井戸浪濠は、転送先の風景を眺める。
晴れた空の下、西から風が吹き、地面に立った旗や陣幕を揺らす。戦場跡、と聞かされてきた。日本における戦国時代の合戦場のイメージなのだろう。ちょうど2km四方程度と思しき平原を山が囲む地形。向かいにも同じように陣が張られているのが見える。
周囲には木の櫓が立てられ、地面にこれも木製の大きな盾が設置してある。おびただしい数の刀、槍の類が地面に突き刺さり、折れて転がる。あの櫓が位置情報の目安になるだろうか、と濠は見当をつける。
井戸浪濠は、営業に感傷を決して持ち込まない。よって、周囲の陣幕が損傷し、激しい戦いの傷跡を物語っていることについて、特に事実確認以上の感慨は抱かない。自分の居場所が恐らく敗者側の陣であることに、彼は何の意味も見出さない。戦場において勝者と敗者があるということそのものにすら、彼は心を動かさない。
彼は名刺を取り出す。さあ、営業の時間だ。
◆◆◆◆
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、二戦連続で非常に機嫌を良くしていた。理由は転送されたこのフィールドだ。
戦場跡! かつて幾多の血が流れ、未だ癒されぬ傷を負いし亡霊のうめき声が響き渡る設定の地! 地獄も素晴らしかったがこっちはこっちで!
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの価値基準はおおよそ『格好いい』『強い』で占められている。ついでに言えば、濁点が多いと強いし格好いい。『ヴ』とか最強だ。なので彼は大いにこの地を気に入り、『古戦場ヴァリオルゴス』と勝手に名前と歴史設定をつけていた。何より。彼は周囲に視線を巡らす。
大地には数多くの武具の類が散らばり、彼を誘う。対戦相手はあの胡乱な商人と突然追加参戦した素性の知れぬ娘だが、何の恐れることがあろう。彼には暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードがある。しかも、大量に。
そして暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、視界内に対戦相手と思しき少女の姿を見つける。彼はそこらの日本刀を一振り抜き放ち、勢い良く空に掲げ。
「旧き民の血塗られた歴史を今繰り返さん、娘よ! 我は暗黒騎士ダークヴァルザ」
「ぽーーーーーー!!!!!!!」
次の瞬間、少女は超スピードで彼に向け猛突進。色素の薄い容貌が、瞬く間に眼前に迫る。
あっ、やっべ。そう思った瞬間には、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは高く跳ね飛ばされ、草原で一回バウンドして倒れ込んでいた。
◆◆◆◆
わたしが発進の汽笛を叫んだり、線路を拓いたりしたので、なんか突っ立っていた男の人はいい感じにすっ飛んでいきました。やったね!
最初のスロットに入れたのは『迅進自己』。高速で相手に突っ込む、超特急さんのとても明快な能力です。試し運行だったから轢殺とはいかなかったですけど。
あっ忘れてた。わたしは恵撫子りうむ。途中から参戦ですけど、よろしくお願いします。かわいそうな犠牲者さんは、あれは多分暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんですね。なんでだか予選では目立ってたけど……名前が長いからかも?
わたしが扱うのは、『予選落ちした42人のぱわーです』。要するに、残り38個の能力を、クソ王女が満足するまで使うことができる、とっても無敵で素敵な能力なんです。えへん。
一回の試合でちゃんと使えるのは4つまで、っていうのは内緒にしないとですね。能力バトルは、手札をちゃんと隠すのが基本なんですよ。知ってる。
さて、暗黒騎士さんも多分まだあれで戦闘不能にはなっていないだろうし、うかうかしてはいられません。……そう。今回のマッチングは三つ巴なのです。もうひとり相手がこの近くにいるということ!
もー! 聞いてない!! 絶対タイマンだと思ってたのに!!
