プロローグ(志高 純奈)


 私は、私の頭が狂っているということをちゃんと理解している。

「ただいまー」

 会社から帰宅し、電気の消えている部屋に向かって言う。
 当然返事はないが、いつものことなので気にならない。なにせ、もうすぐ二十八にもなるというのに、家族以外と一緒に暮らしたことが一度も無いのだ。
 さらに言えば母はずいぶんと前に他界していたし、無口は父は元々返事をしてくれるような性格じゃなかった。

「あー、今日も疲れたー! ぶぁー!!」

 謎の奇声を上げながら重い荷物を床に放り出し、スーツから楽な部屋着に着替えると、リビングのソファにばふんっとうつ伏せのまま倒れ込む。
 ほんと、今の仕事は疲れて仕方がない。
 朝早くに起きて、一般的な女性らしく最低限の身だしなみを整え、朝食を作り、満員電車に揺られ、そのまま夜遅くまで働いてまた電車に揺られて帰って来る。

「これだけ時間を拘束されてるっていうのに、給料はたかが知れてるんだもん。ほんと、不自由な国だわ……」

 生活費とか家賃とか、いろいろな所に行くのだって金がかかる。常にカツカツだ。
 しばらくソファの上でそんなことをぼーっと考えていたが、静かな部屋の中でこのままの状態だと寝てしまいそうだった。
 まだ夕飯も食べていない。
 そのまま頭だけ左にあるテレビへの方に向ける。
 リモコンは……あった。床の上に転がっている。
 右腕を伸ばして、落ちていたリモコンを掴んだ。

「手の届く所にあって助かったぁ……」

 そのまま電源を入れる。
 朝出かける前に見ていたチャンネル――国営放送でニュース番組ばっかりやっているところ――が映ると、そこには大きく『祝!エプシロン王女が来日!』とテロップが表示されて、何人かの芸能人が椅子に座って対談をしていた。

『――さて、先ほどフェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロン王女の来日に合わせて開催される大規模な能力バトル大会"グロリアス・オリュンピア"が発表されたわけですが……藍堂(あいどう)ルイさん、いかがでしょうか。』
『んー、えっとー。私もこういうバトル? って結構好きなんでー、すっごくすっごおーく楽しみですー。ていうかー私も参加したいなーって思ってますー』

「あれ、この子って……」

 テレビの中でフリフリの衣装を着た女の子が、頭が溶けそうになる甘ったるい声で答えていた。そういえば最近テレビ番組によく出ているアイドルとかなんとかだったっけ。
 テレビ画面の四隅を確認してみるが『祝!エプシロン王女が来日!』以外には特に何も書かれていなかった。

「生放送じゃないのねぇ。このチャンネルだと珍しいのかしら?」

 よく見れば他にもメディア露出の多い政治家や見覚えのある歌手とかお笑い芸サンプル花子が登壇しており、思ったよりもバラエティ色の強い番組みたいだった。それならニュースと違って録画放送でもおかしくはない。

『なるほど! 確かに藍堂さんはアイドルとして活躍する傍らで魔人ストリートファイターとしての実力も高いと聞いています。こういう大会と聞いては血が騒ぐのも無理はないですね!』
『そうなのー。怪我とかするとライブ……あ、今度全国ツアーやるんですけどー、そのライブとかに差し支えちゃうんでー、最近はマネージャーに止められてて、発散できてないんですよねぇー。だから今回の大会はいい機会で――』
『いや、しかしねぇ君。いくら我が国で公に認められたとは言っても、やはり魔人同士が野蛮に戦いあい、あまつさえそれを報道するなんてのは些か野蛮だと私は思いますがね。』

 アイドルの藍堂さんの発言に横で聞いていたハゲかかってるスーツ姿の男性が割り込んで反論する。口調はまだ落ち着いているが、すぐにヒートアップしそうなタイプだ。

『やだなーオジさん。魔人だけじゃなくて普通の人でも参加できるんですよー。』
『小娘の癖に何を口答えしているんだ!!!!』

「ヒートアップ早いな!!」

 私は思わず口に出してツッコんでしまった。
 想像以上の早さでハゲスーツが顔を真赤にして怒鳴りだしたので、慌てて司会者がなだめ始める。対するアイドルの藍堂さんは涼しい顔で笑顔を浮かべていた。

