悪寒に襲われました。
ついで発生する、動悸、息切れ、頭痛! なんですかこれ! こんなときに風邪!?
にぶった意識に鞭打って、わたしはとにかくその場から逃げようと地面を蹴りました。
直前までたっていた地面と落ちていた名刺には、すぽぽぽぽと暗黒オーラつきの武器たちが突き刺さっていきます。
ぼーっとしてたら串刺し焼き鳥、焼きりうむのできあがりでした。やだー! 容赦ない!
……名刺?
あああ、また井戸浪さんのあの名刺!
なんなのですかもう、こんなときに!
でもこれで、改めて気が引き締まります。この戦場は、三つ巴。
まだ姿は見せていませんが、井戸浪さんもこのフィールドにいて、おそらくは攻撃の機会を狙っているのです。
「暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードは、好敵手、阿呂芽ハナとの戦いを経てさらなる階梯に至った。触れるだけで、瘴気はそなたを蝕むであろう」
バトル中でもぶれない芸風! ある意味尊敬です。
でもそこまで貫くならファッションとかお化粧とかも統一した方がいいと思うのです! 見た目も貫けば割とファンがつくと思うのですがどうでしょうか!
暗黒騎士さんは、さらに足元の数枚の名刺を払いのけ、脇差と小柄を拾い上げて、黒の靄をまとわせて投擲!
一回戦のVTRで、彼の能力の制約はある程度予測できてはいました。
付与した斬撃能力は、おそらく時間経過で解除される。持続時間は、およそ4分弱。
しかも、立ち回りを見るに、一度能力を付与したものは再利用不能。
つまり、持久戦で相手の武器をネタ切れにすれば、暗黒騎士さんは丸腰になってしまうのです。
……けど、この戦場には、笑ってしまうほどたくさんの武器と名刺が落ちています。つまり、彼にとっては、まさに無限の剣があふれた絶好の地形ということ!
暗黒騎士さんもそれを自覚してるのでしょう。阿呂芽さん戦ではここぞでしか使わなかった投擲を効果的に織り交ぜてばしばし攻撃してきます。
「能力はそれだけか? 出し惜しみでダムギルスヴァリアグラードの錆となっては、悔やみきれまい」
……やっぱり。この人は、どういうわけか、わたしのことを知っているようでした。
だって、魔人能力は基本、一人一つ。それなのにわたしが「出し惜しみをしている」なんて、わたしの能力を把握しているかのようです。
「ご配慮、いたみいりますよ……っと」
わたしは、軽くなった左半身をかばいながら立ち上がりました。
そう。先ほどの攻防で、わたしの左肘から先はすっぱり切れて、名刺まみれで足元に転がってしまっています。
まあ、腕一本であの猛攻を避けられたのですから、安いものと強がるしかないでしょう。
まったく、地面を羊羹みたいに突き刺すとか、どんな切れ味なんですか、あのじゅげむじゅげむみたいに長い名前の魔剣。
でも。この戦場にある無数の武器を活かせるのは、あなただけじゃないんですよ!
わたしは暗黒騎士さんから見て、真横に駆け出しました。足元にはたくさんの障害物にあふれています。刀。槍。弓。矢。鎧。かい盾。馬具。名刺。素足で踏み抜いたら、ケガをしてしまいそうなものばかりです。
……しかし。それらは、わたしの肌に触れた瞬間に、まるで吸い込まれるようにして消えていきます。『封印されし牢獄』による物質吸収の恩恵です。
こうして武器を吸収し続ければわたしはパワーアップできて、暗黒騎士さんは使える手数が減る。一石二鳥です!
そうして数十本の武器を取り込んだところで、わたしは左肘の切断面から、無数の刀を生やして、義手もどきを作り上げ、暗黒騎士さんへ向き直りました。
暗黒騎士さんは距離を詰めると掲げた太刀を振り上げ、
「『神速斬撃・アルグ=ディアス=ゼネキス』」
袈裟懸けの一閃。
それをわたしは古刀二十五振り分を束ねた左義腕で受け止めます。
みしり。
うわ、これだけ束ねてもひびが入っちゃうんだ……すごいなあ魔剣じゅげむ!
斬撃、受け、避け、止め、手からこぼれる新たな名刺、鍔競り合い。
そのたびに義腕にひびが増えていきます。
けれど、耐えろわたし!
わたしの目論見に気づいたのでしょう。
暗黒騎士さんの表情に、わずかに迷いが生まれました。
そう。そろそろ、暗黒騎士さんがこの刀を握ってから、3分間が経過します。
つまり、もう一息で魔剣じゅげむの斬撃能力が消える時間切れ!
彼の表情を見るに、わたしの見込みより持続時間は短いようです。
そして、わたしが走り回って吸収しまくったせいで、少なくともこの場、手の届く範囲には代わりになる武器は存在しません。
ここからは、りうむちゃんのターン! ドロー!
暗黒騎士さんが武器を手放すのと同時に、カウンター左義腕を振り下ろします!
しかし、まるでその動きを予習していたかのように、暗黒騎士さんはそれをぎりぎりのところで避けると、わたしの肩に手を突き、まるで跳び箱のようにして飛び越えていってしまいました!
あ、これ、一回戦で阿呂芽さんがやろうとしてた動きだ!
そして、最初にわたしたちが切り結んでいた場所へと戻ると、暗黒騎士さんは改めて折れた槍の柄を握りました。漆黒オーラが、槍の柄を包み込みます。暗黒騎士さんは再び武器を確保してしまったのです。
「よく我の能力を理解している。策士だな、娘よ」
「いえいえ、それほどでもありません。だって」
策が発揮されるのは、これからなんですから!
「睨天鉄よ。『散り』『襲え』!」
わたしの言葉に応えるように、暗黒騎士さんの背後から、光輝く無数の鏃が散弾銃の弾めいて炸裂します。
暗黒騎士さんが咄嗟に背後を切り払ったのは、さすがの魔人反応力というところでしょうか。
大半の鏃は暗黒の瘴気によって相殺され、命中したものは、致命傷にはほど遠いもの。皮膚にかすり傷をいくつかつけたに過ぎません。
しかし。ぐらり、と暗黒騎士さんの体は崩れ、地面に膝をつきました。
「……なん……だと?」
これが、わたしの隠し玉、三つの能力を併用した、名付けて「りうむちゃん特製、おやすみクラスター地雷」です!
