プロローグ(金持院 成美)
「……はじめまして、フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロン王女様、お会いできて光栄ですわ」
「はじめまして、金持院収子様。よく来てくださいました」
大会を前に早くも用意された特別な観戦席にて、深々とお辞儀をする金持院収子にフェムは笑顔で答えた。
数多くのモニターと玉座が用意されたその部屋は、フェムに用意された多くの観戦席のうちのひとつである。
最終的にこの場所で観戦することになるかは、王女がこの場所を気に入るかどうか次第だ。
……金持院家は今回の大会にスポンサーとして参加している。
社長として、金持院家として、収子はフェムへの謁見を許されていた。
「今回の大会では我々の会社であるところの、トイ・ゴールドの商品も存分に宣伝させていただいております。どうぞよしなに」
「ええ、日本ではトイ・ゴールドの商品は非常に評判が良いと聞きましたわ」
フェムはくすりと笑うと共に、少しだけ心配そうな顔をした。
収子はその様子に小首をかしげる。
「でも……商品の宣伝を大会中に見る方がいるのかしら。私でしたら試合に夢中で、宣伝を見る余裕などありませんわ……あら、ごめんなさい。決して宣伝を軽視しているわけではないのですけれど」
「フェム様、その心配には及びませんわ」
申し訳なさそうにそう言ったフェムに大して、収子は不敵に笑った。
まるでそう返されるということがわかっていたかのように、フェムは少しだけ微笑んだ。
「まあ、どういうことでしょうか」
「簡単なことですわ。この金持院家からも魔人を参加させます。もちろん優勝を狙えるほどの強者ですわ」
「素敵」
フェムはとても楽しそうな表情をしながら、そっと自分の指と指を絡ませる。
「収子様も魔人とお聞きしましたが、まさかあなたが?」
「いいえ、私よりも適任がおります」
「まあ、それは……是非見てみたいわ」
まるでそう返されるということがわかっていたかのように収子は微笑んで、ひとつのモニターを差した。
そこに映っているのは、一人の少女。
大きなリボンと首から下げた金色の王将の首飾り。
その髪はボブ……あえて呼称するならばおかっぱであり、ガーリーな服装を着こなしていた。
「彼女は金持院成美。私の妹です。今、その力の一部をご覧にいれましょう」
モニターの中の成美の目の前に、サンプル花子が現れる。
しかしそれはただのサンプル花子ではない。
トイ・ゴールド謹製の黄金のサンプル花子、金色に輝くゴールドサンプル花子である。
しかもそのゴールドサンプル花子が三体、それぞれに剣、槍、マシンガンを持って現れたのだ。
それを見ても成美は一切ひるむことはなく、ただその場で正座をして頭を下げた。
「よろしくお願いします」
剣と槍を持ったゴールドサンプル花子がその礼を無視し成美に襲い掛かる。
これは決してゴールドサンプル花子が無礼なのではなく、ここがそのような礼を重視した戦いの場ではないことを示している。
それでもあえて礼をする成美のほうが明らかにイレギュラーなのだ。
「将棋、というものをご存知ですか。フェム様」
「日本固有のボードゲームだということくらいは……」
「彼女はタイトルこそ未だ取得しておりませんが、それも時間の問題とされるほど将棋の名手でございます」
成美はそのまま素早く立ち上がると二体のゴールドサンプル花子の攻撃をいともたやすく回避した。
わずかに距離を取った成美の指に、突如黄金に輝く将棋の駒……歩兵が現れる。
人差し指と中指のみで将棋の駒を持った成美は、それを目の前の虚空に力強く差した。
カァン!
どこにも触れていないはずのその将棋の駒から、力強い音が鳴り響く。
そしてそれと同時に、成美の耳の形が少しだけ変容し長く尖った形状となった。
服もどこか民族的な衣装へと変容して、どこかファンタジックな雰囲気を醸し出す。
しかし、それ以上に成美が纏う気配が大きく変わっていることが、モニター越しでも理解できた。
「成美の魔人能力は、将棋の駒によって魔物へと変貌する力」
「まあ……」
成美は剣を持ったゴールドサンプル花子の手を素早く、かつ正確に殴りつける。
たまらずゴールドサンプル花子が手放したその剣を一瞬で奪い取った。
そして剣によって槍をいなし、一瞬のうちに舞うように、槍を持ったゴールドサンプル花子を切りつけた。
「将棋とは、小さな盤面によって形作られた戦場でございます」
成美はそのまま倒れこんだゴールドサンプル花子を蹴り、踏みつける。
返す刀で無防備となったもう一体のゴールドサンプル花子を一瞬で切り伏せた。
「棋士は盤面の全てを把握し、わずかな時間で最適解を導き出す必要があります」
残ったマシンガンを持ったゴールドサンプル花子が、その銃口を成美に向けようとする。
ほんのわずかな時間だった。成美の耳と服装は元に戻り、その指には香車の駒。
再びカァン!と鋭い音が響く。
今度の変化は非常に大きなものであった。
肌は緑色の鱗に覆われ、その黒目は爬虫類のように縦に鋭く輝く。
一瞬だけ口元から覗いた舌は明らかに長く、その服もまるで盗賊のようであった。
「勝利とは強力な魔人の力で得るものではない。その判断力、決断力によって導かれるものであると、彼女は知っているのです」
放たれたマシンガンの弾丸を成美は一瞥し、その雨の中へと飛び込んでいく。
弾と弾の間を縫うように、その鋭い動きを弾丸が捉えることは決してなかった。
そして、成美はマシンガンを放つゴールドサンプル花子に一瞬で接敵する。
……王手。
