プロローグ(モブおじさん)
■
「おらっ! 孕めっ!」
水音とともに、男の声が響く。
そこは路地裏にある安いホテルの一室。
薄暗い室内では、まだ年端もいかぬ少年が矯正をあげていた。
「ぐっ……や……んっ……! あっ、あっ……!」
「ふひひ……! 随分と素直になってきたねぇ……! ……オラッ!」
ずんぐりと太った男が、いやらしい笑みをその顔に浮かべながら腰を打ち付ける。
一方の少年は、男とは対照的な線の細い体で正面からそれを受け止めた。
淡く漏れる照明の光が、その色白な体からあばら骨を浮き上がらせる。
「ひっ、ひひひ! 言ってみろぉ! そのいやらしいメスの体は、誰のものかなぁ~!?」
「あっ……! ひうぅ……! おじさんの……おじさんのものですぅ……!」
少年は青白い不健康な頬を赤く染めて、媚びるような上目遣いで男を見上げた。
少年の言葉に満足したのか、男は前後運動を加速させる。
「素直なのはいいことだなぁっ! ようし、中に出してやるぞっ! そらっ! 喜べ!」
「あっ、う、ありがとう、ございますぅ……!」
男が少年を抱きしめるように口づけすると、少年もまた同じく男を抱き返す。
正常位の姿勢のまま、二人は同時に果てた。
「……ふぅぅー! 最高のメス穴だぁ! すっかり俺のモノの形に変わっちまったねぇ~!」
男はぐふふ、と笑いながら手元に置いていたマジックのキャップを取り出すと、少年の太ももに四つ目の『正』の字を完成させた。
少年は息を荒げつつもどこか嬉しそうに頬を高揚させ、ぼんやりとその字を見つめる。
男はその視線を眺めながら、チュポンと音をたてて彼から腰を離した。
「ひっひヒヒ……! ここはまだ名残惜しそうにしているが……今日はこのへんで勘弁してやる! ……ほら! 受け取れぇ!」
男はそう言うと、脱いだズボンを手繰り寄せ、そのポケットから小銭を取り出し放り投げた。
「そうら! お前の体の価値はそれだけなんだよぉ! ヒヒヒィー!」
男がはした金を渡すのは、相手のプライドを貶める為の行為である。
それは安い金額で体を売ったという、屈辱感を与えるプレイの一環であった。
男は下卑た目線を少年へと向けるが、一方の少年はその硬貨に瞳を輝かせる。
「あ、ありがとうございますっ……! これで、晩御飯が食べれる……」
少年は屈託のない笑みを浮かべ、男にそう礼を言った。
裏表を感じさせない少年の笑顔に、男は困惑する。
「お、おう……? 腹いっぱい……食えよ」
「はいっ!」
元気よく返事をする少年に、男は居たたまれなくなってそそくさとその場を後にした。
■ ■
「おお……腰、痛~っ! 歳にはかなわんなぁ~」
でっぷりとした腹を抱え、スーツの男は職員室の椅子に腰掛けた。
茂部安康は中年の男性教諭だ。
しかしその実態は世間に隠れ潜む魔人であり、常習的な性犯罪者であった。
彼がその身に宿した能力《MOBの『世界』》は、世間に拒絶される容姿を持った彼を象徴するような能力だ。
それはあらゆる物を外界と遮断する力。ただし一度に遮断できるのは一つまでという制約がある。
彼が犯罪を犯す時は決まって、その能力を使って「彼に不利となる情報」を概念としてシャットアウトしているのだった。
彼は性犯罪を自身の生きがいとしている。よってその爪痕は残しておきたいが、捕まるわけにもいかない。その折衷案として、彼は中途半端に、しかしそれでいて都合よく被害者の記憶を切り落としていた。
彼の《境界》から出る際に、被害者は彼が思う「不都合な記憶」が全て削ぎ落とされてしまうのだ。
――しかし今度の子は、すこぶる体の相性が良いなぁ。近場はリスクがあるものの、あんな寂れた公園であれほど良いオモチャが拾えるとは。ぐふふふ。ついつい次の日のことも考えずに頑張ってしまうぜ。
