「決勝の晴れ舞台って言葉は嘘だな。こんな大嵐の中でラストダンス? 正気の沙汰じゃない。あの彼なら、拳でこの黒い天蓋も晴らせるのかな?」
鞘一は左手を柄に添え、天を見上げた。
廃坑での青空とは対照的に、夜闇と分厚い雨雲が空を黒く塗り込める。禍々しく荒れる風雨にも阻まれ、鞘一の希望は、隠れて見えない。
吹き荒ぶ強風は橋の中心に立つ鞘一の白い外套を強くはためかせ、主塔より張られた無数の鋼線をもごうと揺らす。だが、鋼線の張力と太い橋脚の2つに支えられた堅橋は、この荒天にも揺れぬ。
鞘一は視線を水平に戻した。視界が夜雨に遮られる中、白く立ち込める蒸気が一際目を引く。蒸気の中心には、燃え盛る原油採掘剣を佩く、褐色の少女の姿があった。降りしきる雨は黒剣の熱気の前に蒸発し、歩を進めるたび、蒸気が王輝の如くたなびく。
「傘要らずとは羨ましいね。それも王様の特権ってやつかな? でも嵐の夜だぜ、不意を打つにはこれ以上ない絶好の条件だったと思うけど」
「痴れ者が! それは石油王、アブ・ラーデル18世の振舞いではない。むしろ斯様な行いは貴様の手だろう。何故王前に顔を見せる?」
「美しい花は切り落とす前に眺めるタチなのさ。それに、お客様に顔を見せないのはホール担当失格だしね。ともあれ最後の戦いなんだ、お互い悔いは残さないようにしたいだろ?」
言葉と同時。鞘一は姿勢を低め、脚の伸びを効かせ跳ねるように駆ける。すれ違いざまに鞘から放たれる一刹那の風斬音。刃を黒く染める事なく、血濡れすら置き去りにする高速斬撃。
その一撃はしかし、炎剣の一振りで瞬間生成された、瀝青の壁を両断するに留まる。
「謀れると思ったか。その吟遊詩人の舌は、狩人の眼を隠せてはおらぬ!」
王は黒剣を悠然と構える。
「貴様の卑剣は、我が貴剣に届かんぞ。王に届かせたくば、全霊の曲芸でもてなすのが道理よ、奇剣士!」
「俺を誘いに乗せるには十年早いかな、お嬢さん。君の特別な血筋が問題だ。手を出して傷でもつけたら、火傷じゃ済まさないんだろ?」
鞘一の返答に、王は眼を細め鷹揚に頷いた。
「――貴様は存外、察しが良いな」
両者の確信の通り、鞘一は『奇襲二色』で、今彼女を攻撃してはいけない。
もし彼女の体内に刃を同期したならば、裡に流れる『火の水』は、逆に鞘の内部へも揮発ガスを同期する。その状態で高速の納刀を行えば、擦過による起爆は当然、鞘一に甚大な被害をもたらす。
「君の方は察しが悪いな。俺の真骨頂は対人スキルだけど、奇襲二色にとってはそうじゃないんだ」
彼は左手を柄に添えたまま、右手で抜刀の備えを――『奇襲二色』の構えを見せた。
嵐中の橋上、風鳴りにかき消されるような鍔鳴り。歩道の鉄柱が穿ち断たれ、支えを失った街灯は質量弾として、王の頭上に落下する。
「石油王岩刺!」
群れる雑魚を調理するような連続刺突が、街灯片を迎撃、打ち砕く。
――確かに、裏社会で武を生業にする者の経験と狡知である。王は追懐する。だが、河渡六文には及ばぬ。
再びの至近への踏み込みは、瀝青の壁で防げぬ至近距離。鬼速の抜撃が放たれた。
「自動変速機油!」
速度と質量の配分を自在可変する油圧駆動剣が、軽捷な冴えで凶刃を阻む。
――確かに、刀を得物とするに足る技量と剣速である。王は喚想する。だが、出海九相には及ばぬ。
交錯の後、鞘一は刀を抜き、投剣。それに意識が向く間隙を突き、彼は足払いを仕掛け、同時に鞘を握り王へ突き出す。鞘内の雨水が、視界を塞ぐように広がる。
「――流油一条!」
