鏃が降り注ぐ。
肉を裂く。声を裂く。喉を裂く。
化け物を殺せと雨が降る。
「殺せ」「殺せ」「殺せ」
「その首を晒せ」
「正義は我等にあり」
それは、嘘ではない。
誠は確かに、彼等の元にあったのでしょう。
思い上がった独善で。
思い上がった欲望で。
何という、醜い生き物。
何という、必死な生き物。
脆弱で矮小で醜悪な―――それでいて、尊いモノ。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
懺悔は遠く。
誰の耳にも届かない。
「それでも」
それでも私は、思ったのです。
それでも私は、間違えたのです。
ああ。
私は、それでも、願ってしまったのです―――
毒撒き散らし命を死に随えたこの地の果てで。
再び、絵巻の如き、離宮を。
○
その女は―――勝ち気であった。
大薙刀を担ぎ、額に巻いた鉢巻を揺らし法衣を纏い、水を呑む。
出家したこの身であるが故に。
死したこの魂であろうとも、酒は呑まぬと。
ただ単に、悪酔いすること多々有りし故酒が嫌いだという点は伏せておく。
盃に注いだ―――酒に見立てた水を口に運び、飲み干す。
巨人の小皿ほどはあろうかというその大きな盃を、女は軽々しく片手で扱うと、まるで小さな湯飲みであるかのように中身を喉へと流し込む。
「―――よう飲み干した。
それで主も、この離宮の一員よ。
…そうともなれば、名を与えねばならんな?
英霊の身なれど、しかして今は妾の下に付く兵。らんさー、などという西洋被れでは苦しかろう。
そうさな―――"妖婦離宮の槍兵"、ではどうか?」
言葉が掛けられる。
勝ち気の女―――"妖婦離宮の槍兵"と呼ばれた彼女は、ニヤリと口を吊り上げる。
特徴的な後ろの長い鉢巻を揺らし、短い黒髪を手櫛で纏め上げながら。
獣が笑うと"こう"なのだろう―――まるでそう思わせるほどの、獣の如き笑顔。
「いいねェ。悪くない。
この拳、貴女の為ならば如何なるモノも貫き通そうよ。
…普段なら、貴女みてえなのは叩き斬る性分なんだが。それはそれ、また今宵の廻り合いってもんよ」
離宮の槍兵は、ごんっと。
身の丈よりも巨大な盃を床に叩き付け、豪快に笑う。
その目は。
目の前の化生の真意を、見定めるが如く。
眼前におわすは妖婦離宮の主。
那須野から日の出づる国を支配せし傾国の妖婦。
風に乗り異国にまで名を渡す、大化生。
「なあ―――"玉藻の前"さんよ?」
名を、白面金毛九尾とも謳われた、天照大神の一部。
偉大なる、神霊のソレである。
「余り気安く名を呼ぶでない。
こう見えて、中身は純情な乙女故な。
ついつい手がつるりと滑らんとも言い切れぬ―――軽口で塵芥と化したくはないであろう?」
ビリビリと。
魔力が空気を圧迫し。
具体的な厚となって、槍兵を襲う。
が。しかし。
その程度の威圧もなんのその。
槍兵にとっては、そよ風と同義である。
「はは、悪かった悪かった。許しておくれ。
ちょいと口が滑っただけのことよ」
ぱんぱん、と膝を叩き女は笑う。
何が可笑しいのか傾国の妖婦には理解できなかったが、些事で駒を潰しては器の底が知れるというもの。
軽く流しておいた。
「…まあよい。貴様も存分に働くがよい。
主と我等が"妖婦離宮"が在れば万事儚い脆い、まるで風の前の塵よ―――なあ?」
その言葉は誰に問いかけたモノなのか。
風に消えたその問いは大きく巻い、上空へと飛び上がる。
高く。
もっと高く。
那須野すら小さくなるほどの、その天辺まで。
―――空から見下ろす、日の出づる国。
その支配権は我にありと。
そう主張せんが如く、聳え立つ宵闇の世界。
その中心に立つ、離宮。
その名を、"妖婦離宮"。
現日本を支配する―――悪女の国である。
最終更新:2017年05月09日 00:31