「ここも外れ、か」
4階の捜索を終えた少女ーーアブ・ラ―デル18世は呟きと共に黒剣を一振りした。
刀身よりアスファルトが精製され、立体駐車場と同化する。
二、三度踏みつけ、彼女は次の階に向け上り坂へと歩を進めた。
1階から始まったこの探索もようやく次で折り返しだ。
この階層移動の時ばかりはやや心にゆとりが生まれる。
敵は乗り物を自在に出し入れできることがわかっている。
故に自動車を見ればその全てに対し、注意を払う必要があった。
(気に喰わぬ)
戦いの主導権を握られているという事実が王たる彼女の自負を傷つけていた。
…だが、苛立ちの理由はそれだけではない。そもそも此度の対戦相手は…
「…うぉっ!?」
5階に足を踏み入れた直後、石油王は思考の中断を余儀なくされた。
それはこの立体駐車場において到底看過できぬ異物。見紛う事なき異常!
存在感際立つカラーリング! 異常に低く細長い車体! 後部についたかっこいい羽みたいなやつ!
彼女の目に飛び込んで来たのは、誰がどう見てもF1カー!
動揺によって生じた僅かな硬直。
それは彼女がこの試合で初めて見せた隙であり、敵が待っていた瞬間でもあった。
この瞬間、周囲の乗用車の陰から一つの影が飛び出した!
ご存知、黒羽イト! レースクイーンの衣装に身を包み、さながらF1カーのような勢いで王へと迫る!
一瞬で間合いを詰めきり、王の背中へと拳を叩きつけーー
つるるんっ!!
ーー叩きつけ、られない! イトの拳は柔肌の上を滑るのみ!
よく見れば石油王の全身は薄いオイルによって覆われている。
それはアブ・ラーデル家に代々伝わる宮廷武術。
蹴打封殺の魔技ーー
ーー石油王・血装闘法である!
「愚か者めが!」
姿勢を崩したイトの背に向け、燃え盛る大剣が振り下ろされる!
≪hello works≫
金属音が鳴り響いた。
イトが召喚した水族館の備品、背に負った酸素ボンベに剣が深々と突き刺さる。
「なっ…」
瞬間、ボンベが破裂した!
☆
「ゲホ、ゴホ…ふん、流石に一筋縄ではいかぬか」
石油王は煙を掻き分け、前方を睨みつける。
視線の先には不敵な笑みをたたえた黒羽イト。
ボンベの破裂に乗じ、刀剣の間合いから脱したのだ。
しかし。
(僅かだが背中を庇うような姿勢。笑みも虚勢か)
そう、それはただ脱しただけだ。引き換えに相応のダメージを負っている。
(勝機!)
石油王の背面より炎が噴き出し、瞬間的に加速した!
油膜に覆われた素足がアスファルトを滑る。
「灰塵と化せ!」
横薙ぎに振るわれた大剣から巨大な火球が放たれイトを襲う。
≪hello works≫
「この夏で差をつけろ!」
塾講師のアルバイト! 召喚したホワイトボードの端をつかみ、猛烈な勢いで振り抜く!
巻き起こる突風が火球を霧散させるも、そこに敵の姿はない!
炎を目暗ましに、そのとき既に王は地を滑っていた。
視界に入らないほどの超低空オイル・スライディングを経て、炎斬が繰り出される!
≪hello works≫
胴を二分せんと放たれたその一撃は空を切る。
イトの身体は宙を舞っていた。
フィットネスクラブの備品、トランポリンによる跳躍!
「頭が…高いわぁ!」
地を滑っていた王が爆炎により急停止! そして垂直に急上昇!
空中で身動きのとれぬイトを抱き寄せ、強く締め付ける。
「ぬ、ぐううっ…!」
拘束を破らんとするイトの身体はもがけばもがくほどに締め付けられーー
次の瞬間前方へ勢いよく射出された!
「おあああああ!!??」
空中で投げ出されたイトは物凄い速度で地面へと叩きつけられ…ない!
勢いをそのままにして、アスファルトの上を滑っていく!
それはまさに先程石油王が見せたオイル・スライディングのようなーーまさか、この短時間で会得したというのか!
「ぬおおおおお!!??」
明らかに違う! これは滑っているのではなくーー滑らされているのだ!
先ほどの拘束の折、イトの身体にはオイル・レスリングの胆である潤滑油が塗り込まれていた。
当然、彼女の摩擦係数はいまや0に近い!
人間ボブスレーと化したイトが階下へと続く坂道に至り、さらにスピードが倍増!
