プロローグ(七月十)
行き交う喧騒は活気に溢れている。
そこらの店先で客待ちが通行人を呼び止め、路上で格闘者達が殴り合い、街宣車が陰謀論を説く。
退廃と流れ者の最終地点。
ここは池袋北口スラム街。犯罪都市の賑わいはGO大会開催を目前に頂点へ達した。
「すみません。道を開けてください。荷物を持ったお婆さんが通ります。すみません」
今また人混みを掻き分ける少女がサンダルでアスファルトを踏み鳴らし、迷いなく一直線に歩く。
…片手でトラックを持ち上げながら。
「スマないねぇ…荷物を持ってもらって。重いだろう?」
「いえいえ!私にも同じくらいの祖母がいるので!いつも岩山とか運んでるので平気です!」
元気に笑っているが、少女の片手には10トントラック。お婆さんは運転席だ。
中華料理店の前でトラックを降ろすと、お婆さんは少女に礼を言った。
「ありがとねぇ。ここ池袋北口は中華料理店に扮した闘技場が軒を連ねる『バトルマーケット』と呼ばれてるよ。嬢ちゃんもGO大会に参加するなら、まずはコレを持って情報屋に話しかけてみな」
お婆さんは手渡したのはアルミ缶だ。中身の飲み干されたオレンジジュースである。
「ありがとう!お婆さんもお元気で!」
少女は嬉しそうに手を振り、人混みの中へ消えてゆく。老婆は満足そうに頬を緩めた。
池袋北口は世界中から魔人や戦闘者が集まるスラム街。この街のルールは"強さ"。軒には小規模格闘場の看板が連なる。
少女はイギリスの古い民謡、スカボローフェアの曲を口笛で吹きながら進む。
そして路上格闘を取り巻く群衆へ近づき、見物客の男にジュース缶を手渡した。
「はじめまして。情報屋でしょ、オジサン」
「あぁ。今日はもう店じまいだが…嬢ちゃん可愛いから特別だ」
男が受け取ったジュース缶には、お札がねじ込まれていた。
感謝しながら懐へ納めると、男は少女を見下ろした。
凸型の平たい麦わら帽子、いわゆるカンカン帽を被ってる。それに肩へ届きそうな黒髪。
裾の広いチャイナワンピースを着ているが、この街で国籍は特徴にならない。裾からセーラースカートが見える。
「今はキャンペーン期間中だ…どんな情報が欲しい?」
「あのね私、GO大会に出たくて上京したけど何も知らなくて。手っ取り早く大会に出る方法ないかな?」
少女はまっすぐ情報屋を見て言った。
「ハッハッハ、こりゃたまげた。池袋に来たのは正解だ。案内してやろう」
「ありがと!」
少女は機嫌よく笑った。
「そうだ、自己紹介しておくね!私は七月十。ホントは『ふづきかんな』だけど、読みづらいから『なながつじゅう』って呼んで!」
「七月十!正直さに免じて答えよう。俺はザック=バラン!もちろん偽名だ!…さて、GO大会に出場する方法だが、3つあるぜ」
ザックは指を3本立てた。
「ひとつ!街に並ぶ闘技場を勝ち上がるルート!ふたつ!路上格闘で名を上げるルート!だが、ひとつめは八百長でGOへの出場枠が決まってて、ふたつめは出場枠がない!どっちも意味ねえ!ハッハッハ!」
「そうなんだ残念…じゃあみっつめは?」
「みっつ!これは王女の目に留まるルートだ!なんと今日この時間、フェム王女がお忍びで来ているらしい」
「フェム王女!ホントに!?」
フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロン。エプシロン王国第一王女。その名は七月十も知っている。何せGO大会は王女の為に開催されるからだ。
「これは確かな情報だ…!王女は大会の参加選手を探してる!アンタも王女の目に留まれば僥倖だぜ!?」
「ありがとう!ザックさん!」
その時、通りの向こうで爆発が起こった。
空気が震え、瓦礫と破片がこちらまで飛んでくる。
「おっとと…!そしてこれもバトルマーケットの名物!スラムのイカれた強盗どもさ!まあこんな犯罪都市に来るなんてフェム王女も充分イカれてるな?あ、今のは聞かなかったことにしてくれ!」
「強盗か…!強いって名前に付くから手練れかな!!ホントありがとうザックさん!私行くね!」
七月十はひとしきり礼を述べると、爆発の方向へ飛んでいった。口笛で英国の古民謡スカボローフェアの曲を吹きながら。
…壁を蹴り、天井を走り、鉄骨を渡り…空中で二段ジャンプし、文字通り飛んでいった。
一方、爆発が起こった建物では武装集団が装甲車の台に乗りマシンガンを撃っていた。
「ホーホホホ!街のお宝は全部頂きアル!」
高笑いをするのは深いスリットのチャイナドレスを着たツインテールの女性。歳は十代半ばだ。
「姉さん、店の戦闘魔人は全員倒しましたぜ」
店の奥から現れたのは巨軀のサラリーマンだ。体は装甲車より大きい。
「良くやった金太郎。お前は人質に妙な動きがないか注意するネ」
壁を突き破った装甲車の背後で、店員や客達が縛られていた。
「あぁ…っ、人質になるなんてはじめて」
「お下がりください。危害が加えられる可能性があります」
客達は一様に高価な装飾品や衣服ばかり纏っている。
その時!上空から飛来した少女が着地した!!