嘆いていても仕方がありません。わたしは服をたくし上げてお腹のスロットを見――『迅進自己』の宝石がまだ石ころには変わっていないことを確かめると、走り出しました。
もう、王女様ったら、ほんとに……強欲なんですから。
次の瞬間、私は気づきます。手の中に、いつの間にか小さな四角い紙があるのです。これは——名刺。
営業マンさん、さっそくお仕事、ご苦労様。
◆◆◆◆
井戸浪濠は手の中の二枚の名刺を見つめる。予想通り、対戦相手のふたりは名刺を持っていない。すなわち、彼はふたりの情報を一部その手に掴み取っていた。
『土屋一郎』、『「ヤリブスマート」都内某所店店員』
『恵撫子りうむ』、現在『無職』
暗黒騎士ダークヴァルザードギアス……土屋一郎については事前に下調べを行なっていた。コンビニエンスストアのアルバイト店員では、名刺を使う機会もなかろう。
もうひとり、恵撫子りうむ。こちらは素性がまるでわからない。突然の参戦といい最重要警戒対象だ。相手が見た目通りの年若い少女であることに賭け、『敢行使命』を行使した。結果、彼は成功したらしい。
濠は名刺を裏返す。そこには。
「ぽーーーー!!!!」
汽笛のような声が、遠くから聞こえた。
銀の髪をした少女が、まっしぐらに駆けてくる。その足元には、彼に向けて延びた超自然の線路。
紙一重で濠は少女の突進をかわす。マスタードライバーの操るNinja H2Rに比べれば遅い。彼は戦いごとに圧倒的成長を遂げている。まさにイノベーション。
彼は知っている。少女の名は恵撫子りうむ。
『私の能力はグロリアス・オリュンピア予選敗退者あと38人の能力を使用できる能力』
先ほど名刺交換で得ることのできた情報のひとつだ。なるほど、電撃参戦に相応しい、規格外で……不可思議な能力。
そして。彼は三つ巴を利用して密かに仕掛けたある作戦が、上手くいかなかったと知る。落胆はしていない。ローリスクハイリターンの小さな賭けだ。まだ彼には手がいくらでも残されている。
「では、水を買ってもらおうか。お嬢さん」
彼の場所を勢い良く通り過ぎ、しばらく行った櫓の下で少女は止まり、何やら白いワンピースをまくって自分の身体を確認している。能力に絡む仕草か、あるいは単に痴女の類いかもしれない。
「お代は——」
◆◆◆◆
「『三回戦の進出権』ですね」
はいこれ、今言ったのはわたしです。井戸浪さんではありません。わたしなりの提案だったんですけど、先手を取られて営業さん、ちょっと渋い顔をしています。ふふん、予選名簿一番だからって、いつも先を越せると思うなよ! ……でもまあ、前回の試合を見ていたらだいたいわかると思うんですよね。
井戸浪さんの能力自体は、自分で教えてくれました。『名刺を交換する能力』。私が手に入れたこの名刺、いろいろふざけたことが書いてやがりましたけど、とにかく名刺を押しつけられるというのは確かみたいです。あと、すごく水を売りたい人なのもわかっています。
さて、ここでわたしの力と頭の見せどころ、というわけですね。
「……まあいい。その通りだ。水を買ってもらおう」
井戸浪さんがこちらに向けてダッシュをしようとし——。
「【止まって】」
その体勢のまま、ぴたりと固まります。あら、やっぱり怪訝そうな顔をしてる。わたしもちょっとびっくりです。まさかこんなにあっさり効くなんて。
花浦小春さんの能力『お砂糖とスパイスと素敵な何か』。
わたしに好意を持っている人に、お願いを聞いてもらえる能力なんですって。作り物のわたしに好意とか、てれる。
こほん。いえ、わかっています。井戸浪さんの好意は多分……わたしのこと、いい感じのカモだと思ってるんじゃないかなって。商品を買ってくれるお客さんを好きでない営業さんなんて、多分、いませんよね(個人の意見です)。
さてさて、そんな長く動きを止められるわけでもないので、再び戦闘スタート。
「えーと、【そのまま両手を頭の後ろで組んで】」
わー、本当に井戸浪さんがそのまま動きます。本人は額に汗を浮かべて、歯ぎしりまでして、どうにか抗おうとしてる感じです。でも、ダメですよ。
「【ひざまずいて】」
うん、これくらいのお願いならちゃんと聞いてもらえる。わくわくしてきました。偉そうな男の人を屈服?させるのってなかなか素敵です。わたし、もしかしたら、参加者三人目の女王様になれるんじゃないでしょうか。
そうして、わたしは少し後ろに下がります。
「【まだまだ、まだ止まってて】!」
井戸浪さんの表情が変わりました。あっ、読まれちゃった?
でも、やりますよ。動きを止めてかーらーの、『迅進自己』!
「ぽーーーーーーー!!!!」
発進の汽笛を叫べ。線路を拓け。『覚悟』を焼べろ、です!
わたしは暴走車両と化し——。
「『飛刃散月・ヴィル=ワラヴガル』」
ヒュッ。鋭い音を立ててわたしの進路に一本の日本刀が突き刺さりました。あっ、ちょ、まっ、ぶつか。
いったー! 私は止まりきれなくて、刀の直前でかっこ悪くこけちゃいました。なんてことするんですか。線路には置き石厳禁なんですよ!
