未知なるカダスを夢に求めて(前編)

 ――見渡す限りの灰色が満たす宇宙の深淵で、暗闇を切り裂いて降り注ぐ流星雨を眺める影がある。

 それは存在を許されぬもの。
 歴史に己の名を刻むことを拒まれたもの。
 人類史、表の歴史から徹底的に排斥された存在。
 それがそこに存在していたという事実だけで人理を冒す神性腫瘍。

 腫瘍とは、得てして厄介極まる病巣である。
 母体に異変があろうと我関せずで育ち続け、無言のまま膨れ続けては時を待つ。
 その体積を爆発的に増大させ、自らを母体の一部から母体そのものへと進化させる瞬間を。
 そうなってしまえば最早お終いだ。どれだけ知恵を尽くそうと、真っ当な技術の範疇ではそれを取り除くことなど出来はしない。
 故にこそ存在そのものが世界にとっての腫瘍たるそれは、母体死滅の瀬戸際である最終決戦に際しても表舞台に立とうとはしなかった。
 人理焼却の手すら届かない異星に玉座を構え、己が千里眼を以って最も美しき流星群をゆるりと鑑賞する。

「無意味。無意味だ。星の自浄機能たる死滅を除去する大業。。
 確かに偉大だろう。無窮なるアカシックレコードにその名を刻む、或いはそれそのものを根本から変革する尊き行いであることに疑いの余地はない。
 ……だが、それがどうしたという。それでは喜劇に届かない。この退屈を慰める、至大の劇には程遠い」

 痛烈に現行の舞台を貶す彼は、メフィストフェレスが如き男であった。
 悪魔。破滅を対価としてヒトに恩恵をもたらし、破滅して泣き叫びながら神に祈りを叫ぶ彼らを嘲笑いながら引導を渡す魔道の者。
 ……更に言うなら、それ以上に質が悪い。
 何故なら彼は、契約など必要としない。ヒトとの知恵比べなど求めない。
 あるのはただ一方的な貸与と回収。この男に魅入られてしまったあらゆる生命は、破滅で幕を閉じる以外の結末を失ってしまう。
 故に人は彼をこう呼んだ。これは人類史に記されず、名すら葬られ、千里を見通す眼の外へと放逐された悪意と享楽の化身。

 即ち――▅▆、と。

「魔術王を騙るモノが勝利したのならば興味もない。アレの創生する世界とやらが熟すまでは、黙して待つ時間が続くだろう」

 魔術王の皮を脱ぎ捨て真の姿と名を晒した憐憫の獣。人類悪の一番目にして、人理を焼き尽くす熱量を持つ魔術式。
 その大望が遂げられてしまう未来こそ、これにとって最も退屈で、落胆を禁じ得ないものである。
 何故なら再生された世界には、全ての基礎たる破滅が存在しない。
 死のない喜劇に価値があるものか。つまらないつまらない、何故そんな気だるいことが思い付くのだ理解出来ないぞふざけるな。
 そう、これとかの“憐憫”はとことんまでに馬が合わない。
 よって皮肉にも、これを異星の静寂に溶けたままにしておくためには、逆行運河/創世光年という大偉業が達成されることが最も手早かった。
 死が根絶され、創世記のリセットが行われるならば――これは最低でもあと数十億年は表舞台に引っ込んでいなければならなかったのだ。
 そしてその後、場合によっては永遠に人類史と交わることはなかったかもしれない。だが……

「星見台の魔術師が勝利したのならば、人理を脅かす害敵の座は空白となるだろう。
 或いはこうしている今の時点で既に動き出しているのかもしれんが、表に出ていないのなら不在も同じだ。
 世界は救われ、幾らかの混乱と共に再び動き出す。少なくとも当分の間は、平和な世界とやらが実現する」

 そうはならなかった(・・・・・・・・・)
 憐憫の獣は生命の歓びを知って神殿の崩落と共に消え、星見台の魔術師は生きてあり得ざる新年の世界に辿り着いた。
 それは間違いなく世界の救済であったが、しかし同時に、最もおぞましき存在の干渉を許してしまう引き金ともなってしまった。

「七つの特異点を平定し、誰も到達し得ぬ筈の時間神殿まで踏み込んでみせた現代の救世主(メシア)
 君は走り続け、戦い続けるからこそ輝く花だ。時に私は、君のことを“活動する特異点”のようなものだと考えていてね。
 あるべき結末、順当に行けばこうなるという定石。そうしたものを能動的に湾曲し、粉砕する善性の災厄。
 だから私は――君のことが知りたくてたまらない。初めてなんだ、こんな感情は。無限に等しい時間を生きていながら、こんな心境になるのは」

 黒い顔を陶然と歪めて、便宜上、男と呼ぶ他ない魔性は言った――否、吐いた。
 呪わしき好意を。純度百パーセントの破滅を。人が受けるにはあまりにも巨大すぎる愛の詩を。

「君は私の鏡だ、藤丸立香。
 愛らしき星見台の魔術師よ。私は、君の全てを理解したい。
 狂おしいほど。君の全霊(すべて)を欲しているのだ」

 邪竜巣食う百年戦争を終焉させ。
 狂気満ちるローマ帝国を是正し。
 出口なき封鎖四海を突破し。
 死界と化したロンドンを生者のまま超え。
 無限の兵が跋扈する北米戦争を鎮め。
 聖都に集った円卓の騎士を滅ぼし。
 狂った地母神の降臨さえ乗り越えた。

