SSその3


「フゥーハッハッハァー助手くゥん! 彼かね? 彼が身の程知らずにも私たち雪村ラボに潜入した愚かなスパイかねぇ~!」
「その通りですドクター。クックック、我々も侮られたモノですなァ……いや、ここはちょうどいい被験体が手に入ったと喜ぶべき所ですかな?」

 町外れの小さな工場、雪村ラボ! その作業場に狂気のマッドサイエンティスト(二重表現!)の哄笑が響いた! 彼女たちの前には……おお、何ということか。後ろ手に縛られ、捕えられた少年が一人!
 ああ、近隣にも親しまれている町工場は、ついに世界征服をもくろむ秘密組織の素顔を露わにしたのか!? いたいけな少年は、あわれラボの非人道的実験の犠牲になってしまうのか? 未成年略取は七年以下の懲役だが、加害が併合するとどれだけの罪になるかわからんぞドクター!

「う、ううう……」

 捕えられた少年、白名楽飛人(らびっと)――シロナは、すっかり怯えきっていた。
 目に涙さえ窺えるその視線の先には「いや普通に警察でしょ」「むしろ今社会的にヤバイのは我々では?」「今日アイカツ最終回なんでもう上っていいっすか」「なにおう!」などと喧々諤々のラボ職員たちがいる。

「さてとだ」

 まとまらない職員を置いて、ラボのリーダー格とみられる研究者――Dr.雪村こと雪村詩織はシロナの頭をがしりと掴み、ぐふふと凄んだ。異様に長い舌まで出てる。

「まあどんな結論が出るとしてもだ! この雪村ラボを舐めた落とし前はきっちり払ってもらうよ~ん? ただで帰れるとは思わないことだねぇ~~~!」
「ひ、ひいいい~!!」

 震えるシロナ! 無慈悲!

(おじさん! ごめんなさいおじさん――!)

 懺悔! だが時計の針は戻らない。果たしてこのままシロナは狂気のマッドサイエンティストの、実験の露と消えてしまうのか!
 それ以前に今や夕方も過ぎ、そろそろ夜である! 未成年のシロナは今日中に家に帰ることが出来るのか(帰っても一人だけど)。 時間的にお腹もすいてきた! 危うしシロナ、どうなるシロナ――!

 時はグロリアス・オリュンピア2回戦、第△試合前日! 試合開始まで約16時間のことである!


〈一〉


 五日前、都内某シティホテル。
 澪木祭蔵は、一人デスクに着いて己のパソコンと向かい合っていた。

『――はい、一回戦は相手が相手でしたので結果的にやむを得ない部分はありましたし、今回に限っては貴方の私物についてとやかくはいいませんが。今後ああいった物の使用は、出来れば控えて頂けますよう。あの程度ならこちらの始末も大した手間ではありませんが、フォローとて限界はありますので……』
「ンもう、悪かったわよ。これからは気をつけるから……」

 先日の第一回戦について、謝辞も早々に繰り出された陣内の小言に平謝りするしかない澪木。私人としても公人としても、所持があってはならない手榴弾の使用についてである。厳密な意味での警官ではないとはいえ、警視庁預かりの身分も痛し痒しだ。

「――それでね、陣内さん。今日の連絡の件だけど」
「……はい。察しはついてます。一回戦を勝ち抜いた参加者についてですね?」

 澪木祭蔵の参加動機は、本来この大会を観覧する国賓たちに対する、秘密裏の警護である。一回戦はその守るべき総理大臣が相手というイレギュラーが発生したが、勝利することで、逆に不確定要素のある大会から穏便に護ることが出来たとも言える。

『最も危険と思われた参加者は、捜査一課の徒士谷警部補が排除してくれました。しかし……』

 陣内の考えることも、同じであった。二回戦に勝ち上がったメンバーに、警戒すべき相手がいないとも限らない。事にこの大会においては、勝者とはそれだけであらゆる予断が許されない者たちだ。
 モニタに映っているのは、ウェブに接続された三つのウィンドウ。
 一つ目は秘匿回線によるオンライン通話ソフト、現在使われている公安へのホットライン。二つ目はG・O(グロリアス・オリュンピア)スポンサーの一つである、大手映像制作会社による一回戦各試合の公式配信動画。そして三つ目は。

「ちょっとね、気になるヒトがいるの。“血染めの野菊連続強姦事件(ブラッディーデイジー)”。私が警察に来る前だけど、陣内さんなら覚えてるわよね」
『……警視庁の現場を経験した者で、“奴”を知らぬ人間はいないでしょう。今や管轄が違いますが、私も刑事部時代は苦々しく思ったものです』

 陣内は、その事件名だけで澪木の言わんとすることを理解した。そして、それが示す者も。

 三つ目のページ『SCP財団』。
 英語圏発祥の、架空の団体による活動報告書の体裁を取ったオカルト・都市伝説創作サイトである。
 読者を魅了する要素に事欠かないページであるが、創作サイトである以上、その多くは事実とは何ら関係のないフィクションである。
 しかし。
 恐るべき魔人能力が跳梁し、人知を超えた魔人技能体系が跋扈するこの世において、その報告書の中には少なくない割合で本物が実在する。

“SCP-62023‐JP モブおじさん”

 彼の存在は、噂や都市伝説などではない。
 過去起こった様々な連続強姦事件。不自然なまでに容疑者が浮かばず、そも告訴すらされていない事件の数々だが、それらの状況証拠は、何者かの存在をはっきりと示唆している。
 表立って公言する者はいない。しかし警視庁の人間にとって、彼は二十年近くも前から密やかに、しかし確信をもって語られる凶悪犯なのだ。
 澪木の属する生活安全部は、部署としては少年犯罪、経済環境事犯など、地域の防犯保安活動全般を手掛ける。その中には、間接的とは言え性犯罪に係る安全対策を手がける対策室も存在する。
 今も時折り起こる、被疑者不明の強姦事件。
 例によって告訴されず、捜査に踏み切られることもない。だがそこに起こる事象は、この『モブおじさん』のページと奇妙な一致を見せる。

「外見と名前だけを真似た、ただの賑やかしならそれでいいんだけど……この能力にこの戦法(スタイル)、どうにも不吉なのよねえ……」

 そして参加者の中、その名で持って勝ち上がった一人の中年男性。
 ……もし、本物の“モブおじさん”がこの大会に参加しているのなら。それが勝ち上がったのなら。そこでもし招待者に公に出来(・・・・)ない事例(・・・・)が発生してしまったら?
 現段階ではまだ確証のない空想ではあろう。だが世界の対日感情は勿論のこと、フェム王女に対し、万が一にも危害が及んではならない。

「陣内さん。私ね、ちょっとアテがあるの。一応だけど、明日から動いてみるわね。もしかしたら公安さんにも何かお願いする事態があるかもしれないわ」

 相手は変態は変態でも、警視庁の眼を十数年以上も欺いてる弩級の変態である。しかし、部署の風通しがいい今、グロリアス・オリュンピア開催期ならば、思わぬ所から尻尾を掴める展開があるかもしれなかった。
 澪木のPCモニタには、一回戦における豪華客船の試合が流れている。
 画面の中では、童貞男と結合したモブおじさんが激しく腰を上下させていた。


 その二日後。都内某中学校。
 三月も終盤に差し掛かり、寒さの中に緑の芽生えを感じさせる早春の日、シロナはこの晴れた空と同じく、明るい足どりで職員室の扉を叩いた。

「おーじさ……じゃなかった、先生、おはようございます!」
「おお、おおシロナくん……おはよう。ハハ、何だか久しぶりな気がするな……」

 独り書類整理をしていた茂部が、にこやかにシロナを迎える。こうして直に顔を合わせるのは、およそ十日ぶりだろうか。シロナは、そんな茂部が少しやつれたようにも見えた。

「先生……はは、そうですね……」
「フフッ、おじさんでいいよ、今は誰もいないからね。学校では先生と呼んでもらう所だが……イケないことをしてるようで興奮するだろう?」