「これはオジさんの分が悪いわね。この娘、大成しそうだったのに惜しいことしたかしら。」

 どうもしばらくはまともな会話も見れそうになく、私は近くの棚の上に置いてある写真立てへと視線を動かした。

「……魔人同士のバトル、かぁ……」

 私はソファから起き上がり、リモコンを取る為に左手で掴んでいた"外した右腕"を、元通りの位置に戻した。
 右腕はすぐにくっつき、私の意思で動くようになる。魔人能力、【人形喰い(パペット・イーター)】によるものだ
 リモコンは動かない腕で手繰り寄せても問題ないが、棚の上の写真立ては落としたら割れてしまうかもしれない。それに、そもそも寝たままの状態で「手を伸ばして届く距離」から離れていたので、「よっこいせ」とおばちゃんくさい声を出して棚の前まで移動した。
 写真立てを手に取ると、そこには、幼い私と、父と、母が笑いながら写っていた。

「魔人能力なんてものが存在していなければ、もしかしたらこんな人生になってなかったかもしれないなぁ……」

 時々、考えること。
 何度も、考えたこと。

 私は、私の頭が狂っていることに初めて気がついた日のことを思い出していた。

 ***

 私の父も魔人能力を持っていた。
 能力名は【一生一本(いっしょういっぽん)】。
 その能力は『自らの陰茎を、生涯心に誓った女性に対してのみ勃起させる』というものだった。
 誓いは非常に厳しく、本人が心変わりしたり、相手の女性が居なくなったとしても効果が失われることはない。まさにその女性の"一生"に、"一本"の陰茎を捧げる能力なのだった。
 なお、私は父の陰茎のことをおちんちんと呼んでいるので、これ以降はおちんちんと呼びたいと思う。
 とにかく、私がこうやって生まれてきているように、父は私の母を愛し、見事におちんちんを勃起させた。母も父を愛していたし、女性としてはこの上なく幸せだっただろう。

 だが、この能力によって悲劇が生まれた。

 それは私が三歳の誕生日を迎えたばかりの頃。
 私は、父と一緒にお風呂に入っていた。

 別にこのこと自体は珍しいことじゃなかった。両親は共働きだったためどちらかの帰りが遅くなることも良くあり、その場合は早く帰った方が家事をすることになっていた。
 そして、その日は土砂降りの雨が降っていて、保育園に迎えに来た父と一緒にずぶ濡れになった私は、そのまま一緒にお風呂に入ることになったのだった。

「ぅあ゛ー……」
「ぅあー……」

 身体を洗い終わり、湯船に浸かる。お湯の心地よさに全身が弛緩した父が思わず声を出したので、私も同じように真似をした。
 父の身体は大きかったため先に浴槽の中に足を伸ばして入り、私はその父の身体の上に同じ方向を向いて座っていた。ちょうど座椅子に座るような感じで、父に安心して背中を預けることができた。

 父は普段は無口だが、全く喋らないというわけではない。むしろ性格は温厚だったし、二人きりともなれば色々と会話もした。保育園で何をしたか会話をしたり、一緒に歌を歌ったり。両手を重ねて握ることで風呂の湯を水鉄砲みたいに飛ばし、シャンプーのボトルで的当てもした。結局この時の私は全然うまく水を飛ばすことができなかったけど、すごく楽しかったことを覚えている。

 ごく普通の家族の光景。とても幸せな時間だった。
 だが、それも彼女の登場によって終わりを迎えた。

「ただいまー」
「あ、ママだ! おかえりー!」

 仕事から帰宅した母が、浴室のすりガラス越しに話しかけてきた。

「ううー、寒い! 凄い雨だったわねー」
「待ってろ。すぐに上がるから、そうしたら交代で入るといい」
「んー? 別にゆっくりでいいわよ。とりあえず濡れた服だけ脱いじゃってストーブの所に居るわ。多分下着までは濡れてないし」
「ん、そうか」

 母が脱衣所で服を脱ぎ始める。スーツを着ていたのだろうか、すりガラスでぼやっとしていた黒い陰が濃くなったり淡くなったりしながらしばらく動いていると、やがて肌色へと変化していった。
 お尻の下で、何かが動いた気がした。

「お? なんかもぞもぞしたー?」
「気のせいだろう」
「そっかー」
「そうだ」

 父はそう言うと、私を身体の上からおろした。その時の私は不思議に思ったが、すぐに父が立ち上がろうとしているのを見て、母と交代しようと考えたんだと思った。
 そして父が湯船から出ようとした、その時だった。