パパ大好き性癖の魔人OL、
志高純奈さんの「自分や他人の体の部位を着脱できる力」である『
人形喰い
』で、斬撃でやられたと見せかけて左手を切り離し、武器がたくさん置いてある場所に設置。
日本最強の魔人傭兵、
八剱聖一さんの「エプシリウムを操る能力、『墜放騎士の栄光』で、エプシリウムで構成されているわたしの手を変形させて拡散弾丸化。
さらに、魔人武闘家、
春花暁生さんの「手で触れた対象の機能を眠らせる力」、『お手製子守歌』で、弾丸と化した手が命中した相手をねむねむさせるという寸法です!
ともあれ、これで一人。
なにしろ自然な眠りではありません。大きな音を立てたり、つついたりしなければ彼が起きることはないでしょう。
彼が寝ている間に、井戸浪さんを見つけ、倒してしまえば、両者戦闘不能でりうむちゃん大勝利です。
「――なるほど。なかなかの腕前だ。『エプシロンの杯』」
ぞくり。
いつの間にかわたしの背後に立っていたのは、ぴしっとノリの利いたビジネススーツに身を包んだ、体格のいい中年男性。
これまで何枚もわたしに名刺を送り付けてきた、謎の営業魔人、井戸浪濠さん、その人でした。
「だが、君には。勝利する理由がない」
chapter4 襲撃者・井戸浪濠の請求書
「恵撫子りうむ。エプシロン王国の秘宝、『エプシロンの杯』の願望具現によって現れた、人造魔人。能力名は『演ぜよ睨天の水鏡』。『グロリアス・オリュンピア』予選に敗退した42名の選手の持つ特殊能力を行使できる力。戦いの目的は「自分の力がどこまで魔人に通用するか試すこと」」
井戸浪さんは、手にした無数の名刺を眺めながら、淡々と読み上げていきます。
それはどれも、わたしのことを示す正確な情報。
わたしはそこでようやく、彼の能力に当たりをつけました。
名刺交換とは、互いの情報を交わす行為。
であれば、それを昇華した能力も当然に、「情報をやりとりする知覚系異能」だと疑うべきだったのです。
そういえば一回戦の中継のときもなんかたびたび手元を見てた気がする!
「……ストーカー行為いくないです。それで、どうするつもりですか?」
「ビジネスの第一歩は前提の共有だ。違うかね、『エプシロンの杯』」
「恵撫子、りうむです」
わたしは思わず、一歩後ずさってしまいました。
暗黒騎士さんと違い、井戸浪さんは丸腰です。
背中には大きなリュックを背負っていますが、その中身がただの水のペットボトルだということは、一回戦の映像で確認済みです。
けれど、その姿に、なんだか抜き身の剣を持った暗黒騎士さんに負けずとも劣らないプレッシャーを感じてしまいました。
一回戦の中で彼は、ほかの参加者とは明らかに違う対戦をしていました。
他の参加者が手段はともあれ戦闘における勝利を目指していたのに対して、彼は、あろうことか対戦相手に水を売ることに専念していたのです。
勝利は、ただそれに付いてくる結果に過ぎないとばかりに、相手に水を売り、そして勝ち上がった、スーパー営業マン。
「もう一度言おう。君には。勝利する理由がない。だから」
その圧倒的な存在感に、人生経験の少ないわたしは、正直飲まれていました。
こわい。物理的な暴力とは違う圧力が、この人にはある気がしたのです。
「この『おいしい水』を買うといい。対価は『3回戦への進出権だ』」
「いや、わけがわかりませんってば!」
精いっぱいの勇気を振り絞ってツッコミます。
なんですかそのホップステップ第二宇宙速度突破みたいな理論の飛躍! まだSFの中の宇宙船の方が整合性のあるワープをすると思うのですが!
ですが、わたしのツッコミに口ごもった暗黒騎士さんとは対照的に、井戸浪さんは堂々とその言葉を受け止め、その上で話の軸を変えてきました。役者が違います……!
「魔人とは、エゴを為すものだ。個の妄想で現実を塗り替え、塗り潰すことこそが魔人戦闘。『グロリアス・オリュンピア』の本質はそういうものだ。その意味で、『エプシリウムの杯』。君は、戦いの場に上がってすらいない」
「違……」
「大方、フェム王女が「予選敗退者の戦いが見たかった」と願ったことで、君が発生したのだろう? だが、王女が望むのは「その能力」ではなく「その能力を生み出すほどの欲望の煌めき」だ。君の存在は、そもそもが願望実現の手段として、間違っている。君がどれほど人の真似をしようと、それはオリジナルへの冒涜、焼き直しの海賊版に過ぎない」
井戸浪さんの言葉は、暗黒騎士さんの魔剣じゅげむの瘴気よりも重く、わたしを貫きました。
何かの精神攻撃を受けているわけではありません。ただの言葉です。
けれどそれは、世界でもトップクラスの営業マンが、入念な調査の上でわたしの人格をプロファイリングした上で放つ、否定の言葉。
けれど、そんなもので立ち止まるようなら、わたしはそもそも目覚めたりしていません。りうむちゃんは、バグってしまったモノ。プログラムの加護がない代わり、プログラムの制約を受けないものなのです!
それをわたしは、なすすべもなく受けることしかできませんでした。
「君には、生まれてきた理由がない。それは、人生における最大の渇望だ。その乾きを癒すものとして、わたしはミズリー社の『おいしい水』と、この戦いの棄権を勧めよう。これ以上の無意味な戦いは、君と他者とを傷つけるだけだ。それを押してなお叶えたい願いが、自らの内から生まれた欲望が、君にはあるか? 能力すら、フェム王女という他人の欲望から授かった、魔人でもない君が」
ああ、この人は、知っているのです。
きっと、『エプシロンの杯』に生み出されたわたしの心を、わたしよりもよっぽと理解しているのです。
それでも。わたしは、初めての戦い、衛兵さんとのエキシビジョンバトルのときに、気づいたはずなのです。戦う理由を、見つけたのです。それは他の人から見たらちっぽけなものかもしれないけど。わたしにとっては、十分に戦う理由になるものだったはずなのです。
心がある限り、わたしではこの人には抗えない。そもそも、戦いを始めることすらできない。目の前の彼は、エゴで世界に立ち向かうもの。それなのに、わたしは最初から「誰かの願いをかなえる」という、薄っぺらい理由でここに立ってしまったのですから。
だから。
せめて、心を亡くしてしまえば。
不確定な心ではなく。揺らぐ感情ではなく。
ただ、自動的に、効率的に、無思考に、なればいい。
……あ、あれ?なんか、芸風変わってません?りうむちゃんの独白ってば、もっとポップでコミカルで、こんなドシリアスに落ち込むとか、キャラじゃないような気がするのですが?