 茂部が、鼻に人差し指を当てる「秘密」のポーズで言う。似合わぬ仕草だが、これは少しでもシロナの心配を解きほぐす為だろうか。事実、この日は春休みで、学校に訪れているのはごく少数の生徒と用務員を除けば、茂部だけではあったのだが。

「先せ……ううん、わかりました、おじさん! じゃあ早速、オリュンピア部顧問として、練習を見てください!」
「おいおい、顧問になるとは言ったけど、まだ部としても発足してないだろう? 全くしょうがないなぁ」

 不安を振り切るように明るく手を引いたシロナに、茂部は口ではぼやきつつも、嬉しそうに続く。今日は春休みの直前に、茂部とシロナが電話で打ち合わせた約束の日だった。

 ――グロリアス・オリュンピア一回戦を勝ち抜いた茂部であったが、その余りに汚い戦い方は、動画やSNSを中心に、瞬く間に世に広まった。
 躊躇なく男性をレイプせんとし、それが無理と判断するや相手の股間を自分の尻へと結合して倒す。会場ですら罵声で持って迎えられたその姿は、無論、その外でも多数の人間の侮蔑と嘲笑の的であった。
 そして、それは日常的に茂部と接する学校の教師や生徒にとっては、ネットの中のコンテンツではなく――。
 魔人の中には、その能力と極限にまで研ぎ澄まされた性技を用い敵を打破する「淫魔人」と呼ばれる者も存在する。しかし、本来被差別者の魔人であると同時に、職場ですら陰でバカにされている茂部である。そのような魔人の一種として市民権を得られるはずもない。
 まず、茂部の授業は全く成り立たなくなった。茂部は担任こそ持っていなかったが、軽い学級崩壊状態だ。学校は一部の保護者による猛烈な抗議を受けたし、同僚の教師たちも、腫れ物に触るような態度である。ついには遠回しな謹慎勧告まで出されるほどだ。
 茂部は性犯罪者ではあったが、少なくとも試合のルールに違反した訳ではない。それでも、である。
 茂部は厳しい対応に曝されながらも、(こた)えてはいなかった。覚悟は出来ていたし、迫害されるのも初めてではない。これも世界へ復讐しようとする自分に降りかかる、さらなる復讐の一形態であろう。ならば、耐えられる。目的のため、耐えられるのだ。
 しかしである。
 ある日、シロナが保健室で治療を受けていた。茂部がそれを目撃したのは偶然だったが、聞けばシロナは、クラスで嘲われ続ける茂部の状況に我慢できず、彼を庇ったというのだ。シロナは魔人だが、身体能力が高い方ではない。その結果、傷を負った。
 クラスでも浮き気味な元不登校児である。このままでは、シロナの立場はさらに悪くなるだろう。今でさえ学校の裏掲示板に、やれシロナはモブの愛人だの、極太尻穴ザーメン野郎だの中傷されている始末である。奇しくもそれ自体は真実であったが。
 ここに至って、茂部はついに自主謹慎を受け入れた。自分が責められるのはいい。しかしシロナにまで塁が及んでしまっては、何のための戦いか分からない。
 春休みを迎える、数日前のことであった。

 ――……。

「いっちにっ、いっちにっ。ふぁいおー、ふぁいおー!」

 グラウンドに、ランニング中のシロナの声が響く。春休みになれば、生徒の目もなくなる。そこで会おうと提案した茂部にシロナが切り出したのが、この学校での練習である。学外に出かけてもよかったのだが、シロナはやはりそういった時の行先は『わからない』のだという。
 茂部は、そんなシロナを穏やかな目で見つめる。
 シロナ自身は、この気休めにもならないだろう部活ごっこでも、楽しそうだ。ならばいいかと茂部も思う。
 ……もうすぐだ。もう少し勝てば、彼を本当の意味で救ってやれる。今までシロナは、当たり前の幸せすら享受できず虐げられてきたのだ。せめてこれからは、人並みの青春を謳歌できなければ嘘ではないか。
 茂部は自分を鼓舞した。そうだ、その為に次の試合も絶対に――。

「――おじさん。おじさん?」
「っ! お、おう? はは、なんだいシロナくん。ごめんごめん、おじさんちょっと聞いてなかったよ」

 しまったしまった。物思いにふけっていた。今日は彼に付き合うと約束したのだ。

「……はい、ランニングが終わったので、次は何か型を教えてください! おじさんの知ってるやつでいいんで」
「おじさんの知っているの……う、うーん和姦道はおじさんも独学だしなあ。そもシロナくんに教えるのは躊躇われるし……」

 考え込む茂部を、シロナは見つめている。茂部はその視線に気づかない。不安と心配以外の何者でもないその視線に。
 自分のためにおじさんに苦労を背負わせてしまっている。試合で傷を負って、仕事場でも余計な波風に曝させて。
 茂部が少なからず心労を背負っていることは、今日のシロナから見ても事実であった。そして、自分もこのおじさんの力になりたいが、何も出来ない。これも事実であった。

 シロナがそんな気持ちを抱えつつも、その日は概ね穏やかに過ぎて行った。
 第二回戦の対戦相手と戦闘地形が発表されたのは、翌日のことだった。


 二日後。試合前日。
 シロナは都心から離れたローカル線に揺られていた。目的地たる町外れの工場、雪村ラボは、次が最寄駅だ。
 今この場にいるのは、何より、自分もモブおじさんのために何かしたい。自分のために傷つくおじさんを少しでも助けたい。その気持ちゆえだ。
 偵察。
 シロナが彼なりに考えた結果のサポートがこれだった。おじさんに、有用な情報を持ち帰る。少しでも、おじさんの傷を減らすために。
 先日発表された新たな対戦表も、彼の決意を後押しした。
 雪村桜(初号機)。モブおじさんの二回戦対戦相手の一人。彼女はもう一人の澪木という人(何たって総理大臣との喧嘩に勝ってしまったのだ)に比べれば、組し易そうに見えた。……これなら、ボクでもどうにかなるかもしれない。
 雪村ラボの公式サイト(公式サイトである!)から、住所はすぐに分かった。何たって参加者プロフィールにすらURLが載っている。試合まで時間もない。善は急げであった。
 ……おじさんには伝えていない。言えば止められるに決まっているからだ。でも、自分はもう何も出来ないのに耐えられない。
 駅に降り、いよいよ敵地にやって来ても、その心は変わらなかった。
 眼前には、近隣でも評判の町工場、雪村ラボ。
 怖くないと言ったら嘘になる。だが自分の行動如何で、もしかしたらおじさんの勝利すら変わるかも知れない。
 シロナは勇気に燃えていた。


 ……もうお分かりだろう。
こうして、うっかり者のシロナは雪村ラボに捕えられてしまったのだ!

「クックック~愚かだねえ! まさか入り口前で、帰宅途中の桜に気付かないとは! アイカメラで様子が筒抜けなのに、不審人物丸出しで長話とはァ~!」
「あーっ! お母さんまた試合以外で勝手に私の眼覗いて! やめてって言ったじゃない!」

 雪村詩織がシロナの頬をつつく。そうである! ド素人のシロナに、思いつきで偵察など出来るわけなかったのである!

「ヒヒヒ傑作傑作、桜の喉の通話マイクで、私が怒鳴りつけてやった時のこいつの顔ったらァ~! 『あ! い! う! え! お!』」
「『あ! い! う! え! お!』……もーっ!! そのマイクもやめてって言ってるのにーっ!」
「ううううう……」

 時刻はもう20時を過ぎている。携帯も没収されてしまった。ハンディマイク片手に遊んでいるドクターを前に、シロナは最早泣くことしか出来ない。おお不甲斐なきシロナ! 彼の末路は最早決まったも同然か!