 がちゃりと音がして、下着も脱いで全裸になった母が浴室の扉を開けて中に入ってきた。

「うー、やっぱり下着もびちゃびちゃだったわ。私も一緒に入らせてー!」
「おまえっ……馬鹿……!!」
「あら、あなた。出るところだったの? ちょうどよか――」

 よかった、と母がいいかけたその瞬間。

 むくむくむく。

 そんな効果音が聞こえたような気がした。

「おーーーーーぅ」

 それが、私が父の勃起したおちんちんを初めて見た時の、喜びと興奮に満ちた声だった。

 父は浴槽から出ようとして、片足で浴室の縁をまたいでいた。しかも幸か不幸か、私が座っている側とは反対の足を先に外に出していたため、股間の正面が私のいる方向に向いていたのだ。
 父の勃起したおちんちんは私の鼻スレスレまで起ち上がると、本人の意思に反してビクビクと脈打った。そのたびに父の勃起したおちんちんから発せられる芳香が私の鼻孔から脳髄へと直接送り込まれていく。

 この瞬間、私は父の勃起したおちんちんに対して恋をした。

 当然の如く三歳の私は性的知識など皆無だ。だがそれでも私は漠然と父の勃起したおちんちんによって自らの股間を貫かれている姿を想像していた。父の勃起したおちんちんから発せられたフェロモンが私の根源に眠っている野性的本能を呼び覚ましたのだ。
 私の知能指数はこの時明らかに上昇していた。
 父は慌てて股間を隠し、母は叫びながら私を抱きかかえて部屋へと運んだため、時間にしてわずか一秒にも満たない出会いではあった。
 だが、私はハッキリと覚えている。
 父の亀頭の先、熱気のせいかぷっくりとピンク色に火照った尿道がまるで愛らしく私に口づけをせがんでいるように見えたことを。

 今にして思う。
 きっと父が体の上から私を下ろしたのは、すりガラス越しの母のストリップに対しておちんちんが反応したからなのだろう。すりガラスという見えそうで見えないその状況は父の妄想を激しく掻き立て、すでに限界間近だったのだ。だが父は幼い私に悪影響があってはならないと必死におちんちんが勃起するのを我慢し、なんとか外へと出ようとしたのだ。
 だが、母は全裸でやってきた。もしかしたら自分の裸体が父のおちんちんへと及ぼす効果を甘く見ていたのかもしれない。

 いずれにせよ、この時から私の人生は大きく変わった。
 当時三歳の私は、生涯父の勃起したおちんちんによって囚われ続けることを運命づけられてしまったのだ。
 そして同時に、私はそれまで大好きだった母に対して、「殺意」を抱くようになったのだった。

「……だからね、純奈ちゃん。あれは全然気にしなくていいことなのよ。早く忘れちゃおうね」
「うん、ママ! わかったよ!」
「んー、いいこねー!」

 愛情たっぷりに抱きしめてくれた母の胸の中で、私は考えていた。
 父の勃起したおちんちんを見ることができ、あまつさえ股間に挿入することを許されているのは世界中で母だけだ。
 その事実が私をどうしようもないほどの嫉妬に包んでいく。寝ても覚めても脳裏にちらつくのはあの時の父の勃起したおちんちん。鼻腔をくすぐる勃起したおちんちんの匂いだ。
 どんなことをしても、父の勃起したおちんちんを私のものにしたいと、心から願った。

 だけど、それでも私は――

「……ママ」
「ん? どうしたの、純奈?」
「だいすき!」
「ええ、ママも純奈が大好きよ」

 ――私は、その心を隠し続けることにしたのだった。

 既に父の勃起したおちんちんによって完全に脳を侵されていた私は、母に対して一切の愛情を持てなくなっていた。
 ……だが、それでも母が死ねば父が悲しむと思った。母が居なくなれば父のおちんちんは勃起しなくなるのだ。それだけは絶対にあってはならないことだった。

 そして、私はそんなことを考える自分自身を、酷く恐れた。

 父の勃起したおちんちんに性的興奮を覚え、母を殺したいと思う子供なんて居るだろうか。
 狂っているのは私だ。それなら、私が我慢すればすべて上手くいく。
 このまま誰も不幸にならずに平和な日常が続いていくんだ。

