【廃坑】SSその2


夕暮れ時。街を行く人々の足は、普段より早まっていた。今日は魔人闘宴劇準決勝。優勝候補として名を挙げられていた武闘派魔人同士の好カード。日本中が対決の行く末に注目している。

 もはや魔人闘宴劇は社会現象となり、小学校ではほとんどの女の子が天桐に熱を上げ、ほとんどの男の子が「ニギリコブシー!」と真似をしているほどだ。

 有料のパブリックビューイングには数多の人々が集まり、熱狂し、声を枯らしていた。全国放送は亜門グループお抱えの魔人の能力により全年齢版に切り替えられているが、料金さえ払えば自己責任で無修正版を視聴できるのだ。

「はい!というわけで!大注目の一戦!解説役として、出海さんにお越しいただきました!」

 スタジオに、女子アナと剣豪・出海九相が並ぶ。二回戦進出者のうち、問題なくテレビに出せる達人は彼しかいなかったのだが、存外と気軽に剣豪は解説を引き受けた。

「ずばり!ですね!出海さんはどちらが勝つと思われますか!?」

 直球にもほどのある質問に、出海九相は腕を組み、ふむと一つ考えてから口を開いた。

「俺もまだ境地には至らぬ身故、確かなことは言えぬが…両者とも達人であることに疑いはない。積み重ねた技は嘘をつかん。途方もない時間鍛錬したのだろうな」

 あの色男でもな、と出海九相は呵々と笑う。

「どちらが勝つと断言は出来ぬが、敢えてと言うなら天桐を推す。やはり…剣が拳に劣るとは思いたくないのでな」

 ただ、と稀代の剣豪は言葉を加える。

「…勝ち負けの天秤は薄皮一枚の差であろうな」

 出海九相の慧眼恐るべし。魔人闘宴劇屈指の武闘派同士の戦いは————0.1秒。わずか0.1秒の差で決着することとなる。


■ ■ ■ ■

 一部はホテルにも利用されている国内最大の廃坑。様々な道が複雑に絡み合う中を、安藤は奇襲二色を警戒しながら慎重に進んでいく。

 廃坑内最大の広場中央にて、天桐は待っていた。策を練る様子もなく、瞳を閉じ、ただ優雅に佇んでいた。その姿は、街行くご婦人が目にしたら、ほうと一息溢さずにはいられないほどの耽美さ。

 「…何事も経験とは言うけど、やはり男を待つというのは性に合わないな。これが俺の天使相手ならばいくら待っても苦痛じゃないんだけどね」

 どこまでも洒脱に、天桐は語り掛ける。

 「…正面からか」

 「ふふ、天使が俺を見ているんだ。欠片ばかりでも無様を晒すわけにはいかないだろう?彼女は甘さと無縁だから、男相手に下手な駆け引きをする姿なんて見せたらひらりと去っていっちゃうのさ」

 女が見ているから格好をつけているのだと、臆面もなく天桐は語る。挑発ともとれる軽口を、安藤はじっと聞いている。

 「存外嘘が下手なんだな」

 天桐の眉が狭まる。

 「…違うだろう?」

 ぽつりと一言告げた後、安藤からゆらりと闘気が立ち上る。びしりとファイティングポーズをとる。

 「…どこまでもストレートだね。悪くないけど、俺の好みはウェーブのショートだ」

 冗談を口にしながら、天桐も同様に闘気を返す。

 安藤にとって、戦いは強くなるための手段だ。過程に過ぎない。それでも、鍛錬を積み、武に励む者として、拭いきれない想いがある。

 天桐にとって、戦いが人生というわけではない。世の中には沢山の楽しみがあるなんて痛いほど分かっている。それでも、血に生きる魔剣士として捨てきれぬ欲望がある。


 ———即ち、強い相手と心行くまでやり合いたいという原始的欲求。


 その魔剣に、その魔拳に、互いに魅了をされていた。

 「…やれやれだ。男に胸疼くなんて、本当に嫌なんだけどな。…この疼き、きっちり止めてくれよ?」

 「無論。」

 瞬間、かすかな鍔鳴りの音。挨拶代わりの奇襲二色は、あっさりと躱される。本命は次。白刃が暗闇に煌めく。達人は箸で中空の和紙を両断するという。天桐程の技量があれば、刃を引いた日本刀とて容易く胴体を両断せしめる必殺の威力を持つ。

