プロローグ(林健四郎)
土と共に生きた。
そのことを、後悔しているわけでも、誇るわけでもない。
ただ己の人生を振り返り、それを言葉にするなら。
──土と共に生きた。
としか言えない。そう林健四郎は思っていた。
物心ついた頃から、鍬を握っていた。自分から望んだことなのか、父に持たされたのかも覚えていない。
ただ、鍬の重さ、掘り入れた土の感触、太陽の暑さは覚えている。
父は何も教えてくれなかった。だから、畑では必死に父の姿を追った。
鍬の入れ方も、種の植え方も、間引きも、ひたすらに父の真似をしていた。
思えば、この頃は父の作業を形だけ真似ているだけで、何故それをする必要があるのかということを考えていなかった。
だが、楽しかった。
日々、少しずつ色が鮮やかになっていく緑を見るのが、たまらなく好きだった。
初めて鍬をもって2年ほど経った7歳の頃、初めて自分の畑を持った。
自分の畑と言っても、父の畑のほんの一部を任されただけだ。
今の林健四郎からすれば、あってもなくても変わらないような、小さな土地だ。
それでも、当時の林健四郎にはまるで世界が拡がったように感じるほど、大きな土地だった。
父からは、その土地で何を育ててもいいと言われた。
土から、手を付けようと思った。
土が野菜を活かす代わりに、野菜が土を殺していく。そういうことが、その頃にはなんとなくわかるようになっていた。
何も植えていないときに、土にどうやって力をつけるか。それこそが要だと思った。
自分なりの工夫を重ねた。
力のなくなった土を掘り起こし、力のある土を入れ替えた。
肥料をどう使えば土に力を持たせることが出来るのかということも必死に考えた。
ここの土質に、最も適している野菜は何か。
年間を通して効率のいい栽培計画は。
考えに考え、自分の畑に手を出した。
父は、林健四郎が自分の畑に専念することを許してくれた。
鍬入れも、種植えも、日々の土の手入れも、全て最善を尽くした。
それでも、自分の理想とする、父の畑のそれは、日々差がついていった。
葉の大きさが違う、緑の鮮やかさが違う、土の香りが違う、緑の深さが違う。
自分の畑は、形にはなっている。
しかし、その畑は、4000年の歴史を誇る一子相伝の殺人農耕術「北斗新農拳」の伝承者に相応しいものであるとは言えなかった。
一度目の収穫が終わった時に、自分たちの野菜を闘わせようと父が言った。
林健四郎は黙って頷いた。
父が、自分を試そうとしていることは、畑を任された時からわかっていた。
その為に、自分が育てられる最も強い野菜を育てた。
割りスイカ。その始まりは無残にも人間たちにスイカ割りで殺された一人のスイカであったと伝え聞いている。
自分が、仲間たちが、何の抵抗もできず、人間たちに叩き割られていく様を見てきたスイカが人間たちへの復讐を誓った。
その恨みは、果汁と共に土に染み込み、その種は、土に染み込んだスイカたちの恨みを吸いながら成長した。
そうして誕生したのが、人間の頭を割るために存在する、人間の体とスイカの顔を持つ野菜。割りスイカだ。
46代目の伝承者がその種を持ち帰り、49代目にしてその栽培に成功したと聞いている。
林家に伝わる殺人野菜の中でも、比較的歴史の浅い野菜であるため、その扱いやすさには定評がある。
父が提案したのは、5対5の団体戦だった。
林健四郎は育てた20騎の割りスイカの中から、特に戦闘力の高い5騎を選び抜いた。
勝ち目はないと思っていた。それでも、善戦はできると思っていた。
父が育てていたのは、割りスイカだけではない。広い土地の中で、様々な土地を育てていた。
それに対し、林健四郎は割りスイカを育てることだけに尽力した。だから、勝てるとも善戦できるはずだと、信じていた。
何も出来なかった。
ボクシングの技術を伝えた割りスイカは銃撃で殺された。
ブラジリアン柔術を使う割りスイカは卍固めでを極められギブアップした。
棒術を極めたはずの割りスイカは居合で一刀両断された。
投石使いの割りスイカは暗器により潰された。