 私の中に残っていた理性は、この時、かろうじてそう判断をさせてくれたのだった。


 それから月日が流れ、五歳になった私は家族と一緒に車に乗っていた。
 相変わらず仲のいい父と母、そして私。
 その日は三人でピクニックでもしようという話になり、父の運転する車で景色が良いという噂の公園を目指していたのだった。
 山道をどんどんと進んでいく。もうかれこれ二時間ほどは車に揺られており、周囲には殆ど車も見かけなくなっていた。何度もカーブが続き、その度に私の身体は左右に大きく揺れていた。

「ねえ、パパー。まだつかないの?」
「もう少しかかるな。どうした? おしっこか?」
「んーん、おなかすいた。はやくママがつくったおべんとたべたい!」
「ふふふ。もう少し我慢してね。純奈の好きなのいっぱい入ってるから」
「やったー!!」

 助手席に座る母の言葉を聞いて、私は後部座席で足をバタバタと揺らす。
 この頃には私も自分の感情を偽ることに慣れてきていた。相変わらず母に対しては嫉妬と嫌悪感しか感じなかったが、それでも幸せな母娘を演出できていたと思う。
 このままならずっと上手くやっていけるんじゃないかという気さえしていた。
 そう、これから先も、ずっと、家族で笑い合いながら。

 そんなこと、あるわけがないのに。

「――あぶない!!!」

 母の悲鳴が聞こえたのと、激しい衝撃が襲ってきたのは同時だった。

 どこからか聞こえてくるサイレンの音。
 目をさますと、私は座席の下にあいた空間に転がっていた。見慣れたはずの車はぐしゃぐしゃに壊れ、天井が大きくひしゃげて座席まで押しつぶし、すぐ私の目の前まで迫っていた。どうやら私は隙間に転げ落ちたことで潰されずに助かったようだった。

「………パパ……ママ………?」

 痛む頭を抑えながら前方に座っているはずの両親に呼びかけるが返事はない。潰れた天井のせいで両親が居るのかどうかすらわからない。
 私はそのまま近くにあった車のドアを開けようと試みた。幸いなことに歪みが小さ
かったのかドアはすんなりと開き、なんとか這いずって外へと出ることができた

 外から見ると、何が置きたのかがより一層よくわかった。
 どうやら車がガードレールを突き破り、急斜面を転がり落ちたようだった。そのまま途中の木に引っかかるまで転がり続けたせいで、車は元の半分くらいの大きさにまでなっていた。

「パパ! パパ!」

 私は運転席側に回るとドアを開けようと試みた。だがこっちは酷く歪んでいるようで、腕が一本通るかというほどの僅かな隙間しか開くことができなかった。父は呼吸をしていたが意識を失っており、頭から血を流していた。わずか五歳の私にはシートベルトで固定された父の体を助け出すことは不可能だった。

 その時、近くの木がオレンジ色に光っていること気がつく。
 火だ。
 事故の影響により、どこかから火が着いたようだった。

 私は必死に車のドアをこじ開けようとしたが、どうしてもそれ以上開けることができない。

「だめ! このままじゃ、パパが! パパのおちんちんがもえちゃう!!」

 自分を偽ることができないほどの焦燥感。父を失えば、同時に父の勃起したおちんちんも失われる。そうなれば私は一体何を糧に生きてよいのかわからない。
 五歳にしてこの世に絶望しかけた私は半狂乱になりながらドアを揺さぶるが、まったく動かない。
 私はドアの隙間から父に向かって手をのばした。父の腕を掴み、何とか引きずり出そうと引っ張る。

「パパっ、やだぁー! パパー!! おきて! だれかパパをたすけて!!」

 サイレンの音が近づいてくる。
 駄目だ。どう考えても間に合うはずがない。

 私は火が迫ってくる中で必死に父の腕を引っ張り続けた。

「……きゃっ!」

 その時だった。ドアの隙間から父の腕がスポンっと音を立てて体から抜け落ちたのだった。
 私はそのままの勢いで尻もちをついてしまった。

「……えっ……なにこれ……」

 一瞬、父を殺してしまったのかと青ざめた。が、すぐに違うことに気がついた。
 腕の断面からは血が一滴も出ていないのだ。

 私は試しに腕を父の身体へと戻すと、何の苦もなく元通りにくっついた。

「……もしかして、これならパパをたすけられるかも!」

 この時の私には、一体この力が何なのか考えてなどいられなかった。とにかく時間がない。うかうかしてたら火に囲まれて逃げられなくなってしまう。そうなる前に速やかに父の身体を分解しなければならなかった。
 不思議なことに父の身体を取り外すことができるようになってから、それまで以上に素早く動くことができるようになっていた。これが魔人化した恩恵だったということは後で知ったが、とにかくそのおかげで私は火が回りきる前に父の身体を回収し、離れたところで組み上げることができた。