 その太刀筋、繊細にして豪快。その魔剣を安藤は瞬時に拳で防ぐ。その打撃、豪快にして繊細。

 「ヒュウ、見ると体験するでは大違いだね。繊細な俺の自信にヒビが入りそうだよ」

 「…本物だな」

 軽口をたたきながらも、天桐は戦慄していた。一合のやり取りで確信をした。安藤の拳は自分の居合よりも重いと。

 対する安藤。最低限の言葉を口にしながらも、刹那の攻防で確信をした。天桐の居合は、自分の拳よりも迅いと。


———ここに、魔人闘宴劇史上最も凄惨なる戦いが幕を開けた。


■ ■ ■ ■


 安藤歩をよく知る人間は、彼のことをこう語るだろう。質実剛健、実直一途と。用心棒としての信頼は抜群。困難な依頼も的確にこなし、様々な攻撃にも眉一つ動かさず、捌き、殴り、突き進む重戦車のような漢だと。

 決して揺るがず、焦らず、真正面から豪拳を浴びせつけ、あらゆる困難を殴り飛ばすと。

 …その安藤が、見る影もなく消耗している。体中を切り刻まれ、不格好なファイティングポーズを必死でとっている。

 天桐渾身の袈裟斬りをかわし切れなかった代償として負った、右肩から左の脇腹にかけての切り傷は無残の一言である。ぼとりぼとりと、鮮やかな赤が地に落ちる。

 既に右耳は切り飛ばされた。そしてなにより、安藤のスウェーバックを完璧に読んだ奇襲二色により、左の眼球は破裂させられていた。ぜえぜえという呼吸音を隠す余裕すらない。肩で息をし、立っているのもやっとという有様だ。

 意地と、日々の鍛錬が、今にも倒れそうな安藤を奮い立たせ、蝋燭の最後の炎となり支える。頭に一撃、胸に二撃。襲い掛かる痛みを殴り飛ばすことで応急処置をし、目の輝きだけは失わず天桐を睨みつける。



 天桐鞘一に近しい人間は、彼のことをこう語るだろう。軽妙洒脱にして、英姿颯爽と。カフェバイトという陽の世界と、魔剣士たる陰の世界の境界を、優雅に飛ぶ。女学生の黄色い声も、断末魔とともに噴き出す血潮も、変わらぬ笑顔で浴びている。

 寒い時にこそ温かな笑顔を、暑い時にこそ涼やかな笑顔を。常に飄々とした余裕を絶やさぬ美男子だと。

 …その天桐を象徴するかのような、純白のインバネスコートは、血と、泥と、汗にただ塗れていた。天桐自身も、ねっとりとした脂汗を顔中に浮かべている。

 右のあばら骨は八割方砕けている。ショートアッパーをかわし切れなかった故に、左の鼓膜はパンと破け、血がしたたり落ちている。

 そして、右脚。奇襲二色を囮に使い、繰り出された弧を描く廻し蹴りは、天才的としか表現のしようのないカウンターに迎撃され、足首が粉々になっていた。いつカットされたか、右目の上から血がだらだらと流れ、視界を半分ふさいでいる。

 まさに満身創痍としか言いようがないが、それでも天桐は笑顔を浮かべる。血と汗に彩られた、凄絶かつ淫靡な美しさに満ちたぞっとするような笑顔だった。

 両者ともに負傷甚大なれど、その闘志、いささかも衰えず…!

 あれほど熱狂していた観客も、全国の視聴者も、唾を飲むことすら忘れ見入っている。全員分かっているのだ。決着は、近いと。


■ ■ ■ ■


 砕けた足首では自重を支えることが出来ぬのか、天桐は立て膝の姿勢で安藤を見上げる。通常ならば上下の不利があるのだろうが、居合使いにとって立て膝は十全に力を振るうことのできる構えである。

 「やれやれ、立て膝で居合、片目は見えず柳生十兵衛。時代遅れにもほどがあるな」

 今にも意識が飛びそうであるだろうに、天桐は軽口をたたく。女が見ている前で見栄一つ、意地一つ張れぬ男でありたくない。幽鬼のような肌色にあっても口調は変えない。

 かつてこの身に修めた古典居合の技。横雲、虎一足、岩浪、人中、夜の敵。全てを繰り出しても安藤を仕留めるには至らなかった。もはや小細工は不要。全身全霊をもって挑むしかない。内に秘めた決心は表に出さず、ただ二刀に集中する。


 男二人は同じ結論に行きついていた。即ちここが最終局面。出し惜しみせず全てを注ぐ。


 ――耳が痛くなるような静寂の中、どこかで石が一つ落ちた。からんという軽い音を合図にしたか、天桐が仕掛けた。神速の居合で繰り出したるは、前突き。これまで繰り出していなかった突きに、一瞬動揺しながらも安藤は右の裏拳で止めようとする。

 斬る動作に対してであればその防御に過ちはない。しかし斬撃は線の動きであるが突きは点の動き。加えてこの前突きにはひねりを加えてある。切先は拳を滑るようにして、安藤の胸元に吸い込まれるはずであった。