宝蔵院流槍術の使い手として育てた割りスイカはかめはめ波の前に掻き消えた。
団体戦の後、父が近づいてきた。
叱咤される。そう思い、怖くなった。
同時に、自分が育てた野菜が敗れた悔しさよりも、父に叱咤される恐怖が上回ったことを、情けないと思った。
泣かないと決めた。どれだけ叱咤をされようと、泣くものかと誓った。
だが父はその大きな掌を林健四郎の頭に乗せ
「よくやった」
と言った。
「私が初めて割りスイカを作った時は、人の形に近づけることすらできなかった。」
乾いた土に、水が染み込んでいくように、父の言葉が心に染みた。
泣かなかった。だが涙をこらえていることに、父は気づいたのかもしれない。それ以上は何も言わず小屋に戻っていった。
父が戻った後も、しばらくは林健四郎は畑の上に立ち尽くしていた。
林健四郎が、父の姿を真似るのではなく、父の業を盗む為にその背中を追うようになったのは、思えばその頃からだったかもしれない。
その後も、父はその畑を自由に使うことを許してくれた。ただ、自分の畑に専念させることはさせなかった。
父の畑を手伝いながら、合間に自分の畑を見ること許してくれただけだ。
父の業を盗むのには、その方が都合がよかった。同じように作業をしているはずなのに、父の畑と自分の畑は少しずつ違いが表れていた。その違いを観察し、理由を探るのは楽しかった。
あるいは、父に聞けばすぐに答えを教えてくれたのかもしれない。しかし、それをするには自分はまだ若すぎた。自分の力だけで、父の野菜に勝ちたい。そういう青い想いが、確かにあった。
一年目に野菜を戦わせたのは、結局一度目の収穫の時だけだった。父の野菜は、例年通りヒットマンや麻薬、毒物、あるいは怪獣として山内組に出荷されていったが、林健四郎の野菜はどの暗殺基準にも満たなかった。暗殺基準に満たなかった野菜はクズ野菜として肥料に使われる。毎年みてきた光景ではあるが、自分の育てた野菜がそうなっていくのは心が痛んだ。
自分の畑をもって2年目、8歳の頃。畑が山賊に囲まれた。
収穫直前の時期だった。収穫物と、林家が蓄えている山内組からの報酬が狙いだということは8歳の子供でも分かった。
「父さん、山賊が来ています。」
「わかっている。」
父は農作業を続けたまま答えた。
山賊は、騎馬が20騎、歩兵は50人ほどの、奥多摩あたりの山賊としては中規模と言えるものだった。恐怖はなかった。父の育てた野菜が、あの程度の山賊に敗れるはずがないことを知っていた。
「健四郎、お前がやつらを殺せ。」
何を言っているのかわからなかった。
「お前が育てた、割りスイカがあるだろう。それでヤツらを殺せ。」
父は、林健四郎も山賊も見ていなかった。ただ土と野菜だけを見ている。
死ねと言われている。林健四郎はそう感じた。
恐怖があった。逡巡があった。自分を死地へと放りだす父への、怒りと哀しみがあった。
「どうした。自信がないか。」
「ありません。」
「自信がないから、戦わない。だから、自分の土地を賊に踏み荒らされるのを許す。お前はそれでいいのか思うのか。」
「思いません。しかし、父さんが出ればあんなやつらに負けるはずもないのに、何故私が」
「今は、たまたま私がいるだけだ。賊は、私がいない時にもやってくる。その時もお前は、私がいればと思いながらただ脅えるだけか。」
「しかし。」
「私はお前に戦う術を授けた。そしてその私が、今その術を使う時だと言っている。」
父の眼は、自分の割りスイカを褒めてくれた時とは、別人のように冷たかった。
「わかりました。」
父は、ただ土を見ている。
「戦ってきます。ただ、私はやつらがこの林家の土地を踏み荒らすことは、どうしても許すことができません。もし、私が戦いの最中で命を落としたら、父さんが戦いを継いでいただけますか。」
「ああ、約束する。私も、この山を連中に好きにはさせたくない。」
「有難うございます。その言葉が聞ければ、悔いはありません。では、行ってまいります」
「ああ、さらば」
