【氷海】SSその2


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 ――――風が強く吹いている。
穏やかだが力強く吹き荒ぶ風は、その冷たさを以て無邪気に身体を刺してくる。
灰色に染まった雲は、陽の光を届けることさえ許しはしない。
漏れるため息は白く染まり、シャボン玉のように浮かび、弾けて、消えていく。

 宝条綾果はお嬢様である。
俗な事に知識はあれど、その体験の数は少なく。
また、人前に立ちこそすれ、人目を忍び不意を突くような生き方など学んでいない。
 十三川"JOKER"遊子は傭兵である。
雇用先の方針か、人目を忍ばず露出を好む。
また、十三川は手品師でもある。
観客を前に手品も見せず、不意を突くような生き方など学んでいない。
故に。

「はぁ~。これが手品、というものなんですね。初めて見ました」

「ふふん。驚くのはこれからですよ、お嬢様。それじゃ次は、この中から一枚、引いてくれます?」

出会った二人が、こうしてマジックショーに興じるのは至極当然の結果であった。

 宝条はきらきらと輝く瞳で手品を眺めている。 

次々と起こる奇跡に胸の鼓動は高鳴り。
気持ちは昂ぶり、高揚し。
心は逸り、焦燥を覚える。

この気持ち。それはまさしく。

(恋……?)

小さな笑みを浮かべた少女の頬に、僅かながらに赤みが刺す。
それは、可笑しな事を思った気恥ずかしさ故か。
だが、楽しい時間は長くは続かない。

「では、今からお嬢様が引いたカードを当てる、と言いたいところですけど」
「続きは、決着を着けてからにしましょうか?」

空気がヒリつく。
纏った緊張感は、二人に覚悟の楔を打ち込んだ。

「どうしましょう。決着まで、引いたカードを覚えていられるか心配です」

「大丈夫ですよ。勝負は直ぐに着きますから」


二人の少女は、くすりと笑い。


「……それじゃ。デートを楽しみましょう?」

「ショータイムです!」


互いに向かって飛び出した。


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 地平線が視界に飛び込んでくる。
遮蔽物の無いそこでは、勝負の舞台となっている巨大な氷塊と、
疎らに点在している氷山しか見ることは叶わない。
氷の地面は、所々が焼け焦げていた。
地面を抉られ、蜘蛛の巣状のひびが入った氷の台地は、やけに透き通って見える。
その中心。
焦げ付き、削られている氷上の真ん中に、膝をつく宝条綾果の姿があった。

「ハァ――、ハァ、――」

倒れそうな体を無理やり引き起こし、顔を上げる。
ビデオ再生を見ているかのように、繰り返される光景。

「――『大富豪』。階段」

2、3、4、5。
目の前に現れる透明な階段を駆け上がり、再びシャッフルする十三川。
続いて選ばれたカードは3、9、10。
何の規則性もない組み合わせだが、とあるゲームでは純然たる意味を持つ。
それは、合計21を超すことで生まれる悲劇。
それは、”破裂”を表す破壊の言葉。

「――『ブラックジャック』。BUST!」

舞い降りてくる紅い光。
激しい熱を帯びたカードが頭上より降り注ぐ。
触れると爆発するそれは、氷上を焦土へと変えていく。

「くっ!」

頭上からの爆撃。
受け止める事は出来ない。
許されるのは回避のみ。
じりじりとその身を削られながら、宝条綾果は反撃の機を待ち続ける。

(ここ!)

爆撃を終えた十三川が、ふわりと地面に降りてくる。
十三川の能力も万能ではない。
トランプの性質故か、新たな役を作ると、前の役は効果を消失してしまう。
即ち。
『BUST』を使えば、『階段』は消え去る。
ならば、地面に降り立った十三川が、再び『階段』を作る前に勝負をしかけるのが最善と見た。
宝条の手には、冷たい缶ジュース。
男女がふざけて背後から缶ジュースを頬に当てるように、背後を狙うべく能力を発動させる。
しかし。

「――『大富豪』。8切り」

しかし。
十三川には通用しない。
8切り。場の支配を打ち破る、鉄壁の防御。
既に2度、この8切りで防がれている。
背後を取ることを諦めた宝条は、足を止め、その場に立ち尽くした。
十三川を倒すためには、この8切りを破らなくてはならない。