このままでは坂道を下った先の壁面に叩きつけられること必至ーーいや待てあれは!?
つるるんっ!!
イトの軌道が直角に折れる!
そこにあったのは、アスファルトにて形成された即席のカーブ!
これはどう見ても、本来この場に存在しない地形!
つまり石油王の能力により生み出されたものに違いないのだがーーまさか、試合開始直後からこの展開を予想していたとでもいうのか!
「かかったな阿呆が!」
ご明察! 彼女は1階から順に索敵しながら、この仕込みをして回っていたのだ!
つるるんっ!!
「あひいいいい!!??」
またしてもイトの軌道が変化!待ち構えるのは坂道!スピードは倍増!
これは…パターンに入っている!
四階、三階、二階…息つく暇なく階層を下っていき、スピードはその度に増していく。
坂道を下りきった先にあるものは、立体駐車場の一階出口!
このままいけばイトの場外負けである!
≪hello works≫
敵の攻撃意図を察したイトは、滑りながら油にまみれた服を着替える。
纏うは土木作業員のつなぎ。
しかし油を除いても、慣性までは殺せない。
イトの身体は固いアスファルトの上を猛烈な勢いで転がっていく。
「いだだだ痛い痛い痛いっ!!!」
全身に擦り傷と打撲を負いながら、懸命に備品の杭打機をアスファルトへと突き立てる!
凄まじい破砕音を伴い、地面を割り砕きながら急ブレーキがかかる。
数メートルかけてなんとか静止したイトの眼前には、炎刃!
「甘いわぁ!」
それは文字通りの追撃であった。
爆炎加速と潤滑油を駆使し、イトの後を追ってきていた王による刺突炎撃!
地に横たわるイトには回避不能! 次の瞬間ーー
≪hello works≫
「あっぎゃっ!?」
悲鳴をあげたのは、石油王!
杭打機による亀裂を支えに、彼女の腹部に突き立てられたそれは。
「竿屋…。 竿…竹…っ!」
物干し竿である!
直後、竿が弓なりにしなり、その反動をもって王を吹き飛ばした。
☆
「ぐ、おお…おのれぇっ!」
石油王はよろよろと立ち上がり、剣の切っ先をイトへ向ける。
整わない呼吸。腹部に残る激しい鈍痛。
内臓を負傷した可能性が頭をよぎる。
対するイトも立ち上がるが、一瞬足元がふらつく。
一矢報いたとはいえ、蓄積されたダメージは明らかにイトが上。
だがその顔には不適な営業スマイルが浮かび、眼は未だ光を失っていない。
その不遜な態度が王を更に苛立たせた。
「気に食わぬ」
試合中、彼女は常に苛立っていた。
実際のところ、それは試合開始前から燻っていた怒りであった。
「貴様のことは調べあげたぞ!」
否、調べたのは侍女のディライトである!
「この道化が! 物見遊山で戦場を穢すでない!
我の…我らの死闘と覚悟を愚弄する気か!」
故郷を追われた日のことが、河渡六文との戦いが、出海九相との戦いが…王の脳裏に浮かびあがる。
「…なに…?」
不意に…戦場の雰囲気ががらりと変わった! これは彼女が二回戦でも見せた、必勝の型!
相手のデリケートな部分を口撃し、それに対して相手が図星をつかれた感じになるもすぐに自己分析・克服へ繋げ結果的に昇華、以ってパワーアップ! これに応じて石油王は先程の罵倒を撤回し相手を認め、その上で正々堂々叩きのめすという黄金パターン!
「我は野望の成就を願い、覚悟をもって剣を握っておる!
それに比べて貴様はどうだ!? 下らぬ願いだ…妹の誕生日プレーー」
「ちょちょちょちょっと待て!!!」
慌てるイト! あっさりと営業スマイルが崩れた!
「不敬であるぞ! 王の言葉を遮るでない!
いいか、妹の誕生日プレーー」
「いやほんとに待ってくれ!! テレビ! これ! テレビ!」
誕生日プレゼントの件はあくまでサプライズ! こんな全国放送の場で言っていいことではない!!
だが王の口は止まらない!
「ええい、黙って聞かぬか!
いいか、ゲーム機などという下らぬーー」
「そっちこそ少しは聞いてくれ! ひ、人の気持ちとか分からないのか!?」
「…は?」
初めて、王の言葉が止まった。
『人の気持ちとか分からないのか』
イトの言葉が偶然にも王のデリケートな部分を突いたのだ。
まずい…必勝の型に揺らぎが生じた!
