一之巻

鏃が降り注ぐ。
肉を裂く。声を裂く。喉を裂く。
化け物を殺せと雨が降る。

「殺せ」「殺せ」「殺せ」
「その首を晒せ」
「正義は我等にあり」

それは、嘘ではない。
誠は確かに、彼等の元にあったのでしょう。
思い上がった独善で。
思い上がった欲望で。
何という、醜い生き物。
何という、必死な生き物。
脆弱で矮小で醜悪な―――それでいて、尊いモノ。

「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」

懺悔は遠く。
誰の耳にも届かない。

「それでも」

それでも私は、思ったのです。
それでも私は、間違えたのです。

ああ。
私は、それでも、願ってしまったのです―――

毒撒き散らし命を死に随えたこの地の果てで。
再び、絵巻の如き、離宮を。







その女は―――勝ち気であった。
大薙刀を担ぎ、額に巻いた鉢巻を揺らし法衣を纏い、水を呑む。
出家したこの身であるが故に。
死したこの魂であろうとも、酒は呑まぬと。
ただ単に、悪酔いすること多々有りし故酒が嫌いだという点は伏せておく。
盃に注いだ―――酒に見立てた水を口に運び、飲み干す。
巨人の小皿ほどはあろうかというその大きな盃を、女は軽々しく片手で扱うと、まるで小さな湯飲みであるかのように中身を喉へと流し込む。

「―――よう飲み干した。
それで主も、この離宮の一員よ。
…そうともなれば、名を与えねばならんな?
英霊の身なれど、しかして今は妾の下に付く兵。らんさー、などという西洋被れでは苦しかろう。
そうさな―――"妖婦離宮の槍兵"、ではどうか?」

言葉が掛けられる。
勝ち気の女―――"妖婦離宮の槍兵"と呼ばれた彼女は、ニヤリと口を吊り上げる。
特徴的な後ろの長い鉢巻を揺らし、短い黒髪を手櫛で纏め上げながら。
獣が笑うと"こう"なのだろう―――まるでそう思わせるほどの、獣の如き笑顔。

「いいねェ。悪くない。
この拳、貴女の為ならば如何なるモノも貫き通そうよ。
…普段なら、貴女みてえなのは叩き斬る性分なんだが。それはそれ、また今宵の廻り合いってもんよ」

離宮の槍兵は、ごんっと。
身の丈よりも巨大な盃を床に叩き付け、豪快に笑う。
その目は。
目の前の化生の真意を、見定めるが如く。
眼前におわすは妖婦離宮の主。
那須野から日の出づる国を支配せし傾国の妖婦。
風に乗り異国にまで名を渡す、大化生。

「なあ―――"玉藻の前"さんよ?」

名を、白面金毛九尾とも謳われた、天照大神の一部。
偉大なる、神霊のソレである。

「余り気安く名を呼ぶでない。
こう見えて、中身は純情な乙女故な。
ついつい手がつるりと滑らんとも言い切れぬ―――軽口で塵芥と化したくはないであろう?」

ビリビリと。
魔力が空気を圧迫し。
具体的な厚となって、槍兵を襲う。
が。しかし。

その程度の威圧もなんのその。
槍兵にとっては、そよ風と同義である。

「はは、悪かった悪かった。許しておくれ。
ちょいと口が滑っただけのことよ」

ぱんぱん、と膝を叩き女は笑う。
何が可笑しいのか傾国の妖婦には理解できなかったが、些事で駒を潰しては器の底が知れるというもの。
軽く流しておいた。

「…まあよい。貴様も存分に働くがよい。
主と我等が"妖婦離宮"が在れば万事儚い脆い、まるで風の前の塵よ―――なあ?」

その言葉は誰に問いかけたモノなのか。
風に消えたその問いは大きく巻い、上空へと飛び上がる。
高く。
もっと高く。
那須野すら小さくなるほどの、その天辺まで。



―――空から見下ろす、日の出づる国。
その支配権は我にありと。
そう主張せんが如く、聳え立つ宵闇の世界。
その中心に立つ、離宮。
その名を、"妖婦離宮"。
現日本を支配する―――悪女の国である。

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最終更新:2017年05月09日 00:31