【倉庫】SSその1


「イヒヒ!酒!飯!肉!やっぱりこの世はたまんねえなオイ!」

 参加者に用意された豪華な部屋で、退廃的な宴が繰り広げられていた。むわっとする熱気の中、高価な酒、食事とともに男女が本能のままに絡み合っていた。部屋の中央には裸の男女が人間机として鎮座している。うつろな目で家具を勤めるのは、くがねの養父母であった。

「このゴールドタワー様によォ!舐めた態度晒してこの程度で済むだけ幸せに思いなァ!」

―――百年。膨大な時間をコインとして過ごし、依り代を求め続けた。ついに果たした現界。楽しくて仕方がない。半ば賭けで我が身を託した、コインに憑依する呪術。途方もない孤独を経て、ゴールドタワーは賭けに勝った。
酒はうまい。男も女も味わい深い。痛みや辛さは依り代に投げ、美味しいとこだけつまみ食い。痛みのない世界のなんとノーリスクなことか!

 (やめてよ…酷いことしないでよお…)

 『うるせえなァ~!俺が買った体を!俺がどうしようが勝手だろうが!』

 都合のいい依り代、50億を得うる大会。そしてカモとしか言いようのない対戦相手。

 「イヒヒ!猪武者の元ボクサーが初戦の相手だとよ!やりやすい相手極まるじゃねーか!」

 ゴールドタワーの高笑いを、くがねは内部からただ眺めるしかできなかった。

■ ■ ■ ■

 国内最大の食品卸倉庫、コック=モッツ倉庫。安さの殿堂を彷彿とさせるように詰め込まれた食品群は、いっそ威圧感すらあった。重苦しい扉を開き、一人の拳闘士がリングインした。

 安藤は油断をしない。左拳を胸の前に、右拳を首の前に。急所を守りながら、周囲を警戒し倉庫を進んでいく。歩を進める安藤を、ゴールドタワーは待ち構える。自身を数多のコインに変え、倉庫の随所に身をひそめる。

 一撃必殺。安藤の懐に入り込み、貸しとして運動能力を奪うつもりであった。壁のように積まれた小麦粉袋をぶち破り、高額コインが雨あられと安藤に襲い掛かる。バックステップ。安藤はいったん離脱をし、神速のジャブでコインを一つ一つ的確に破壊していく。

 被弾上等のファイターなら、たかがコインに対しそこまで警戒はしないだろうと甘く見たゴールドタワーは軽く舌打ちをする。一斉攻撃を仕掛けるも、冷静に、淡々と、安藤は処理していく。その研ぎ澄まされた姿をくがねは複雑な気持ちで眺めていた。

 揺るぎない精神、鍛え抜かれた技術。積み重ねた鍛錬と、努力の日々が素人であるくがねにも伝わってきた。だからこそ辛い。安藤は術中に見事に嵌ってしまっている。

「イヒヒ!いやあ!まるで人間台風!コワイコワイねェ!」

 攻撃を的確に処理されているにもかかわらず余裕を崩さない声音に安藤は眉をひそめる。倉庫の通風孔にジャラジャラと嫌な金属音とともにゴールドタワーは姿を現した。安藤との距離は100m以上。一足で詰められる距離ではない。もうもうと煙る小麦粉が視界を奪う。

「倉庫!密閉空間!小麦粉!だったらこれをやらなきゃ嘘だよなァ!」

 ゴールドタワーはコインを一つ、勢いよく射出する。それは安藤を狙ったわけではない。コンクリートの床に強く打ちつけられたコインは、鮮やかな火花を上げた。全てがスローモーションとなり、倉庫が白光に包まれる。

―――粉塵爆発。

 製粉所で、炭鉱で、数多の命を奪った光が安藤に降り注ぐ。我が身が人を殺めたことに、くがねは一人涙をこぼす。ついに自分は一線を越えてしまったのだ。

 だが、くがねの悲嘆は杞憂に終わった。安藤は、爆風を殴っていた(・・・・・・・・)。安藤の拳に爆風が、光が、弾き飛ばされていく。怒涛のラッシュ。全ては捌ききれず、体のあちこちが焼かれるが安藤はひるまない。ためらわない。海を割り進むモーゼのごとく、真っすぐに敵へ向かっていく。

 その姿にゴールドタワーは、安藤を随分過小評価していたと判断し、気を引き締めた。安藤のボクサー時代の映像は繰り返し見ている。拳をドリルに変える魔人を、全身から針を突き出す魔人を、正面から打ち崩す映像を何度も見た。

(…何物にも傷つかない拳を生み出す能力と思っていたが違ったみたいだな。)

 しかしそれでもゴールドタワーは余裕を崩さない。

(連打をしても全てを捌ききれてない、遠距離にいる俺に対して攻撃しようとしていない…。結界を作り出す?バリアを出す?風圧が凄い?…まあそんなところか。なんにせよ傷つきながらも近づいてくるってこたァ、完全に近距離タイプ、攻撃範囲は狭い!)

