SSその1


 現実がどんなに残酷(ざんこく)無慈悲(むじひ)()生臭(なまぐさ)くったって。
 空想や幻想の中にしか優しい世界は存在しないとわかっていても。
 人々の心の中には、きっと夢の国があるって信じていたいんだ。


  ◇


「――さって、お手並み拝見といきましょうか……!」

 (みお)()祭蔵(さいぞう)は一つ気合いを入れると、ストロングゼロの缶をテーブルの上に置いた。
 目の前では彼の注文したザッハトルテが皿の上で輝いている。
 ザッハトルテはチョコレートケーキの王様とも称される(あんず)入りのチョコレートケーキで、澪木の好む甘味(かんみ)の一つでもあった。
 日本ならず世界中から料理人やパティシエが集うこのグロリアス・オリュンピアの会場においては、選手に対して最上の持てなしが行われる。会場内のレストランもまたその一つだ。
 繊細な菓子は一種の芸術品であると澪木は思っている。甘味を子供の物と言う者もいるが、澪木にしてみればそれは大きな間違いだ。
 甘さのバランスや酸味・苦みといった味覚だけでなく、香りでの嗅覚や、見た目での視覚、舌触りの触覚や、中にはサクサクとした音をたてて聴覚まで楽しませてくれる物もある。
 菓子とはそんな五感を楽しませる総合芸術であり、それでいて子供も楽しめるわかりやすさを併せ持つ物なのだ。
 それは澪木が好むカートゥーン・アニメにも通ずるところがある。
 澪木はチョコレートの香りを楽しみつつ、フォークを使ってケーキを一口分切り分けた。
 フォークの先がチョコレートの表面を割って、中のふんわりとした生地が姿を見せる。
 澪木が思わず笑みを浮かべて、そして口に入れようとした――そのとき。

「――何よ、いいとこなのに」

 彼の携帯電話が鳴った。
 胸ポケットから取り出し、画面に視線を移す。
 澪木は一瞬眉をひそめてから、電話に出た。

「もしもし。何か()(よう)?」
公安(こうあん)()(がい)()第三課の陣内(じんない)です。一回戦、お疲れ様でした』

 低音の声が電話口から漏れた。
 もちろん澪木は電話番号から、相手が誰であるかは出る前から既にわかっている。

(ねぎら)いなら結構よ。お給料に上乗せしといて」
『……いえ、一点お話がありまして。二回戦のことです』

 澪木は片眉を上げて思い出す。
 先ほどGO(グロリアス・オリュンピア)運営本部から、対戦相手と戦場が発表されたばかりだ。

『二回戦、確実に勝利していただきたい』

 電話の先にいるであろう(ゆう)()彷彿(ほうふつ)とさせる男は、簡潔にそう言った。
 とはいえそんなことを言われても、澪木としては反応に困ってしまう。

「私は全力でやるだけよ。これまで通りね」

 澪木は一回戦、日本国の総理大臣相手に全力で戦い、そして打ち破った。
 当然だが誰が相手であろうと彼は手加減などしない。
 しかしそう答えた澪木に対して、陣内は声をひそめて言葉を続けた。

『……(こう)()(そう)から要請が来ています。"何があっても勝つ"のではなく、"何をしてでも勝ってもらう"必要があります』

 陣内の言葉にただならぬ物を感じて、澪木は思案する。
 公安機動捜査隊。そこからの要請ということは――。

「――厄介(やっかい)な相手がいるってことね」

 グロリアス・オリュンピアの参加資格は、強者であること。
 (ゆえ)にその素性(すじょう)は問われない。
 犯罪者が大会に優勝して願いを叶えるなんてことになればロクな事にはならないだろうし、そうでなくても参加者は国賓(こくひん)(きゅう)の扱いを受ける為、大会期間中は逮捕(たいほ)できない。

『そうです。犯罪者を即刻(そっこく)大会から排除(はいじょ)できるよう、我々(われわれ)は協力を()しみません』
「協力、ねぇ。……公安が協力できることなんてあるの?」

 澪木は周囲を確認しながら、声を(ひそ)める。
 さすがにホテルのレストランで大声を出して話すほど、潜入捜査に不慣(ふな)れなわけではない。
 そんな澪木の言葉に、陣内はいつも通りの抑揚(よくよう)の少ない口調で回答した。

伝手(つて)を通じてエネルギー(ちょう)に協力を依頼しています。エージェントがそちらに向かっているはずなので、武器と情報を受け取ってください』
「……エネルギー庁の?」

 現在日本の各省庁は、特例中の特例で一大捜査・防衛体制を()いている。
 澪木も()(みつ)()にではあるが、"警察"として堂々(どうどう)と参加している徒士谷(かちや)真歩(まほ)(けい)部補(ぶほ)とは連絡を取り合っていた。
 エネルギー庁のエージェントというのも、澪木と同じく潜入している者の一人なのだろう。

『詳しくはエージェントから直接聞いていただければ。それでは、私はこれで』
「ちょ、ちょっと待っ――」

 澪木が止めるにもかかわらず、通話が切断される。

「……もう、本当ミステリアスな人なんだから。まあそこが()(わい)らしくはあるんだけど☆」

 そうして電話番号の表示された画面に向かって苦笑している澪木の視界に、人の影が差した。
 澪木が顔を上げると、対面の席には断りもなく座る少女の姿。
 澪木はその姿に見覚えがあった。

「――あら、あなたがエージェントだったの? ならエントリーネームも偽名だったのかしら」

 澪木の言葉に、少女はサイドでまとめた黒髪を揺らす。
 その顔はまるで人形のように美しく、澪木は彼女から抜き身の刃物のような硬く鋭い印象を受けた。

「答える必要、ないよね?」





〈一〉


「ひゃっ……あっ♡ んぅっ……! やぁ……♡」

 ここは二回戦の戦場、東京砂漠はオフィスビル街!
 東京スカイサボテンの中のオフィスルームでは、(きょう)(せい)が響いていた!
 まあ待て落ち着け諸君(しょくん)
 君たちの(はや)る気持ちはよくわかるが、だが安心して読み進めて欲しい!
 変に(かん)ぐったりもしなくていい! お互い協力してじっくりやっていこう!
 この声は少女のものであって、決しておじさんのものでもオネエのものでもない!

「次は……この辺はどうかなぁ……? フヒヒ……」
「やっ♡ にゃっ♡ ああ……ダメですっ……!」

 (ねば)つくような男の言葉に反応するように、少女は声をあげる。
 しかし言葉とは裏腹に、その声色(こわいろ)拒絶(きょぜつ)の様子はなかった。
 なんたることだ!
 その嬌声を放つのは雪村(ゆきむら)(さくら)初号(しょごう)()
 そう、勘のいい読者諸君はもう気付いているだろう!
 今まさに!
 あの()(れん)な雪村桜が、モブおじさんの(どく)()にかかろうとしているのである!

 ――《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》。
 モブおじさんの魔人能力であるそれは、指定した一つの概念(がいねん)排除(はいじょ)する『壁』を作る能力。
 ならばその力を使い、常識改変セクハラもできるに決まっている!
 細かいことは置いといて、そういうものなのだ!
 女の子とモブおじさんが同じ戦場に存在したとき、戦闘中エロが起こらないことなどあるはずがない!
 たとえ男が相手でも戦闘中エロが起こってしまうのだから、それは必然のことなのである!

「ああ……♡ そ、そんなとこ……(いじ)られたらぁ……!」

 オフィスデスクに体重を預けた桜は、その上半身をのけぞらせる!

「――桜、デフラグしちゃいますぅーーー!」
「……デフラグかぁ」

 モブおじさんは桜の首筋(くびすじ)をくすぐりながら、少し残念そうにそう(つぶや)いた。

 説明しよう!
 デフラグとは、デフラグメンテーションの略でデータ格納領域内にて断片(フラグメント)化したデータを整理する行為である!

 ……説明しよう!(二回目)
 常識改変エッチ! それは()(かん)(どう)(おさ)める魔人が誰もが(あこが)れる、和姦道の(きょく)()である!
 雪村桜初号機相手にモブおじさんがそれを(こころ)みるのも、当たり前のことだ!
 だがしかし!
 そこでモブおじさんに誤算が発生した!
 予算の関係で桜に生殖機能は実装されていなかったのである!
 なんてことだ予算不足!
 仮想通貨が暴落していなければ、きっとマッドサイエンティストである雪村詩織(制作者)は雪村桜初号機に無垢(むく)なる性を追加実装していたはずである!
 そうなれば無知な雪村桜に性教育を(ほどこ)すモブおじさんという、誰もが録画したくなるような光景が全国中継されていたに違いあるまい!

