◆プロローグ



「さぁ本日も始まりました、亜流闘技見本市ガーデンリーグ。司会実況は私、古太刀 六郎が務めます」
スポットライトの当たるステージの上、マイクを握った男がカメラに向かって宣言する。
ステージの周囲を、多くの番組スタッフ、そして観覧希望者が取り囲む。

亜流闘技見本市
ガーデンリーグ

それは、本流格闘技界から見放され、つま弾きにされた亜流闘技の使い手たちが、
己の技術、己の武道こそが最強であるという名誉威信をかけて勝負に明け暮れる異種格闘技戦。

「みなさま、今一度ルールをご確認ください」

我こそはというファイターを集め総当たりのリーグ戦を行ない、
シーズンチャンピオンを決めようというテレビ番組である。
市民の注目度もなかなかであり、現在シーズン4が放送中。
チャンピオンには名誉称号と、副賞の一千万円が用意されている。

「数多の闘技、数多の流派のなかで、己こそが最強である。
 それを証明する場として、ガーデンリーグはルールをふたつ用意しました」


ひとつ、リングに持ち込む凶器の大きさ重さによる階級分け。
体格の差、男女の差による別は一切なし。

ひとつ、対戦相手を死に至らしめる一撃の禁止。
それ以外の反則は一切ないということを意味する。


この異種格闘技戦において、統一ルールや公認レフェリーなど存在しない。
「よって試合の勝敗、反則の認定は当番組が誇るスーパーAIが行ないます」
司会実況の男が高々と宣言した。
背後のメインスクリーンに表示されるのは、
どちらのファイターが有利か不利か、視聴者に一目で伝わるメーターであった。
赤と青の二色に塗られ、それが片側に振り切れたとき、試合は決着となる。


「お待ちかね、本日の対戦カードはこちら」
会場の熱気が一気に膨れ上がる。

葛飾流人体破壊術の宗主
葛飾 内勁(かつしかないけい)
VS
獣正拳大隈流の継承者
大隈 サーバル


「4thシーズン成績、ここまで四勝一敗。
 対戦相手を再起不能にまで破壊することから、本流格闘技界では対戦拒否され続けた男。
 己の居場所はここにある、葛飾 内勁!
 その前回対戦VTRがこちらだ」

映しだされるのは、乱れ髪を振り回す不潔な修行僧と見える男。
対戦相手が突き出した腕を男が振り払うと同時、伸びた腕の関節があらぬ方向へと折れ曲がるシーンである。

「攻撃だろうと防御だろうとお構いなしで対戦相手の肉体を破壊する一瞬の妙技。葛飾流人体破壊術。
 この危険な男と対戦するのは、4thシーズン成績同じく四勝一敗、当番組の1stシーズンから連続出場――
 視聴者人気投票ナンバーワンを獲得した女。
 獄中の父親に代わって弟の治療費を稼ぐ健気なファイター、大隈 サーバル!
 その前回対戦VTRがこちらだ」

茶に染めたベリーショートの髪。
ジーンズ、キャミソ、ニットセーターという、とてもリング上で殴りあうとは思えない姿。
その姿もまた、彼女の人気に一役買っているといえた。
そんな大隈 サーバルと相対しているのは、痴漢真拳奥義伝承者のカン・チー。
こちらは一見通勤中のサラリーマンといってよいビジネススーツ姿であった。

カン・チーの手が、ニットセーターを張り上げる大きな胸部へ伸びる!
同時、反対の手は彼女の股間を狙い打っている。
局部二箇所同時攻撃である。
なんということか! けしからん。

大隈 サーバルはその手を叩き落とそうとするが、
異様に柔らかな関節が衝撃を逃し、カン・チーの勢いを止められない。

ガーデンリーグにおける反則は相手を殺すことただ一つ。
カン・チーのような淫魔闘技すら許容するのがガーデンリーグ。
局部への攻撃すらルール違反とはならないのだ。

「大隈 サーバル、カン・チーの恥辱攻撃に耐える耐える耐える!」

VTRは、その映像を繰り返し流す。
彼女の苦悶する表情がアップになった。






その映像は、出場者控室に設置された小型モニターからも見ることができた。
出場者が試合前の時間を静かに過ごすため用意された個室。
大隈 サーバルはひとりの男とテーブルをはさみ、向かい合っている。