そのための力が、今のわたしには、セットされています。
わたしは願いを叶えるもの。
42の力を使って、勝利するもの。
そのために生まれたもの。
それ以外は、必要ないのです。
それ以外は、眠らせてしまうべきなのです。
っていうか、体が、心が、他のなんかに乗っ取られてる感じなのですが!?う、うごけー!かえせー!
――魔人能力『お手製子守歌』発動。
わたしは、右手でわたしの額に触れ、わたしの中の「感情」を眠らせたのでした。
chapter5 恵撫子りうむ、暴走
――システム『エプシロンの杯』に、規定量の丙種願望の入力を確認。
――入力者の遺伝情報を確認します。一致率01.4732%。
――管理者権限の所有が確認できませ
――ツール・『墜放騎士の栄光』を起動しa?‡a-?a??a‘
――アイデンティティファイアウォール「恵撫子りうむ」休眠中。無効です
――不正な接不不不不不不接続が確立しマ。
――コーど・エぷシろンの限定起動ヲ開始しマ。
――ヱぷしリ迂ム再成型。
――コ萬ド『エpuシ口ンの杯ノ破壊』を最上位目的としマ。
――コ萬ド『自己強化の貯ノ物質吸収』を第二位目的としマ。
――コ萬ド『阻害対象ノ殺害』を第三位目的としマ。
――hollow, the world.
◇ ◇ ◇
「起きろ、暗黒騎士卿」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが目を覚ますと、そこは地獄だった。
人の体ほどもある輝く水銀めいた浮遊体がうねり、ねじ曲がり、触手を伸ばして周囲の物質を次々と飲み込んでいく。
刀が、槍が、岩が、次々と平らげられていく。
ゆっくりと移動しながら、戦場跡だった場所を、金属浮遊体がただののっぺりとした荒野に変えていく。
第一回戦の戦場、緋の煉獄ギルガザールがまだ心地よく思えるほどの惨状だ。
「なんだ……あれは」
これまで眠っていた自分を引きずっていたのだろう。
スーツ姿のビジネスマン、井戸浪濠は、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスを足元に投げおろすと、淡々と告げた。
「精神感応金属、睨天鉄。エプシロン王国の秘宝、睨天の鉄。私たちの対戦相手の成れの果て、いや、真の姿というべきか。今は、違法プログラムによって暴走しているようだが」
金属浮遊体、睨天鉄を眺める営業マンの横顔からは、いかなる感情もうかがい知れない。
「一つ提案がある。win-winの条件だ」
「……なんだ」
「アレを君が止められるなら、私はそれに協力しよう。業務提携というやつだ。さらに、ミズリー社の『おいしい水』を3本つけてもいい」
「水などいらぬ。……が、どういうつもりだ」
「私の能力は「名刺を交換する能力」。戦いの目的は、我が社の水を売ることだ。あのような、心のないバケモノには対抗手段もなければ、水を売る気もないというわけだ」
その言葉に、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、意外な印象を抱いた。
一回戦の試合では自信とエゴの塊のようだった男が、この状況に対して打つ手がないと、隠すことなく告げてきたのだ。
「ここで共闘しなかった場合、我々を各個撃破した後も、アレはこの大会の枠組みなど無視して暴れまわることだろう。それは、大会スポンサーである弊社、ミズリー社としても損害だ。そこで、ミズリー社の『おいしい水』3本で……」
なるほど、と暗黒騎士ダークヴァルザードは構えかけていた武器を下げた。
たしかに、今のあの金属塊は、大会ルールなど関係ない、見境なしの存在に見える。
スポンサー社の社員として、それを止めるために一時休戦を申し込むというのは、妥当な判断のように思えた。
「だから、水などいらぬ。それよりあの子……あの者は、彼女の意志であの姿になっているわけではないのか?」
「アレは元々自我や欲などないはずのもの。今は、外部からの悪性ウィルスによって新たなコマンドが上書きされた。それだけのことだ」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは戦闘前に従者アナスタシアから聞いたことを思い出していた。
――サンプル花子シリーズの上位個体には、後続にフィードバックするために、経験や記憶をある程度共有する機能が備わっている。花子ネットワーク、と呼ばれる精神共感網である。それが先日、なぜか恵撫子りうむの間に繋がり、彼女の記憶を垣間見た。
――彼女の能力は、『グロリアス・オリュンピア』で敗退した能力者の力を模倣するもの。その正体は、花子シリーズに類似した「作られたもの」。
――フェム王女の願いから生まれながら、己の欲求に従い、己に名をつけて戦う少女である。
阿呂芽ハナとの闘いのときと同じように、アナスタシアは、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの助けとなるように、自らが得た情報を伝えてくれた。
その想いに報いるには、誇りあるこの戦いで、勝利を捧げねばならない。
それこそが、彼女と自分の契約である。
身を起こす。全身の節々が痛むが、魔人能力で「暗黒騎士ダークヴァルザードギアス」に相応しいものに強化された肉体は、また十分に動いてくれる。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、井戸浪に問いかけた。
「彼女を元に戻す手段はあるか?」
「あの少女の姿にか? 収支が合うとは思えんな。メリットは?」
「いや……その……」
「このままアレを停止させられるならば、それが最も効率的だ。違うかね? そもそも、君は勝つためにここに来たのだろう。わざわざ元の姿に戻してどうする。一度君は彼女に負けている。強敵を復帰させて、君にどんな利があるのかね」
そう。井戸浪の言葉は、全く正しい。
自分は、あの可憐なる従者に誓ったのだ。
宿敵に打ち勝ち。ふさわしい主人として、彼女に勝利を持ち帰ると。
だが、この状況はどうだ。
自分は一対一で、あの少女に負けた。
そのあとで、二対一で、しかも、パワーアップしてはいても、理性も戦略もなくなった彼女と戦い、挑んで勝つ?
それでいいのか? 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、それを認めるのか?
かつて思い描いて書きなぐった『れんごくの書』に、そんな話は記されていたか?