 ならば勝利は揺るがないと、笑いながら姿を変える。全身を構成するのはレディー・ペンリン号2ドル金貨。世界最小のコインであり、直径はなんと4㎜。もはやゴールドタワーは砂粒の集合体のようなものへと変容していく。

「イヒヒヒ!拳で砂を破壊できるか!?できねーヨなァ!?それともお前さん、大道芸人よろしく火を吹けたりする?レーザーでも撃てる?…そんなもんあったらよォ~!とっっっくに使ってるよなァ?」

 イヒヒイヒヒと、耳障りな笑いを垂れ流しながら金貨の流動体は安藤へ近づく。

(こういう体力馬鹿は手駒に最適だな。完璧に俺のモンにしてやらァ。)

 体を構成する金貨を、一枚だけ別物に変える。フローイング・ヘア・ダラー。アメリカ最初のドル硬貨。史上最高値で取引された硬貨。その額1001万ドルなり。

(てめえの人生どころか家族丸ごと買い取ってやるぜ!)

 ゴールドタワーは勝利を疑わない。拳は砂を砕けない。道理だ。剣で水を裂けないように、銃で炎を撃てないように、拳では砂を砕けない。世の中ではそう認識されている。

 …だが、この認識を揺さぶるのが魔人だ。世界の認識ではなく、自分の認識に従う者だ。強欲なるコインの魔人よ。亡霊よ。何故この世界最高峰の戦いの場で、世界の認識を盲目的に信じたのか。その認識を覆す者が、眼前にいるとは思わなかったのか!

 「仁義理拳(ニギリコブシ)

 右ストレート一閃。ゴールドタワーは、見えない巨岩を叩きつけられたように、全体を波打たせて吹き飛んだ。


■ ■ ■ ■


 安藤は準備を怠らない。対戦相手が発表された時点で探偵を雇い、琴平くがねのことを調べ上げた。相手を知らないせいで敗れるなどということがあってはならないと安藤は考える。

 情報はすぐに集まった。周囲から疎外されていた少女がある日を境に粗野で強欲な存在になったこと、学校で女帝のように振舞っていること、…夜な夜な遊びつくし、自らをゴールドタワーと呼んでいること。

 ゴールドタワーという名。周囲に対しての能力。そこまで分かれば、古のトレジャーハンターにたどり着くのは容易であった。そしてゴールドタワーが晩年呪術に傾倒していることも分かった。

 (こいつは少女を、憑り殺し、体を乗っ取ったのか…)

 安藤はそう結論付けた。拳を強く握りしめる。体が熱を持っていく。

■ ■ ■ ■

 安藤は【ゴールドタワー】を殴った。金貨を殴ったのではない。【ゴールドタワーという存在そのもの】を、そこに在ると認識し、迷わず拳を振りぬいた。

 中空にズンという鈍い金属音が響き渡る。倉庫の壁にゴールドタワーが叩きつけられる。

 (・・・・・・!?痛い?殴られた!?何が起きてやがる!?)

 困惑するゴールドタワーの立場など一切考慮せず、安藤は猛然と殴りかかる。何万回と繰り返されたコンビネーションが、ゴールドタワーを打ち据える。

 「…お前は、少女を、琴平くがねを憑り殺した。許せねえな。」

 何かを考えるように、誰かを思い出すように安藤は一瞬目を伏せる。

 「許せねえよ。」

 そこからは一方的だった。ゴールドタワーは自らの天敵の前に、のこのこと姿を現した子羊であった。

「いてえェ!いてえよォ!!」

 ゴールドタワーは無様に地を這う。

「嫌だ!嫌だ!死にたくねえ!」

 まるで赤子のように、みっともなく這いずり回り、背を向け逃げる。安藤は自分を殺しうる者だった。亜門グループのコネクションを使ったとして、コインに宿った亡霊の復元まで可能なのだろうか。ゴールドタワーは信じきれなかった。ここで殴り殺されたら、あの永劫の孤独よりもなお暗い死が大口を開け待ち構えるのではないか。