 しかし現実に、桜に性機能は存在しないのである!
 それでもモブおじさんはそんな世知辛い現実を前にして、戦うことを(あきら)めなかった!
 モニターの前の観客たちの為に、モブおじさんは桜の体を隅々(すみずみ)までまさぐり性感帯(せいかんたい)を探る!
 なぜなら痛覚や触覚が存在するということは、快楽(かいらく)も感じる可能性があるからだ!
 (なか)ば確信めいた物を感じつつ、モブおじさんは桜の体を触りまくっていた!

 ――そしてその予想はやはり正しかった!
 そうしたモブおじさんのねっとりとした(あい)()によって、試合が始まってからの短い時間の間で桜は今や嬌声あげるようになっていたのである!
 なんという和姦道の技術だろうか!
 ――しかし。

「ならここは……どうだぁ!」

 桜の背筋をモブおじさんの指先が滑る!
 彼女はそれにビクビクと体を震わせながら、声をあげた。

「ふわぁぁ……♡ こんなのされたら……桜、ビジー状態になって新規タスクが受け付けられませぇん……!」
「うーん……感じてる……のか……?」

 モブおじさんこと茂部(もぶ)安康(あんこう)は和姦道の()範代(はんだい)である。
 よって男女問わず身体(からだ)(よろこ)ばせる(すべ)には()けていた。
 だがサンプル花子のような生体アンドロイドならまだしも、ここまでメカメカしい桜のようなロボットを相手にするのは初めてであり、彼は困惑を隠せないでいた。
 茂部の触れた桜の肌は、極めて硬質的だ。
 表面の皮膚はおそらくシリコンなどの軟らかな材質でできているのだろうが、その奥には脂肪の()わりに硬質な素材が使われている。
 そんな明確に機械を彷彿とさせる雪村桜初号機相手では、自身の愛撫がしっかりと()いているのか茂部は確信を持てないでいるのであった。

「――『生きているのなら、神様だってイかせてみせる』」

 茂部は自己暗示のために、その言葉を(とな)える。
 それは和姦道が聖人認定している、()(とう)(たか)の言葉だ。
 桜はメカニカルなアンドロイドではあるが、その様子からすればきっと彼女は生きている。
 ――ならば、イかない道理はない!

「和姦道強引系秘技――『お客さん、こってますねぇ』!」

 茂部の両手が、桜の両肩を()みしだいた!
 マッサージとは血行を良くし、気分を盛り上げる効果を持つ。
 つまり肩揉みであろうと、それは愛撫である!
 茂部の大きな手が桜の肩全体を広く揉み、そしてその硬質な体の奥の奥まで指が沈み込んだ!

「ひゃっ♡ あっ♡ だめっ♡ それっ……! ああっ、何か――何か来ちゃいそうです!」
「ふひひひ~! 体をリラックスさせて……快感を受け入れなぁ~~~!」

 桜の(あえ)ぐ声が次第に大きくなる!
 漏れ出るその声が徐々に(つや)を帯びていき――!

「ああ……桜、桜……このままじゃフォーマットされちゃいそうです……! 頭の中が……真っ白に――!」
「そうだ! その調子で――レッツオフィスラーブッ!」

 二人の声がオフィスビルの一室に響き渡った!
 勘違いしてはいけないが、肩を揉んでいるだけである!
 決していやらしいことをしているわけではない!

 ――そして、ついに桜が絶頂に(たっ)しようとしたそのとき!

「――緊急データ保護システム作動。『対クラッキング用攻性防壁《桜ファイヤーウォール》』を起動します」
「……ふぁ?」

 茂部が声をあげると同時に、部屋の中を爆炎が包んだ。


  ◇


「はぁ……。もう、何が『オフィスビル街』よ。よりによって、東京砂漠を選ぶ? 普通」

 熱い日差しが照りつける中、砂漠の中を澪木祭蔵が歩いていた。
 彼はスーツの上着を既に脱いでいたが、それでも止まらない汗がシャツを体に張り付かせる。
 うだるような暑さを感じながら、澪木は三年前のテロの影響によって砂漠と化したあたりの景色を見渡した。
 砂漠の中にそびえ立つ、六本木という名の由来にもなった六本の世界樹(ユグドラシル)が、砂に沈みつつあるビル群を見下ろしている。

「世界有数の近代都市だった東京も、今やこの有様……か」

 テロがあった当時、澪木は民間軍事会社に在籍して海外を飛び回っていた為、日本にはいなかった。
 しかし東京の荒廃(こうはい)による日本の国力の低下を放っておけず、彼は生まれ育った故郷の日本へとこうして戻ってきたのである。

「……市民に暴力を振るうアブナイ奴は、取り締まらなきゃね」

 澪木はため息をつきながら、前方に見える巨大なサボテンを見上げた。
 高さ634mを誇る東京砂漠のシンボル、東京スカイサボテン。
 六本の世界樹(ユグドラシル)の中で一番巨大なそのサボテンを中心とした2km四方のエリア――それが今回の戦場だった。

 ――他の二人はもう、あの中に潜んでいるのかしら。それとも、ビル群の中か……。

「……どっちにしろ、行くしかないか」

 澪木は目を細め、東京スカイサボテンを見据える。
 世界樹(ユグドラシル)は東京砂漠地下深くに埋蔵された油田と太陽光を利用して電力を供給する天然のエネルギー機関だ。
 東京スカイサボテンもその一つで、その中は所々くり抜かれておりオフィスビルとして使われている。
 澪木が今いるこの空間は国土交通省の魔人が現実の東京砂漠からコピーしたものではあるが、東京スカイサボテンの中は現実と同じく冷房も完備されていることだろう。
 そこは周囲の砂漠からの敵を迎え撃つには、うってつけの場所であった。
 澪木はエリアのやや外れた位置に転送されたので、到着には少し時間がかかる。
 だが澪木には、引くという選択肢はなかった。

「――残念だけど日本には、守らなきゃいけない法律があるの。刑法77条だったかしらね……法を法とも思わない犯罪者に願いを譲ってあげるほど、私たちは甘くないわ」

 澪木は一人、自分に言い聞かせるようにそうつぶやく。
 彼は法の番人である。裁くのは彼ではなく検事であり裁判官だが、司法の第一線たる被疑(ひぎ)(しゃ)確保の役目を(にな)うのが彼ら警察官だ。
 故に澪木はこの戦いに負けられない。
 対戦相手同士が潰し合ってくれてもいいのだが、万が一でも片方が無傷で生き残られてしまうと一対一になってしまう。
 それよりならば、乱戦のうちに攻撃を集中させて目的の相手を倒してしまった方が確実であった。

「――あっちはさておき……アナタにはここで負けてもらわないといけないのよ」

 澪木は標的となる相手を思い浮かべて、ポケットにしまい込んだ『武器』を握る。
 そこに忍ばせているのは米国企業の製品で、蛇の名を冠する拳銃だ。
 澪木は普段の公務において、銃器を一切使用しない。
 だがそれはあくまでも警察官の立場として、飲酒時の射撃行為を控えているからに過ぎない。
 この超法規的な大会の中、警察官としての立場を隠している状態なら銃の使用を躊躇(ためら)う必要はなかった。

 ――当たってくれると、いいんだけど。
 澪木は心の中で苦笑する。
 彼が民間軍事会社に在籍していたとき、銃は身を守る為の必須装備であった。
 決して射撃が苦手というわけではないが、日本に来てからは訓練以外で使っていないのでブランクは否めない。
 わずかな緊張を感じながら、澪木は慎重に歩みを進める。
 ――先に陣取られていたら、狙撃されたりすることも十分ありえるかも……。
 澪木が若干の不安を憶えて東京スカイサボテンを見上げた――その瞬間。
 激しい振動が、彼の足下を揺らした。

「なっ……!?」

 ズズン、という重い衝撃。
 見れば東京スカイサボテンの中腹から煙が上がっている。

「爆発……!? もう始まっちゃってるの……!? ――もう、せっかちな子たちなんだから!」

 澪木は舌打ちを一つして、急いで走り出す。

 そうしてオフィスビル街の三つ巴の戦いが始まった――。


  ◇


「ううぅぅ……。桜……桜、汚れちゃった……」

 東京スカイサボテン、一階ロビー。
 ミズリー社の空色の自動販売機にもたれかかり、雪村桜初号機は半泣きになっていた。
 会場からこの東京砂漠に転送され十数分。
 彼女はまず高所を抑えようと、東京スカイサボテンの中を駆け上り屋上のレストランを目指していた。
 しかし音も無く接近したモブおじさんに何か不思議な(じゅつ)で抵抗する意思を奪われ、体を弄くり回されてしまう。
 ただの触覚センサーであるはずの皮膚を、リズミカルに撫でられる未知の感覚。
 桜は初めての快感に恐怖を感じていた。
 そんな桜のピンチを救ってくれたのは――。

「……ありがとう、お母さん」

 桜は(ひざ)を抱えて、制作者である母へと感謝する。
 母が桜の体に仕込んでいた桜七大兵器の一つ、『対クラッキング用攻性防壁《桜ファイヤーウォール》』。
 それは桜の頭が真っ白にフォーマットされてしまいそうなときに自動発動する兵器で、エネルギーの九割を爆発に転化する攻撃型の保護装置だ。
 なお、過去に四度ほど雪村ラボを爆散させている。
 ファイヤーウォールが無ければ、モブおじさん相手に簡単に敗北していたかもしれない。
 同じ頃、雪村ラボの面々も桜の状況を監視しながら胸をなで下ろしていた。
 みんな、セキュリティは大事だぞ! 気をつけろ!

