「――ハハ、ハハハハハ! 完璧だ! これで絶対に勝てる!」
それは試合会場のホテルの一室。
暗闇の中、パソコンのモニタが輝いていた。
「っしゃぁー! できたー! これで人生バラ色の大勝利間違いなし! イェーイ! 明日にはチャンネル登録数がヤバいことになってるはずだー! フゥッフー↑ 自分を褒め称えたい! すごい! えらい! いえいえ、それほどでも! 照れちゃうなー!」
椅子に座ってはしゃいでいるのはファイヤーラッコ!
そう、彼はいま動画を編集していた!
「いやー大会支給の高性能PCは本当に便利! スマホだと機能しないWiki構文とかもあるしな! 一番下までいけばPC表示に切り替えるボタンもあるけど、すっごく面倒くさい! だからべつに気にしないでいいか!」
ラッコは誰にともなく独り言を呟いた!
独り言だから、気にしてはいけない!
「それにしても楽しみだなぁ~! 一日でチャンネル登録数が3倍になると仮定して……二日で9倍、三日で27倍! 一週間で……ええっと、たくさんだ!」
ラッコは指を折って数える!
いったいいくつになるのだろう! わからない! でもきっと夢みたいにいっぱいな数!
※気になった方は各自計算してください。
「……しかし作るのに三日もかかっちゃったな……。こんなの毎日作ってる暇ないや……。いやだ……不労所得が欲しい……っていうか5億円欲しい……。炎が出せるっていっても、大道芸じゃあ今時食っていけないし……」
そんなラッコのため息が部屋の中に響く。
「5億円……5億円あったら機材を買って……バンバン動画をアップして有名になるんだ……今話題のVTuberってヤツもいいな……。賞金でめちゃくちゃカッコイイモデル作ってもらってさ……。そうすれば有名になって、そのときはきっと――。……うう、ううううぅ! でも、でも次の試合に勝たなきゃ……次の試合は、次の試合はなあぁあ……! オエッ、吐きそ」
ラッコは胃を痛ませながら、次の試合の対戦相手を思い浮かべる!
それはモブおじさん! 極悪レイパー、モブおじさんだ!
殴られて痛いのは嫌だし、そうでなくても貞操がヤバイ!
「放送禁止なだけじゃなくて本人も強いとかマジで最悪なんだけど……。はぁ……逃げたい……事故って対戦相手が死んでほしい……。いや死ぬまではちょっと可哀想だから、こう……足の小指とかぶつけて出場を諦めてほしい……。放送事故確定の試合になってしまう前に……神様……」
ラッコは神様をまったく信じていないが、申し訳程度に心の中で祈りを捧げる。
――そんな祈りの中で、自分の発した言葉に引っかかりを感じた。
「放送事故……確定……」
ラッコはぼんやりとその言葉を繰り返す。
そして何かを思いついたように、つぶらなその瞳を見開いた。
「ハ……ハハ! そうだ……最初からそうすれば良かったんだ! ――ハハ、ハハハハハ! なぁんだ簡単なことじゃないか! 全部まるっと解決した! よくやった、よくやったぞ俺の頭脳! ヤバイ、天才過ぎる! まさに神がかった妙案! これぞまさしく一発逆転の発想! そう、つまりは――!」
彼は勢いよく立ち上がった。
その拍子にパソコンデスクに膝が触れてしまい、机に載っていた小銭が落ちる。
「――ジャック、ポット……!」
ラッコの声に重なって、フローリングの床を叩く硬貨の音が静かな部屋に響いた。
◆◆◆
「……うぅん、強敵だなぁ……」
それは試合会場のホテルの一室。
明かりのともったその部屋では、パソコンのモニタに試合の動画が流れていた。
「一回戦、二回戦……。そこには確実に……何か得体の知れないものがいる……!」
デスクチェアーに座る色白の少年はため息をついた。
その顔には疲労の色が強く出ている。
少し休憩しようか、と彼が背伸びをすると同時に、突然背後から声が聞こえた。
「――あいたぁっ!」
「……おじさん」
彼が振り返ると、そこには足の小指を抱えたままベッドの上でのたうち回るモブおじさんの姿があった。
「ぐわあぁぁ! ベッドの角にグキッってぇ! なんでこんなとこにベッドがあるのぉ!? たしかにホテルだけどさぁ! でもすっごい痛いコレ折れたかも! これはヤバイ! えっマジヤバイ! 小指もげてないコレェ!? 体置いて勝手に一人旅に出発してない!? そこはいったい誰の東海道ー!?」
「おじさん大丈夫だから落ち着いて。ちゃんとくっついてるから。ほーら痛いの痛いの飛んでいけー」
少年はベッドの上に座って、涙目になっているモブおじさんの足をさすった。
そしてしばらくそのままさすった後、その顔に真面目な表情を浮かべてモブおじさんの顔を見つめる。
「次の相手の一回戦と二回戦を見てたんですけど……このままだと、おじさんは負けると思います」
彼の単刀直入な言葉に、モブおじさんは眉をひそめた。
「……そう、か。おじさんには珍しく、けっこう事前準備したんだけどねぇ」
モブおじさんは既に次の対戦相手――ファイヤーラッコに対する事前工作を進めていた。
実は今日も希望崎学園に忍び込み、その仕掛けを設置していたところだ。
特殊な会場を除き、試合場が現実からコピーされることは今までの戦いで判明している。
しかしそんな準備を済ませていたモブおじさんでも、少年の言葉を否定することはない。
なぜなら彼――白名楽飛人は、オリュンピア部を設立したがるほどのグロリアス・オリュンピアマニアなのである。
彼はこの大会の試合展開を、全て暗唱できるほどに分析していた。
そんな彼の言うことを、信じないわけにはいかない。
――故に。
「……勝つには、どうしたらいい?」
モブおじさんは尋ねる。
勝つための方法を。
そしてその言葉に、シロナも当たり前のように頷いた。
「はい。それを今から説明します」
「……ありがとうね」
モブおじさんは感謝の言葉を述べる。
シロナの分析や調査は、彼が自発的に行っていることだ。
モブおじさんは彼の為にこの大会へ参加しているが、彼もまたモブおじさんの勝利の為に出来ることをしてくれていた。
「……これ、お土産。希望崎学園の購買部から買ってきたんだ」
モブおじさんが外出時に買ってきたものを差し出す。
大会が始まって以来、モブおじさんもシロナもほとんど外には出ないようにしていた。
元より全国に放映される大会なので、風評を考えると当然のことだろう。
シロナは受け取った袋を開ける。
するとその中からA4サイズのジグソーパズルが姿を現した。
「これ……希望崎学園の校舎」
「うん。たしか、ジグソーパズルが好きなんだろう」
「……べつに好きってわけじゃないです」
「あれ!? そうなの!?」
モブおじさんはシロナの言葉に狼狽える。
「たしかキミの能力は……ジグソーパズルを完成させる、みたいな能力だったよね……」
