【史料徳川幕府の制度 (小野清) 昭和43年6月1日 抜粋】
P271~
将軍大名に面会せらるる時の事
宰相の官の人に御逢いの時は、御褥を取り除けらる。その人去ればまた褥を召させらる。また他の宰相の人、御前に出ればまた御褥を取り除けらる。一去一来、御前の人は随分忙しきことなり。また三家に御逢いの時は、御褥は勿論、御刀を御刀掛より取り下ろさせらる。また錦絵などには、将軍の御刀を持つ者は、服紗を「くるみ」て持ちたる図あり、然れどもその実、決して服紗などを掛けず、素手にて直ちに御刀の鞘を握り持つなり。(元小姓頭取石谷[安芸守]公清談)
(注)①この刀服紗について、三田村鳶魚翁の『御殿女中』には、十三代将軍家定の御台所に勤仕した大岡ませ刀自の談として、「……ギョケイ(お刀のこと)を坊主が請取り、御座所へ置くのです。朝でなければ御脇差だけです。お脇差は御附中﨟が持ってお先へ立ちます。帛紗でお刀を持つことは上様ばかりのことではありません。我々の家でも家来に持たせるのに、帛紗で持たせます。平生刀掛に掛ける時も、つかへ帛紗を掛けて置きました。帛紗がなくて持つ時には袖で持ちます。刀帛紗は紫精好の一幅で、それを四つに折って持ちます。上様附きの御中﨟は、必ずお刀帛紗を銘々に持っておりました」とある
最終更新:2015年10月11日 22:19