プロローグ(”富嶽”のフジさん)
●東京・赤坂―雨―
その日、赤坂は雨だった。
国会議事堂や首相官邸からもほど近く、政財界の大物が夕から夜にかけ集ってくる赤坂の街。
そこはありとあらゆる駆け引きの水しぶきが飛び交い混じり合う、時代と共に様々な流れを作ってきた街でもあった。
最初の一滴では短くとも降り注ぐ小雨は、坂を流れ、やがて一か所に水たまりを作っていく。
その水たまりをぱしゃりと一人のスーツ姿の男が、革靴でいまいましげに踏みつけ、乗り越える。
そして目的の料亭へと入っていった。歴代閣僚御用達の格式ある料亭である。走るような愚は侵さないが―― 確実に急いている様子は誰の目にも見て取れた。
彼は庭前の廊下を横切り奥に進む。そしてボディガードを片手で制すると障子の襖をゆっくりと開けた。
「失礼します。」
襖の先には四人の男たちが鉄(てっぽう)をつついていた。無粋な風音に談笑と酌の手が止まる。スーツの男は構わず上座のライオンヘアーの白髪の男性のもとに進みより耳打ちを始めた。
男は咎めない、周りも同じ。よほどのことでもない限り『この場』に割って入ってなどこれない。
つまりよほどのことが起こったのだ。獅子髪の男は話を聞き終えると顎を軽くかいた。
「モリちゃん、ちょっと。…君の管轄」
モリと呼ばれた男が鮫のような小さな目をぎょろりと動かす。大柄の体躯のわりに小顔の男だった。政界でも利に敏いと有名な男で、なんでも鮫のように喰いつくとの評があった。
彼は末期のがんだった。本来ならこの場どころかこの世にいるはずもない人物だったが、そのダボハゼぶりがその災いに幸をもたらした。
つまりは「霊薬」。その恩恵に授かった第一号。
御相伴後はエプシロン王女歓迎のレセプションを主導し、元首相という肩書を最大活用し、運営に辣腕をふるっている。
「出場予定の選手に欠員がでた―――そのことで、まさかのお言葉が―――
ある意味、今回一番の『びっくり箱』かもしれない」
さて、しかし、どう判断したものか… 弁舌で鳴らしたの獅子髪の歯切れは珍しく悪かった。
大山騒動ネズミ一匹、一体何が起こったのか。ここは少し時を遡ることとしよう。
●東京・墨田区(初場所千秋楽後の夜)―晴れ―
―――――「魔人大相撲(おおずもう)――――――――――――――
魔人相撲協会が主催する相撲興行。がっぷりと四つに組んだ力士同士のぶつかり合いが魅力の格闘競技。
特に最高位である「横綱」は正面から相手を受け止め、勝ち切る「横綱相撲」が求められる傾向があり、
その是非に関しては議論に上る
――――――――――――――――――――――――――――――――――
『3ケ月間の給与返上。』
横綱 砲龍 は協会よりいい渡されたこの処遇に内心にんまりと笑みを浮かべていた。
大甘判定もいいところだ。実質、この争い、自分の完全勝利といっていいだろう。
ことの発端は師走。
彼の派閥の飲み会で彼等は「鷹の富士部屋」の若手十両を呼び出し『指導』を行った。
指導後、のびたそいつを放置して帰ったわけだが、こともあろうに十両の親方である鷹の富士親方が
この件に関し、警察に被害届を出したのだ。
全治2か月の診断と警察沙汰に世間とマスコミが飛びつき、彼もまたパッシングの対象となった。
結果は明暗を分ける。重傷を負わせ、その場に居合わせたにもかかわらず放置した自分は減給のみ、
対して訴えた被害者の親方は協会の理事会により『和を乱す。礼がなってない』と常任理事の
退任に追いやられた。
今日の皆での飲みは祝い酒だった。全く、笑みがこぼれるのも無理はないというものだ。
「横綱。ほろ酔い気分のところ、すいません。ちょっといいですかね?」