 これほどの偉業、これほどの勝利が、どこの誰にでも出せる結果であるはずがない。
 藤丸立香は偉大である。魔術師としての資質はどうあれ間違いなくその性質は稀代のそれであり、並び立つ者のない極限に達している。
 敷かれたレールを破壊し、結末を正の方向に歪める救世主。それがカルデアのマスター。
 光帯の見守るかの星で、唯一魔術王ならぬ魔神王の企みを打ち砕く可能性を秘めた男。
 異星に住まう黒肌の男が彼にこれほどの執着を寄せるのには、訳があった。
 それは――この男もまた、定石の破壊者であるからに他ならない。

 あるべき結末、順当に行けばこうなるという定石。そうしたものを能動的に湾曲し、粉砕する“悪性”の災厄。
 敷かれたレールを破壊し、結末を負の方向に歪めるトリックスター。それが、これなのだ。
 まさしく二人は鏡写し。正の破壊者には力はないが、負の破壊者には力がある。
 負の破壊者は孤独であるが、正の破壊者はいつも誰かが傍にいる。
 表裏一体。
 そんな因果な関係であるからこそ、人類史に刻まれないこの蕃神は本来抱くはずのない感情を一人の人間へと向けることになった。

「君が勝ったならば、王の後任は私が受け持とう。
 君の旅は終わらない。終わらせてなるものか。
 この私に命題を突きつけたのだ、その答えを知るまでは、君を決して逃がしはしない。
 無限の姿と慄然たる魂を持つ恐怖たる我が身が、那由多の果てまでも君を追いかけよう」

 ――――三日月を描いて歪む口。
 ――――墨で塗ったように黒い笑みは、これが人間でも英霊でもない、いとおぞましき▅▆であることを如実に物語っていた。


「私が、君の存在証明(グランドオーダー)となる。
 夜が来るぞ、夜が来るぞ! 君が作った夜明けを塗り潰す、玉虫色の夜が!!」


 ――――その名、▅▆▇▅▇▃▇▇▅▇。万物万象この世の全てを嘲笑する、全ての知的生命体の宿敵である。




「君は行かなくていいの?」

 カルデアのマスター。
 その寝室兼私室には、一体のサーヴァントの姿があった。
 紫の髪をポニーテールに結って、軽い甲冑を装備した華奢な少女。俗な呼び方をすれば、幼女といっても差し障りのない見た目をしている。
 その容貌はといえば、百人が見たなら百人が美少女と断言すること間違いないほど可憐の一言に尽きた。
 彼女をもし醜女呼ばわりする者があったとしたら、それはそもそも目の潰れた人間か、先天的に感性というものが人と全く違うかの二択だろう。
 何故なら彼女は美しく、可憐であることを宿命付けられた存在。人が崇め、讃え、時にその気まぐれに翻弄されてきた――女神の一柱であるのだから。

「わたしは、あの子達とはあまり親しくありませんから」
「混ぜてって言えば、すぐ混ぜてくれると思うけどなあ」
「そういう話ではありません。……あの子達は、わたしには少し眩しすぎます」

 彼女こそは、ゴルゴン三姉妹の末妹。真名をメドゥーサという、ランサーのサーヴァントだ。
 しかしサーヴァントとしてのメドゥーサを知る者が見たなら、きっと首を傾げることだろう。
 自分の知るメドゥーサはこんなに幼くなかったと、口を揃えてそう言うはずだ。
 それもそのはず。このメドゥーサは、人類史終焉の危機に際して偶然召喚が成った、イレギュラー中のイレギュラー。
 在りし日の女神――姉達と同じ幼さと聖性を備え、魔の萌芽の兆しだけが存在している状態。
 怪物性が薄れているぶん力は大人の姿に比べて幾らか劣るらしいのだが、元よりサーヴァントを強さで順位付けするような人物ではない星見台の魔術師は、特別それを気にした試しはなかった。
 とはいえ、単にメドゥーサと呼ぶのでは後に本来の姿の彼女と出会った時ややこしいことになる。その辺りに配慮して、この星見台では彼女はとあるあだ名で呼ばれるのが通例となっていた。

 ――“アナ”、と。
 元を辿ればこれは、星見台の魔術師こと藤丸立香が名付けたものではない。
 彼が初めて彼女と出会った第七の特異点で、ある魔術師が使っていた呼び名だ。
 彼に習って皆が彼女をそう呼ぶようになり、バビロニアを復元した後改めて縁を繋いでからも、立香は彼女のことをそう呼ぶようにしている。

「そんなことないと思うけどなあ……」

 どこか淋しげに微笑む彼女に居た堪れないものを感じながら、しかし過ぎたことを言うつもりにもなれず、立香は頬を掻いた。

 事の始まりは、カルデアにあるサーヴァントが召喚されたことだ。
 伝承地底世界・アガルタ――第二の亜種特異点で出会い、対立し、戦い、分かり合った語り部のサーヴァント。真名を、シェヘラザード。
 縁は繋げたのだしいつか召喚出来ればいいなと思っていた立香だったが、まさかこんなに早くそれが実現するとは彼自身思っていなかった。
 死を恐れる性分自体は変わっていない彼女がうまくカルデアに馴染めるか最初は不安だったものの、蓋を開けてみれば語り部という職業がナーサリー・ライムやジャック・ザ・リッパー、ジャンヌ・リリィといった子供サーヴァント達に大受け。今では一日一回の読み聞かせがすっかり恒例化し、時には名のある英雄や王までもが顔を覗かせてはシェヘラザードをびくつかせている。
 マスターである立香としては、アナにもぜひ混ざって楽しんでほしい思いであった。というのもさっきの言い草から分かるように、本心では混ざりたがっているのだ。
 女神とはいえ子供は子供。けれど彼女は少し大人びているものだから、他者と自分を比較して、空気を壊さないようにと遠慮してしまう。そこがどうにももどかしく、かと言って自分が干渉しすぎるのも違う気がする。サーヴァントを真に思っていればこそのジレンマだった。