「ええ、まあそうなんですけども……。好きかどうかと言われると、そんなには」
シロナは魔人能力に目覚めたことで迫害を受けることになった。
しかし彼の魔人能力は戦闘力のないものだ。
それ故に、グロリアス・オリュンピアには出場していない。
「……そっかぁ。珍しい能力だったから、てっきりパズルが好きなのかと思ったよ。――ええと、《アヘ顔ダブルピース》だっけ」
「違います。『ダブルピース』しかあってないです。殴りますよ」
「ヒィッ! シロナくん、最近強くなったね……。心が……」
グロリアス・オリュンピアが始まって以来、彼は次第に感情豊かになってきていた。
モブおじさんに依存するだけでなく、世間にも目を向けて、自分をしっかりと持つようになっている。
モブおじさんはそれを少し寂しく思いながらも、同時にその成長を嬉しく思っていた。
――きっとこの子は、もう俺がいなくても上手くやっていける。
そう思いつつ目を細めるモブおじさんに、シロナは受け取ったパズルを胸元に抱えた。
「……これはもらっておきますけど、おじさんはボクの能力も憶えてくれないんですね」
「いやぁ……それはその……。最近物覚えが悪くて……。歳かなぁ……って……」
「……はー。童くんの童貞道や桜ちゃんの桜七大兵器なんかは憶えられるのに。……ボクなんかどうでもいいんだろうなー」
モブおじさんはシロナの子供っぽい物言いに苦笑する。
二人とも、一回戦と二回戦でモブおじさんの和姦道の餌食となった相手だった。
――つまり、彼は。
「もしかして、妬いてるの……?」
「――そんなことないです」
シロナはそう言うと、ツンと顔を背けるのだった。
◆◆◆
――試合当日。
第三回戦試合会場、希望崎学園。
二階廊下、家庭科室前。
◆◆◆
希望崎学園に転送された二人はそうして出会った。
数メートルの距離を取って、二人は対峙する。
ラッコはお得意の喧嘩殺法の構えを取って、その顔に笑みを浮かべた。
「まあ、それはそれで好都合か……。戦いに集中できる……。いや本当、ガス代とか他に気にすることがいっぱいあるからな……!」
「フヒヒィ……! ただのラッコが、俺に勝てるかなぁ……!?」
モブおじさんはいつも通りいやらしく笑う。
しかしそれにラッコは首を横に振った。
「この戦いの為に、秘密兵器を仕入れてきたんだ……! これで間違いなく俺の勝ち……! 確定的勝利……!」
「な……秘密兵器だと……!?」
驚きの声をあげるモブおじさんに、ラッコは口の端をつり上げる。
そして首元の毛をかき分けて、中に隠されていた小さなカメラを見せつけた。
「スパイカメラ~!」
こんなちっちゃいカメラが今は800円で買えちゃう……! えっ、安くない……!? 小学生でもスパイごっこできるじゃん……!
モブおじさんはそれを見て驚愕の表情を浮かべる!
「カメラ……だと……!? いったいそれで何が……!?」
「ふふ……わからないのか……。これがあれば――!」
ラッコが勝ち誇ったように言った。
「動画が、撮れる――!」
「……動画」
モブおじさんはいぶかしげな顔をする。
それに構わず、ラッコは言葉を続けた。
「動画が撮れれば、Youtubeにアップできる」
「ユーチューブ」
「そうすれば、労せずして再生数が稼げる」
「再生数」
「するとチャンネル登録者数が増えて……視聴料的なアレが、がっぽがっぽ……! 働かなくていい……!」
「がっぽがっぽ……」
「そうこれでこの戦いの勝者は決まったも――!」
ラッコはカメラを固定していたセロハンテープを引きちぎると、そのままカメラを地面に叩き付けた。
「――なんにも解決してねぇだろうがぁ!」
「ええ……?」
ラッコの突然の豹変っぷりに、モブおじさんは困惑する!
ラッコは地面に転がるカメラを、地団駄を踏むように何度も何度も踏み付ける。
「くそ、くそ……! ダメじゃん……! 全然解決になってないじゃん……! えっ!? なんで昨日はこれでいけると思ったの!? ちょっとちょっと、勘弁してよ昨日の俺~~~! それはそうとプライム会員は配達速ぇな~!」
ラッコはカメラを蹴り飛ばすと、肩で息をしながら呟き始める。
なお、カメラは案外頑丈だったので全然壊れなかった。
「ハーッ! ハーッ! ……待て待て落ち着けクールになろ。大丈夫、いけるいける。まだカメラ代800円ぐらい損しただけだからね。ここからきっと何か思いつ「ブンッ!」――ッブねぇなあ! はい集中ー! ちょっといきなり何すんの!? 今こっちは反省会開いてるの! やめてよ男子ー!」
モブおじさんが繰り出した高速の突きを、ラッコは背中を仰け反らせてすんでの所で避ける!
モブおじさんはその顔にニチャリとした笑みを浮かべた!
「フヒヒ……! 戦闘はもう始まってるんだぜぇ……」
「こわっ。シリアルキラーかよ……」
ラッコはたまらずバックステップ!
モブおじさんとの距離を取る!
「――はっ! そう、そうだあれだ! 前回のやつ! 前回思いついたあれ! なんだっけ、そう――!」
ラッコは両手を前に出して結び、人差し指を立てる!
そうその姿は――!
「――忍者! これから俺は忍者として売り出していくから! ファイヤーラッコあらためニンジャラッコで売り出していくから! いやラッコニンジャの方がいいかな? ハイクを詠め! モブオジ=サン! ……ええっと、たしかこんな感じだろ! 忍法――!」
ラッコの背中から、炎が吹き出す!
「――多重影分身の術だってばよ!」
吹き出した炎が――次第に人型になっていく!
そしてそれは、ラッコのような形を形成した!
すごい! これは……分身の術!
まるで二人になったように見える、そんな感じのアレだ!
そうして二人になったラッコは、その場で反復横跳びを始める!
しばらく反復横跳びを続けるラッコを、モブおじさんが見つめる!
見つめる!
見つめる!
すっごく見つめる……!
ねっとりと……それでいて……可哀想な物を見るような目で……!
そして、ラッコの動きが徐々に遅くなっていった……!
「……はぁ、はぁ……ちょっと……しんどいな、コレ……」
ラッコは息を切らしながら、脇腹を押さえる。
なんて卑怯な!
スタミナ切れを狙う、モブおじさんの卑劣な作戦!
ラッコは唾を飲み込みつつ、大きく息を吐いた。
同時に、オレンジ色のラッコが消失する。
「しかも分身が燃えてる間、ガス代もすっげぇ心配になるし……。クッソ……。実家暮らしだからヤバいんだってマジで……」
疲れ果てて今にも座り込みそうなラッコの前に、モブおじさんが近付く。
「……ヒヒヒ! もうお遊びは終わりか~!?」
「あ、遊んでねぇよ! 大マジだから! マジラッコ!」
牙をむき出して威嚇するラッコ! 割とするどい!
