「うええ、何やってるのこのバカ姉は……」
SNSを染めるトレンドの嵐に、黒羽マキは頭を抱えた。
手中の画面にはトラップ満載のダンジョンを涙目で駆け抜ける姉、黒羽イトの勇姿がありありと映し出されている。
「魔人闘宴劇? 優勝したら何でも望みが叶う、って……」
机に突っ伏し、脱力する。
わかっている。
姉が理由も告げずに行動するときは必ず……黒羽マキ、彼女のためを思ってのことだと。
「何だか知らないけど、私が望んでいるのはそんなことじゃないのに……」
両親が仕事のしすぎで爆発してからというもの、姉は家を空けがちになった。
生活のためとはいえ、血の繋がった姉妹としてどれだけ会話を交わせていただろうかと、マキは自問する。
仕事のしすぎで爆発するって何?
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「……誰だろ?」
当然、姉ではない。
そして門から玄関まで1kmある豪邸に訪ねてくる者は多くない。
「はーい。どちら様で……きゃあっ!?」
――その日以降、彼女が家に帰ってくることはなかった。
鋼鉄の柱が縦横に走り、臓腑に幾千の鉄馬を孕む。
鉄と油の要塞たる巨大駐車場に、石油王アブ・ラーデル18世は立つ。
車両から漂うガソリンの香りは、母なる郷土の風にも等しい。
「……」
心によぎる一抹の不安は、先日の試合以来、姿を見せていない侍女ディライトの行方だ。
だが……今は目の前の試合に集中すべし!
「相手が誰であろうと……不足なし!」
王は漆黒の剣を床に突き立て、下降するエレベーターを見据えた。
果たして、威風堂々ワンボックスカーの屋根に立つ人影が上階より現れる。
流麗なスーツに身を包んだその姿。
毎週日曜9時放送(一部地域除く)でおなじみ変身ヒーロー、ガイアファイター・ショウである。
「え? 本当に誰……?」
素で困惑する王に、ヒーローは答えた。
「バイトの者だ!」
言うや否や空中高く回転跳躍、不自然な超加速の飛び蹴りを繰り出す!
「ロケットドリルライダーキック!」
「ウワーッ!?」
初手から超必殺技だ!
その圧倒的な主人公力に主題歌がBGMとして流れそうになっている!
「ぶ、無礼者めが!」
一瞬の交錯。
コンクリートに破壊痕を残す苛烈な蹴撃をかわしつつ、敵のマスクに一撃を与える。
割れ落ちる仮面の下から現れた、無駄に出来のいいその顔は……
スーツアクターバイト戦士、黒羽イト!
やっぱりお前か!
「悪を……許さない!」
「ええー……?」
石油王は訝しむ。
敵の様子がどうもおかしい。
いや無論こいつは常日頃からおかしいのだが……そういうジャンルのおかしさではない。
眉を吊り上げ歯を噛みしめる悲愴な表情は、いつも前向きで活力あふれるアルバイターの顔ではなかった。
「ごほん。我らは共に相反する志を抱くもの。だがそれを悪などと呼ぶことはまかりならぬ。正々堂々剣を交えて決闘すべし!」
王の呼びかけにも、イトは拳をわなわなと振るわせて叫ぶ。
「……ふざけるな!」
≪hello works≫
怒声と共に、イトは家庭風食堂『めまい』調理人の割烹着へと着替えた。
「お前が! その口で、正々堂々なんて!」
「何を言っておる! わけがわからん!」
秒間20食もの刺身定食(並)を生み出す手捌きで、イトは柳刃包丁を投擲する。
剣を盾に身を低く、王は投刃をかわす。
すると頭上の死角から、ガラス片と共に液体が降り注いだ。
「あちらのお客様からです!」
気づけば既に、イトの衣装はバーテンダーへと変わっている。
酒瓶を天井へ投げつけて割ったのだ。
(この匂い……スピリタスか!)
高純度のアルコールに全身をしとど濡らした状態で炎を用いれば、己が身を焼くことになるだろう。
しかし、死闘を経た王の手には、第二の武器がある。
「我が声に応えよ……CO2排出剣、ドヴァット・デマクール!」
大剣の内にて、自らの黒血を燃やす。
生じた小爆発は渦巻く旋風となり、揮発性の液体を吹き飛ばした。
「受けてみよ!」
黒剣に炎が灯る。
対するイトはうなぎ屋の装い。
串打ち三年裂き八年、過酷な修行を彼女は一日で成し遂げた。
ウナギの絶滅を千年早めたその投げ串を焼き切りながら、王は加速する。
だが剣の間合いへと踏み入れた瞬間、突如悪寒が生じた。
「チケット確認いたします!」
イトの手先が揺らぎ、空を切る。
チケットもぎりの貫手。
寸前で足を止めねば、間違いなく腕ごと剣をもぎられていた。
その逡巡の隙を、見逃すバイトなどいない。
「もらったっ!」
これこそが本命!
