「また、江戸時代か」
レイシフト、完了。
ただし今回は、前回のように並行世界の江戸ではない。
今度こそ、亜種特異点としての江戸だ。
カルデアのマスターこと藤丸立香にとっては、凡そ一ヶ月ぶりくらいの江戸時代になる。
「……その節は、大変ご迷惑をおかけしました」
一ヶ月ぶりの江戸時代なんて単語使える奴、人類で俺くらいしかいないだろうなあ。
そんな他愛もないことを考えていると、隣のサーヴァントが悲痛な面持ちで唇を噛み締めている。
立香は慌てて、「違う違う! そういうつもりじゃないから!!」と訂正に走る羽目になった。
そう、今回のレイシフトに同行している二騎のサーヴァント。その片方は、あの下総国で戦った〝英霊剣豪〟の一人なのだ。
サーヴァント・アーチャー、真名を巴御前。
下総国では〝アーチャー・インフェルノ〟を名乗り、悪辣な肉食獣に糸引かれ、虐殺を繰り返していた彼女。
とはいえ特異点でカルデアと敵対していたサーヴァントなど、立香の下にはごまんといる。
今更過去の行いを引き合いに出して揶揄するほど、立香はねじ曲がった性分の持ち主ではない。
「いいっていいって。誰も、もう気にしてないよ」
「そうじゃそうじゃー! むしろいつまでも引きずられた方が、マスターも迷惑すると思うしね!!」
底抜けの明るさで割り込んできたのは、立香が今回連れてきたもう一騎のサーヴァントだ。
サーヴァント・バーサーカー。真名を茶々。
巴と同じく、立香の祖国である日本の出身者である。
別に意図したわけではなかったが、全員日本人だ。
ちなみに、茶々が同行するに至った経緯はたまたまその場に居たからだ。
信長や沖田に声を掛けなくていいのかと聞いたところ、「いいの!!!」と食い気味に断言されてしまった。
どうやら、日本サーヴァント組の中でいつも自分だけ留守番なのが余程腹に据えかねていたらしい。
無論、彼女も戦えば相当に〝やる〟方だというのは立香も知っている。だから特に、彼女が来ることに異論を唱えることもしなかった。
「そうですね……ありがとうございます。そう言ってもらえると、とてもありがたいです」
二人でフォローしたおかげか、巴は微笑みを見せてくれた。
これから特異点の修復に向けて動き出すというのに、いきなり微妙なムードになっては堪らない。
立香は心の中で、静かに胸を撫で下ろす。
『あー、あー。聞こえているかな? 特に妨害されている様子もないし、問題ないとは思うんだが』
「あ、聞こえてるよダ・ヴィンチちゃん。通信状況はかなり良好だ」
『よしよし、いつも繋がらないようじゃいい加減天才の面目が潰れるってもんだからね。
さて、それじゃあ立香くん。そこは西暦1606年……慶長11年の江戸だ。関ヶ原の戦いの六年後になる。
いきなりだけど、何か変わったものはあるかい? どんな小さな違和感でもいい。何かあれば言ってみてくれ』
「うーん、そうだな……」
ダ・ヴィンチに促され、辺りを見渡してみる立香。
だが、特に変わったものは見当たらない。
場所は違えど、下総国の城下町と大体似たような光景だ。
流石に将軍の御座す都なだけはあって、あちらよりも幾らか栄えているように見えるが……
「……あ」
立香はふと、奇妙なことに気付いた。
奇妙といっても、気のせいだと言われてしまえばそれで終わるような小さなことなのだが。
同じ江戸時代の城下町を歩いた時の記憶と目の前の風景を照らし合わせると、ある疑問が浮かんでくるのだ。
此処は江戸。時代的に、徳川家康の率いる幕府が存在する、文字通り国の心臓である。
「なんだか、少し街に活気がないような気がする」
あくまで見えている範囲での話だが、人の数が少ないのだ。
下総国の城下町は常に活気があり、大勢の人々が賑やかに町並みを彩っていた。
単純に規模で上を行っているはずの江戸がそういう状態でないというのは、おかしいとまでは行かずとも少し妙に思える。