「つぎは、ママをたすけないと……」

 無論、母を助けようとしたのは愛情からではない。彼女が居なくなれば二度と父のおちんちんは勃起しなくなる。最悪、死んでいたとしても身体だけは回収しなくてはならない。
 そう考えて私が車の助手席側へと向かおうとした時だった。

 火がガソリンに引火し、車が大爆発を起こした。
 私はそのまま爆風によって木に叩きつけられ、意識を失った。

 その後、再び目覚めたのは病院のベッドの上だった。

 病院で看護師が噂話をしているのが聞こえてきた。どうやら私と父は車が横転する中で奇跡的に窓から放り出されて助かったということになったらしい。

 そして母は、やはりあの爆発によって亡くなったらしかった。

 私は父のおちんちんが二度と勃起しないことを悟り、激しく泣いた。慌てて駆けつけた看護師らは何か勘違いしたようにもらい泣きをしていたが、今にしてみれば非常に馬鹿らしく思えた。

 ***

「私にはどうしようもなかった……」

 私は精いっぱい努力をした。だが、それが今の結果だ。
 それならばもう、これは仕方のないことだ。

 私は写真立てを棚の上に再び置くと、そのまま台所で夕飯の支度を始めた。冷蔵庫に入っていた材料で炒め物を作る。栄養は満点だ。
 炒めものの半分を皿に取り分け、残りをミキサーの中へとぶち込む。ミキサーの中で炒めものがドロドロのジュースへと瞬時に変化する。
 出来上がったそれをスープカップに注ぐと、私はリビングと居間を隔てるふすまを開けた。


「ご飯ができたわよ、お父さん」

 居間の電気をつける。床が畳で作られている和風の部屋。あちこちに手足や胴体や頭が転がっているその中心に、父が座っていた。両手と両足をそれぞれ縛り上げ、体に着せた拘束用のベルトから伸びる鎖はそのまま柱へと巻き付いている。絶対に逃げられないように苦心して仕上げたのだ。用意するのにいくらかかったかは……思い出したくない。

「はい、今日の夕飯よ。栄養たっぷり野菜炒め!」

 スープカップに入ったドロドロの液体をスプーンですくい口元に持っていくと、父は特に抵抗せずに口を開けた。特にむせたり眉間に皺が寄ることはないので、少なくとも不味くは無かったらしい。最初は栄養だけ考えて美味しさは度外視してたのでよく吐き出されたりしたものだ。そんな出来事ももう何年も前のことだと思うとすごく懐かしく感じる。

「………じゅん、な……」
「ん、何? お父さん」


 半分ほど食べ終わったころ、父が何かボソボソと小声で喋りはじめた。声はとても小さく、私は耳を口元へ近づける。
 と、その瞬間、父が私の耳に噛みつき思いっきり食いちぎった。

「……わっ、びっくりしたー……」

 父が舌打ちをすると、口に加えた耳を床へと吐き出した。私の耳があった場所からは血は流れていない。能力を発動して耳を咄嗟に外したのだ。

「もー、あんまり怖いことするのやめてよねー。せっかくお父さんのために手足を外したりとか口枷したりとかしないであげてるのに……」
「…………悪魔め……」
「うわー、傷つくなぁー。」

 私は床に落ちた耳を拾い上げて元の場所へと戻す。すぐに耳は違和感なくくっつく。

「うん、元通り――って痛たたっ! ダメだこれ。どれだけ強く噛んだのよ……」

 ズキズキと痛み始めた耳を再びすぐに取り外し、そのままゴミ箱に放り込む。その後、床に転がっていた手頃な頭から耳を拝借すると改めて付け直した。もちろんバランスが悪くならないように左右揃えて、だ。

「別にこんなことされてもなんともないけどさー。無駄なことはやめてよねー」
「……なら、お前ももう諦めろ……」
「それは無理だよ。だって、私ってばまだ処女だし? お父さんが私のこと犯してくれるっていうならすぐにでもやめるわよ」
「…………」