街角調査員と化したイトは、手にした用紙の束をバインダーごと……王の顔面へと叩きつける!
「アンケートにご協力ください!」
「ぶえーっ!?」
一撃必答!
20ページに及ぶアンケート用紙に、王の高貴な鼻血が回答を記した!
Q1――あなたは黒羽マキを誘拐した?
はい
多分そう
分からない
多分違う
〇 いいえ
「何! 誘拐!?」
「う……うおおお!?」
暴かれたQ&Aに、二人の戦士は狼狽した。
「答えよ! 何が起こっておるのだ!」
「『いいえ』だと!? ばかな!」
役目を失った残り99問を破り捨て、イトは狂わんばかりに叫ぶ。
「監視カメラの映像があるんだ! お前のメイドが……マキを連れ去る姿が、はっきりと!」
「なっ……ディライトが!?」
幼き頃から誰よりも近くにいた忠臣が、まさか。
違う、そんなはずはないと、王は自らに言い聞かせる。
だがイトの迫真の叫びは、嘘や法螺とは到底思えなかった。
「そんな……これでは、マキを助けることが『できない』……いや! そんなわけない! 『できない』は嘘つきの言葉なんだあっ!」
鈍化する主観時間の中、イトの思考は職種を探し求めた。
≪hello work≪hello w≪h≪h≪hello works≫
「これは!」
石油王の目前にて、黒羽イトの姿は千変万化、目まぐるしく移り変わる。
「いらお届けまたようこそ本日ダァお気をウシャーッ!」
「ウワーッ!?」
書店員/花屋/ウェイトレス/引っ越し業者/コスメ販売員/清掃員/弁当屋が、石油王へと襲いかかる!
「お、落ち着け……話を聞かんか!」
「フーッ! フーッ!」
「わあ……」
完全に我を失いアルバーサーカー(※バーサーカーなアルバイターのこと)と化した黒羽イトを見て、王は逆にちょっと冷静になった。
これほどのオーバーワーク、長く維持できるはずもない。
現に過労による発熱か、イトの体から幾筋も煙が上がっている。
(む。この現象、どこかで見覚えが……)
その視界から、イトの姿が消えた。
「が……」
間髪入れず、等身大クウネル人形になぎ倒される。
衝突の瞬間、イトの目から流れ落ちるものを王は見た。
(黒色の血涙……まさか!)
吹き飛ばされた王の小さな体が、乗用車のフロントガラスを破壊する。
ボンネットに身を預けたまま、王は狂労働者へと呼びかけた。
「やめろ……働きすぎだ。体が耐えられぬぞ。このままでは、爆発する!」
イトの全身はいまや破裂しそうなほど熱を帯び、黒い煙を上げている。
「黒羽イト。そなたも、石油王の血を継ぐものであったか!」
そ、そうだったのか……これでつじつまが合う!
イトの両親が爆発したのは、体に石油が流れていたせいだったのだ。
人間が仕事のしすぎで爆発するわけないだろ!
ひどいこじつけだって? そ、そんなことない!
ほら、ちゃんと
キャラ説にも『王子のような雰囲気』って書いてある!
「黒き血族よ。思い出せ! そなたの守るべきものを!」
白く染まるイトの視界に、走馬灯のごとく記憶が蘇った。
泣いてばかりの妹の手を握る日々。
黒羽イトは何故働くのか。
それは、妹の笑顔を守るためではなかったか。
「う……うわあああ!」
イトは叫んだ。
全身から噴火口のように噴き出す蒸気に、石油王は腕をかざして顔を覆った。
「う、うう……」
やがて煙が晴れた中心にいたのは、ワイシャツにジーンズの普段着で床にくずおれる……『無職』の黒羽イトであった。
「マキ、ごめん……ごめんね。『できない』……できないよ」
黒羽イトは床に突っ伏して、泣いた。
「もう二度と、マキを一人になんて……できない」
その時である。
イトのワイシャツ胸ポケットから、場違いな電子音が鳴り響いた。
「……! も……もしもし!」
猫科動物のごとき俊敏さで姿勢を正すと、携帯電話を取り出す。
『あ……やっと出た。もう、お姉ちゃん今まで何して……』
電話口から、少女の声が聞こえた。
「マ、マ、マキ! マキなんだな! うわあああ! 無事かっ! 無事ーッ!」
『え、うわ……うん、大丈夫だよ』
「よ……よかったぁ~……うう、お姉ちゃん、ぐずっ、もうだべかと……うえっ」
人目もはばからず涙をこぼすイト。
「お、おぬし……まさか……」
その奥で、石油王は怒りに震えた。
「今までずっとバイトの服でいたから、電話に気づかなかったというオチか! アホか、貴様!」
バイト中はスマホ禁止!