そして取り巻きたちと飲みに行った帰り、そいつがコートをまとって現れた。
◆◆◆
砲龍は呆れたようにそう切り出した男を見返した。
「またあんたか。Mrコロンボ。ほら事件なんか何もなかったろ、あったのは『指導』だけだ。」
「――全くで。それで最後に一つだけ、横綱に聞きたいことあってお邪魔しました。」
そいつの見た目はさえない、たっぱ170もない小男だった。自称『文部省の方から来た』男で、
今回の件、色々と自分やその周りを嗅ぎまわっていた。
そんな胡散臭い存在、そうそうに摘まみだしてしまえばいいのだが、この男、するりと相手の懐に
入り込むのが異常にうまく、いつの間にか話の手綱を掴んで会話の主導権をとってしまっている。
いっそ相撲の参考に見習いたいくらいだった。 着ているコートもよく見れば上質でしっかりしたもの
なのだが、妙な矢印が入ってるデザインのせいでヨレヨレにしか見えない。
お国絡みらしいが、画一がちの役人とも空気が違うし、妙になれなれしい、結局”よくわからない男”
としか言いようがなかった。
「10年前のあの事件”覚えて”いますか?」
―時津風部屋力士暴行死事件―っていうんですが―
「関係ない。」
砲龍は思わず視線をそらし、あらぬことを口走った。いやいや誤解だ。
本当に自分はその件には関係ないのだ。やましいところなど何一つない。実際今、言われるまで
その存在などすっかり忘れていたくらいだ、あんな『事件』のことなど。
「終わったことだ。そいつとは面識すらなかった。死んだ奴は戻らないし部屋もなくなった。
なんで今更そんなことを。」
「いや個人的なことで申し訳ありません。その事件、私、担当してまして。」
意外な男の台詞に視線と手綱を一瞬で引き戻される。
「そのとき警察の対応、大変まずいモノでした。検視もせず親方にいわれるまま死亡診断書の
書き換えを許したわけですから。挙句、殺された少年を火葬場で親御さんに無許可で燃やそうとした。
親御さんが不審に思い、寸でのところで阻止しなければ事件自体闇に葬り去られていたでしょう。
その反省に立ち、検視体制強化のため検視官を大幅増員、検視官が現場に立ち会う「臨場率」の
上昇をわたし『指導』しました。だけど、仕事はそこまで。
お偉いさんの判断で相撲協会のほうには手を付けず、協会の自浄努力に任せる形になりました。」
男の語る言葉は静かだった。だが、その弾劾は鉛のように相撲取りたちの中に重く沈んでいく。
「横綱さぁ…、関係ないわけないでしょ。今回、一つ間違えれば、その事件の『繰り返し』になったかもしれない。
無関係? ないでしょ、あの時、全員で再発防止を誓ったのだから…
終わったこと? 遺族にしてみれば”今”も続いているんですよ。あの『繰り返し』が」
「お前どうしようっていうんだ。そんな”昔の話”を今更、持ちだして」
何故オレは狼狽している。こんな揺さぶりごときに。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「そう昔のこと、ただ”今”その少年が生きていれば被害者である鷹の岩関と同い年だったってだけです。
でもね、
もし事件のこと心の片隅にでも残っていれば、いざというとき『楔』になったはずです。
協会も貴方たちも変わらなきゃいけなかった。けど、変われなかった。どうにも――」
そいつはよれよれのコートから片手だけ出すと無造作に手の平を上にしたまま水平に切った。
その何気ない仕草が、横綱の相撲とりとしての矜持を酷く傷つけた。
「揃って『指導』が必要のようなんでね。受けてもらえますか?”三枚目”」
「「横綱!駄目です!」」
ふざけるなッ!!
