飯田秋音プロローグ『七十一の問い』
【任務内容】:危険願望の保有予想候補殺害
【対象】:髑髏夜魔口組系列“五花会”若頭 貫田典太
【場所】:都内郊外 貸しビル
【納期】:一週間
都内郊外。繁華街の裏路地にある、貸しビルの一室。
くぐもったうめき声は、表の喧騒と、防音の厚い壁にかき消され、外に漏れることはない。
部屋の床面に、数名の人間が転がされている。
若い女性。そのどれもが、目隠しと手縄で拘束されている。
その合間を縫うかのように、数人の男が何らかの作業を進めていた。
男らの胸元には、揃いのバッジがある。
重なり合う五つの花輪を模したその紋のデザインは、いささか華美でフェミニンにも映る。
それは指定魔人暴力団、髑髏夜魔口組系列“五花会”の代紋であった。
「しかし、こんな人数欲しがって……何に使うんスかね、これ」
男のうちの一人が、傍らの男に問いかける。
「生き血を浴びると若返るんだとさ、依頼主様は」
兄貴分とみられる男が、舎弟らしき男に返す。
「それホントっスか?なんか嘘くさくねえっスか」
「さあな。魔人能力は認識の力だ。そう思い込むことで、実際にマジで若返るのかも知れねえし、
ただのそう思い込んだ狂人かもしれねえ。そもそもフカシで、全然別の用途かもな……
だがな、ま、んなこたどうでもいい。
俺らにとって重要なのは、そいつが金を惜しまねえってことだけだ。
おら、分かったら手を動かせ、手を」
兄貴分であろう男は、そう言い終えると視線を向ける。
貸しビルの唯一の入り口。立て付けの悪い扉がぎいと軋み、開く。
外回りの男が戻ってきたのだろう。男はそう判断し――
「――誰だ、テメエは」
――そう判断しかけ、切り替える。
足音が成人男性のものよりも軽かった。
そして、扉越しにだろうと感じる、隠しきれぬ殺気がある。
扉が開ききり、人影が露になる。
そこに立つのは、眼光鋭い、スーツルックの若い女。
大人びた風貌にいささか不釣り合いなサイドテールが、ドアの風圧でパタンとはためく。
名を飯田秋音。
彼らは知る由もなかったが、彼女は政府お抱えの国家刺客魔人であった。
「答える必要、ないよね?」
女はにべもなく返すと、周囲を見回した。
正面に二人組の男。
右に座り込んでいる男が一人。
左に、慌ただしくポケットに手を入れる男が一人。
それを確認すると、彼女は拳銃を構え、予備動作もそこそこに発砲する。
狙いは右横。座り込んで眺めていた、男の眉間を撃ち抜いた。
男は撃ち抜かれた勢いで、仰向けにゆっくりと倒れる。
「なっ……!?」「兄ィ!テメエ……!」「あ……?」
残された男たちは動揺する者、激昂する者、状況を理解できていない者の三者だ。
間髪容れずに、女は三人目――まごまごと拳銃を取り出そうとしていた、左側の男を鴨撃ちする。
「舐めやがって……!女独りで俺らをやれると思ってやがんのか!」
「うん。そう思ったから来たんだけど」
「このガキ……!」
残った二人の男はそれぞれ、銃とドスを構え躍りかかる。
前衛と後衛。正面から人数の圧力をかけられると、秋音とて荷が勝つ。
時間をかけてはいられないからだ。
能力の切りどきだと、彼女は判断する。
(Q1――今後ろに転がしたら二人とも取れる?)