 「嫌だ!嫌だ!美味い飯!美味い酒!まだまだ食い足りねえ!飲み足りねえ!死にたくねえ!!」

 自分のために怒る安藤と、無様に涎を垂れ流すゴールドタワーをくがねは不思議な気持ちで眺めていた。このまま安藤にゴールドタワーが殴り殺されれば、自分も一緒に消滅する。もともと捨てたはずの命だった。


ただ、それでも。

自分のために怒ってくれる人がいる世界を。

こんなに早く捨ててしまうのは。

いやだな。

嗚呼。いやだなぁ。

 生きたいと。あの日捨てたはずの命が勿体ないと。くがねの胸に生への渇望が火を灯す。戦わなくてはいけないと。生を諦めてはいけないと心が叫ぶ。

 くがねは一歩を踏み出すことを決めた。天国の両親がこの行いを褒めてくれるかは分からない。ただそれでも、改めて生きることを決めたのだ。

 あまりに無様に這う姿に、安藤は罠を疑い観察をする。この惨状が演技ではないと見破られるまで数刻。くがねにもゴールドタワーにも時間はない。

(ゴールドタワー、私と代わってください。)

同じ肉体にいるからこそ可能な超速の会話。

『!?何言ってやがる!?お前は戦ったことなんてないだろうが!』

 だからこそ。だからこそ私は戦わなくてはいけない。勝たなくてもいい。戦わなくてはいけない。

(この人は私が殺されたと思って憤っています。私と代われば、少なくとも殺されることはないのではないでしょうか。)

 シンプルながらも正しい意見だった。堅実、実直を絵に描いたような安藤は少女を積極的に殺しにかかるとは思えない。ゴールドタワーは瞬時に判断する。

 『分かった!死にたくねえ!代われ!すぐ代われ!』

 (……)

 沈黙。くがねは言葉を発さない。

 『どうした!?サッサと代われよォ!時間がねえ!』

 …くがねは笑っていた。こんなにも凄絶な色気を湛えた笑顔が彼女にできると、ゴールドタワーは知らなかった。


 (いいですよ。大まけにまけて五千万にしてあげます(・・・・・・・・・・・・・・・・・)


『…ハアァァ!!?おま、お前フザけんな!無茶苦茶じゃねえか!?』

(そうですか?後から請求するより余程良心的だと思いますが)

『あ、ギ、うが、ぎ』

 言葉にならない呻き。共に死んでもいいのかと言おうとしたが、一度生を捨てたくがね相手に、その言葉を発する無意味さは理解していた。近付いてくる安藤。答えはもう出ているが、それを言う屈辱にゴールドタワーは震える。それでも、どうにか、その言葉を振り絞る。

『…分かった。それでいい。代わってくれ…。』


安藤が目前に迫るとき、くがねは表に出た。

 「とどめだ。ゴールドタワー。あの世で少女に詫びろ。」

 「…違います。」

 「?」

 「私は琴平くがねです。」

 自身の名を発する。

 「私は!琴平くがねです!」

 喉よ張り裂けよといわんばかりに叫ぶ。

 「わた、私は!琴平!琴平くがねなんです!」

 この世に見放され、自分ですら捨てようとしていた名を高らかに叫ぶ。目の前の圧倒的強者に膝が震えている。涙がボロボロと零れ、恐怖心で胸が張り裂けそうだ。鼻水も、汗も、顔から出る液体全てが噴出しぐちゃぐちゃだ。こんな怖いことをゴールドタワーは代わりにしていたのかと、妙な敬意が生まれるほどだ。

 それでもなお、くがねは拳を握る。ぎりぎりと音を立てるほどに、強く強く握る。生まれて初めての喧嘩。初めての戦い。ただがむしゃらに、不格好な拳を安藤にぶつけにいく。当たって砕けろと、大きく拳を振りかぶる。

 ふと一瞬、安藤は眩しいものを見るような目をした。

 豪速のジャブがくがねの拳を砕く。鋼のボディーブローがくがねの体をくの字に曲げる。打ちおろし気味の右ストレートが顎に狙いを定める。くがねの意識を刈り取りに来る。

(あ~あ、分かっていたけど、全く手加減しないなあこの人!)

薄れる意識でくがねはそんなことを考えた。


ただ、それでも、くがねの心は…どこか軽くなった気がした。





 安藤歩:二回戦進出。
 琴平くがね:体を取り戻す。
 ゴールドタワー:少女に手玉に取られたことは悔しいが、百年後の一変した世界を存外に楽しんでいる。
最終更新:2018年07月16日 00:28