そんなラッコに向かって、モブおじさんは拳を繰り出す!
「和姦道一の型! 『イヤよイヤよも好きのうち』ー!」
モブおじさんの拳が迫る!
それは相手のガードを避ける為の、大きく迂回した横からの突き!
空手道においては鉤突きとも呼ばれる、軌道が読みにくいフックである!
二段階の軌跡を描く変則的な突きを、ラッコはしゃがんでギリギリかわす!
「――ッカァー! あっぶねー! ……ちょっと! 世界観が違う! めっちゃ普通の格闘技戦になってるじゃん! そういうの……そういうの求められてないでしょ! ちゃんとして!」
「……チッ! 運の良いヤツめ! 二の型! 『ちょっと酔っちゃったみたい』!」
「ちょちょちょちょ待待ままままっ!」
モブおじさんは体をふらつかせるような動きでラッコに背中を向けると、そのまま体をぶつける!
それは中国武術における鉄山靠に酷似した技で、ラッコはその攻撃にきりもみ回転をしながら弾き飛ばされた!
「アバーーッ!」
ごろんごろんと転がりながら、ラッコは壁に叩き付けられる!
慌てて体を起こすものの、すぐにモブおじさんがその距離を詰めて迫ってきていた!
ラッコは悲鳴をあげる!
「ギャァァアア! だ、誰かー! 神様でも悪魔でもなんでもいい! 誰か俺のことを――助けてくれー!」
ラッコは神様を信じていないし、叫んだところで何が起こるとも思っていない。
だがピンチになったら、神頼みの一つもしたくなる! だってラッコだもの!
――だが、そのとき!
「――おーい!」
声が、聞こえた。
「……こ、この声は!?」
ラッコは慌てて周囲を見回す!
するとすぐ横の空間に、ワームホールが出現していた!
「――どうしたんだーい?」
ワームホールの向こうから、青年の声が聞こえてくる!
その声に、ラッコは聞き覚えがあった!
「まさか……嘘!? 夢みたーい! サインください!」
ラッコの声に応えるようにして、その男は姿を現す!
「はーいここで満を持してオレ様、爆発オチ太郎の登場でーす!」
「お前かよぉお!」
ラッコは叫ぶ!
ワームホールから現れたのは道化師のような姿をした爆発オチ太郎!
爆発オチ太郎はラッコの前に立つと、次々と周囲にワームホールを作り出していく!
「よいサイズの石油コンビナート~!」
そしてワームホールから、いつも通り石油コンビナートが召喚された!
ちなみに改めてググってみたら、石油コンビナートとは石油関係の企業集団のことらしい!
Wikipediaには工業地域みたいなことも書いてあった!
工業地域を具現化……! どういうことか……イメージできるだろうか!?
よいサイズの……! そう、よいサイズなんだ! よいサイズの……そこはかとなくオシャレな……石油コンビナート!
たぶんミニチュアサイズぐらいの石油コンビナートが……出てきた!
「石油コンビナー石油コンビ石油コン石油石油石石石石!!!!」
そして爆発オチ太郎によって、いくつもの石油コンビナートが具現化されていく!
無限に創造される石油コンビナート!
――そして!
「銀座ライオンで貰ったマッチ~!」
「お前ちょっとふざけん――!」
――爆発ッ!
ラッコの言葉を待たずして、激しい轟音と爆炎があたりを包む!
石油コンビナートだから……その火力はとっても強い!
周囲の校舎を巻き込み、爆発の炎が広がっていく!
……そして数秒後、炎が収まる。
そこにはアフロヘアーのラッコが立っていた。
「うひゃあ~……学校が燃えてる……。ガス代大丈夫かな……」
メラメラと燃え始める校舎。
だがラッコの毛は火炎と爆発に耐性があるので、恐怖は感じていない。
それよりもガス代の方が心配である。
――しかし。
「《MOBの『世界』》……『拒絶:爆炎』」
炎が散った場所に、もう一人のアフロが立っていた。
ラッコはそれを見てため息をつく。
「……まあ、そうそう上手くいくとは思ってないけどさ」
ラッコの言葉に、モブおじさんは首を振った。
「いいや、かなり上手いぜぇ……。あの石油コンビナートは厄介だ。あの威力の爆炎は能力を使わないと防ぎきれない……。さすがの俺の能力でも、炎に紛れて攻撃されたら防ぎようがないからなぁ……」
「あっ! その手が!?」
ラッコはポン、と手を叩く。
それを見てモブおじさんは笑う。
「ぐふふ……どこまで本気なのか……。しかし爆発オチ太郎、爆発オチ太郎くんか……。ああ、厄介だなぁ。ラッコくんがピンチに陥るとやってきて、全てをひっくり返していく物語の終末装置。……どうにかして、キミにはご退場願わないといけないんだよねぇ」
ラッコの背後で未だ燃えていた炎が、消え去る。
そしてそこには、道化師の姿に仮面をした爆発オチ太郎の姿があった。
「でもそんな存在とまともに戦ったら勝ち目はない。――だから、種明かしをしよう」
モブおじさんは右手の人差し指を、爆発オチ太郎に向けた。
「お前の正体、ここで解明させてもらおうか」
◆◆◆
「……それは、二つピースが欠けているパズルなんです」
試合前夜。
モブおじさんの泊まる部屋。
機嫌を直したシロナが、モブおじさんにそれを告げる。
「本来では完成させられない、ピースの欠けてしまった不完全なパズル。――でもボクの能力、《失われた二人の思い出》ならそれを完成させられます」
それはジグソーパズルを作るとされたシロナの能力。
名前の通り、『失くしたパズルのピースを具現化する』という能力だ。
本来であれば『対象はピースが欠けたパズルのみ』、『具現化できるものは二つまで』、『具現化可能な時間は数十分』などの制約も絡み、全く実用性のない魔人能力。
故に、彼はグロリアス・オリュンピアには出場していなかった。
戦闘力がない為、出場できなかったのである。
……しかしモブおじさんの戦いを観戦することで、『能力の対象とは実在する物体に限らない』ことを認識する。
認識とは、魔人の力の源だ。
よって認識が上書きされることで、彼の能力は拡張された。
「――ピース1。ファイヤーラッコさんは『母子家庭』で『捜し人』がいた」
それはファイヤーラッコが予選選抜のときに、トーナメント運営の一部太郎レディへ提出する書類に書いたプロフィールだ。
本来は運営しか知らないはずの情報。
しかし《失われた二人の思い出》によりラッコの持つ謎を『論理パズルである』と認識することで、結論に至るまでに必要なその情報を得ることができる。
「そしてもう一つの隠された事実、それは――『爆発オチ太郎』さんの正体に関すること」
それはファイヤーラッコ一回戦から度々試合会場に乱入していたが、全く言及されていない人物。
大会はGO運営管理の下、試合は公平なルール内で行われているはず。
――ならば。
「試合への第三者の乱入なんて許されない。もし初回が許されたとしても、二回戦で大会側が対策を取る素振りを何も見せなかったのはどう考えても不自然です。この大会は王女が戦いを楽しむ為の試合。……ラッコさんが失格になってもおかしくないっていうのに」
魔人の中にはさまざまな種類の能力者がいるし、魔人公安警察の中にはワームホールからやってくる魔人に対抗できる能力者もいるはずだ。
しかし爆発オチ太郎は捕縛もされなければ、問題にもなっていない。
一度までなら偶然で済ませられることもあるだろうが、一回戦に続き二回戦でも同様の姿がテレビカメラに映っていた。
そこから導くことができる結論は、二つのパターン。
「一つの可能性は、爆発オチ太郎さんが概念・精神操作系の能力者である可能性。だけどそれが真実なら、ボクが疑問を抱くこともできなかったはず」
もし爆発オチ太郎がそんな能力を持っていたり形而上的な存在であるとしたら、それは観客も含めて誰一人として認識することはできなかっただろう。
だが彼のことは誰もが認識できている。
特に二回戦の闘技場では、実際の事象として試合結果にも影響を及ぼすようなことをしているのだから、認識できるのは当然のことである。
――ならば。
「残った唯一の道筋は――爆発オチ太郎さんがファイヤーラッコさんの一部であるという可能性」
そしてフェム王女と大会運営はそれを承知の上でファイヤーラッコを出場させている。
そうでなければ、論理的なつじつまが合わない。
――ファイヤーラッコは、炎を操るラッコめいた男だ!