そんな名も知らぬ少年との行為を思い返している茂部に、同じ学年の若い男性教師が笑って話しかけてくる。
「ははは、茂部先生はまだまだお若いでしょうに」
「いやいや、熱海先生。私はちょっと運動するとすぐこれですからねぇ」
体育教師に、茂部は笑顔を返した。
――知っているんだぞ。お前が影で女子生徒たちと一緒に俺をバカにしているってことは。
心の中で茂部は毒付く。
もし熱海が見ず知らずの他人であれば、腹いせとして茂部の毒牙にかかっていてもおかしくはないだろう。
しかし彼の能力の性質上、職場の相手に能力を使用するわけにはいかなかった。
《境界》の内側に再侵入されれば、失っていた記憶は戻ってしまうのだ。
頻繁に近付く同僚に、悪事がバレるわけにはいかない。
《境界》の設定を新たに変更しても被害者に記憶が戻ることはないが、その状態で再侵入されると記憶が復元してしまう……それは彼の能力の弱点でもあった。
「おお、運動ですか。自分も授業と部活のとき以外はついゴロゴロしてしまいますよ。……そうだ、そういえば茂部先生は部活の顧問はされないのですか?」
「はは、いやぁ~、ちょっと年寄りには辛いかなぁと。生憎、スポーツとは縁も無くて……」
――冗談だろう、あんな奴隷制度。
茂部は心の中でそう毒づく。
残業代も出ないのに時間は無限にかかる上に責任も発生する、それが部活の顧問だ。
たしかに生徒とはいろいろな意味で親交を深められるかもしれない。しかし生徒に手を出すのもまた、同僚に手を出すのと同じぐらいリスキーだ。
そんな慎重な身の振り方が、世間とは相容れずとも今もなお捕まらずに逃げおおせている茂部の処世術だった。
茂部の答えに、熱海は悩むように腕を組む。
「そうですか……。いやね、一人熱心な生徒がいるんですよ。どうしてもオリュンピア部を設立したいと」
「オリュンピアって……あのオリュンピアですか」
茂部の言葉に、熱海は頷いた。
オリュンピアとは世界スポーツ競技大会・オリンピックの発祥地でもあるギリシャの都市オリンピアのこと……ではない。
いま熱海が口に出したオリュンピアは、別のことを指していた。
「グロリアス・オリュンピア……学徒動員とも言われる悪名高いあの大会ですが、子どもたちには結構、憧れの対象みたいですよ」
熱海はその顔に、似合わない皮肉めいた笑みを浮かべてそう言った。
茂部は顔をしかめる。
グロリアス・オリュンピアは魔人同士の能力バトル大会だ。
日本は国をあげてその開催を後押ししていたので、生徒たちが熱に浮かされるのも仕方のないことだろう。
茂部はすぐに乾いた笑いを作りながら、首を横に振った。
「いやあ、子どもたちは新しもの好きですからなぁ。中年には流行を追いかけるのは辛いものがありますよ」
「しかし悪いことばかりでもないみたいですよ。なんたって登校拒否だったうちのクラスの子が最近登校し始めて出てきて、今じゃ精力的にオリュンピア部のために部員を集めてるんですから。だから協力してあげたいものの、僕はバレー部があるんで掛け持ちはきついんですけどね。……っと、ああ噂をすれば。あの子ですよ」
熱海の視線につられて、茂部は職員室の入り口へと顔を向ける。
そこには、病的なほどにやつれた少年の姿があった。
男子にしては少し長めの髪に、透き通るような白い肌。そのギョロリとしてうっすらとクマがある目は、まっすぐに茂部を見ていた。
少年は、口を開く。
「……おじ、さ――」
「――お、おおお、おおオリュンピアァァ! そうか君がオリュンピア部の!?」
茂部は勢い良く椅子から立ち上がって叫ぶ。