「それに、わたしは此処の方が好きですから。マスターのおそばにいるのは、とても落ち着きます」

 そんなマスターの感情を、アナはしっかりと理解しているのだろう。
 はにかんだ笑顔でそう口にする彼女からは、主への全幅の信頼が感じられる。
 ――立香はこれまで様々なサーヴァントを召喚し、共に戦ってきたが、個人的に関わる機会が最も多かったのはこのアナだ。
 単純に波長が合ったのか、それとも偶然の積み重ねだったのか、それは分からない。
 ただ、バビロニア復元後に召喚された新参者でありながら、かなりの速度と深度で互いに絆を深めていったことは確かといえよう。
 少しばかり照れ臭くなってテーブルの上のクッキーを一枚口へ運ぶ。その矢先のことだった、失敬なひそひそ話が飛び込んできたのは。

「……のうのう沖田。見よあの光景を。幼子と年頃の青年が二人、エモめな雰囲気でティータイム。仲睦まじいを通り越して、若干こう、妙な匂いがしてこんか?」
「発想が下世話ですよーノッブ。立香さんに限ってそんなことがあるわけないじゃないですか。マシュさんという人がありながら」
「かーっ、古いのうお主は。聖杯からの知識に曰く、現代にはこんな言葉があるそうじゃぞ? 浮気は男の甲斐性、と。
 サルの奴など首がもげる勢いで頷きそうな話じゃわい。あ奴は女癖が悪かったからのう、まあ衆道に走るよりかは幾らかマシじゃろうが」
「ほんとほんと! 殿下はその辺す~~んごいだらしなかったんだよねー。ま、茶々にはすっごいお熱になってくれたんだけど!!」

 もはや言わずと知れた、カルデアの与太話担当。
 シリアスな場に突っ込むと途端にそれを崩壊させることで有名な、変人集団(コハエース組)である。
 尾張の第六天魔王、織田信長。新撰組の天才剣士、沖田総司。そして日輪の側室、茶々。
 彼女達はスペースがないわけでもないだろうに、居心地がいいのか、こうしておやつの時間になると毎度毎度立香の部屋に屯しているのだった。
 女子高生かこいつらは、と立香が毎度突っ込みを入れそうになるのも無理のないことだろう。

「アタランテが血相変えて飛んできそうな疑惑を立てるのはやめなさい! それに、マシュともそういうのじゃないからな。勘違いしないように」
「……、追い出しますか?」
「ああもうアナも鎌に手をかけない!!」

 それにしても、日本を代表する英霊達とギリシャ神話に名高き女神が同じ部屋に存在しているなどという光景を一体誰が思い描いただろう。
 前者の方だって信長と沖田が同時空に存在しているという時点で、相当な闇鍋である。そこにゴルゴン三姉妹の末妹と、何故か狂戦士のクラスで召喚された茶々が加わっているのだからとんでもない話だ。
 以前立香に用があってこの部屋を訪れたダ・ヴィンチなど、思い切り不思議な顔をしていた程。なんとも奇妙で、奇天烈な組み合わせなのだった。

「そもそも、何故あなた達までこの部屋に集まっているのですか。
 バーサーカーの殿方……土方さんでしたか。あの人は毎度、カーミラさんや武則天と過ごしているというのに」
「いやあ、沖田さんはあの拷問トリオと一緒にお茶を飲むのはちょっと無理ですね……気が滅入りそうです」

 遠い目をする沖田。かく言う立香も同じような目をしている。心なしか、ハイライトがない。
 実は彼は、件の三人と一緒にこの八つ時を過ごしたことがあるのだったが、沖田の言う通りそれはもうスプラッタ極まる会話を繰り広げながら沢庵や茶菓子を口へ運んでいるものだから、気分が安らぐどころではなかったという苦い思い出を持っていた。

「わははは、そう邪険にするでない。わしとしてはそなたにも興味があるぞ、アナとやら。此処で会ったのも何かの縁じゃろうに」
「…………」
「そうじゃそうじゃ! ていうか茶々、同じくらいの背丈の友達いないし? そろそろ妹キャラも欲しくなってきたっていうかー!」
「わたしは貴方の妹じゃありません……」

 ささっと、まるで人見知りをする子供のように立香の後ろに隠れるアナ。
 彼女はこの通り、控えめで自己主張の少ない性格の持ち主だ。
 基本、信長達に遠慮や緊張という文字は存在しないため、尚更どう関わればいいのか判断が付かないらしい。

 そんな光景を――立香は微笑ましく見ていた。
 アナの方とて、何も信長達を心の底から嫌っているわけではあるまい。
 もしそうなら、何も言わずこの部屋を出て行って寄り付かなくなっているはずだ。
 そうしないということは、彼女は単に距離感を測りかねているだけ。
 ……アナのような娘と関わる上では、いっそこの三人(というか信長と茶々)くらいの暴走機関車だった方が上手くいくのかもしれない。

