クラブ『MARQUESS』。
そこは男と女が踊りくねる、煌びやかなる夜の城。光と音の洪水が、寄せては返しを繰り返す、淫猥なる欲望の本拠地である。
その中でひときわ目を引くのは、けばけばしい装いの男女ではなく、ひどく場違いな、学生服の少年――半沢時空の姿であった。
彼の姿を認めて、一人、立ち上がる影があった。白い外套の青年。彼――天桐鞘一はテーブルの上に散らばった小物を、ひったくるように掴み取る。
「君がお相手? 学生がせっかく普段来れない様な盛り場に来たんだしさ、存分に踊っていこうぜ」
天桐は掌の中をがちゃつかせる。コインを取り出し、見せつけるように差し出した。
「さて、こういう場所でやり合うんだ。それなりの作法に則る方がらしいと思わないか? 例えばこいつで試合の開始を決めるとかね」
彼はそう言い放つと同時、コインをフリップした。しかし。
「貴様のような輩の手には乗らん」
半沢はコインの裏表を待つこと無く、店の出口へと駆け出していく。
「俺の誘いに乗らないのも、俺が追っかけるのも木咲だけが良かったんだけどね」
天桐は仰々しく肩をすくめると、白いインバネスコートを翻して後を追った。
クラブの戦闘エリアとして規定されているのは、敷地内。つまりは店外の駐車場も含んでいる。猥雑で狭隘な店内とは違い、広く視界が通る場所だ。
「男の誘いに乗るなんて、俺の人生で初めての経験だよ。それなりの物を期待してもいいのかな? もっとも、つまらない物だったら丁重にお返しさせて貰うけど」
天桐の発言に、半沢は不敵な笑みを浮かべた。
「――鉛玉だ」
彼が手を振ると、どこからか銃弾が飛来。初弾こそ眼前で弾かれるように跳ね返ったものの、幾つかの弾丸は天桐の体を掠めた。天桐は攻撃の方向を見遣り、下手人の姿を認めた。
それは遙か先。戦闘領域からも離れた位置の三階建て屋上。そこに迷彩服の男が居る。
さらに周囲を注意深く観察すると、戦闘領域外、包囲するように何人もの男の姿がある。その全てが、年齢こそまちまちなものの似たような顔つき。半沢時空が、己の能力『未知への招集』による分身を十全に使うための作戦がこれだ。
あくまで分身は魔人能力作用であり、敗北条件が適用されるのは本体のみであると、半沢は事前に確認済みだ。 それは分身は場外に出ても敗北とならず、場外より戦場に干渉できることを意味している。
半沢は今回、「私が出ては意味がない」と参戦を固辞した不動産王を除いた、残り15人全員を戦場に連れ込んでいる。勿論、分身の中には戦闘力に劣る者もいるが、そういう者も“目”――最強戦力である“傭兵”が、愛用の銃で狙撃する際の観測手になれる。
彼が尋常の剣士であれば、既にこの時点で詰みだ。
――されど、彼は尋常ならざる剣鬼であった。
天桐は大小――二振りの佩刀に手をかけた。
「人数の差を埋めるべく、俺も何時もの二倍は頑張ってみようか」
柄に添えられた天桐の両手がブレる。瞬間、白刃の輝線が空間を疾り、刹那の間を置いて音越えの破裂音を周囲に響かせる。大気を絶叫させ、空間ごと敵手を殺害せんとばかりに放たれる魔速の抜き打ちは、歴戦の魔人の目を持ってしても、まともに視認できる代物ではない。
「何ッ!」「ぐっ……!」「がっ……!」
納刀に遅れて、呻き声が三つ。
『奇襲二色』。鞘の内部と、特定の空間を重ね合わせる能力。 納刀が狙撃となるその遠隔二撃は、測距手の右目と、狙撃手の右人差指を刺し奪っていた。
「こっちの手は珈琲を運ぶ方でね、こんな事に使うなんて珍しいんだぜ。君達にはサービスだ」
半沢の能力は決して万能ではなく、分身へのダメージは同期する。本体の右目と右人差指にも、同様の裂傷が生まれていた。
「狙ったのは二人だったんだけど、成果が三人とはね。意図しないお客さんまで落としてしまうのは、ひとえに俺の魅力かな」
諧謔的な天桐の口ぶりは、言外に能力に当たりをつけたことを示していた。
「“占い師”、“長老”、“パティシエ”、“芸人”、“三浪”、“ニート”、“主夫”、“市長”!お前らは逃げろ!」