それにしても、日本刀。この戦場ではありふれた武器。それを投げたのは。
わたしがはね飛ばした暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんが、こちらをにらみつけるようにして別の日本刀を構えていました。
◆◆◆◆
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスのコートのポケットには、一枚の名刺が入っている。軽く意識を失っていた間、突然手の中に現れたものだ。
表には『ミズリー株式会社 営業部営業一課課長 井戸浪濠』。
裏には『私の能力は名刺を交換する能力』『私は西側の陣中、櫓から南に10mほどの場所にいる』。そして。
『宿命に導かれし君と見込んで頼みがある。協力し共に恵撫子りうむを倒そう』
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは正確には知らぬことであるが、井戸浪濠の能力『敢行使命』は井戸浪濠が書き込みを行った名刺がそのまま相手の手元に渡る。それを利用し、このような連絡方法として活用することもできるのだ。
「……名刺を見てもらえたようだな」
井戸浪濠が立ち上がる。スーツの膝は土に軽く汚れている。
「心得違いをしてもらっては困るぞ、商人。貴君が何やら企んでいるであろうことは承知。だが、しかしそれ以上に——」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードを構える。新調したモッズコートもやはり、草と土に汚れている。
「あの娘、侮りがたき力の持ち主。先んじて倒し、後に貴君との決着をつけることも考慮に入れることとした」
彼は井戸浪の『ハード・トゥ・ゲット・テクニック』……相手を特別と持ち上げ心を開かせる手法に軽くはまっていたのだが、それに気づいてはいない。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。己の妄想を頑なに信じる男は、人の言葉も信じやすいという、ちょっとした性格上の問題点も同時に抱えていた。
◆◆◆◆
「【ちょっと待ってて】!」
恵撫子りうむは、形勢不利と見たか一度引き、ふたりの場から急ぎ逃げ去っていく。追おうとした暗黒騎士ダークヴァルザードギアスを、井戸浪濠は止めた。
「深追いは避けろ。奴は複数の能力を駆使して戦うことができるらしい」
濠はリュックサックから『おいしい水』のボトルを取り出し、観客にアピールするように飲み干した。これは抜け目のない商品PRでもあり、精神攻撃に対する彼なりのマインドリセット方法でもある。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、水を取り出した瞬間から彼に警戒をしたようだった。一回戦の結末を思えば無理もない。
濠は次に名刺とペンを取り出し、裏面に位置情報と共に次のように記した。
『私の能力は私が自分の名刺を持っている時にのみ発動できる』
『相手が自分の名刺を所持している時は、ただ名刺が入れ替わるだけ』
そして彼の手元に現れた新しい恵撫子りうむの名刺にはこうあった。
『私が一度の戦いでちゃんと使える能力は4つまで』
『フェム王女が戦いに満足すればその能力は使えなくなる』
成功だ。彼は対戦相手の制約をふたつ把握した。先ほどの突進と精神操作で能力はふたつ。王女が関わっているというのは奇妙な制約だが、少女の見た目からエプシロン王家の縁者であることは明らか。
自分の能力についても詳細を明かすことになるが、これは必要経費だろう。
「しかし、だとすれば遠矢のごとき力を所持しているやも知れぬ。有利を取られる前に仕留めるべきではないか」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは手元の日本刀を捨て、新たな刀を地面から引き抜く。こいつはこいつで、何やら武器の使用に制限があるようだ、と濠はにらむ。
今は一時的業務提携関係にあるが……最後に水を売るのは自分だ。濠は名刺をしまい込む。
「そうだな。たとえば空から……」
ばらり、と小さな音がした。空から、何かが降ってきた音だ。
小さな雨のような音は続き、やがてどんどん大きくなり、目に見えて何かがどさどさと降ってくる。それは、木材。
綺麗に整えられた木片が、鉄材が、ネジが、ロープが、ネジが。 砲台が、錨が、帆が、酒瓶が、食材が、少女が逃げた辺りに瞬く間に降り注ぐ。
呆気にとられるふたりの前に、甲板までの高さが10mはあろうかという巨大な車輪付きの帆船が姿を現し、影を落とした。
「嘘だろ」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが、暗黒騎士らしからぬつぶやきを漏らす。
船首に立つ銀髪の少女、恵撫子りうむが高らかに宣言する。
「さあ! これが私の必殺コンボです!」
その言葉とともに生きたまま船首に沈み込み、船首像と化した彼女は、にこりと嬉しげに笑みを浮かべていた。
◆◆◆◆
わたし、たくさん考えたんです。作り物のわたしが、借り物の能力で素敵に戦うってどうすればいいのか。42の能力は、みんな魅力的。だけど、ひとつひとつただ使うだけじゃない。組み合わせればもっと——わたしらしく戦えるのじゃないかって!