「なんだか、借りてきた猫みたいですねえ」
「……猫でもないです」

 ……まだ、だいぶ時間は掛かりそうだったが。

 何にせよ、アナが他のサーヴァントと交流を持ってくれるのは良いことだ。
 このカルデアにはたくさんの職員と、たくさんのサーヴァントがいる。
 そんな空間でいつまでも会話の相手が自分やマシュだけというのも寂しいだろう。
 此処には、まだ彼女の姉である二人の女神は召喚できていないのだ。
 相手は女神、縁は繋いであるとはいえ、いつ召喚が成るかは誰にも分からない。
 それなら姉達を待つ間、此処で“友達”の一人や二人でも作っておくのだって悪くはあるまい。
 ――と、立香が親かなにかのようなことを考えていた時だった。

 不意に、部屋の扉がノックされる。
 む、と全員の視線が集中する。
 立香が「どうぞ」と返事をすると、その先にいたのは白髪の男であった。

「エミヤか。どうしたの? 何かあった?」

 エミヤ。
 なんでも、未来の英霊。
 世界と契約した“守護者”なる存在だと、立香は聞いている。
 だが如何せん立香はそっちの話に関してはズブの素人だ。
 だからそこまで詳しく事情を把握しているわけではなかったし、他ならぬ彼の方もあまり深く立ち入られることを望んでいないように感じた。
 彼の全てを知らずとも、立香は彼のことをちゃんと信頼していた。
 というのも、彼は料理を始めとした家事全般が異常なほど得意で、今ではすっかりカルデアの厨房担当となっているのだ。
 ジャガーマンのような並々ならぬ大食家も抱えるカルデアで毎日趣向を凝らした、その上で栄養バランスの完璧に整った食事を提供してくれる彼に疑念を抱くことなどどうして出来ようか。
 そして無論、その実力も折り紙付きだ。そこな魔物やワイバーン程度ならば紙のように蹴散らす強さを、彼は有している。

 その彼がこの部屋を訪れることはそう多くなかったが、大方物品が欠けているとか、差し入れとかだろう。
 そんな風に考えながら彼のもとへ駆け寄った立香にエミヤが口にしたのは、しかしそのどちらとも違う要件であった。

「実は今朝から、イリヤの姿が見えなくてな。朝だけなら寝坊で済むが、昼食の際にも不在のようだった。
 妙だと思っていたんだが、先程ついに彼女と同郷のはずのクロエからも彼女の居場所を聞かれてしまってね。
 一人で出歩く理由も行き先も思いつかないし、もしかすると君と一緒に居るのではと思ったんだが――」
「……イリヤが? ううん、来てないよ……?」
「そうか……となると、いよいよ分からないな」

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン――行方を晦ましているという彼女は、ある意味ではエミヤ以上にイレギュラーな英霊である。
 というのも、そもそもサーヴァントですらない。カレイドステッキなる魔術礼装を持ち、変身して戦う“魔法少女”なのだ。
 ある一件で縁を結び、なんだかんだでカルデアに協力してくれることになったのだが……突然言伝てもなくどこかに行くというのは、立香が知るイリヤの性格では考えにくい話だ。元の世界ではどうあれ、このカルデアにいる彼女に限っては。

「なんじゃなんじゃ? 家出か?」
「どうもそういう話でもじゃなさそうですけど……」

 あまり穏やかではない話の内容に、室内の彼女達もざわつき始める。
 魔法少女なんて胡乱な存在なのだ。茶々辺りがちょっかいを出したことも、一度か二度はあるのだろう。

「俺、ちょっとダ・ヴィンチちゃん達に聞いてくるよ。ないとは思うけど、シミュレーターを使ってそのまま……なんてこともあるかもしれない」
「悪いね。私はもう少し、他のサーヴァントを当たってみるとする。
 彼女とは――いや。正確には"あの"イリヤではないが、少しばかり縁があってね。お節介を焼くつもりはないが、少し嫌な予感もする」
「十分焼いてると思うけどな、今の時点で」
「……からかうのはやめたまえ。では任せたぞ、マスター」

 彼も彼で、素直じゃない男だと立香は思う。
 ……それはさておき、姿を消したイリヤの件に嫌な予感を覚えるのは彼も同じだった。

「……イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。話したことはありませんが、確か彼女は――」
「ああ。詳しいわけじゃないけど、ちょっと特殊な体の構造をしてるらしい。
 それこそ、悪用しようと思えばいくらでも悪用できるような仕組みが備わってるってダ・ヴィンチちゃんは言ってた。
 エミヤは多分、そのことを俺より詳しく知ってるんだろう。……放っては、おけないな」

 というのも……カルデアからサーヴァントが消えた、というのは、前に一度あったことなのだ。
 直近だとアガルタの一件。ドレイクやエレナといった何騎かのサーヴァントが突然消え、特異点に漂流させられていた。
 特にドレイクは已む無くカルデアの手で討ち倒すことになった――その後幸運にもすぐに再度召喚できたから良かったものの、英霊と出会う機会は基本的に一期一会。あのまま今生の別れとなることだって十分にあり得た。今回のイリヤが、ドレイク達のようにどこかの亜種特異点へ放り込まれ、何か良くない状態になっている可能性は十二分にある。
 だから、放ってはおけない。マスターとして、年長者として。