「……で、だ。何者だい? 表向きは普通の町工場だし、見る物なんかないはずなんだがねえ。何のスパイだい? や、昨日の今日だ。分かり切ってるけどね」

 雪村詩織が、じいっとシロナを見下ろす。
 ひっとシロナの身がすくむ。もうだめだ。隠し通せるわけがない。ここでボクは正体を暴かれて、ひどい目に合される。ひょっとしたら、それだけじゃすまないかもしれない。
 ……ごめんなさい、おじさん。助けようと思ったのに、足を引っ張ってしまった。
 自分が嫌になる。でも、それでも……最後の抵抗だけは、試してみよう。
 シロナが上を向いた。

「……ファンです」
「ファン?」
「そうなんです! ボク前から雪村ラボに憧れていて! ほら、すごくカッコいいメカとか兵器とか、たくさん造ってるじゃないですか! で、最近公式HPがあることを知って! そしたらもう、居ても立ってもいられなくなって! 一度でいいから生雪村ラボを拝見したくなっちゃったんです、はい!」

 一気にまくしたてる。あっけにとられたような詩織だったが、ややあって。

「……ク、ククッ。クックック! ファンか。そうかファンかァーッ、アッハッハー!!」

 狂笑。
 ……こんな風に笑う大人の行動を、自分はよく知っている。次の瞬間すごく真面目な顔で自分を殴りに来るのだ。ニセモノだった、父がそうだった。
 諦めが、シロナの心に満ちる。おじさん――。

「よく来たね!」
「へ?」
「いやぁー君は運がいいよ! 今ね、うちのスーパールーキー兵器、桜が実地で軌道テスト中なのさ! 知ってるだろう? 日本中が熱狂するグロリアス・オリュンピアだよ? 全くもうー! そうなら最初から言えよこのこのー!」
「え、えへへーそうだったんだぁー。うふふ」
「なんだなんだうちのファンだって?」「マジかよ」「おいアメちゃん食うか」

 肩パン! 桜も嬉しそう! 上手く行ってしまった。これにはシロナもビックリだ。
 しかし、ある意味では当然と言えた。
 雪村ラボは、零細秘密結社だ。人気という物に、ずっと餓えていたのだ!

 ――この後、シロナは夕飯をごちそうになり、泊りがけで雪村ラボのメカについて語られ、薄氷を踏む思いで話を合わせる羽目になるのだが、それは割愛する。



「ねえ、シロナくんの家族って、どんな人なの?」
「……か、家族?」
「うん、私、家族って、うちのお母さんとラボの皆しか知らないから……」
「そう、ですね…………うん……」
「シロナくん?」
「いや……優しい人、です。ボクのためにすごく傷つきながら、でも頑張ってくれている……ボクも、その人のために何かがしたい……返したい、んです…」
「そうなんだー」



 ただ、久しぶりに一人ではなく、おじさんと二人でもなく、騒がしい食卓で囲んだ夕飯は、決して嫌な物ではなかった。


 試合当日、開始時間前。

「シロナ……どこ行ったんだシロナくん……!」

 控室で、茂部は憔悴に襲われていた。予選の頃から自分についてきていたシロナが、今日はいない。
 あれだけG・Oに熱を上げてて、しかも茂部と自分の二人のための戦いだという事も理解している筈だ。それが連絡もよこさず、全く姿を現さないなんてあり得るだろうか。
 電話をかけても出ない。朝早くに彼の宿泊先に寄ってみたが、誰もいなかった。前日から帰って来てない可能性もある。一体何があったんだ――。
 実際の所、シロナは遠く離れた雪村ラボにいる。ファンならぜひ見て行けという事で、帰ろうとするシロナを半ば無理やりモニター室で特別生観戦に招待しているのだ。

「モブおじさん選手。時間です、支度を」
「ひぇっ! ふぁ、ふぁい!」

 係員の呼び出しに声が上ずる。だが、最早茂部も出ざるを得ない。この不安で乱れる心を隠して『モブおじさん』として戦わなければ。

(シロナくん――!)


 二回戦が始まる。


〈ニ〉


「見! つ! け! たーっ!!」

 灰色のオフィスビル街の通りを、桜色の翼が飛翔する! 鳥か? 飛行機か? いいや、雪村桜(初号機)だーっ!

「ふぎぎぎぎぎぎさくさくさくさくーーーーーーー!!」
「へえええ……元気がいいねえー……!」

 風圧でもの凄い顔になりながらすっ飛んで行く桜を目に、モブおじさんが不敵に笑った! 試合開始からまだ三分も経っていない。ここは通りに面したビルの20階である!
 今立っている広々としたオフィスに転移されて早々、MOBの『世界』による隠形を展開しようとしたモブおじさんだったが、通りに転移された桜は辺りを把握しようと桜七大兵器『桜WING』でTAKE OFF! 何という不運、勢い発見されてしまったのだ!

「うぎぎぎぎぎぎがーーーーー!!」

 しかし酷い顔だ。いや、音速を超える速度に生身で耐えているのだから当然だろう。これぞ常に可愛くいたい乙女と相性最悪、しかし便利さには抗えない、乙女のジレンマアームズ! 切り離してビッグなカッターにもなるぞ、桜七大兵器・五のα『桜WING』!

 これには雪村ラボの面々もそっと表情筋運動の伝達センサーを切る。Dr.雪村も観て見ぬふりだ。記録として数値データにさえ残って入れば十分。思春期の少女の繊細な気持ちを慮る親心が、彼らラボメンバーにも存在した。
 シロナだけが、マイクから流れる壮絶な音声にあわあわと慄いているだけだ。

 戦闘領域ギリギリまでカッ飛んだ所でUターンした桜が、モブおじさんのオフィスに迫りくる。その眼が紅く光った! 危険を察するモブおじさん!

「ヒッ……」

 非人道兵器『桜レーザー』! 桜の眼球から放たれた光線は窓ガラスを貫通、右から左に振られる頭の動きに従い、モブおじさんのオフィスを真横に溶断する!

「いいいいい痛い痛い痛いぃーーーーーっ!!」

 一瞬だけではない、断続的な照射による桜レーザーファン! これは中々の大技だ。しかし桜レーザーは眼球に耐えがたい激痛をもたらす非人道的兵器では? どういうことだ?
 見ると雪村桜の両手に握られているのは……弁当の醤油大きくしたような形状のスポイト! それを両目に差しながらレーザー撃ち続けているのだ!
 これこそが桜七大兵器の六! 雪村桜の機体に対し目薬にも潤滑油にも接着剤にもなる“良心から最も遠い”恐るべき兵器『桜エイド』! これで眼を酷使ししがちな現代桜もおめめパッチリ、潤いと栄養補給にオススメな優れものだ! ちなみに見た目は木工用ボンドに超似てる。
 消耗を抑えて傷も治せるのに、なぜ良心から遠い恐るべき兵器なのかって? ノンノン!

「ああああああ痛い痛いうわーん目がー!!」

 痛みは据え置き、ポリゴンショックもそのままだ! 桜に対し苦痛を強い、乙女の尊厳をかなぐり捨てる様な桜ヘッドねじ切れ案件を乗り越え、なお桜を戦場に縛り付ける! これが良心から遠くなくてなんだと言うのか!

☆ ☆ ☆

「ううう桜……!」「すまない桜……」「仮装通貨さえ無事だったら……!」

 ここは雪村ラボ! そう、雪村ラボも泣いている。彼らもつらいのだ。愛する桜の性能をフルに発揮するために与える、のぞまぬ苦痛……悲しみの連鎖……世の矛盾……世界の歪み……!

「え、ええー……?」

 シロナもドン引きである。なんだこいつら……。

☆ ☆ ☆

「ふひひひ……参ったねえ。でも……屈服させがいがあるよぉ~!」

 溶けたプラスチックや燃える書類による煙の中、ベチャアアと舌を出すモブおじさん。レーザーは当然、《MOBの世界》でシャットアウトだ。無傷! 両手をニギニギと卑猥な形に蠢かせ、桜の突撃を迎え討つ!

「和姦道強引系奥義――」

 その時である! 今まさにビルに突入せんとした桜の頭上を、影が舞った。

「え――」

 それは屋上に固定した自前のフックロープを握り、ビルの壁面を駆け下りて来た澪木! 一瞬気を取られた桜に、直上から容赦ない蹴りを叩きこむ!