男の視線はモニターが映すVTRに注がれるが、
大隈 サーバルは視線を落としたまま。目を合わそうとしない。

男の名はフクハラ。
このテレビ番組、亜流闘技見本市ガーデンリーグの総合プロデューサーであった。

「サーバルちゃん。前回の対戦は素晴らしかったわ。最高視聴率の記録更新しちゃった。
 今日の対戦もお願いね。あなたはアタシの持つ最高のファイターよ」

適度に勝って適度に負ける。
たびたび肌を露出するが、絶対に脱がない。
視聴者に夢を与える終わらない存在。
ショーファイターとしての才能。

「だからねサーバルちゃん。今日は、ほどよく戦って惜しくも敗退する。そういうシナリオなの」

そして、絶対に優勝することはない客寄せマスコット。

「視聴者はみんな、あなたが華麗に勝つところを見たがってる。
 それと同じように、あなたが無惨に負けるところを見たがってる。
 みんなあなたを見てる。みんなあなたに期待してる。さぁ、今日も頑張ってね」

ガーデンリーグは、この男が支配する痛快娯楽劇に過ぎない。
この場においてだれひとり、この男に逆らうことは許されない。

男の目が強く主張する。
大隈 サーバルの脳裏に数分前の会話がよみがえる。
――『弟くんの病状良くないって聞いたわよ』

「はい」
消え入りそうな返事を聞いて、フクハラは立ち上がった。
その手がサーバルの肩をたたく。「よろしく」と。
控室を出ていく。
その間、大隈 サーバルは一度足りとも、フクハラと視線を合わすことはなかった。






幼いころ、大隈 サーバルはよく父に殴られた。
体罰というわけではない。
父は獣正拳大隈流などというマイナー武道を修めた格闘家であり、
ひと時代を築いたムービースターであり、
かつては多数の門下生を抱える師範であった。

しかし父に関する悪しき醜聞が流れるとひとりまたひとりと人は去り、
道場には悲嘆にくれる父娘のみが残った。
だから、
せめて自分だけは父の技を継がねばならないと彼女は願った。

母はもとから体の弱い弟にかかりきりであったのに、
家の収入が心もとなくなってからは外に働きに出るより他になく。
父と娘が拳と拳で殴り合う事態を、止めるものはどこにもなかった。

優しい父だった。
でも親としてそれが正しい姿ではなかったのだろう。
幼子の前に立ちはだかるその精神は、あまりに病的で。
強さを追い求めた魂は、執拗に娘を痛めつけた。

サーバルの身体から青あざが消える日はなく。
それが親から子へ与えられる暴力でないとするなら、その関係をなんと呼ぶべきか。

そんな父娘の日々を変えたのは、弟の病状悪化であった。

膨れ上がる治療費。
日に日に追いつめられていく母。
進退窮まった父は、自ら檻に入ることを選択した。金のために。


己を苛む過去のフラッシュバック。

あれは何週間かぶりの父との面会日。
檻をはさんで向かい合う父と娘。
背後には、土くれた作業着姿の監視員が立つので片時も心休まず。

「サーバル。お前に紹介したい男がいる。オレの若いころの知り合いでな。
 オレみたいなただの格闘家を使って金を稼ぐ方法をいくらでも思いつく悪賢いやつだ。
 お前にこんなことを頼むのは心苦しいが、今のオレが家族にしてやれることはもうこれくらい――」