「ごめん、アナ。ちょっと行ってくる。信長達と待っててくれる?」
「ぅ。――、……はい」
「ちょっと何さ今の間」
「今思いっきり嫌そうな顔したの、おぬし」
「してません……」
「じゃあその“……”は何さー! 三点リーダーを二個! 六点リーダーなんですけどっ!?」

 彼女達ならきっと大丈夫だろう。
 そう思いながら、立香は席を立つ。

“何かあったら、フォローしてあげて”

 部屋を出る前に、一応沖田に目配せだけはしておいて。

“ええ。沖田さんにおまかせあれっ”

 ウインクで返してくれる己のサーヴァントに頼もしさと誇らしさを覚えながら、藤丸立香はブリーフィングルームへと急ぐのだった。




「やれやれ。あやつも大変じゃのう」

 慌ただしく駆けていく己のマスターを見送って、同情するように苦笑したのは信長だ。
 それに対し、沖田と茶々の二人がうんうんと頷く。
 アナも声にこそ出さないが、二人と全くの同感であった。
 今、藤丸立香というマスターが契約しているサーヴァントは数十騎にも及んでいる。
 レイシフト先に連れて行かない限り消耗は然程でもないらしいが、自分達全員を管理するだけでも相当な手間だろう。
 それこそ、名前を全員分覚えるのすら大変なレベルの。

「中途半端に知識がある人だと、逆に務まらない仕事なのかもしれませんねえ。
 こう言っちゃなんですが、立香さんが無知だからこそ自然とこなせることもあるんでしょう」
「なるほどね! 今風に言えば、えぇと、ライナーズビッグ!!」
「……それを言うなら、ビギナーズラックでは」
「そうとも言うー!!」

 はあ、と呆れ混じりに嘆息するアナだったが、今の沖田の台詞にも全面的に同意見だった。
 藤丸立香は魔術師としては落第もいいところ。胆力はあるが非情さが足りなすぎるし、何より絶対的に知識が不足している。
 けれど、もしも魔術師の常識で言うところの“まとも”な人物がマスターとなっていたなら、人理修復は成し遂げられなかったろう。
 時に人は現実を直視しなければ、非情にならなければ大業を成し遂げられない。
 だが、夢のような希望論が現実を凌駕することもこの世界ではままあることだ。
 ……少なくともアナは、あのマスターでなければ召喚されることはなかっただろう。
 仮にされたとしても、今のように気を許し、信頼を寄せるほどの間柄になることは決してなかったと断言できる。

「というか、あの土方さんが従ってるって時点で立香さんはよくやってますよ。
 あの人、気に入らない人には絶対従わないでしょうし。本気で斬りかねませんし」
「沖田んとこの殺人サークルは本当に物騒じゃのう。茶々もドン引き」
「殺人サークル!? 
 せ、せめて人斬りサークルにしておいてください!! 
 ただでさえ色んなところから抗議が来るゲームなんですからっ!!」

 ごはっと吐血しながら、突如デフォルメされたような絵柄になる沖田。
 その様子を見つめつつ、アナは紅茶を両手で啜り、若干落ち着かないティータイムを過ごすのだった。
 紅茶は、少し冷めていた。今日は冷房が効きすぎているのかもしれない。

「時に、アナよ。実は前々から、おぬしに問うてみたいことがあったのじゃが」
「……? なんでしょうか」
「いや、大したことではないのじゃ。
 おぬしに、ちょっとばかし語って欲しい話があっての」
「語り部なら、シェヘラザードさんに頼んだ方がいいかと思いますが……」
「それではいかん。おぬしにしか語れぬ話よ」

 ……この時点で、アナは信長の“語って欲しい話”とやらが何かを九割方理解する。
 シェヘラザードでは語れず、自分には語れる話。それでいて彼女が興味を持ちそうなものとなれば、あれしかない。
 すなわち、第七特異点。時間神殿を除けば最後となる特異点、バビロニアの魔獣戦争についての話だ。

「ウルクのお話ですか? あの時のわたしと今のわたしは、厳密には違うわたしですが」
「じゃが、ある程度は引き継いで(・・・・・)いるのじゃろう?」
「あら、いつになく食い下がりますね。よっぽど暇なんでしょうか」

 沖田が意外そうな顔をしながら、饅頭を口に運ぶ。

「それは。そうですが……」

 怪訝な顔をするアナに対し、信長はいつも通りの笑顔を浮かべた。
 豪放磊落にして快活極まる、尾張の大うつけと呼ばれた女ならではの笑顔。

「わしはあの場にはいなかったのでな、知らんのじゃ。
 うるくとやらの魔獣共はどうであった? 連なる女神に対し、あの男はどのように立ち向かった?
 ――――蘇ったビーストⅡ、回帰の獣を前にしたあやつはどんな顔をしておったのだ?
 わしは知りたい。あの奇妙な男が、如何にして神代の大災害を退けたのかを。当事者の口から聞いてみたい」

 アナが口を開こうとするのを遮って、信長が続ける。

「女神イシュタルの輝きを見たか?
 レオニダス一世の生き様を見たか?
 賢王ギルガメッシュの勇姿を見たか?
 ゴルゴンの怪物、己の未来はどうであった?
 回帰の獣はおぞましかったか?」

