「沈んだ日はまた昇る。
それをわかって尚、人は闇を恐れ、光を求めて祈る。
ならば我は闇から人を守る灯火となろう。民を導く灯台となろう」
―アブ・ラーデル1世
~ユデンの灯火~
河渡六文によって齎された自然派と言う言葉。
石油王アブ・ラーデル18世に、思い当たる記憶はなかった。
しかしと自問する。
父王の死と革命が無関係であったとは考えられぬ。
そうであるならば、己よりも民草に近しい侍女ディライトであればどうか?
問うついでだ。
最後まで不安な表情を浮かべていた彼女の涙の一つも拭ってやろう。
そう思い、ホテルへと凱旋した少女を出迎える声は無く。
彼女の忠臣がその日帰ってくる事はなかった。
*
白い建物の前に、和装の二人組が立っていた。
「本当にいいんですか?これだけあったら…」
その先は続かなかった。
「うむ…」
要領を得ない声。
大金を詰めたままの鞄を持ち歩く少女、市毛ひとみにとって五千万と言う額はあまりに想像の埒外。
出海九相にとっても蒼褪める程の大金。
一人のものではない、と分け合おうとした九相と遠慮するひとみは一昼夜に及ぶ押し付け合いの末、共通する結論を見出した。
この賞金は必要な人間に渡そう。
「後はよろしく頼む、市毛殿」
「わかりました。九相さんはそろそろ?」
少女の言葉に、男は慌てて懐を確認。
目的のものを見つけると、別れを告げて駆けだした。
ひとみはその背に、声をかけようとして―留まった。
言った所で彼は止まらないだろう。その背を見送り…ひとみは、留置場の扉を叩いた。
*
王が黒剣を片手に戦場を駆ける。
襲い掛かる兵が次々と吹き飛ばされて積み重なり―ついに、彼女は辿り着いた。
王宮の庭園だった場所に倒れ伏した衛兵、民兵。全て峰打ち…王の矜持を見せつけた。
波打つように揺れる影と同じほどに肩を上下させながら、無双の武威を見せた王は
黒剣の切っ先を眼前の賊オレガ・クロマックへと突き付けた。
「我が臣ディライトをどこへやった!クロマック。
心して答えよ!王命である!」
激憤の王気が騎士を穿つ。
只人ならば心停止免れぬ程の怒りを受けて、騎士は
醜悪な笑みを浮かべ、宣言した。
「王を前に不遜は貴様であろう。
シエル・デ・ル=ユデン!…この『太陽石油王』を前に!」
「太陽石油王だと?」
名乗った騎士は、大袈裟に剣を天に翳す。
透き通るような白き刀身が、光を受けて黄金に煌いた。
瞬間、少女は浴びるように死を感じ脇目も振らずその場を飛び退いた。
閃光が降り注いだのはその直後。
寸前まで居た場所に、幾つもの底の見えぬ穴が開いた。
「晴剣ギラ・ギラスルの暴威を見たか?
これこそ原油採掘剣ドヴァット・デマクールなど及ばぬ王の力!この俺…
ソラト・デ・ル=ユデンの真の…力だ!」
「!!」
ソラト・デ・ル=ユデン。その名は老王コスモ若かりし頃の第一子。
シエルが物心つく前に死んだ、と聞いた。
「死人の名を騙るか、僭称者ッ!」
「察しが悪いぞ、愚妹ッ!俺が「そうだと言っているッ!」
その存在を知り、兄というものに思いを馳せた事がないとはいわぬ。
それを名乗る者が今彼女にこうして牙を向いている。
動揺か怒りか。
意識の隙間を騎士は縫った。
「まずッー」
気付いた時には遅かった。
騎士の刃が胸元に迫る。
回避不能。防御も間に合わない!
打つ手を失った少女には祈りしか残されていなかった。
父上、ごめんなさい。シエルは傀儡の王としてしか―
目を閉じた闇の中、金属音。
悲痛な祈り。
それに応えるものがいる。
何時かは王だった。
それが民である事もあるだろう。
彼女が、真に民を愛した王だったならば。
「義によって助太刀致す」
少女に迫る剣を叩き落し、男は立っている。黒衣が剣風に揺らぐ。
聞きなれないその声、姿に少女は目を開いた。
魔人闘宴劇。亜門光太郎の戯れで当たるはずだった、ただの無名の民ではないか。
なんだ貴様は。その言葉を飲み込む。
何故かは問うまい。彼女は王。
「…褒めてつかわす」
「重畳の至り」
王たる毅然。少女は騎士を見据えた。
突然の闖入者に騎士は怒りを隠さなかった。
「なんだ貴様は」
黒衣の男は答えた。
「武人」
「そんな事を聞いて―!」
騎士の怒号を十字の剣閃が遮った。
紙一重、ギラ・ギラスルが雲血の二刀を受ける。
鍔迫り合い。
騎士の膂力を、黒衣の侍が僅かに上回る。
押し込まれながらも騎士はにやりと笑った。所詮は猪侍!