 まぁ無理なのはわかってるし、今さら返事がなくなったくらいじゃ落胆しない。
 私はいったん部屋から出て、さっき持って帰ってきた荷物を居間へと運び込む。


「さ、それじゃ今日も始めましょうか」

 逆さまにひっくり返すと、バラバラと中身が床へと落ちた。頭、腕、足、胴体。それぞれが更にいくつかのパーツとして分解されている。

「うん、やっぱりこの子ってさっきテレビに出てたアイドルよね。いやー、偶然ってあるのね」

 床から頭を拾い上げた頭を見て再確認する。彼女の眉毛は今までの誰のものより母に似ている気がした。今回は見間違いではなかった。
 私はまず能力を使って頭を目の上と下に分離した。さらに不要な後頭部も取り外す。能力のおかげで断面から脳みそがこぼれたりせず、謎に真っ黒い状態になってるのがありがたかった。だって丸見えだったら多分気持ち悪いし。

「もうちょいバラバラにするのが楽ならいいんだけど。なんか良いアイデアとかない?」
「……………」
「あ、そ」

 目をそらしたままの父は放っておき、そのままテキパキと解体していく。ようやく額と眉毛の部分だけに分解することができた。要らない部分は適当に床に転がしてある。あとでまとめて片付けてしまうつもりだ。

「他の人のならいいけど、自分のこのあたりはちょっと怖いなーっと」

 用意ができたので、私は自らのこめかみ辺りに親指を当て、そのまま頭を掴むようにして引っ張る。本当は自分の身体ならイメージだけで外せるのだが、頭はちょっと見えにくくて怖いので手で外すようにしているのだ。
 カコン、と頭の前方あたりが外れたので、一応丁寧にその辺に置いておいた。

「これ、多分少し脳も巻き込んで外れてるよね。別に全然影響ないんだけど不思議だと思わない?」
「……そのままおかしくなってしまえばいい」
「あはは、私もそう思うよ。このままおかしくなって、普通の恋愛とかしてみたいわ。」

 そのまま頭の空間に先程取り外した藍堂ルイちゃんのパーツをはめ込んでみる。
 鏡でチェック。うん、いつもどおり違和感なくくっついた。ホント、この能力は便利だ。

「どう? またちょっとお母さんっぽくなったんじゃない? これで少しはおっきくなったかなー?」

 私は少しだけワクワクして、でもどうせ駄目なことはわかりきってるからあんまり期待せずにお父さんの上着をめくった。頻繁におちんちんを確認するのに邪魔なので、お父さんにはズボンとパンツは履かないでもらっている。
 あ、ちゃんと風邪引かないようにエアコンとかつけてあるよ。おかげで電気代が大変だけど。

「んで、案の定駄目かぁ。がっくし。」
「何度も言うが、俺の能力はそういうものじゃあない。いくら見た目が似ていたとしても、お前は、アイツとは違う。」
「そんな話は何回も聞いたけどさー、でもどうしようもないじゃん。私はお父さんの勃起したおちんちんが見たいんだもん。」
「不可能だ」
「できるよ。絶対。」
「いいや、無理だ」
「……できるって!」
「諦めろ」
「できるって言ってるでしょ!!」

 思わず叫んでいた。さっきまでの楽観的な気持ちが嘘のように焦燥感に駆られている。どうも父の勃起したおちんちんのことになると頭に血が上りやすくて嫌だ。

「……絶対、できるもん。だって、お父さんの勃起したおちんちんは、私の人生そのものなんだよ。諦めるなんてできないよ……」
「…………」

 わかってる。頭ではわかってるんだ。自分がどれだけおかしいのか。
 でも、私はそれを承知で、その上で自分のためだけにたくさんの人を襲い、拉致し、殺し、分解した。友達も、同僚も、通りすがりの人や特注したサンプル花子や人気アイドル。みんな床に転がっている。能力のせいで生きているのか死んでいるのかもわからない。別に興味もない。ああ、こういうところだ、私がおかしいのは。

 だけど、それでも私はやらなくてはいけない。
 あの日、私のすぐ目の前に現れたお父さんの勃起したおちんちんを再び見るまでは、何を犠牲にしたとしても諦めるわけにはいかない。

『――だからー、さっきから言ってるじゃないですかぁー。』

 静かになった部屋に、つけっぱなしだったテレビの音が流れ込んできた。いつの間にか対談を再開していたようだ。

『怪我したって死んだって、あの国にはすっごい薬があって全部治っちゃうんですってばー。ルルブにも書いてましたよー』

「……えっ?」 

 私は慌ててテレビの元へと走る。

『いや、しかしだね。死んだものを治したとして、それが本当に同じ自分だと言えるのかね。』
『そんな難しいことはわかんないですけどー、でも空に浮いちゃってますしー、完全に消滅しちゃったりしても元通りみたいなんでー、きっと凄い薬なんですよー。』

