「シエル様ぁ! 殺し屋と戦ったら殺されちゃいますよ~! 今からでも遅くないです! 棄権しましょ? ね、ね!?」
「くどいぞ、ディライト! 我はやる。やるといったら、やるのだ!」
対戦相手と戦闘地形が判明した日の夜。
アブ・ラーデル18世は、ズビズビ鼻水を垂らしながらむせび泣く臣下に困り果てていた。
「死んでも蘇生されるであろうが! 臨床データも確認した!」
「生き返るから死んでもいいなんてダメですぅ~! お体を大事にしてください!」
「んがーっ! うるっさいわ!! 勝てばよかろう、勝てば! 我を信じよ!」
亜門グループが運営するホテルでの一幕だった。
亡命してなお戦場に赴く、小さな王への心配。ディライトはだみ声で叫ぶ。
「シエル様がお強いのは存じております! でも、相手は伝説の殺し屋なんですよ!?」
「分かっておる。革命軍相手のようにはいかぬであろう」
彼女は強い。王の血と共に受け継いだ魔人の肉体は最高峰のものだ。単純な馬力が違うのである。
何より彼女は戦場に出た。騎士団を率い、革命軍を蹴散らしていたのだ。十四歳とは思えないほどの経験を積んでいる。
もっとも、王が民を殺すべきでないというクロマックの助言により戦場に立つことも減った。
そうして戦局は徐々に不利となり……
「案ずるな、ディライト! 我は勝つ。王の責務を果たすためにな」
自らに言い聞かせるように言う。彼女には懸念があった。
(ロクモン。伝説の殺し屋。明らかにおかしい)
なぜ殺し屋が伝説になっている。暗殺を生業とする者にとって、有力な同業者は敵だというのに。
逸話はハッタリか。それともすべて事実で、同業者から狙われてなお生き残り続けているのか。
(過小評価も過大評価も隙を生む。見極め、殺す)
そのための情報は揃っている。
運営からは参加者の経歴と魔人能力に主な武装、合わせて地形の詳細が発表されていた。
原油採掘剣ドヴァット・デマクールと、その能力も公表されている。隠すつもない。
国宝を持つ王の存在。その喧伝もまた、祖国奪還のための計略なのだから。
渓流が燃えている。
『六文ーっ! 大丈夫なのぉ!? ごぉごぉ聞こえるんですけど! 配信見てても火の勢いスッゴいんですけど!?』
「なんとかな。というか、お前の住んでるところって視聴環境あるのね」
『にっ、人間界にあるものはだいたい全部あるわい!!』
死の船の船頭というのもどこまで本当なんだか。六文は笑った。力の抜けた弱々しい笑みだった。
「ああ、そういう設定なのか」
『設定とかいうなぁ!!』
論華はやかましいが、こういうときはありがたい。とにもかくにも気がまぎれる。
試合開始から数十分。河渡六文は既に衰弱していた。理由は単純、アブ・ラーデル18世による森林火災である。
火がつけば暑くなる。煙が出れば呼吸も難しい。当然の事実が六文を苛めていた。
剣で斬られなくても、熱中症や一酸化炭素中毒で人間は死ぬ。たとえ、それが魔人であってもだ。
(ああ、やだやだ。俺ァ死にたくないぜ……)
彼はいま渓流ステージの最南端にいた。戦闘領域を縦に二分する川の最下流、そのほとりである。
砂利の多い川辺は可燃物が少なく、唯一安全な地帯だと言えた。それでも周囲を蝕む熱からは逃げきれていない。
足元に置いたリュックサックから左手で水筒を出し、浴びるように飲む。ぬるい。
半分ほど中身を減らしたところで、六文は水筒を取り落とす。
轟音。そして気づく。防がれた、と。
吹き荒れる熱風。超自然的な力による爆発だ。
『ぎゃーっ! 今すごい音しなかった!?』
「お前の声のほうがすげーよ。――で? その剣は喋るのか?」
「言葉はない。しかし我には聞こえるぞ。君臨せよという、先祖の声なき声が」
六文は速やかに勝負をつけるため、既に銃を撃っていた。炎をかき分けて現れた人影に、抜け目なく。
しかしその一発はアブ・ラーデル王国の秘剣によって吹き飛ばされ、六文の足元にへばりついている。
あまりの熱で弾丸が溶けたのだ。異臭が鼻につく。
「我の名はアブ・ラーデル18世。汝が我の礎になることを許す」
火炎に煽られる風に負けぬ、朗々とした声であった。
「悪いが勝つぜ。俺はよ」
彼女に、六文の心は読めない。
しかしその眼は、黒々と煮えたぎる石油にも似た力を秘めていた。
(手練れだ)
アブ・ラーデル18世は心の中で毒づいた。作戦が見抜かれている。
渓流。戦場の公開日には当日の天気まで決定していた場所だ。