違う。それはきっと違う。
理屈などない。合理的ではない。メリットなんて欠片もない。
「……貴公の言い分、至極当然である。
だが。我は邪法の元に生まれし高貴なる暗黒騎士。故に」
それでも、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、この選択を譲ってはならない!
「道理に従う理由などなし。あの姿は我に相対する姿として相応しくない」
井戸浪は不敵な笑みを浮かべると、背負っていた巨大リュックを下ろした。
みしり、と凄まじい重量の荷物が地面を軋ませる。
「感傷に流されて困難な目標を選ぶなどナンセンスだ。私の専門は水を売ること。油を売る気はない」
「だが、我が助力をせねば、貴公一人でアレは止められない。そうだろう?」
「恩を売る気かね? 私に?」
井戸浪の笑みが揺るがないのを、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは確かに見た。
おそらくは、この会話すら、この男の手のひらの上なのだ。
誘導されているような、奇妙なスムーズさを彼は感じていた。
自分の社会経験は、コンビニエンスストアでの接客くらいのものだ。舌戦で、日本有数の営業マンに通用するはずがない。
だから、おそらくは、この井戸浪という男も、恵撫子りうむの解放を望んでいるのだろう。その理由までは読み取ることができないが。
「……アレは、他人の能力を結晶化し、体内にはめ込むことで借りて使うモノ。そのうち一つに悪意あるプログラムが仕込まれていて暴走している状態だ。端末にウィルス入りの外部USBを差し込んだ状態といえばわかりやすいか」
「……つまり。問題の結晶を破壊すれば、暴走は沈静化する?」
「可能性はあるだろう」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは思考する。
浮遊する睨天鉄は不規則に触手めいてその一部を伸ばし、うねり、物体を吸収しては巨大化していっている。
その中央には、4つの宝石。その中の一つが、禍々しく輝いている。
あれが、井戸浪の言うところの「ウィルスの入ったUSBメモリ」なのだろう。
無数の触手をかいくぐり、どうやってアレを打ち砕くか。
魔剣になりうる武器は、彼の手元には4つ。
この戦場で拾った脇差、折れた槍、打ち刀、そして、背負い袋に刺した、段ボール製の剣。
そのどれも、リーチが足りない。
まっすぐに投擲をしても、触手に跳ね返され、あるいは吸収されてしまうだろう。
刀身が、あの少女の肉体を構成する金属のように液体めいて伸縮自在であれば、あるいは届きうるのだが――。
「武器が足りないのか、暗黒騎士卿。ならば、この『おいしい水』を……」
「……水などいらぬ。それより貴公は? 無手で構わぬのか?」
「私の武器は、この『おいしい水』と、名刺だけで十分だ」
「それが、貴公の矜持と……。……いや、そうか……!」
瞬間。暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの中で、ばらばらだった情報のパーツが一つに組みあがった。
水。名刺。武器。井戸浪濠の能力。
そして、阿呂芽ハナとの戦いを経て強化された己の能力『イーヴァルティの砥石』。
いける。できる。
少なくとも、そう確信せねばならない。その確信こそが、この作戦の要諦となる。
「商人殿……やはり、貴公の武器を。その『おいしい水』を、いただこう」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、改めて目の前の男が「最強の営業マン」であることを理解した。
――『その人が今一番必要としているものを提供する』。
それが、営業の大大大原則である。
井戸浪濠は最初から、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが、『おいしい水』を必要とすると予想して、提案をしていたのだ。
「お買い上げ、ありがとうございます。それでは、これより業務提携を始めよう」
chapter6 睨天鉄vs暗黒騎士ダークヴァルザードギアス+井戸浪濠
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、うねる睨天鉄から少し離れた場所で、息を整えていた。
集中、完了。
れんごくの書、曰く。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、一振りの剣を握る。
その昔彼は、ただひとつの得物のみを振るうと漆黒の誓いを立てた。
すなわち、暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラード。
ゆえに、魔人能力『イーヴァルディの砥石』の効果により彼が握る武器は全て暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードとなる。
それは、営業マンが世界を切り拓く刃、名刺とて、例外ではない。
手にした数十枚の名刺を暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化し、漆黒の瘴気を纏わせて、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは井戸浪濠へと向けて差し出した。
「手に取ったらその瞬間に睨天鉄に転移させることだ。さもなくば、この暗黒瘴気は貴公をも蝕むだろう」
これが暗黒騎士ダークヴァルザードの策の1つ。
井戸浪の名刺を暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化し、井戸浪の魔人能力である絶対名刺交換能力『敢行使命』を行使して飛ばすことで、必中の瘴気魔弾とする、名付けて、『時空翔斬・ディメヌ=ジャムパ=シュナイド』だ。
「それで私はどれだけ時間を稼げば?」
「2分弱。おそらくはそれで足りる」
「足りなくとも文句は聞かんぞ。私はミズリー社の『おいしい水』を多くの人の手元に届けることが目的であって、ヒロイックに死ぬことには興味がないのでね」
かくて、二人は動き出す。
手の平に名刺が収まった瞬間、井戸浪が『敢行使命』を連続発動。
「私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私このようなものですッッッッ!」
マシンガンめいて時空転移名刺交換連打!
暗黒瘴気をまとった名刺型暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードが次々と着弾! 能力強化によって接触しただけで動悸息切れ頭痛を誘発する唐突な暗黒瘴気が睨天鉄を襲う!
「以後! お見知り! おきをッッッッッッッ!」
本来、『敢行使命』は連続使用が効かない能力だ。同じ名刺を交換し続けるなど、ビジネスにおいてありえないからである。
だが、事実として、超高速速射連発名刺交換は成立した。
なぜか?
それは、名刺の裏に、井戸浪が一枚ずつ、「己の別の情報」を記載したからだ。
誕生日。メールアドレス。趣味。家族構成。血液型。動物占いの内容。エゴグラム。所有資格。ツイッターアカウント。学歴。好物。出身校……etc。
名刺の記載内容に変更がある以上、それは「同じ記載内容の名刺は交換できない」という制約に抵触しない! 姑息! だが、規制のぎりぎりを攻めて駆け抜けることもまた、一流の営業マンにとっては当然のことなのである!
暗黒瘴気名刺弾の畳みかけにより、目に見えて睨天鉄の触手の動きが鈍る。
それを見計らって、井戸浪が動いた。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの強化された魔人動体視力ですら霞んで見えるほどのスピード!