「成美は今、将棋を差しているのです」
最後のゴールドサンプル花子が、まるで礼をするように倒れこむ。
成美は元の姿に戻り、再びその場に正座する。
剣を丁寧において、ゴールドサンプル花子に礼を返すように、再び頭を下げた。
「ありがとうございました」
対局を終えた成美は立ち上がりその場から歩いて去っていく。
その戦いぶりを食い入るように見つめていたフェムは我に返り、収子のほうを見た。
「……あくまでこれはデモンストレーションですので、対戦相手も数だけの格下でございます。ですがその実力は十分に感じ取っていただけたのではないかと」
「ええ……とても素晴らしい戦いぶりでした」
「勝負は時の運。戦いに絶対はない。とはいえ……彼女であれば優勝も夢ではない。私はそう思っていますわ」
身内びいきかしら、と付け足しながら収子は上品に微笑んだ。
フェムは興奮を収めるように玉座に腰掛け、ため息をついた。
「ええ、私も彼女が本戦で戦うのを見るのが、楽しみですわ」
「もったいないお言葉です。成美にも伝えておきますわ」
そう言ってお辞儀をする収子は、直後に腕時計をさっと見る。
「そろそろ謁見の時間も終わりますわ。これにて失礼させていただきます」
「ええ……あ、少しお待ちを。参考までに聞いておきたいのですが」
フェムはその場を去ろうとした収子を呼び止める。
微笑みながら、フェムはその疑問を投げかけた。
「この大会には賞金と名誉の他に、私が叶えられる範囲での願いを叶える、というものがあります。参考までにどうするのか、聞いておこうかと思いまして」
「そうですね」
収子は体を再びフェムの方へと向け、不敵な表情で微笑んだ。
「まず前提として、願いを叶える権利ならば成美は私に譲渡してくれると思いますわ。あの子は欲がないので、金と名誉があれば十分でしょう」
「まあ」
「そして、その権利を私が得たら、手に入れたいものがあります」
収子はすっとフェムに顔を近付ける。
不遜に微笑む収子に対して、フェムも笑顔を返した。
「あなた、ですよ」
「私?」
「異国の王女、その価値は計り知れません。それこそお金に換えられないほどに」
モニターに照らされ、二人の表情に影がかかる。
収子はふっとフェムから離れた。
「……ふふ、冗談ですよ」
「まあ、悪い人」
「ふふ、では今度こそ失礼いたします。これ以上何かをしたらあなたのガードマンに目をつけられてしまいそう……王女様。大会をどうぞ、お楽しみくださいませ」
収子は去り、フェムはひとり玉座に座りモニターを眺めた。
そして改めて恋する乙女のように、女流棋士の戦いに思いを馳せるのであった。
「おかえりなさいませ、おねえさま」
「ただいま、成美」
帰宅した収子は成美に出迎えられる。
てぽてぽと、戦闘の時に見せた機敏さとはまるで違う、ゆるゆるとした動きで成美は収子に駆け寄っていった。
「どうでしたか。王女様の反応は」
「上々ね。あなたもなかなかよく頑張りました」
褒められた成美は控えめにえへへと笑う。
その様子に収子は目を細めた。
しかし、直後に厳しい目で成美を見て、告げていく。
「成美。あなたはこれより金持院家の代表として、ふさわしい戦いをすること。わかっているわね」
「もちろんです。おねえさま」
「では言ってみなさい。金持院家の娘としていかなる戦いがふさわしいかを」
成美はその目をきりっと収子に向け、当然のように語りだした。
「この戦いはトイゴールド社、ひいては金持院家のさらなる繁栄のための戦いである。私に求められているのは勝利ではなく、いかにして私の、金持院家の価値を高めるかにかかっている」
成美はよどみなく答えていった。
収子は腕を組み、軽く頷いた。
「幼い少女がこの大会でどのようにして戦っていくか。その健気さ、負けん気、かわいさ、全てを己の武器とせよ。例え大会で敗北したとしても、家の利益となればこそである」
「ええ、とても素晴らしいわ成美」
「……でもおねえさま、私は……成美は、勝ちたいです」
成美は、先程までの理路整然とした口調から一転、少しだけふにゃりと、もじもじしながらそう言った。
収子は成美の頭をなでる。
「ええ、もちろんです。あなたは全力で勝利を狙えばいい。わざと負ける必要はありません。私があなたに禁止することはたったひとつです」
「"己の価値を下げる戦いだけはするな"」
そう答えた成美の頭を収子は頷きながら一層なでた。
成美は嬉しそうな表情をしたまま、控えめにぱたぱたと足踏みをした。
「さあ、素晴らしいデモンストレーションのごほうびをあげましょう。成美の欲しがっているものをプレゼントしてあげるわ」
「本当!?おねえさま!!」
「もちろんよ、何がいいのか言ってみなさい」
成美はぴょこぴょこと動き回りながらしばらく考えて、ぱっと顔をきらめかせる。
その表情は大きく変わりこそしないものの嬉しさのオーラにあふれていた。
「枕!五百円玉がたくさん入ってるの!でもふわふわでやわらかくて……硬貨のじゃらじゃらした音で気持ちよく眠る!」
「ふふ、そんなものでいいの?」
「うん……最高級の生地で、一流の職人が作ってて……大きくて白くてふかふかで……五百円玉が一万枚くらい入ってればそれでいい!」
「本当にあなたは無欲ね、成美……中の五百円玉はまめに交換しなさいね」
「はーい」
こうして金持院成美は、大会に赴く。
真に欲するは金、名声、そして評判。
それらはすべて、さらなる金持院家の繁栄を意味する。
……しかし棋士として、勝負師として、成美は勝利、そして優勝を目指す。
11歳の女流棋士が、最強を決める凶宴にその歩を進めるのであった。