プロローグ(元サムライのユウタ)
「は? なんて?」
オレは今、ある意味人生での大きな岐路に立たされていた。
大会参加前の、五賢臣との直接面談。いわば大会に参加するに相応しい人間か調べるための審査。
願いを聞かれたので、自身の願いを口にしたのだが、聞き返されてしまった。
これは、単純によく聞こえなかったか、意味が分からなくて聞き返したか、或いは確認という名の最終警告のどれかだろう。
多分、最終警告だとは思う。もし同じ願いを口にしたら、審査に落ちるどころか、下手したら社会的に殺されるかもしれない。
でも……だけど、オレはこんなところで止まるわけには行かなかった。オレの願いは、こんなところで止まれるわけがない!
そう思って、今度は大声で自信を持って口にする。無論、先と同じ願いを。
「オレは……優勝したら、フェム王女のおっぱいを吸いたいんです!」
どうだろうか。
今にも警備員を呼ばれて捕まるんじゃないかとか、提出書類を目の前で破られて思いっきり罵倒されるんじゃないかとか、そんなことを考えていたオレだったがーー
「あ、その気持ちわかる~」
五賢臣の一人が、そう口にした。
「は? なんて?」。オレの方がそう聞き返したくなったが、審査合格のためにも失礼は許されない。
「フェム王女可愛いもんなー!」
「おっぱいを吸いたいのは、もはや人類に根ざす欲求と言っても過言ではないしな」
「揉みたい派だけど、君の気持ちも理解できるぞ」
「ワシも大会に参加できたら、その願いを叶えてもらうのにな~」
他の五賢臣も、それぞれが頷きながら、異口同音にオレの意見に同調する。
オレは予想外の流れに困惑する。
いや、流石にオレだって、社会的に認められないような願いだという自覚はあったよ!?
あまりにあっさりとした肯定に、何も口に出せないでいると、五賢臣たちは審査について話し出す。
「この若者、素晴らしい動機を持ってるし、合格させていいんじゃないかね?」
「それな」
「はっはっは、そうじゃのう」
「まぁ、フェム王女は困るかもしれんが、そんなこと知らないもんねー! 五賢臣に審査を任せる方が悪いんですー!」
「あ~、ワシもフェム王女のおっぱい吸いたい~。参加さえできれば……!」
そして審査合格が決定しそうだった、その時だ。
「ちょっと待ったーー!」
面談室の扉がが勢い良く開く。そちらを向くと、一人の男が立っていた。
その男の名はーー
「シュン!」
◇◇◇
五賢臣面談室の設けられた会場には、武術を測る簡易的な決闘場が併設されていた。
そこで一人の男と対峙しながら、僕は憤っていた。
たとえ五賢臣が許しても僕は許さない。というか五賢臣はダメだ。
だってあいつら、「彼の願いは社会的な道徳とかに反している!」と言ったらなんと言ったと思う?
『あ、やっべ。そうだった。ちょっとヤバイかもね~』
と宣ったのだから。ほんとあいつらマジ駄目。
そこで僕は、ユウタが僕との決闘に勝ったら、それだけの実力があり王女も楽しませられるということで、審査合格でもなんでも好きにしたら良いんじゃないかと提案した。
そしたらあいつら、なんて言ったと思う?
『ん。じゃあそんな感じでヨロピク~!』
だぜ? しかも鼻ほじりながら。はー、マジ駄目。「愚賢臣」とでも名乗るが良い。
そして、対峙している男、ユウタは口を開く。
「――大会参加前にオレに立ちはだかるヤツがいるなら、社会的道徳以外では、お前しかいないと思っていたよ。久しぶりだな、シュン」
「ヒロシもタカもいないからな。馬鹿野郎を止められるのは、もう僕しかいない」
そうだ。かつて男子校で共に過ごし、共に警察に入った仲良し四人組。その内、今も生きているのは僕とユウタしかいない。
ヒロシはマゾを極めようとして、からしを尻に練り込んで激痛のあまり死亡。
タカは小指をタンスにぶつけて激痛のあまり死亡。
……タカは可哀想だが、ヒロシは何やってんだよ。
ユウタは、僕に問う。
「警察の仕事はどうした。大会に関わる要人の警護で忙しいんじゃないのか」
「あぁ、それなら辞めたよ。労働なんてやってられないと思ったんでな。此処に居るのは警察でも何でもない、親友を止めたいだけの一人の男だ」
ユウタは笑う。
”親友”。その言葉の響きを受け止め、心から喜ぶかのように。
そして彼は言った。
「格好つけてるが、ただのニートだろ」
こ、このやろ……!