半沢時空の本体が、目を抑えながら叫ぶ。この状況では、非戦闘員は不利だ。負傷を本体に同期してしまう。
「他の連中はついて来い……こいつは腐れ二刀流とは格が違う。次の作戦だ!」
激しく金属を打ち付けた音が、虹光煌めくダンスホールの中に響き渡った。支柱を斬り裂かれたミラーボールが支えを失い落下。大きな音を立てて床面を破壊しながら転がっていく。その先の隻眼の半沢は、咄嗟に転がりそれを躱した。
再び店内に戻った半沢と天桐だが、優位に戦いを進めていたのは数の有利を取る半沢ではなく、天桐の側であった。
『奇襲二色』の真骨頂は、静止対象への干渉――つまりは対物破壊にこそある。宙空のミラーボールが、周囲の酒瓶が、『MARQUESS』の巨大なネオン看板が、無数に配された大型スピーカーが、納刀のたびに斬線を刻まれ、落壊する。
戦闘に堪える分身である“空手家”も“傭兵”も“スリ”も“漁師”も“アイドル”も“オカマ”も、有効な位置取りをさせてもらえずにいる。加えて、本体は既に割れている。分断されないように動くのが精一杯だ。
蠱惑的な服装のダンサーらも、今や逃げ惑っている。独り残ったDJだけが、ターンテーブルを回し続けていた。
「こいつはジリ貧でゲス~! どうするんですかい本体の旦那ァ!」
「俺たちはお前の命令で動けるぞ本体君! 次の指示をくれ!」
「顔が傷つく系は事務所NGだ! それ以外で頼むぞ素人の僕!」
「こいつら……!」
本体は苛立たしげに悪態をつく。いくらこちらが造物主であるとはいえ、もう少し主体的に動いてくれてもいいだろう。何故素直に本体の言葉で動くのか、半沢は理解に苦しむところもある。
「いい! そのまま追い込め!」
「追い込み漁どころか、こっちが一網打尽になるぞ陸の俺!」
「構わん! 貴様らは俺を信じろ!」
「んもぅ、強引なんだから……! でも分かったわ、目覚める前のアタシ!」
大声で叫ぶ本体は、当然、その分わずかながら隙ができる。そのわずかを、逃す天桐ではない。低い姿勢から、滑り込むように本体に詰め寄った。居合の距離。
「もしかしたら誤解があるかもしれないから、一応。俺はロングよりもショートの方が好きでね」
その絶好の距離で、彼の白刃が閃くことはなかった。
突如として、半沢と天桐との間に割り込む人影。迷彩服の男が、天桐の至近距離に出現した。既に召喚している分身――傭兵の半沢時空の、再召喚。その右手の五指には、ナイフが握り込まれている。
『未知への招集』による再召喚は一日二回という制限はあれど、状態のリセットを伴い、半径5メートル以内であれば任意の位置に即座に召喚可能だ。つまりは、非常に秀優なる奇襲能力である。
刀の距離よりも至近。“傭兵”が天桐の腹にナイフを突き立て、捻り込んだ。余裕を湛えていた天桐の端正な顔立ちが、初めて苦痛に歪んだ。
「……お見事。でも、白は汚れが不必要に目立つんだ。クリーニング代は学生君に請求しても良いかな?」
「幾らでも払ってやるさ、キザ野郎」
学生服の本体が吐き捨てるように告げる。
「――50億からな」
“傭兵”がナイフを引き抜くと、再び構えて心臓を狙う。付かず離れずの距離は維持されたままだ。剣を抜ける間合いではない――が、それは天桐の間合いでないことを意味してはいない。
天桐は身を捻りながら踏み込み、コートを派手に翻す。翻ったコートの裾で“傭兵”の視界を阻んだその瞬間、彼は旋風の如き疾さで後ろ回し蹴りを繰り出した。“傭兵”は腕を交差させ、それを何とかいなして受ける。
「剣士ではあるけどね、せっかくの長い脚なんだ。使える局面があるなら、遠慮なく使わせてもらうさ」
見惚れるほど綺麗な弧を描いた足が回り切り、地面に着いた時には、彼は既に刀を抜いて八相に構えている。
「俺は身体が一つだけなんでね、自分の手で出来ることはそれなりに多いんだ。ちょっとびっくりしただろ?」
切り抜けられはしたもののの、今の攻防はこちらに有利なものだ。そう半沢時空は判断している。周辺の破壊行為が一旦止んだことにより、分身による包囲はできている。いかな達人といえども、深手を負った状態での対処は困難だろう。