「見かけに寄らず頑丈ですね、お嬢様」

繰り返される絨毯爆撃に、宝条には最早打つ手など残されていない。
このまま、じりじりと焼かれるのを待つのみだ。
――十三川もそう考えていたとしたら?
それこそが、宝条の思惑だったとしたら?
地に降り立った十三川を目掛け走る姿は、さながら猟犬の如し。
己が身を弾丸へ変え、氷上を滑り、加速する。

「何度やってもムダですよ! 8切り!」

3枚目の8を切る。だが、これは悪手。。
少女漫画では、スケートを行うと”必ず”ぶつかる。
十三川の8切りは、”必ず”ぶつかる、という結果を棄却した。
だが、それは。
回避と同義ではない!
ぶつかる確率が戻っただけの事。
そして既に、弾丸は発射されていた。
必中の軌跡をなぞるように放たれた弾丸は、ただ直進するだけで良い!

「ぎゃっ!」

衝突、転倒。絡み合う二人。
この好機を逃すべく、宝条が打ち放ったもの。
それは掌底。ご存知、床ドン!
十三川は動きを止める。
流れるように伸ばされた指先は、十三川の華奢な顎を狙う蛇。
狙うは勿論、顎クイ!
顎クイで忍ばせた指先を、そのまま首に回し、気道を奪う!

(マズい! 8切り!)

宝条の指先が触れる刹那、その支配から逃れた十三川は、膝を振り上げる。
腹部を殴打され、苦悶の表情を浮かべる宝条を尻目に、一目散に距離を取る十三川。
しかし、十三川にもまた、冷たい汗が滲んでいた。

(危ないところでした……。舐めてかかれませんよ、このお嬢様。なら!)

「必殺技を使わせてもらいます!」

限界など無いように、高速にデッキをシャッフルする十三川。
8はもう無い。トランプの残数も残り僅かだ。
引いたカードは、スペードのA。
そのカードに、宝条は驚愕の表情を浮かべる。
そのカードの意味するもの。それは。

「剣!」

高らかに声を上げ、剣を意味する、唯一つのカードを天高く掲げる。

「約束された!(ロイヤル!)」

エースの元に集うは4枚のカード。
スペードの10、J、Q、K。
宙で固定され、等間隔に連なった5枚のカードは、文字通り剣の様相を呈する。
剣を上段に振りかぶると、眩い光が剣を包む。

「勝利の!(ストレート!)」

収束する光。
黄金に輝く極光の純度。
彼女の手にあるモノは。
星の輝きを集めた、聖なる剣。
彼女の手にあるモノ、それは。
幾多の戦場で勝利を掴んだ、約束された勝利の剣。

「剣~~!!(フラ~~ッシュ!!)」


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「約束された!(ロイヤル!)」
「勝利の!(ストレート!)」
「剣~~!!(フラ~~ッシュ!!)」

……時間が止まる。
逃れられない破滅を前にして、思考が停止する。
――――それは、文字通り光の線だった。
触れる物を例外なく消失させる光の刃が迫り来る。

「――」

全てを飲み込む光を前にして、宝条綾果は。

「綺麗……」

ため息と共に漏れ出たのは感嘆の言葉。
彼女の心は打ち震えていた。
観客を魅了し、高揚させ、感動させる。
この瞬間、十三川は紛れも無く手品師であった。
そして悟った。十三川は紛れも無く、トランプに恋をしている。
だから。
だから、宝条綾果は好意を持った。
十三川という尊敬すべき手品師に対して、十三川という恋の先輩に対して敬意と好意を持った。
だから。
だから、宝条綾果は走り出した。光の刃を意にも介さず、十三川の元へと走った。
自暴か、自棄か。いや違う。

「――既に、条件は満たしています!」

誰しもが見たことがあるはずだ。
誰しもが経験したことがあるはずだ。
――――すれ違い。
会いたいのに会えない二人。
こんなにも近くにいるのに、すれ違ったことにすら気づかない二人。
そんな二人に何度やきもきさせられたことか!
特に、片方が好意を持っているとその頻度は跳ね上がる。
即ち。

二人は”必ず”すれ違う!

夜の街で。学校で。
そして、それはここ氷上のステージでも、例外ではない!