「……そろそろ、大丈夫かな」

 桜は本来であれば自動販売機が使うはずのコンセントに、自身の(へそ)から伸びたケーブルを伸ばしていた。
 それは桜七大兵器の一つ、『残された最後の良心《桜カウボーイ》』である。
 桜は《桜ファイヤーウォール》によってエネルギーの大半を消費してしまった為、こうしてケーブルをコンセントに接続して電力を補給していたのであった。

「ごちそうさまでした」

 桜はそう言って、自動販売機に向かって手を合わせる。
 魔人能力によってコピーされた(かり)()めの存在とはいえ、自動販売機は桜と同じく人に作られた物だ。
 桜にとっては、まるで兄弟のような物なのである。

「――お(ぎょう)()、良いのね」
「ひゃうゎっ!」

 びくんっ! と体を跳ねさせつつ、桜はその声に振り返りながら立ち上がった。
 そこにいたのは長身スーツの男性。その手にはアルミ製の缶。
 桜は頭の中で、即座にデータベースを検索した。

「ええっとあなたは……オカマさん!」
「澪木よ! 澪木祭蔵! ……もう、調子狂っちゃう」

 桜は澪木の存在を認識して、緊張から体を(こわ)ばらせる。
 桜と澪木の距離は10メートルほど。澪木は入り口から普通に入ってきたところのようで、自動ドアを背にしていた。
 声をかけられなければ、桜は不意を突かれていたかもしれない。
 掃除機の電源ケーブルのようにシュルシュルと『桜カウボーイ』を収納しつつ、桜は澪木に向かってぺこりとお辞儀(じぎ)をした。

「雪村桜初号機です。よろしくお願いします」
「……あら、意外。きちんとコミュニケーション能力があるのね。一回戦を観ただけだと、戦闘マシーンって感じだったのに」
「えへへ、()められた……! ありがとうございます」
「……べつに褒めたってわけでもないんだけど」

 桜は澪木の言葉に、思わず「にへー」と緩んだ笑みを浮かべてしまう。
 澪木は目を細めながら何か思案するような顔を浮かべた後、ひらひらと缶を持っていない方の手を振った。

「……一つ交渉したいのだけど、どうかしら。見ての通り、敵意はないわ」
「こ、こうしょう……!?」

 桜は澪木の言葉にフリーズする。
 ――こういうときはどうしたらいいんだろう……助けて、お母さん!
 彼女はまだ生まれて二年。
 日々人工知能により学習はしているが、交渉事についての知識など持っていなかった。
 困惑する桜に、澪木は笑いかける。

「そんなに緊張しないで。……実は私おまわりさんなのよ。本当は言っちゃダメなんだけどね。あなたに協力して欲しいの」
「は、はあ……」

 桜は頭の中をフル回転させる。
 おまわりさん。警察。警察は、悪い人を取り締まる人で――。
 そんなメモリ容量いっぱいいっぱいに頑張っている桜に構わず、澪木は言葉を続けた。

「――エントリーネーム『モブおじさん』。老若男女問わず暴行する、とんでもない淫魔人よ。あいつを放っておくわけにはいかないわ」
「……あ! 桜、さっき会いました! ええっと、体を触られて……なんだか変な気持ちにさせられて」
「そう……可哀想(かわいそう)に。怖い目に()ったわね」

 カツ、カツとフロアに足音を響かせながら、澪木が桜に近付く。
 そしておもむろに、桜の体を抱きしめた。

「――もう大丈夫、安心して。あなたの貞操(ていそう)は、私が守ってあげるわ」
「あ……」

 ほのかに漂う消毒液(アルコール)の匂い。
 その匂いは、桜にとって雪村詩織(お母さん)の匂いでもあった。
 桜はその胸に顔を(うず)め、うっとりと目を細める。
 澪木はその体を離して、桜に笑みを向けた。

「教えて欲しいの。……アイツはどこ?」

 澪木の問いかけに、桜は首を横に振った。

「……わからないんです。さっき桜のエネルギーを全部使って爆発しちゃったんですけど、そのとき床が崩れたのと一緒にどこかに……」
「……爆発? それって――」

 澪木がそう言いかけた時。

「――フヒヒヒヒヒ……!」

 その言葉を(さえぎ)り、男の声が響いた。
 桜と澪木が、声のした方に目を向ける。

「楽しそうな相談じゃないかぁ……! おじさんも混ぜてくれないかぁい……!」

 正面階段の踊り場。
 そこには下卑(げび)た笑みを浮かべながら()つん()いで二人を見つめるモブおじさんがいた。

「現れたわね――モブおじ! イカした髪型してるじゃない……!」

 澪木は吐き捨てるように言い放つ。
 モブおじさんの頭は、今は《桜ファイヤーウォール》の効果でアフロヘアーとなっていた。

「フヒヒィ……! さっきは死んだかと思ったが、間一髪(かんいっぱつ)爆発を防ぎ切ることができたぜぇ……」

 あちこちが黒焦げになったスーツを着ているモブおじさん相手に、桜と澪木が構える。
 澪木が小声で、桜の耳元に(ささや)いた。

「……桜ちゃん、悪いんだけど(おとり)をしてくれないかしら? 私に考えがあるの」
「え!? は、はい! 桜は頑丈(がんじょう)なので、任せてください!」

 桜の元気の良い即答に、澪木は笑って頷く。
 桜は母と同じ匂いのする澪木に、背中を預けることにしたのだった。
 二人は目と目で合図を()わし、同時に飛ぶ。
 桜は前へ、澪木は横に。

「グゥェーッヘェ~! お嬢ちゃんが相手かぁい! エッチな事をされるのが(くせ)になっちゃったのかなぁ~!?」
「そ、そんなことないですっ!」

 桜は冷却器(ラジエーター)の作用によりその(ほお)をほんのり赤らめつつ、モブおじさんのもとへと(せま)る!
 一方の澪木は、東京スカイサボテンの受付カウンターの影にその身を滑り込ませた。
 ――接敵!

「さ、さっ……桜ぱぁんちっ!」

 桜には桜七大兵器があるが、《桜レーザー》なんかはめちゃくちゃ痛いのでできれば使いたくない!
 それに今回は囮である。
 ――隙を作ることができればそれでいいし……でも、やっぱり怖いぃ!
 桜が泣きそうになりながら、いやらしい笑みを浮かべたモブおじさんと肉薄(にくはく)する!

 ……そのとき!