ずかずかと入り口までの距離を詰めて、少年の肩をがっしりと捕まえた。
「え、は、はい。あれ、おじ……」
「せ・ん・せ・い! 茂部先生と呼びなさい!」
「も、茂部先生……」
「そう! 茂部先生! 先生な、オリュンピア大好きなんだよなぁ! オリュンピア、目が無いんだぁ! 三度の飯よりオリュンピアがだーい好きでねぇ!」
「え、ほ、本当ですか!? 先生もオリュンピア好きなんですか!? ど、どんなところが……」
「それはもう、好きで好きでとてもじゃないが語り尽くせないぐらい大好きなんだよぉ! だけど昼休みとはいえ、ここは職員室だから語っちゃうと他の先生の迷惑になっちゃうからなぁ! 上の視聴覚室で話そうか! 部活についてもちょーーーっと相談しようなぁーーーー!」
「え、え、えっ、は、はい!」
茂部はそう言って強引に少年を連れ出し、視聴覚室に連行する。
昼休みの視聴覚室は施錠されていて、情報技術の授業も受け持つ茂部の管理下にあった。
静謐に支配された視聴覚室の中は、まるで広告に満たされた雑誌から切り離された小説の一頁のように、学校の喧騒からは明確に隔絶していた。
視聴覚室のブラインドの隙間から顔を覗かせる日差しが、ストライプ模様を作り少年の頬を照らす。その頬は少し高揚していて、少年が興奮していることを茂部に教えてくれた。それが性的な興奮なのか、それとも同好の士を見つけた興奮なのかは茂部には判断できない。
「君は……その、ええと。名前は……?」
最初に切り出したのは茂部だった。
彼の問いかけに、少年は伏し目がちに答える。
「……シロナです。白名……白名、楽飛人」
ためらいがちにそう答えた彼の名前を聞いて、茂部は「ハイカラな名前だな」と心の中で思った。
「そうかぁ。白名くん。君は四組だったね」
体育教師の担任クラスを思い出しつつ、茂部は保身の考えを頭の中で巡らせる。
彼から再び記憶を奪うことは容易い。
だがその場合、このように出会う度に告発のリスクが生じることになる。
――学校にいる間は彼を侵入禁止に……いやいや、それだと彼の行動に不自然な状況が発生するかもしれない……。まさか、痴漢してホテルに連れ込んだのが同じ学校の不登校児だったとは……!
見覚えが無いからと言って手を出してしまった自身の迂闊さを呪う茂部の心中をよそに、シロナは上目遣いで茂部を見つめた。
「あ、あの……先生……その……ここでえっち、するんですか」
「んんん!? いや!? その!? ちょっと時間が足りないな!?」
思わず混乱した頭で時計を確認すると、残り10分で昼休みが終了することがわかり茂部はそう返した。
10分もあれば一度ぐらいは事を成せるだろうが、しかし移動や準備を考えるとかなり慌ただしくなってしまう。
少なくとも、いくら開発しているとはいえシロナを十分に満足させることは不可能だ。
「あ、はい……。ええっとじゃあ、顧問のお話は」
シロナは少し残念そうな表情を浮かべた後、笑みを浮かべてそう言った。
茂部はそれに慌てて頷く。
「あ、ああ。そ、そうだな。その……オリュンピア部、だったか」
「は、はい。ボク、将来オリュンピアに出てみたいんです」
オリュンピア部。
茂部には、いったいそれが何をするの部活なのかはわからない。だが本戦のルールは知っている。
……学生の部活でおいそれとできるような簡単なものではない気がするが。
「今はまだ無理だと思うんですけど……それでも、いつかきっと」
「出たいって……将来また開催されるとも限らないが……。それはともかく、君はもしかして魔人なのか」
茂部の言葉に、シロナはコクリと頷いた。
――魔人! 犯した相手は生徒で魔人!
