ガキン、ガキン、ガキン。
鈍い剣戟の音が、海の上で鳴り響く。
ここは戦場。
貨物船の甲板の上。
撮影用のドローンが無数に飛び回り、彼らの戦いを電波に乗せている。
――――ここは二人の老魔人が相争う、闘宴の大舞台。
「ハッハァ! 見た目の割にやるなァ爺さん!」
鋼の如き人骨を、両手に握るはキャプテン・ハンセン。
さながら太鼓のバチのように、素早く豪快に振り回す。
「ほっほっほ。一応、私の方が若いんじゃがのう」
ナイフを振るい、受け手に回るはドラゴン博士。
攻めを捌くもにこやかに。白衣の裾が翻る。
奇しくも、打ち合うは今大会最年長の魔人同士。
百戦錬磨の大海賊と、老練なる発明家の一騎討ち。
そして、大方の予想を裏切らず――――
「そいつぁつまり、俺の方が経験豊富ってこった!」
――――有利を取るのは、キャプテン・ハンセンだ。
船が波に揺られ、ドラゴン博士の重心が僅かに揺らぐ。
その一瞬の隙を見逃さず、ハンセンが右手に握った上腕骨を突き出した。
ドラゴン博士の右肩口に、骨の打突が突き刺さる。
「船の上で喧嘩すんのは初めてかよ、学者のセンセイ」
たたらを踏んで距離を取る博士に、ニィと不敵な笑みを向ける老海賊。
当然だが、船は不規則に揺れている。
白兵戦はしっかりと地に足をつけて踏ん張るのが大原則。
その足場が不安定となれば、大抵の戦士はいくらかのハンデを強いられる。
……日常的に船上で活動していた、船乗りや海賊の類を除けば!
「……ふむ。確かに近接戦闘はいささか不利のようじゃな。
流石は天下の大海賊。私が若いころ、世間を騒がせた実力は変わらずか。トホホ」
龍をも屠る実力者であるドラゴン博士であっても、船上では万全のスペックを発揮できるとは言い難いのだ。
鬼に金棒、海賊に貨物船ステージ。
間違いなく、地の利はハンセンにある。
博士は静かに眼鏡を指で軽く押し上げ……懐に手を入れる。
「となれば、距離を取らせてもらおうかのう」
ハンセンが目を見張り、次いで舌打ちする。
彼の懐から取り出されたのは……手投げ弾!
そして、顔を覆う奇怪なガスマスク!
「察したようじゃな。これは対ドラゴン煙幕弾。
こっちは毒ブレス用ガスマスクで、どちらも特許登録済みじゃ」
手投げ弾――――対ドラゴン煙幕弾が投擲される。
カランコロンと乾いた音を立てて煙幕弾が甲板を転がり……勢いよく煙が噴出して周囲を覆っていく。
まずは、煙幕の中から脱出しなければ。
そう判断し、老海賊が甲板を駆けだした。
その足が、ガシャンと獰猛な金属の牙に絡めとられる。
「んなっ……!」
――――トラバサミ。
あまりに単純で、しかしそれ故に有効なトラップがハンセンの足を奪う。
それに対応するより早く、煙幕の中から刃が飛び出した。
「ええい、次から次へと!」
飛刃を骨へ変えた腕で弾けば、その次に飛んでくるのは数発の鉄球。
同じくこれも腕で弾こうとするも……加速度の乗った鉄球を防ぎきれず、ミシと腕の骨が嫌な音を立てる。
折れてはいない。ジョーの強化骨格はこんなものに負けはしない。
だがそれでも、一方的に押されているという危機感が警鐘を鳴らしている。
ハンセンはトラバサミを骨拳で殴り砕き、横へ転がった。
足を痛めても、『愚者の独演』があれば問題なく行動可能だ。
潮風に吹かれ、徐々に煙が晴れてきた。
素早く敵影を探すも――――いない。
周囲で動くものと言えば、撮影用ドローン程度だ。
ドラゴン博士はどこに逃げたのか?