――ただし、火炎生成を使うほどにガスの利用料金が心配になるぞ!
ラッコについて大会公式から公開されているプロフィールは以上の二文だ。
「運営の認識と爆発オチ太郎さんの扱いに矛盾が無いなら、爆発オチ太郎さんの正体は一つ」
もしも運営が嘘をついていないとするなら。
「爆発オチ太郎さんは、ラッコさんの能力だった。つまりそれは――」
彼はワームホールからやってきた形而上的存在でもなければ、ラッコの別人格でもない。
その正体は――。
「――『炎』」
彼が出てくる際に現れるワームホールも、おそらくは炎が変化した演出の一つ。
爆発オチ太郎自身の体も、彼が具現化する石油コンビナートも、全ては炎が起こす陽炎の幻。
「……そしてボクたちはもうそれに見覚えがある」
シロナは言葉を続ける。
「『炎や爆発を操り』」
「『物体や、人格を持った人間にすらなり得る』」
「『神出鬼没の魔人能力』」
「ボクたちはそんな能力を見知っている」
「ボクたちはそんな魔人を認識している」
「ボクたちはそんな戦いを観戦している」
「その能力の名前は――!」
◆◆◆
「――《輪廻化生》」
モブおじさんは、爆発オチ太郎を指さしたままその答えを告げる。
「――犯人は、お前だ」
そして、その名前を呼んだ。
「――『偽花火燐花』!」
瞬間、爆発オチ太郎の姿が炎に包まれる。
そしてその中から、一人の少女が姿を現した。
それは道化の服に身を包んだ、物憂げな少女。
「――ら、らら、らら……あ、あれ……うまく、できない……。ヴァーニャなら、こ、こんなときだって、とっても上手に、可愛く、出てこれたのに……」
一回戦ピラミッドステージで敗退したはずの
放火魔術師――
偽花火燐花。
彼女はどこか自信なさげな様子で、言葉を続ける。
「イ、イワンなら……そもそも見つからなかったと、思うんです……。出番でもないのに、出てきて……ご、ごめんなさい。でも、指名されたら出ていかなきゃいけないって、だ、団長が言ってたから……」
申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする少女の横で、ラッコが声を上げた。
「な……なにこれすごい! 爆発オチ太郎が……美少女になった! 爆発オチ太郎レディ!?」
ラッコは体全体で驚きを表現するように頭上で手を叩きながら、彼女の周りを小躍りして回る。
「ヒュゥー! 最高じゃん! っていうか偽花火ちゃんでしょ!? 一回戦見た見た! こんにちバーニング! なんつて! 一緒にYoutuber目指さない? いけるいける! キミの可愛さならてっぺん狙えるって! それにしても何コレ? この子、俺の能力なの? ウケる~」
「あ――ああ、うれしい……。わ、わたしのこと、見てくれるなんて……こうえい、です」
照れた様子を見せる偽花火に、モブおじさんは目を細める。
……昨夜、シロナは爆発オチ太郎の正体についてこう続けた。
――ボクの能力で導き出した、失われた最後のピース。ファイヤーラッコさんと偽花火燐花さんを繋ぐ唯一にして最大の因縁。それは――。
その言葉を思い出し、モブおじさんが代わりに告げる。
「――ジャック……」
「……へ?」
その言葉に、ラッコは顔をモブおじさんに向けた。
モブおじさんは、もう一度口を開く。
今度はより、正確に。
「――『海獣使いのアンバー・ジャック』」
――アンバージャック。
それは日本ではカンパチとも呼ばれる、アジ科の魚の英名である。
「――な、なんで……」
モブおじさんの言葉に、ラッコは大きく狼狽えた様子を見せた。
その視線が定まらず、目が泳ぐ。
乾いた声を絞り出すように、ラッコは言葉を続ける。
「……なんで、親父の芸名を……?」
――ファイヤーラッコは母子家庭の高卒である。
――この機会に捜し人とか見つかるかな?