「――この瞬間を、待ってたの」

 澪木が、笑った。


  ◇


 銃声。

 ドサリ、と。
 銃弾を受け、膝から崩れ落ちる音が響く。
 澪木は遮蔽物(しゃへいぶつ)に体を隠しつつ、マグナム銃を構えていた。
 ――対魔人マグナム弾『.357逆鱗弾(げきりんだん)』。
 エネルギー庁のエージェントから渡されたその武器は、防御力の高い魔人の装甲すらも(つらぬ)く威力を持っていた。
 澪木は注意深く標的の様子を伺いつつ、口を開く。

「……刑法第77条、内乱罪。国の統治機構を破壊し秩序を壊乱(かいらん)することを目的として暴動をした者は、死刑又は無期(むき)(きん)()(しょ)する」

 三年前に起きた、世界征服を目論(もくろ)む一人の狂った科学者による最悪のテロ事件。
 その爪痕(つめあと)は、今もこの国の首都に東京砂漠という形で残っている。

「……恨むならあなたの制作者を恨みなさい」

 澪木は静かに狙いを定める。

「――さようなら、雪村桜」

 澪木は続けて、倒れる桜の背中へと銃弾を打ち込んだ。

「ぎゃぅっ」

 声にならない声をあげて、桜の体が跳ねる。
 銃の反動に、澪木の肩が(しび)れた。

「"他に気を取られて油断した背中"、"勘づかれたときの為の、レーザーを防ぐ事ができる距離と遮蔽物"――」

 澪木は桜から目を()らさず、立ち上がってゆっくりと近付く。
 それに気圧(けお)されるようにして、モブおじさんは後ろへと下がった。

「アナタには厄介な兵器が搭載(とうさい)されているからね。状況がきちんと(そろ)う瞬間を狙ってたの。……確実に、処分する為に」

 澪木が桜のもとにたどり着く。
 そしてそのまま、ノータイムで頭を撃ち抜いた。
 桜の顔半分が破壊され、奥の機械構造が()(しゅつ)する。

「――ごめんね」

 澪木は桜に向かってそう言うと、視線をモブおじさんへと移した。

「あなたは――残念だけど立件できないのよね。強姦罪(ごうかんざい)強制(きょうせい)性交等罪(せいこうとうざい)になって親告罪じゃあなくなったけれども、その規定としては『暴行又は脅迫(きょうはく)』……つまり和姦じゃあ罪にならない」

 モブおじさんの被害を受けた者は、それを(おおやけ)にしたがらないどころか(かば)う傾向にすらある。
 なので警察としては、その存在は把握していても手も足も出せない状況にあった。

「……だからここからは選手としての戦いよ」

 澪木は銃口をモブおじさんへと向ける。
 それを受けて、モブおじさんは口の()をつり上げた。

「こりゃあ……とんでもないおまわりもいたもんだ。対テロリストの為に潜入捜査官がいるなんて噂はあったが、まさかあんたとはね」
「――ふふ。なんのことかしらね。私は米農家で、最近は魚沼産コシヒカリがマイブームなの」

 澪木は自営業者として用意しておいた偽のプロフィールを提示する。
 そして片方の手に持っていた、ストロングゼロの缶を(あお)った。

「細かいことは気にしちゃダメよ。――あなたはここで、負けるんだから」

 澪木の言葉にモブおじさんは笑みを消す。

「……試してみるかい」

 モブおじさんが和姦道の構えを取る。
 対する澪木は、民間軍事会社時代に習得したマーシャルアーツの構え。
 二人の間に、一瞬の沈黙が流れた。

「――侵犯(おか)し尽くせ! 《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》!」
「――パレードの始まりよ! 《TDL(ティー・ディー・エル)》!」

 二人の能力が、激突した。





〈ニ〉


 ――おい誰だ桜に酒を飲ませたのは!
 ――0才児に酒を飲ますな!

 喧噪(けんそう)の中、雪村桜はただ笑っていた。
 それは桜の原初(げんしょ)の記憶。
 起動したばかりでまだ何もわからないときのこと。

「――桜、無事に起動してくれて、ありがとうな……」

 制作者である雪村(ゆきむら)詩織(しおり)が、アルコールの香りをさせながら桜の肩を抱いた。
 桜の温感センサーが、触れ合う肌からその(ぬく)もりを感じる。

「何度も何度も、もうダメだと思った。この国を根本(こんぽん)から治そうと戦って、それでも敵は強くて……。父も死んで、兄も死んで、妹も――生まれることなく母と一緒に死んでしまった」

 きっと詩織の妹が生きていれば、今は桜の外見年齢と同じほどの歳だったろう。
 何人もの犠牲者が出て、何人もの同胞(どうほう)が散っていった。
 そんな犠牲(ぎせい)の果てに、雪村桜初号機はここにいる。

「だけど今度は成功したんだ。きっとお前は世界を七度すらも滅ぼせる力を持っている。……だから桜、お前は私の――私たち雪村ラボの、そして人類の希望なんだ」

 詩織がその瞳に涙をためて、桜に語りかける。
 その姿を誰かと重ね合わせるように。

「この国を、世界を――人々を救ってくれ、桜」

 詩織の言葉に、桜は頷く。
 その願いはマッドサイエンティストと称される雪村詩織の、心からの願い。
 一度統合されなければ、この腐敗(ふはい)した世界を正すことなどできない。
 故に彼女は圧倒的な力を求め続けた。

「……さくさくさく。――はい、ドクター」

 ならばそれに(こた)えよう、と桜はあの日誓った。
 (いま)だ忘れ()ぬ彼女が起動した日の誓い。

 ――雪村桜は、人類を救済します。
 誕生を出迎えてくれた人たちの笑顔の中で、雪村桜初号機はそう心に刻み込んだ。



 ――それなのに。
 桜の意識が急速に現実へと戻ってくる。

動力炉(リアクター)破損。エネルギー残量減少、残り7%』
駆動装置(アクチュエーター)破損。可動率18%』
記憶装置(メインメモリ)破損。読み込みエラー。保護の為データ退避中。残り54%』

 桜の視界に、次々と絶望的なシステムメッセージが羅列(られつ)されていく。
 さきほどの走馬灯(そうまとう)のような記憶も、情報を処理しているシステムが見せた幻だ。

 ――このまま死ぬのかもしれない。
 桜はぼんやりとした頭でそう思考した。

 ――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ……。こんなところで、負けたく、ない……。
 ここで負けることは、人々の幸福を願い醜悪(しゅうあく)な現実を憎んだ母への裏切りだ。
 桜は彼女の想いを引き継いだはずなのに、そんな母の望む理想の世界をまだ用意できていない。

 ――これじゃあ生まれてきた意味がない……! 存在した価値がない……!
 桜が腕に動作命令を出す。
 しかし間接の駆動装置(アクチュエーター)は空回りするばかりで、言うことを利かない。
 冷却器(ラジエーター)の動作不良により、冷媒液がメインカメラからこぼれ落ちた。

 ――お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい。桜はきっと――失敗作だったんです。
 そうして彼女は諦める。
 母の願いを。この世界に生まれた意味を。自分の存在価値を。

 ――桜の、存在は、なんで、人類の、救済を、だって、大量破壊、兵器、見捨てないで、お母、さ、ん……。
 意識が散逸(さんいつ)していく中、桜は自身の作られた理由を世界に問いかける。

 ――ああ、もしも。

 そして。

 ――もしも、全ての力が十全(じゅうぜん)に使えていたなら――。

 そのときは、(おとず)れる。


『エネルギー残量――25%』
『――84%』
『――162%』
『――490%』
『――1228%』


 桜の中で、何かが弾けた。


『――終末兵装《桜エクスマキナ》を起動します』



  ◇


「このっ……! 汚い豚ね!」
「ブヒィィィイイ!」

 スパァン! と澪木の蹴りが豚のケツを叩いた。
 澪木に対するは《TDL(とっても・Dreamのような・嘘)》の効果によって豚人間と化したモブおじさん!

「なんで……あんたそんな汚い恰好(かっこう)なのよ! おかしいでしょ! カートゥーンよカートゥーン! ダークファンタジーじゃないってのに!」
「んなこと俺に言われても! 俺こそ説明求め(たも)う! これどうしようも無いマジリアル! こうなりゃライブで混じり合う!」

 豚人間(オーク)
 それは現実に存在する亜人(あじん)(しゅ)である。人の基準では(みにく)い豚の顔と、ガタイの良い体付きを持ち、ヒップホップをこよなく愛する種族だ。
 創作物ではよく悪役とされることが多かったが、最近は人権団体がうるさい為、扱いが難しくなっている。
 そんな姿になってしまったモブおじさんは、(ライム)を刻みながら(なげ)く。

「俺も願わばカートゥーン! だけどこの身はカツ(ドゥーン)! さっさと焼こうぜエルフの村! とっさに出てくるオークの(サガ)!」
「……うん、なんか意外と似合ってる気もするわね」

 ため息を吐きつつ、澪木が銃を構える。
 それに対してオークおじさんはまるで盾を構えるかのように手を突き出した。

「『拒絶(リジェクト):銃弾』! やめろよ、冗談!」

 《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》は指定した概念一つを拒絶する能力だ。
 『.357逆鱗弾』は一撃で魔人すらも戦闘不能に追い込むような高威力の銃弾。
 それを拒絶することで、オークおじさんはこれまで致命傷を負わずに済んでいた。
 ――しかし。

「――う・そ☆」

 澪木は銃を持つ手を大きく後ろに引いて、その勢いのまま一回転。
 まるでダンスのステップを踏むかのように、後ろ回し蹴りを放つ。
 その長い足による鋭い技は、オークおじさんの顔を蹴り飛ばした。
 オークおじさんはその勢いを殺しきれず、背中から地面へと叩き付けられる。