憔悴し、声を詰まらせる、変わり果てた父。
「マーゲイのそばにいてやってくれ。オレはいままで息子に何もしてやれなかった。そばにいることさえ」

患った弟と、向き合えというのか。それがどれほどの苦しみか知りもしないあなたが。

『面会時間は終了した。さあ、立って歩け。エサの時間だ』
監視員の容赦ない一言で、父娘の時間は終わる。

「弟を頼む。サーバル」
それだけ言い残し去っていく父の背中。
嗚呼、重荷がひとつ。


己を苛む過去のフラッシュバック。

「素晴らしいわ!」
とフクハラPは言う。父親以上の逸材だと。
「アタシがサーバルちゃんを最高に輝かせる舞台を用意してみせる」

最初から仕組まれたマスコット。仕組まれた番組。
格闘技を金に換えるための。
「何千人、何万人というファンがあなたを見る。あなたが活躍するたび、喜んで金を出すのよ」

フクハラの視線がサーバルを捉えて離さない。
「それって素敵なことじゃない?」
嗚呼、重荷がまたひとつ。


己を苛む過去のフラッシュバック。

病室の扉をノックする。
この瞬間の緊張は、まったく慣れる気配がなかった。
次にこの扉に触れるとき、それが最悪の瞬間にならない保証などどこにもないのだ。

すれ違う看護師たちの囁きが聞こえてくる。
(大隈 マーゲイさんの病状、よくないってね。
 なんでも身体のつくりがすこし特殊だから、先生も手術を嫌がってるとか)

「あ、お姉ちゃんだ」
マーゲイが微笑む。
姉と会うその時間が、彼にとってどれほどの喜びか、手に取るようにわかってしまう。

「お姉ちゃんって強いんだねぇ。テレビで見たよぉ」
弟との会話は、先日始まった格闘技のテレビ番組の話題が多かった。
病室にこもるマーゲイにとって、外の世界で活躍する姉の姿が誇りだった。

「お姉ちゃん、僕ここでお姉ちゃんを応援してるからね」

マーゲイの視線がサーバルを刺す。
「たくさん勝ってね。優勝してね」

「うん。勝つよ。約束する」
嗚呼、こうして重荷がまたひとつ増えていく。

その視線が重い。期待が重い。






「どちらも四勝一敗、シーズン序盤で勢いに乗るもの同士、注目の一戦が今、始まります」
司会実況の男、古太刀 六郎がマイクを強く握りしめる。

方や、乱れ髪の不潔な修行僧と見える男、葛飾 内勁。
方や、茶髪にジーンズ、キャミソ、ニットセーターという奇異な女、大隈 サーバル。

両者がリングに立つ。
「オオっとォ、大隈 サーバルの構えは、
 強者相手にしか見せないという、大隈流ベンガルトラの型だ。これは挑発かぁ!?」

「カツシカ流のチカラがどれほどあろうと、私の獣正拳がそれを受け切ってやるよ」
「その驕り、この内勁が人体破壊術により打ち砕いてみせよう」

恒例となった試合直前のマイクパフォーマンス。
そして、試合開始を告げるゴングが鳴り響く。

その攻防を、日本中の、あるいは世界中の人間がテレビ越しに見守る。
――先手を打つのは宣言通り葛飾 内勁だ。この男の一撃は、防御の上から肉体を破壊するぞ。
――アァっとしかし大隈 サーバルなぜ耐えられる。これが獣正拳の為せる技か。驚異の耐久力。
――このタフさこそ獣正拳の真骨頂といえます。
――反撃は彼女の代名詞、大きく飛び上がっての一撃。大隈流サーバルの型だっ。