「きゃあああああ――……!」

 錐もみ回転しながら地面へと落下する桜! 澪木はそのまま身を翻し、モブおじさんが待ち構えるオフィス内へと転がり込んだ。

「チャオ。ご機嫌いかがかしら茂部先生?」
「…………あれあれぇ? ぐふっ、いい所を邪魔してくれちゃったねえ……君が代わりになってくれるのかなあ~?」

 「茂部先生」。一瞬、返答に窮してしまった。こちらの実生活を知っているという勧告。普段なら気にも留めぬ揺さぶりだ。昨今、誰かの個人情報を追う手段など幾らでもあるし、こんな大会に出てる以上、その可能性はなおさらだ。、
 元より失うもののない自分である。目の前に立つ者は誰であれ、魔人モブおじさんとして骨の髄まで侵犯(おか)し尽くす! 
 しかし今は……。

「1996年、『美槌女学院(びつちじょがくいん)高校白昼の37人レイプ事件』――」
「ッ!? 《MOBの『世界』(マスク・ワン・ボーダー)》ッ!」

 反射的に、相手と自分を収める形で魔人能力を展開してしまった。条件は「茂部に不利となる情報」。あるいは、それは慎重に慎重を重ね逃亡を続けてきた茂部の、直感的防衛行為だったのかもしれない。

「あら、聞いてくれるのかしら。ええ。これは都内の同名高等学校の生徒が、校内且つ日の高い時間にも関わらず、男性教師や通りすがりの用務員含めて授業中に全員レイプされた事件ね。同じく1998年『狙われた新郎新婦☆ハネムーン直前連続成田離婚事件』、1999年『ムキムキリングvs牙血牙血(ガチガチ)プロレス因縁の激突 ~突然の全員散華事件~』、2001年――」
「ふひひっ。お兄さん、そりゃあ……?」

 それはマスコミの俗称であり、警視庁の苦渋の記録。同時に若かりしモブおじさんの輝かしい記憶。今のように齢を経た慎重さではなく、向う見ずな熱量と危うさで築き、そして見事逃走に成功した青春の武勇伝。

「そう。これらは過去20年、関東圏で起こった各被害者数20名を超える・被集団強姦事件……事件間における被害者の繋がりはゼロ、性別は勿論、年齢も所得も職業もてんでバラバラ。共通点と言えば……これだけの被害があって全員が犯人の詳細な姿を確認していないこと。被害届こそあれ、誰一人として告訴していないこと。結果としてどれもほぼ迷宮入り……そして一連の被疑者につけられた異名が、誰が呼んだか謎のレイプ魔“モブおじさん”」
「へぇ、何の話かな……? 俺の名前はあくまで登録名……ネットの噂にあやかったリングネームだぜぇ?」
「ふふっ、そうね。そもそも告訴されてないんですもの。どれも公式な捜査記録なんて存在しないわ。でも……事件がなくなった訳じゃないのよ。少なくとも現場のヒトたちにとってはね」

 こいつ、どこまで知っている。警戒を強めるモブおじさんをよそに、ゆっくりと歩きながら澪木は続ける。カツ、カツ。遠ざかるでもなく近付くでもなく。
 ――澪木は推測する。
 自分の集めた情報と考えが正しければ、今、モブおじさんは己に不利益な情報が外部に漏れ出ないよう魔人能力を使っている。

「クックッ……詳しいじゃあないか。お兄さん、もしかして警察関係者かい?」

 ならば。
 今自分が喋っている内情も、奴に取って少なからず都合が悪いはず。今澪木が話していることは外界には伝わらず、よって世間が澪木と警察の繋がりを疑うこともない。

「さあ……どう、かしらねッ!」

 不意に澪木が手近なデスクをモブおじさんに向かい思い切り蹴り飛ばした!

「! かァッ!」

 《MOBの『世界』》! 襲い掛かるデスクをシャットアウト!
 目くらましなのは承知の上、しかし躱すなり迎撃するなりの際、下手に動いて《MOBの『世界』》の圏内に接近されてしまうのはまずい!
 派手な音を立て、反作用でデスクが逆向きに吹っ飛ぶ。

「ぐふふぅ~! もう始めるんだねぇ……? いいよぉ、その顔ぐっちゃぐちゃに……むッ!?」

 和姦道の構えが取れない。腕がない。腕があった所に生えているのは、小さく、鋭くしかし余りにも頼りない突起。

「……な、何だこれはァ~~~ッ!?」

 芋虫。強いて言えばそれは、クワガタの幼虫に近い形状をしていた。しかしその色はクリーム色をベースに、禍々しい斑点が並ぶ、地上の虫で言う「警戒色」に近い色合いをしている。男根を想起させるシルエットに、毒々しいカラーリング。

「こ、これは……奴の能力!」

 モブおじさんとて対戦相手の動画はチェックして、研究はしている。しかし白兵戦こそ侮れない魔人と見ていたが、この能力は……!
 総理が変身していた。他人の姿を変える力なら、自分も変わるかもしれない。だが……想定以上に短い四肢、想定以上に鈍重な体!

「そ。いいじゃない先生。中々かっこよくなったわよ」

 澪木だった。モブおじさんの混乱の隙をついた一閃。真紅の頭部と斑点に覆われた胸部の境を、ナイフが斬りつけていた。


「ピ、ピィィ~~~~~~~!!」

 傷口から不気味な色と粘度の体液をまき散らし、モブおじさん虫が悶えた。痛みはない。
 む、虫だから!? 痛覚がないとは聞いたことがあるぞ! 頭の一部で、妙に冷静なことを考えてしまう。

「話、中断しちゃってごめんなさいね。これを仕掛ける隙が欲しかったの。続きをしましょうか」

 モブおじさんは身をよじる。完全に動転していた。モブおじさんは和姦道と魔人能力を駆使し、闇から獲物を狙う性犯罪者である。戦士ではない。時に抵抗に会うこともあろう。だが刃物でここまで深く斬り付けられる事態など、遭遇したことがない! 逃げなければ!
 しかし……体が思うように動かない! 芋虫の体はヒトとは勝手が違う! そして当然、元々の動きも鈍い! 必死に逃げようとするがただその場でのたうつばかりだ。

「くそっ、この、この……《MOBの『世界』》!」

 この小僧の魔人能力を遮断! まずは元の体に戻って――。
 ……何も、変わらなかった。モブおじさんは依然虫のまま、床でもがくばかりだ。

(ひ、ヒィ~何だ!? 俺は能力を使ってる筈なのに!)

 ――モブおじさんの《MOBの『世界』》は、肉体・精神的な損傷を伴う能力作用、または生命維持・稼働に必要な要素に対しては結界の機能が適用されない。
 そして肉体の一部や装着物、意識を奪ったりする結果が予測される場合などは、明確に効果が発揮されない。

「……ふむ。能力の安全装置みたいなものかしら。アナタのここね。人で言ったら頸動脈。その体なら今すぐ命までどうこうとかはないけど……戻ったら死ぬわよ」

 澪木が自分の首をトントンと叩きながら言う。
 そ、そんな所を斬りつけたのかこいつは! しかも調子が軽い!
 普段あまり意識していない能力の性質が、モブおじさんの命を救った。しかしこれでは……これでは完全な無力化ではないか!
 自分の体は愚鈍な芋虫状態。魔人能力は勿論、ただの拳から身を守ることも出来ない。そして相手がいつ能力を解除するか分からない以上、逆に「能力の解除」を概念として常に遮断しておかなければならない。そうしないと死ぬのだ!

「アナタの能力は大体わかっています。さて茂部安康さん。私、澪木祭蔵はとある事件について貴方に事情聴取をお願い(・・・)すると同時、巷の連続強姦事件関係者、通称『モブおじさん』を強制性交等罪及び準強制性交等罪で告訴します」
「な、何ィ~~~!?」

 なんだ、今なんと言ったのだ? 俺の能力が? いや告訴!?

「言い掛かりだ! 俺は何もしちゃいない! そもそも誰が、誰が何の被害を訴えてるんだ! モブおじさんなんて作り話だろォ~!?」
「いいえ、いるわ。確定させるには捜査が必要だけど……ここ最近、ほぼ確実に“モブおじさん”の被害を受けたと思われるヒト達がね」
「へっ……!?」
「白名宇佐治(うさじ)葉煮子(ばにこ)――」
「!?」

 モブおじさんに電流が走った。そ、その名前は!

