歴史的事件など
*1 石谷政信系 700石旗本家
*2 石谷清定系 1,100石旗本家
*3 石谷貞清系 2,500石旗本家
*4 桑原政重系 800石旗本家
*5 石谷清重系 250石尾張藩士
その他
特記事項
     
石谷氏祖二階堂因幡守行秋(行欽)へ至る系図考 一般 二階堂行政―行村―出羽守行義―伊賀守義賢―行秋
続群書類従 二階堂行政―政所行光―民部大夫・政所行盛(行然)-筑前守行泰-信濃守行実-因幡守宗実-下総守光貞-因幡守行秋(行欽)※頓阿の弟
袖師石谷家系図 二階堂行政―民部丞行光―民部太夫行盛―信濃守・民部太夫行泰―加賀守行頼―左衛門尉行継―筑前守行兼―左衛門尉行朝―因幡守行秋
     
正嘉元年3月10日 1257年 二階堂美啓が遠江国佐野郡上西郷村に土着。
正応2年 1289年 二階堂貞宗(頓阿) 生誕 (二階堂下総守光貞の子)
元弘3/正慶2 1333年 鎌倉幕府滅亡
元弘3/正慶2 1333年 建武の新政
建武3年 1336年 今川範国が遠江守護職となる。
観応2年 1351年 観応の擾乱
応安3年 1370年 今川了俊が九州探題となる。
文中元年3月13日 1372年 二階堂貞宗(頓阿) 死没
応永元年 1394年 二階堂因幡守行秋 死没(泉田氏祖、二階堂貞宗の嫡男(法名:道欽))
応永2年7月 1395年 今川了俊が九州探題を解任される。
応永23年 1416年 二階堂式部大輔が遠州・奥州合わせて12万石知行
応永23年 1416年 上杉禅秀の乱
応永25年 1418年 二階堂行晴 生誕 (西郷民部少輔の2男、母は二階堂行秋の妹、二階堂行秋(因幡守、行欽)の養子となる)
永享6年 1434年 斯波義郷が遠江守護職となる。
永享10年 1438年 永享の乱 開始
永享11年 1439年 永享の乱 終結
永享11年 1439年 二階堂伊勢入道、二階堂民部少輔、泉田掃部助、岩渕修理亮などが鎌倉永安寺で自害。(足利持氏側に味方した二階堂氏)
元中5年/嘉慶2年 1388年 今川仲秋が遠江守護職となる。
応永12年 1405年 斯波義重が遠江守護職となる。
応永12年 1405年 昨年から遠江国西郷の年貢が滞っていたが遅れて届く。
応永25年 1418年 斯波義淳が遠江守護職となる。
永享12年 1440年 結城合戦
嘉吉元年 1441年 結城合戦後二階堂左衛門尉と稲村下野入道が誅殺される。(足利持氏側の残兵)
嘉吉元年閏9月 1441年 今川範忠と斯波義健遠江の所領をめぐって争う。
文安元年 1444年 二階堂為氏が400余騎の軍勢を率い鎌倉を発つ。
文安3年 1446年 西郷行清 生誕 (二階堂行晴の子)
文安5年 1448年 二階堂為氏が二階堂治部大輔を滅ぼし須賀川城に入城する。
享徳3年12月27日 1455年 享徳の乱 開始
応仁元年 1467年 応仁の乱
文明3年12月27日 1471年 山科家から遠江国西郷荘の西郷氏へ年貢の督促。
文明4年2月5日 1472年 山科家から遠江国西郷荘の西郷八郎へ年貢の督促。
文明5年 1473年 二階堂清長 生誕 (西郷行清の子、祖父の二階堂行晴に養育される)
文明5年 1473年 今川義忠が遠江国人巨海氏・狩野氏を滅ぼす。
文明8年 1476年 今川義忠が横地・勝間田勢に討たれる。
文明14年11月27日 1483年 享徳の乱 終結
文明16年 1484年 二階堂行晴 死没
明応2年 1493年 明応の政変
明応6年 1497年 伊勢長氏が駿河今川勢を率いて掛川周辺を平定する。