 それ以降も故・アイドルとハゲスーツおじさんが何やら話を続けていたが、もう私の耳には入らなかった。

「これだ……!」

 私は大急ぎでノートパソコンを開いて大会の情報を探した。少し検索したらあっさりと公式サイトを見つけられたので、例の薬のことも含めて色々と確認することができた。
 薬は、本当に死んでも生き返ることができると書かれている。どうやら大会参加者の回復目的でのみ提供されるようだが、その点はなんとでもなるだろう。

 正直なところ、母を生き返らせるという手段を今まで考えなかったわけではなかった。だが、あまりにも非現実なため方法からは除外していたのだ。可能性があるとすれば魔人能力だが、蘇生能力を持つ魔人が居るという話など聞いたことはなかった。それに、仮に居たとしてもおそらく国家レベルで囲われていて、個人の依頼を引き受けてくれるとは到底思えなかった。依頼料金だって今の安月給じゃ到底払うことはできないだろう。

「まさかこんな薬があるなんて!!」

 そして、私は大会についての情報を読み進めるうちに、大会がいつ開催されるのかということに気がついた。思わず笑いが溢れる。

「あはは、ねぇ、お父さん。お母さんが死んだ時って何歳だったっけ?」
「………? 二十……八、だが……」

 私は居間へと戻り、ノートパソコンの液晶を父へと見せる。
 大会の開催日は、私の誕生日と同じだった。

「見てよこれ! お母さんと同じ年齢になった私が、生き返ったお母さんの体を使ってお父さんを勃起させる! これってもう、そういうことじゃないっ!?」

 私は「運命」というのを信じている。
 あれだけ自分を押し殺し、モラルに従って一般的に正しいと思われる人生を演じようとした。だがその結果、私のストッパーとして機能していた母は事故によってあっさりと死んだ。違う、母は「運命」によって死ぬ運命だったんだ。私は、父の勃起したおちんちんに恋をする「運命」だったのだ。
 そして今日、私は大会の開催が誕生日と同じだと知った。
 こじつけ? 知るもんか。もう私は止まらない。
 これはもう、「運命」だ。
 私は、この大会に出場して薬を持ち帰る。

「やめろ……」

 父のか細い声が聞こえた。

「お、心配してくれるの? 大丈夫だって、別に負けたって薬は使ってもらえるみたいだし、どっちにしろお薬ゲットは確定よ」
「眠っているアイツを、弄ぶのはやめろ……!!」
「……あー、なんだ。そっちか。娘を心配する父親のセリフが聞けなくてちょっとガッカリだなぁ」
「純奈ッッ!!」
「そんなに怒っても無理だってば。人としてどれだけ最低な行為だとしても、お父さんの勃起したおちんちんのためなら私は諦めないよ」

 私は父の下顎を掴んで外すと、そこに細長く折ったタオルの中心を置いて元に戻した。そのままタオルの端と端を後頭部で結んでしまえば、暴れる相手でも簡単に咥えさせられるさるぐつわの完成だ。

「なんか舌でも噛んじゃいそうな勢いだったんで念の為、ね。私はこれから大会に向けて準備をするからおとなしくしててね。あ、トイレはその辺にしておいてくれたら掃除もするから!」

 唸り声をあげて暴れる父を尻目に私はふすまを閉めた。

 さて、これから忙しくなる。
 まぁ、薬を手に入れること自体は大会に出場すれば難しくはない。目標は殆ど達成したようなものだ。
 それならば、どうせ大会に参加する以上勝ち上がるのを目標にしてみたい。父の勃起したおちんちんさえ関わらなければ、私だって普通の人間なのだ。
 それにエプシロン王国の王女様とやらは、能力バトルが大好きなようだ。適当に手を抜いて負けて、もし機嫌を損ねたら薬を使ってくれなくなるかもしれない。それはとてもマズい。

「ま、それなら目標は優勝かな。せっかくなら賞金も貰えればもう働かなくて済むもんね」

 まだふすまの向こうでお父さんは暴れてると思うけど、完全防音にしてあるので全く気にならずにすんだ。
 あはは。
最終更新:2018年02月18日 20:29