閃光射撃、必殺の距離。前触れに刀身が煌き─
天より落ちる無数の閃光を、宙に現れた漆黒の盾が受け止めた。
王の加護。
侍は眼前の騎士に対し、獰猛に笑い返した。
「武律!」
鍔迫り合いの最中に意識を逸らせば当然の武理。
騎士の鎧が裂け、赤い血が散る。
―ユデンの魔人の証『アグア・イグニス』のそれでなく。
「ソラト・デ・ル=ユデン…貴方に王の資格はない!」
苦痛に顔を歪ませた騎士が、少女の言に目を血走らせた。
「そうであろう!…この血故!俺は王位を得る事なく!
傀儡の小娘にへつらう破目になったのだ!」
「違う。汝のその在り様こそが、王に足らぬと言っているッ!」
「ほざけッ!」
騎士が腕を振るう。
伏兵が一斉に姿を現し、王へと向けて弓引いた。
「侍!合わせる事を許す」
「仰せのままに!」
原油採掘剣の権能により王の黒血を瀝青<アスファルト>へと錬成。
ばら撒いたそれを九相が素手で加速、射出。
魔人力による柔化を得た弾丸はゴムのように歪み、受けた兵達を拘束。
間合いに矢が入る事すら許さぬまま王は騎士へと告げた。
「終わりだ兄上。疾く裁きを受けよ。
汝には聞かねばならぬ事が山とある。」
大勢はついたかのように思われた。
だが、騎士には奥の手があった。
「…まだだ。見ろッ!
俺に手を出す事の意味がわからぬ貴様らではあるまい!」
ギラ・ギラスルの権能の一つ、迷彩を解いて騎士は笑った。
口を塞がれ必死、目で訴える少女の姿。王の侍女、ディライト。
騎士は侍女の喉元に刃を押し当てた。
「ついに切り札を出したか、下衆め。」
怒りに黒髪を逆立たせながら王は吐き捨てた。
「侍。なんぞ策があるのだろう。出すがいい」
何も言われずともここに来た程だ。恐らくは知恵者に違いない。
アブ・ラーデル18世は堂々と指示を出し―
男は冷汗を流した。
こっ!こいつ!
「アブ・ラーデル殿は何か、ないか」
あれば聞いておらぬ!
恥ずかしい話だが、ディライトが攫われた時点で一杯一杯だったのだ!
彼女が荒れた部屋に必死で残した痕跡より黒幕を見出しただけでも自分で自分を褒めてやりたいというもの。
「「うぅむ…」」
一切の打つ手無し!
二人の沈黙。調子づく騎士。
「貴様らの負けだッ!
跪け…太陽王の剣、ギラ・ギラスルに選ばれた─
この『太陽石油王』の前に!」
悪辣なる宣言を、新たな声が斬った。
「いいえ、負けているのは…貴方です」
第二の闖入。その場にいた全てのものが目を見開く。
九相にも想定外。それは背後。
「市毛殿!?」
「私も、やってみたかったんです。仲間のピンチに現れてみるの。
だから…ついてきちゃいました」
穏やかな歩みで、二人の元へと合流する少女。
少しばつが悪そうにひとみは笑い…続けて、騎士を見据えた。
「侍の連れか。小娘一人!何ができる」
「一人ではない!」
市毛ひとみ、宣言。
「友…感」
侍と王の身体に、力が漲った。
それは実現する力を生み出す和派英語。
『独り』のその先─
友を得た市毛ひとみ、一撃必倒斎の妄念を超えたオリジン。
己のみならず友に力を与える暗示。
「友感動一!」
その言葉を引き金に、三人は同時に飛び出した。
狂える騎士が刃を引こうとしたその瞬間─
彼方よりの一射。
*
標高1537m―新潟県守門岳山頂に射手の姿があった。
キューバ・リブレの入ったスキットルをあおり、スコープを覗く。
『破局への疾走』による思考加速、精密動作。
弾道、風、温湿度。あらゆる情報を演算し、脳の回路を走らせる。
庄部我丸は悪人であった。だが、少女によって救われた。
恩を返さねばならぬ…いや、違う。報いたいのだ、ただその友情に。
ひとみの支払った大金により庄部は保釈され、家族に別れを告げる時間を得た。
ならば、残った自由は彼女とその友のために。
国家の拘束対象である庄部に、出国の許可は下りない。
だから彼は国境を越える狙撃を決意した。
山頂からユデン王宮庭園との距離、直線で約250km。
通常狙撃手の限界射程2.5kmの実に100倍。
「You Can do it」
少女が自分に託した言霊を思い返すように口ずさみ…尿意の弾ける3秒前。
彼は、異端の銃匠モルデカイの長々距離狙撃銃─『武竜哭<Brionac>』の引き金に指をかけた。
*
ディライトを捕える騎士の腕が弾かれた。
解き放たれた少女をひとみが抱えて離脱。
切り札を失った男の顔が怒りに歪む。
「バカな!太陽王の剣ッ!晴剣ギラ・ギラスルだぞ!
