プロローグ(童貞男)
童貞は、非童貞と対峙していた。しめて五メートル。
「その構え、六淫流槍流第六道、和姦道のものだな? つまり……非童貞!! どのツラ下げてここに来やがった~ッ!」
童貞男は吠えた。涙ながらの叫びであった。だだっ広い板張りの道場に彼の声がこだまする。額縁に飾られた「尊敬する歴史上の人物は加藤鷹」の書道が、陽光を浴びて輝いていた。
貞夫をのぞき、童貞道場に門下生はいない。この不遜なる道場破りを打倒し、そのあと自分だけがかわいい女の子の連絡先を聞き出すために全員帰らせたのだ。
「そういう君は童貞道草食系の型、『いや、自分そういうのほんと無理なんで』の構えか。攻性童貞道の『魔法使い』にしては、ずいぶん消極的だね」
金髪の顔がいい青年は挑発するように言った。おまけに声もいい。貞男はますます怒りをたぎらせた。童貞というものは、自分のことを棚に上げてイケメンに嫉妬することがままある。もちろん、貞男にもそういった一面があった。
六淫流槍流。それはセックスと槍術と六道輪廻を合一させた独自の武術。セックスをすればするほど強くなるとされており、童貞道の門下生が憧れる武術ナンバーワンである。ゆえに目の前の男は、かなりの性豪であろう。
その中でも和姦道は、相手に呼吸を合わせて完封する守りの技術。それを攻性童貞道において最も消極的な草食系の型で迎え撃つというのは、相手の得意分野で完膚なきまでに叩きのめさんという気概の表れである。
いたずらに女性をむさぼる非童貞、許すまじ。それはそれとしてエッチなお姉さんを紹介してくれ。貞男はおおむねそのような気持ちであった。どちらかというと怒りが二、エッチなお姉さんを紹介してほしい気持ちが八である。
できれば、強姦道を修めている二十代前半の美人を紹介してほしい。いやほんと、五万までなら払うんで。
「言ってろ。で? お前は何しにここへ来た」
「決まっているだろう。君の持つグロリアス・オリュンピア特別参加権を、奪いに来た」
「ほう……?」
真面目ぶった表情をしたまま、貞夫は意味ありげにつぶやいた。
(ぜ、全然知らねぇ~~!! え? なにそれ!? 俺はいつの間にそんな状況に……!? こいつの勘違いじゃなくて?)
コッソリ冷や汗をかく貞男をよそに、男は語る。
「僕はグロリアス・オリュンピアに出場し、どうしても秘薬を持ち帰らなければならない! 不治の病に苦しむ妹のためにも!!」
(なんだこいつ……動機もイケメンだ!!)
なんだかよくわからない状況になっちゃって困ったなぁ、と思いながらも貞男は険しい表情を崩さなかった。これこそ童貞道によって鍛え上げられた、「うっわこの人の体つきエッロいわぁ……!」と思いながらもそれを隠せるポーカーフェイスだ。
貞男とてグロリアス・オリュンピアは知っている。先ほどもほかの門下生たちと、「優勝したら王女の膣を計測してオナホールを販売する許可をもらおうね」と冗談交じりに語らいあったものだ。
(それを、俺が……特別参加!? 言っちゃあ悪いが、運営は正気なのか!?)
残念ながら正気なのだ。貞男は昨年末、世界童貞選手権において並み居る強豪を抑えて優勝した。つまり彼は世界最強の童貞である。
国を挙げての喧嘩祭りだ。童貞だろうと、日本が誇る最強の一角は呼ばねばなるまい。
「そもそも、その……権利? とかいうやつは奪えるものなのか?」
「ああ。五賢人が保証してくれているよ。『本戦開始前日までに、一対一の尋常なる決闘で童貞男に最初に勝ったものは、彼に代わって推薦参加券を得るものとする』ってね」
童貞は視線に敏感だ。その目に滲む侮蔑の色を、何より恐れるために。
さわやかな優男は、悲壮なまでの決意を瞳にたたえていた。裂帛の炎である。眉間には、稲妻のごとく深い皺。
こりゃ、参加権を譲るべきかな。貞男は本当にそう思った。彼は女に飢えているタイプの童貞だが、人でなしではない。
もちろん、エッチなお姉さんを紹介してもらうことは諦めていなかったが。
しかし。
「僕のためにたくさんセックスして送り出してくれたみんなのためにも……君に負けるわけにはいかない!」
「ヴぉオオオオオオおおおおおおお!!」
雄たけび! 貞男は怒りのままに拳をクソいけ好かないイケメン野郎の顔面へと叩きつけた。貞男の強靭なる足腰の前では、五メートルという距離など無に等しい! というか構えとか特に関係ない単純暴力だ!
