【宇宙船】SSその1


 淫魔人の最も恐ろしい所は、何をしてくるか分からない点にある──と、雨夜鞘子は考える。
以前暗殺を行った中出汁挿入乃介(なかだしにゅぷぷのすけ)もその類で、鞘子は大いに苦戦した。
戦闘の詳細は彼女の名誉の為に割愛するが、淫魔人の恐ろしさを嫌という程味わわされた体験だった。



 宇宙船の名をノーチラス号と言うらしい。
全長250メートル超の巨大な船体は、現在の技術では実現困難と見込まれているものだ。
三日前に渡された戦場の地形は、余さず頭に叩き込んでいる。暗殺家業を始めたばかりの頃に学んだ鉄則だ。

(居住空間の最下部、エンジンルームの真上。船外作業へ出る為の空間)

 まず、己の現在地を確認する。自重を失った身体は妙な塩梅だったが、支障を来す程ではない。
室内に敵の姿はない。これも予想通り。観客を楽しませるなら、邂逅まで間を作り、緊張感を高めたい筈だ。

(とすれば、彼女は反対に最上部の操縦室に転送されたか……なら多分、パージの危険はない)

 鞘子が危惧していたのは、操縦室からの操作によって鞘子の居る船体が切り離され、領域離脱による敗北に至る事。
だが、転送先に有利不利が存在するようでは公平性にも盛り上がりにも欠ける。仮にぼたんが操縦室に転送されていても、コンソールを操作して切り離しを行うような事はできない設定になっているだろう。

(でも、絶対とは言えない。時間を無駄にする訳には行かない)

 鞘子は感覚を確かめるように、『仕込み幻刀』を発動した。










 コンソールのディスプレイから視線を上げると、透明な強化ガラス越しの、暗黒の海に散りばめられた星々が、銀砂のように輝く様が目に映った。
地球においては、空気の薄い超高所のような場所を除いて目にする事の叶わぬ絶景だが、七白ぼたんの心には一片の感慨も浮かばない。

 船体を切り離す操作は、運営によって封じられているようだった。専門的な知識があれば解除は可能かもしれないが、ぼたんにそのような技能はない。
更にもう一点、悪い予想が的中していた。

(無重力では、うまく気が練れない)

 体内に巡る気を練り、気合と共に放出する気功術だが、気の巡りが地上と異なる上、ろくな踏み込みも果たせぬ無重力下にあっては、射程も精度も本来の半分以下まで落ちている。

 裏社会の伝手で手に入れた情報によれば、雨夜鞘子は剣の使い手であるという。素手が基本のぼたんにとり、不利は明白であったが。

(……関係ない。勝つのは私だ)

 一触即イキを信条とするぼたんには、相手がどのような得物を用いようと、触れさえすれば勝つという自信がある。無重力の不慣れも、ぼたんに限った話ではない。

 静かに闘志を燃やしながら、ビッチが隔壁の扉に手をかけた。















 船体の中心部──ノーチラス号において、最も広大な空間であるトレーニングルーム。無重力環境で筋力低下を防ぐ為の、様々な器具が取り揃えてある。
端から端まで30メートルはあるだろうか。その両端、隔壁を背にした両者は、初めて己の敵を視認した。

 雨夜鞘子が小さく息を吐く。
七白ぼたんの名は、この世界に生きる者なら一度は耳にした事がある。無貌にして無双、無敵のビッチ。淫魔人である事以外、全てが謎に包まれた暗殺者。

 鞘子は、その姿形を知っている。
すらりとした長身。シャギーに切り揃えた赤髪。意志の強さを思わせる細く鋭い眉。垂れ気味の瞳には、勇猛さと凶暴さが混在した、強い光が宿っている。
いつかアルバムで見た、若かりし頃の『ママ』が、鞘子と向かい合っている。

 あり得ない光景を前にして、鞘子の心はさざ波のように揺れたが、それも一瞬の事だった。
無貌の異名を取る七白が、敵の動揺を誘う為に変装する……それもまた予想の範疇。微かに湧き上がる殺気を奥歯で嚙み殺し、少女は船体を蹴った。














 壁に取り付けられた手すりをなぞるように、ぼたんの体が浮遊する。
彼我の距離は10メートルを切っているが、互いに口を開く事はない。暗殺者同士、益にならぬ行動はしない。

ただ、雨夜鞘子のビスクドールめいた無表情から、肌をひりつかせるような怒気が放たれるのを感じている。
ビッチアーツを極めたぼたんの目には、微細な筋肉の動きから、急所となる性感帯の位置、ひいては感情の動きも手に取るように感じられる。