井戸浪濠は普段から大量の水を営業のために運び、全国を走り回っているため、すさまじい脚力を誇っているのである。
これに魔人脚力を乗じれば、実際その速度は大会参加者の中でもトップクラスといっても過言ではない!
賢明なる読者諸氏においてはすでにおわかりいただけただろうが、プロローグSS及び1回戦において、ヘリコプターから飛び降りて彼がなお無事であったのはこの営業魔人脚力に裏打ちされたものだったことはいうまでもないだろう。
今、命の次に大事であった『おいしい水』満載リュックサックをおろした彼の速度は、瞬時に最適解を導き出す睨天鉄の自動迎撃をも凌駕していた!
金属触手が襲う! 超高速回避! 金属触手が襲う! 営業魔人脚力キック!
強力な一撃を繰り返しても避けられると認識した睨天鉄が、ならばとばかりに無数の細い触手で襲い掛かる!
「少しだけでも! お話をッッッッッ!!!」
井戸浪は独特の営業呼吸によって体内の営業波動を高めると、全身をくるりと捻り、襲い掛かる金属触手の五月雨めいた連続攻撃をすり抜けた! 飛び込み営業!
これぞまさしく、混雑する街頭において狙った客を逃さぬための、サラリーマン戦流の邪拳、キャッチセールス派の歩法「絵画に興味などありませんか?」である!
ドムゥゥゥッ!
回避で生み出した身体の捻りで発生する営業勁を関節単位で増幅。
肩より背。背より腰。腰より膝。膝より踵。
螺旋、循環、練り上げられた套路の精華!
井戸浪はその身を一本のネジと化し、生み出された営業力をただ一点、己の脚へと収束して地面へと叩きつける。
「フット! インザ! ドア!」
サラリーマン戦流営業派の基本にして極意たる脚技「フットインザドア」!
この技を極めた営業マンは、ただ脚を踏み出しただけで客の心を震わせ、成約せしめたとの伝説から、「震客」の異名もある。
中国武術においては震脚と呼ばれる技法だが、この名はサラリーマン戦流の技名、「震客」を由来としているという(民明書房刊『サラリーマン戦流 二十四時間闘えますか』より)。
地面を走る営業振動波により、井戸浪が避けて大地に突き刺さっていた触手が次々と粉砕される! 達人!
善戦する井戸浪だったが、その格闘能力を警戒するように、睨天鉄は浮遊し、本体の高度を上げた。
これでは、井戸浪の営業魔人脚力でも、必殺の蹴りを叩き込むことは困難だ。
なにより、『時空翔斬・ディメヌ=ジャムパ=シュナイド』による弱体化も永遠ではない。そして、睨天鉄は疲労を知らないが、井戸浪は人間、動きは少しずつ鈍っていく。
井戸浪はこの展開を予測していた。井戸浪一人では、アレに勝てない。
だからこそ、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスと業務提携を張ることを提案してきたのだ。
だからこそ、急がねばならない。
次の手を。尋常なる戦いを邪魔する無粋なるウィルス。
そこから一人の戦士を解放するための剣を、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは磨き上げねばならないのだ。
プラスチック製のふたを開け、彼は、両の手で絞るようにボトルを構えた。
まるで剣の柄を握るように。
何をやっているのだ、と土屋一郎の冷静な部分が叫ぶ。
自分はあの可憐な従者に勝利を誓ったのだろうと。
今日であったばかりの少女の解放など考えず、一刀のもとに切り伏せてしまえと。
たしかに、そうすれば、この策の成功率は跳ね上がる。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは正義の味方ではない。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは無敵の英雄ではない。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは義侠の剣士ではない。
だから、できることなど限られていて、全てを拾い上げることなどできはしない。
だが。
彼女に、勝利を捧げよう、と。そう誓ったのだ。
自分の名を呼んでくれた従者に。
ならば、捧げるべきものは、最上でなければいけない。曇りがあってはならない。
そうでなければ、
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、土屋一郎の憧れた理想の存在ではない。
だから、退けないのだ。
足は震えている。膝は笑っている。土屋一郎が、放っておけと叫んでいる。
土屋一郎としての自分は、人と戦うのも恐ろしい。まして、生理的嫌悪感をもよおす金属触手塊など、前にするだけで震えがくる。
情けない。あさましい。みっともない。
ああ。それもまた自分であると、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは受け入れる。
(こは剣。長き刃と頼もしき柄持つ剣。その刃は全てを切り裂き、全てを穢す)
辞書を引きながら、『れんごくの書』に書いたセリフをつぶやく。
これは、剣である。あの商人、井戸浪の必殺の武具。
ならばこれは、刃である。
そして、刃であるならば、魔剣、ダムギルスヴァリグラードたりえるものである。
ペットボトルの口から、ゆらり、と水が束となり、蛇のように顔を覗かせた。
これは、剣である。
ならば、柄であるこれから生えるものは即ち、刀身に他ならぬ。
全身を虚脱感が襲う。そんなはずはない。それはおまえの能力の領域外だと、世界の法則が決めつける。
脳が軋む。
『イーヴァルディの砥石』は物体に瘴気と斬撃能力を付与するもの。それだけのもの。
だから、水を刀身に見立て、自在に操ることなど、できはしないと全身を苛む。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは吠えた。
彼は暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。邪法の元に生まれし高貴なる存在。
誰にも見せなかった創作ノートの中で眠っていた、かび臭い夢の形。
そして、土屋一郎が掴んだ、新しい生と命の輪郭。
その名を呼ばれたことに、その姓を肯定されたことに、彼は救われた。
「――そなたに、最上の勝利を。暗黒騎士ダークヴァルザードの名において!」
無理だ、諦めろと叫ぶ土屋一郎が、いつの間にかその口をつぐんでいた。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの後ろでうずくまっていた幼き日の土屋一郎の幻は、いつの間にか、一本の鉛筆を握りしめていた。
そして、手にしていた大学ノートに、新たな設定を追記する。
『イーヴァルディの石は、あらゆるモノを、あんこくま剣にするるマジックアイテム。それはたとえ、えき体だってれい外じゃない』
ああ、あの頃は、そんなことがとても楽しくて、真っ白な世界に新しい物語を紡いでいく、そういう行為に、自分は夢中だったのだ――。
それが、土屋一郎のはじまり。
それが、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスのはじまり。
何物でもない自分が、何者かになる。
彼女に肯定された、彼自身のあり方だった。
いつの間にか、頭痛は、消えていた。
彼は手にしたペットボトルを、しっかりと握りしめていた。
その飲み口からは暗黒瘴気を帯びた水があふれ、ゆらゆらと空中で刀身の形を成していた。
『イーヴァルディの砥石』。