「PTA残党――酷いヒトたちよね。自分の妄執のために子供から親を奪うなんて。一月ほど前かしら。何者かに手ひどくレイプされた彼らが、児童相談所に確保されたわ」
「う、あ……」
「彼らの罪状は罪状でキッチリ落とし前つけてもらうとして。確保される一時間くらい前ね。自宅に何者かを迎え入れたのが目撃されてるの。“都合よく”顔も声も目撃者の印象に残らなかったみたいだけど……怪しいわよねぇ。私はこれ、警察が本腰入れて捜査するべきと見てるの」
「じ、児相は内閣府直轄の独立組織だッ! 警察と言えど、そうそうに引き渡したりなんか……!」
「よく知ってるわね。でもね、出来るのよ。今なら。G・O開催に当たって、警視庁各部署と内閣の各省庁が連携している特例の防衛体制を引いてる今なら」
「――!!」

 モブおじさんは言葉もない。そこに澪木が更なる一言を投げかける。

「そもそもね……強姦罪は2017年から強制性行等罪に改正されて非親告罪化してるの。だから、最早被害者じゃなく。私か、私の協力者が『モブおじさん』を告訴するわ」

 ガァ―――――ン!!
 そ、そんなバカな……非親告罪だと? えっ、今日は本人じゃなくても告訴していいのか――!

「しょ、証拠は! 証拠はあるのか! も、モブおじさんはちょっとスケベなだけの淫魔人かもしれない……噂でこそレイプ三昧だが、法を犯すだけの度胸なんてきっと、とてもとてもなぁ~~~!」
「……」

 澪木は無言で懐からデジタルカメラを取り出した。これは? 起動!



「え、これもうカメラ回ってるんスか。お、おう……ごほん、えー、童貞男っす」
「はい、俺……まあグロリアス・オリュンピアでは一回戦負けっすけど……俺の魔人能力で、過去のこの……モブおじさんのやってきたことは見ました。それは確かっす」
「負け犬のくせしてこういうことすんの、スゲぇ恥ずかしいけど……もし俺のこの力が必要になったら、どこでだって証言します。やっぱその、これからもレイプで傷つくヒトが出て来んのはよ、童貞として……なんつーか……」
「こ、こんな感じでいいっスか? ……っはぁ~緊張したぁ~~~」



「あ、あ、あ、あのガキィーーーーーーーー!!!」

 都内のファミレスであった! この相手が試合前、澪木が接触した「ちょっとしたアテ」! 澪木が推測したモブおじさんの能力を確信レベルまで補強できたのも、これによるものだ!
 なお、被疑者相手に情報提供者の身元を明かすなど本来言語道断であるが、ここは話の演出の都合上、許して頂きたい! なんかこう……アレだ! 残り時間とか関係なく、ここはアレなんだ!!

「と、いう訳で、信頼できる証言相手もいます。彼の安全は全力で守るし、告訴状が出たとなればいよいよ魔人警官も魔人検察も捜査に動くわ。モブおじさん、彼はこれでなお逃げ切れる自信があると思う?」
「う、うぐぐぐぐ……」
「悪いことは言わないわ……会場に戻ったら、自首なさいな」

 話は終わりだと言わんばかりに、再びナイフを抜き放つ澪木。
 自分が警察に関わるようなったのも、ここ2~3年だ。だが現場での彼らの職務に対する意地は十分に見てきたつもりだ。
 何もわからぬ状態で勝利して、突然の告訴だけではだめだ。
 丹念に、レイプへの意志を挫いてから逮捕する必要がある。

「無論、手っ取り早いのはここで降参してもらうことだけどね」
「ふ、フィヒッ、ふぃひひっ、くそっ、くそ……!」

 モブおじさんの顔が、屈辱と絶望にゆがむ。
 ……澪木とて、口調ほど余裕があるわけではない。
 TDLで体が動物に変わるものは、バイタリティ生命力あふれる活動家が比較的多い。
 その中でも感情や直感に従う者は獣に、己の本能を論理や理知で御する、もしくは支えて加速させるものは虫の姿となる傾向にある……が。
 この形態はまずい。虫は虫でも、何らかの幼虫の姿になる者はまずい。
 それは澪木にとって、動物の姿というよりもむしろ強烈な自己抑制性の持ち主である「タマゴ型」と呼ぶ者に近い分類だからだ。
 時間と『特定のトリガー』さえ与えなければ無力な存在ではある。これ以上余計な情報は与えず、退場させる。

「俺は、俺はまだ負けるわけにはァ~……」

 ドッ。

 澪木のナイフがモブおじさん虫の心臓部を貫き。

「ガッハ……」

 同時、真紅のレーザーが連続して三条。オフィスの床を切り裂いた。


 じゃっ。じゃじゃじゃっ。それはコンクリートを貫く高熱の音だけを持って、次々と撃ち上げられる。紅い光線、桜レーザー!

「うわぁぁぁぁん痛いーっ! でも、でもぉ――!」

 所はビル一階! 桜WINGにより、広大なロビーを高速低空飛行しつつ仰向けの体勢でレーザーを連射しているのは、ご存じ我らが雪村桜! 手には桜エイド!
 ズバリ『敵の細かい位置も覚えてないし、一階ずつ探すより下から撃ちまくって出て来てもらおう。うまく当たって倒せてたらもっといいな』作戦である! 賢い! ちょうど今、澪木たちのいるオフィスルームにもヒットしているぞ! えらい!

「――っ、滅茶苦茶やってくれるわね!」

 地上二十階。モブおじさん虫から離れ、床をケーキのように切り裂くレーザーの合間を縫って部屋から脱出する澪木。直後、寒気のする轟音と共にオフィスルームの床が階下へと崩落していく。
 オフィスと同じく、数々の溶け貫かれた痕の残る廊下を駆ける。まずは相手を視認できる位置を探さなければ。階段に向かうべく、三度目の角を曲がり――。

「――ん、んん?」

 しゅごー。

 ヒトの、下半身が飛んでいた。
 そこは一階から続く、広い吹き抜けに面した通路。その吹き抜けの空中に、スカートを履いた下半身が、火を噴いて飛行していた。小さな翼がついてて、何かお腹の部分が尖っている。
 一瞬、澪木の思考が止まる。ピピッ。腰の部分、一対のセンサーが光った。

『――見つけたーーーーーっ!!』
「きゃああああーーーーーー!!」

 思い切り叫んでしまった。何!? なんなのアレ!?
 直後! 吹き抜けの階下から二体、急上昇する飛翔体あり!
 一つ、ブラウスを着た女の子の胸部と両腕! 機首がついてる!
 一つ、肩と頭部、そして桜WINGだけの雪村桜(頭)!

 「チェーンジ桜ーッ、(ワン)!!」

 合体! 腕と胸部の桜マシン(ツー)が頭の桜マシン1に、下半身の桜マシン(スリー)が桜マシン2にぶっ刺さる! 見よ、これが桜七大兵器の四、君の望みも自由自在! 女心より変わりやすい、分割合体変形システム『桜チェンジ』!!

「ふんす!」

 ぷしゅーっ。雪村桜(初号機)参上! 関節部より煙! ガッツポーズ!

「じゃ、ないってぇーの! よ!!」

 得意満面な桜にフックロープが絡みつく! 澪木だ!

「わ、わわ、きゃっ」
「せーのっ!」

 思い切り手繰りよせる。そしてこの吹き抜けに面した通路の壁に――激突!
そのまま、体を丸めて耐えた桜に襲い掛かる澪木キック! 容赦ない! 雪村桜のお株を奪う非人道的キックだ! 吹き飛ばされた桜を、ピンと張ったフックロープが逃がさない。二重三重に襲う悪魔的工夫!

(人造人間の雪村桜ちゃん、この子――変わってない!? ……あ、いや違う!)