社会人の常識だ!
『……その声! シエル様ですか!』
すると、電話の向こうにもう一人。
「ディライト! ディライトもそこにおるのか!」
『あ、初めまして、黒羽マキです。ええと、なんか変な鎧の人たちに絡まれていたところ、ディライトさんに助けて頂いて……』
『シエル様、私の独断でご迷惑をおかけしたこと、お許しください。ご武運を……!』
石油王アブ・ラーデル18世は、一度でも彼女の忠誠を疑った己の不甲斐なさを恥じた。
「うむ。ありがとう、ディライト」
迷いを断ち切るように剣を構え、もう一人の戦士へと向き合う。
「……これで一切の遺恨は無し。決着をつけようぞ」
黒羽イトは立ち上がり、石油王の目をまっすぐ見返した。
「おぼぼべば」
「何言ってるかわからん」
袖で顔じゅうの涙と鼻水を拭き、仕切り直す。
「望むところだ!」
目元の腫れた、だが晴れ晴れとした顔で、イトは笑った。
「……バイトは、もう卒業だな。気づいたんだ。今の私に必要なもの。それは……妹を安心させる、安定した生活!」
≪hello “the” work≫
イトは土木作業員へと姿を変えた。
その立ち振る舞いに溢れる自信は今までの彼女の比ではない。
おお、胸に燦然と輝く社章を見よ!
「そう! これからの私は『正社員』だ!」
正社員!
あの……固定給だしなんか保険とかも入りやすいという、上位存在!
副業禁止の契約と引き換えに、イトは大幅なステータス値上昇を果たしたのだ!
「ご迷惑おかけしております!」
「な……」
出現したショベルカーの一撃が、駐車場の天井を打ち砕く!
上階に駐車していた何十台もの車が、雪崩のごとく石油王へと襲い掛かった!
「ぐ、ぐああ!」
ついでに、イトの頭上にも降り注いだ!
「あわわわわ」
イトは慌てて交通整理員へと姿を変える。
落下する車両の雨あられを安全誘導棒で巧みに交通整理し、難を逃れた。
「えっ? 副業禁止……おま、『正社員』はどうした!」
「あ……あれだ! そう、『転職』したんだ!」
「うわ、ずる……ずっる!」
ほうぼうの体で瓦礫から抜け出した石油王は、怒りもあらわに大剣を床に立てる。
「逝くぞ。もう本当、これで終わりだ……」
大破した車から流れ出るガソリンの油だまりから、原油採掘剣は貪欲に燃料を吸い上げる。
頭上高く掲げた剣は、天にも届く業火の松明となって室内を朱く染めた。
「ドヴァット・デマクール――フルフエル!」
石油王が、原初の叡智たる炎の剣を振るう。
全てを焼き尽くす炎が、渦となってイトへと迫る!
「あ……赤信号通ります!」
イトはただちに消防隊員へと姿を変える。
多分バイトとかないが……正社員だからこそ可能となった職だ!
消火器を手に、ノズルを固く握りしめ、噴射!
石油王の炎と消防隊員の消火剤が、空中で押し合い拮抗する!
い、いけーっ! そこだ! ボタン連打!
「……黒羽イト。そなたは強かった。それは守るべきものがある故の強さだ」
だが数千リットルものガソリンを飲み込んだ極大の炎が、徐々に消火剤の勢いを打ち負かしていく。
「ぐう、マキ……」
「だが我は、すべての民を。そしてそなたをも守る、至上の王となろう」
やがて、消火器は断末魔のごとく最後の一滴を絞り出した。
荒れ狂う炎が、イトの全身を飲み込む。
黒羽イトの内に流れる黒血が、その着火点を突破し――
(……ごめん)
爆発、しなかった。
石油王の振るう空刃が、全身の炎を吹き飛ばしたのだ。
イトはゆっくりと床へと崩れ落ち、動かなくなった。
目を閉じて伏すその姿は、安らかに眠っているようでもあった。
「黒羽イト。今はただ、休め――」
魔人闘宴劇、第三回戦。
王と労働者の戦いは、かくして決着した。