そう。今わたしはふたつの能力を同時に使用しています。陸賊王ベリーさんの『ベリー来航』、葉山纏さんの『封印されし牢獄』。船を作り出し、わたしがそこに融合すれば、自由自在に動かせて、攻撃もできるっていうこと。残念ながら、『迅進自己』『お砂糖とスパイスと素敵な何か』はもう使えなくなってましたけど、まあさすがに好意とかもうなさそう……船だし。
ああ、地上10mの視点はまるで鳥の目みたい。井戸浪さんと暗黒騎士さんが小さく見えます。
……このまま、蹂躙してしまいましょう! よーそろー!
車輪が駆動を始めます。すごいすごい、まるで足みたいに動かせます。ちっぽけな地面の刀を踏みしだき、あるいはそのまま取り込んで同化しながら、船は陸路の航海を始めました。ふたりは慌てて逃げ出します。追うと同時に、えいっ!
甲板に据えられた大砲が、火を噴きました。本来なら船体の横の方に向けて撃つものですが、なんとこの船、デザインはわたしの自由なんです。弾が地面をえぐり、井戸浪さんがぎりぎりで跳びすさり避けます。うーん、惜しい。なかなか狙いをつけるのって難しい。
でも、次はやっちゃいますよ?
◆◆◆◆
「商人! あれも能力か!」
迫り来る船から逃げながら、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは叫ぶ。井戸浪濠は肩をすくめた。
「まあ、そうだろうな」
船を作り出し同化する。井戸浪は必殺コンボという発言からして、ふたつの能力は既に使用済み、残りふたつの能力を組み合わせて使用していると推測しているが、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは井戸浪から名刺を見せられていない。恵撫子りうむの能力における数の制限を、彼は知らない。
「あのような巨艦、いったいどれほど多くの力を使いこなしているのか」
感嘆と焦燥の混じった言葉が漏れる。
前の戦では腕と背中がぼろぼろに傷ついた。今回はどうやら、砲撃か船本体による圧迫で殺される可能性が高い。良くて試合会場から逃げ出す羽目になり失格だ。彼は頭を巡らす。
そして、獰猛に笑った。
そうだ、そうでなくてはならない。彼が求めたものはこれではないか。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの目的は三つ。闘争、勝利、名誉、そして栄光。四つありますけど、という目でじっと見てくるはずのアナスタシアは、今は遠く控え室で彼を見守っているはずだ。
彼女に勝利を。そのためには、むざむざ逃げ回り醜態を晒している場合ではなし!
「このままじゃ埒が開かん。業務提携は一時解除だ。別方面に逃げる」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは周囲を見回すと、井戸浪濠の提案営業に対して首を振った。
「否。同盟の誓いは未だ健在ぞ。……我に策あり、貴君の力が必要だ。我がダムギルスヴァリアグラードを振るうには、刻の力を得ねばならぬ」
「具体的ビジョンをシンプルに頼む」
「走り回り、船を引きつけよ。そして我が支度が終わり次第、我の元に船を誘うのだ」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは振り向きざま、背後に迫る砲弾に一閃を見舞って両断。モッズコートの裾がはためく。分かたれた砲弾はやや離れた箇所に着弾し、炸裂。轟音を立て走り来る船を振り仰ぎ、彼は言った。
「我が剣を信じよ」
井戸浪は拙いプレゼンに苦笑し、懐から名刺を取り出す。暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは船の右手に飛び出し、そのまま全速力で駆け出した。
◆◆◆◆
井戸浪濠は、船が進路を迷うように動きを緩めた瞬間、名刺に素早く書きつけを行う。船が暗黒騎士を狙う前に、彼が誘うのだ。
今が、喧嘩の『売り』時。
『私はお前の目の前にいる』
『お前は私に追いつけない』
『敢行使命』。挑戦的な文字が躍る名刺は、彼の手元から恵撫子りうむの手へと渡った。
◆◆◆◆
む、む、む、む?