「――お。伯母上……? ちょ、ちょーっと興奮しすぎじゃ」

「おぬしは、どのように死んだ?」

 ――――その口元が、三日月の形を描いて歪んだ。
 ――――墨で塗ったような黒い笑みを、女神は見る。日輪の姫も、無明へ至る剣士も。等しく、目にする。

「そして、それらを見た藤丸立香(あのおとこ)はどんな表情をしていた?
 死地へ向かうおぬしを見送ったあやつは泣いていたか? それとも気丈に悲しみを押し殺していたか?
 いや泣きはせんか、それでは鏡など務まらぬか! 大方後者じゃろうな、拳を割れんばかりに握り締めて必死に唇を噛んでいたと見える!
 さあ語るがよい、そなたの愛する主の勇姿を、雄々しさを! 褥に狂う乙女(おぼこ)が如く頬を染めて己が主の全てをわしに――」

 その先を、口にさせはしなかった。
 アナは勢いよく椅子から立ち上がれば、傍らに置いていた不死殺しの鎌を取り、そのまま信長の首筋へ突き付ける。
 歴戦の暗殺者ですら息を呑むほどの淀みない、迅速な動作。
 それはこの女神が姉達と違い、明確に他者の命を奪い去る魔の素養を有していることを如実に物語っている。

「……誰ですか、貴女は」
「女神の末妹よ、剣呑が過ぎぬか? 熱くなってしまったのは認めるが、同胞(はらから)の首に刃を当てるなど、そなたの主が泣くぞ? 沖田も茶々も何とか言わんか」

「…………」
「…………」

 話の矛先を向けられた二騎のサーヴァントだが、彼女に同意も異論も示さない。それどころかいつもの茶々入れや窘めすらない始末だった。
 その理由はただひとつ。アナだけではないのだ、異変に気付いたのは。
 アナが動かなければ沖田が、彼女も動かなければ茶々が動いていた。
 何をしに? ――単純明快。今饒舌に舌を回している、“織田信長の姿をした何か”の首を断ちにだ。

「……質問を変えます」
「それにしても、やはり人殺しは上手いんじゃのうおぬしは。わしも思わず見惚れてしまいそうな滑らかさ、実に見事であった」
「――貴女は」

 首に刃を押し当てる。皮膚が破れ、血が出るほどの圧力で。
 にも関わらず――目の前の織田信長の首から流れてきたのは血ではない。
 世間一般にコールタールと呼ばれるそれを思わせる、ドロドロの黒い液体だった。
 液体というよりも最早流動体と呼んだ方が適切なのではないかと思えてくるほどの、未知の物質。
 だが、誰の目から見ても分かることが一つある。
 それは、これがこの世のどんな毒も軽く思えるほどの劇物であるということ。
 話に聞くケイオスタイドともまた違った、しかし質の悪さでは並び得る汚濁の塊であるということ。
 それを踏まえた上で、アナは問う。

「――――貴女は、“何”なのです」

 アナには、判別が付かなかった。
 ついさっきまで、確かに自分の知る鬱陶しい東洋武将だった彼女。
 しかし今の彼女は明らかに先程までとは別人だ。
 外側も中身も同じでも、何か、決定的に大切な何かが違っている。
 いや……そもそもそれ以前に、これは“何”なのだ。
 人? 神? 獣? 現象? 災害? 抑止力?
 ――分からない。唇を噛むアナと、各々臨戦態勢を取りながら固唾を呑んで事の行き先を見守る沖田達。
 いつの間にか張り詰めた空気は真冬のように凍り付いて、比喩でもなんでもなく凍えてしまいそうだ。
 先程までの和やかな時間に思いを馳せながら信長は苦笑し、「名乗るほどの名でもないのじゃが」と前置いて、言った。

「――――邪神・ナイアルラトホテップ」

 その刹那。

「じゃよ」

 藤丸立香の寝室に、極小の地獄が顕現した。




「――アナっ! 皆!!」
「ご無事ですか、皆さん……!!」

 突如、星見台に響いた大轟音――
 カルデアそのものが吹き飛んだのではと思う程のそれは、ブリーフィングルームの立香達の耳へも当然届いていた。


『イリヤスフィールがいない? ううん、特にシミュレーターが使われた記録も、レイシフトが行われた記録も残っちゃいないけど……』

 あの後。
 ブリーフィングルームに言った立香は、結論から言うと何の手がかりも掴むことは出来なかった。
 頼みの綱だったダ・ヴィンチは、立香の問いにこう答えて首を傾げたのだ。
 無論正攻法で外へ出たという可能性も、カルデアのセキュリティ上考えられない。
 その上でシミュレーターもレイシフトも彼女の行き先には繋がらないとなると、いよいよもって“何処かに隠れている”くらいしかなくなる。
 だが、それこそ“何故そんなことを”という話になってくる。意味がないし、話の筋道が通らない。
 だからこそ、立香は悪寒を覚えた。先程考え、杞憂であればいいなと願った最悪の可能性。
 ――アガルタの時と同じ、亜種特異点への漂流。
 あの天真爛漫で、少し苦労人気質な少女の笑顔が歪む様を想像すると居ても立ってもいられなくなり、立香はダ・ヴィンチへイリヤの件の捜査をしてほしいと頼む。ダ・ヴィンチも、これは只事じゃないとすぐに判断。カルデアの設備を惜しみなく使って彼女の捜索に当たることを約束してくれた。事件が起きたのは、その矢先のことである。


