『二つ切先に色を重ねて』


 カフェ『プラティーノ』。
 休憩時間のバックヤードに、スマートフォンを片手に動画を眺める青年の姿があった。

「悪くないね。俺の考えてることが十二分にできそうだ。この僥倖も、普段の行いの良さの賜物かな?」

 青年は独り言つ。軽口を叩くものの、その両眼は画面を睨むように捉えて離さない。

「……一人でもそんな調子で、疲れないのが不思議だけど。てか、何をそんな真剣に見てんの?」

 エプロンを解きながらバックヤードに入ってきた少女が、青年を見咎めるように声を掛けた。

「おっと、声に出てた? でも、こうやって木咲の気を引く事ができたなら、柄にもない独り言にも価値があるな。それとも、そんなもの見てないで私の相手をしなさい、と遠回しに言ってる?」
「……どの口が柄にもないとか言うんだか。私はただ、そのそんなものとやらが何か分かんないのがムカつくだけ」

 少女――葦原木咲からは見て取れないが、青年――天桐鞘一のスマートフォンの画面には、宇宙船での魔人の闘宴が映し出されている。かの大会の1回戦の録画映像だ。

「画面の中でも現実でも、俺の眼には木咲の姿しか映ってないよ。そこだけは厄介な事にね」
「……うちの店から犯罪者出すの嫌なんだけど」

 鞘一の瞳が、端末からの映像を映し返している。崩折れた少女に、もう一人の少女が口づけをし、試合が決着していた。立ち上がる少女――勝者の姿が大写しになる。

 葦原木咲の姿が。




 漆黒を透かした夜の帳。提灯の朧火が、糸縫いのように張り巡らされ、視界を暖かな光で覆い尽くす。無人の屋台群には作りたてと思しき焼き物が立ち並び、鼻孔をくすぐる。どこからか聞こえる太鼓と笛の音が、神社の境内――夏祭りの会場に響き渡っていた。

 その只中に、白いインバネスコートの青年の姿があった。腰に二刀を佩いたその姿は、この縁日の神社に全く似つかわしくない。青年――天桐鞘一は周囲を見渡した。無人のはずの戦場の中、ある屋台にかがむ人影がある。

 カラーヒヨコの屋台。しゃがむ少女がヒヨコらを一撫ですると、七色のヒヨコらは一斉に痙攣、総排泄孔より白濁を吐き出し、色とりどりの羽毛を白濁に染め上げた。カラーヒヨコは元々、採卵鶏を雌雄鑑定にて選り分けられた使い道のないオスの成れの果てであるが――彼女の手管であれば、鑑定士さえも必要ないのだろう。

 立ち上がった少女は、手に持ったチョコバナナを口に含み、すぐに取り出した。チョコを完全に剥ぎ取られたバナナを投げ捨てると、淫猥に微笑む。

「デモンストレーションはいただけないけど、その装いには正直驚いたよ。俺も上等なのを仕立ててくるべきだったな」

 鞘一の前に現れたのは、青地に朝顔柄の浴衣を纏った、葦原木咲であった。無論、本人ではない。天桐鞘一の対戦相手――七白ぼたんが、彼女の能力『淫蕩なりし無貌の彩(インビジブルカラーズ)』によって、現在の彼が最も情欲をそそる者の姿形に見えているに過ぎない。当然、この縁日の神社という環境下において、最も天桐鞘一の情欲をそそるものは、浴衣姿の葦原木咲以外にありえない。

 その外観を認めながらも、鞘一は相手の正体を知悉している。七白ぼたんの名は、裏社会に知らぬ者のない程に広まっている。名うての暗殺淫魔人。予習がてら宇宙船の映像を見ていた鞘一は、当然、相手の能力と実力、戦型についてはあらかたの把握を済ませている。無論、その逆――ぼたんにとっても、天桐鞘一を把握することができているはずだ。

「しかし、君のような生業の人間が全国中継されてる大会に出るなんて正気かな? 暗殺者にとっては致命傷もいいとこだ。戦う度に服を脱いで自分から丸裸になるようなものだと思うけどね。……それとも、とっくに、叶えるべき夢の為に理性なんてぶっ飛んでる?」

 木咲の姿を貼り付けたぼたんは応えない。暗殺者であれば当然、益にならぬ行動はしない。そのはずなのだが、鞘一はなおも続ける。

「俺は普段は夢を見せる側だけど、夢を見る側でもあるんだ。じゃなきゃ女の為に自分の(わざ)なんて賭けられないだろ?」

 女の為と言うフレーズに、ぼたんはわずかに眉根を寄せた。それも一瞬。次の瞬間には、蠱惑的な笑みを浮かべたまま、ぬらぬらと歩みを進めていた。




 断続的な、かすかな鍔鳴り。『奇襲二色(くがさねふたついろ)』による同期座標刺突は、三度、七白ぼたんが直前まで居た場所を遅れて穿った。そもそもが移動物への攻撃を不得手とする能力だ。まして狙撃の存在を把握している上、焦らすように緩急をつけて接近するぼたんのことを、捉えられるようなものではない。