うっわ、あの営業さんなんなんですか、これ! むっかー! 暗黒騎士さんは暗黒騎士さんで物陰に隠れ出したし……どっちを追うか、なんて決まってます。井戸浪さんです。
あっ、でもむやみに挑発に乗ったわけじゃないんですよ。これにはちゃんと理由があって……この船、大きい分なかなか停止と急旋回が難しいのです。暗黒騎士さんを追おうとすると、方向転換しているうちにどちらも逃がしちゃいそう。それは困ります。ふたりとも、きちんと仕留めないといけないんです。
やっほー、王女様、見てる?
わたしは素敵に戦って、王女様を楽しませて、わたしがやれるってところを見せて、そして勝たないといけないんです。勝って勝って、そして……あれっ、そしたら優勝しちゃう?
困りますね。賞金も願い事も、あんまり実感が湧かない。そもそもわたしにもらえるのかしら。でも、みんな面白がってくれるかな。作り物の偽物が勝ち上がったぞって。一度は負けたはずの力が、目に物見せてやったって。42人の人たちは、喜んでくれるかしら?
それなら、それも、悪くない。
わたしは砲撃を止め、代わりに大きな錨を地面に向けて射出!
攻撃にバリエーションを持たせないと、すぐに飽きられてしまいますからね。
重たい音が響き、土と石が爆ぜます。さあ、デッドエンドです、井戸浪さん!
◆◆◆◆
井戸浪濠は、轟音と共に吹き飛ばされかけた。直撃は避けた。身体を丸め、PDCAサイクル——いわゆる受け身の姿勢を取って転がり、衝撃を地面に逃がす。だが、ダメージは浅くはない。スーツも汚れ、外回りにはとても相応しくない格好だ。
まだか、暗黒騎士。彼は右を見やり——。
「商人! 刻は来たれり! 我が元に集え!」
三度目に錨が彼を打ち据えかけた時、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの声が井戸浪濠の耳を打った。
PDCAサイクルの回しすぎでスーツはひどい有様だ。だが、耐えた。
濠は駆け出す。暗黒騎士は……櫓の上に登り立っていた。船はゆっくりと方向を変え、ややあってまた彼を追う。
『私の能力は手で触れた物を魔剣に変える能力』。交換した名刺は最初にそう告げた。であれば。
彼は櫓の後ろに駆け込み、滑り込む。
「良かろう。さらにこの地より離れ、しばし待つが良い。いざ、迎撃である!」
楼上の暗黒騎士は、柱の一本を握って決意に満ちた表情を浮かべていた。
濠は、この妙な男を信頼したわけではない。彼は営業に感傷を交えない。だが、彼は『買った』。その能力を『買った』のだ。
日経新聞は、いつでも日本の営業マンを支えている。
船が櫓に近づく。それは櫓と彼らを圧倒的な力で押し潰そうとし——。
◆◆◆◆
井戸浪濠に時間を稼がせたその間、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは何をしていたのか。
彼は轟音を頭から締め出し、ひたすらに念じていた。
(こは剣。こは剣。こは剣)
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの能力『イーヴァルディの砥石』が一般的な剣と形状や大きさの異なるものを彼の剣と化すためには、より強くその物体を剣であると思い込まなければならない。日本刀の場合は一瞬で済んだ。だが、今回暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが狙うものは10m以上の高さの櫓。形状はともかく、あまりに大きすぎる。
(こは剣。こは剣……その大きさが何ほどのことか。我が振るうに相応しき剣)
彼は集中、地面に逆さに突き立った巨大な剣を想像し、ただひたすらに唱える。彼が立つのは、剣の鍔にあたる部分。すごく格好いい。やがて彼の妄念は、夢想は、狂気は迎起される。彼は思い込む。これこそが暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの腹心の友。鋭き穢れた刃持つ唯一絶対の剣。
暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラード。
彼は信じた。
◆◆◆◆
「『巨魔殲滅・アストガリウス=ゼム=ヴローダ』」
櫓に触れた瞬間。舳先が斬れる。甲板が斬れる。大砲が、帆が、全てがへし斬られる。マストが倒れる。船が崩壊する。前進のスピードそのものが、船を剣に押しつけ、壊していく。
やがて船はたまりかねたように動きを緩める。その瞬間。
楼上からひとつの影が飛び降りた。それはダンボール製の剣を構えた暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。剣は既にもう一振りの暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードと化し、半ばもげた船首像を斬り落とすような鋭い一撃を放つ。