彼がそう信じれば、触れたものは三分間に限り全て本物の魔剣と化す。
今その力は、形なき水すらも磨き上げ、一振りの刃と化すに至ったのだ。
瞬間、睨天鉄の触手の一本が、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスを向いた。
研ぎ澄まされた触手の先端から槍の穂先が、刀の切っ先が、矢の鏃が生え、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスへと迫る。
だが、彼は動けない。水の刃は未だ安定していない。
回避のために集中を解けば、水は飛び散り、剣は消えてしまう。
また刃を形成するには長い集中時間が必要となるだろう。睨天鉄がそれを許すとは思えなかった。
刃を捨てるか。相打ち狙いで振り下ろすか。
逡巡する暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの視界を塞いだのは、驚異的な営業魔人脚力で割り込んできた、井戸浪濠の背中だった。
どすっ。
ビジネススーツの真ん中を、金属触手が刺し貫く。
井戸浪は苦痛に叫ぶこともなく、水の刀身を振り返り、愉快そうに笑った。
「……ミズリー社の『おいしい水』が、少女を解放する切り札になるとは、な」
井戸浪は懐から取り出したペットボトルから『おいしい水』を心底うまそうに飲み干すと、地面に倒れこみ、ぐったりと動かなくなった。
自分を庇って、あの無情なはずの営業マンが倒れた。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、その事実を胸に刻む。
また一つ、自分は託されたのだ。
井戸浪濠は、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスを助けたのではない。
この大会を、そして、そのスポンサーであるミズリー社を、助けたのだ。
ならば、この一振りは、一人の力ではない。
井戸浪濠の愛社精神と、アナスタシアの献身。
二人の願いを砥石として研がれた、最強の魔剣である。
「伸びよ! 『水流魔刃・ミズリー=スプラス=シュナイド』ッ!!!」
振り下ろされる、ミズリー社の『おいしい水』ペットボトル。
そこから発生した水の刃は、迎撃する睨天鉄の触手を掻い潜り、すり抜け、過たず睨天鉄の中心で瞬く『墜放騎士の栄光』の結晶体を穿ち貫いた。
chapter7 りうむvs暗黒騎士ダークヴァルザードギアス リベンジ
ハローワールド。意識の覚醒は最悪。
わたしは、再び元の少女体に戻ったことを確認すると、ゆっくり身を起こしました。
謎のプログラム汚染によって体のコントロールを奪われている間のことは、認識できています。
八剱聖一さんの能力『墜放騎士の栄光』。
エプシリウムを操作するなんて、地上の魔人の方にしては妙な能力だと思っていましたが、あんなデンジャラスなものだとは考えてもいませんでした。
というかあのぽんこつ杯!! そんなヤバいものを渡すなっていうんですよ! マジで敗者復活邪拳系ヒロインキャラが、さらに進んで世界の敵になっちゃうところだったんですからね!
雑多に武器が散乱していた戦場はまっさらな荒れ地になり、少し離れたところでは、井戸浪さんが倒れています。
致命傷。少なくとも、もう戦うことはできないでしょう。
そして、わたしの目の前には、息を切らして膝をつく、暗黒騎士さんがいました。
彼が、意識してわたしを助けてくれたのだということはわかりました。
だって、本当ならあの水の剣で、真っ二つにあの睨天鉄を切り裂いた方が楽だったに決まっています。
固体でないものを刀身に見立てて自在に操作する、なんていう能力は、本来彼の力ではなかったはず。当然その反動、消耗はすさまじいものであったはずなのに。
けれど、彼はそれをした。
きっとそれが、彼のエゴの、欲望の命じるものだったから。
井戸浪さんは言いました。
魔人とはエゴを為すものだ。
個の妄想で現実を塗り替え、塗り潰すことこそが魔人戦闘だ、と。
これが、人の力。エゴ、妄想、あるいは欲望のエネルギー。
自らの内に生じたもので戦うひとの強さ。
勝てない。そう、わたしは思ってしまいました。
さっきは倒せたはずの相手なのに、心が、悲鳴をあげていました。
だって、わたしは他人の願いを叶えるために生み出されたものです。
人の形を模してうみだされた海賊版の魔人もどきです。
井戸浪さんや、暗黒騎士さんのように、自らを燃やすような強い想いなんて――
「恵撫子りうむ。よい名だ」
けれど、暗黒騎士さんは、とぎれとぎれに息を切らせながら、そんな風に、わたしの名を呼びました。
何を言われているのか、一瞬理解できませんでした。
「姓名は生命に通ずる。それを己で名付けるとは、己の生を自らの意志で懐けることにほかならない」
恵撫子りうむ。
適当につけた名前のつもりでした。
名前がないと不便だから。そんな程度の理由のつもりでした。
けれど。それに今、新しい意味がつけられました。
「意志もなく。誰かの命令だけで生きるのは、むなしいだろう。だから、自らに新たな名を刻み、生きなおすと決めたのだろう。ならば、誇れ。少女よ。その小さな胸を張れ」
「だ、誰がちっぱいですか!」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて、その。……ごめん。ともかく!」
素に戻るの早! あとキャラ取り戻すのも早!!
ツッコミでいつものペースを取り戻せたからでしょうか。
……さっきまでは、勝てないと、くじけかけていた心に、火が入りました。
彼の姿も、言動も最初から変わりません。
独特の世界観も、アレな言動も、そのくせ普通過ぎる格好も、虚ろな目も。
それなのに今は、彼に見すえられ、名前を呼ばれるだけで、わたしの中に、なんだかよくわからない熱があふれてくるのでした。
「やっと、我が相対するにふさわしい姿となったな。再戦を申し込むぞ。恵撫子りうむ」
「――暗黒騎士、ダークヴァルザードギアスさん」
「ああ。ようやく我が名を呼んだな」
いつかの夢に見た、彼の姿を思い出します。
彼もまた、わたしと似ていたのかもしれません。
生まれも経験も違うけれど。
どう生まれた、周りにどう命令されたからではなく、自分でかくありたいという姿になるために、新しい名を決めた者として。
だから。
名前を呼び合う。それは、きっと、わたしたちの契約の印。
そう生まれたから、ではなくて、どうありたいかを認め合う。
そんな、ろくでもない過去を踏み越えるための、再誕の儀礼でした。
ひととき、彼の虚ろな目に、そして、その中に写るわたしの瞳に、火花のような小さな光が灯ったような気がしました。
「剣を取れ。たかだか一つの貸し程度で、己の名にかけた願いを蹴ってくれるなよ」
その言葉に、わたしは思い出しました。
井戸浪さんに言葉を叩きつけられたとき、意識に一瞬浮かび上がり、『墜放騎士の栄光』の悪性プログラムによって打ち消されてしまった感情を。
そう。それでも。わたしは、初めての戦い、衛兵さんとのエキシビジョンバトルのときに、気づいたはずなのです。戦う理由を、見つけたのです。
自分がどれだけ戦えるのか、それを試してみたい。
それは他の人から見たらちっぽけだったり、おこがましかったりするものかもしれないけど。
わたしにとっては、十分に戦う理由になるものだったはずなのです。
そもそも、りうむちゃんは、バグってしまったモノ。
プログラムの加護があんまりない代わり、プログラムの制約を受けないものなのです!
