それを人は地雷と呼ぶ

 ◆

 拝啓、ドクター。
 唐突なお別れから、こんなに時間が過ぎたなんて、とても信じられません。
 あれから色々ありました、新宿で隕石が落ちてきたり、明治維新したり、もう一度京都で人を殴ったり、あとなんだっけ、うんまあ色々。
 これから書くお話もまた、突拍子がなくて大変だったんですが。
 ドクターがボジョレー・ヌーヴォーの売り口上みたいな表し方をしそうな特異点でのお話です。

 いつかもう一度会えたときのために、俺は今日も、手習い程度のお話を綴ります

 ◆

 「……いかがでしょうか?」

 少年は、神妙な面持ちで真向かいに腰掛ける青髪の子供に尋ねた。
 メガネを掛けて、仕立てのよい服をまとった一見すると愛らしい子供。
 彼は似つかわしくない冷めきった瞳と、口端をニヤリと持ち上げた。

 「最初の悍ましき乱文に比べれば、幾分かマシになっただろう」

 低い声音は、聞きなれぬものを仰天させる。
 相対した少年、藤丸立香は驚きもせずにその顔いっぱいに喜色をたたえた。

 「本当ですか!!」

 「だがまだ悪文が目立つ、文法が17個間違っている、誤字脱字は23個、慌てず落ち着いて書け」

 「はい……」

 藤丸は物書きではない。ただの学生あがりの、人理を救ったたった一人のマスターだ。
 7つの特異点での壮絶な戦い、英霊との交流、一人の人間に身に余る体験を経たとしても、文才が開花することはなく。
 作文など学校で書いたきり、読書感想文はいつも苦痛で、「~~だと思いました」と埋めてきたような人生だ。

 400字詰めの原稿用紙……今はタブレットなのでページ数の重みを感じないのが唯一の救いだった。

 「アンデルセン先生、どーしたら文章書くのって上達するんでしょう……」
 「俺に聞くな、もっと能天気で馬鹿親切で長広舌なサーヴァントにでも尋ねるが良い」
 「ううー……」

 シェイクスピアに話を聞いたことを思い出して藤丸は頭を抱えた。
 自作の引用と、話し方そのものが詩の一編に似た彼の指導は、さっぱりすっかり分からなかったのだ。
 終盤は目を回し知恵熱を出し、さしものシェイクスピアも些かきまり悪そうに微笑んでいた。

 「……まずは本を読め、そして真似事をしてみろ、全文書き写したって良い」
 「書き写し……?」
 「ああそうだ、一字一句まるっとな」

 そう言うと、アンデルセンは席を立つ。
 彼も原稿の途中だったのだ。
 忙しいさなかつきあってくれたことを心底藤丸は嬉しく思った。
 小さな背中に謝辞を告げて、彼の書室を出て行く。

 近未来的な無機質の廊下を抜けて、娯楽用の本がしまわれていただろう倉庫へ走る。
 そういえば自分はあまり物語を読んでこなかった。
 文を知らずして書くことなど不可能なのだろう、藤丸はアンデルセンのアドバイスを反芻しつつ扉を開く。

 そこには、背の高い暗闇が立っていた。
 ゆらり、と陽炎のごとく、暗闇の赤眼は藤丸をとらえた。

 「――クリスティーヌ」

 うっとりと、彼は虚空の名を呼ぶ。

 「や、ファントムも読書?」

 その手にとられた本を指差し、こともなげに対応してやる。
 表紙には十字架が載っていたが、生憎タイトルは読めなかった。フランス語だろうか。
 どのサーヴァントにも言えるが、勿論最初はものすごく驚いた。
 腰を抜かしたり涙目になったことも少なくはなかった、かっこ悪いので詳しくは語らないが。