「『斬神魔技・ドゥルリアード=レクタス』」
落ちる少女目がけ、さらにひとつ地を走る影——井戸浪濠の飛び込み営業が炸裂する。
少女の短い悲鳴が聞こえた気がした。
ずん、と重い音と共に船は動きを止め、見る間に崩れ落ち、残骸は地面に転がった。
◆◆◆◆
……あー。
やっちゃった。やっぱり、まねっこはだめなのかな。本物より壊れやすくて、本物より操りにくくて……。
スロット1:迅進自己
スロット2:お砂糖とスパイスと素敵な何か
スロット3:ベリー来航
スロット4:封印されし牢獄
ごめんなさい、4つの力。4つの宝石。
船から切り離されたわたしの身体は、地面に転がります。ごろん。
王女様、どうもご満足いただけたみたい……そりゃあ、がんばったもの。わたし、がんばってがんばって……。
わたし。
◆◆◆◆
井戸浪濠は、めちゃくちゃに壊れた船の残骸の下、無残に破れた白いワンピース姿の少女を見下ろしていた。
暗黒騎士を制し、彼は自らが危険を冒してでも恵撫子りうむの様子を確認するとかって出た。彼はこの行動で暗黒騎士に恩を『売った』。いわゆる『返報性の法則』。人は、施しを受ければそれに報いなければならないと無意識に思ってしまう。あの男は必ずや水を買うだろう。
『私が一度の戦いでちゃんと使える能力は4つまで』
『フェム王女が戦いに満足すればその能力は使えなくなる』
名刺は嘘をつかない。おそらく、先の船と同化とで彼女は4つの能力を使い果たしているはず。
そして、この少女に水を売る。
濠はリュックサックからもう一本水のボトルを取り出し、目を閉じた少女の顔に中身を振りかけようとし——。
服が引き裂かれ軽く露出したその薄く白い胸に目を止めた。
否。彼は、少女の『胸』に空いたひとつの穴と、そこにはめられたよく光る宝石に目を止めた。
少女の唇が、動く。
まず
「『束なれ』」
い
。
本能の警告は、間に合わなかった。
井戸浪濠の汚れ果てたスーツの胸を、銀の色をした金属の剣が貫き、大きく切り裂いた。
彼は知らぬ。それは睨天鉄の剣。少女の右手が変形し形づくられた、いびつで強力な一本の剣。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが彼を呼ぶ声が聞こえた。
井戸浪濠は地に倒れ伏した。目には折れた旗印が映り——意識はやがて露と消えた。
◆◆◆◆
——非常用スロット開放
——スロット5『墜放騎士の栄光』
わたしが一度の戦いでちゃんと使える能力は4つまで。でも、スロットは本当はおなか以外にもひとつだけ、あるんです。
言ったでしょ。能力バトルは、手札をちゃんと隠すのが基本なんですよ。
それは奥の手のうちの奥の手。ボディの耐久力を無視し、自壊に向かう必殺の一手。
だとしたら、この能力を使うしかありませんよね、八剱聖一さん!
わたし、まだ負けたくない。負けたくないんです!
わたしはむくりと地面から起き上がります。あちこち痛くてたまらない。斬られた傷も、殴られたところも、内部からみしみしと悲鳴を上げるこの身体すべても。
でも、相手はまだひとり残ってる。じゃあ、戦うしかないじゃないですか。
そういうのがお好みなんでしょう、ねえ、王女!!
耳元であのクソ王女が笑う声が聞こえるようで——でもその声は、現実の声にかき消されました。
「未だ健在とは恐れ入ったぞ、娘」
つかつかと歩み寄る影。見た目はただのお兄さん。手には日本刀。顔には明らかに疲労の色、その目には光はなく。
「我が相手致そう。来るが良い。今、決戦の刻ぞ来たらん!」
我が名は暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。その名乗りの声と共に、わたしは踏み込みました。
◆
『墜放騎士の栄光』はわたしのボディに使われている睨天鉄を使役する、わたしと非常に相性が良く応用性の高い能力——なのですが。
日本刀の一撃を跳ね返します。そのたびにわたしの身体、みしみしと悲鳴を上げ、壊れてゆく。
このざまです。まねっこなせいと、ダメージのせいで、使える形態はかなり限られそう。多分右腕くらいしか変化させられないし、睨天鉄がわたしの身体から完全に離れるような使い方はできません。
それでも。
「『解けよ』」
わたしの右腕がばらばらと糸状になり、暗黒騎士さんの振り下ろした刀は空を切ります。そして。
「『絡め』」
ワイヤーは暗黒騎士さんの腕に絡みつき、刀を奪い、そして袖と腕をズタズタに切り裂きます。浅いけど、利き腕は封じられたはず! 刀は遠くにぽい!です!