 その怒りが何に根ざすものであるのか、ぼたんには分からない。彼女には、彼女自身の姿を確かめる術がない。
故に彼女は、ただ合理的にその情動を利用する。

 両者の距離が、およそ6メートルに迫ろうとした頃合いだった。
不意に、鞘子の左手が霞んだ。ぼたんが首を傾げると、耳元を針のような物が掠めた。それが開戦の合図だった。

 鞘子の右手には鋭い刃物が握られている。刃渡り7〜80センチ程の、薄く青い刀身の剣だ。奇妙な事に、柄の部分にバルブのような部品が付属している。

 互いに必殺を手にしていた。
居合の達人同士が間合を削り合うような緊迫を、先に崩したのは鞘子だった。壁面の僅かな突起を踏み台に、全身を猫のようにしなやかに振るった跳躍。
ぼたんは手すりを掴んでいた左手に力を込め、距離を取る。眼前を、刃の円弧が薄青に染める。

 すかさず攻勢に転じようとし──すんでの所で回避に移った。鞘子が左手で、たった今切断した手すりを逆手に掴み、そこから刃を抜き放ったのだ。
バルブの柄の謎が解けた。あれもまた、船内のどこかから『調達』してきたのだろう。これが、雨夜鞘子の魔人能力。

 鞘子の動きを注意深く観察していなければ……あるいは暗殺者として修羅場を潜り抜けてきたぼたんの勘がもう僅か鈍ければ、顔面をざくろのように割られていただろう。

 好機であった。『必殺』の二連撃を放った反動で、鞘子はこちらに背面を向けている。
ぼたんは手すりに足の甲を引っ掛けた。急拵えの足場。素手では僅かに届かないが、気功術ならば。

「ハイヤァーッ!!」

 裂帛の気合いと共に突き出された右手から、渾身の気が放たれた。















 手も触れずに射精、そして死に至らしめる魔人。
七白ぼたんに関する逸話は、思いの外容易く手に入った。『ボヨンバイン高校の虐殺』は有名だが、裏社会における伝聞にも、それを裏付ける証言が幾つか存在する。

 かのビッチが何らかの飛び道具を扱うと推論するに至るまで、さほど時間はかからなかった。
問題はいつ、どんな方法でそれを使うのか。分からぬなら、使わせてみれば良い。その上で確実に敵を斃す自信が、鞘子にはあった。

即ち、奥義の存在。

「うっ、く」

 呻き声をあげたのはぼたんである。
右肘から先を切り飛ばされていた。切断面から迸る鮮血が、噴き出た端から表面張力によって球の形となり、赤いシャボンのように宙を舞った。

 『搦手(からめて)』という。
ぼたんに背を向けた鞘子は得物を手放し、右手で左手を掴んだ。
居合の如く、自らの腕を刀と化して抜き放つ技が『抜手』。そこから両の指を絡め、リーチと精密性を両立させた斬撃が『搦手』である。
通常の剣と異なり、得物自体が自在に稼働する『搦手』は、あり得ない角度とタイミングで太刀筋を変化させる。これを初見で防ぐ事はまず不可能。

 そう、初見であれば。
これは衆人環境の大会である。秘奥を開帳した以上、次戦からこの技は警戒されるだろう。
それでも、命のやり取りにおいて、戦力を温存したまま戦う事がどれ程のリスクを負うものか、鞘子は熟知している。彼女には……彼女にも、負けられない理由がある。

(判断は正しかった)

 鞘子の表情は仮面のように変わらないが、内心は肝が冷える心地だった。
抜き放った左腕は、ぼたんの左手に納まっている。

『搦手』と気の撃ち合いは、相討ちだった。何かが来ると察したぼたんは、瞬間的に狙いを変え、得物を撃ち落とそうとしたのだろう。鞘子の右手には、不可解な甘い痺れが残っている。

 指と指との接続は、気功を受けて解かれ、『へ』の字のようになっていた左腕の刃は回転しながら放り投げられた形となり、伸び切ったぼたんの右腕を切断した。

 抜け目ないのは、腕を落とされた直後に、迷わず鞘子の左腕を確保した事。
構造上、分離した左腕が動かせるのは手首と指のみ。手首の下を持てば、得物として用いるのに不足はない。

 それでも鞘子に焦りはなかった。腕を切断した事によるおびただしい出血は、ものの数分でぼたんを死に至らしめる筈だ。当然、止血する暇など与えない。
片腕対片腕とはいえ、状況は鞘子の圧倒的有利──。

「ふあぁぁああんっ!!?」

 唐突に、全く意図しない嬌声が、鞘子の喉から発せられた。視界が明滅する程の衝撃。雷に撃たれたような痺れが、全身の力を奪い去る。

(何──何、が)

 思考までバラバラにされそうな力の奔流に抗い、鞘子は我が身を襲う電撃の正体を探った。それは目の前に存在していた。
七白ぼたんが、鞘子の左手を執拗にねぶっている。──指フェラである!