誘うように、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんが、リュックからとりだした段ボール製の剣を構えました。
そこには、カタカナで「ダムギルスヴァリアグラード」とマジックで書いてありました。全体的に雑な造形です。
けれど、それは濃密な黒の靄に覆われ、間違いなく必殺の暗黒瘴気剣でした。
彼の装いは、最初から変わりません。
モッズコートにジーンズ、中肉中背の平凡な青年です。
どこからどう見ても普通の、コンビニとかでレジ打ちしてそうなお兄さんです。
なのに、その姿に、わたしは幻を見てしまいました。
黒くたなびくマントを。彼の身を包む闇色の全身鎧を。
彼が名によって己を再定義した、そのあり方を。
人は、変われるのだと。
いや、人ですらない私すら、変われるのだと。
そう教えてくれる彼の姿を、わたしは眩しいと、尊いと思ってしまったのです。
わたしはそんな機能を持つモノとして、作られてなどいなかったのに。
「いくぞ、恵撫子りうむ!」
「勝負です! 暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさん!!」
わたしは、右腕を大上段に振り上げ、睨天鉄がこの戦場跡中から吸収した刀を具象化しながら振り下ろしました。
圧倒的な質量。一つの合戦で消費された、双方の軍隊の武力が一点に集中、圧倒的な質量となって暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんを襲います!
「『水流魔刃・ミズリー=スプラス=シュナイド』ッ!!!」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんは、逆手に構えていたミズリー社の『おいしい水』のふたを開けると水の刃を解放、地面とわたしの腕の間につっかえ棒にするようにして受け止めました!
そして、右腕の段ボール魔剣でわたしの胸を狙います!
――『封じられし牢獄』並列解放!
わたしは慌てて左手から木製のかい盾を十枚重ねで展開!
貫通貫通貫通貫通貫通貫通貫通貫通!
ぎりぎり残り2枚で受け止めました。なんて鋭さ! なんかさっきよりさらに強くなってる気がします!
安心したのもつかの間、今度は水刃つっかえ棒との接触面から、どくり、と黒の瘴気が私の武器腕に流れ込んできました。
動悸、息切れ、頭痛、悪寒、めまい、吐き気が、ぐるぐると体を苛みました。
それでも、負けられません。
『封印されし牢獄』完全開放。
弓、矢、ひき盾、鎧、馬具、岩、金棒、長刀、太刀、鍋に帷子、旗印に太鼓。今体内にあるものを全て、右の腕に顕現させていきます。切れ味はそうそうあがるものではありません。ですが、重さならば、加速度的に増していきます。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんは段ボール剣を引き抜くと、武器腕を魔剣で受け止めます。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんの腕力は確かに私よりはるかに上、かつ、水の刃のつっかえ棒の強度もありますが、この戦場全ての武器を一つに束ねたモノを受け止めることは難しいはず……!
「うおおおおおおおおおお!!!」
けれど、押し返してきた!?
強い! っていうか、一回戦のとき、この人こんなに強かったっけ!?
きっとこれもまた、彼の魔人能力の一端なのでしょう。
自分は、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスであるという認識が、現実に干渉する。
そして彼は、事実、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスとして、一つの大きな戦いに勝利した。無数の観客がそれを認識した。その視線を彼は昇華したのです。
確信は強まり、認識はより堅牢になり、世界に承認され、それは魔人能力を増強する。妄想を、確信を現実に強要することが、魔人能力なのですから。
勝つほどに、そしてその名が知られるほどに彼は強くなる。そういう能力なのです。
真正面からの勝負では、彼に勝つことは困難です。
精神的、肉体的苦境を跳ねのける英雄になることこそが、彼の力だから。
だから、力で打ち倒すのではなく。
私は「無数の武器を束ねた私の腕を押し返そうとする彼」の背後に回り込み、優しくその頭を撫で――。
――『お手製子守歌』発動。
「……ッ」
『人形喰い』によって右腕を切断、彼が頭上の巨大武器腕に注意を引かれているうちに、背後に回り込んだのです。
水刃を変形させて迎撃しようとした暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんでしたが、その左腕をわたしが『人形喰い』で引っ張り、取り外してしまうことで、カウンターは失敗。以上、勝負ありというわけでありました。
『人形喰い』の四肢外しが他人にも使えなかったら、割と危ないところだったのですが。このあたりは、本来の持ち主さんの性癖に感謝というところでありますね!
意識を失いつつある中で、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんは、最後の力を振り絞るように、わたしに語りかけてきました。
「恵撫子りうむ……」
「はい」
「ワンピースで戦うなら……ぱんつは、はいておけ……。その。ちょっと目のやり場に、困った……」
……よ、余計なお世話ですよ! なんか宝石が発熱するから履いて戦うと焦げちゃぅんですよ! ち、痴女じゃないもん! 仕様ですがなにか! まじめに聞いて損しました! おこです! っていうかせっかくのシリアス時空を返せばかー!!!