だらだらと冷や汗を流す茂部の手をとって、シロナはぐいっとその顔を彼に寄せた。
「お願いです! 先生! ボク、どうしてもオリュンピア部を設立したいんです! ボク、先生のおかげで……おじさんのおかげで、変われたんです!」
「わ、私のおかげで……?」
「はい! 女々しくても、弱くても、ボクはボクだって……こんなボクでもおじさんは……愛してくれるって……!」
シロナは視線を逸らしつつ、頬を赤く染める。
そしてまた、まっすぐに茂部の目を見つめた。
「だから……魔人でも活躍できる、称賛の声を受ける……そんなオリュンピアの選手になりたいんです!」
「魔人……でも」
茂部は彼の言葉を繰り返すようにつぶやく。
魔人は、被差別存在だ。
茂部が自身の魔人能力を隠しているのは、性的異常者であるということは大いにあるが、少なからず差別に対する恐怖も感じてのことだった。
そもそも彼は魔人能力に目覚める前から既に、その容姿により常に排斥される側だったのである。
人と異なることで蔑まれ、攻撃される。
それが茂部の歪んだ人格を形成した一因でもあった。
しかしその魔人としての、被差別者としての後輩たるシロナは、それと真っ向から向かい合おうとしているのだった。
「……ラビットくん。君は――」
「――下の名前は、あんまり好きじゃないです」
「ああ、すまない」
彼自身も、それは異様な名前であると認識しているのだろう。もしかしたら、それが彼を不登校に追いやった原因なのかもしれない。
茂部はそう思い、訂正した。
「シロナくん。君は……先生が……おじさんが、顧問でもいいのかい」
茂部が生徒たちから蔑まれていることは、本人が一番よく知っている。
気持ち悪い外見だと、生徒ならずとも同じ職員にすら思われているはずだ。
しかし茂部の言葉に、シロナは首を横に振る。
「ボク、茂部先生がいいです。きっと先生は、ボクを見捨てないから」
その言葉は、茂部の心に突き刺さった。
彼は常習的性犯罪者だ。
一度性的暴行に及んだあと、二度と会ったことのない相手だっている。
シロナに対しては何度か逢瀬を重ねたが、それでも回数は一桁だし、長く関係を続けるつもりもなかった。
――誰も自分を心から受け入れてくれるはずなんてない。
そう思い、茂部は犯行を重ねて、性技ばかり磨いてきていた。
そんな彼にとって、少年の信頼する眼差しは、まるで春の太陽のように感じられた。
「……わかった。オリュンピア部の顧問になろう。ただし――」
少し言い淀む茂部に、シロナは首を傾げる。
茂部は少し恥ずかしそうに、言葉を続けた。
「――おじさんのしたことは、秘密にしてくれるかな」
それにシロナは頷いて、茂部の顔色を伺うように覗き込む。
「……これからも、してくれるなら」
茂部はその言葉に笑って、シロナの耳元に「お前は俺の物だ」と囁いた。
■ ■ ■
「……お、おじさん! これは……!?」
「やあ、お帰り」
家の居間に入ったシロナを、茂部が出迎える。
まるでこの世の汚物を詰め込んだかのようなその光景に、悲鳴をあげそうになったシロナは思わず口を抑えた。
茂部は床に重なる男女の上で腰を振りながら、ニタニタとした笑みをシロナに向ける。
「家庭訪問ってやつだよ。俺は担任じゃあないけどねぇ。……部活動の妨げになるご家庭の問題は、顧問解決してやらないとなぁ~~!」
「ヒィー! アヒィー!」
「ンォアァー!」
シロナの戸籍上の両親が、茂部の下で喘いでいた。
シロナはそれを唖然と眺めつつ、声を失う。
茂部は母親の下腹部から自身の下半身を引き抜きながら、シロナの前に一通の紙面を投げつけた。
それを拾って目を通すシロナの前で、茂部は大きな溜め息をつく。