拳の応酬。
葛飾 内勁の一撃が、大隈 サーバルの関節という関節を打ち据える。
大隈 サーバルの一撃が、葛飾 内勁の顎を貫き脳を揺さぶる。

「大隈 サーバル耐える耐える耐えるっ! 強靭な肉体性能こそが力のすべて。
 一歩二歩果敢に踏み出し、相手をコーナーに追い詰めフィニッシュブローだ」

だが、それは届かない。
葛飾 内勁の一撃が大隈 サーバルの左胸、心臓の位置をクリーンヒットしていた。

これは痛快娯楽劇。
ファイターが観客に己の技を披露するショービジネス。
敵の攻撃を受けてみせることこそが才能。

初めから勝敗は決まっている。
大隈 サーバルは負けるのだ。
シナリオ通りに。

崩れ落ち、意識がかすみゆくサーバルは番組スタッフに支えられリングを降りる。
そこへ血相を変えて駆け寄るフクハラPの姿があった。

「サーバルちゃん緊急事態よ。早く病院へっ! ああ、なんという。なんということなの!」


弟の容態急変。タイミング的に試合開始の直前。
意識不明に。
集中治療室へ運ばれた。

「どうして。どうして、今、このときなの……」
サーバルの囁き。

意識が朦朧とする。
周囲の景色がわからなくなっていく。

己を苛む過去のフラッシュバック。
『弟を頼む。サーバル』
『お姉ちゃん、僕ここでお姉ちゃんを応援してるからね』

嗚呼、嗚呼、期待が重い。

「優勝するって言ったのに」

弟のそばにいてやることもできず、
優勝の誓いを守れず、
観客の期待に耐えられず。

その期待の視線が重い。

私は、大嘘つきだ。

大隈 サーバルの輪郭が黒いモヤに包まれていく。
――彼女の世界では、嘘つきは重い重い、罪である。

その日、マーゲイは帰らぬひととなった。
その日を境にして大隈 サーバルは、小さなこどもの影ような、黒いモヤの悪霊に憑りつかれた。






東京某所。雑居ビルの影になる路地裏。
一人の男が人並みを避けて、奥へ奥へと入っていく。
乱れた長い髪を一つに結んだ、葛飾 内勁である。

「ここなら邪魔になるまい」
男がそう独りごちると、それに呼応するかのように、路地裏に気配が増える。

「こそこそ俺を付け回しているのは誰か? ひとつ心当たりがあってな。
 最近、ガーデンリーグ参加者の間で噂になっているぞ。
 大隈 サーバルが番組外で、リーグ参加者に喧嘩吹っ掛けて怪我をさせているとな」

葛飾 内勁が振り返ると、そこには確かに大隈 サーバルの姿があった。

「被害者は全員、貴様に黒星を押しつけたやつらだ。番組外でのリベンジとは感心せん」
男がそう凄むのと、女の輪郭がかすんでいくのがほぼ同時。

内勁の視線の先で、先ほどまで大隈 サーバルであったものにところどころ黒いモヤが掛かっていく。
特に顕著なのは顔である。もはや表情が見えなくなるほどに。
次に多いのは肩から腕にかけて。辛うじて上半身の動きが判別できるかという具合である。

「オレはガーデンリーグ参加者のひとりとして、貴様の暴走を止めねばならんと思っている」
葛飾 内勁が戦闘の構えを取る。
大隈 サーバルが姿勢を低く沈ませる。これは大隈流オセロットの型。


次の瞬間、彼女の身体は男に向かって突き進んでいく。
葛飾 内勁が選択したのは、迎え撃つことではなく、一歩前へ打って出ることであった。

(見慣れない黒いモヤ。そして連続した通り魔的傷害事件)
男は考えを巡らせる。
(自制心を失った、魔人能力覚醒直後の典型的症例)
一般的に、自我が肥大化する十代で覚醒することが多いという妄想具現化現象――魔人能力であるが、
人生における大きな転機をキッカケとして二十代で覚醒することもまま起こり得る。

(万能感に支配され、『自分の能力を使ってみたくなる』というが、それはさておき)
黒いモヤへの対処方法である。
(まず、あれに触れるのは得策ではない。そして、相手の行動に受け身になってはならない)
一足飛びに距離を詰める。
(活路は攻めにあり)


葛飾 内勁の右腕から放たれる一撃が、大隈 サーバルの心臓を狙う。
(覚えているはずだな! あの試合、貴様にトドメを刺した葛飾流人体破壊術・血流殺)
血液の流れを阻害し、身体麻痺を狙う技である。

(さぁ、対処してみせろ。その黒いモヤの正体、見せてもらうぞ)
サーバルは、黒いモヤに包まれた腕で男の腕をつかみ取ろうとする。
しかしその動作の起こりは、突進のスピードに比べ、まるでスローモーションを見るかのように遅い。