気づいてましたか、暗黒騎士さん。わたし、さっきの船でずっと地面の武器を取り込んできました。もう周りにはほとんど刀はないの。新しい武器を用意するの、難しくなってきましたよね。見たところ、素手での格闘が得意でもなさそうですし。そして武器の補充には、行かせません!
「『束なれ』」
ざわざわと糸はまた剣に。剣を振り抜き、右腕にもう一撃。ぴき、と嫌な音が響きました。ああ、もう時間がないみたい。残り時間が終わる前に、わたしは勝ちます。
わたしは勝ちます。わたしは勝ちます。わたしは勝ちます。
それは、もちろんあの王女のためなんかじゃなくて。わたしのただひとつの願い。
作り物でも、借り物でも、一度敗けた力でも。やってやれるのだと、それを示すこと。
その為になら、えげつないと思われても、みっともないと思われても、わたしは戦うのです。
わたしは暗黒騎士さんの肩口目がけて突きを放ちます。避けきれず、赤い血がコートに滲みます。
わたしは敗者の代理人。ホンモノに一太刀報いるただ一本の、マガイモノの、剣です。
「……ぎ」
わたしの剣を避けながら、暗黒騎士さんの唇が微かに何かをつぶやきました。裂けた右の腕は、かばうようにポケットの中に。
ポケット?
「こは剣。こは剣。こは剣」
うわ言めいた言葉が、徐々に熱を帯びます。
「ダムギルスヴァリアグラード!」
身体中にひびが入るのを感じながら、わたしは急ぎ剣を振りかぶり、風を斬るように振り下ろし。
きん、と硬い音が立ちました。そんなはずがないのに。だって、それ。
紙でしょう?
わたしの渾身の一撃を受け止めたのは、手のひらより小さな一枚のカード。
『ミズリー株式会社 営業部営業一課課長 井戸浪濠』
両手でかざされた、あの営業さんの名刺でした。
◆◆◆◆
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、血に濡れた手で小さな名刺を振るった。柄と刃にあたる場所はあるのだが、もはや小さすぎて区別もつかない。暗黒瘴気剣は彼の手をも傷つけ、蝕み、目まいを与える。
ふらつく視界は、恵撫子りうむの右腕に大きなひび割れが走っていることをどうにか捉える。
『私の能力は名刺を交換する能力』
『私は西側の陣中、櫓から南に10mほどの場所にいる』
『宿命に導かれし君と見込んで頼みがある。協力し共に恵撫子りうむを倒そう』
名刺の裏に書かれた言葉が、彼を支えていた。井戸浪は既に息絶えているだろう。だが、その能力は彼に最後の武器を与えていた。
「『砕夢破撃』」
恵撫子りうむは退かない。壊れた身体で彼の懐に飛び込み、胴に刺突を。
「『アルバリオス=レディアート』」
名刺が……暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードが振り下ろされたのと、剣が彼の腹を抉ったのとはほぼ同時。
びき、と嫌な音が響く。それは雨音のように連なり、重なり、目に見える形となって銀色の少女の身体中に大きな亀裂をもたらし。
泣きそうな顔で、恵撫子りうむは砕け、崩れ落ちた。
五つの石ころが、からからと地面に転がる。
勝者と敗者は、決した。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスは、かすれ声で勝どきを上げようとし……少女の残骸の中に一枚の白い紙を見つける。
『ミズリー株式会社 営業部営業一課課長 井戸浪濠』
彼の持つものと同じ、あの商人の名刺だ。拾い、裏返す。
『私の能力は名刺を交換する能力』
『私は西側の陣中、櫓から南に10mほどの場所にいる』
『途中参戦に相応しい強さを持つ君と見込んで頼みがある。協力し共に暗黒騎士ダークヴァルザードギアスを倒そう』
「……ハ」
初手。ふたりの敵にそれぞれ共闘の申し込みを行い……おそらくは漁夫の利を狙おうとしていた男は、地面に転がっている。
その誘いを断り、身が砕けるまで戦った少女もまた。
「ハハハハハハハ!」
彼は嗤う。
井戸浪濠。恵撫子りうむ。そのふたりは……。
「なるほど……我が好敵手に相応しい、見事な相手であったこと、よ」
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスが地面に崩れ落ちたのと、会場への転送が行われたのは、同時だった。
勝者、暗黒騎士ダークヴァルザードギアス。三つ巴を制した彼に、観衆は大いに沸いた。
◆◆◆◆
いやー、そんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔をされちゃうと、わたしも気まずいというか困っちゃいます。