「ファック……! 熱いリリックだぜ……!」

 オークおじさんはすぐに立ち上がるも、その表情は険しいものだった。
 澪木はオークおじさんの挙動を警戒するように、銃をちらつかせる。

「――あなたの一回戦、見させてもらったわ。(わらべ)くんとのお話も(あわ)せてね。……あなたの『盾』がある限り、こっちからの遠距離攻撃は通用しない」

 ――《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》は異物を()し取るフィルターのような結界を張る能力。
 それは一回戦でモブおじさん自身が言った言葉だ。
 戦場にはいたるところにカメラとマイクが設置されている。よってその言葉も、澪木は聞いていた。
 澪木はオークおじさんの表情を伺いながら、言葉を続ける。

「だけど一回戦を見る限り、その『盾』を複数枚張ることはできない。つまりこの拳銃を向け続けることで、実質あなたの能力は封印される……」

 それが澪木の考え出した、《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》の攻略法。
 銃の照準(しょうじゅん)()えず合わせ続けることによる、選択(せんたく)()拘束(こうそく)

「あと厄介だったのはあなたの戦闘力ね。私の近接戦闘能力じゃあ、和姦道には勝てない。……でもそれも、《TDL(ティー・ディー・エル)》で封じてしまえば――」

 澪木がまっすぐにオークおじさんの体を見つめる。
 日頃使い慣れた達人(たつじん)の体とは、それ自体が一種の武器なのである。
 当然、モブおじさんも普段使い慣れないオークの体では、ライムを刻むことはできても和姦道を使いこなすことはできない。

「――これで"詰み"よ。……楽しかったわ」

 澪木がそう言って、床を()る。
 銃、蹴り、ストロングゼロ。
 澪木は三つの攻撃の選択肢をオークおじさんに突きつける!
 オークおじさんが覚悟を決め、いずれかの攻撃に備えてそれを迎え撃つ――!

 ――その瞬間、閃光が辺りを包んだ。

「――これはっ!?」

 澪木はとっさに振り返り、その姿を確認する。
 東京スカイサボテン一階ロビーの中心。
 そこには今、太陽があった。
 (まぶ)しく輝く光の中心には、子供が描いたような簡素な目と口がある。
 そこに先ほどまで横たわっていたのは――。

「マズッ……! 雪村桜、まだ生きてたのね……!」

 その太陽はおそらく、雪村桜初号機の残骸(ざんがい)だ。
 『.357逆鱗弾』は人間の頭に当たれば粉々に吹き飛ぶほどの威力を持っている。
 だからこそ、三発も体に受けてまだ息があるという状況を澪木は見落としてしまっていた。

「《TDL(ティー・ディー・エル)》、解除――!」

 澪木は慌てて能力を解除する。
 ――そしてその隙を、モブおじさんが見逃すはずはない!

「『ちょっと休憩するだけだから』!」

 モブおじさんの放つ和姦道の組み技!
 澪木はそれにバランスを崩され、床に叩き付けられる!

「くっ……!」
「形成逆転だなぁ……フヒヒィ」

 澪木は銃を持つ方の手をひねり上げられながら、顔を歪めた。
 苦痛に喘ぎながらも、なんとか言葉をひねり出す。

「待ちなさい……! モブおじ……!」
「あぁぁ~~ん!? この後に及んで(いのち)()いかぁ~!?」

 笑うモブおじに向かって、澪木は叫んだ。

「――雪村桜から目を離しちゃダメ!」
「……へあ?」

 ピッ、と。
 甲高い電子音と共に、モブおじさんのアフロが焼き切られた。

「な……なにぃー!?」

 モブおじさんが叫ぶ。
 その視線の先に、瀕死(ひんし)だったはずの雪村桜初号機が立っていた。
 物理的に支えることができないほどに撃ち(くだ)かれたはずのその体は、いつの間にか完全に修復されている。

「モブおじ! 放して! 今ならまだ間に合うかもしれない!」

 モブおじさんは澪木の言葉に一瞬迷った後、その体を解放した。
 瞬間、澪木は銃を構え直して桜に弾丸を撃ち込む。

 銃声と共に、雪村桜の頭が砕け散る音。
 眉間(みけん)の中央に当たった『.357逆鱗弾』は、その頭を()()みじんに吹き飛ばす。
 ――しかし次の瞬間、弾け飛んだはずの桜の頭が一瞬で再生した。

「な――なんだ、ありゃあ……! 自己再生……!?」
「……まずいわ、間に合わなかったみたい。やはり搭載していたのね……!」

 澪木が舌打ちをする。

「東京砂漠を作る原因ともなった災害級兵器――シールド・プリズン……!」

 封印されし牢獄(シールド・プリズン)
 別名葉山機関とも呼ばれるそれは、雪村ラボが三年前に発明した細胞増殖システムだ。
 とある魔人の能力を研究して作られたシステムで、その力は――。

「あれは無機物を()尽蔵(じんぞう)に取り込んでいくシステムよ。平たく言えば、物凄い吸収と自己再生能力ね。三年前にそのシステムが起動されたときは、六本木周辺が三日で砂漠化しちゃったらしいわ」
「……それ、ヤバいんじゃないか?」
「ヤバいなんてもんじゃないわ――よっ!」

 澪木とモブおじさんの会話を遮るように、《桜レーザー》が放たれた。
 二人は同時に受け付けカウンターの裏へと飛び、それをやり過ごす。
 息を吹き返した雪村桜は、叫び声を上げた。

「さく……さく、さくさくさく、痛い痛い痛い! お母さん痛いよう、痛いようぅぅ! さくさくさくさく! うぇぇぇええん! 痛いようぅぅ! オカアサァァアン!」

 目から無数のレーザーを放ちつつ、桜はロビーの壁のあちこちを焼き始める。
 まるでそれは、彼女の流す涙のようだった。
 モブおじさんは小声で澪木に詰め寄る。

「お、おいおい! なんかあの子、暴走してる気が……!」
「うーん、頭をぶち抜いたのが悪手(あくしゅ)だったかしら」
「冷静に反省してる場合じゃない! ありゃ早いとこなんとかしないと……!」
「わかってるわよ! ……アレが会場に帰ったらマズいわ。間違いなく死人が出る」

 澪木はちらりと桜の様子を覗き見る。
 見れば雪村桜の体は、今はミズリー社の自動販売機と融合(ゆうごう)していた。
 壁のコンセントにケーブルを突き刺して、電力を常に補給しているようだ。
 モブおじさんもその様子を覗き込みつつ、澪木に尋ねた。

「それにしたって、なんで突然そんなヤバイもんが……。元からあの子にそんな機能が搭載されてたのか?」
「……シールド・プリズンは、起動に莫大(ばくだい)なエネルギーが必要になるの。日本の発電所を全部合わせたぐらいの、ね。だから本来であればあのシステムは起動しないはずだった。たぶん、今あれが起動した原因は――」

 澪木は自身の(ひたい)に手を当てて、ため息をついた。

「――おそらく、私のせい。私の能力が、あの子を覚醒(かくせい)させてしまったのよ」
「覚醒って……。そんなあの子に都合(つごう)の良いことが起こるもんか……?」
「……それが起こるもんなのよ。私の能力、結構そういうところあるから」

 澪木は思い出す。
 思えば一回戦だって、最初は総理のことを単純強化してしまったかと思ったぐらいだ。

「私の能力は、付近の人間を無差別にカートゥーン化する能力なの。もちろん、私自身は例外だけどね」

 澪木はそう言って、レーザー光が溢れる中でストロングゼロを呷った。
 アルコールを摂取することによって、思考がクリアになっていく。

「――たぶん桜ちゃんは、まだ自我が確立していなかった。そういう赤ん坊みたいな子は、水とか風とかの形があやふやな自然に関連するカートゥーンキャラクターになりやすいの。……だからきっと桜ちゃんがなったのは、太陽のカートゥーン」
「……ははぁん。元気そうなあの子にお似合いの姿じゃあないか」

 モブおじさんの暢気(のんき)な言葉に澪木は頷く。

「……そうね。あの子はまっすぐな明るい子だから。そうして太陽――エネルギーの結晶体となった桜ちゃんは、自身の体にそのパワーを取り込んで、シールド・プリズンを起動したのよ」
「太陽のエネルギー……核エネルギーか。そりゃ強力だ。……何か止める方法はないのかい」

 モブおじさんの問いかけに、澪木は顔をしかめた。

「……公安の情報によれば、シールド・プリズンは活動自体にも大きなエネルギーを食うはずよ。もしかしたら、このまま放置しておけばエネルギー切れを起こすかも――」
「――さくさくさくさくさく、あああああぁぁぁ!」