「木咲はこんな蠱惑的な表情は浮かべないな。俺を見る瞳はもっと冷めてるし、姿勢は何時だって背筋をピンと伸ばしてる」

 爛々と眼を輝かせるぼたんは、既に剣の間合いにまで急接近している。極端なほどの前傾姿勢から、鞘一へと腕を伸ばした。抜刀、電光石火の一閃。狙いは自分の胸元目掛けて迫るその凶腕――だが、精妙にして必斬の白刃は、手応え無く空を薙いだ。

 直後、鞘一は首根に強烈に甘い忘我を覚えた。ぼたんの指先が、軽く掠めて撫でていた。たったそれだけで、致命にもなりかねない臨死の愛撫。一流の淫魔人とは、得てして全身凶器と同義である。

「痺れたね。この刺激は癖になっちゃいけない類だ。沸騰した湯で淹れた珈琲を飲んでもこうはならない」

 まるで意に介さぬように振る舞いながらも、鞘一は考察を巡らせ終えている。

「さて、ここからは剣筋にも首筋にも甘さは無しだ。天使の淹れるほろ苦い珈琲みたいに、ブレンド具合も読み違えないさ」

 七白ぼたん本人でさえ、既に忘却の彼方となっていることではあるが、彼女の能力『淫蕩なりし無貌の彩』が発現したのは、自らの外見へのコンプレックスによるものである。彼女の真の肉体は、長身にして痩躯。その肉体を(少なくとも、当時駆け出しのビッチであった七白ぼたんは)性的魅力に欠けると判断したが故の、それを隠して外見魅力を得るための能力であった。

 その外観と肉体との差異は、戦闘に対しては、間合いを乱し得る。葦原木咲の外見も、どちらかといえば長身に属するものの、それと比しても、七白ぼたんの真の肉体は遥かに長身で、リーチも長い。鞘一が目測を見誤り、腕を斬り損ねた原因である。

 ぼたんの『触れずに相手を倒す』という触れ込みも、厳密には気を遠くまで飛ばしているわけではない。上書きされた理想の相手のビジョンが、彼女のリーチを誤認させているだけである。ぼたんの真の肉体を完全に知るものは、ぼたん自身と、彼女の全身にくまなく触れ尽くした、今は亡き鏡子以外にない。




 提灯の橙色に照らされた、白い外套。それを翻しながら、鞘一が後ろに飛び退る。同時、魔速の再抜刀。その切っ先が狙うのはぼたんの肉体ではなく、彼女のすぐ横――焼きとうもろこし屋台のガスボンベであった。高速の鞘走りがもたらす擦過の火片が、プロパンガスを破壊の爆炎へと変じた。ぼたんは爆破半径より外へと逃れているものの、ガス爆発がもたらすものは破壊のみではない。噴煙が視界を覆う。その煙の中より、幾度となく撃剣の刃金が鳴り散らす。

「丁寧に詰めなきゃ、このまま君の色香に喰われかねないからね。俺の足腰がまとも立つようになるまで、まずは一人で踊ってもらおうかな!」

 軽く、速く、鋭く、闇を裂く白刃の輝線が宙に舞う。目も眩むばかりに美しい鋼光の乱舞は鞘に吸い込まれる度になんらかの破壊を巻き起こす。態勢を立て直したぼたんの近くで、アルミ風船が破音を立てながら炸裂した。ダメージはないものの、聴覚は一時的に阻害される。

 風船を振り払ったぼたんの眼前に、飛来する物体。

 彼女はそれを、精確な抜き(・・)手で迎撃する。それは単なる、屋台の売り物。塩ビ製の玩具の鞘であった。手技を受けた鞘は、中心から折れて中身を――ヘリウムガスを撒き散らして破裂した。

 例え玩具であっても、天桐鞘一が手にした以上、それは『奇襲二色』の能力対象である鞘に他ならない。彼は玩具の鞘の空洞と、ヘリウムガスのボンベ内とを同期させていた。眼前で爆ぜたヘリウムガスを、ぼたんは幾らか吸い込んでいる。それは彼女の繊細な味蕾をも、僅かながらにでも揺り乱す。