どちらもファイヤーラッコが予選の際、運営に伝えていた話だ。
「俺も昔、テレビで見たことがあるな。魚のかぶり物をした、面白いオッサンだった。いつからか……テレビには出なくなったが」
モブおじさんは懐かしむようにそう言った。
そしてそれに応えるようにして――偽花火燐花が言葉を紡ぐ。
「……そう、ジャック。ジャックなら、もっと上手に海の獣を操ってみせた。ジャックは教えてくれたの。海の仲間はみんな仲良しなんだって。だから仲良くなるには、自分も海の仲間の一員だって思う必要がある。海の中で生活して、波を体で感じて、そうすれば家族のように仲良しになれる。みんなで一つの楽園。団長も言っていた。舞台も観客も、そして水槽の中の仲間たちも――みんな一つの芸術なんだって」
「――は……?」
事態を飲み込めず唖然とするラッコを無視して、偽花火は言葉を続ける。
「だからそう。たとえ炎の海の中でも一緒に過ごせば、海の獣を操ることなんてとっても簡単……。その思考を、その行動を、本人に気付かれないように誘導するのも……とっても簡単」
それはファイヤーラッコの能力か。
それとも偽花火燐花の能力か。
「――嘘だ」
怪盗サーカス。
一回戦ピラミッドステージの戦いによって暴かれた、その正体。
死後の能力暴走によって誕生した、炎の化身。
その隠れ家の一つ、それが――。
「親父は、だって――!」
――《ファイヤーラッコ》。
「いつか俺たちを迎えに来てくれるって、母さんが――!」
楽園のサーカスを襲った火災事件において、生存者はいない。
「だから――有名になれば、きっと親父が見つけてくれるって――!」
それは彼がこの大会に参戦した理由。
「そのために、俺は――!」
ラッコの声が、空しく響き渡る。
そして彼は、膝をついた。
「親父は――もう、いない……?」
呆然と膝立ちになったラッコの肩を、偽花火が後ろから手を回してそっと抱く。
「……モーリー。ジャック。フラン。マキ。パブロ。メイリン。フレンケル。ルイス。ハビエル。ゲイリー。ルカ。カルロス。サーシャ。スティーブン。ジョエル。エリック。ロベルト。イワン。ジェシカ。アントニオ。アルベルト。ヴァーニャ。エミール。ハロルド。団長……みんな、みんなここにいます」
偽花火の言葉が、ラッコに絡みつく。
「それはわたしたちと一緒に、一つの楽園として。楽園のサーカスはみんなで一つの至高の存在。人々に見てもらえば、きっとわたしたちは永遠に存在できる……だから」
そしてその耳元に囁いた。
「一緒に、炎を演じましょう」
「――俺、は……」
二人を包むように炎は舞う。
周囲の火炎は踊り狂うように激しく燃え上がり、楽園への旅路を祝福する。
偽花火は彼の頭を優しく撫で、二人を覆い隠すように燃え立つ狂気の幕が下りる――。
――暗転。
「――閉幕にゃ、ちょっくら早いんじゃあないかい」
瞬間。
その拳に反応して偽花火が後ろへ飛ぶ。
彼女はアクロバティックなバク宙をした後、たたらを踏みながら廊下の床に着地した。
それに対峙するのは、拳を放った男。
「――あちち! ……さすがに炎か。ああもう、まったく! 亡霊ごときが、出しゃばってんじゃないよ」
ラッコと偽花火の間に、火傷した手をひらひらと振りながらモブおじさんが立ち塞がる。
ラッコはその背中を見上げた。
「あんた……」
「俺はねぇ、ラッコくんをスパーンと殴り飛ばしてハイ決着ぅ~ってしたいの。わかる? 過去の因縁だとか亡霊の残滓だとか――そういうのは、お呼びじゃあないんだよ」
モブおじさんの言葉に、偽花火は困惑した顔を浮かべる。
「あ、あれ……間違えちゃいましたか……? 一緒に共演してくれるって、お、思ってたんですけど……」
「ハッハー! 俺がキミのこと呼び出したから、勘違いしちゃったかな? 俺はただ対戦者として爆発オチ太郎もファイヤーラッコもまとめて殴り飛ばす為に状況をわかりやすくしただけさぁ」
「こ、困ります……。わたしは、共演者さんと、これからたくさん芸を見てもらわなきゃいけないのに……」
「……ふん。共演者ね」
モブおじさんは、肩越しに振り返る。
「――さて、どうするんだいラッコくん」
「どうする――って」
未だ座り込んだままのラッコは思わず聞き返す。
モブおじさんは笑って言葉を続けた。
「このまま偽花火ちゃんと、世界一の大道芸人を目指すのかい? それとも――」
そしてまっすぐに、正面の偽花火を見すえた。
「――父親の敵を討つのかい」
ラッコはその言葉に息を呑む。
そしてモブおじさんと偽花火を、交互に見比べた。
偽花火はラッコに視線を返す。
「きっと――きっとジャックなら、わたしと一緒に来てくれた。楽園のサーカスの一員として、世界に炎を広げるために手を貸してくれた――」
偽花火はラッコへと手を伸ばした。
「わたしを、見て」
狂気の瞳が、ラッコに向けられる――。
◆◆◆
「ハ、ハハ――。偽花火ちゃんって……可愛い、よな」
ラッコの頭の中に、彼女の言葉が何度も繰り返される。
「俺なんかより、全然華がある……きっとすぐにスターにだってなれるはずだ」
ラッコはそう言って、立ち上がった。
「……外見だけじゃなくて、声や喋り方だって可愛いしさ。ああ、本当に――」
乾いた笑いを浮かべて、焦点の定まらないその目で偽花火を見つめる。
「――その正体が炎だなんて、思えない」
ボゥ、と。
偽花火の体から炎が上がった。
「――炎なら、俺の能力で操ることができる」
――否。
上がった炎は偽花火の体そのもの。
偽花火の体が、炎に還っていく――!
「俺は――『炎使いのファイヤーラッコ』なんだ!」
ラッコの言葉と共に、偽花火の体が燃え上がる!
「あ、ああ――! 楽園の、炎が――! どうして――!」
声をあげる偽花火に向かって、ラッコは吠える。
「親父だったらお前と一緒に行くだって……? そんなこと、あるわけないだろうがっ……! ……俺が知ってる親父はなぁ!」
――共演するイルカやアシカの為に、毎日欠かさず愛情をもって世話をしていた。
――公演中だって客に危険が及ばないよう、常に観客席に気を配っていた。
――おたふく風邪になって死にかけたとき、巡業なんて放り投げて急いで帰って来てくれた。
「仲間の為に、客の為に、家族の為に――みんなの笑顔の為に生きていた、等身大のアンバージャックなんだよ!」
――父はきっとその死の間際まで。
「サーカス団の為に命捧げるなんてジャックはよぉ――!」
――みんなの笑顔を守りたいと、心の底から願っていた――!
「――俺にとって解釈違いなんだっつーの!」
偽花火の体から炎が噴き上がる!
それはどんどん彼女の体に引火して、その存在を炎に戻していった!
――しかしその中心にいる偽花火が、静かに言葉を紡ぐ!
「――《輪廻化生》」
彼女がそう言って両腕を頭上にクロスさせると共に、炎の勢いが弱まる。
偽花火の肌に近い場所から、徐々に炎は彼女の体へと復元していった。
ラッコが両腕を突き出しながら、歯を食いしばる。
「くっそ……! 似たような能力だから、決着がつかねぇ……! ああもう! ガス代どうなると思ってんだよ!」
ラッコが偽花火の体を炎に戻すと同時に、偽花火はラッコの炎を自身の体に作り変えていく!
それはまるで尾を喰らい合うウロボロスのような千日手!
このままでは永遠に決着がつかない――いや、ガス代の不安がある分、ラッコが不利!
――しかし!
「……フヒヒヒヒヒヒッ!」
忍び寄っていたその男が――いやらしい笑みを浮かべる!
「さあ偽花火ちゃん! ――ここからは、保健体育の時間だぁーーー!」
「……え」
背後に回り込んでいたモブおじさんに気付き、偽花火が声をあげた。
そう、ここは希望崎学園!
絶賛炎上中とはいえ、そこは学校である!
学校に!
可愛い女の子と!
モブおじさんが存在したならば!
「炎だから直接は触れられないけど――ナイフを使ってイタズラできるねぇ~~~!」
――たとえ相手が炎であろうとなんであろうと……学園内セクハラが引き起こされるのは当然の理ッ!!!!
「え、あの……ええっと……?」
困惑する偽花火に、モブおじさんは家庭科室から持ってきたのであろう調理用ナイフをひらめかせる!