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「やったか!?」

光の残骸を尻目に、大断層が残された氷上を眺めるも、
そこに宝条綾果の姿を見ることは不可能であった。
瞬間。
背中に感じる鈍い衝撃に、十三川の呼吸が僅かに止まる。
十三川が光を纏った聖剣であるならば、宝条は漆黒に染まった魔弾。
獲物を射抜けとばかりに滑走する宝条綾果の体当たりを受けた十三川は、
吹き飛ばされ、受身もとれずに地面に転がる。

――――倒れている暇などない。
即座に正確に。状況を判断した十三川は体勢を立て直す。
魔弾は氷上を旋回し、息つく間もなく滑走を再開するだろう。
来るならば迎え撃つ。身体能力に勝る己が有利だ。

――――その考えは正しい。
正面から打ち合えば、十三川"JOKER"遊子の勝利は揺るがない。
そう。
ここが、度重なる破壊にその身を削られた氷上のステージでなければ。

「――『ブラックジャック』。BUS……T……えっ?」

激しく地面が揺れる。
けたたましい程の圧を放ちながら、野獣の咆哮の如き地鳴りが辺りを包み込む。
崩壊を始めたステージは、目まぐるしく生み出される亀裂とともに、中心に向かって傾いていく。

「なっ……! こんな、偶然……!」

またたく間に傾斜を強める足場では、バランスを取ることで精一杯だ。
故に、彼女は初めて、戦いの中で敵を忘れた。
そして。
この機を逃す程、宝条綾果は愚かではない。

「とても楽しいデートでした。また、お誘いいただけますか?」
「しまっ――」

渾身の力を込めた体当たり。
吹き飛ばされ、宙に投げ出された十三川には、重力に抗う術など残されていない。
その筈だった。

(切り札は最後まで残しておくものですよ!)

取り出したるはJOKER。
枠に捉われない53枚目。イレギュラー。
それは、水に広がってぶつかる波紋のように、あらゆるカードへとその身を変える。

(あんな足場じゃ、いずれお嬢様も海に落ちるでしょう。なら、これ!)

JOKER、4、5、6。

「――『大富豪』。階だ……」

「JOKERで上がるのはルール違反ですよ?」

眼前には宝条綾果の顔が。
なぜここに!?
吐息の音が聞こえる程の至近距離で、二人の少女は宙を泳ぐ。
そして。
十三川の手は、しっかりと宝条に握られていた。
空中で手と手を取り合う二人。水平に傾いた身体。
二人の時間はまるで止まったかのようで、宝条綾果は、はにかんだ笑顔を浮かべる。
――そう。
少女漫画・ラブコメ漫画の舞台は、現代日本だけではない!
ファンタジー世界をも舞台にする!
即ち。

空中で手を差し出せば、”必ず”手を握ることが出来る!

ファンタジー少女漫画でよく見る光景を、宝条綾果は再現する!

そのままトランプを奪い、十三川を海へと叩き落す。
吸い込まれるように海に落ちていった十三川は、水飛沫とともに大きな着水音を上げた。
その音は、試合終了を告げるゴングと同義。
リングアウト。
戦いは、ここに幕を下ろした。


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「あの……早く上がらないと風邪を引いてしまいますよ?」

おずおずと手を差し出す宝条の表情には焦燥が浮かんでいる。
海中に投げ出された十三川は、悔しさを隠そうともせずに嗚咽を漏らす。

「トランプは……最強なんだ……」

おろおろと狼狽する宝条は、その身を正し、真剣な眼差しで告げた。

「はい。トランプは最強の武器です。……”少女漫画の世界”では」

「!」

その時、十三川は理解する。
少女漫画において、トランプが意味するものは何か?
トランプとは、何のために用いるものか?
そう。
占い、だ。
少女漫画で行われるトランプ占い。
それは、おぞましい程の精度で的中する。しかも、悪い結果ほど良く当たる!

十三川の必殺であったスペードのA。
剣の意を持つカード。しかし、トランプ占いでは「不吉・不運」を示す死のカードを意味する。
十三川の鬼札であったそのカードは、同時に宝条の鬼札でもあった。
十三川に降りかかる「不吉・不運」を待ち、一瞬の隙を突く。
それこそが、宝条綾果に残されたたった一つの勝機。

幾多の戦場で勝利を呼び寄せてきたカードは、占いという属性を付与し、
主に不吉・不運をもたらした。
その効果は、約束された勝利をも手放す程に強力。
十三川は、奇しくも己が身をもって証明してしまったのだ。
トランプとは、少女漫画において、最強の武器である、と。

「……そっか。やっぱり、トランプは最強なんですね」

差し出された手を取ると、宝条は、満面の笑顔を見せた。
まるで、満開の花が咲いたかのような。

その顔があまりにも嬉しそうだったから。
十三川は、くすりと笑って、こんなことを思った。

(少女漫画にとって、最強の武器はトランプかもしれないけれど)
(女の子にとって、最強の武器は笑顔なんだなって)
最終更新:2018年07月16日 00:37