取り巻きの制止の声もとき既に遅く、気が付いた時にはその無礼者に対し、砲龍は張り手を繰り出していた。
「!?」
しかし吹き飛ばすはずの顔面の感触はなにもなく、押し出した張り手は何の成果もなく元に戻る。
手と相手の顔を見やる。相手は微塵も動いていなかった。かわしたのでない。これは”届かなかった”のだ。
(何が起こった。やはりコイツ魔人か…だが組めば間合いは…関係…ない。)
両者は流れのまま激しく衝突した。
「横綱」には正面から相手をがっちり受け止める「横綱相撲」が常に求められるという。
何故か? 無論、周囲の期待や伝統というのもある。だが、一番の理由は組んだ瞬間に互いに
”わかる”からだ。決して超えることのできない、認めたくない、認めなければいけない。力量の差が。
そしてその『格』の差を格下に感じさせて勝つ。後達に高い山の頂が確かにそこにあることを見せ、
夢を魅せ続ける、それが「横綱」の責務なのだ。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
本気の砲龍の投げは大型トラックすら容易に横転させる。
格の差を。そう、見せつけなければいけない。横綱は――間違っても”感じて”などいけない立場なのだ。
超えろ超えろ。大岩だろうと天の岩戸であろうと。転がす転がして見せる。動け、動いてくれ―――
――――――
―――――
――――
気づくと誰も自分のことなど見ていなかった。 すべての力士の視線は目の前の男の背中に、コートに、
いや”反対側の”ポケットに吸い取れられていた。
片手。 そのまま。 ポケット。横綱相手に。
尊敬の念はない、あるのは『畏れ』。畏怖と恐怖が入り混じった身も凍るような驚愕だけだった。
「うーん。」
男もまた唸った。
「こりゃ所長へうまい言い訳考えとかないとドヤサれるパターンだ…。とりあえず。」
足払いを受けた。まるで大波に足を取られたような感触だった。その大波にさらわれて身長2m、
体重200kg以上あろう自分の体躯が綺麗に180度、半転する。いや加えてもう一回転。
併せて五百四十。ぐるりぐるりと景色が回る。
「お前さんは幕下からやり直しな。」
そんな言葉と共に砲龍が最後に見た光景、それは大波の中に悠然と映る、逆さ富士の風景だった。
同時にビルの工事のときの基礎用の杭打機を地に打ち込むような、あるいは大花火の打ち上げの
ようなドーンという音があたりに響いた。
そして全てが終わった後、その場に残されたのは地面に突き刺さった人柱一柱とそれを囲むように
驚愕の表情を浮かべるスモウトリたちの氷のオブジェだけだった。
〇富嶽VS●砲龍 決まり手『 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏。』
●東京・足立区「織瑠多興信所」事務所・すごいはれ
「ふうううううううううううううううううううううううううううううううがああああああああああああああああああああああああくうううううううううううううううううううううううううううう」
その日、呼び出したをうけたフジさんに織瑠多興信所所長、織瑠多・マリーの特大の雷が落雷した。
つけっぱなしになったTVでは「横綱砲竜 謎の電撃引退!?その理由とは」との文字と軽薄な
コメンテーターの意見が躍っている。今日はどこもかしこも、その話題で持ちきりのようだった。
「アンタねぇ、なんで事件のもみ消しに入って、こんな大騒ぎになってんのよ。馬鹿なの?