(こ、んな──指、舐められるだけ、で──)

 七白ぼたんという女が、規格外のビッチである事は理解していたつもりだった。だが、高々指をしゃぶるだけで行動不能になる程の快感を与えてくるとは。

「あんっ!あっ、やんっ!やっ、やはあぁあ!」

 あられもない声を上げ、鞘子が全身を震わせる。
少女の指をしゃぶりつつ、ぼたんが距離を詰める。鞘子の脳は最大音量で危険信号を発しているが、身体が言う事を聞かない。

(まず、い──これ以上は、──指だけでこれじゃ、身体に触れられたら)

 恐ろしい想像だった。あの舌使いで、唇や胸やもっと大事な所を愛撫されたらどうなってしまうのか。
少女は決断を迫られた。





 突如、爆音が船内に轟いた。激しい振動と共に、船体が大きく傾く。ぼたんが目を見開く。その時点で、鞘子は行動を終えていた。

 ロケットエンジンは、燃料と酸化剤を混合・燃焼させて推力を得る。燃えやすい酸化剤の入ったタンクの位置は事前に確認している。
タンクの手頃な位置から刀を作り出しておく。能力を解除した時点で穴が空き、酸化剤が噴出すると、同じ要領で漏電させておいた配電盤に接触し、爆発を起こす。必然メインエンジンにも誘爆し、船体に大きな衝撃を与える。

 宇宙船がどのように傾くか、おおよその方向さえ分かっていれば、鞘子だけがその動きに合わせて有利に立ち回れる。そのような仕掛けであった。





 鞘子の左腕から血が噴き出した。能力を解除した結果だ。それに構う余裕はない。
今や条件は対等。しかし同じ左腕欠損でも、僅かな時間差で七白ぼたんの出血量が先に限界に達する筈。飛び道具の射程もおおよそ把握している。ミスを犯さなければ、勝てる。
壁面を蹴り、唯一解除していない『手すりの刀』を回収、反対側の壁へ──その途中で、鞘子の体が停止した。

 紐が、巻き付いている。
殆ど反射的に剣を振った。抵抗もなく、絡まった紐は切断される。ごくありふれた、固定用のロープだ。その時点で、鞘子は悪手を打った事に気付いた。
 鞘子の身体は、既に慣性に従ってぼたんの位置に戻りつつある。ロープを切るのが遅すぎた。否、ロープを切るべきではなかった。剣は、敵をこそ切るべきだったのだ。

 一度振った剣を振り直す為に、コンマ何秒かの時間が必要だった。突くにも構えを取らねばならない。
そのコンマ何秒かが経過する前に、ぼたんの手が鞘子の足首を掴んでいた。
足を手すりに引っかけたまま、服の中に隠していたロープで鞘子を捕らえ、引き寄せると同時に跳んだ。

恐らくは人類初──無重力空間でのレズレイプ敢行!!





(耐えれば──あと何十秒か、耐え、れ、ば)

 暴風めいた快感の最中、鞘子は焼ききれそうな思考を辛うじて繋いでいた。
首に手をかければ一瞬で切り離せるが、最早体の自由はない。能力を発動しようとする意志すら、次の瞬間性感の恍惚に塗り潰される。
彼女に残された手段は、耐える事のみ。
唇を貪る舌に。乳房をまさぐる手に。下腹部を探る膝に。肌をなぞる血液に。その全てを監視する、憧れの瞳に。ただ耐え忍ぶ。

(耐え、 ら   れ   な    )

 何十度目かの絶頂を極めた瞬間、少女の意識はぷつりと途切れた。
深く息を吸い込んだ鞘子が、それきり呼吸を止めたのを認めると、ぼたんは止めを刺すように、あるいは愛情を示すように、少女の唇に深く深く口づけをした。





一回戦宇宙船STAGE 勝者:七白ぼたん
最終更新:2018年07月16日 00:51