林健四郎は割りスイカを掘りだした。割りスイカは、一年前の20騎から30騎へと増えていた。冬の間に、自分の畑を開墾する許可を父からもらっていた。
割りスイカと共に、山を下りた。山賊が自分の姿を見て嘲笑うような声を上げた。
「おい、ガキィ、どうした。まさかそんな不味そうな野菜だけで俺たちが満足すると思ってるのか」
「お前たちを、満足させるつもりなどない。この割りスイカたちが、スイカ割りのようにお前たちの頭を断ち割る。そして、お前たちをうちの畑の肥料にしてやる」
山賊たちが再び嘲笑の声を上げた。しかし、その嘲笑の中に怒りが混じっているのを林健四郎は感じた。
笑い声が収まると喚声が沸き上がった。同時に山賊が突っ込んでくる。騎兵、遅れて歩兵。ああ、いいさ、死んでやる。この山で生まれて、この山で育った。死んで、この山に帰るのも悪くはない。騎兵タイプの割りスイカの後ろに跨りながら、指揮を取った。数は劣っている。拡がり、力を分散するのは得策ではない。とにかく小さく一つになることだ。小さくなり、恐怖を消し、敵陣の中に入り、山に帰る。それが出来ればいい。それさえ為せば、あとは父が山を守ってくれる。不意に敵の動きがゆっくりに見えた。遅い動きのまま、すれ違う。騎兵割りスイカの持つ鉄棒ががじわりと山賊の頭に近づいていく。鉄棒が山賊の頭に振れた瞬間、その頭はスイカ割りのスイカのように爆ぜていた。一つが弾けると、続けざまに爆ぜていく。山賊の喚声が悲鳴に変わっていることがわかった。
「追い首を取れ。二度とこの山に近づけないよう、恐怖を臓腑に刻み込め」
山賊を追い回し、山に戻ったのは日が暮れた頃だった。
「よくやった。」
「山賊の動きが遅く見えました。」
「それが、今のお前とお前の野菜の力だ。あの程度の賊ならば、お前の割りスイカ一騎でも十分だった。」
「そうかもしれません。」
それから、父から一言か二言か褒めてもらったということは覚えているが細かいところは覚えてない。ただよくやったという言葉が、心に染みていた。
あれから、60年が過ぎた。
父が生きてる間は父を追いかけ続けた。父が死んでからは、父を超えようとあがいた。
土とより深く交わるため、陶芸も始めた。土を揉んでいると稀に土の声が聞こえてくる時がある。土に触れているはずの手が、己の心を掴んでいると感じる時がある。まれに父と会話出来る時もある。その全てが幻であることは知っているが、その幻と戯れている時間がたまらなく好きだった。
陶芸はそれなりの形になり、暗殺業以外の収入源となった。その経験は農業にも活かせた。だが、父を超えたという確信には、至らない。
ここ数年自分が老いぼれたと思うことが増えた。
日々の営みの中で、そう感じることはない。農作業も若い頃と変わらずやっている。いや、開墾した分を考えれば、若い頃よりも働いている。
しかし、座り込んだ時に、もう一度立ち上がれるかと不安になる時がある。
眠る時、明日の朝、自分は目覚めることが出来るのかと考えてしまう。
何より、父を超えたいという願いが薄まっている。
父を超えたいと切望することに、慣れてしまっている。
体が、老いていくのはいい。
だが、情熱が老いていくことが、哀しかった。
まだまだこんなものじゃないと思いたい。だが、その燃え上がらせる薪が、もう何もなかった。老いるとはそういうものかと諦めかけた時、グロリアス・オリュンピアの噂が奥多摩に流れてきた。
最強の魔人を決める大会。
『最強の魔人』という栄誉はどうでもいい。
『5億円』の賞金もどうでもいい。
だが、『可能な範囲でひとつ願いを叶える』というフェム王女の約束。彼女は死者を生き返らせることが出来るのだろうか。
それが叶うのなら、父と、野菜勝負が出来る。
老いぼれたはずの心に、再び炎が灯るのを林健四郎は感じていた。
立ち上がれる。俺は、まだ立てる。
老いぼれている。だが、まだ枯れきってはいない。
本当に、枯れてしまう前に、命を燃やす理由が出来た。
そのことに、林健四郎は感謝していた。
最終更新:2018年02月18日 20:10