なんなの?きっちり説明しなさい。」
そういって机をドン叩くと、マリーはカップのルイボス茶をぐいっと飲みほす。
対するフジさんの前には熱めの番茶が、今ほどすいっと置かれた。
フジさんは月見ちゃんに目でお礼をいう。お盆をもった彼女もニコッと笑う。
所員、月見そうは全員の趣向嗜好を完全に把握している。温度までも好み通り。流石の才女だ。
「えーあの時は当たってから流れで一つ、みたいな感じだったんで
横綱の得意技『ダブル・ツイン・アーム・ストロング・ダブル・アーム砲』だされてたら、
勝負どうなってたか…いやーホント紙一重でした。」
完成度高そうな技だなオイ。いけしゃーしゃーと言うフジさんだったが、所長に白い目をむけられ、
シリアス顔になってちょっとだけ言葉を改める。
「一番の根源は腐った協会体質ですが、今後の問題は”鷹の富士親方”あの人の動向に集約します。
元々完全ガチンコで八百長嫌い、協会改革と古い体質脱却を常に訴える彼は協会の岩盤体質の目の敵。
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何より、あの人は10年前の事件をきちんと覚えていた。心に痛みがあった。だから今回の件、
あのひとは絶対に引かないし、引けるはずもない。ここで引いたら業界自体が終わりですから。
となると後は完全なガチンコ、多少の追い風はあってもいいんじゃないですかね?」
「…。」
「逆に言うと内部から協会改革できそう親方株は彼一人くらいというお寒い事情なわけです。
現状のパワーバランスだとこちら側からなにも仕掛けられませんよ。”今は”ね。」
所長は資料を読みつつ、言葉を発した。
「一つ聞いていい。鷹の富士は今回の件、怒っていたの?」
「怒って”は”いませんでしたぜ。」
微妙なフジの言い回しをどうくみ取ったのか、その言葉に所長はそうとだけ答えた。
「魔人相撲協会は既に通常に機能していない。そのことが今回で明らかになった。
ただ、独立法人であるあそこに行政も早急には介入できないし、大本の科学文部省自体が
かなり腐っているので適切な指導も期待できない。外部からの介入には世間の後押しが必須。
そして社会通念上の『正常』をアピールできる感性を持ってる有力な親方株は彼だけ。
まあ、この状態で現役横綱に既存益の砲竜が居座り続けるってのは確かによろしくないわね。」
「そうそう、そんなこんなで総合的かつ不可逆的な見地から、あうふーべんした結果が
今回の判断なわけです。いやー納得していただいて助かりました。」
適当な相槌が所長のこめかみに青筋を走らせた。絶対意味わかっていってないだろ、コイツ。
そういうことならと、彼女は引き出しから一枚の紙を取り出し、ぴしりと構える。
「では私も”アウフヘーベン”することにするわ。
我『呪』を持って偽りの答えを禁じる。答えなさい”富嶽”。忖度の一番の理由は?」
「…。」「……。」
あらあらマリちゃん大人げないわねーと月見さんがお盆片手に困ったように頬に手を当てた。
フジさんも腰をあげるがこれはもう完全に後の祭りの手遅れ状態だった。
しらなかったのかオルタ・マリーの雷からは逃げられない。。。諦めたように口を開く。
「『判官びいき』です。あっし、あの人の昔からの大ファンなんで」
マリーは深いため息と同時に大きく息を吸うという偉業を見事なしとげた。
「!!!! 減 ~ 給 ~ !!!!!!!」
減給~減給~減給~~興信所に所長の雄たけびが再び、木霊した。
果たしてフジさんの(主に給料明細の)明日はどっちだ。
●東京・赤坂―戻―
「全くどこでお聞きになられたのかでしたら、あの方はどうでしょう―――と推薦というか水を向けられまして。一応、お伝えすべきことかと」
その話を伝えた関係者は冷や汗を流しながら、そう言葉を結んだという。
これには全員顔を見合わせた。魔人横綱 砲竜は今回のレセプショントーナメントに目玉選手の
一人としてエントリーが確定していた。欠員の穴埋めは当然なされなければいけないが、しかし、
彼らの知るあの方達は、思慮深く、慎み深い方たちだ。各方面への影響も大きい、どころか
場合によっては世の在り方すら変わってしまう。そのようなこと果たして軽々にいうのだろうか…
―ただ―
「…時代か」
「なるほど時代ですもんね。」
「うん、時代の変化。確かにそういう時代になったのかもしれないね。」
妙に納得もしていた。そしてなんだか懐かし気分に彼らはなっていた。これはあの時の空気を
吸ったもの達、独特の感性かもしれなかった。
「じゃそういうことで手配よろしく」
「しかし相撲協会はだらしない。やはり組織改革には痛みが伴わないと駄目なのかね。」
「うむ、鷹乃富士には痛みに耐えて頑張って貰いたい!」
「あー純ちゃんイタミ何気に好きだよね、実はマゾなの。」
「感動した!愉悦。」
(あっS側だこのひと)
本編へとつづく