「こうして『説得』したら丁寧に教えてくれたよぉ。……それが本当のお前の親御さんの、遺言書さあ」
「こ、これは……そんな……! ボクの本当の父さんと母さんは……殺されたの……!?」
そこに書かれていたのは、シロナの両親から彼に宛てられた最期のメッセージだった。
「そうみたいだねぇ。命が狙われていることに気付いて、身を隠そうとしてたらしいよ。あえなく捕まって、こいつらに殺されたみたいだけど……」
茂部はそう言って、義父の尻をパチンと叩く。
彼は「アヒン!」と鳴き声をあげた。
「君の両親は、君を産むと名前を付ける暇もなく殺された。……二人とも、立派な教師だったみたいだなぁ。だけど、この世の中には子どもたちを全うに育てられると困る奴らがいるんだよ」
それは茂部が噂で知る、日本の中枢部に食い込んだ組織のことである。
彼らは表向きは十数年前に解体されたはずだが、今もなおその残党は自らを「新生教育委員会」と名乗り日本の裏社会を牛耳っていた。
「エプシロン王国からもたらされた技術により、人を不死とする邪法が開発され数年……。世代交代の必要がなくなった金持ちの老害どもにとっては、若者に育ってもらっちゃ困るのさ。そうして不死となった年寄り連中の支持を受けた奴らを背景に持つ、その末端組織……それがこいつらだね」
それはまるでマフィアの子飼いのような、実働部隊。
「全児童奴隷化組織……略して、『PTA』!」
「『PTA』……!?」
当然だが、シロナはそのような日本の暗部の組織の名前など一切聞いたことはない。
だが日頃から偽の両親に受け続けていた虐待が、その存在の組織を容易にシロナに信じさせた。
「――っと。そろそろ時間だ」
「え……? 何が――」
シロナの言葉を遮り、家のインターホンの音が鳴った。
家の外から声がかけられる。
「こんばんはー。白名さーん。……おや、開いてる。それじゃあちょいと、おじゃましまーす。育児の悩みがあるんじゃないかってセールスの押し売りに来たんスけどー」
そんな男性の声を聞いて、茂部は偽両親から離れる。
その身を部屋の隅に寄せると、ニタァ、といやらしい笑みをシロナに向けた。
「じゃあ俺は消えるから、俺のことは秘密にしといてくれな」
「……え!? お、おじさん!?」
瞬間、パッと茂部の姿がシロナの視界から消えた。
それは茂部が能力を発動したからだ。
いま茂部は《境界》に対して「茂部から発せられる情報」を出入りできないようにした。
当然、光や振動を通して茂部の情報が外部に漏れることはない。
よってそれを外から観測した場合、まるでテレポートしたかのように消え失せたように見える現象だった。
実際の茂部は部屋の隅に座り込んでいるだけだが、それを認識することができる存在はいない。
慌てるシロナをよそに、部屋の中に一人の男が入ってくる。
黒髪に黒のスーツの若い男は、部屋の様子を確認すると黒縁眼鏡の奥にあるその眼光を鋭く細めた。
そしてそのスーツの内ポケットから拳銃を取り出し、床に転がる男女の方へと向ける。
銃に驚き「ひっ」と声をあげるシロナをよそに、男はもう片方の手でポケットからトランシーバーを取り出した。
「――要救助児童一名! 居間には通報通りPTA構成員と思われる人物を二名確認! 保護対象は何らかの虐待を受けている模様!」
彼の言葉から数秒後、窓ガラスを割って五名の黒尽くめの人影が居間に乱入した。全員がアサルトライフルをその手に持っている。
シロナが悲鳴を抑えきれずに「ひゃあああ!」と叫ぶ中、特殊部隊のような格好をした性別不明の集団は手際よく床に倒れている二人を拘束していく。
「……大丈夫ッスか。もう安心ッスよ」