「そして、今からもう一回びっくりさせてみようか。サプライズの練習がしたくてね、全員に付き合ってもらおうかな」
半沢の本体は、遅れて違和感に気づいた。――この男はなぜ刀を抜いた? 居合使いであったはずなのに、と。
気づいた時には、刀は真上へと放り投げられていた。それに分身らの視線が向いた一瞬。天桐は懐からマッチ箱を取り出していた。最初の会敵の際、コインとともに机の上からすくい上げていた、『MARQUESS』のロゴの入った箱。その内より一本を取り出し、擦過、点火。鞘の中へと投じた。
『奇襲二色』が、鞘内の座標を分身らの足元へと次々と重ね合わせた。そこには既に、破壊され散乱した酒瓶と、その中身がぶちまけられている。
重なり合った炎と油は、刹那のうちに一つとなった。
「こんな余裕のない手を初戦から使う羽目になるとは思わなかったよ。酷い有様にして申し訳ないが、なに、試合が終われば元通りと言う話だろ?」
全身におびただしい火傷を負った半沢時空の本体に、天桐鞘一が近づいていく。
「お詫びのつもりってわけじゃないけど、君の分身にパティシエいたよね。誕生日ケーキの注文をしたいんだ。幾らでも払うよ……50億と言われると少々困るけどね」
「何を……終わった気でいやがる!」
焼かれた喉で半沢が叫ぶと同時、刃物のように鋭利な円盤が飛来。天桐はすんでの所で身を捻り絶命を避けるが、肩口が深々と切り裂かれる。それを投げつけたのは、フロアの中心――DJだ。彼の風貌は、半沢時空のそれであった。
彼はDJ G-COOL。DJとなった半沢時空の分身である。彼はずっと、DJとしての仕事をこなし続け、天桐の意識の内から外れ続けた。全ては、絶好の瞬間に殺人円盤を投げつけるため!
最後の奇襲により開いた、絶好の打開局面。再召喚の札自体は既に見せているため、未知の逆転可能性はただ一人のみだ。
――“不動産王”。彼であれば、ここから勝利できるのではないか?
半沢は逡巡するが、すぐにかぶりを振った。それでは意味がない、と。魔人闘宴劇を優勝した知識をもって魔人闘宴劇の優勝を目指すことは、大きな矛盾だ。それは自分の可能性を摘み取る行いだ。ややもすれば未来の分身らを、永遠に失いかねないものだ。
その逡巡は、非常に短い一瞬であったが。尋常ならざる剣鬼にとってはそうではなかった。
円盤に裂かれながらも、天桐の右手は、抜刀し納刀の動作を終えていた。『奇襲二色』。それは半沢の内より、血染めの紅襲を透かす決着手となった。
「結局、最後まで俺を剣の間合いに入れなかったか。いや、賞賛はストレートに言うべきだな、掛け値なしに強かったよ、君達は」
第1回戦:【クラブ】STAGE
天桐鞘一 VS 半沢時空
勝者――天桐鞘一
「……これ何?」
机の上に無造作に置かれたマッチ箱を、葦原木咲は拾い上げた。 表面には店名――クラブ『MARQUESS』の印字がある。
「木咲は流行には流されないタイプだよな。……まぁ、じゃあ今はまだ秘密。でも、木咲の考えてるようなことはないよ」
「は? 何それ? 私が何考えてるか分かるっていうの?」
「木咲のことを俺ほど考えてる人間が、この世にいるとは思えないね」
不意に身を乗り出し顔を近づけ、悪戯っぽく笑いかける。
「近い。邪魔」
木咲は手を伸ばし、彼の顔を押しのけた。
「俺を間合いに入らせない人間がそういえば一番身近にいたよ。もう少し踏み込ませてもバチは当らないんじゃない? 掛け値なしに強いな木咲は」
「はいはい。じゃあ強い人の言う通りにキビキビ働いて。ほら、あそこ注文したがってるでしょ」
天桐がホールへと消えた後、木咲はマッチ箱を再び眺める。中身が一本だけ使われている。
「……結局なんなのよ、これ」
彼が何をしているのか、木咲は全く理解していない。
――ただ、自分が与り知らぬところで何かが進んでいることに、少しばかり苛立っているだけだ。それ以上でも以下でもない。
木咲はそう判断し、マッチ箱を再び放り置いた。