月面探査の歴史(アメリカも最初は失敗の連続)
ルナ(Luna)・・・月面探査はソ連が先行した。
1959年1月2日 ルナ1号打上、月から7500kmのところを通過。
初の人工惑星になる。
1959年9月12日 ルナ2号打上、月面「晴の海」に衝突。
1959年10月4日 ルナ3号打上、月の裏側の撮影に成功。
(1号~4号まではルーニクと呼ばれていた)
1966年1月31日 ルナ9号打上、月面への軟着陸に成功。
1966年3月31日 ルナ10号打上、月を回る初の衛星となった。
1976年8月9日 ルナ24号打上、ルナ・シリーズ最後の探査機。
レンジャー(Ranger)・・・アメリカも2年遅れで月面探査開始。
1961年8月 レンジャー1号打上、衛星軌道が低すぎて失敗。
1961年11月 レンジャー2号打上、衛星軌道が低すぎて失敗。
1962年1月 レンジャー3号打上、月の近く37000Kmを通過。
月面衝突には失敗。
1962年4月 レンジャー4号打上、月の裏側に回り込んで衝突。
受信装置の故障で撮影に失敗。
1962年10月 レンジャー5号打上、月から700Km逸れて失敗。
1964年1月 レンジャー6号打上、月に命中したが電送に失敗。
(目的は月面に命中させることだがここまで失敗の連続)
1964年7月 レンジャー7号打上、「雲の海」に命中。
4316枚の近接撮影に成功。
1965年2月 レンジャー8号打上、「静かの海」に命中。
7100枚の近接撮影に成功。
1965年3月 レンジャー9号打上、「アルフォンスス・クレーター」に命中。
5800枚の近接撮影に成功。
初のテレビ生中継にも成功。
ゾンド(Zond)・・・ソ連も惑星探査は失敗の連続。
1964年4月 ゾンド1号打上、金星をねらったが軌道修正に失敗。
1964年11月 ゾンド2号打上、火星をねらったが通信故障で失敗。
1965年7月 ゾンド3号打上、月の裏側の鮮明な写真撮影。
1968年3月 ゾンド4号打上、失敗したらしいが発表はない。
1968年9月 ゾンド5号打上、月の裏側を回って1950Kmまで接近。
6日目にインド洋で回収。
カメや小麦の種子の回収に成功。
初の無事地球帰還となる。
1968年11月 ゾンド6号打上、月を回りソ連領内に無事軟着陸。
1969年8月 ゾンド7号打上、月の写真撮影後ソ連領内に軟着陸。
1970年10月 ゾンド8号打上、月と地球を撮影後インド洋で回収。
サーベイヤ(Surveyor)・・・アメリカの月面無人探査機。
アポロ計画で人間が月に着陸する準備として計画された。
1966年5月 サーベイヤ1号打上、今はケープケネディ基地だが
当時はケープカナベラル基地と呼んでいた。
打上はアトラス=セントール・ロケットによる。
「嵐の大洋」に着陸して11500枚の写真を送ってきた。
(次のサーベイヤ2号は着陸に失敗した)
1967年4月 サーベイヤ3号打上、「嵐の大洋」に着陸。
自動ショベルで月面に穴を掘り月の地質を調べた。
(次のサーベイヤ4号も失敗した)
1967年9月 サーベイヤ5号打上、「静かの海」に着陸。
α線装置で月面岩石の化学分析に成功。
1967年11月 サーベイヤ6号打上、「中央の入江」に着陸。
月面岩石が地球の玄武岩に似ていることを確認。
1968年1月 サーベイヤ7号打上、「ティコ・クレーター」に着陸。
地質調査を行った。
サーベイヤ計画は7号を持って終了。
サーベイヤ3号の部品はアポロ12号の宇宙飛行士が
地球に持ち帰った。
ルナ・オービター(Runar Orbiter)・・・月面精密写真
アポロ計画実現のため孫衛星となって月の詳細な地図作製。
1966年8月 ルナ・オービター1号打上、広角狭角で広範囲撮影。
1966年11月 ルナ・オービター2号打上、近月点を34Kmまで下げて
コペルニクス山などを精密撮影。
1967年2月 ルナ・オービター3号打上、緻密な広範囲撮影。
1967年5月 ルナ・オービター4号打上、緻密な広範囲撮影。
1967年8月 ルナ・オービター5号打上、緻密な広範囲撮影。
以上のルナ・オービターによって月面の99%もの鮮明撮影終了。
月面の正確で精密な地図ができあがった。
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最終更新:2011年09月03日 19:41