 澪木が言いかけたところで、桜は叫びだした。
 その右腕の形がガシンガシンと音を立てて変形し始める。

「サクラァァァ……《桜ドリルゥ》ゥウ!」

 その右腕が三角錐(さんかくすい)の形になると、ギュルルルル、と音を立てて回転し出す。

「痛い痛い痛い痛い! 手首がちぎれちゃうぅぅお母さん嫌だよぉぉ! 助けてよぉぉ!!」

 そう泣き叫びながら、桜は床を切削(せっさく)し始めた。
 その右腕は周囲にある東京スカイサボテンの建材を飲み込みながら、どんどん伸びて地下深くへと沈み込んでいく。

「さくさくさくさく削削削削!」

 突然床を掘り出した桜に、澪木とモブおじさんは顔を見合わせた。
 桜が何をし始めたのか、二人は理解できない。
 しかしその桜の行動をしばらく観察し、澪木がその行動が示す可能性に気付く。

「もしかしてあの子……石油を掘ってるんじゃあ……!」

 石油!
 東京砂漠の地下には、石油が埋蔵されている!
 後天的ながらも砂漠なのだから、石油があるのは当たり前のことである!
 だがその源泉はあまりにも地下深くに位置する為、日本政府は未だそれを掘ることができないでいた。
 しかし周囲の砂すらも取り込んでしまうシールド・プリズンの力なら――埋蔵された石油に到達することが可能!

「もう、いい加減にして欲しいわね……。たしか東京砂漠の地下に埋蔵する石油は約100億バレル……エネルギーに換算すれば、核爆弾の10倍にはなるわ。そんなもの桜ちゃんが取り込んだら……」
「東京一帯が焼け野原になっちまうなぁ」

 モブおじさんの言葉に澪木は頭を抱えた。

「いったいどうしたらいい……! 考えなさい、考えるのよ澪木祭蔵! ……この空間は魔人能力で作られているから地下までは……いやでももしそこまで再現されていたとしたら……」

 ブツブツとつぶやく澪木をよそに、モブおじさんは首を傾げる。

「――ってことは何かい。あの子、もうエネルギー切れ間近ってことか?」

 その言葉に、澪木は顔を上げる。

「……そ……そうか! それよ!」

 見れば桜は、既に《桜レーザー》の照射を止めていた。
 それがエネルギー切れにより引き起こされた現象である可能性は、澪木には高いように思えた。

「きっと、東京スカイサボテンからの電力供給じゃ足りなくなってきてるんだわ!」

 ――見つけた。雪村桜を止める、一本の糸……!
 澪木は集中して、考えをまとめる。

「あとは……何かもう一つ……! 桜ちゃんが地下の石油地層に到達する前に、エネルギー切れを誘発(ゆうはつ)する方法があれば……!」

 そんな悩む澪木に向かって、モブおじさんが口を開いた。

「――それなら、一ついい考えある」

 モブおじさんはそう言って、いやらしい笑みを浮かべる。
 なぜだか嫌な予感がして、澪木は顔をしかめるのだった。


  ◇


「それじゃあ行くわよ。――遅れないでよね」
「ああ、任せときな。アンタこそ、無理してやられちまっても知らねえからな」

 二人は背中合わせで立ち上がる。
 雪村桜はその姿を視界に入れて、叫び声を上げた。

「さくさくさくさく――! 人類は……救済しないといけないんです!」
「――散開!」

 《桜レーザー》が放たれたのに合わせて、澪木とモブおじさんが左右に分かれた。

「《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》!」

 モブおじさんの姿が消失する。
 一瞬、桜はそれに気を取られるが、同時に澪木が前に(おど)り出た。

「――『ありのままに』」

 澪木はステップを踏み、踊り出す。
 それを迎撃(げいげき)すべく、《桜レーザー》が放たれる――!

「『夢追いかけるのよ――!』」

 しかしそれを澪木は歌いながら()けてみせる!
 それはまるで、澪木の愛するアニメ映画のミュージカルの(ワン)シーンのようであった!

「『ありのままに』」

 《TDL(ティー・ディー・エル)》の能力も使用していないし、ここは夢の国でもない!
 そこは現実の象徴(しょうちょう)たるオフィスビル街!
 世の中の醜いリアルが突きつけられる、乾ききった東京砂漠!

「『自由に生きるの――!』」

 しかしそんな中で――いや、そんな中だからこそ!
 澪木はより一層、美しく輝く!

「さくさくさくさく――! お母さぁぁんっ!」

 《桜レーザー》が澪木の頬を、肩を、(もも)を焼いていく!
 しかしそれでも澪木はすんでの所で致命傷(ちめいしょう)を避け続け、そしてその体で夢の国を体現すべく踊り続ける!
 今、彼こそが!
 この東京砂漠において、唯一の夢の国そのものなのである!

「《桜カウボーイ》――!」

 桜の腹部から何本もの触手が伸びる!
 それはオフィスビルに散乱していたLANケーブル!
 桜に取り込まれたケーブルが操られ、澪木の腕を(とら)えた!

「さくさくさく……お母さん! お母さん! お母さん! お母さぁん!」

 何本ものケーブルが澪木の体を拘束していく!
 身動きがとれなくなった彼を、桜は見つめた。

「やっと桜は、人間を救うことができます! お母さん、褒めてぇ!」

 桜は壊れたように叫び、その瞳の照準を澪木の心臓に合わせる。
 ――そのとき。

「『誰も、恐れ……ない――!』」

 ケーブルに首を()められながら、澪木が笑った。
 一瞬、桜の後ろに中年男性の姿が見えたからだ。
 それは舞台の閉幕(カーテンコール)の合図!

「『前を、向いて――!』」

 澪木が銃弾を放つ。
 弾は桜の腹部に命中し、その体を弾けさせた。
 すぐに自己再生が始まるが、そこから出たケーブルは千切れて澪木の拘束が解かれる!

「――『何も怖くはないわ!』」

 澪木の声と同時に、桜の背後から迫った男が襲いかかる!

 澪木が踊り、避けることに(てっ)していたのは桜の意識を逸らし、男を無事に背後まで忍び寄らせる為だ。
 澪木は限定的な状況でカートゥーンの世界に入り込む認識能力を持つが、それがなくとも魔人として高い身体能力を持っている。
 ならば、避けることに専念してさえいれば桜の攻撃に数秒間耐えることも可能なのである。
 それは決して、勢いに任せただけのミュージカルダンスではない。
 澪木のカートゥーン認識改変能力は発動していないし、彼はただ真摯(しんし)に桜の目線を追って光速のレーザーを避け続けていただけである。

 全てはこの一瞬を作り出す為の、命を賭けた論理の積み重ね。
 そしてその一瞬に導かれた男が――声を上げる!


「《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》! 『拒絶(リジェクト):苦痛』!」

 桜が背後に現れたモブおじさんの姿に気付く。
 モブおじさんの手には、一本のプラスチックボトルが握られていた。

 それは、一回戦で用意していなかったばかりに彼が積極的に攻めきれなかった理由となってしまった物!
 モブおじさんは反省し、二回戦ではそれをポケットに忍び込ませていたのである!

「和姦道究極奥義――『ヌルヌル全身ローションマッサージ』!」

 モブおじさんは持ち込んでいた潤滑油(ローション)を桜の体にぶちまけると同時に、その全身に指先を這わせる!
 機械なのだから、潤滑油を差し込めば滑りが良くなるのは当然のことだ!

(ひじ)! (かた)! (こし)! (へそ)! (うなじ)!」
「はわっ!?」

 それはゼロコンマ一秒の極地。

(ほお)! (あご)! 鎖骨(さこつ)! (もも)! (くるぶし)!」
「あっ、やっ、ひっ!?」

 先ほどまで泣いていた桜はもう、そこには存在しない。

(くちびる)! 鳩尾(みぞおち)! 肩甲骨(けんこうこつ)! (ひざ)! 脇腹(わきばら)!」
「これはっ――! この、あったかい感覚は――!」

 苦痛を取り除かれ、そして突然与えられた快感の嵐に、桜は今()いていた!

(わき)! (しり)! 乳輪(にゅうりん)! 乳首(ちくび)!  恥丘(ちきゅう)!」
「――お母さん……!? お母さぁん――!?」

 桜は快楽のオーバーフローに、母を幻視する!
 一瞬の合間(あいま)もなく全身にもたらされた快感に、桜の奥の奥から激しい感情の奔流(ほんりゅう)がこみ上げてくる!