道路のアスファルトに巨大な亀裂が走り、全体が大きく揺れる!!
「何事アルか!」
装甲車が亀裂の中に沈み、走行不能に陥った!
道路の爆心地には!カンカン帽を被ったサンダルの少女が立っている!
英国の古民謡スカボローフェアを口笛で吹いている!!
「フェム様…面白いものが見れそうですよ。おそらく例の娘に違いないかと」
「やっぱり予定より早く日本に来て良かった…!」
人質の女性二人…フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロン王女と、その侍女・ピャーチは喜びながら目の前の光景を見つめた。
「願いを言え…!王女様。ひとつだけ願いを叶えてやる!!」
「どうやらフェム様のことを言っているようですね」
「そう…じゃあ、助けて頂戴。激しい戦いを見せて…!」
店の奥からフェム王女の願いが届く。
七月十の拳に力が漲る!
「了解!」
「姉さん。ここは俺が行くぜ」
金太郎は七月十の前へひと飛びした。
「グヘヘ知ってるか?殺していいのは異教徒だけなんだぜ?」
好戦的な笑みで金太郎は両手の指に計8本のナイフを挟み込んだ。
「俺の魔人能力は殺人的な殉教精神だァァァ」
殺人的なパワーで両拳の指に計8本のナイフを挟み込んだ聖属性のパンチが七月十の顔面に激突する!
「ヘハハ〜ッ!…ハッ!?」
突如!金太郎は驚愕して動きを停止する。
七月十は…無傷!微動だにせず、防御姿勢をとっていなかったにも関わらず!!ナイフはグニャグニャに曲がった。
これは体を極限まで鍛えた成果だ。
スカボローフェアの曲が…止まった!
「…願いを言え」
七月十は怒りの表情で問う。
「ゲエエ〜ッ!」
「お前の願いを言え!」
「あ…あ…!」
金太郎は恐怖で動くことができない。
「私の拳は!」
拳をふりかざす!
「どんなクソヤローの願いでもひとつだけ叶えてみせるっ…拳だあぁっっっ!」
殺す気で…!七月十は金太郎を殴った!!
「しっ死にたくねぇぇ〜ッ!」
七月十の拳が輝く!光が一点に収束し、金太郎の腹部に撃ち込まれる。
「玉龍拳奥義・果報!大願成就!」
瞬間!金太郎が居る位置を中心に大地が崩壊する!
「一」!「念」!「一」!「殺」!
建物の壁が崩れ…瓦礫を吹き飛ばし…装甲車を破壊し…道路に溶岩噴出口のように深い穴が穿たれた!
「あっあっ」
即死を免れ得ない一撃。だが、金太郎は無傷!
奇跡だ!奇跡が起こった!
「死んでない…良かった」
自分の無事を確認すると、金太郎は安らかに気絶した。
「ふふっ…素晴らしいわ!アレが願いを叶える能力。金太郎を怖がらせて、彼の願いを誘導したのよ」
「そうですねフェム様。それに、周辺の被害を最小限に抑えてます。私たちに気を遣っているのでしょう」
人質のフェム王女と侍女のピャーチが楽しげに会話を弾ませる。まるで対岸の火事だ。
だが、敵はもう一人。
「大した物理攻撃アル。でも力だけネ」
金太郎の姉が残忍な笑みを見せた。
次の瞬間、七月十の足元から水が噴き上がった。ツインテール娘のチャイナドレスのスリットから水が滴る!下半身が…水に変化している!
「それだけ分かれば、貴女もう終わりヨ」
水に変化する能力。単純だが、水は全ての攻撃を受け流す。
「ぐっ」
七月十の顔面は水に飲み込まれた!