目が覚めて最初にわたしがやったのは、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんの控え室を訪ねることでした。幸い、まだ撤収はしてなくて、お話はできそう。
で、その暗黒騎士さんは、わたしを見るなりめちゃくちゃびびった顔をして一歩下がりました。お隣の黄色いワンピースを着たサンプル花子さんが、その腕を支えるようにして立っています。
「あの、確かにわたしいろいろしましたけど。そんな怖がらなくてもいいと思うんですよね」
「……いや」
暗黒騎士さんはなにそれこわい、みたいな顔で頭を振りました。
「そなたがあの状態から生き返るとは思っていなかった、ので……恐ろしきは秘薬の力か」
わたしもわりとびっくりです。……や、技術的にはいけるのは知ってましたけど。わたしが生かされたということ自体にびっくりでした。
だってわたしはイレギュラー。本当ならなかったことにした方が、いろいろと都合がいい存在ですものね。
まあそれはいいんです。あのクソ王女の思惑なんぞは気にしたくもないんですってば。
「ひとつだけ、言いたいことがあって。わたしに勝ったということは、あなたには背負ってもらわないといけないものがあるんです。知ってた?」
怪訝そうな顔で暗黒騎士さんは首を傾げます。まあ、そりゃわかんないですよね。だから教えてあげないと。
「それは『予選落ちした42人のぱわーです』」
「何?」
「わたしが背負っていた期待をあなたに託します。つまり、負けたりしたら承知しないぞこんちくしょー!ってこと」
暗黒騎士さんは喉を鳴らすように笑いました。
「知らぬな」
おや? ちょっと意外な反応。この人、わりとお人好しとにらんでいたんですけど。
「我が背負うはこの呪われし宿命、そして暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードひとつのみ。他の者の想いなど、路傍の石に過ぎぬわ」
いや、そうかもしれないですけど、でも。じゃあ、私はなんですか? 石から生まれた石太郎か何かですか?
「……だが」
あ、でも何か続きがあるみたいです。ちょっと言いにくそうにしてますけど。
「そなたが我が戦の道筋に何を見出すか。それは、そなたの自由である。思うがままにせよ」
そう言って、くるりと背中を向けてしまいます。私は目をぱちくり。そうしたら、サンプル花子さんがこっそり耳打ちをしてくれたのです。
「暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様は、これからも頑張って戦うから見てろよ、とおっしゃっておいでです」
あら。まあ。結局そういうことですか。わたしはくすりと笑って、そうしてふたりに背を向けました。
これからわたしがどうなるのか、それはまだよくわかりません。生まれた理由、やらなきゃいけなかったことが無くなっちゃいました。でも、でも、そうだなあ。
わたし、わたしは、自分の力と、自分の願いがほしいです。ただひとりのオリジナルの恵撫子りうむとして歩いていけたら、それは、きっととても幸せなこと。だから、探しに行きます。
ばたん、と扉を閉めて、わたしは歩き出します。
わたしがわたしであるための戦いは、きっとこれから、なのです。
◆◆◆◆
井戸浪濠は医務室で目覚めると、すぐさま帰社するための準備を整えた。悔しさは胸ににじむが、敗北は敗北。
急ぎ報告書を作成し、また次のルート開拓を……。
ノックの音がした。看護サンプル花子がドアを開けると、慎ましやかな服装の少女が入室する。
見覚えがある。フェム王女の横に常にかしずいていた、侍女の少女ではないか。
「ピャーチと申します。本日は井戸浪様にお願いがあって参りました」
うやうやしく礼をした彼女は、単刀直入に切り出した。
「井戸浪様が扱っていらっしゃる水を、王女がご所望です。試合をご覧になるうちに、一度お召し上がりになりたくなった、と」
彼は営業用の笑顔を浮かべる。エプシロン王国内への『おいしい水』の販路を拓くことは、ミズリー社上層部から密かに指示されたタスクだった。それは、たとえ濠自身が大会に敗北しようとも達成可能な『敢行使命』。
「もちろんですとも。用意しましょう」
彼は立ち上がる。濠個人の願いは潰えたが、彼はひとつ、困難な仕事を成し遂げられるだろう。
「お代は——」
戦場には勝者と敗者がある——だが時に、二者の間を縫い、ただ己の利益を得る、別視点での勝者というものも存在する。それが商人である。
井戸浪濠。彼は、その類の人間だ。
彼の営みと業は、どうやらまだ終わらない。