「多分そう」
『フラガラッハの嚮導』。
自らの想起した問いに対し、必ず正解が得られる、飯田秋音の魔人能力。
彼女自身の舌から紡がれる、その解答は絶対だ。
「多分そう」ということは、恐らく、止めまでは刺せないが効果的になる、と言う意味合い。
秋音は手榴弾を足元に落とし、さりげなく相手の後方まで蹴り転がす。
爆発。断末魔。
なるほど、「多分そう」とはそういう意味かと、秋音は内省する。
一人は吹き飛ばしたが、もう一人は片脚だけに留まっていた。
その男に対しては、改めて追撃の銃弾が叩き込まれた。
男の体が跳ね、血溜まりを作る。
その直後。
ひゅるひゅると、薄い風切り音。
音の正体は、血煙を上げながら迫る誘導弾。
秋音はそれを、ギリギリまで壁に引きつけて躱す。
風切り音は壁に着弾し、爆裂。
血の塊から出来ていたその弾頭がぶちまけられ、部屋の壁を赤で染めた。
「――なあ」
声の主は、最初に撃たれたはずの男。
仰向けに倒れていたその男が、ゆっくりと上体を起こす。
銃弾を受けた眉間から、かさぶたのようなものが剥がれ落ちた。
彼の能力『恩顧血身』の機能の一つ。
“血粧”。一度のみ致命の一撃をも耐え抜く、血の防護障壁。
この男こそが――
「――何故、俺が頭だと気づいた?」
――“五花会”の若頭、貫田典太であった。
「答える必要、ないよね?」
「そりゃあそうだ。自分で考えたほうがいいわな」
貫田はコキコキと首を鳴らす。
「まあ、考えて分かんねえなら、お前に訊くわ。仕事柄、聞き上手なんで」
そう言いながら、貫田は抜け目なく戦闘準備を始めている。“血粧”を再展開しようとし――失敗。
秋音は既に射撃姿勢を取り、脳天狙いの弾丸を繰り出していた。
咄嗟に貫田は展開を中断。地を転がるように逃れる。
「こいつ……気づいて……!」
貫田は毒づく。
“血粧”は強力な防御形態だが、弱点として、展開速度の遅さがある。
敵と相対してから使うものではない。事前に張っておく保険の札だ。
勿論、相手が能力特性を把握していなければ、戦闘中に使うことも不可能ではないのだが、
隙であることに変わりはない。そこを突かれたことにも変わりはない。
彼の能力『恩顧血身』は、自らの体積を上回る量の血を生成し、自在に操る能力であり、
用途を予めいくつかの戦闘形態に限定することを制約として、能力強度を高めている。
“血粧”。“血塔”。“誘血”。“迫血球”。“血沫”。“潜血”。“驟血”。“血宴”。
そのどれもが強烈な特長を備えているものの、今の時点――1VS1の屋内近距離レンジの戦闘状況の時点で、“血粧”のみならず、遠距離高威力の“血塔”や“誘血”、高空優位をもたらす“血沫”は封じられている。
彼の次善の行動は、既に始まっている。
選んだ形態は、“迫血球”。血の球体が、貫田の全身を覆うように展開される。
完全に彼の身体を覆い尽くし、血の真球がそこに生まれた。
まるで何者をも通さぬ、鉄壁の盾に見えたそれに対して、秋音は迷うこと無く、愚直に撃ち続ける。
撃たれた場所から球が波打ち、崩れていく。球体を維持できず、散って消えた。
“迫血球”は一見、全周防御形態のように見えるが、その実態は真逆。
一点に圧縮集結させた血を一気に爆裂させ、周囲一帯を染め尽くす超範囲攻撃形態。
あくまで完全攻撃用。防御力という観点では、高くはないのだ。
「ハッ! 本当に、考えさせるアマだ!」
崩された“迫血球”を解除すると、次のモードに入る。
“潜血”。一瞬で視界から外れる。
自分の血で塗られた地面と一瞬同化し、急上昇して攻撃する奇襲形態。
(Q2――今来る?)
「いいえ」
秋音はそれだけ呟くと、下を向いて構えた。
(Q3――今来る?)
「多分そう」
貫田が飛び出す。死角となるはずの位置からの、対応困難な急襲技。
だがそれをも、女は読み切っていたかのように。
急上昇して襲撃した先には、既に誰も居ない。
代わりに、その場には手榴弾が放られていた。
貫田は能力を緊急解除し、後方へと何とか逃れた。
爆風が身をかすめ、彼の背を僅かに焼いた。
まるで知っているかのような、完全な対応。
――奴は読心能力者なのではないか?
貫田はその懸念を覚えていた。
そうであるならば、こちらの手が悉く対応されることにも納得がいくと。
彼はそう考えていたし、この仮説が正しいのならば、彼はそれを討ち得る手段を持っていた。
「こっちをよく見ているもんだ……じゃあよ嬢ちゃん。次は運試しといこうや」
貫田の掌に、赤い球が生み出される。その球――凝集した血の塊を、天井に向け投げつける。
血は雲のように展開され、血の雨を降らしていく。
“驟血”。
貫田自身ですらコントロールしない位置・タイミングに、ランダムに血の槍が降り注ぐ攻撃形態。
彼女の能力が読心であれば、それを対策し殺せる手段であったが。
血の槍は法則性もなく、降り注いでは床を穿っていく。
それに対し、秋音はただ、臆せず前進する。上さえ見ずに。
(Q4――進行方向は安全?)