 澪木は未だTDLを解いていない。
 雪村桜(初号機)がロボである事は参加者観戦者の凡そ全員が知る所であるが外見的には人間とほぼ変わらない人造人間であるのもまた事実。
 故に、もし彼女に『心』という物が存在しえたなら、人間同様その姿が変質するという仮説も成り立つが――それらしい点は……やはり機械は機械、モノでしかないのか?
 いや、見よ!
 彼女の大きな目は、カメラレンズの如きセンサーユニットであった。顔や腕などの素肌は合わせ目の目立つ鈍色の装甲であり、口元は顎に向かって分割している上下稼働タイプだ。教育テレビの人形劇のような、と言えば分かり易いだろう。
 そして肘や膝の関節部も、素朴な球体関節である。
 ロボである。つーかロボであった。

「気づかなかったわ……完全にロボじゃない……」

 澪木が戦慄に震える。人間そのものの少女からロボへ。まさかここまで自然な変化であったとは……!
 いや、しかしこれは人造人間雪村桜(初号機)に取り敢えずの心が存在している証左! マッドサイエンティスト雪村詩織の理念は正しかったのだ! そしてこれは雪村ラボの大きな功績! 人類史の偉大なる一歩! 日本が誇る町工場の奇跡!

「でもこれはロボットって言うより……おもちゃの超合金? に近い印象ねぇ……」
「オープン桜!!」
「あっ!」

 分離! 三つに分かれロープをすり抜けた桜マシンが宙を舞う。
 桜マシン2が澪木に突撃!

「ぐぅっふ! 重……それに硬ッ!」
「お、重!? うわーん重いって言われたぁーお母さーん!」

 TDLを解除! 少女らしい柔らかさを取り戻した桜マシン、すんでの所で受け止めていたそれを投げ飛ばす。だが桜マシンたちは螺旋の軌道を描き、再び合流する!

「ゆるさなーい! チェンジ桜・2!」

 先ほどとは合体プロセスが違う。桜マシン3が2に刺さる点は同じだが、2の腕と3の足が合体! これは……新たな腕!? 更に変形し……頭部がせり出す! そして胴部の3の下に1が刺さり、WINGが脚部を形成。これらが瞬きの内に成された!
 遠き雪村ラボの地でも、Dr.雪村を初めとしてみんな大興奮だ!

「うおーいいぞー! かっこいいぞ桜ー! 2はより地上戦に特化した高速機動形態だ! レーザーだって2、3共に据え置き! お前の力を見せてやれ!」


 数分前、階下。

「う、ぐ、げふぅ……ひ、ひひ、ふひ……なんだよ、なんだよぉ~」

 薄暗い書類倉庫の中、モブおじさん虫は一人泣き笑いを漏らす。
 ナイフで貫かれ、数階分の崩落に巻き込まれて尚、モブおじさんは生きていた。
 体は未だ芋虫のまま、彼は己の命のため「TDLの解除概念」のみをシャットアウトしている。
 致命傷を追い、魔人能力を盾にも使えぬ無防備状態でここまで命を永らえさせているのは、ひとえに彼の生き汚さ……言い換えれば強烈な意志の力のせいと言ってよかった。最早動くこともできない。ナイフの傷だけでなく、瓦礫の激突で腹も大きく破れてしまった。
 それでも、数秒後に避けられぬ死が訪れるとしても、今心臓だけは止めていない。
 これがグロリアス・オリュンピアに参加する前の茂部であったなら、とうに息絶えていただろう。なぜだろうか。なぜ自分はここまでして諦めていないのだろうか。……理由があったのかもしれないが、もうわからなかった。

「ああ、ああ畜生クソが……死ねよ……死ね……」

 限界点に達した命の中、彼の心は妄執と錯乱の域にある。
 ちくしょう、ちょっと顔がよく生まれただけのくせしやがって。俺のことなんざ道端で見下すだけのクソだよなあ。いつも俺を殴ってたあいつも、優しいように見せかけて陰で嗤っていた女子も、俺のどもり癖を憐みの目でしか見なかった教師も、何も助けてくれなかった親も、遠巻きにバカにするだけの今の同僚も、生徒どもも、告訴とかぬかしたオカマ警察も何もかも――!

 俺を馬鹿にする全部全部、ぶっこわしてやる。ずっと昔もこんな事を思っていた。

 びしびし、びしびし。モブおじさん虫の体が変色し、硬質化していく。体が縮こまり、折れ曲がる。 蛹化(ようか)である。モブおじさんは、蛹と化していた。


 バァーーーzン!!

 そこに現れたのは、そう桜2! 黒かった桜WINGはすらりとしたタイツの脚に、紫を基調とした衣装はまるでゴシックの趣き、心なしか背も高く……あれ?
 マシン2と3が合体した新たな腕は妙にぶっとい形状のまま中からドリルがのぞき、頭部はせり上がった頭頂部だけが、半端に展開されて板状のままの胸部装甲に、引っかかる形で止まっている。
 かろうじて銀髪っぽいのはわかるけど、額から下が全部埋もれてる結果、すごく寸詰まりっぽくなってて……なんか、不細工なダンボールアーマーって感じです……。

 ……。バ、バァーーーzン! バァーーーーーzン!!!

☆ ☆ ☆

「うん、予算が足りなかったな! 2の変形機構はちょっと複雑に過ぎたかもだ」
「ふ、不具合っていうか欠陥じゃないですかそれってー!」
「いや悪くないんだって! もう少し簡略化できてたらきっとイケたって! ドリルだってついてるんだぞ! 2限定七大兵器、岩盤だって自由自在『桜ドリルゥ』だぞ!」
『あなたが澪木さんね。その動き……止まって見えるわ』
『声ばっかりちゃんと実装してんじゃないわよ!』

 画面の向こうの澪木も怒り心頭だ。

「ハッハッハー! 失敗は成功の母さ君! 腐っちゃダメだよ!」
「こ、この人……」

 シロナはこんな大人になっちゃダメだぞ! とにかく、こんな桜では格闘戦についていける筈もない。澪木が迫るぞ、どうする桜!

☆ ☆ ☆


「……。オープン桜」

 あ、逃げたこの桜! ともあれ分離した桜マシンはまたも澪木を翻弄!

「チェンジ桜・3」

 またしても合体!
 先ほどとは合体プロセスが違う。桜マシン1が3に刺さる点は同じだが、3の腕と1のWINGが合体! これは……新たな腕!? 更に変形し……頭部がせり出す! そして胴部の1の下に2が刺さり、腕部が脚部へと変形。これらが瞬きの内に成された!

「チェーンジコンプリート、桜3!」

 そこに現れたのは、そう桜3! 紫だった2の腕はうって変ってパステルポップのスカートに、全身も明るい暖色を中心とした元気なイメージのコスチューム、 マシン3と1が合体した新たな腕はしなやかながら力強く、金髪をサイドテールにした頭部には、意志の強さを感じさせる瞳が並ぶ。
 輝く太陽のような桜、桜3。

 バァーーーzン!!

☆ ☆ ☆

「こっちはちゃんと出来るんじゃん!!!!!」
「雪村ラボはポップでパッショネイトな集団だからな! な、助手くん!」
「何の話!?」

 最早怯える影すらシロナにはない! 本当にこんな風になっちゃダメだぞ!

☆ ☆ ☆

「こんにちは、おじさん! ボクは桜1や2みたいにいかないからね。覚悟してよ!」
「あらあら、おじさんなんて、最近聞いてなかったから逆に新鮮ね。こっちこそ、アナタみたいなカワイらしい子が構ってくれるなんて光栄だわ。……お駄賃はどれくらいがいいかしら、お嬢ちゃん?」

 クツクツと笑う澪木。だがその雰囲気はピリリと張っている。ようやくまともな相手がお出ましみたいね。澪木が構え、桜3がぐるぐると両腕を回した。
 その時。

 ――ZABZABZABZAB……。

「ッ!?」
「え……」

 それは、喩えるならゴキブリの羽音とスズメバチの羽音の融合。本能に訴える嫌悪と危険を孕んだ音。
 大きさの程、約二メートル強。ヒトより確実に大きいが大きすぎない。感情の窺えない複眼に、でっぷりと丸く太った腹部、異様に長い触角。
 窓の外。枯れた濃茶の色をした巨虫が浮かんでいた。


〈三〉


 ヴ――。

 羽撃きの振動で、窓ガラスが粉砕された。
 直後、まっすぐ突撃したモブおじさんが桜3に激突! 桜は三体に分かたれ、ばらばらに弾き飛ばされた。
 澪木のフックロープが飛ぶ。手近な桜マシン2を引き寄せるのと、慣性を無視した機動で突っ込んで来たモブおじさんが澪木の腹に着弾(・・)したのは、ほぼ同時であった。
 間一髪、桜マシン2をクッションに、何とか腹部への衝撃を耐える。

(まさか……生きてたの!? あの状態で!?)