「ハイヤァーッ!!」

 ヘリウムを吸い込んでなお、裂帛の喚声は葦原木咲の声音である。それはコンディションに拘わらず、天桐鞘一の理想の声帯を具現し続ける。五感を乱され、練気の不完全な状態から放たれた踏みつけに、鞘一の真横の屋台骨はあっさりと限界を迎えた。

 互いの破壊の攻防が激しさを増すと、一瞬、戦場に空洞が出来る。周囲の屋台が破壊し尽くされ、彼我の周辺が更地と開ける瞬間だ。両者の距離が再び接近する。手近に破壊物は存在しない。

「しかしさ、なまじ外見擬態が完璧な分、こだわりの俺の眼から見ると、むしろ粗が目立つね。それに、君は間合いに入れさせてくれるだろ? ほら、この通り。さぁ、互いの一番得意な距離だ、早抜き(・・・)と行こう。一撃必倒の真剣勝負ってやつだ」

 構えを取る鞘一に対し、ぼたんはその挙動を冷静に見定めていた。ビッチアーツを極めたぼたんの目には、微細な筋肉の動きから、急所となる性感帯の位置、ひいては感情の動きも手に取るように感じられる。彼女には判断ができている。眼前の剣士の言は、虚飾であると。

 ぼたんは右腕を突き出す。鞘一の手元の動きが、彼女にはつぶさに確認できている。先程まで使用していた本差ではなく、脇差を抜く手付きだ。重量感と速度の目測を見誤らせるのが狙いかと、ぼたんは思考する。

(真剣勝負というのは、ブラフ)

 撃剣の瞬間までもが、ぼたんには然と捉えられている。男の自慢とする得物の動きなど、幾度となく見極めている。それを指先で絡め取り、自信とともに往生させることなど、造作も無いことである。ぼたんは刀の軌道を寸分違わず読みきり、それに指先を軽く載せ、優しく扱き上げるように――

 刃面に触れた指先が、突如として跳ね上がった。阻むものの無くなった居合の抜刃が、七白ぼたんの体に深々と死線を刻んだ。

(高熱(・・)……!これが、この男の、真のブラフ――)

 天桐は戦闘の最中、脇差に対して『奇襲二色』を適用し続けていた。その刃は鞘に収められたままに、遠方の屋台――焼きそば屋台の鉄板近傍へと重ね合わされ、焦熱の奇襲剣となっていた。ただでさえ淫魔人の指の熱感知は体温付近に緻密に調整されている。触れて止めようとすれば、反射的に手を離すこととなる。


「まだだ! ハイヤ――」

 身を裂かれながらの渾身の咆吼は、納刀の鍔鳴りの後に潰えて掻き消えた。『奇襲二色』の二撃必倒(・・・・)が、七白ぼたんを打ち据えた。

「君の顔にも声にも真剣に向き合えたけど、心には真剣に向き合う事は出来なかったな。どんなに姿形が一緒でもね、(おれ)が抱く切先は、君じゃないのさ」




第2回戦:【夏祭り】STAGE

七白ぼたん VS 天桐鞘一

勝者――天桐鞘一




「やっぱり木咲の淹れる珈琲(ブレンド)は渋くほろ苦いね……こうでなきゃ嘘だ。甘さとは無縁じゃなきゃね」
「……人が珍しく労をねぎらってやって出てくるのがそれ? バカにしてんの?」
「えぇ、この幸せな顔がバカにしてるように見える? ところで、今日は労われるほど働いてないと思うけど」
「見えるし働け」

 木咲はクラブ『MARQUESS』のマッチ箱を机に放り投げた。

「――気になったまま放っぽるのも癪だから調べたの。そしたらここでの試合とやらがあって、そこに出てた誰かさんが次の試合までしたっていうから」
「なんだ、せっかく秘密にしてたのに。でも、俺の行動に興味を持ってくれたのは嬉しいね。さて、木咲のことだから、俺が実は魔人って事には偏見は持たないと思うけど、バイトとの掛け持ちに関しては怒ってたりするかな?」
「持たないけど決めつけられるとなんかムカつくんだけどそれ……」

 木咲は自分のカップを手にとり、口をつけた。

「……あと、掛け持つなって思うくらいならいちいち労わない。ってかどう考えてもそっちのは本業なんでしょ? まあこっちでちゃんと働くなら何でもいいんだけど」
「木咲の目の前で俺が欠片でも無様を晒すとでも? 俺の本業はそっちじゃなくてこっちだよ」
「あっそ。じゃあ精々励みなさい、バイト店員様」

 鞘一のウインクに、木咲はひらひらと手を振った。

「しかしあんたも災難よね。自分自身と(・・・・・)戦わされるなんて」


最終更新:2018年07月28日 21:34