「はい」
一言、「はい」とだけ呟いている。まるで当たらないと知っているかのように、雨の中を進む。
貫田にはその様子が、その自信が理解できない。
(――何故、こいつは何の迷いもなく進める?)
(Q5――進行方向は安全?)
「いいえ」
いいえ、と呟きながら、秋音は突進に急制動をかける。
動きを止めた彼女の眼前を、血の雨が遅れて殺到した。
(Q6――進行方向は安全?)
「はい」
はい、と呟きながら再び急突進し、“驟血”の殺害圏を突破。
――読心能力ではない。貫田は断じる。
自分自身にも攻撃位置を把握できないものを、相手の心を読んで避けられるはずもない。
目の前に迫る秋音を認めつつ、貫田は次の手を考える。
超知覚の可能性もない。“血粧”を張るまでのタイムラグを、隙と断じて攻撃に移るのは無理だろう。
であれば、予知能力か。
貫田はそう断じ、次の手を打つことにした。とはいえ、手は限られている。
秋音が発砲する。
彼女の射撃は確かに早く、精密だが、銃口を慎重に観察すれば、全く予測できないことはない。
そこを貫田は、甘んじて受ける。腹部から血が吹き出す。
必要経費だ。攻撃を避けていては、チャンスを逃していたからだ。
貫田は相打ち覚悟で回避せず、相手の右腕を掴む。
手首を捻り上げ、秋音の銃を取り落とさせた。
相打ち覚悟の組み付き。予知しようとも対応できない状況の構築が狙いだ。
相手の選択肢が大きく狭まっていれば、予知の意味は薄れる。
それに対し、秋音は逆に、自分の右腕を掴む貫田の腕を握り返した。
好都合だった。選択肢を狭められたことは、飯田秋音には有利に働く。
互いの左手には、お互いに隠し持っていたナイフが握られている。
振り合い、交錯。膂力の差で、秋音のナイフが弾かれ、大きく吹き飛ぶ。
すぐに貫田の次撃が来る。真っ直ぐに刺突。
(Q7――左側に反ったほうが安全だよね?)
「いいえ」
彼女は一言呟くと、右に身を捩り、ナイフの一振りを躱した。
勢い良く前のめりになった男に対し、彼女は足払いをかけようとし、
(Q8――足元に隙は出来てる?)
「多分違う」
そう叫ぶと、咄嗟に蹴り足を引き戻した。
一手の失着が致命的になるゼロレンジでは、彼女は躊躇なく使用回数を使っていく。
(Q9――銃に意識は向いてる?)
「いいえ」
再び呟き、直後、秋音は一瞬、脱力した。
ぐらりと体の力を抜き、重心がストンと下に落ちる。
その腕を掴む貫田も、引っ張られるようにバランスを崩しかける。
彼はそれに対抗しようと、秋音の身体を膂力で強引に引っ張り上げようとする。
宙空に拘束し、さらに動きを奪おうとするその一手は――既に遅かった。
持ち上げた秋音の手には、拾い上げた拳銃がある。
「ハ、読み違えたな。冥土の土産に、タネが何だったか聞かせちゃくれねえか、曲芸師?」
(Q10――彼はこの局面から切り札を切るつもり?)