 変態、無論昆虫の生態的な意味の変態を経たモブおじさんの傷は、蛹の過程で完治している。その姿は力強く、また幼虫とは違った意味で醜い。
 口吻から垂れるべちゃべちゃとした涎に、刺々とした三対の脚、ぬらぬらとした腹部。その上に座すぎょろぎょろとした複眼が、澪木の目と合う。

「へぇっへっへ……そういう顔が見たかったんだぁ~。もぉっと虐めてあげるよぉ~?」

 TDLは既に解除している筈。それにも拘らず人に戻らないという事は。

「ひひっ、また何かのはずみで芋虫にされちゃ敵わないからねぇ……アンタの能力解除は、通さないよぉ……?」

 表情が窺えない顔であるにもかかわらず、嗤っているのが分かった。

「やめなさい。本当に、ロクなことにならないわよ」
「マジな声だねえ~ククッ。どちらにせよこっちの子種、いやタネが割れてるんじゃ、《MOBの世界》を絡めた戦法は分が悪いからねえ……このまま侵犯(おか)し尽くさせてもらうッ!」
「冗談は顔だけに……しなさいな!」

 澪木の腕が走る! その手には、対魔人用改造スタンガン! 先程はより強固な無力手段である虫化を狙ったが、この距離での戦闘ならば!

「和姦道強引系闇奥義『口でするか挿れられちゃうか、どっちがいい』ッッ!!」

 でっぷりとした腹部から垂れ下がった生殖器が、サソリの尻尾の如き軌道で澪木の顔面を打ち据えた。吹っ飛ぶ澪木! それは節くれだった甲殻に覆われ、刺々しい。だがいわゆる、ちんこビンタだ!
 何というテクニックか。技巧を極める和姦道の奥義、成虫への脱皮を果たしたとは言え、わずかな時間でそれを昆虫の体に応用するセンス。モブおじさんの才気は、ここに来て完全なる開花を果たしたのか!?

「フィヒッ、もう逮捕でも何でも好きにすればいいよぉ……俺も最後のシャバくらい好きにやらせてもらうからねぇ……ぐふっ」

 物理的威力は元より、その刺激で相手の肉体的、精神的抵抗力を著しく奪うのが本分の奥義である。ダメージが足に来ている体に鞭打ち、立ち上がろうとする澪木。
 直後、精液の砲弾が飛来した。全身を異臭のする粘液にまみれさせ、澪木は再び弾き飛ばされる。

「カッハッ……!?」
「君の相手は後でじっくりしてあげるよぉ……? 上か下、どっちの口から壊して欲しいか考えておくんだねぇ~」

 瞬間、長大な生殖器が振るわれた。背後に迫っていた桜マシン1が叩き落とされる!

「きゃあああー!」

 落雷の如き一撃は吹き抜けから一階まで、一息に桜マシン1を撃ち落とした。チャージされていた桜マシン1のレーザーが、狙いを大きく外し天井を貫く。

「う、うう痛い……痛ぁい……」

 一階ロビー。レーザーのために桜マシン1から頭部だけを展開していた桜がべそをかく。機械の体ゆえ落下は耐えられたが、目の激痛だけはどうにもならない。

「痛いよぉ、お母さ……」

 ツインテール部分を器用に動かし、桜エイドを取りだす。それを絞りだし。
腹に響く音とともに、直上から落下して来たモブおじさん虫が、ツインテールを組み伏せのしかかった。桜エイドは床を滑り見えなくなった。

「ひっ……!」
「光栄だなぁ! 君みたいなロボットの初めてを貰うことが出来るなんてねぇ~! 下半身がないから口になりそうなのが残念だがなぁ!」
「ひ……ひゃああああ!! きゃああああーーーーーーー!!!」

 暴れる桜ヘッド!
 は、初めて!? 何を言ってるんだこの虫おじさんは! 生まれて二年の桜はモブおじさんの言ってることが全く分からない! でもこわい! 蝿みたいなゴキブリみたいなメチャクチャ大きな虫が口をガチャガチャ動かしながらのしかかって来てる! すごくこわい!!
 しなるちんこがロビーを叩く!

「観念するんだなあ! 大丈夫だよぉ、痛くしないようにするからねぇ……いや、でもこの位置じゃ口からってのは難しそうだなあ……下から通して口から出す! これだぁ~~~~っ! ぐふ、ぐふふ!」

 槍のように狙いをつけるちんこ! まずい! これは本当にまずいぞ! 女の子が首だけ! 下から! 相手は蟲!! あらゆる意味で大ピンチ!!

『おじさん!!』

 桜の口から、桜のものではない声がした。

「ぐふっひゃ……?」
『もうやめてよ、おじさん!』

 遠く離れた地、雪村ラボ。
 桜の大ピンチ、かつ虫動画のドアップに絶叫&大混乱だったラボが、静まり返っていた。
 シロナが、詩織の席にある桜の通話マイクをひったくっている。

「シロナくん……?」

 なぜ、どうしてこのロボットの子からシロナの声が?

「シロナくん、かい? なぜだい? もうすぐ……もうすぐ勝てるんだよ? 勝てば暮らしだって……オリュンピア部だって……」
『だって、だっておじさん……ボクは! ボクはもうおじさんが傷つくのは見たくないです!』
「!」
『そこまでして! 試合でボロボロになって、学校でもあんな事になって!』

 モブおじさんは、シロナのそんな声を初めて聴いた。

「へへ、騙されるかよ……」
『お、おじさ……っ』
「シロナくん、なんで君がそんな所にいて、こんなことを言ってるのか分からないけど、君は騙されているんだ」

 モブおじさんは、未だ死の間際の錯乱の中にある。それに引きずられている。
 体組織を丸ごと溶解して再構成するのが、変態。
 死の直前の妄執が、焼きついたように脳へと残る。虫化した人体など、有史以来公式には存在したことすらない。
 神秘の、夢の国の生物には、果たしてそんなことがあるのだろうか?

「大丈夫さ、おじさんが守る。何を前にしても、君には近づけさせない。だから、私に頼ってくれえて――」
『お、おじさん!』

 ブチリ。喉のマイクが切られた。

「虫の、おじさん……!」

 桜だった。虫の下で、桜がモブおじさんをにらみつけていた。

「おじさんが、シロナくんの家族なんですね……」
「ッ!?」
「シロナくん、言ってたです……優しい人だって、家族だって。なんで、なんでシロナくんの話を聞いてあげない、の……!」

 桜の声が震えていた。モブおじさんの声も震えていた。それは、同じ震えではない。

「だって、だってよぉ……!」

 モブおじさん虫の声が歪む。それは何かを押さえつけるような、既に漏れ出してしまっているかのような。

「もう、もう遅いじゃねぇかよ!」

 ビルに響くような、叫びだった
 桜の顔に、虫の頭部から漏れた液体がかかる。それは、涎なのか。それとも。

「あれだけ! あれだけのことをしてよぉ! 何が復讐される覚悟だよ! ねえよ! そんなモンねえ! 怖ぇから逃げてるだけだよ! 今更! もう俺みたいな奴が何をしようが! 戻れるかよぉーーーーーッ!!」

 モブおじさんの生殖器が思いきり引き絞られる!
 同時、モブおじさんの直下の地面から、ドリルを備えた、脚のないヒトの体が飛び出した!
 銀髪! これは……桜2!
 完全な起動状態を果たしている桜2である。先程は欠陥品だったにも拘らず、桜ドリルの駆動も完璧だ。これはいつの間に!?
 いや、違う! これは桜2は桜2であるが……ロボ(・・)だ!
 そして、見れば傍らの桜1のヘッドもまた……ロボ!

