『王者のおしごと』

自コーナーの赤いポストを背に、王者・明石は防戦一方だった。挑戦者はリング中央。その距離が、無限の如く遠い。3m先から猛烈なジャブが放たれてくる。通常の三倍射程!

「ハハハッ! リーチこそ正義! 俺の能力『クソハメ反則拳(富士見ファンタジア文庫【暗殺拳はチートに含まれますか ~彼女と目指す最強ゲーマー~】既刊3巻好評発売中!よろしく!)』は世界にすら手が届く!」

挑戦者が哄笑する。だが、ゴーグルに隠された明石の眼は死んでない。王者は、挑戦者の腕に纏われた赤い光の律動を観測し、的確にブロックを続ける。

「物理的におかしいよなぁ。距離が三倍なら、三倍の時間がかかるべきだよなぁ」

その台詞は泣き言めいていたが、裏腹に不敵な響きを帯びていた。三倍距離を三倍速で迫り来る、挑戦者の拳を視認して防ぐのは不可能である。明石の能力『解析狡視』が無ければ、の話だ。

挑戦者が『クソハメ反則拳(富士見ファンタジア文庫【暗殺拳はチートに含まれますか ~彼女と目指す最強ゲーマー~】既刊3巻好評発売中!よろしく!)』によって腕を伸ばす直前、明石にはその腕に集まる赤い光が視える。予兆を逃さず的確な防御を積み重ね、3Rの間、有効打を許さなかった。

「ハハハハーッ! どうしたどうした! 防ぐだけじゃあポイント負けだぞぉーっ!?」

「しかし、物理的に隙が全然なくてなぁ。困るよ」

明石は、挑戦者の腕に光る赤い脈動を注視し、丁寧に対処を続ける。そして、好機は訪れた。

赤い光が……僅かに弱い! 明石は低姿勢でガードを固め、一気に踏み込む。

挑戦者は迎撃の左。しかし伸びない! 届かぬジャブが空振りする。

更に踏み込む。通常打撃距離!

再び挑戦者の左! 明石は額で受け、首を捻って受け流す。至近距離!

「保存則だ! 無制限の強能力は物理的に存在しない!」

明石が吼え、拳を突き上げる。

「物理アッパー!!」

王者の拳が、挑戦者の顎を捉えた。ミシリと骨の砕ける音。

「お前のリーチと速さの代償は! 発動の不確実さだ!」

王者の追撃! 左右交互に物理ボディーブローが何度も襲う! 挑戦者の口から、血まみれのマウスピースと数本の歯が吐き出された。明石は三歩下がり、油断なく拳を構える。

「げふっ……『クソハメ反則拳(富士見ファンタジア文庫【暗殺拳はチートに含まれますか ~彼女と目指す最強ゲーマー~】既刊3巻好評発売中!よろしく!)』の隙を突ける奴がいる……とは……」

くの字に折れ曲がった挑戦者の身体が、ゆっくりとマットに沈んだ。



『お疲れさん、統一チャンプ。防衛おめでとう』

「店長ぉ、“統一チャンプ”はやめてくださいよ。で、急ぎの仕事すか?」

試合後の選手控室。明石の電話相手はバイト先だ。

『ああ。クリーニングを頼みたい。5キロ先の港湾地区で跳ねっ返りが暴れてる。君ならそこから視えるかもな』

「港方面ね……」

ゴーグルを手に取り覗き込む。部屋の外には、無数の赤い光。この街には魔人が多すぎる。遠くに、ひときわ強く大きな光があった。

「うおっ? でけぇ!?」

『鋼材を全身に纏って巨大ロボになる能力者。兵器で武装している可能性大。警察が来る前にカタを付けたいそうだ。想定難度はB+。成功報酬八本でどうだ?』

「試合で疲れてるから、5割増しっすね」

『……十本出そう』

「OK、そんじゃ行きますか!」



深夜の港湾地区。コンテナ群は破壊され、内容物を溢して乱雑に散らばり、幾つかは海中に没している。闇の中、ガントリークレーンにもたれかかる巨大な人型の影が、よろめくように立ち上がった。その右腕と左脚は大破している。

「俺との力の差は判ったろ? 大人しく降参しな」

足元には、黒いパーカーの男。“クリーニング屋”明石統一。巨人の手足を破壊したのは彼だ。明石は拳を構えて見上げ、ゴーグル越しに巨体の全身を巡る赤い光を視た。光の流れから、降伏する気がないことは明白。敵は、兵器を隠し持っている。

「黙れ虫ケラ! こいつで吹き飛べ!」

巨人の胸部が変形し、内部から砲塔がせり出す。密輸された、型落ちロシア戦車の主砲だ。

風切り音を立て四角い鉄板が飛来し、砲塔をぐしゃりとへし折った。明石が、胸部に集中する赤い光を視て、コンテナの蓋を投げ付けたのだ。巨人の上体がのけ反り、掴んだクレーンが軋み、歪む。

「磁石のような作用で金属を組み合わせる……良い能力だ! だが、少し物理的にデカ過ぎたなぁ!」

巨人の右足首に、物理ワンツーを叩き込む。鋼鉄の装甲が剥がれ飛び散る。巨体に満遍なく能力を行き渡らせることはできない。『解析狡視』で能力作用の弱い箇所を見切り、物理打撃を加えれば破壊は容易だった。更に物理ストレート! 右足首が完全粉砕。巨体が崩れ落ちる。

「畜生、覚えてやがれ!」

軍用ヘリを素体にした巨人頭部が離脱し、折り畳まれていたローターを展開する。胴体が海中に転落し、高く水飛沫を上げる。ヘリは、暗い海水を湛えた東京湾の上を飛び去ってゆく。

「あっコラ待て! 逃げられたらギャラが!」

明石は自前の軽自動車からクリーニング用品を取り出し、ボンネット上に設置。スコープを覗く。対物ライフル。『解析狡視』は狙撃と相性が良い。海上の闇に、離れゆく標的の赤い光が明瞭に視える。そして、接近戦を好む嗜好に反し、射撃戦にこそ彼の天賦はあった。

「物理……シューティング」

ガウン! 大口径の銃口が火を噴く。仰角、初速、重力加速度――放物線運動。射撃は物理法則に従順だ。ただし、空気抵抗は無視できず、海上の不安定な気流が弾道を擾乱する。

明石は祈るように、標的の赤色光を見つめる。数瞬後、標的が小さく爆発し、炎の尾を牽きながら高度を下げ始めた。命中だ。狙撃者としての明石の才覚は、物理演算能力ではなく、第六感めいた不確定要素への対応力なのだ。

明石統一には、物理学のセンスが無かった。その代わり、望みもしない戦闘センスに恵まれ、このようにして糊口を凌いでいる。だが、それも今だけのことだ。戦闘力を元手に、物理学センスを得る手段がある。それこそが、『魔人闘宴劇』の報酬に明石が望むものだ。

燃料に火が回ったのであろう。標的が大爆発し、夜の東京湾を一瞬だけ明るく照らし出した。




最終更新:2018年06月30日 23:12