「トロい!」
内勁は、大振りの右腕を目眩ませのフェイントとし、既に次のモーションへ移っている。
相手の蹴りの軸足を狙うローキックである。
それはサーバルの突進の勢い、そして重心点を容易に捉え、転倒させる。
そして交差の瞬間、足の甲を踏みつける刹那の技。葛飾流人体破壊術・足崩し。

両者の距離が再び離れる。
「いつもの身のこなしはどうした、大隈 サーバル。そのような体たらくではオレも調子が狂うぞ」
「私を見るな。私に期待するな。その視線が重いんだよ……」
女が口を開き、絞り出すような、か細い声をあげる。

「何を言ってる?」
男が疑問に思う。立ち上がる大隈 サーバルの背後に、もうひとつ黒い影が見える。
背後霊のような、黒いモヤの塊である。
ひとと同じように黒い体、頭と顔を持ち、強烈な視線をこちらに向けているのを感じるのだ。

その悪霊としか言いようのない存在の視線を感じた瞬間、葛飾 内勁の右腕に黒いモヤが纏わりつく。
「なんだと!?」
反射的に右腕を振って振り払おうとする。
だが、そこに静止の慣性が強く働くような感覚があり、ひどく粘つく液体の中に浸る重さを感じるのだ。
振り払えない。

「重い。重いんだ。見ないでくれと願っても、けして振り払えない」
悪霊の強い視線を感じる。黒いモヤのかかる右腕を見ている。

(視線の重さ、だと?)
やつに見られているかぎり、この重さから逃れられないと悟る。どうやってその条件を成し遂げる?


大隈 サーバルが、泥の中を泳ぐようなスピードで迫ってくる。
しかし内勁は、右腕の動作の重さに引きずられ自由な身動きを取れない。
今度は迎撃を強要される。
一撃。二撃。大隈 サーバルによる急所狙いの右左コンビネーション。
一発。二発。葛飾 内勁による左右コンビネーションによる打ち払い。

それはまるで套路(トウロ)の演舞である。
武芸の達人がスローモーションの世界で、相手の型に合わせて自分の型を合わせていくような。

左腕を軸にして、両足のステップと体幹の回転を交え、相手の一撃をさばいていく。
体の自由が利かない分、一手一手の先を読み、左腕を相手の一撃に合わせ、置いていく。

葛飾流人体破壊術は、相手の急所に触れればその部位の機能を停止させる。
内勁にはそれほどの練度がある。
大隈 サーバルの四肢は異常なほどの強度を誇っており、人体破壊術の枠内では対処できない。
だが、生命活動に直結する急所ならば。
その一瞬の隙をなんとか作らねばならない。

一歩二歩後退し、相手との距離を図りながら周囲の状況に目を光らせる。
(重さの正体。能力原理。右腕。なぜ能力を受けたのは右腕だった? 一撃を入れたのはむしろ足の方)
内勁の思考は加速する。
(何かしらの脅威度判定、ルールのようなものが存在するとみるべきか)

「重い。重い。重いぃぃ」
サーバルの悲鳴のような叫び。
(悪霊は今もなお、オレの腕を見続けている。それが条件だから。ならば)


葛飾 内勁は、自由な左腕を突然ビル壁に突き立てる。破砕音。
そして、大きく踏み出した大隈 サーバルを招き寄せるかのように引き下がる。

頭上で、ビルの外壁に設置されていたエアコンの巨大な室外機の留め金が外れる。
落下する。
それは大隈 サーバルのちょうど真上、死角に当たる位置から降る一撃となる。

瞬間、大隈 サーバルの背後霊が反応。頭上へと振り向く。
落下する室外機に、音もなく黒いモヤが湧き上がり纏わりつく。
落下スピードが、極端に遅くなる。

「なるほどビンゴだ」
葛飾 内勁が右腕を振りかぶる。
「動きが重くなるのは悪霊の視界内のもののみ。対象が生き物である必要なし。
 だが、二か所を同時に見ることはできない!」
右腕を縛り付けていた黒いモヤが溶ける。

その認識は一部正しく、一部間違っていた。
悪霊は、頭上からの一撃を独自に認識し、一定のルール下でそれを迎撃する機能を持つ。
騙す意図を察知し、より大きな嘘を優先してしまい、目の前の敵本体を視界から外す。

(ここで決める)
葛飾 内勁は反転攻勢に出る。相手を抑え込み、心臓の停止を目指す。
(黒いモヤに触れても即死するわけではない!)