 瞬時の判断。安藤は頼みとするはずの拳を開いた。開かれた拳は拳ではない。仁義理拳は効力を失う。切先が、ズッと安藤の右手甲を貫いた。

 瞬間、安藤は拳を握る。破壊不可能の拳に刃は取り込まれた。

 「…っ!捉えた!」

 単純な膂力は完全に安藤が上回っている。拳をひねり、天桐から本差を奪い取る。前傾姿勢で繰り出した突き。予想外に攻め手を奪われたことにより、天桐は体勢を崩した。

 そのままの動きで安藤は左アッパーを繰り出す。目指すは前のめりになっている天桐の顔面。剛腕をまともに食らえば致命傷は間違いない。避けるしかない。

 それこそが安藤の狙い。体勢を崩したところに、打ちおろしの右、チョッピングライトを奪った本差ごと決めるつもりだ。最後は右ストレート。自身が最も信頼を置く右拳。

 しかし、天桐は躱さなかった。逆に加速し、拳に顔面から突っ込んだ。伊達男として浮名を流す天桐が、鼻がひしゃげ、前歯がへし折れることも厭わず、ほんの一瞬、安藤のタイミングをずらすためだけに顔面を犠牲とした。

 意識が吹き飛びそうな衝撃に耐え、天桐は脇差を振るう。下からの切り上げ。狙うは安藤の右ストレート。相手の最高の手を切り捨てにかかる。

 これまでの死闘で、安藤が認識する拳の範囲は十全に把握をしている。安藤にとっての拳と腕の境目を違わず切り付ける、まさに魔技と呼ぶにふさわしい一刀!

 安藤の頼みにする、自身の支えである右拳は、握りしめた本差諸共、体から切り離された。今まで自分を救ってきた、全てを殴り飛ばす拳が、あっけなく宙に舞う。

 自身そのものとすら言える拳が離れていく寂寥感に、意識を虚空に飛ばしてしまうことを…一体誰が責められよう。




――安藤が己の拳に意識を飛ばしていた時間は僅か0.1秒(・・・)に過ぎなかった。





 嗚呼、嗚呼、誰が責められよう!顔面を犠牲にした渾身の策、渾身の一太刀が決まり、人生最大の強敵の、文字通り決め手を奪ったことに密かな安堵を覚えることを!




――天桐が自身最高の手応えに酩酊していたのは僅か0.2秒(・・・)に過ぎなかった。




 …その差は、僅か0.1秒。その0.1秒が永遠の重しとなり、勝敗の天秤を傾けた!


 右拳を飛ばされながらも、瞬時に己を取り戻し安藤は渾身の左を打ち込む。天桐はすぐさま納刀をし、奇襲二色を発動させる。薄皮一枚の差が永遠の差となり、安藤の拳が先に天桐の体に到達、真正面から殴り飛ばした。


 …勝負あり。天桐は大きく吹き飛び壁に叩きつけられた。ごぶり、と赤黒い血の塊を吐き、両手足をだらりと落とす。


 「…ハハ、自身を支えるものにすら執着をしないのかい?愛し愛される俺には分からない感覚だね。もう少し、自分を愛することをお勧めするよ」


 最後までスタンスを崩さず、尋常ならざる魔剣士は活動を止めた。血に濡れ、汗に汚れ、泥に覆われてもなお、天桐は華麗であった。


■ ■ ■ ■


 カフェ『プラティーノ』。敗れた天桐は、珍しく沈鬱な面差しをしている。

 「あんたでも落ち込むことがあるの?」

 そんな天桐に木咲は遠慮なく話しかける。

 「フフ、俺だって落ち込むことくらいあるさ。現実とやらは、木咲の珈琲みたいに苦かったようだ。ここは優しく慰めて欲しいところなんだけどね」

 「馬鹿言わないで」

 乱暴な物言いをしながら、木咲は珈琲を置く。

 「…テレビでごついのとやり合ってたけどさ、あんた結構楽しそうだったじゃない」

 「嫉妬でもしてくれたのかい?私以外の人と楽しくしないでって」

 「…その元気があるなら大丈夫ね。明日から普段通りに出てきなさいよ」

 くるりと、天桐に背を向け、木咲は作業に戻る。

 「相変わらず俺の天使はつれないね」

 呟きながら天桐は珈琲を飲む。



――その珈琲は、少しだけ甘くしてあった。





安藤歩:決勝進出。能力の完成は近い。

天桐鞘一:最強のカフェ店員として店の売り上げに多大な貢献をする。

葦原木咲:最近急に美しくなったと常連の間で話題だが、アプローチしようとする命知らずはいない。
最終更新:2018年08月12日 21:01