☆
(何を馬鹿なことを)
無論、即座にそう切り捨てるつもりだった。
だが、思いとは裏腹に口が動かない。
代わりに脳裏をよぎるのは、これまでの軌跡。
『口答えするな! 我のみならず我が王家の血をも愚弄するか!』
身を案ずる忠臣を感情のままに叱りつけた。
『ふざけるな。貴様のような下賤な者と一緒にするな』
事情も知らぬ相手を下賤と決めつけ蔑んだ。
『そんな下らないことのために、我が野望を邪魔立てされてなるものか!』
深く知りもせず、壮絶な覚悟を下らぬと断じた。
国を追われたあの日から、彼女はずっと苛立っていた。
それは理不尽への怒りであり、己の無力への悔しさであり、現状への焦りであった。
その感情は14歳の少女としては当然のことだっただろう。
だが、彼女は王だ。自らが、民のための王であることを選んだのだ。
だから今こうして戦っているのだ!
なればこそ…イトの言葉を切り捨てられなかった。
民の気持ちに寄り添わぬ者が、民のための王でいられるのか。
彼女は今、王として重要な岐路に立っていることに気付いたのだ。
☆
(こんな形で、気付かされるとはな…)
激情を収め、苦笑いのような表情でイトを見据える。
「…非礼を詫びよう。慮りに欠けていた」
「えっ急に物分りがいいな!? こっちこそ怒鳴って悪かった!」
漂う仕切り直しの雰囲気!
こ、これはまさか…相手のデリケートな部分を口撃し、それに対して相手が図星をつかれた感じになるもすぐに自己分析・克服へ繋げ結果的に昇華、以ってパワーアップ! これに応じてイトは先程の罵倒を撤回し相手を認めその上で正々堂々叩きのめすという黄金パターンに入ってないか!?
つまり、二人の物語は最早クライマックスというわけよ!
☆
王は大剣を振り上げた。
剣の持つ精製機構が彼女の血を高速循環させる!
石油王・灼熱血起
褐色の肌が上気し、紅く染まる。さながら灼熱の太陽。
体温上昇、一時的な運動能力向上。
≪hello works≫
一方、イト。
天然由来の麻の服に身を包み、ゆらゆらと腕を動かす。
脱力しながらも、隙のない構え。
両者数メートルの距離を挟んで膠着する。
やがて訪れた契機。示し合わせることもなく、両者は同時に動いた。
「陽光眩ます石油の灯!」
爆炎加速・剣技・滑動…全てが集約された一撃がイトの胸へと吸い込まれる直前ーー
「お客さんリンパ溜まってますね!」
「あふん!?」
カラン、と音を立てて宝剣が床に落ちた。
直前まで剣を握っていた右腕には、イトの掌が添えられている。
それは心と身体を揉み解す者。オイルマッサージ師のアルバイト!
剣を拾う暇すら与えず、全身揉みほぐしコースが始まる!
「お仕事大変ですか?」
「ひゃっ、貴様何を」
「たまには体を休ませてあげなきゃだめですよー」
「やめっ…やめよ…」
「ここ押すと胃荒れに効くんですよ」
「あーそこ…うむ…」
戦いの疲労も相成り、僅か数秒といえど王は無防備に隙を晒してしまう。
されるがままに胸元を撫でられ、オイルを掻き分けられ…
気付けばそこには、護りを失った素肌があった。
「…っ!」
急激に頭が冷える。それは致命の隙に違いない。
だが弛緩しきった身体では、次の一撃を回避不可能。
(…オイルには…こんな使い道も…)
胸に突き刺さる最後の一撃を見届けながら、王の意識はゆっくりと閉じていった。
ーー勝者、黒羽イト!
☆
ーー試合翌日!
「たまには休まねば駄目だぞ、ディライト」
「シエル様…っ」
そこには見よう見まねのオイルマッサージで従者を労う王の姿があった。
従者の瞳には感動の涙が浮かぶ!
「ふふん、泣くほど気持ちよいか。
…いつか国へ戻った暁には、クロマックの奴にも施してやるかな」
「えぇ…きっとお喜びになりますよ!」
☆
同時刻、ユデン城の執務室にて。
「くしゅんっ」
書類の山に囲まれた男が鼻をすすった。
男の名はオレガ・クロマック。
革命を平定し、王の凱旋を待つマジで有能な騎士団長!
名前で誤解されやすいが、王国一の忠臣である。
「ううむ、我が王は無事に逃げ延びただろうか…
いや、弱気になってはいかん。王が戻るまでに国を安定させねばな!」
ユデンの明日は明るいぞ! 今日も今日とてハッピーエンド!