「こんなの、ダメ……! お母さんのことを考えながらなんて――こんな、気持ちっ……! お母さぁん……!」

 ともすれば、母への恋心を抱きかねないほどの激しい快楽と(ぬく)もり!
 母であり姉でもある雪村詩織の幻を見ながら、桜は快楽の階段を上り詰める!
 それを桜の人工知能の良心回路(セーフティロック)は、必死で拒絶した!
 異種族(いしゅぞく)近親相姦(きんしんそうかん)レズ! なんと(ごう)の深い幻想であろうか!
 ――しかし!

「お母さんとは……! そんな一線、絶対越えちゃダメなのに――!」

 桜の言葉に、モブおじさんはその口の端をつり上げた。

「――その境界(ボーダー)、越えてみな」

 そして最後の一手を、彼は放つ。

「……『背骨昇天竜(背中なぞられてゾクってするやつ)』ーー!」

 モブおじさんの指が、下から撫で上げるように桜の背中の中心を這う!
 その指使いに、未知の快楽が桜の全身を駆け巡った!
 今までに蓄積された快感が、背筋を昇って桜のCPUへと高負荷をかけていく!

「桜――桜、頭が真っ白になっちゃいますぅーーー!」

 その瞬間、モブおじさんは桜から体を離す。
 澪木に向かって飛び跳ねると、桜との間に立ち塞がった。

「《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》! 『拒絶(リジェクト):爆炎』!」

 同時に、桜の体が光りだす。

「……お母、さ――!」

 その言葉は、爆発の轟音(ごうおん)によってかき消された。


  ◇


 桜七大兵器の一つ、《桜ファイヤーウォール》。
 それは桜の頭が真っ白になってフォーマットされそうなときに発動する、エネルギーの9割を使い果たす防護装置だ。
 東京スカイサボテンの電力を取り込んでいた桜の爆発は、東京スカイサボテンの外殻(がいかく)全てを吹き飛ばした。
 そしてほぼ全てのエネルギーを使い果たした桜は今――。

「……お母、さん……どこ……? お母さん……」

 彼女が発動していた《桜エクスマキナ》ことシールド・プリズンは、エネルギー切れを起こしていた。
 エネルギーが枯渇したことにより、吸収していた自動販売機や東京スカイサボテンの建材が、次々と砂へと変質していく。
 そうして桜の体は、今やかろうじて右側の上半身が残るだけとなっていた。

「お母、さん……ごめんな、さい。桜……失敗……さく……さく、さく……」

 桜の残された瞳から、冷却水がこぼれる。
 澪木は、無言でそれを(ぬぐ)った。

「お母、さん、そこに、いるの……? ごめん、なさい……ごめ……ん……」

 澪木は思わず、息を詰まらせる。
 彼女に対して、澪木は何も言えない。
 彼は警察として親友を殺し、その弟から兄を奪った。
 そして今もまた雪村桜を殺し、その母を犯罪者として捕まえようとしている。
 澪木はそれを仕事として割り切っていた。――いや、割り切っていたはずだった。
 しかしその手は今も震えている。
 目の前の少女に、あのときの親友を重ねていた。
 そんな澪木の肩を、モブおじさんが叩く。

「――ママの代わりでもしてやったらどうだ」
「私には、そんな資格……!」

 澪木はそう言いかけ、桜の顔を見て口をつぐんだ。
 もう先は長くない。
 ――それなら。私がしてあげられることは。
 澪木は桜の頬に触れる。
 既に目も見えていないであろう桜は、パッと笑顔を浮かべた。

「おかあ、さん……?」
「……頑張ったわね、桜」

 澪木が彼女の頭を撫でると、桜は心底嬉しそうに笑う。
 澪木は笑って、そのまま撫で続けた。

「……あなたは謝る必要なんてないわ」

 ――それは。

「あなたが生まれてきてくれただけで、私は嬉しいの」

 ――ちょっとだけ、Dream()のような、Lie()

「……お、か……さ……、あ……りが……」

 桜はそう言いかけて、動かなくなる。
 澪木はそっと彼女のまぶたに手を載せて、その目を閉じさせた。


  ◇


 吐き出された紫煙が夕暮れの空へと昇る。
 男たちは砂漠に敷かれた残骸の上で、沈むゆく太陽を見送っていた。

「吸うか?」
「……遠慮しとく」

 澪木はタバコの代わりに、ストロングゼロを呷る。
 互いに無防備ではあったが、一服の時間を邪魔するほど相手が無粋ではないことをどちらも理解していた。

「私は――あの子に恨まれるかしら」

 澪木は問う。
 まるで自分に問いかけるかのように。
 茂部(もぶ)はそれに答えるようにして、煙を吐いた。

「――公僕なんてのは、嫌でも人に恨まれるもんさ。特に正義の国家公務員様なんてのはな」

 正義の対局にいるのは悪ではない。
 茂部が以前から度々戦っている『新生教育委員会』にしても、その根底にあるのは恐怖なのである。
 世代交代を恐れた老人たちによる発狂。歳を重ねる毎に老人は凶暴化する傾向が高いということが、現代の最新の科学では証明されている。
 そんな正義と正義のぶつかり合いにおいて、武力でしか解決できないことも世の中にはあるのだ。

「……だからこそ迷う必要なんてない。あんたが行く道には救われる人が大勢いるし――人々の為に戦うその姿は、眩しいぐらいに恰好良いぜ」

 茂部の言葉に、澪木は目を細めて夕日に燃える空を見つめた。
 ストロングゼロを一口、(すす)る。

「――何それ。口説(くど)いてんの? モブおじのくせに」

 澪木の顔は穏やかに笑っていた。
 どこか()きものが落ちた表情で、澪木は心地よさそうに日没の光を浴びる。

「……あと、私は国家公務員じゃないわ。それはキャリア組だけ。私みたいな現場は、地方公務員なんだからね」
「へぇ。じゃあ俺と同僚ってことになるのかね」
「……何、あんたも公務員なの? ……世も末だわぁ」
「違いない」

 そう言って二人は笑った。
 ――吸い終わったタバコを、携帯灰皿にしまう。
 ――飲み干した缶を小さく潰して、ポケットにしまい込む。

「じゃ、そろそろ」

 茂部の声に二人は立ち上がって。

「ええ、付けましょうか――」

 そして対峙する。
 この戦場に入ったとき、運命は決まっていた。

「――決着を」

 ――最後の戦いが、始まる。


  ◇


 夕日を背景にして対峙(たいじ)する二人は、雪村桜初号機との戦いによって互いに満身(まんしん)創痍(そうい)
 故に決着は一撃でつく。
 それはお互いにわかっていた。

 和姦道とマーシャルアーツ、双方とも研鑽(けんさん)した武術の構え。
 和姦道は相手の"()"を読む受けの武術。
 よって先に澪木が動くのは、当然の成り行きだった。

 澪木はマグナム銃を構える。
 『.357逆鱗弾』の装填弾数は六発。
 よって次の六発目が、最後の一撃。

「――パレードの時間よ」

 澪木は引き金に指をかけながら、地面を蹴る。
 それに合わせて、茂部もその体を跳ねさせた。
 二人の攻撃が交錯する――!

「《TDL(ティー・ディー・エル)》!」

 澪木は銃を撃ちながら、能力を発動した!
 茂部の姿がオークに変わる!
 能力と和姦道を封じたその状態で、歌と踊りを併せたミュージカル・マーシャル・アーツを叩き込む!

 ――しかしその連撃の、初手が崩れる。
 否、正確には。

「《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》――!」

 オークとなった茂部の右腕が、その声と共に肩から千切れ飛んだ。
 能力を使わせない為の牽制(けんせい)だったはずの初手、澪木のマグナム銃の一手が通ってしまう(・・・・・・)
 元より威嚇(いかく)射撃(しゃげき)
 その狙いは正確ではないので、一撃で仕留(しと)められなかったことに問題はない。
 だが一瞬、澪木は茂部が能力で銃弾を防がなかったことに躊躇(ちゅうちょ)する。
 しかし澪木も戦闘のプロフェッショナル。
 その動揺を抑え、攻撃に転ずる!
 片腕を失い、和姦道を封じられた茂部に近接戦闘での勝機は無い――!