一方の偽花火はラッコの能力に対抗している為か、身動きが取れない!
つまり――モブおじさんのやりたい放題!
「和姦道強引系裏奥義――! 《切り裂きジャック》!」
モブおじさんのナイフが、偽花火のコルセットを切り裂く!
支えを失った衣服が、ラッコの力によって炎に変化し焼失した!
「ケヒャヒャーッ! まずは一枚ぃぃぃ~~~!」
モブおじさんはナイフを舌なめずり!
「あっちぃっ!」
そして舌を火傷する!
しかし舌を火傷した程度で、モブおじさんの責め手は止まらない!
続けざま、偽花火の上着の前を留めていたリボンごと、中のシャツを切り裂く!
はだけた服の奥から、下着が姿を見せた!
「ケヒャァー! ブラジャーが見えちゃったねぇ~~~!」
「あ、あの、うう……これ、は、恥ずかしい、です……」
「んんん~~~!? さっき見て欲しいって言ったじゃないかぁ~~~!」
――わたしを見て。
それは偽花火の言った言葉!
モブおじさんは下卑た笑みを浮かべる!
「こっちの方がいっぱい見てもらえるよぉ~~~! ケヒャヒャヒャヒャ!」
「い、衣装は、芸の見栄えがよくなるよう、考えて作ってあって……だ、だから、こんな風にしちゃうのは……」
「大丈夫だいじょうぶ、おじさんに任せなぁ~~~~!」
モブおじさんのナイフが、今度は偽花火のズボンを切り裂く!
股の部分が切り裂かれたズボンからは、タイツ越しに偽花火のショーツが露出した!
白ッ!!
「フヒヒィー! ほらぁ、画面の前の皆さんに下着が見られちゃってるよぉ~! 挨拶しないと、偽花火ちゃあん!」
「え、え、ええっと……こ、こんなとき、ヴァーニャなら、ジェシカなら、メイリンなら……!」
偽花火は目を白黒させる。
しかしモブおじさんは刃をショーツに触れないギリギリのところに潜り込ませると、一気にタイツを引き裂いた!
「はい時間ぎれぇ~~~! ダメだなぁ~~! 自分の言葉で説明しないとぉ~~~!」
「じ、自分の……言葉……!? そ、それ、は……」
「ほらぁ~~! 何色の下着を付けてるのかなぁ~~~!? 言えないと……おっぱいが見えちゃうよぉぉ~~~!?」
そう言ってモブおじさんはブラジャーの中心、フロントのつなぎ目部分に刃を差し込む!
「あ……だ、だめ……です……!」
「はいじゃあダメェ~~~~~! ケヒャヒャヒャヒャヒャー!」
ぷちん、と音をたててブラジャーが二つに分かれ、小ぶりな胸が露わになる!!
偽花火はとっさに前屈みになることで、かろうじて左右の突起は上着で隠すことに成功していた!
「ひ、ひどい……です……! こんな……こんな、こと……!」
「んんん~~~? そうかなぁ……?」
モブおじさんは偽花火の顔をのぞき込む。
その顔は紅潮しており、息は荒くなっていた。
「グフフフ……! ……キミィ、もしかしてぇ……見られて興奮してるんじゃないのかぁい……?」
「そ、そんなこと、は……!」
「いいやいやいや、わかるとも。こう見えてたくさんの子を見てきたからねぇ……! キミは間違いなく……そういう性癖がある……!」
「せい……へき……?」
偽花火は涙目になりながら、モブおじさんの顔を見つめる。
「……そう! キミはぁ……!」
モブおじさんは、偽花火の太ももにナイフを当てる。
そのままなぞるように、上方へとゆっくり先端を這わせた。
「見られて感じる、露出狂の変態なんだよぉ……!」
「ろ……しゅつ……きょう……」
モブおじさんの持つナイフの先が、偽花火のショーツに引っかかる。
「ほらぁ~! このまま切られちゃったらパンツがずり落ちて……全国の皆さんにぜーんぶ見られちゃうよ~!」
「あ、ああ……だめ……それは、それだけは……!」
「またまたぁ~! 見て欲しいんだろう~!? 見て欲しい、って体のあちこちが主張しているよぉ~! こことか……あそことかぁーー!」
ナイフに引っかかったショーツの端が、今にも切断されてしまいそうなほどに持ち上げられる。
偽花火の色白な体は、誰が見ても火照っているとわかるほどに真っ赤に染まっていた。
「だから、ほらぁ! 自分で言ってごらん……! さっきと同じセリフを……!」
「ち、ちがう……わたしは……あ、ああ……でも……この、感覚、は……! 芸を披露してるときと、おなじ……!」
偽花火の吐息は艶を帯びており、わかりやすく興奮している。
「で、でも、そんなこと言ってしまったら……わたしは……へん、たい、に……っ!」
『変態』と自分で言った瞬間、偽花火はその顔をほんの少しだけビクリと仰け反らせた。
それを見て、モブおじさんはニタリと笑う。
「――その境界、越えてみな」
モブおじさんの言葉に、偽花火は焦点の定まらない瞳で虚空を見つめた。
正気の宿っていないその表情で、口を動かす。
「……わたし、を――」
それは懇願するように。
一筋の涙をこぼしながら。
「――見て……!」
その言葉と共に、モブおじさんは偽花火のショーツを切り落とす!
偽花火の体が――公開された!
「……あ、う、うぅ――! ごめ、んなさ――い――! 楽園、が――んんぅっ♡」
ビクビクッと体を仰け反らせつつ、偽花火が声にならない声を上げる!
体全体を使って絶頂に達した偽花火の姿を見て、ラッコが叫んだ。
「――《ファイヤーラッコ》!」
モブおじさんが後ろへ跳び、そして偽花火を炎が包む!