明応7年 1498年 明応地震
文亀3年 1503年 石谷政清 生誕
永正元年9月13日 1504年 西郷行清 死没
永正5年 1508年 遠江守護職が斯波氏から今川氏親に移り、斯波氏と一部の遠江国人が今川氏に対して反抗。
永正10年 1513年 斯波義達が遠江の国人である大河内貞綱や井伊直平と共に遠州に進撃。今川氏親配下の武将・朝比奈泰以と飯尾賢連との交戦で大敗する。
天文2年2月9日 1533年 二階堂清長 死没
天文5年 1536年 花倉の乱。福島越前守や井出氏などは玄広恵探側。
天文5年 1536年 第一次河東の乱勃発。堀越氏と井伊氏が今川氏に対抗。
天文14年 1545年 第二次河東の乱勃発。今川氏が遠江を平定。
天文14年 1545年 石谷政信*1 生誕 (石谷政清の3男)
天文16年 1547年 石谷清定(五郎太夫)*2 生誕 (石谷政清の4男、妻は今川家臣久嶋与平の娘)
天文23年 1554年 甲相駿三国同盟
弘治元年 1555年 厳島の戦い
永禄3年 1560年 桶狭間の戦い
永禄4年 1561年 第四次 川中島の戦い
永禄10年 1567年 武田信玄による第一次駿河侵攻
永禄12年1月26日 1569年 石谷政清が徳川家康から屋敷がある遠江飛鳥内一色の所領を安堵される。
永禄12年6月 1569年 武田信玄による第二次駿河侵攻。
永禄12年5月17日 1569年 今川氏真が掛川城開城し、駿河今川家が滅亡する。
元亀元年 1570年 徳川氏が小山城を落城させる。
元亀2年 1571年 武田氏が小山城を奪還する。
元亀2年3月10日 1571年 石谷政清が徳川家康に仕える。
元亀2年3月10日 1571年 石谷政信*1が徳川家康に仕える。
元亀2年3月10日 1571年 石谷清定(五郎太夫)*2が徳川家康に仕え、大番番士となる。
元亀3年 1572年 二俣城の戦い
元亀3年 1572年 三方ヶ原の戦い
天正2年 1574年 石谷政清 死没
天正2年 1574年 高天神城城主小笠原与八郎長忠が武田家に降伏。
天正3年5月21日 1575年 長篠の戦い
天正6年 1578年 西郷局が徳川家康に仕える。
天正10年6月2日 1582年 本能寺の変
天正9年 1982年 小山城落城
天正12年 1584年 小牧・長久手の戦い
天正12年 1584年 石谷政勝*1 生誕 (石谷政信の2男、妻は青木高頼の娘)
天正16年 1588年 石谷清正*2 生誕 (石谷清定(五郎太夫)*2の2男、母は今川家臣久嶋与平の娘、妻は尾張徳川家家臣松井石見の娘
天正18年 1590年 石谷政信*1が徳川家康の関東移封に従い、武蔵国多摩郡に200石を賜る。
天正18年 1590年 石谷清定(五郎太夫)*2が徳川家康の関東移封に従い、武蔵国多摩郡に250石を賜る。
文禄元年 1592年 文禄の役
文禄元年 1593年 石谷清平*2(石谷清定(五郎太夫)*2の長男)が徳川家康に仕える。
文禄元年5月 1593年 石谷清平*2 死没
文禄3年 1594年 石谷貞清*3 生誕 (石谷清定(五郎太夫)*2の3男、母は今川家臣久嶋与平の娘、妻は板倉重昌の養女(牧野駿河守家臣槇定繁の娘))
慶長2年 1597年 慶長の役
慶長5年9月15日 1600年 関ヶ原の戦い

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最終更新:2014年08月14日 12:51