 ――はずだった。

「『拒絶(リジェクト)――《TDL(ティー・ディー・エル)》の例外』」

 茂部の言葉が、澪木の耳に届く。
 ――例外? そんなものは――。
 澪木は思い出す。
 それは雪村桜初号機が暴走したとき、彼自身が茂部に言った言葉だ。

 ――私の能力は、付近の人間を無差別にカートゥーン化する能力なの。もちろん、私自身は例外だけどね(・・・・・・・・・・)

 能力における例外の拒絶。
 即ちそれは、例外なく能力が発動するということに他ならない!
 澪木の体が、黒く変化する!
 手足の長さが変わり、体のバランスが崩れた。
 対する茂部は、オークの体で澪木に迫る。
 魔人用の弾とはいえマグナム銃の制動力(ストッピングパワー)は、人間の歩行動力の1/20程度。
 よってお互いに必殺の一撃を繰り出そうとしてぶつかり合ったこの状況では――無いに等しい!

「――ウォォォアアア!」

 茂部が()える。
 それはまるで、ライブ後に観客席から放たれる歓声のようなグルーヴ感を伴うオークの雄叫(おたけ)び!
 腕を失った茂部が、大きく口を開いて澪木の腹に食らいつく!

「ぐ……あっ……!?」

 そして、決着はついた。
 腹を食い破られた澪木が、その場に崩れ落ちる。
 茂部はアルコールの匂いのするケーキを吐き捨て、倒れた澪木を見下ろした。
 澪木の《TDL(ティー・ディー・エル)》が解除され、二人の姿が元に戻る。

「――俺の、勝ちだ」

 茂部の言葉に、澪木は倒れたまま笑みを浮かべた。

「……夢の国の主役なんだから……もっとお姫様っぽい姿になるんじゃないかって……思ってたんだけど……ね」

 腹から血を流す澪木に、茂部は笑う。

「……あんたみたいな甘ちゃんが、菓子じゃないわけがないだろう」

 茂部は血を流す片腕を押さえつつ、優しく笑う。

「――最初に雪村の背中を撃ったとき、な。あんた、今にも泣きそうな顔をしてた」

 それは澪木が桜を裏切ったときのこと。

「あんな顔しちまう奴なら――あんたはきっと、心底甘い奴なんだと思ったよ」

 茂部の言葉に、澪木は目を閉じる。

「ふふ……キルシュ……か。私……そんなに、甘かったかしら……」

 ――シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ。
 それはココア生地にキルシュヴァッサーと呼ばれるサクランボの蒸留酒を加えて作られる、ドイツのケーキだ。
 澪木の《TDL(ティー・ディー・エル)》が自身へと発動したとき、彼はその姿に変化していた。

「………もう、あんた、私のこと、なんでもわかったような、口、きいて――」

 ――体が菓子に変わる者は、その身に秘めた夢想の(ごと)き理想を、捨てず、曲げず、まっすぐ半生に打ち出して来た人間に多い。
 それは以前、澪木が過去の経験から導き出した自身の能力の考察。
 その内容を思い出して、澪木はどこか救われたような笑みを浮かべた。
 それはまるで眠りに入る直前のような、穏やかな表情。
 ――ああ、きっと。

「――だから、あんたって……嫌いよ」

 ――私は、信念に従って生きてこられたんだ。
 自身の能力に自らの人生を肯定された気がして。
 そして澪木は、力を抜いた。

「……俺は、好きだぜ。あんたみたいな男は」

 茂部は彼を見送る。
 そうして、オフィスビル街の戦いは幕を閉じた。






〈三〉


 それは雪村桜の泊まるホテルの一室。
 そこには今、雪村ラボの面々が集まっていた。

「よーし一回戦は勝利したことだし、なんかよくわからんがエプシロン王国の秘薬とやらで桜も無事に帰ってきたし、悪しき日本政府の手先からは逃亡だー! 荷物をまとめろ助手くん!」
「それがまずいんですよドクター! 我々がクラウドファンディングで5000万支援してたアイドルグループがライブでカブトムシを食ったせいで炎上解雇に!」
「なんだって!? まだ投資した資金も回収しきれてないのに! これじゃあ桜量産計画どころかメンテナンス費用すら怪しくなるじゃないか! また桜に新聞配達と刺身にたんぽぽを載せるバイトを掛け持ちしてもらう必要が――って助手くん何だその姿はー!? コアラ!!」
「ラッコですよ! でもドクターもなんかチョコボールになってますよ!? あっ金のエンゼルだー! すごいすごーい! 夢みたーい!」

 そんな騒がしい部屋のドアが蹴破られ、ぞろぞろと異形の者たちが押し入る!
 その後ろで指揮を取るのは、ストロングゼロを手にした長身の男。
 彼はパンパンと手を叩きながら、異形の者たちへと指示を出す。

「はーい確保確保。残念だけど雪村ラボみたいな紙一重の集団は、野に放っておけないの」
「ぐわー! 貴様らさては悪しき政府の手先! 横暴だ弾圧だー! 我々は屈しない! お菓子の缶詰が当たるまで、屈してなるものかー!」

 雪村詩織に手錠がかけられたのを確認して、澪木は《TDL(ティー・ディー・エル)》を解除する。

「……まあまあ、落ち着きなさいな。まずは話をしましょう」

 澪木の言葉に、詩織は首を傾げる。
 今まで彼女が接してた政府の手先と、彼の態度は明らかに異なっていたからだ。

「今この国は大事なときなの。総理大臣が変わって腐った前政府も打倒して、国全体も良い方向に向かっているわ。……だから、あなたたちにも協力して欲しいのよ」

 澪木は詩織たち雪村ラボの面々に笑みを向けながら、言葉を続ける。

「あなたたちの作った雪村桜初号機――あれは素晴らしいものだわ。……今回の試合がプレゼン代わりになったみたいで、お偉方(えらがた)が雪村ラボに興味を示しているの」
「興味だと……!? まさか雪村ラボ代表の座を狙って……!?」
「違う違う」

 詩織の言葉に澪木は手を振って否定する。

「――エプシロン王国のサンプル花子シリーズにも対抗しうるアンドロイド――雪村桜。その力があれば、日本は防衛費を削減してそのリソースを国力の増強に回すことができる」

 澪木はストロングゼロを呷って、彼女たちに笑いかけた。

「どう? 司法取引と洒落込まない?」


  ☆


「あの……ありがとうございます。お母さんたちを助けてくれて」

 後日。
 グロリアス・オリュンピア会場内のレストランで、澪木は雪村桜に話しかけられていた。

「……ん、私は何にもしてないわよ。ただ上の決定を伝えただけ」

 ストロングゼロと共に食べる白玉ぜんざいに舌鼓(したづつみ)を打ちながら、澪木はそう答える。
 桜は少し困った顔を浮かべつつも、おずおずと口を開く。

「でも、嬉しいんです。お母さんも喜んでました」

 桜は笑顔を澪木に向ける。
 澪木はそれに少し逡巡(しゅんじゅん)した後、口を開いた。

「――一つだけ忠告しておくけど、人間ってのは醜いわよ。そんなホイホイ信用したら、すぐに痛い目をみるんだから」

 それは脅しではない。
 人生の先輩としての、忠告だ。

「カートゥーンみたいな優しい世界とは全然違う。これから先、私みたいにあなたを裏切る人間だって出てくる」

 澪木は冷たく彼女に告げる。
 ――『とっても夢のような嘘』だってこの世にはあるけれど、悪意をもって他人を騙す嘘の方がその何倍も多い。
 桜はその言葉に頷きつつも、(ひる)まずまっすぐに澪木を見つめた。

「それでも――桜は人間が、大好きです」

 雪村桜は、そう言い切る。

「私を作ってくれたお母さんが。雪村ラボの皆が。……それに、澪木さんも」

 大量破壊兵器として作られた彼女の口が、そんな言葉を(つむ)いでいく。
 その様子を見て、澪木は眩しそうに目を細めた。

「――ふふ。まあ、そこまで言えるなら上出来ね」

 彼はその口元を緩める。
 澪木は昔、世の中全てがおとぎ話のように見える極彩色(ごくさいしき)の世界に背を向け、決別した。
 それは現実を見つめることにした澪木の決意でもある。
 だが決して、彼はカートゥーンの世界を見限ったわけではない。

 澪木は現実を夢の国に負けないぐらいの素敵な世界とする為、戦う事を決めたのだ。
 雪村桜の目は、そのときの彼を思い出させるような目をしていた。

「……なんか食べてく? 何でも好きなもの、注文していいわよ。(おご)ってあげる」
「えっ、あっ……はい! じゃあ桜も……その、お酒、飲みたいです」
「――ふふ。未成年は、ダーメ☆」

 辛く残酷な現実世界。
 誰もが孤独で、温もりを求め続ける東京砂漠。

 しかしそれでもこの世界は少しずつ良くなっているのだと、澪木祭蔵は心から信じているのだった――。
最終更新:2018年03月26日 01:08