ユデンは終わった!ここからはこの俺の時代―貴様ら如きに負けるはずが!」
「「銘がどうした。」」
特別な剣があったとして。
そこに意味を与えたのは剣そのものでは、決してない。
それを使ったものが何を成したかだ。ただ語られるその銘に意味が籠るわけではない。
兄に託された剣があった。
名に相応しくあれ、と兄は言い残し、男はその轍を踏みしめた。
少女が掴んだ剣があった。
王にしか使えぬその剣を、彼女は王であることで満たした。
交差する二刀の剣閃に、更なる一刃!
「「ならば聞け!これぞ我が剣!」」
「ドヴァットー!」
「雲!血!」
「デマクール!!」
其は当然の帰結。
資格なき使い手の振るう剣が、野望と共に砕け散る。
視界に広がる剣の破片に、ソラト・デ・ル=ユデンは幻を見た。
それは在りし日の父の記憶。
『王とは、民を導く灯火のようなもの。
ユデンの日は落ちたあと…建物に優しい火が灯るのだ』
薄れゆく意識の中父の幻影に手を伸ばし、ソラト・デ・ル=ユデンの革命はここに潰えた。
*
闘いは終わり、沈みゆく太陽を背に王は礼を告げる。
「礼を言う。汝らには随分と助けられた」
「シエル様ぁあぁ~」
だばだば涙を零しながら、侍女は王へと抱き着いた。
「あびばどうございま゛すぅ~私のため゛に…みなさまもぉ゛」
「ええい、少し離れぬか!王として当然のことぞ」
侍女をぐいと押しのけようとするが、その手に言葉ほどの力はない。
その様子をひとみは少し羨ましそうに眺め
男は腕を組んだまま、少女達の再会に段落がつくを待った。
「大事な友達だったんですね」
飛び出たひとみの言葉にシエルは「な」と大口をあける。
「市毛殿、それは言わぬが花では」
「…難しいです」
「さて、アブ・ラーデル18世殿。
義は果たした。次は俺達の決着をつける番だ。
王者の信念、敵に不足なし。戦場で向き合う事、楽しみに思う」
市毛ひとみに続き、相手に恵まれた、と男は思う。
だから、告げられた申し出に戸惑った。
「魔人闘宴劇だが…汝が勝ち進むがよい」
「な!」
「な!ではないわ、たわけ!
ユデンにはこの王が舞い戻ったのだ。
革命軍との折衝、兄の尋問─課題は山のようにある。
王が向き合うのは貴様ではない。民だ!」
完全論破。
50億。願い。それと天秤にかけられる程、ユデンの民は軽くはない。
すぱりと断じられ、男は頷くしかなかった。
「だが易々と譲るのも面白くない。よって侍、汝に命ず。
50億持ってまいれ。びた一文まからぬぞ、貧乏人でも払える額だ」
すわ、王族特有の無茶ぶりか。
男の狼狽を少女が解いた。
「持ってきた暁には、我と…我の導く民が作る新たなユデンを見せてやる。観光代だ」
「…必ず」
*
「以上が、魔人闘宴劇…裏の二回戦。結果は彼女の棄権。非公式の録画だけどね」
ユデン王より譲られた、亜門の所有する庭園の一つを映す映像はそこで途切れた。
『凄かったよ!調整、大変だったろう?』
「まあね」
友の賞賛に、亜門洸太郎は照れを隠しながらチャットを送った。
『でも、叶える願いがないんじゃ僕は何も出来ないぜ?』
「そこは、ビックリするものがあるから。楽しみにしててよ」
驚きと頷きの絵文字。
ノートPCを閉じ…彼は高層ビルから夜景を見下ろした。
*
本州へと向かう航路で、彼は海から島の夜景を眺めていた。
─出海九相はかつてゲリラだった。
活人剣を求め、好んで戦場に身を置き弱者の声を聴いた。ユデンもまたその一つ。
民を導こうとした少女への、名も無い民の答えが込められた便箋を─
そう、と海に流した。
最後まで男は名乗らなかった。ユデンに出海九相はなく…王と民がいた。