あまりの緩急差に青年はついていけず、鼻血をまき散らしながら吹き飛んだ。入り口付近の木造壁を貫通! 屋外に墜落する。
「ぎゃああぁ!? きっ、君! 卑怯だぞ!!」
「卑怯なのはお前じゃーッ! お、おま、許さんぞーッ!? 不特定多数のおなごと乳繰り合いやがって~!!」
本来の童貞道では、このように取り乱すことを減らすために精神修養が修行の中心となっている。
ところが、攻性童貞道は違う。むしろ童貞に眠る不安定な精神を起爆させ、圧倒的童貞力をもって相手を叩き潰すのが攻性童貞道なのだ。
「『槍チン』ッ!!」
「あめぇんだよ!」
伸びてきた槍を、まるであらかじめわかっていたかのようにつかみ取る貞男。
刃を握りこんだにもかかわらず、血の一滴もこぼれていない。
童貞が行うオナニーについて、考えたことはあるだろうか?
彼らの自慰は激しく、そして苦しい。あまりの摩擦に股間は発火し、どうせ使われないのだからと言わんばかりに精子は死んでいく。これは世間あまりに知られてない事実だ。
そんな童貞の手のひらは、分厚い。世界一の童貞ともなれば、その硬度は常軌を逸したものとなる。
非童貞の扱う刃など、どれほどのものか! 貞男は心の炉に嫉妬がくべられていくのを感じた。
「ズェア!!」
槍を強引に……振り回す! 音を立てて破壊される延長線上の壁! 木片と血しぶきが舞う。
しかし青年とて戦士。ただ手をこまねいてやられているばかりではない。
先ほど伸ばしたのとは反対に、今度は槍を収縮。急速に貞男へと近づき、その腹部に蹴りを叩きこまんとする。
「あめぇっつってんだろが!」
貞男はすでに槍を手放していた。両腕を前に突き出し、まるで何かを断るような姿勢をとっている。
これこそ童貞道草食系の型、『いや、自分そういうのほんと無理なんで』の構え。
それは空手における前羽の構えに近い。すなわち突き出した腕で攻撃を受け止め、もって必殺の反撃を叩きこむためのもの!
蹴りを右腕でガード! それは衝撃を殺すのではなく、背後へと流すための措置。貞夫の打撃にまつわるセンスは童貞随一であった。
軌道をずらされながら突っ込んでくる青年に向け、貞男は左拳をふるう。
ところが、身の毛もよだつほどのスイングは空を切った。
青年は自由になった槍を床に向け伸ばして突き刺し、更に伸長させ上空へと非難したのだ。
貞男は追わない。ただ着地するのを待った。そして鼻が陥没した青年を見やり、卑しい笑みを浮かべた。
「ずいぶん男前になったなぁ~!? そのまま俺にコーディネート任せてくれや」
「ご勘弁願いたいね」
青年は力なく笑う。
「……僕の『槍チン』は、セックスをすればするほど射程・切れ味・伸縮速度そのすべてが増す。六歳で精通してから、病弱な妹のために一日五回はセックスして、暴力で金を稼いできた。それでもなお、君には届かないのか?」
「六歳だと? なめたこと言ってんじゃねー。おれは受精卵のころから童貞だぞ? お前とは年季が違うんだよ」
「め、めちゃくちゃだ……なら、大先輩にご教授願おうか」
槍を握る腕に、力がこもっていくのが見える。警戒を高めねばならないだろう。六淫流槍流和姦道は、ここからが強い。相手の動きに合わせた最適の対応をしてくるはずだ。
もっとも貞男に、それを許す気はない。
(本当は使いたくなかったんだけどなぁ~!)
――それは、走馬燈に似ている。
貞男は実感した。目の前の青年が送ってきた、みだらな日々を。
『ママ、これなあに?』
『まぁ! あなた、恥部座衛門が精通したわ!』
『恥部座衛門! 綾子でオナニーするのはやめなさい!』『離してくれ父さん!』
『妹さんのためでもいいから、私を抱いて!』
『皆さんこんにちは、加藤鷹です。本日はこの動画を見ているあなたに女性を喜ばせるテクニックを――』『ウオオ―! 綾子! 病気であばらがちょっと浮き出たくらいの君が一番エッチだーッ!』『我が名は上杉チンチン……刃を抜いたのは貴様か?』『ミイラとセックスしてくるのじゃ。さもなくばこのオババとセックスするか、もしくは死ね』
性に関する記憶。そして性感帯、自慰の回数、好きなAV女優まで。
そのすべてが、つまびらかとなる。
――チェリー暴威、起動。
~~~~〇
(なんだ?)