「なんじゃ、随分早い到着じゃの」

 つい数分前まで穏やかな時間の流れていた立香の部屋は、既に惨憺たる有様に変わり果てていた。
 頭から血を流してぐったりと壁にもたれかかっている茶々に、刀を抜いたまま、腹から背までを貫通するほどの傷を負っている沖田。
 新撰組にその人ありと恐れられた魔剣士は、アナを庇うようにして信長――否。
 第六天魔王・織田信長の皮を被った邪神の化身と相対していた。

「……どうして、っ」
「あはは……立香さんに、何かあったらフォローしてと、頼まれちゃいましたからね。それに――」

 邪神の暴威が真っ先に向かったのは、当然最も間近に居たアナであった。
 ナイアルラトホテップと名乗った黒い血の神格、その眼球に異形の紋章が浮かんだ途端、アナは比喩でも何でもなく己の死を悟った。
 大人の自分や、怪物と成り果てた自分ならばいざ知らず。“女神”である分、戦闘力にやや悖るこのわたしではどうにも出来ない。
 この距離では躱すことも不可能だと、呆気ない終わりを悟った。
 その時である、沖田が真横から彼我の間合いを“吹き飛ばして”二人の間に入り込み、アナの代わりに邪神の一撃を受けたのは。
 ――――その次の瞬間には既に、部屋中に邪神の権能が吹き荒れていた。

「……それに」

 沖田はマスターを振り向こうともせずに、目の前で嗤う黒い戦国武将を睥睨する。
 最早そこに、病弱で、尚且つ奔放な信長と茶々、たまに土方のツッコミ役だった沖田の姿はない。
 新撰組――歴戦の武人ですら畏れたという人斬りの姿だけがあった。
 腹を破られて尚衰えることなきその気迫の、なんと凄絶なことか。血に濡れた痩身は羅刹の類をすら思わせる。

「これでも、因縁の相手なんですよ。
 気に食わないと思ったことは星の数ほどありますし、何なら沖田さんだけカルデアに召喚されればと思うことも未だにあります。
 でもね――」

 それを、ただ邪神は三日月に歪んだ笑みを浮かべて見ていた。
 沖田総司という剣客を評価するでもなく、それに何か期待しているわけでもない。
 言うなれば、これは。目に映る全ての存在を馬鹿にしているのだ。
 アナも、沖田も、茶々も、マシュも、恐らくは、“織田信長”という英霊自体のことも。
 何一つとして視ていない。何一つとして尊重しない。尊いものなどありはしないと、傲岸不遜に嘲り笑っている。
 これにあるのはただそれだけ。それ以外のものなど、望むべきではない存在。
 まさに――邪神。邪なる神。形容などそれで十分。

「よりにもよってそんなもの(・・・・・)に堕ちる必要はないでしょう、織田信長。
 第六天魔王が聞いて呆れる。邪神、何する者ぞ。この剣を以って、あなたの目を覚まさせるッ」

「やってみろよ、鈍ら刀」

 誠など知るわけもない鬼畜の邪神、当然沖田も言葉が通ずるとは思っていない。
 故にこそ、剣だ。己が対人魔剣を以って、一撃で討ち倒す。この間合いならば外すことはありえない。
 邪神と連動して元の信長も滅びたのなら、是非もなし。
 そうならなかったなら、それでこそと笑った後で皮肉を叩き付けるまで。
 いずれにせよ斬らぬ選択肢はない。沖田は神秘の浅い英霊、この邪神の正確な規模や脅威度を分析できるほどの霊格は持っていなかったが――
 それでも分かる。これは一分一秒とて生かしてはおけぬ存在、正真正銘の外道であると。
 存在そのものが全人類、全生命体にとっての不利益。此処で斬らねば億千の禍根を生む。

「沖田さん――っ」

 制止の声をあげる立香だが、沖田はそれに口元を僅かに緩めるのみだ。
 退く気はないということが、彼女をよく知る立香にはそれで分かってしまう。

「先輩、今は……」

 シールダーとしての力が使えない現状、マシュ・キリエライトに出来ることもまた、ない。
 彼女も彼女で自分の弱さに歯噛みしながら、事の趨勢を見守るより他なかった。

「……っ」

 アナも同じ。
 彼女はサーヴァントだ。この場では唯一、戦うことが出来る。
 しかしだからこそ、彼女もまた分かってしまう。力を、命を奪う手段を持っているからこそ、分かることがある。
 今、沖田総司は必殺の間合いにいるのだ。当たらぬということはない。打てば、当たる。それは確定事項と言っていい。
 要するにこの場は、沖田の対人魔剣――“無明三段突き”が邪神を滅ぼすか、信長から引き剥がせるかのどちらかにかかっている。
 アナが介入した場合、その前提がまず崩れ去ってしまうのだ。
 必殺の間合いが解け、結果的にそれは沖田にとっての不利益しかもたらさず事態の収束を遠ざける。
 だから見守るしかない。何故、ろくに関わったこともない自分を身を挺してまで守ったのかと、幼い心を揺らしながら。

「――いざッ」

 戦場に事の善悪なし、ただ只管に斬るのみ。
 今はただ、背負った欠陥……病弱のスキルがもたらす発作の訪れないことをただ祈る。
 沖田の足裏が、地面を強く踏み締め、僅かに踵を浮かせた。
 対人魔剣発動の合図。シュレディンガーの猫箱は、今こそ形を変えて再演される。