「いいえ」
彼女の言は、貫田典太の発言を受けているものではない。
あくまで殺害のために自問した問いを、自答して確定させただけだ。
無慈悲な銃弾が、彼の眉間を、今度は過たず貫いた。
「仕事終わりました、と」
携帯で上司に簡素なメッセージを送る。任務の完了報告。
周囲を見渡す。部屋の一帯は、さまざまに混じり合った血に塗れている。
略取されたと思しき女性らの中にも、戦闘の巻き添えで亡くなっている者はある。
秋音は申し訳程度に手を合わせる。
自責がなくもないが、元々から二の次にすると決めて臨んでいる。
被害まで抑えられるほど、彼我の実力差は無かった。
生き残りの保護は、警察の仕事だ。彼女の仕事ではない。
「あの人……強かったな」
秋音は独り言つ。能力使用回数を使い切ってしまっていた。
あれ以上戦いが伸びていれば、彼女に対応はできなかっただろう。
『恩顧血身』。把握に困難を極める、複数のモードと長短を持つ能力。
その読まれづらさを含めて、貫田典太の能力は強力であったのだろう。
だが、その能力内容について、彼女はほとんど織り込み済だった。それだけのことだ。
クライアントより与えられた納期は一週間。最終日までに殺していればいい。
彼女は6日の準備期間を利用し、『フラガラッハの嚮導』を計60回使用。
60問による絞り込みにより、全ての能力モードに対し、およその特徴の把握を済ませていた。
だから相手が全ての能力を使い切れない場所で襲撃した。
だから直接戦闘で、どこで緊急回避を切ればいいか見通せた。
その差があっただけのことだ。
心地よい倦怠と温もり。
微睡んでいたみたいだ。少しの間だとは思うけど。
彼――早乙女の手が伸びてくる。自分以外の体温を感じる。
手櫛で優しく髪を漉かれる。この瞬間が、何より心地よい。
それにしばらく身を委ねていると、彼から声がかかる。
「起きたか?」
「うん。ごめんなさい」
早乙女の声。思わず謝ってしまう。多忙であろう彼の時間を、随分と奪ってしまった。
私の毛先を撫ぜていた、彼の手が離れていく。
その甲に重ねていた私の掌も、そっと離す。
そうだ。これはいつまでも続くものではない。名残は惜しいが、仕方がない。
ゆるゆると上体を起こし、脱ぎ散らかしたシャツとスーツに手を伸ばす。
シワになってしまったかもしれない。
「急かしたい訳じゃあないんだが……次だ。次の任務の話」
早乙女は私の先輩だ。指令の窓口であるため、実質の上司にあたる。
彼が直截に会うということは、当然“そう”だ。文字に残せぬ、特級の命令。
「“姫君の道楽”の本戦に出場しろ」
――“グロリアス・オリュンピア”。
エプシロン王国の第一王女のために供出された、世界レベルの能力バトル大会の舞台。
その政府主宰のトーナメントに、国家刺客を送り込む意味は。
「……出来レースにしても、サクラにしても。エネ庁から出すものじゃないよね? 独断?」
大会は運営本部の管轄のはずだ。
そういう用途なら自分のところとか、スポーツ庁とかから、もっと箔の付く魔人を出せばいい。
「厳密には違うが、まあ、そんなもんだと思ってくれ。うちの立案であることに違いはない。
こちらで参加枠をねじ込む。出来るかどうかは分からんが……なにせ相手は海千山千だ。
安々とは行かないだろうな」
本戦については、五賢臣とやらが選出の全権を担うと聞いている。
そこに直談判でもするのだろうか、とは思うけれど、それ以上はわからない。
早乙女は全然教えてくれない。
私が知っている数少ない情報も、能力によって把握しただけのものだ。
偽名だということとか、魔人ではないらしいということとか。独身だということとか。
「それ以降に、大した条件はない。勝て。
賞金は全部やるし、働きに応じて追加のボーナスも出す。
願いの権利だけは政府で保留させてくれ。
さして強大なものに使えないなら、恐らくお前にそのまま払い下げるだろう」
髪を留めながら、言われている意味を反芻する。
あくまで念の為の保険といったところなんだろうな、とも思う。
私一人に国の命運がかかるわけではない。
せいぜい、クライアントの早乙女に迷惑がかかる程度だろう。
そうなると幾分気は楽だ。彼に積極的に迷惑をかけたいわけでは、勿論ないのだけれど。
「飯田秋音は今死ぬ。これよりお前はフリーのアサシン、九暗影だ。ここまではいいな?」
「うん。センス無いと思う」
「お前は本当そういうところ正直だな……」
呆れたようにこぼす。こういう事を言える上司は、庁内でもひどく希少だ。
「ともかく、何だ。任務終了まで、一切の関係者との接触を禁じる。当然俺も含めだ。
いざという時には、最初から居なかったことにする」
「正直に言っちゃうの?」
思わず苦笑してしまう。
言わなければいいのに、とも思うけど。
「根が正直なんだよ」
嘘つき。
「ともかく、内容は理解したな。俺のためにもなるんだ。受けてくれるだろう?」
(……Q1。――彼は私のことを愛してはいない?)
それはある程度、諦念を含んだ問い。
能力の導く答えを、察してはいる。
「はい」
「いい返事だ。ではそのように」
「……そうだよね、うん」
「どうした?」
分かってはいた事ではある。
それでもなお、厳然たる事実の突きつけは、思ったよりも、堪える。
それを悟られぬよう握りつぶして、胸の奥に飲み込んだ。
「ううん、何でもない。九暗影、任務に邁進します」
ここより先は闇の一歩。
ここより先は暗黒の闘祭。
ここより先も黒塗りの栄冠。
それでも、私は。
躊躇なく、この足を踏み入れよう。
躊躇なく、この手を染めよう。