どうやらユウタが笑ったのは、親友と呼ばれたことを喜んでいたわけじゃないらしい。
確かに僕は今、毎日ゲームしてて職探しもしてないけど! というかお前も無職という点では同じだろう!
ユウタは悔しさで歯噛みしている僕を余所に、疑問をぶつけてきた。
「しかし、解せないな。なぜオレを――オレの夢を止めようとする?」
僕はその言葉に、嘆息する。やはり、ヤツの業に向き合わねばならぬということか。
意識を切り替え、僕はユウタの夢を止める理由を伝える。
「それは愚問というものだ。お前の夢は、危険すぎるからだ! 『フェム王女のおっぱいを吸いたい』などという願いは!」
そして、僕は親友を止めるため、彼我に開いた距離を疾駆する!
その距離を埋めるための疾走の間、タカやヒロシ、そしてユウタとの思い出が想起される。
小学生の頃、スカートめくりをしまくって、皆揃って先生に怒られた思い出。
中学生の頃、女子の着替えを覗こうとした計画が実行前にバレて、皆揃って先生に怒られた思い出。
高校生の頃、エロ本の貸し借りを学校でしていたのがバレて、皆揃って先生に怒られた思い出。
あれー? こう思い返してみると僕ら、只のエロガキでしかないな。
まぁ、それはさておき。
――僕は、もういなくなってしまったお姉ちゃん的存在にこそ出会えなかったが、こうして楽しかったと思えるだけの思い出をやれた仲間には出会えたぞ。
なのに、その仲間の一人であるお前は――!
「お前は、日本の未来はどうでも良いと言うのか! 国民の一人がそんな下劣な願いを叶えてもらったと知れ渡れば、国の威信は地に落ちる! 最悪の場合エプシロン王国との外交問題にも関わってくるのだぞ! 果てにたどり着く先は、戦争かもしれない!」
そうした事態が想像できない程馬鹿ではないことも理解していながら、改めて問わざるを得なかった。
それは、彼の真意を見つけるため。もしかしたら説得の余地があるかもしれないという、我ながら甘ったれた考えからの問いだった。
だが、ユウタは。
「えっ、あれ!? そっか。そういうことになりかねないのか!」
そうした事態が想像できない程馬鹿だった。
僕のお前に対する信頼を返してくれ……。
しかし、ならば交渉する余地があるかというと、そうでもないようで。
ユウタは言った。
「そういう危険はまるで考えていなかったが、それはそれとして、この願いを止める訳にはいかない! なぜなら、オレがとてもフェム王女のおっぱいを吸いたいからだ!」
「そ、そんな理由で納得できるか!」
あまりにド直球な欲求に一瞬言葉を詰まらせてしまったが、そんな欲求丸出しの願いのおかげで戦争が始まってしまったら、たまったもんじゃない。
僕は魔人能力を使用して、刀を生成し斬りかかる。
「くっ!」
ユウタは僕の刀を華麗に避ける。
彼はバカでスケベかもしれないが、戦闘のセンスは一流だ。
「お前、魔人能力を使えるようになったのか!」
「あぁ、お前が『サムライ』を辞めた後にな。僕の魔人能力は『絶対昏倒剣』。人の身体を斬った瞬間、斬ったという結果が取り消される代わりに相手を昏倒させることの出来る剣だ」
そうだ。僕は仲良しグループの中で唯一魔人能力に目覚めていなかったが、最近覚醒したのだ。
相手を傷つけずに捕縛したい時に、とても役に立つ。
この決闘でも、少しでも剣先が掠れば戦闘不能に陥らせることができるので、非常に有用だと言えるだろう。
しかし、つい自慢したくて喋ってしまったが、コレ言わない方が強かったんじゃないかと思い始める。
そのことを指摘しようとしたのか、ユウタが口を開く。
「こんとう……? コンペイトウの仲間か? 難しい言葉を使うのはやめてくれ~」
予想の斜め上の発言。
呆れ返りつつ、しっかり説明し始める辺り、僕は甘さが抜けきっていないようだった。
「ようは失神。気絶って意味だよ! 僕に一撃でも斬られたら。お前は気絶すんの!」
「あー、なるほど。えっ、一撃で!?」
「そうだ。一撃だ」
「一撃……」
「そう。一撃!」
「たったの一撃かよ……」
「一撃」のゲシュタルト崩壊。いちげき。イチゲキ……?