眼鏡の男が、シロナを落ち着かせるように優しく語りかける。
シロナは首を傾げて、彼に尋ねた。
「えっと……これは……あなた達は……?」
男はシロナに「驚かせてごめんねー」と一言謝ったあと、その顔に笑みを浮かべた。
「善意の通報があったから、慌てて駆けつけたんスよ。僕達は人権保護団体・児童相談所――子どもたちの未来を守るための、この日本のセーフティーネットっス」
■ ■ ■ ■
「はぁー。こんな時間になっちゃいました。あとは後日だそうで。……迎えに来てくれて、ありがとうございます。先生」
「おう、お疲れさま」
シロナが解放されたのは、日付が変わる直前のことだった。
シロナは茂部の車の助手席へと乗り込む。
児童相談所の県支部に連れていかれたシロナは、この時間まで両親にされた様々な虐待について話続けていたのだ。
「――ボクは、あれが普通の両親だと思ってたんです。でも最近、それがおかしいってことに気付いて」
ぽつぽつとシロナは茂部に語っていく。
シロナの生活は、ペットや奴隷以下の悲惨なものだった。
しかし義理の両親の洗脳下に置かれていたシロナは、反抗するという発想ができなかったのである。
「先生がきっと、ボクに気付かせてくれたんです」
「な、何かしたっけ」
茂部は小声でつぶやき、頭をひねる。
それは茂部が意識的に行ったことではなかった。
シロナが茂部に無理やり性的暴力を受けた際、彼はその歪んだ認知から茂部に父性を感じてしまっていた。
しかしそれが彼に幸いした。
茂部の能力でシロナの「茂部にとって都合の悪い」記憶がもろとも封じられたことで、シロナは一時的にフラットな状態に戻ることができたのである。
そうして家庭に異常性を感じ取ったシロナは、義理の両親に悟られないようにしつつも学校などの「外」の世界に目を向けることができるようになったのだった。
「……でもオリュンピア部については、諦めなきゃいけないみたいです」
「……そうか」
それは茂部にも予測できていたことではあった。
シロナの両親が本来持っていた財産を、義理の父母が既に消費していたせいである。
シロナの生活は児童相談所が保証してくれるだろうが、児童相談所が保護する子どもたちは精神的外傷を持っていることが多いため、専門のケア施設が整った所定の学校に集められる。
おそらくこのままではシロナは転校になるだろうし、転校先の制限ある学校においてはオリュンピア部を自由に設立することは難しいかもしれない。
茂部もそれはわかっていたが、一刻も早くシロナの不健康な状態を救ってやりたいという思いの方を優先したのだ。
茂部は車を運転しながら、つぶやく。
「……身元引受人、か」
それは児童相談所に送られた児童に対して使用できる日本の制度だ。
身元引受人になるには3つの条件がある。
一つは身分。茂部の外面である教師という職業なら、問題はない。
一つはコネ。児童相談所は内閣府直轄の独立組織だ。それゆえ新生教育委員会の魔の手からは逃れられているが、そこに一般人が口出しすることはできない。
そして最後の一つが金。さまざまな税金という名目の手数料に、そして児童の将来を保証する資産として現金による一億円が必要だ。この金は一時金として収める必要があり、児童が成人するまで年割で毎年児童名義で振り込まれることになっている。
「金にコネ……そんなもの、俺には――」
そんなときだった。
彼の車のラジオに、グロリアス・オリュンピアの宣伝が流れたのは。
――そう、それは必然か偶然か。
グロリアス・オリュンピアは、出場者たる魔人の立候補を募集していた。
「オリュンピア……」
「……先生?」
シロナは尋ねる。
その声は、茂部の耳には届いていなかった。