 「君の声は美しい――物語を紡ぐ手、歌っておくれ……」
 「朗読かあ……そういうのもいいかもな……」

 倉庫の本棚から適当に本を取り出す。
 まずは短いものから行こう、桃太郎とか。

 「歌を、詩を、唄を――私に、私に、私に…………」
 「ファントムに桃太郎聞かせるってすごい状況だな……」

 それで満足しているのならばいいのだが。
 ふ、と新宿での出来事が脳裏をよぎって、心のなかにとくりと冷たいものが注がれる。
 あのときは、彼と彼が対峙していた。

 ファントムは、カルデアのファントムの赤い瞳は。
 透鏡越しに、彼と彼女を……心底羨ましそうに見ていた。

 「むかしむかし、あるところに――」

 いざおじいさんとおばあさんが登場!というそのとき、カルデア内に放送が響く。
 それは急を告げる、新たなる亜種特異点の報せだった。

 ◆

 ブリーフィングルームに集まったのは、マシュにダ・ヴィンチちゃん、そしてついてきたファントム。

 「今回の特異点は、以前の明治時代のそれに近い様子のようです」
 マシュがカルデアスを指し示す。

 反応しているのは……どこだろう。筆者にはそのときわからなかった。

 「トランシルヴァニア、現在で言うならルーマニアの一角だね」

 ダ・ヴィンチちゃんが補足をしてやる。
 藤丸は、なるほどと頷いた。

 「今回は分かりやすいんだけど……わかりにくい」

 モニターに映される情報を見ながら、嘆息するダ・ヴィンチちゃん。
 彼にわからないのならば、藤丸には更に分からなかった。

 「トランシルヴァニアって言えば、ええと、ヴラド公の場所……でいいのかな」
 「左様」

 カツカツと、苛立ちの足音と共に間髪入れずに返事がやってくる。
 プラチナブロンドの髪を青白い怒りとともに揺らめかせる背の高い男。

 「余の領地、領域……またもや、荒らされることになろうとは。余も同行させて貰おう、よいな」

 苦虫を噛み潰す声音。希望ではなく断言。

 「あ、はい……」

 また、という言葉は気になったが余計なことは言わないでおく。

 「時代と、それから観測の地域がしっちゃかめっちゃかなのさ」

 ダ・ヴィンチちゃんの話によると、現場はトランシルヴァニアであるが、魔力の様子は日本のものやギリシャのものが混在していて、ひどい状態だと言う。
 明確に重要な地点時間軸ではないが、人理をぐちゃぐちゃにしかねないイレギュラーであることは明白だった。

 「ということで、藤丸くん、行ってもらって大丈夫かな?」

 検知しきれないものが大量にある状態で送り出すのはしのびないが、と目を伏せる。
 いつものことだと、藤丸は笑った。

 「先輩、どうかお気をつけて」

 「うん、大丈夫大丈夫」

 また一つ、話すことが増えるのだな、と他人事のように彼は考えた。

 同行サーヴァントは、ヴラド三世、そして無言でついてくる姿勢を見せるファントム・オブ・ジ・オペラ。

 ファントムがついてくるのも無言なのも恒例行事なので誰も何も言わなかった。
 コフィンに入り、静かに自身の存在を遠い時代に向かわせる。

 意識はにわかに溶けて……もう一度形を作り直した。
 俺がこれから、何を望むのか、知りもしないで。

 ◆

 目を開いてまず感じたのは、夜の空気だった。
 静謐で、厳かで……しんとした、気持ちの良い空気。
 一言で表すなら病院の匂いに似ている。

 町並みは、教科書なんかで見たヨーロッパ圏のそれだ。
 石畳の道の感触を足裏に感じて周りを見回す。

 背の高い男二人はしっかりついてきていた。
 ヴラド公はもう勝手知ったるなんとやら、ズカズカと進みだしていた。

 「……なんだろう、不思議ですね」

 カルデアとの通信は正常に行われいる。
 高高度から落下していたり、水中に叩きつけられていることもない。
 ただただ、平和な夜の街を歩いているのだ。

 「違和感、と言えば……余りにも清潔すぎることでしょうか?」

 ビジョン越しのマシュが首をかしげる。
 言われたとおり、道にはゴミひとつ落ちておらず。

 現代でもこれほどまでに清潔が徹底された場所を見つけるのは難しいだろう。

 「適当な家を開けよ、そして話を聞け」
 「あ、はい、情報収集ですね」

 ヴラド公の鷹揚な言葉に従い、手頃な民家にノックをしようとした、そのときだった。

 「吸血鬼が出たぞーーーーーーー!!!!!」

 ものすごい地雷ワードが、三人の耳をつんざいた。
 藤丸は顔を青くし、ファントムは無言で声の方角を見やる。

 「ほう…………?」

 トランシルヴァニアで吸血鬼。
 いや、そりゃ、当然のワードだ、本当に。

 ヴラド三世は声の方角へ走り出す、二人も追従する。
 彼のひときわ大きな地雷、レイシフトでブラム・ストーカーの印象操作を行おうとするほどの。

 満月の光はくまなく道を照らし、視界は良好。
 声は高台からまだ続いている。逃げ惑う人々の怒号、足音。

 おそらく無辜の民と思しき男性が、藤丸たちのほうへ走って向かってきていた。

 「大丈夫です――」

 か?声は銃声で強制的に遮断された。
 目前で、恐怖に顔を歪めていた男性の頭が吹っ飛んだのだ。
 柘榴のように、瑞々しく、盛大に弾けて。

 血と硝煙の匂いが、清浄さを破壊する。

 「っし、このちょーしで……あン?」

 倒れた男性の後ろから、真っ赤な帽子と外套を纏った人間が現れた。
 その手にはショットガン、即座に分かる、あれが下手人だ。

 「アンタらは……もしかして」

 「ヴラド公、ファントム!!」

 藤丸は声を上げた。
 彼らは応える。

 「あ、いや、ちょっとタンマ話を」

 何か言っていた、勿論、マシュとダ・ヴィンチちゃんも。
 でも頭に血が上って、彼はただ、許しがたい事象に涙をこらえて叫んだのだ。

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最終更新:2017年07月04日 14:18