 ――が。



「――――――――沖田ァ!!!!!!」



 静寂を切り裂く銃声。そして、それを圧殺するほどの怒声がマイルームに響いた。
 「なっ!?」と驚きの声をあげながら、反射的に頭を左へ傾ける沖田。
 その髪の毛を数本掠めながら、放たれた銃弾が邪神と化した信長の眉間へ容赦なく迫っていく。
 それは蝿でも払い除けるような気軽さで押し退けられたが、当の本人はそんなことには一切頓着していないようだった。

「――ひ」
「――ひ」

 立香と沖田、二人の声が重なる。

「「土方さん――――ッ!!!???」」

 それに対して、粗暴なる乱入者……黒髪に帯銃帯刀のバーサーカー。土方歳三は、不機嫌そうな舌打ちで応えた。
 土方歳三。茶々と縁を繋ぐきっかけとなった、魔神柱アンドラスが原因で発生した特異点で出会い、その後召喚に成功した日本人なら誰もが知る偉人。鬼の副長の二つ名に恥じぬ恐ろしさと頼もしさを併せ持った彼は今、伏線も兆候も一切ない、本当の乱入をかましてのけたのだった。

「沖田、手前――それでも新撰組かッ!」
「は、はいっ!? あ、あのあの、沖田さん今、超絶格好良く決めようとしてたんですけど!?」
「応、そりゃ結構だ。命燃やして放つ一刺し、刺し違えてでも敵を殺す覚悟。何の文句もねえ。
 俺が文句あんのはな……手前が明らかに熱に浮かされて突っ込もうとしてることだッ!!」

 刀を抜き放ち、銃刀二刀流の変則体勢となった土方は、つくづく気に入らないと言わんばかりの眼光で邪神を睥睨しながら踏み出していく。

「刺して殺せなかったらどうする? あの雌狐はいけ好かねえが、そのくらいの芸は仕込んでてもおかしくねえ。そういう相手だろうが」
「それは……そうです、けど」
「なら手前は自殺しようとしたってか。笑い話にもならねえ……頭冷えねえってんなら、丁度穴ァ空いてんだから腹ァ斬りやがれ!」

 鬼の副長、此処にあり。
 どこか悲愴感すらあった空気は、彼の登場で完全に粉砕された。
 狂気に侵されている身ならではの感情の熱量が、一切の悲観を許さない。

「――――手前はな。頭おかしい剣使う割には、変なとこで常識的過ぎるんだよ。
 無意識にこいつが刺して死なねえ可能性を排除して迷いを消してたんだろうが、まずそれが甘ぇ」

 ――――カッ! と、その両目が白目を剥く。立香達は何度も見てきた。戦いの最中、修羅の如きこの形相となった彼を。

「命懸けるんなら――――ブッ刺した野郎が“死ななくても”殺せッ!! 俺なら殺すぞッ!!!」

 誰が止める間もなく土方は邪神へと手持ちの刀を振り落とす。
 岩をも砕き、鋼をも割る豪剣は、しかし抜き放った黒く染まった刀によって防がれた。
 それでも彼は止まらない。何度も何度も何度も何度も、吹き荒れる嵐が如く斬り続ける!
 それはまさしく、不毀なるものをも意地で壊さんとするが如く。
 燃え上がる殺意と戦意を武器に突き進む彼を見て、ようやく星見台の魔術師を縫い止めていた楔が抜け落ちた。

 人理修復を成し遂げた立香をして、あの邪神には気圧された。
 あれは間違いなく、ゲーティアやティアマトといった規格外の存在と同種。
 恐らくは正真正銘の神霊、その化身だ。それも、恐らく今は本体(オリジナル)が直々にあれを操っている。
 だからこそ立香は蛇に睨まれた蛙の如く棒立ちを晒した。だがそれも、土方の乱入というイレギュラーで解ける。
 みすみす自分のサーヴァントを死なせかけた自分を心の中で何十発と殴り飛ばしながら、立香は魔術礼装を起動させた。

「アナ、マシュ! 沖田さんをこっちに!」
「はい!」
「了解……!」

 アナが持ち前の敏捷性を活かして手際よく沖田を抱え、マシュが誘導する。
 立香は邪神を完全に土方が引き受けているのを確認してから、魔術礼装による応急処置の治癒魔術を沖田へと行使した。
 完調とまでは行かないが、これで消滅に至るような事態は避けられたはずだ。
 そのことに安堵しつつ、立香は毅然と、鬼と呼ばれた男と打ち合う自分のサーヴァントの皮を被った何かを睥睨する。
 その姿に、先程まで無様な棒立ちを晒していた彼の姿はもうない。
 まさしくそれは、人類を救った星見台の魔術師そのものであった。

「いたた……すみません立香さん。沖田さんなりに意地を見せてみたんですけど、格好悪い結果になっちゃいました」
「そんなことないよ。沖田さんは、よくやってくれた」
「そもそも、此処で何が起こったのでしょうか? 申し訳ないのですが、正直突然のことで何が何だか……」
「……それ、なんだよなあ」

 立香も、マシュと全く同じ心境だった。
 何かとてつもなくまずいことが起こったのは分かる。
 けれどそこに至った経緯が分からない。自分が席を外したわずかな時間の間に、一体この部屋で何が起きたというのか?
 信長は、どうしてあんな風になっているのか? 眉間に皺を寄せる立香の袖を、くい、とアナが引いた。

「それについてはわたしから話します。実は――」


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最終更新:2017年10月23日 19:08