いよいよ煙が晴れれば、そこかしこにブービートラップが仕掛けられているのが見えた。
あの短い間に、よくもまぁこれだけ大量の罠をしかけたものだといっそ感心する。
ともあれ、一刻も早くドラゴン博士を再捕捉せねば――――
「――――――――っ!」
違う。
積み重ねた経験に由来する直感が、老海賊に咄嗟の防御を選ばせた。
直感に従い振るわれた上腕骨が、硬く軽い何かを割り砕いた。
……果たして、それは幸だったのか不幸だったのか。
砕いたカプセルの中に詰まった液体が上腕骨に浴びせかかり……溶けた。
ハンセンは思わず絶句した。
鋼に匹敵する強度の骨が、シュウシュウと煙を上げて溶けている。
「……対策ぐらい、取ってるわなぁ……!」
これはハンセンが知らない事実であるが、この液体の名は A S D 硫酸。
カルシウムに反応し、強度に関わらず骨を溶かす代物である。
骨を武器に戦うハンセンにとって、極めて効果的な武器と呼べるだろう。
……それよりも、問題なのはその武器を飛ばしたものだ。
ASD硫酸が詰まったカプセルを射出したのは……海上を飛び回るドローンのひとつ。
もちろん、運営が用意した撮影用のドローンではない。
これは、これは、これは――――!
「野郎が用意した、自前のラジコン――――!」
ドローンである!
もっとも、四十年もの間を牢獄の中で過ごした老人にドローンとラジコンの違いを説明しても仕方あるまい。
問題なのは、いつの間にか周辺を飛び回るドローンにドラゴン博士お手製の武装ドローンが混ざっているということ!
そして、それらがハンセンを狙っているということ!
あるいは周辺に設置された罠も、いくらかはドローンが設置したものなのかもしれない。
まさしく四面楚歌。
ハンセンは溶けた骨の代わりに他の船員の上腕骨を“招集”し、口角を吊り上げた。
油断なく、獰猛な獅子を思わせる瞳が周囲を睨みつける。
「上等、上等じゃあねぇか――――行くぜ、野郎共ッッ!!!」
◆ ◆ ◆
ハンセンがAI制御ドローンの猛攻を掻い潜り、ドラゴン博士を発見したのは、いくらかの時間を消費してからだった。
自慢のジュストコールはあちこち破け、ボロボロだ。
それ以上に、本人がボロボロだ。
裂傷、打撲、火傷、流血……無数の負傷が痛々しい。
『愚者の独演』がある以上、負傷による弱体化はほぼ無いが、それでもダメージは蓄積している。
「……よぅ。久しぶりだなぁ」
博士がいたのは、船長室だった。
「印象、変わったじゃねェか。失恋でもしたか?」
老海賊が軽口をたたく。
実際、博士の外見は相当に様変わりしていた。
潜水服にも似た、大仰なスーツ……その上から羽織る白衣が滑稽だ。
「ふむ。ダメージは少なくないはずだが、まだまだ元気そうじゃな」
武骨なヘルメットの下で、彼は如何なる表情をしているのか。
「……ひとつ、疑問なんだがよ。
さっきのラジコンにせよ、そのスーツにせよ……どっから出したんだ?」
明らかに、それらの装備は博士が持ち込める量を超越している。
ハンセンも、質量を無視した持ち運びが博士の能力なのかと考えたほどだ。
「ああ、そんなことか。単純じゃよ。ドローンを戦場の外から呼んできたんじゃ」
だが博士の単純な答えを聞き、得心した。
つまり、空輸だ。
博士は事前に戦場の近くにドローンを待機させ、戦闘開始と共に呼び寄せたのだ。
ルールには抵触しない。第三者の協力ではない。
「お前さんは強力なドラゴンだからのう。少しでも弱らせておかねば」
「ハッ! 鬼だ悪魔だとはよく言われたが、ドラゴンたぁ初めて呼ばれるぜ」
「西洋では、ドラゴンは悪魔の化身とされておってな。
つまり悪魔はドラゴンであり、お前さんはドラゴンじゃ。
その証拠に、私の発明品はドラゴンにしか効かないのだよ」
ドラゴン博士は狂っていた。
老海賊をドラゴンと断言し、ヘルメットの下からギラついた瞳を覗かせている。
「そいつァ結構。だがどうする? 殴り合いなら、俺が有利なのは変わらねぇ」
キャプテン・ハンセンは重傷だ。
だがそもそも単純な戦闘型魔人としてのパワーとタフネスで言えば、ハンセンの方が上なのだ。
加えて博士が着込んだスーツは、いかにも動きづらそうに見える。
「水中戦に持ち込もうかと思っているよ」
「海賊相手に、水中戦? おいおい、正気かよ!」
「うむ。……だって、ほら。嫌いな相手を得意分野で負かすの、面白いじゃろ?」
ドラゴン博士は、狂っていた。
「――――そうかい!」