試合の勝負手の再現。
葛飾流人体破壊術・血流殺。
その攻防意図は、一部正しく一部間違っていた。


悪霊が頭上を振り向く。
内勁の右腕を縛っていた黒いモヤが晴れる。
では、大隈サーバルを覆い隠していた黒いモヤはどうなるのか?

悪霊の視線が外れたその刹那の交差。それはサーバル自身にも、思わぬ結果を招く。
内勁の目と鼻の先。サーバルを覆っていたモヤが晴れたその一瞬で、姿はもうそこにはなかった。

「GRRRRRRRR」
獣の唸り。
殺意の気配。
内勁が背後を振り向くと、目で追い切れぬ超スピードでも発揮したかのような位置に彼女は居た。
表情を覆っていた。モヤが晴れる。

そこにあるのは獣の形相。
怒りのまなざし。
悲嘆のまなざし。
思わず後退りするほどの、本物の殺意があった。

「貴様、それは……」
ファイターのする闘志の発露ではなく、憎悪に曇った殺人者の目であると。

「そんな目で私を見るんじゃない」
「すまん、大隈 サーバル。オレはどうやら思い違いをしていたようだ。
 貴様とはもう一度リング上で戦いたい。だが、オレひとりでは貴様を止められないようだ」

「私をそんな目で見るんじゃない」
「そうだな。オレもそうありたいと願うよ」
葛飾 内勁は撤退を選ぶ。闘士として一対一で相対するのではなく。
それこそ、警視庁魔人課の刑事を引き連れ、暴力事件の犯人として彼女を止めるために。
この場は一時撤退を。

「やめてくれ。私に期待しないでくれ。私を見ないで……」
ゆっくり落下していた室外機がコンクリートに激突する。
悪霊が再び彼女を見つめる。大隈 サーバルの輪郭が歪み、表情がモヤに隠れていく。

「それは私には重すぎる。私はただ、勝ちたいだけ。約束を果たしたいだけ」
その言葉は、もう誰にも届かない。
黒いモヤに包まれた大隈 サーバルに、本気で逃走を選ぶ葛飾 内勁を追いかける素早さはないのだ。

「私をこれ以上、嘘つきにさせないでくれよ」






逃走した葛飾 内勁による通報により、大隈 サーバルは指名手配を受ける。
しかし警察による懸命の捜査でも、これ以降の彼女の行方は杳として知れぬまま。

表舞台から姿を消した。






それは首相官邸の会議室。
突然の呼び出しを受けたテレビ番組プロデューサーのフクハラは、
政府要人から謎の歓待を受けていた。

「グロリアス・オリュンピア、ですって?」
「ええ、そうです。世界最高峰の能力バトル大会。そういうものを開催することになりまして。
 つきましてはフクハラさん、
 あなたにこのグロリアス・オリュンピアのテレビ放映プロデュースを担っていただけないかと」
「それは構わないけれど、条件があるわ。ひとりくらいアタシの権限で参加者をねじ込めないかしら」
「大会参加者は、運営本部の五賢臣による審査を経なければならないので、あまり強引な手は……」
「推薦枠でいいのよ。アタシからの推薦」
「参加候補者リストに、推薦の判を押すだけでしたらなんとか。して、どのような?」

フクハラは、熱に浮かれたような声で歌い上げる。


「その子は、カンフーパンダの父親と、人間の母親の間に生まれた奇跡の子。
 獣正拳ただひとりの継承者。
 人の枠を超えた驚異の肉体耐久力を誇る、
 最強の客寄せマスコット。
 ハーフ・パンダの大隈 サーバル。アタシが要する最強の駒よ」


(サーバルちゃん、あなたはアタシが全責任をもって最高の舞台に連れていく。約束よ)
最終更新:2018年02月18日 20:07