プロローグ(超特急)


「超特急(えくす ぷれす)様。あなたはあの時、死ぬはずでした。」
侍女と思しき女性が語る言葉を、白いベッドに横たわる少年は無言で受け止め……
この身に訪れる未来への覚悟を固めた。

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―数時間前。その少年は押し合う人ごみの中にいた。
おしくらまんじゅうにされながら、彼は群衆の先へと動いていく。
ここは仮設されたエプシロン王国の『発着場』。本日、フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロン王女が転送装置を用いてこの地に降りたつ。

しがない希望崎学園二年生の彼―【超 特急】は、その記念すべき瞬間にどういう因果か立ち会う事になった。一観衆としてではあるが。

等間隔に並ぶサンプル花子が警備を行う中、参加チケットを押し付けてきた写真部の友人に少し恨みを抱きつつ。同じようにある期待もしていた。

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――その日。
たった一人の少女の言葉が、世界に激震を与えた。

『皆さま。本日は私わたくしの我が儘のためにこのような場を用意していただき恐悦至極にございます』

背後に肖像画の掛けられた、瀟洒な一室。
色素の薄い髪を肩口に垂らした、年端も行かぬ少女が微笑んでいる。
フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロン。

遥か上空に悠々と生きる、天空の民。
エプシロン王国の、第一王女である。
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その日の会見中継は超家のテレビでも流れていた。特急の目からノイズ混じりのフェム王女の姿が離れたのは翌朝の起床時である。
一目惚れであった。

彼がこの場にいる理由はその気持ちへの踏ん切りをつけるためでもある。相手はエプシロン王国の継承者、文字通りに雲上の存在、ふと気まぐれを起こして水浴びに降り立った天女だ。
己が身は魔人である。しかしこの手が太陽に届く事は無いだろう。特急はそこまで自分の能力を信じているわけでもなかった。
あるいは「転校生」なら、太陽を掴み獲る事も出来るのかもしれない。しかし、これもまた遠き夢物語である事も確かであった。

へし合う観衆の中、友人から渡されたおんぼろポラロイドカメラをなんとか舞台で手を振る王女へと向ける。何枚か撮った王女の写真を報酬にもらって、彼女への恋慕の結末にしよう。そう考えて彼はカメラを購入した分の部費を稼ぎにイクラ漁のバイトに連行された友人の頼みを引き受けたのだった。


―――――――
「――そうして到着セレモニーを見学している中で、『もどき』が発生した、と」
侍女の問いに特急はこくり、と首肯することで応える。

サンプル花子もどき、と呼称される存在がいる。
天文学的な確率で、デフォルト設定の性格に調整されたサンプル花子に眠る潜在的欲求の覚醒により誕生する存在である。
最前列にて警備を行っていたサンプル花子のおかっぱにフェム王女から舞い降りた御髪の一本が触れ合う事で、根源的欲求を開眼。
フェム王女と自身の毛根を植え替える頭髪交換行為にエクスタシーを見出す救い難き『もどき』が誕生してしまったのだ。
―――――――

突如、暴走の兆候をみせた『もどき』に対する他のサンプル花子の動きは速かった。

サンプル連射、サンプル速射、偏差サンプル・シューターによる弾幕が『もどき』を襲う中、『もどき』は自身のサンプル・キャノンでそれらを強引に相殺し、おぞましき速度で王女へ迫る。
目覚めた己の欲求を満たすために!

危機を察知し王女の護送が始まる中、特急は避難誘導される観客の波に魔人の身体能力で逆らい、サンプル花子警備線をすり抜けて『もどき』へと駆ける。
恋に落ちた日よりもなお麗しきフェム王女を助けるために!

―特急は、自身の内側からどうしようもないほどの熱量が湧き出るのを感じていた。
あの手が王女に伸びるよりも早く…。
二人の髪が触れ合うに至るよりも速く。
狂人の眼が歓喜に染まるよりも――迅く!
―ここであいつを轢殺(ころ)さねば、己が死よりも辛いものを知る事になるだろう。
駆けだした数瞬でそれを理解した特急は覚悟を押し固める。
「Poooooo…!」
発進の汽笛を叫べ。
線路を拓け。
『覚悟』を焼べろ!
(迅進自己!!)
特急の足元から線路が築かれる。踏み出した点は一条の線と化し、塞ぐもの全てを粉砕する暴走車両と成る。

「ゲヘヘーッ!ワシのおかっぱ毛根を植え込みDNA端末交換をゲギャアーッ!?」
或るサンプル花子もどきの乱は、こうして血煙とともに鎮圧された。舞い散る肉塊と血煙が特急の視界を遮り、反射的に特急は眼をつむる。

――次に眼を開けた時、包帯だらけの彼の体は白きベッドに横たえられていた。
かくして、侍女と少年は相対したわけである。
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ピャーチと名乗った侍女は、特急から事情を聴いた後、今の彼の状況を丁寧に説明してくれた。
「貴方のとっさの行動のおかげでフェム王女様は救われた…と言いたかったのですが、別にあの乱入がなくても『もどき』は王女様を護る幾重ものセキュリティーシステムを前に指一本触れる事は叶わなかったでしょう。特急様がいまこうして救護室に担ぎ込まれているのも、彼女を護るセキュリティーシステムの一つ、『物理反射』が貴方に炸裂したからです」
セキュリティーシステムとやらは良くわからないが、自分の能力に最も相性の悪そうな何かを食らった事を特急は理解した。
「そのセキュリティーシステムの作動による負傷は特急様の命を脅かすほどの物でした。貴方が今こうして五体満足の状態でいられるのは、ひとえに第一王女様の決定で投与されたエプシロン王国の秘薬のおかげなのです」

ピャーチは告げる。これから彼に訪れる未来を。
「超特急(えくす ぷれす)様。あなたはあの時、死ぬはずでした。救われた命の使い方を、フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロン王女より下賜されております」
侍女と思しき女性が語る言葉を、白いベッドに横たわる少年は無言で受け止め…
太陽を掴みに行く覚悟を固めた。


グロリアス・オリュンピア出場の意思を示した後、ベッドの上でまどろみながら、早くも寝癖が目立ってきた特急は考える。
(彼女に、告白をしたい)
この恋が叶うかは分からない。そもそも辿りつく為の予選を勝ち抜けるのかも分からない。先は分からない事ばかりで、生まれて初めて切り開く恋路も不安だらけだ。
しかし覚悟は特急の内にあった。
ゆっくりと眼を閉じて、視界が血煙に染まる前に焼きつけた王女の姿を思い起こす。


―美しき王女のその眼には、驚愕の色と、
ほんの僅かな「歓喜」が観て取れた。
最終更新:2018年02月18日 20:23