不可視の空刃たるCO2排出剣は、迫る全ての小細工を、熱波の矢で吹き飛ばす。
――確かに、何をしてくるとも知れぬ多彩なる怖さがある。王は想起する。だが、黒羽イトには及ばぬ。
三者それぞれの強みを兼ね備えるものの、それ故か一つ一つが軽い。そう彼女は断じた。
「スペシャルティ禁止とは言え、何時もの三倍働いて趣向をこらして不動無傷か」
吹き飛ばされ水溜りに転がった鞘一が、投げた刀を拾い上げ起き上がる。
「多彩なレパートリーで胸焼けしそうだよ……油脂の使いすぎだ。うちの店だったら生クリームを使うところかな」
左手を柄に添えたまま、右手で刀身を鞘に収めた。純白のコートも端正なマスクも、今や泥水と石油をしとど浴びているが、黒き汚濁に塗れても、涼しい顔を崩さない。
「戦場でその気安い囀りは度が過ぎるぞ、浮かれ烏」
黒濡れた優男の姿を認めながら、褐色の石油王は朗々と宣った。
「だが過去と今の健闘を評して、その無礼を許そう。それが王の振舞いだ!」
才や言の一つ一つが軽く感じられようとも、王にとって眼前の男は越えるべき蒸留塔の一つ。
「最後の相手としては少々酸素が足りんが、17代の父祖より継ぐこの血と、王家の秘宝たるこの剣にも誓って油断は無い! 我の悲願……祖国復興の礎となれ!」
王の気風ある口上に、剣士は落ち着き払って言葉を返す。
「持って回った言い回しだけど、要は祖国の為に剣を握ってるって事だろ? 成程、なら勝機は見えたよ。自分の為に戦ってない君の剣は、俺が戦った他の誰よりも軽い」
「……はあああ!?」
「き、貴様……言うに事欠いて、どの口が貴様……貴様! 鏡見たこと無いのか! 愚弄にも程がある! よくも自分を棚上げして言えたな! というか持って回った言い回しに情熱注いでるのは明らかに貴様だろ!」
「別に熱に浮かされて言った訳じゃないさ。国の為、血の為、王の責任とかそういうのってさ、つまり戦いを強制されてるって事でしょ。古いお仕着せの呪いだよ。そんな窮屈なの楽しいかい? 恋をする余裕も――」
「……不敬なッ!」
全て自らが選んだ道だ。それを横合いから諭されても、不愉快極まりない。
(……そうだ。気に入らぬ)
彼女は自省する。
(気に入らぬ……我自身がだ! 『押し付けられた名』! 『お仕着せの刀』! 自らを棚上げし、そう出海九相に言ったのは、他ならぬ我が身の無礼ではないか!)
鞘一の柄上の左手が、残像と共に消える。抜刀ではなく、平手。視界を塞ぐように顔面に叩きつける。同時に鞘上の右手は、逆手で脇差を、斬り上げる様に振り抜いた。
視界を封じ、脳震盪さえ起こしかねない素手の一撃と、本命の陰打ち。仕掛けた鞘一をして、会心の疾さの交差撃である。
「むぐっ……!」
王は致命の斬線のみを石油王八つ裂き光輪にて逸したが、顔面は直撃を受けた。脳髄が激しく揺さぶられる。
それが切っ掛けかは、果たして定かではないが。顔を上げた少女の眼には、まるで惑いの色はない。
「感謝はせぬが、醒めたぞ、剣士よ……気に入らぬことに変わりはないが。なれば我はこれより、我自身の思いを知らしめよう!」
その双眸は、純粋なる漆黒の決意の色である。
「我はシエル・デ・ル=ユデン1世! 石油王である前に、王であるぞ!」
シエルの握る剣が応えるように哭き、どす黒い刀身が剥がれ落ちた。タールのような濁った黒ではなく、澄んだ夜空のような黒。柄には金色に輝く、荒ぶる石油輸出刻機構の聖刻。
それは脈々と継がれた原油採掘剣ではなく、シエルがための剣であった。
言うなれば、彼女を祖とする剣――原油試掘剣・聖なる黒!