槍目恥部座衛門は、悪寒にも似た違和感を覚えた。刃と呼吸を合わせて少しずつ勝負の天秤を傾かせる六淫流槍流和姦道の達人である彼は、相手の力に人一倍敏感だった。
その彼の感覚が、警鐘を鳴らしている。童貞男は、先ほどとは全くの別人であると。
「ゴッ!?」
吹き飛ばされた。近づかれ、殴られたのだと気づいたのは、冷たい床にほほが触れたからだ。
「……お前に免じて言うぜ。俺の能力『チェリー暴威』は、感情の起伏に応じて衝撃波を生み出すことができる。もっとも、ここまで強いのは世界大会でもそうそう出せなかったけどな」
「くく、笑ってしまうほど強いね、君は……」
恥部座衛門は立ち上がれない。意識がもうろうとしている。
「童貞奥義――不貫。俺は衝撃波をコントロールすることで、触れただけでも脳震盪を引き起こせる。お前の負けだ」
「こ、殺さないのか? 僕は、何度でも君に挑んでみせるよ」
同一の相手と、何度も組み合うこと。それこそが和姦道の神髄だ。二度目、三度目になるほど恥部座衛門が有利になるだろう。
しかしそれでも、貞男は首を横に振った。
「不殺は卒業しねぇ。それだけは決めてんだ。ま、生き返る保証がある相手には容赦しないけどな!」
そして、言葉を続ける。
「なあ、お前さ、童貞道に入れよ。そしたら妹さんも元気になるかもしれないぜ」
「意味が分からない……」
恥部座衛門の怪訝な顔に対し、貞男は自信ありげだった。
「エプシロン王国の秘薬。あれの原材料に心当たりがある。――童貞の尿だ。古来よりキョンシーを払うために使われる童貞の尿には、魔を清める強い力がある。おそらく、あの国には高度に工業化された童貞排尿プラントがあるはずだ」
「その頭の悪い話が、真実だったとして……僕との関係は?」
「決まってんだろ。お前も、実質童貞だから、童貞力を高めて妹さんに尿を飲ませてやれ。それで全部解決するはずだ」
「いや、僕は童貞じゃないけど……」
「うるせぇ! 本当に好きなやつとセックスしてないなら童貞なんだよ!」
恥部座衛門は笑った。セックスに対する過剰な期待が、まさしく童貞のそれだったからだ。だが――
「それも、悪く、ないかな……」
「だろぉ!? だからエッチなお姉さんの連絡先を……あっテメー気絶してんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ!!」
~~~~〇
青年の昏倒を確認し、貞男は大きく息を吐いた。薄氷の勝利だ。
戦闘の途中において、貞男の感情は大きく同情に傾いていた。そうなるともう、彼の戦闘能力は大きく落ちる。心理状態が戦闘能力に直結する攻性童貞道の弱点だ。
そこで彼はチェリー暴威によって強引に感情を励起、衝撃波を扱うことで最高速での決着を急いだのである。
槍目恥部座衛門の敗因は、三つ。
ひとつ。童貞男に奇襲が通用しなかったこと。
童貞は敵意に敏感である。合コンで自分以外を狙っている女子が向けてくる感情に、とてもよく似ているから。
ふたつ。あまりにもセックスをしすぎたこと。
恥部座衛門が歩んできたセックスの道のりは、とても険しいものであった。筋金入りの童貞に、大きな「敬意」を抱かせるほどに。
それは貞男の強化ではなく、恥部座衛門の弱体化にもつながっていた。和姦道の恥部座衛門がセックスをしすぎることは輪姦道に傾くことでもある。セックスに二足のわらじはないのだ。
恥部座衛門の和姦道は、健康になった妹の綾子とセックスするために磨かれたものであった。それを捨てることはできぬ。さりとてほかの女とセックスせねば強くなれぬ。恥部座衛門はジレンマに苦しみながらも、おのれの槍をふるったのであろう。
その生きざまが、貞男に多大なる尊敬の念を植え付け、戦闘に長けた魔人ですら目で追えぬ速度を生み出したのだ。すなわち衝撃波の反作用による高速移動である。
そして、みっつ。
加藤鷹のハウツーセックス動画を見ていたこと。
それは、勇気。「俺もあれを見続けていれば、ちゃんとセックスができるようになるんだ!」と、貞男は勇気づけられたのだ。
いつだって世界を動かすのは、愛と勇気なのだ。
――ところで、童貞は視線に敏感である。
「こそこそ見てんじゃねえよ……だから、使いたくなかったんだよなぁ」
貞男は虚空に目を向けていた。崩れかけの道場の陰から、新たなる挑戦者がやってくるのを感じた。
~~~~〇
「あの男、こっち見てたわね」
「そのようですね」
「これまで、こんなことはなかったわ。童貞には神秘の力が眠っているのかしら?」
「さあ、私には答えかねます。ところで姫様」
「何かしら?」
「その、秘薬にど、童貞の、その……ゴニョゴニョが入っているというのは、本当なのでしょうか」
「……ノーコメント」