「ガボッガボボ!」
「ハハハ、物理攻撃も殴れなければ無意味ネ。私は水系の能力者。さっさと溺死するネ」
七月十の攻撃は物理頼りだ。ゆえに、特殊攻撃に脆い!
だが七月十は玉龍拳の使い手だ。
玉龍拳とは!無敵の物理攻撃!!
「見れますよフェム様。物理攻撃の極致が」
思わずピャーチが立ち上がる!
「すぅぅ」
七月十が取った行動。それは、金太郎姉が変化した水を、口で吸い込むことだった!!
「それくらい想定済みネーッ!」
「ぷうっ!!」
七月十は吸い込んだ水を…吐いた!
玉龍拳・龍の息吹。
本来は呼吸を整えることで精神統一を図る技術。
だが、規格外の筋骨から放たれる息吹は口に含んだ水を彼方へと吹き飛ばす!
「あ、ああ〜!あ〜あれ〜!」
吹き出した水は金太郎姉を押し流し空へ飛んでいった。
「あれも物理攻撃なのね!」
フェム王女が喜んだ!
しばらくして、金太郎姉は地面に落下した。
「水系の能力者は水に飲まれることを想定すべし。おばあちゃんの教えさ。さあ、願いを言え」
「ぐぐ…殉教精神があれば死ぬのは怖くないネ!」
「なあ、お前は今すぐ死ぬべきだが…もう強盗なんて止めねーか?罪を償って一からやり直すんだ」
「どうせ私は死ぬべき人間ヨ」
殺しを信条としない七月十は、舌拳問わず相手との交渉を試みる。能力は、人を殺さないための手段に過ぎない。
七月十は拳を振り下ろした。
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戦いの後。
フェム王女からお礼のご馳走を頂いた。
「七月十さん。GO大会に出ませんか?我々は初めから貴女に注目していました」
侍女のピャーチがキビキビと切り出す。
「貴女は以前にも希望崎で大規模戦闘をしてますね?そうして大会関係者の目に留まろうとしたのでしょう?」
自分が目立てば、いずれ大会の方から来る。
七月十は祖母の教えを実践し、事実その通りになった。
「王女様は全部お見通しだったんですね…」
「その言い方は止しましょう。フェム様は貴女の気持ちに応えられた。ザックに会いましたね?彼はエプシロン王家と繋がりがあるのです」
「ザックが!そうか…知らない間にヒントまで頂いてたんですね」
「さすがに強盗に襲われたのは偶然ですが」
ピャーチが言うと、フェム王女は悪戯っぽく苦笑した。
「十ちゃんの戦いは見ものだったわ。ひとつ聞きたいのだけど、貴女が人を殺さないのは何故?この質問は面接試験だと思って頂戴」
数拍おいて、十は慌てて答えた。
「…私は楽しむために戦ってます。だからなるべく殺しは無しにしたい」
「でも、世の中にはどうしても叶えたい願いがあって、仕方なく戦う人もいるわ。貴女の行為はそんな人達の想いも踏みにじるのではないかしら?」
「踏みにじります。今大会では、死亡者は生き返りますから」
「—!!」
侍女・ピャーチの眉がわずかに吊り上がる。
殴り殺した者の願いを叶える能力。不死ルールと合わせれば、大会自体が破綻しかねない。
「あっ!勿論、どんな理由があっても対戦相手は殺したくないです!ていうか…そう…私の動機も不純で…そのう。す、好きな人が、いて…」
「…」
ピャーチは表情の読み取れない目で十を見つめた。
「いやあの、名前も知らない人ですけどね!?昔…戦うことに悩んでた私に、活人拳の道を示してくれた」
十は話しつづける。フェム王女と侍女のピャーチが黙っていることにも気付かない。
「バカで弱いのに誰かの為に戦うヤツで、私もそんな風になりたいって思ったから…!今の私を見て欲しくて…その人に恥じない戦いをしたいんです」
「ンン"っ」
ピャーチが突然、咳払いをした。
「失礼、ェ"ンッフフ」
「あああの!?初対面の人に何言ってんだろ…バカだな私…」
十は赤く染まった顔をカンカン帽で隠した。
「貴女を選んで良かった。是非大会に招待したいですが、まずは候補者を22名まで絞るため、推薦枠を賭けて争っていただくことになるでしょう」
「えと…光栄です。ありがとうございます。ピャーチさん。フェム王女様…ああ恥ずかしい」
フェム王女は艶やかに微笑んだ。
「では、結果は追って通知します」