ええい、分からん!
考え続けたら頭がおかしくなりそうだったので、「一撃」という単語を頭から振り払うべく、再び攻撃行動に移る。
「ふーむ。なるほどな……しかし、いや、待てよ?」
しかし、ユウタはひょいひょいと攻撃を避けながら、何かを考えているようだった。
どうせ馬鹿なことを考えてるんだろうと思ったので、無視して攻撃を続ける。
そして、何かを閃いたらしいユウタが、目をカッと開いて言う!
「凄いことに気付いた! その能力、相手を傷つけずにエロいことできるシチュエーションに持っていけるんじゃね!?」
ほらね~~~! お前はそういうやつだよ!
身体は傷つかなくても、襲われた相手の心が傷つくだろうが、バカ!
というか、そうだ。ユウタの願いが叶ったら、フェム王女は間違いなく心に傷を負うだろう。そのことについてはどう思っているんだろうか。
僕は問う。
「ユウタ! お前はその下劣な願いを叶えるためならば、フェム王女が嫌な顔しても構わないのか!? そこらへんはどうなんだ!」
それは親友として、見定めなければいけないところだった。こいつが正真正銘のクズに堕ちているなら、なんとしてでもここで止めなければならないだろう。
だが、彼は無言で抜刀した。それは僕に対する拒絶の意志が篭っているかのようだった。
ユウタの能力「我が血肉を武器へ」を利用した抜刀だろう。あらかじめ剣先に塗ってある自身の血に衝撃を与え、それを抜刀の加速に使っているのだ。
凄まじい勢いで向かってくる刃先を後退し回避する。
奴の刀に触れた時点で、血が僕の刀に付く。だから、あの刀を受けてはいけない。
続く二撃、三撃を躱し、こちらも時折攻勢に出る。しかし当たることはない。互いに少しでも相手の刀に触れたら終わりという状況で、決闘は続く。
僕は再度問う。
「どうなんだよ、お前はそんな最低なやつじゃなかっただろう!」
ユウタが能力に覚醒した時に口にした言葉を、今でも覚えている。
『……これは、お前たち仲間のおかげで手に入れた能力だ。お前たちと過ごすような青臭い日々が好きで、全ての人にオレのような安寧が訪れる様に願って得た能力だからな。日々の思い出を糧に、人々のために頑張りたい。そう願ったんだ』
そんな良き願いを持った彼が、少女の安寧を脅かすことを願うはずがない。僕はそう信じている。
ーーぽたり、と何かが地に溢れ落ちた。
汗か血か。そう思ったが、違う。ユウタの涙だ。
彼は、切なそうな表情で訴える。
「あぁ、オレだって、あんな可憐な少女を傷つけたくはないさ。けど、荒みきったオレの精神を癒やしてくれるのは、彼女のおっぱいしかないんだ!」
「荒みきった、精神……だと? どういうことだ!」
お前、元気そうじゃないか。いつも通りの馬鹿じゃないか。
久しぶりに会って、元気なお前を見て、ホントはちょっと安心したんだよ。なのに、それは空元気だったとでも言うのか?