懸念は高低差にあった。戦いとは基本的に、高い所にいる方が有利。剣でも銃でも、重力を味方につけられるからだ。
それでも王は転送位置に下流を選択した。理由は風向き。上流からの風が放火に最適だったのである。
また、『アグア・イグニス』は単なる石油ではなく血液としての機能も一線を画す。
さらに日本海の過酷な気候にもまれたアブ・ラーデル王国民は、酷暑にも耐性を持っている。
(我に有利な戦場に作り替えた。環境だけで殺せるほどに。しかし、想定した効果を発揮するより早く遭遇してしまった)
敵は最初から下流に転送していた。あまりにも早い会敵までの時間が、その証拠。
読まれている。読んだところで根本的な対処ができる策でもないが……。
(それに、先の迎撃はうまく行き過ぎた。二度はない)
火と煙。それは相手を苦しめるだけではない。気流を乱し、温度を上げ、銃撃の難易度を上げる狙いもあったのだ。
それでなお互角。戦士としての技量は、あちらのほうが上手。
そんなことは予想済みだ。ここからは肉体のスペック差で押し切るのみ。
(困ったな)
六文は思う。形勢は予想通り不利。それはなにも地形のことだけではない。
当たり前だが、動物は大きな音が鳴ると驚く。人間も同じだ。
これから殺し合うと分かっていても、目の前で銃撃音がしては体がこわばるというもの。
驚きで身を竦ませれば、筋肉が縮み身体を丸めさせる。生物が反射的に行う、攻撃を防ぐための合理的な防御だ。
それに逆らうことは慣れた人間にしか出来ない。
目の前の女王には出来る。戦場となった祖国でどれほどの鉄火場をくぐり抜けてきたというのか。
(頭を撃たれりゃ人は死ぬ。だが、撃たれてくれないやつもいる。こいつもそう)
強敵だ。六文はプランの変更を決定した。
(六発ぶち込む)
二人の距離は、川を挟んで20メートル。
銃撃を防いだ技術を、幼き王は噴霧油爆斬フキト・ヴァースと名付けていた。気化させた石油に引火させ、爆発させる技だ。
剣で斬れば十分に人は死ぬ。故に黒血は攻撃でなく放火に使った。これ以上は貧血で戦闘に影響しかねない。
『……かわいいからって、手加減するんじゃないわよ』
「できねーよ!」
六文から、フッと力が抜けた。アブ・ラーデル18世には、それが隙に見えた。
彼女は剣にストックされた最後の血を使ってフキト・ヴァースを放つ。
攻撃ではなく、移動のために。
「づッ」
背中の衝撃に苦悶の声が漏れる。しかし、これで最初からトップスピードだ。
いける。
爆風の後押しを合わせて、この一歩で二十メートルはゼロになる!
向かう先に、表情の変わらぬ六文が見えた。彼は既に撃ち終えている。ルート上に銃弾を置くようにして。
目視できる弾丸は三発。あまりの早撃ちに発砲音はひとつのように聞こえた。
だがシリンダーの残弾は覚えている。五発だ。撃ち尽くさない理由がない。
手練れのガンマンはピンホール・ショットという技術を持つ。
銃を撃つとき、全く同じ射線を通すのである。あまりに精密な射撃は弾痕も一発分しか残さない。
(隠れている。弾丸の裏に……ッ!)
狙いは眉間・心臓・腹。一度の斬撃で処理されぬよう三角形になっている。
そして、そのどれもが致死。おまけにふたつは二段構えだ。
地を蹴り、地を踏むまでの刹那。
ほとんど本能だった。少女は悟る。早く、ただ速く、先に殺すべし。
「オ、」
眉間への弾丸は首を振ってさける。回避しきれず右耳がちぎれ飛んだ。
体をひねり心臓と腹を狙う弾を切り裂く。下から上へすくい上げるように。
長大な剣は第二第三の凶弾とともに、心臓を狙った弾の裏にある四発目をも切り裂いた。
切り裂かれた金属は二分され、ななめ後方に吹き飛ぶ。それでもなお避けられぬ。
合計六つの破片が身体を掠め、真っ黒な血をにじませた。
そして、腹を狙った弾丸の背後。第五の弾丸は受けざるを得ない。
必要経費だ。心臓の方の弾を無視するわけにはいかなかった。
「オォアアゥァーーッ!!」
シエルは吠える! 体はひねってある。内臓に損傷はない。
いける。
死なないようにではなく、殺せるように立ち回った。
それでいて、最低限の生命線は確保していた。だから強気な攻撃ができた。
最初の一発目をはじいたことが効いたのだ。即死する箇所への銃撃さえ防げばゴリ押せる見込みが生まれたのだから。
(五発までなら死なんっ!! リロードされる前に斬る!)