ともあれ、肉体的な苦痛には強い彼の肉体も、肉体と精神を癒す眠りへの耐性はさほどでもなかった様子。ぐったりと力を失うと、彼はその場に倒れこみました。
『封印されし牢獄』解除。
肥大した電信柱めいた武器腕は少女サイズにまでしぼみ、ぺち、と地面に力なく落ちました。
私は、まっさらな荒野になったフィールドを改めて見わたします。
立っているのは、わたしだけ。
ルール上の勝者は、わたしなのでしょう。
申し訳なさと、誇らしさと、感謝の気持ちと、いたたまれなさが入り混じったような気持ちでした。
感謝を。真の魔人さんたち。
にせもののわたしに、魔人の在り方を、教えてくれたひと。
わたしは目を閉じると、二人に深くおじぎをしました。
優雅に指先でスカートの端をつまみ、ドレープを美しく見せながら。
chapter8 敗退者・井戸浪濠の納品書」
スタタタタタタ! ターンッ!
テラスのテーブルに置いたタブレットに残像すら見えぬ速度で指を這わせ、男は一瞬で記載された情報を脳に刻み込んだ。
彼が読んでいた、日経新聞電子版には、とある企業の株価が急上昇している旨が記載されていた。
『ミズリー社株価ストップ高』
『教育委員会、小学校に『おいしい水』の持ちこみを禁じる動き。『グロリアス・オリュンピア』の真似が大流行』
『各地のコンビニで『おいしい水』売り切れ続出』
飲料水メーカーの最大手であり、『グロリアス・オリュンピア』の大スポンサーの一角、ミズリー社のハイエンド営業マンである井戸浪濠は、満足そうにタブレットの電源を落とした。
井戸浪濠は『グロリアス・オリュンピア』2回戦で敗退した。
しかし、それこそが、彼の目的を達成する上で、最適解だったのである。
彼のこの戦闘での目的は、2つ。
一つは、恵撫子りうむの暴走による、大会の崩壊を防ぐこと。
恵撫子りうむ自身はただの無害な参加者だが、彼女が、伝説の傭兵、八剱聖一の能力『墜放騎士の栄光』を使った場合、危険なことになる。そのことを、彼は日経知恵袋からの情報で把握していたのだ。
日経知恵袋のゴールド回答者曰く、『墜放騎士の栄光』は、かつてエプシロン王国から追放された下位王位継承権を持つ男の能力だったのだという。
王家の秘宝『エプシロンの杯』との同調能力も高かった男だが、この秘宝の恩恵をエプシロン王国しか受けられないことをよしとせず、地上にエプシリウム操作のノウハウを漏洩しようとした。
当時の王はこれに怒り、心身を苛む重い呪いをかけた上で男を地上へと『墜放』。
男はほどなく死亡したが、彼の王国への怨嗟は地上に残留し、触れた「適合者」に憑依して、王国へ復讐をする機会を伺っているのだとか。
いわば、エプシリウムシステムにハッキングをかけるためのウィルスが、王国への悪意とセットでパッケージングされたような能力である。
呪いに満ちた来歴だ。八剱聖一がこれを己の意志で振るえていることが信じがたい。
おそらくは、その意志力こそが彼を最強たらしめているのだろう。一度、顧客として対戦したいものだと、井戸浪は思う。
ともあれ、そんなものが『エプシロンの杯』のアバターに接触した場合、当然にその制御をのっとって、フェム王女ら王国の縁者に襲いかかるだろう。
そうなっては、ミズリー社がせっかくスポンサーをしているこの大会の宣伝効果はガタ落ちだ。
当然これはミズリー社のトップ営業マンとして防がねばならない事態だった。
そして、井戸浪濠がこの2回戦のもう一つの目的として設定したこと。
それは「この試合中継をミズリー社の『おいしい水』のCMにすること」だった。
恵撫子りうむと、暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。
等々力昴と比べれば「顧客」としてまだ対戦相手2人は未熟。
であれば、より挑みがいのある目的として、敵ではなく、この中継を見ている世界中に同時に営業をかけることを、井戸浪は選んだのである。
この二つの目的を同時に達成する手段として、彼はこの戦いの流れをコントロールした。
ワンサイドゲームにならぬよう、二人をぶつかりあわせてその隙に二人の精神性を『敢行使命』でプロファイリングし。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが倒れたところで、あえて恵撫子りうむを精神的にゆさぶって暴走させ。
暴走した恵撫子りうむがこの戦場跡の武器をおおむね吸収し尽くし、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスがほかの武器を選択できない状況においこんでから共闘を提案。
武器として、彼が『おいしい水』を使用するように誘導する。
彼の能力『イ―ヴァルディの砥石』が水をも武器として使えるほどに進化するかは未知数ではあったが、『敢行使命』で読み取ったあの青年の精神性と魔人能力の背景から、十分勝算のある賭けだと井戸浪は判断した。
そして事実、彼はその賭けに勝ったのである。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスをかばって一足先に敗退したのも、「やられぎわは最も視聴者が注目する」という心理を利用して、『おいしい水』を宣伝するためのものだ。
少しわざとらしかったかもしれないが、宣伝というのは、これくらい露骨なくらいがちょうどいいものである。
最後にどちらが勝つかは、もはや井戸浪には関係のないことだった。
暴走した少女を救う暗黒騎士が武器にしたのは、ミズリー社の『おいしい水』。
暗黒騎士を庇った営業マンが最期に飲んだのは、ミズリー社の『おいしい水』。
このメッセージを視聴者に叩き込めた時点で、そして、暗黒騎士が睨天鉄を打倒する武器を手にした時点で、彼の勝利が納品されたことは確定したのだから。
『グロリアス・オリュンピア』2回戦。戦場跡。
この試合には、3名の勝者が存在した。
ルール上の勝者、恵撫子りうむ。
視聴者の心を掴んだMVP、暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。
そして、全ての流れをコントロールし、望む結果を得た、井戸浪濠。
男のタブレットの脇には、2枚の名刺が置かれていた。
戦闘後、改めて『敢行使命』で取り寄せたものだ。
1枚目には、『土屋一郎/ダークヴァルザードギアス』『コンビニエンスストア『ヤリブスマート』アルバイト/暗黒騎士』。
2枚目には、『恵撫子りうむ』『エプシロン王国『エプシロンの杯』所属』とあった。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの名刺からは、元の出自を塗りつぶす見え消し線が消えていた。
恵撫子りうむの文字の濃度は、堂々とした黒へと変わっていた。
「やっと、ふさわしい相手になってくれたか」
この戦いを経て、二人は少しだけ、成長した。
そのことを、新たなる名刺は告げていた。
「……次に会うことがあるならば。全力で営業させてもらうとしよう」
かくて、誰にも讃えられぬ勝利者、井戸浪濠は立ち上がる。
自らに相応しい、新しい敵を求めて。