言葉と同時に、ハンセンは一歩踏み出した。
――――――――直後に壁が爆発し、瓦礫がハンセンを襲った。
「……外に爆弾を持ったドローンを待機させていてな。この爆弾は発明品ではないから、安心してよいぞ」
咄嗟に防御姿勢を取るも、流石にこの奇襲を相手に無傷とはいかない。
そして瓦礫に紛れ――――ワイヤーアンカーがハンセンに巻き付いた。
破壊された壁の向こうでは、海上で滞空するドローンがいくつも見受けられた。
それらが一斉に、ワイヤーを射出してきたのだ。
それを認識した直後、電流がワイヤーを伝って放たれる。
「こっちは発明品じゃ。対龍エレキワイヤーじゃな。ドラゴンを弱らせるのに便利でのう。
貨物を拝借して、強度を高める改造をしてある。戦闘型魔人でも千切れんぞ」
そのまま、ワイヤーがハンセンを引っ張った。
すごい力だ。ドローンがいくつも連結しているらしい。
このまま海に引きずり落とし、電撃で弱らせてから本人がトドメ……というのが狙いか。
「させ、るか……ッ!」
だが、『愚者の独演』は電撃を喰らいながらも行動を可能とする。
ハンセンが手を伸ばす。文字通りに。
“招集”をかけ、肩から骨の腕を生やす。
そして関節同士を連結させ、新たに“招集”した腕を繋げていく。
無数の腕が繋がってできた、蛇を思わせる一本の長腕が、ドラゴン博士の胸倉を掴んだ。
「寂しいじゃねぇか、一緒に飛び込もうぜ……!」
……ハンセンを襲っている電撃が、博士を襲うことはない。
対策済みなのだ。
彼の纏う潜水スーツは、絶縁加工が施されている。
こうして道連れを狙われることすら、博士にとっては計算済みのこと。
そもそもスーツの腕には、放電装置が仕込まれている。水中でも電撃攻撃をするつもりなのだ。
二人がぐいと引っ張られ、水中に叩き落された。
「流石に海賊、手癖が悪いのう……だがおしまいじゃ。
如何に魔人と言えど、水中で対水龍用放電装置を喰らって長時間耐えきれるわけはないからな」
周囲を飛ぶドローンたちが電撃を流し続け、ハンセンの意識を苛んでいく。
痛みで集中を切らせば、即死だ。
博士が老海賊の胸倉を逆に掴んだ。
「――――今だ、ブラックバスぅ!」
ハンセンの肩口から、巨大な魚の頭骨が飛び出す。
自らの肉体を魚に変化させる魔人能力者、“魚人”ブラックバスの頭骨!
常に魚人の姿をしていた彼の遺骨は、当然魚人の形で残っている!
ブラックバスの鋭い牙が、博士のスーツに突き立てられた!
絶縁スーツとはいえ、穴が開けば電撃は通る!
まさしく起死回生の一撃――――それを、博士は嘲笑った。
「――――――――残念だが、対策済みじゃ。
お前さんの部下については一通り調べてある。当然防刃仕様じゃよ」
その攻撃を、博士は既に予期している。
仮想し、対策する。それが彼の戦い方。
放電装置が、起動した。
老海賊の苦悶の絶叫が海に響き渡り――――ニィ、とその口角が持ち上がった。
「――――――――さっき爺っつったの、謝るわ」
もう一本、腕が伸びている。
海賊の背中から、骨の腕が。
「自分の持ち物は大切にしまっとくもんだぜ、クソガキ。
特に、俺みてぇな海賊を相手にする時はなァ……!」
握られている。
ナイフだ。
背に凹凸がついた――――龍鱗剥がしナイフだ。
「いつの間に……」
「さっき胸倉掴んだ時に、ちょいとな!
どうせ白衣の下に武器仕込んでんだろと思えば、案の定よ」
……していない。
博士は、龍鱗剥がしナイフへの対策をしていない!
龍の鱗をも剥がす、必殺のナイフへの対策は!
咄嗟に逃げようともがき、しかし逃げられない。
ブラックバスの頭骨が、しっかりと噛みついて離さない!
電撃の解除、いや、間に合わ――――
「まったく、いい部下をもったぜ――――喰らいなァッ!」
――――ナイフが突き立てられる。
必殺の刃はスーツを貫いて博士の肩を抉り――――刀身を通して、電撃が博士を襲った。
「ば、バカな……私の発明は、ドラゴンにしか、効かないのに……」
電撃による激痛、全身の麻痺。
『愚者の独演』を持たぬ博士には、この状態から動くことは敵わない。
ハンセンが博士の頭をヘルメット越しにしっかりと掴み、獰猛に嗤った。
「俺ァ、学がねぇからよくわかんねぇがよ――――お前も、悪魔だったんだろッッッ!!!!」
そして、渾身の頭突きが放たれ――――ドラゴン博士は、水中に沈んでいった。
魔人闘宴劇第一回戦・貨物船STAGE
勝者
キャプテン・ハンセン