あとは大地を踏みしめ、剣を振り下ろすだけ。
だというのに。
俯いて視線の見えぬ六文の唇は。
( な に を 笑 っ て い る )
余裕があるというのか。すなわち、勝利の活路が。
なぜ下を見ている。そこになにがある。
女王は足をつく直前に勘付いた。自分がこの瞬間、優位に立ち回れていた理由。
そうだ。自分は、最初にはじき返さなかったか?
「あ」
ぎょろりと地面に目をやる。あった。足元の砂利にへばりつく、溶けた金属……銃弾の慣れの果てが。
まさか、これを踏んだら。
六文の能力が発動するとでもいうのか。
ギリギリで足首を曲げる。不恰好な着地で足首を捻り、勢いでへし折れた。それでいい。まだ死んでいない。
能力は発動しなかった。踏まずに済んだのだ。まだやれる。
シエルは、がむしゃらに六文を斬った。体がぐらついたことで、袈裟斬りではなく胴体を水平に。
力の抜けた速さだけの虚剣。それでも、刃は余熱でたやすく人肉を溶断する。
そこまでやって初めて気づいた。
(視線を、誘導された)
倒れこみながらも顔を上げる。上半身だけの六文が笑ったまま、崩れ落ちながら銃口を向けていた。
見える。シリンダーに収まった一発の弾丸が。
銃撃に対処し、目線を下に向け、身体を斬った。それは河渡六文の想定内だった。体勢を崩し、横なぎに斬ったことさえ。
リロードされた。時間を稼がれたのだ。
六発目が触れる。シエル・デ・ル=ユデンは、六文に恐怖を覚えるより早く死んだ。
「コラーッ!!」
『ギャーッ!!』
医務室。蘇生したシエルは六文に怒鳴り散らしていた。二人はそれぞれベッドに腰掛けて向かいあっている。
「汝、こっわ! こーわい!! 真っ二つにされてるのに笑うでないわ! 夢に出るであろう!!」
『そうよ! もうちょっと安全に勝てなかったの!? ハラハラしちゃったんですけど!』
「なんだこいつらうるせぇな」
六文は露骨にしかめっ面をして見せた。
「というか、おかしいであろう! なぜ我の負けなのだ!」
「いや、俺のほうがギリギリ死ぬの遅かったんで」
少女は更に怒った。鬼の形相である。論華が『ひえぇ』と言ったきり黙った。
「それがおかしいのだ! 頭と心臓が無事でも、ああ斬られたならショックで死ぬであろう!
そもそも、どこまでが汝の掌の上であった! あんなの末代までの恥! んもー!」
六文は苦笑いしながら言った。「秘密っす」
しばらくして、嵐は去った。というか追い出した。
このあとシエルは世界文化遺産のタービン・マハルに向かうという。なんでも、古代火力発電文明の遺産が眠っているらしい。
六文は思う。運がよかった。彼女がもう少し成熟していたら負けていただろう。
正直、最初の弾丸で勝負をつけたかった。それができなかったから、横に真っ二つにされても勝てるプランを組んだのだ。
無限に分岐する戦術を可能にするのが、彼の武器である経験と技術だった。
その戦術の根幹。なぜ彼はショック死しなかったのか。答えは蘇生措置の臨床データにある。
亜門はいつデータを取った。それは誰のものか。
――伝説は勝ち続けたのではなく、負けて死んでも生き返りリベンジを果たしていた。
そして彼は、死に慣れた。肉体が硬直することはない。いまや敗北することも。
(人間は簡単に死ぬ。だが、俺はもう死にたくない)
彼は気づかない。自分が既に、最終的に五体満足ならいくらでも死に近づけるということに。
『ねえ! 優勝したら私にも五万くらいくれる?』
「日本円使えんのかよ」
『りょ、両替できますし~!』
河渡六文は笑い、リボルバーをこづいた。