「心酔しても構わんぞ! 王には臣の崇敬を受け入れる余裕があるからな!」
「生憎と、俺は王様よりお妃様に入れ込んでてね、余裕がないのさ」
シエルの血を吸い上げ、黒は蒼き炎を纏った。天まで尾を引く蒼炎は、最早石油王の炎刃とは呼べぬ。全てを炭化させる超温が敵を払い、使い手を黎明に導く――滅炭・高度黎刀 である。
黎刀の一撃は、橋中央の巨大主塔を蒸発させるように瞬断した。陰に攻撃をやり過ごそうとした鞘一の外套が焼け、髪の端までもが消し飛ぶ。
繋留ワイヤが次々と焼け落ちるが、強固な土台にも支えられる橋は揺らぎこそすれ、崩れることはない。
「逃さぬぞ、剣士――!」
鞘一は応える余裕も無く、能力使用を終えた。両者の足元の橋桁が崩れ落ちる。戦闘開始より、彼は左手で数十度の刺突を行い続けていた。奇襲二色の真骨頂は、対物破壊――橋脚を穿ち続けたその小細工が、二人の体を荒れ狂う河へと投げ出した。
「水掛けごときで、油に点きし火は消えぬ!」
シエルは川に落ちながら、黎明の刃を揮った。滅炭の蒼炎は通り道の川水を焼き尽くしながら、鞘一の左肩より先を炭化させた。猛烈なる焦熱と激痛に、彼の表情が大きく歪む。
「――俺の能力なら、俺に応えろ! クソッタレ!」
迫る死の蒼炎を前に、彼は取り繕いもなく叫んだ。服は焼け落ち、髪は乱れ。優男の面影は最早どこにもない。
「奇襲――二色!!」
ガス爆発の憂い無き水中での納刀同期は、同じく水中のシエルの足首を浅く裂くに留まった。直後、右手に燃え移った蒼炎が、彼の腕を炭化させていった。
それが決着となった。
シエルの肌に生まれた小さな裂傷から、見る間に水が流入していった。逆に体内の石油は瞬く間に流出し、濁流を黒く染めた。
(……あそこまで死にもの狂いの気迫を見せながら、最後までこんなせこいやり口か。一貫していて逆に敬服するな)
荒れ狂う水面を覆い尽くすように、一帯は、黒く、黒く染まった。漆黒を浮かべた、無限の宇宙のようであった。
(……いや、やはり気に入らぬわあやつ)
大量の原油流出を起こしたシエルは、それきり意識を失った。
決勝戦:【橋(暴風雨)】STAGE
シエル・デ・ル=ユデン1世 VS 天桐鞘一
勝者――天桐鞘一
「願いの権利も得られず、大会が終ればアモン様からの庇護も外れ。これではもう、祖国復古は無理ですよう! これからどうしましょう、シエル様……」
「うろたえるな、ディライトよ」
王は侍女を諭すように語りかける。
「得るものがなかったとでも思うたか? 今我が持つのは、父祖よりの血――火の水だけではない。我には今や、このメタンハイドレートが――水の火がある。このシエル1世、我が祖国に新たなエネルギー革命の灯を点すことができよう!」
「シエル様……!」
「出航するぞディライト……樽を持てい! 伝説誕生は済んだ……なれば、次に待つは王の凱旋である!」
「……いつまで目を閉じてればいいの?」
「俺が唇を奪うまで。と言うのは冗談。どうぞ、もう開けても良いよ」
木咲が目を開けると、眼前には。
「……え?」
それはどこまでも漆黒の空であった。
それは雄大に広がる、蒼黒き巨大な大地であった。
それは網目のように広がり大地を染める、文明の光であった。
それはココロも満タンにするかのような夜景であった。
「誕生日おめでとう。ほら、単純にさ。他の誰も真似できない、思いつけても実行しない、この世で木咲と俺だけしか体験できない、そんな贈り物をしたいと思ったんだ。世界一美しい最高の景観、眼下に広がる50億の夜景、どう?」
「そりゃ真似できないし普通やらないし他の人居るわけないけど……! ちょっと待って! 理解追っつかないんだけど! ここどこで、どうやって私ここに来てて、50億の夜景って何??」
「1つ目。ここは宇宙船――闘宴劇の戦場の一つでさ、観戦しててこれはって思ってね」
「2つ目。戦場として使ったんだし、亜門グループにはここへの転送手段があるはずだろ? 願いを叶える権利で、それを1日借りたのさ」
「3つ目。船を買い取るのに50億掛かったんだ。そっからしか見れないなら、当然50億の夜景だろ?」
「……」
「おっと、感極まって言葉も出ない程? お木咲様は黙っていても画になるね」
「……呆れてんの。50億で他に幾らでも何でもできたでしょこれ……」
木咲は眼下に広がる、夜の地球を眺めた。
「でもそのくせ夜景はすごい綺麗なのが腹立つ……! ホント腹立つこの男……もう……バカじゃないの……!?」
彼女はひとしきり呆れ散らすと、目尻にうっすらと泪を浮かべた。
「……ふ、ふふふっ……なんか呆れすぎて逆に笑えてくる。バッカじゃないのホントに……」
「ああ。俺が本気の恋なんて馬鹿みたいだろ? でも、おかげで最高の笑顔を手に入れられた」