 ――気づかなかったわ……完全にロボじゃない……。

 頭上二十階。ぬぐいきれぬ精液の中、モブおじさんを見下ろす澪木がいた。
 TDL。そして。

 ――うん、予算が足りなかったな! 2の変形機構はちょっと複雑に過ぎたかもだ。
 ――いや悪くないんだって! もう少し簡略化できてたらきっとイケたって!

 そう、この姿はロボットというより――。
 竜巻めいて回る桜ドリルゥが唸る! 狙いはモブおじさんか!? いや、昆虫の複眼と反射神経を備えたモブおじさんは、コンマ数秒前に現れたチン入者にも、既に万全の備えを構えている! 振るわれる生殖器(ちんこ)の鞭!
 ――否!
 桜2が分離、回避! マシン2が1に刺さる! そして桜はマシン3を掴み!

「……バカーーーーーーーッ!!!!!」

 マシン3から現れた第三の頭。そこから放たれた非人道兵器桜レーザーが、モブおじさんを斜めに両断した。

「がッ……ごは……」

 モブおじさんの眼が光を失い……その姿が全裸の中年男性に戻る。
 最大出力で放たれた桜レーザーはビルの内壁側面から吹き抜けの遥か頭上、天井までをも切り裂き――二つに分かれたモブおじさんの体の隙間から、桜は見た。
 エスカレーターに、コンクリートの梁、ビル内部の様々なオブジェクト諸共、天井が崩落するのを。

「あ――」

 モブおじさんの体に覆いかぶさられた桜は、動くことが出来ない。
 そのモブおじさんの手がゆっくりと握られ、開かれると同時。
 大小、大量の瓦礫が、ロビーに降り注いだ。


 天井がなくなり、頭上には青い空の広がるロビーを、澪木が歩む。頭上から降り注いだ様々な落下物に埋もれたその一階は、惨憺たる有り様だった。
 ボロボロになったビル内部、二十階分を階段で何とか下り、向かう目的地はその中心部。特に瓦礫が山と積もったその一帯は、崩落からずっと、、何も動いた気配はない。

「これは……さすがに決まったかしらねぇ」

 息を吐く澪木。自分のダメージとて決して軽くはなく、決着がついているに越したことはない。だがそれならば、自分も既に会場に戻っている筈だ。
 それはすなわち。
 その時であった。ごろり、ごろりと瓦礫の隙間から転がり出て来るものがあった。
 思わず構えを取る。だがそれは……それは、雪村桜(初号機)の頭部であった。

「あ、おじさん――」
「……ハァイ。なぁんだ、アナタも無事だったのね」
「えへへ……もう頭だけですけど……」
「お互い、悪運が強いわね。……ふふっ」
「あはは……」

 バツが悪そうな様子で、桜が応える。疲れ切っている様子だが、まだ目は死んでいない。

「……あの太った虫のおじさん。最後にね、最後に私を助けてくれたんです。少しの間だけ、私とおじさんの所に瓦礫が振って来なくなって……本当に少しの間だけだったんだけど、それで私の頭だけは無事な隙間が出来て……」
「……そう」

 伏し目がちに、視線だけを瓦礫にやり、桜が言う。
 それは、シロナの声で自分を止めた機械に対し、何がしかの影を見た故の行為だったのか。それとも、もう何十年ぶりかすら覚えていない、自分に本気で向き合い、叱りつけた者に対する、彼なりの誠意だったのか。はたまた、ただ今わの際の無為な混乱が、たまたま桜を救っただけだったのか。その、どれでもなかったのか。
 二人にそれはわからない。本人に訊いても、きっとわからないのだろう。

「……さて」
「はいっ」

 空中に視線が交差する。
 どこか、通じ合っている二人がいた。確たる言葉がなくても、どうすべきか分かるのだ。

「ところで知ってますかっ! お酒って美容にも悪いみたいですよっ。こう、歳を取って来ると目じりにきゅーってしわが寄って」
「えっマジ!? やだどうしよう、わた」

 桜秘蔵の美容トーク! これは澪木にクリティカル! 思わず話に引きこまれ、

「やあっ!」

 不意の桜レーザー! しかし澪木はそれを素早く躱し。

 ゴィン!

「……きゅう~」

 目が回る。その最後の拳骨により、桜は意識を失ったのだった。


〈四〉


「おっと帰るのかい、シロナくん?」
「はいっ! ええと……お世話になりました! 後日必ずお礼に!」
「お礼なら、雪村ラボへの何らかの発注がいいな! 君の財が我が世界征服の礎になるのだ!」
「はいっ!」

 シロナは駆け出す。駅へ、会場へ、茂部の元へ。
 茂部は、今日にでも出頭し、法の裁きを待つ身となるだろう。オリュンピア部の設立も夢と消えるだろう。そればかりか、これからきっと何十年も、茂部とは離れ離れだろう。
 だから――。
 違う、そうじゃない。
 自分は今、茂部の傍にいなくてはならない。そうしなければならない。
 自分は子供で、弱くて、守られてばかりで。それでも、いま何もかも砕かれた茂部と一緒にいることは、自分にしか出来ない役割なのだ。

 ――茂部先生がいいです。きっと先生は、ボクを見捨てないから。

 バカをいうな。おじさんがボクを見捨てないなら、ボクはそれ以上の何かでおじさんに報いなければダメじゃないか。
 おじさんの重い罪は、すぐに日本中に知らされる。その時は、自分が一緒に背負おう。頼りなくても、共に償える男を目指すんだ。

「待ってて、おじさん――!」

 友達が出来た。おじさん以外で、接してて何だか……ダメだけどなんだか楽しい大人も出来た。
 シロナは駆けている。未だ遠い茂部への道を。それは、弱かった子供が初めて自分の意志で進み始めた道だった。


「行っちゃいましたねドクター。……結局、彼、何なんだったんでしょうね。モブおじさんとか。そも『モブおじさん』ってのも何なんだか」
「さてね。私ら雪村ラボには関係ないことさ。私たちにはそんな些事より、世界征服が待ってる!」

 Dr.雪村はふんぞり返る。
 桜の眼球とリンクしたモニタは、未だ暗いままだ。疑似バイタルは正常。しばらくすれば起きて、帰って来るだろう。

「……いや違う! 今あいつ体が潰れて頭だけだよ! 迎えに行かなきゃ!」
「あっそうか!」「負けちまったしなー。どうせだ、希望者まとめて行こうぜ」「東京かー!」

 バタバタとラボが騒ぎ始める。いつもこの調子だ。慌ただしい。Dr.雪村も身支度に入る。

 今日はうんと誉めてやろう。がんばったな。修理にメチャクチャ金掛かるけど心配するなよ。なんせ私は天才だからな。
 あいつはどんな顔するだろう。悔しがるかな。やり切ったとか思うかな。そういや友達も出来たな。何にせよ、私は嬉しいぞ。
 お前のそうやって成長する心が、ラボの一番の武器で、世界征服への一番の兵器なんだから。

「……お疲れ、桜」

 未だ灯らぬモニタの前、雪村詩織は一人目を細めた。



【第2回戦:オフィスビル街STAGE】

【雪村桜(初号機),澪木祭蔵,モブおじさん】

『汝、人間なりや? Part2 [Beast And Toy Soldier Mix]』


【現在判明している桜七代兵器】

• 非人道兵器「桜レーザー」
• 自らの命を削る大技「桜チェーンソー」
• 残された最後の良心「桜カウボーイ」
• 君の好みに変わっちゃうぜ「桜チェンジ」←New!
• 乙女のジレンマα「桜WING」←New!
• 乙女のジレンマβ「桜ドリルゥ」←New!
• 乙女のジレンマγ「桜アビス(未使用)」←New!
• 良心からはただ遠く「桜エイド」←New!
• あなたに一つ、わたしに一つ「桜ハート」←…New?



  グロリアス・オリュンピア第二回戦・第△試合
   戦場:オフィスビル街  雪村桜(初号機)●
                 〇澪木祭蔵
                  モブおじさん●
最終更新:2018年03月26日 01:09