それはラッコが偽花火から炎のコントロール権を奪いきった証左であった。
炎に包まれながら、偽花火は言葉を漏らす。
「あ、ああ――気持ち、いい……楽園の、ほの、お――」
シュン、と。
終わる姿はあっけなく。
彼女はあっさりと焼失する。
そうして今も炎上し続ける校舎の中、偽花火燐花は楽園へと還っていった――。
◆◆◆
「俺は……操られてたのか……あの炎に……。たまに幻聴が聞こえていたのも……あいつの仕業……。マジかぁ……」
燃える校舎の中、ラッコは偽花火の消えた空間を見つめながらそう呟く。
「有名になれば――たくさんの人に楽園を見てもらえば、きっと親父が帰ってきてくれるって……親父を見つけて、また昔のように母さんと三人で暮らせるって……。そっか……全部……俺の、妄想……」
ぼんやりと炎を見つめるラッコの背中に、モブおじさんは語りかける。
「――偽花火は幻想の炎だ。それに囚われた死者も、生者も、その妄執に突き動かされる」
それは永遠に踊り続ける壊れた人形。
狂気に染まった残酷な恐怖劇。
「だけど――もしかすると、ほんの少しだけ、もしかすると……」
モブおじさんはまるで祈るかのように、天井を見上げた。
「偽花火に取り込まれた親父さんが……それでもお前のことを、見守っていたのかもしれない」
爆発オチ太郎は、ラッコの能力の一部だった。
彼はラッコがピンチに陥ったときやそうでないときにやってきて……全てを爆発させていく。
そんな彼の姿を思い浮かべて、ラッコは立ち上がった。
「……慰めにもならねぇなー。結局俺がトドメをさしたんだし」
ふう、とラッコはため息をつく。
「……でも」
そして、モブおじさんに振り返る。
「消えたとしても、親父の芸は――俺の目に焼き付いてる」
その瞳には、意思の炎が宿っていた。
「だから――そうだ。それが――《ファイヤーラッコ》なんだ」
ラッコはその口元に、笑みを浮かべた。
「……そう、きっとジャックなら――俺が心底尊敬して憧れたアンバージャックなら、こう言うさ。海の仲間と一緒にこの世界中の人々を喜ばせてみせる。イルカ、アシカ、ブリにカンパチ、そしてラッコ――一つになんかならなくったって、みんな個性ある素敵な仲間たちなんだ! そんな仲間と共に、俺は皆を心の底から笑わせてみせよう! そんな笑いの溢れる幸せな場所こそが――真実の楽園なんだ! ……ってな」
ラッコは両手を広げて、芝居がかった身振りを交えてそう言った。
「そして俺は――そんな親父と一緒に、みんなを笑顔にしたかった。親父の魔人能力で変化した、このラッコの体で……!」
それは幼き日の父への憧憬。
父と同じステージに立つことが――ラッコの望んだ夢!
「思い出したよ……。昔の気持ちを。あんたのおかげだ」
ラッコはモブおじさんに笑いかける。
「……だけど、だからといって戦いに手は抜かない。あんたが《ファイヤーラッコ》の観客――第一号だ」
ラッコはその指先をモブおじさんへと向け、不敵に笑った。
モブおじさんもそれに合わせるようにして笑う。
「……ああ、それでいいとも。こっちは爆発オチ太郎を排除する為の打算で動いてたんだ。……見せてもらおうじゃないか。ファイヤーラッコの実力を」
そしてモブおじさんが構えた。
それは相手の技を受ける為の、和姦道の構え。
対するラッコは両手を広げたまま、高らかに声を上げる!
「ああ、しっかりその目に焼き付けてくれ――! この《炎の水族館》のスペクタクルショーを!」
辺り一面に、ラッコの炎が広がった。
◆◆◆
「――《ファイヤーシャーク》!」
ラッコの炎によって作られたサメが、モブおじさんを食らいつくそうと大きな口を開けて迫り来る!
「ぬんっ!」
モブおじさんが体を捻ってそれを避けるのを確認しつつ、次々とラッコは炎を生み出していく!
「《ボール遊びのアシカショー》! 《ペンギン大行進》! 《拍手喝采オットセイ》!」
炎によって作られた無数の海の生き物たちが、モブおじさんに向かって襲いかかる!
それをいなし、かわすモブおじさん!
しかしラッコはその攻勢を緩めない!
「《火の輪くぐり》――!」
ラッコが炎の輪をモブおじさんに向かって投げつける!
そしてそれと同時に、生み出した炎のイルカにまたがって距離を詰めた!
「――《波乗りイルカショー》!」
ラッコの炎の津波が、モブおじさんを呑み込む!
――しかし!
「うおらぁ!」
プシュゥ、と音を立ててモブおじさんから白い煙が吹き出た。
その手元には――消火器!
今やどの学校にもある消火器の粉末が、その炎を打ち消していく!
ラッコは炎を消され、地面に降り立ちながら顔を歪めた。
「――くそ! こちとらガス代がマジでヤバイって言うのに……! ああもう、本当いったいいくらかかるんだよコレ! 止まるか!? ついに止まってしまうのか!? 俺の通帳も止められるんじゃないか!? ヤバイヤバイヤバイヤバイ……!」
――《ファイヤーラッコ》の能力制約は、ガスの料金が心配になること。
そこからもたらされるのは、耐えがたい不安と恐怖。
すなわちそれは――。
「ああああガス代ガス代ガス代ガス代ガス代マジヤバイってマジヤバイガス代ー!」
――狂気。
能力の無制限使用は、自らの正気を捧げて炎を召喚する行為に等しい!
奇しくも偽花火と同じく狂気の炎を操るファイヤーラッコを前にしながら、モブおじさんは背後の教室の扉に手をかけた。
「――ハハ。これを見てみなぁ!」
扉を開く!
開け放たれた扉の向こう側の景色が、ラッコの目に入る。
そこにあったのは――!
「お前――ガス代を無駄にするのも限度があるだろうがぁーー!」
家庭科室の調理実習用コンロ!
それらの火が――全部ついている!
たまらずラッコはその中へと入る!
そして次々に元栓を締め、火を止めた!
「くそ……誘い込まれた……! なんてアホな手に……!」
ラッコは後悔する。
しかしそれは能力の制約上、対処不能な精神攻撃であった!
能力の連続使用により精神が摩耗したラッコにとって、無駄なガスの使用は決して放っておけるものではない!
それはラッコの能力の、唯一にして最大の弱点!
「ていうか、なんだこの部屋……ガムテープ……?」
ラッコは我に返り、あたりを見回す。
家庭科室の中、いたるところにガムテープが貼られている。
――それが意味するものは。
「――この部屋に入った時点で、お前の負けだ」
部屋の入り口から、モブおじさんがラッコに笑う。
ラッコはそれを見て舌打ちした。
「チッ、狭い教室の中だと爆発を使いにくいってことか……だが、俺の毛は炎や爆発に耐性を持つ!」
それは一回戦のチョコケロッグ太郎での戦いで証明されている、ラッコの火炎耐性能力!
おそらくは父から授かった、無敵の毛皮!
ラッコは続けて炎を出そうと、腕を突き出した!
「――《ファイヤーラッコ》!」
ラッコの眼前が、炎の生み出す陽炎に揺らめく!
――ハーッ……!
――違う!
その揺らめきは、炎によるものではない!
「……ハーッ……! ハーッ……!」
――息苦しい!
それはラッコが今までに感じたことのない、息苦しさ!
「お、おかしい……! ……ハーッ! ハーッ! 体、が……!」
ぐらり、と。
ラッコの視界が揺らぐ。
「……今まではガス代が気になって、こんなに炎をまき散らしたことはなかったんだろう」
モブおじさんはその顔に笑みを浮かべた。
「――能力の練度不足……それがお前の敗因さ」
膝をつくラッコに、モブおじさんは言葉を続ける。
「――ここからは、保健体育の時間だ。……火事の主な死因が何かを知っているかい」
ラッコは改めて周囲を見回す。
部屋中にガムテープで目張りがされている。
それは空気を逃さず、密室を作る為の工作。
モブおじさんが事前に用意していた、このときの為の仕掛け!
