プロローグ(無形)
「ば、バカなァ――ッ!? そんな人形で俺の能力を破るだとぉッ!?」
今の自分が置かれている状況が理解できないとばかりに男は思わず叫びだす。
しかしそれと同時に十分すぎるほどに男は理解していた。これから自分は殺されるのだと。
男の恐怖に震える双眸で捉えるのは自分を刺し貫く騎士甲冑と――一つの人型。
トレンチコートに中折れ帽、そして髑髏の面。その髑髏の面はさながら死神のよう。
「どうだ、今まで楽しかったか?」
その人型の名は無形。男が想像した通りの男自身を殺すために雇われた殺し屋。
無形は淡々と問いかける、男の様子など無視して。
「思うがままに人を踏みにじり、陵辱し、殺し、楽しかったか?」
無形の言葉に合わせるように騎士甲冑が駆動し男の体を巨大な剣で刺し貫いた。
「あ、あぎぃ~~ッ!! 痛い、痛ぇよぉ~~~~ッ!!」
「どうした、答えてみろ」
急所を避けた刺し傷ではあるが巨大な剣による刺し傷は、常人ならば息絶えるほどのものだ。
しかしこの男は魔人だった、それも強力な。
それゆえに死ぬことは許されず、こうして苦痛に喘ぐことになってしまっていた。
「あ、あぁ……も、もう止めて……お願いしますぅ……じ、自首しますから…………ゆ、許して」
「ああ、分かった」
息も絶え絶えとなっている男の懇願に無形は頷いて応える。
今ならば処置することで十分に男は助かるであろう。男は苦痛が止むこと、自分が助かることに少しだけ安堵の表情を浮かべる――だが。
「――だがお前はそういった懇願は聞いたか? そうではないだろう」
「ギャアアアアアアアア~~~~~ッ!!!!」
無形が手繰り、騎士甲冑は容赦なく男に剣を突き立てた。深々と突き刺さった剣は止めとなり、男を絶命させる。
この無形の行いを残酷に思うものもいるだろう。しかしこれは男自身がかつて行った悪行の一つでもある。
無辜の人々を蹂躙し陵辱の限りを尽くした魔人犯罪者、それがあの男だった。
――つまり、そのように『報い』を受けさせるのも無形の依頼の内であった。
無形は男の死に様を仕事用の端末で撮影し、それを依頼人へ送信。
これで依頼は達成であり、後は残りの報酬を支払われることを待つばかりだけなのだが――無形にはまだやるべきことが残っていた。
仕事用の端末から別件用の端末に持ち替え、登録されているアドレスへと通話をかける。
『やぁやぁ、無形~~ッ!! 相変わらず、元気かねぇ~~!?』
通話に応じたのは甲高い老人のもの。
名をDr.上切。無形という人間が進んで接触をする数少ない人物の一人だ。
「挨拶はいい、構うと長くなる」
『ヒヒッ! それは残念、残念! それで話は何かなぁ~ッ!?』
「依頼を達成した。今回の報酬をそのままそっちに渡す――それで、どれくらい『保つ』?」
その言葉を受けてDr.上切は端末の向こうでキーボードをタイピングしてなにやら確認しはじめる。
そしてやや時間をかけてから、その見積もりを無形へと返す。
『ほうほう! そうだねぇ~……これでも処置をして三ヶ月ってところかなぁ!?』
「……その程度か」
Dr.上切のその言葉は無形にとって無視できないことを意識させた。
なぜ無形が殺し屋などをやっているか、それはDr.上切の言う『処置』に関わっている。
そう、その『処置』のために無形は自分の今までの人生を捨てたと言っても良い。
『ああ、そうだ! それほど執着するのならば……例の大会に参加してみるのはどうかなぁ!?』
「……魔人闘宴劇か」
『そうとも! あらゆる願いが叶うのなら、キミもこの仕事を辞められるじゃあないか! 友人として最高かつ、商売人としては最悪のアドバイスだよ!! どうだね!?』
「……あらゆる願いが叶うなど眉唾だが――五十億。それを目当てにするのは悪くはない」
無形はDr.上切の言葉を無視して、自身の所感を述べた。
無視したのはわざとか――あるいは触れられたくない事があったのか。
『ハハハッ、やる気だねぇ~! でもキミの商売上どうなのかな、手の内を晒すだけ晒して丸損するかも知れないよ?』
「……分かっている」
衆目に晒されるこの大会は殺し屋にとって失うものが多すぎる。いくら腕に覚えがあろうと、いくら賞金が欲しくともまず殺し屋は参加しないだろう。
勝てばあらゆる願いが叶う権利に五十億ではあるが――そこへ辿り着けるものはただ一人のみなのだから。
しかしそれでも無形には、それに賭けなければいけない理由があった。
『フフッ! キミは本当に分からないが、実に分かりやすくもある! これ以上はキミの名誉のために言わないがねッ!』
「フー……お前と話すといつも話が長くなる。切るぞ」
無形が端末の通信を切れば辺りには静寂が戻る。
「あらゆる願いが叶う。それが事実なら……私は」
髑髏の仮面から漏れたそれはこの人型――無形が漏らした数少ない心。
しかしそれがどの様なものであったのか、聞き遂げる者はいなかった。