ユウタはゆっくりと続ける。
「シュン。お前は魔人能力がなかったから『サムライ』には入っていなかった。だから、サムライ所属だったヒロシやタカ、そしてオレがどんな苦悩を抱えていたか知らないだろう」
「……そう、だな」
先述のように、僕は魔人覚醒があまりに遅かった。だから仲良しグループで一人だけサムライ所属ではなかったんだ。
そのことが悔しくて涙を流す日もあったが、今はそんなことはどうでもいい。
僕の劣等感を思い出すよりも、親友たちが抱えていた悩みを知ることのほうがよっぽど大事だ。
「お前、一年前の『死刑一斉執行』のニュース、どこかで聞いたりしたか?」
「あぁ。死刑執行の滞りが問題だったので、その時死刑が確定している囚人に死刑を一斉に行ったって話だったか」
「そうだ。一斉に死刑を行うには絞首刑の設備が足りなくてな。その時行われた死刑は、オレ達サムライの手を汚すことで行われた」
「ッ!?」
ユウタは目を伏せ、続ける。
「人間、死は怖いもんらしくてさ。死刑を受け入れてたつもりの人でも、大抵は最後『死にたくない!』って叫ぶんだよな。オレ達は死刑に相当する犯罪を犯した人とはいえ、死にたくない奴らを、上からの命令で殺して殺して殺し尽くした。もう、それでオレ達の殆どは精神が壊れてさ」
オレ達、そう言った。ならばユウタだけでなくヒロシやタカも。
もしかして、と僕は気づくことがあった。
「ヒロシやタカの死因は……」
「そうだ。精神が壊れたヒロシは自傷行動にハマり、チューブ入りからしを尻に練り込んで死んだ。感覚過敏になったタカは、小指をぶつけただけで激痛を感じて死んだ」
僕はそんなことを知らずにのうのうと過ごしていたというのか……。
「そういうわけだ。サムライは解体され、オレももう、高貴で幼さの残る少女ーーフェム王女のおっぱいを吸うという夢を持たずには精神を保てない」
僕は、そこまで精神的に追い詰められてしまった親友を見て、痛烈な感情を引き起こされる。
「すまない……僕は、お前たちの異変に気づけなかった。気づいてやれたら、少しでも助けられたかもしれないのに!」
しかし、ユウタは泣き笑うような表情で。
「なあに、お前のせいじゃないさ。それに、お前だけでも真っ当な精神を持っていてくれて嬉しいよ」
「いや、だが……」
「そして謝るのはこっちの方だ、シュン。この夢は成し遂げさせてもらう」
「は?」
まるで、勝ったような口ぶりをするユウタに疑問を抱いた瞬間。
ユウタに向けて振るっていた刀に、何かの液体が掛かった。
「ぐっ!?」
血液だ。
血の付着した部分から、思いっきり殴られたような衝撃が刀に走り、思わず仰け反る。
ユウタが腕から血を噴射し、刀に掛かった血に能力を使用したのだということに気付いた。
大きく出来た隙を狙われ、腱を斬られ、利き腕に刺突を食らう。
(なるほど……体内のごく僅かな量の血液に衝撃を与えることで、腕に穴を開けたのか!)
同じ力の大きさでも、力の掛かる面積が狭いほど、力は効果的に働く。
身体に穴を開けた勢いで噴射された血は、今まで身体を動かして血流が速くなっていたこともあって、僕の刀に届く程度の距離は飛んだのだ。
「……ありがとな。お前がオレを止めに来てくれたの、本当はすげぇ嬉しかった。それだけでも、救われた気分だよ」
行動不能になり、地に倒れ伏す僕に投げかけられた言葉。
立ち上がろうとするが、力が入らない。そのように斬られたから。
去っていくユウタの足音を聞きながら、僕はただ、無力な自分を呪うことしかできなかった。
【END】