「《MOBの『世界』》……『拒絶:一酸化炭素』。俺の周囲にだけは、その毒性は存在しない」
いくら炎や爆発に耐性があるラッコといえど、一酸化炭素中毒までは防げない!
いや――炎や爆発への恐怖がないからこそ、火災が起こす現象にまでは注意が向かない!
放火魔でもシリアルキラーでもなんでもないラッコの、常人だからこそ発生する盲点!
「俺が能力を使っていなかったのは、この為だ。切り札ってのは、最後まで取っておくもんなんだぜ」
ラッコの体から、力が抜ける!
そしてその隙を見逃さず、モブおじさんがラッコへと迫った!
「和姦道奥義――!」
そしてその手が袈裟懸けに振り下ろされる!
――それは彼のモーゼが大海を割ったとされる、和姦道の大技!
「――『ほんと先っちょだけだから!』」
モブおじさんの声と共に、ラッコの胸元にその手刀が繰り出される!
「――カハッ……!?」
その衝撃はラッコの胸を越えて、彼の背後に広がる炎の海を割り開く!
ラッコの体はまるでその道に導かれるようにして、窓ガラスへと叩き付けられた!
そしてそのまま窓を突き破って二階から放り出される!
「ぐ……!? 爆発で――着地を……!」
落下しつつラッコは手を伸ばす。
しかし一酸化炭素中毒となり、肺から全ての空気を吐き出させられた体は……思うように動かない――!
「……こんなとき、爆発オチ太郎がいてくれたら――!」
ラッコはそう呟いて、目を閉じる。
――でも、これが俺の実力か……。
そうして、体から力を抜いた。
地面に衝突する鈍い音が辺りに響く。
そして同時に――決着がついた。
この戦いに、爆発オチは起こらない。
それはラッコが自らが進んで選び取った、自分自身の道でもあった。
グロリアス・オリュンピア第三回戦・希望崎学園STAGE
《ファイヤーラッコ》ファイヤーラッコ … 全身打撲・骨折。意識不明・重体。
《MOBの『世界』》モブおじさん … 全身火傷・重傷
勝者 ―― モブおじさん
◆◆◆
休日の昼間、面積の八割が東京砂漠となった六本木の端にある小さな公園。
そのベンチに、今は一組の男女が座っていた。
男はやや緊張した面持ちでそこに座っており、一方の女性は穏やかな笑みを浮かべて公園ではしゃぎ回る子供たちを見つめている。
男は何度か彼女の顔を覗きつつ口を開きかけるも、途中で視線を逸らしてまた思案に戻る。
そんなことを繰り返す男の前に、子供二人が遊び場を移しながら近付いてきた。
「――おりゃー! 魔剣ダムグリスバリアグラードー!」
「アメノハバキリ!」
「うわっ、ばっちぃー! 泥水じゃん!」
ダンボールの剣を持った少年が、傘を振り回す少女とチャンバラごっこをして遊んでいる。
ベンチに座っている女性がそれを見てクスクスと笑うと、男はおもむろに立ち上がって少年に近付いた。
「――暗黒瘴気剣ダムギルスヴァリアグラードだ」
まるで不審者のような男の言動に、それまで斬り合いを演じていた子供たちは打ち合いをやめて目を輝かせる。
「うわっ! 本物だ!」
「えっ!? 本物の暗黒騎士!? すごーい!」
全国でテレビ放送されているグロリアス・オリュンピア。
その参戦者は一部を除き、今では一躍日本中のヒーローとなっていた。
「ここで何してんの!? あっ、デート!?」
「えっ、いや違っ……!」
少年の言葉に思わず返答に詰まる暗黒騎士に、隣にいた女性が上目遣いで彼に尋ねる。
「……違うんですか?」
「い、いや、違う、そういう意味ではない、が――ええと」
目だけをキョロキョロと動かした後、男は咳払いを一つ。
「ンンッ! ……今は瘴気を我が魔力として取り込むべく、この呪われし地を従者アナスタシアと共に巡っている最中だ。邪魔をした場合、その身が瘴気に汚染されることになるだろう」
「何言ってんの!?」
「意味わかんないけどすごい!」
子供たちは暗黒騎士の言葉に、キャッキャとはしゃぎだす。
「……ぐぬ」
どう言ったものかと考えあぐねる暗黒騎士の横で、面白がるように隣の従者がまたクスクスと笑った。
「……暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様は、今や日本中の人気者ですからね。私が独り占めしては、子供たちも可哀想でしょう」
「――しかし、せっかくの休みに……」
「オレ、暗黒騎士好きー!」
「わたしも! あっ、でもカッチーも好き! そこはあたしの東海道だー!」
暗黒騎士は子供たちに屈託の無い笑みを向けられ、思わずたじろいだ。
たしかにグロリアス・オリュンピアが放送されてからというもの、彼は街で声をかけられることが増えている。
どうやらネットの非公式アンケートなどによると、彼の人気は出場者の中で一、二位を争うほどに高いらしい。
酔狂だな、と彼は本心からそう思う。
そんな彼の横では、その従者が子供たちの目線に屈んで微笑んでいた。
「……一番カッコイイのはやっぱり暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様?」
「うん! あ、でもお父さんはイトナミがカッコイイって言ってたよ! 憧れるってさ!」
「あと可愛いのは桜ちゃんかなー。桜ビーム!」
子供たちの返答に満足したのか、従者はその顔に誇らしげな笑みを浮かべる。
その笑顔を見て、暗黒騎士は自身の戦いには意味があったのだと、改めてそう思った。
従者はその視線に気付かないまま、子供たちと会話を続ける。
「……暗黒騎士ダークヴァルザードギアス様の従者として光栄です。あの強豪たちの中で、一番輝いてたということですからね」
二回戦での敗退。
暗黒騎士の強さはたしかに、一番ではなかったのかもしれない。
しかし人は強さだけで構成されているわけではない。
人の魅力とは、多面的な要素によるものだ。
――たとえば。
「じゃあ……一番、面白かった人は?」
従者は再び子供たちに尋ねる。
その質問に、子供たちは目を輝かせた。
それは人が好きな物を語るときの、生き生きとした顔。
「それは、もちろん――!」
◆◆◆
部屋の中、テーブルの上には安価なビデオカメラが置かれている。
そこは試合会場のホテルの小さな一室。
部屋には一人。
それは孤独な撮影会。
しかし同時に、そこはモニター越しに世界と繋がる彼のステージでもある。
たとえ世間的に大道芸が廃れてしまい、巡業ができなくなったとしても。
人を楽しませる方法は、時代によって無限に存在する。
そんな世界に適応しながら、彼はこの先も生きていく。
――世界一有名な、ラッコを目指して。
「――みんな~、こんにちバーニング~!」
そうして今日も撮影が始まる。
最初の一歩はほんの小さな一歩。
それは進んでも進んでも先が見えない、はるか遠くを目指す長い道のり。
だけど彼は歩み続ける。
きっと踏みしめたその足跡が、いつか父親の背中に届くと信じて――。