『ふむ……』と顎に手を当てて何か思案しているダ・ヴィンチをよそに、巴と茶々も同意の声をあげた。
「言われてみれば確かに、時の幕府が存在する都にしては寂れているような」
「茶々もそう思うー! ま、あの狸爺の陰険さに嫌気が差してみんな居なくなっただけかもしんないけど!!」
関ヶ原の戦いを制し、乱世を終わらせ三百年の泰平を築き上げた英傑徳川家康。
家康は間違いなく優秀な男ではあるのだが、如何せんかなり多方面に恨みを買っている人物だ。
巴の方はまだしも、茶々などはこの通り、かなり露骨に嫌っている。
嫌いなものは何かと聞いたなら、真っ先に家康――もとい〝狸爺〟の名を挙げるほどだ。
「(それにしても、徳川家康か)」
下総国の時には、既に家康が将軍を務める時代は終わっていた。
代わりに征夷大将軍の座に即位していたのが、徳川家光。
あの時は場所が場所だったため会うことはなかったが、此処は江戸、徳川の統べる町だ。
もしかしたら、直接会う機会もあるかもしれない。茶々が暴走したりしないかだけは不安だが。
『残念だが、これだけじゃまだ情報と呼ぶには弱いな。
もう少し江戸の町を散策してみてくれるかい、立香くん』
「ん。分かったよ、ダ・ヴィンチちゃん」
あまり褒められたことではないが、立香としても〝江戸時代の江戸〟がどんな感じなのかには多少興味があった。
歴史に造詣の深い方でないとはいえ、彼とて日本人の端くれだ。
目の前に自分が教科書で習った時代の首都があるとなれば、多少の好奇心は湧いてくる。
もちろん本来の目的は忘れずに、程々に楽しもう。立香は声には出さず、そう胸に誓って一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇
『ふむ。どうやら立香くんの言う通りみたいだね』
江戸の町を散策すること、三十分ほど。
実際に色々見て回ってみると、やはり明らかにこの町は人気というものに欠けていた。
人がいないわけではないのだが、都にしてはあまりに少ない。
ましてこの時代は泰平だ。そう考えると、十分に〝無視できない違和感〟であるといえる。
疫病、内乱。
或いはあり得ざる、関ヶ原の次の戦でも起こったか。
理由はいくつでも思い付くが、そのどれもが人理崩壊に直結しかねないから恐ろしい。
巴が不意に脇道に逸れ、一言断った上で民家の中を覗く。しかし、住人が何かそれに反応する様子はなかった。どうやら、無人のようだ。
「……この町は活気がないというより、人の気配そのものが少ないように感じます。
恐らく何かしらの理由で、民の多くが江戸を出て何処かへ逃れているのではないでしょうか」
「あ。疎開みたいなものかな、ダ・ヴィンチちゃん? ほら、戦時中みたくさ」
数百年後の未来、この国は戦火の炎に包まれる。
空から降る炎や銃弾を防ぐ術のない一般市民達は標的にされにくい田舎に逃れ、終戦を待ち続けたという。
それが、今立香の口にした〝疎開〟だ。
何かから逃れるために江戸から人が去っていったのだとすれば、この例えが一番近いような気がした。
『事が巴御前の言う通りだとすると、その可能性は確かに高い。
となると問題は、人々は何から逃げていたのか、だが……』
当然ながら、本来の歴史ではそんな危険な事態は生じていない。
これは間違いなく、この亜種特異点ならではの非常事態だ。
考え込む一行。こうなれば直接その辺りの人に聞き込みをして突き止めるのが手早いかと、立香が踵を返して振り向いた、その時だ。
「ふんふん、これは随分と珍しい布を使ってるな。
南蛮から流れ着いたものかな? いや、それにしても質が良すぎる。
それこそ余程身分の高い武士か貴族でもなきゃ、身に付けられない上物だ」
「う、うわあああッ!?」
立香は、己の後ろで何やら自分の着用している魔術礼装を物珍しそうに見ている青年の存在にようやく気付いた。
巴も茶々も、通信越しに状況を確認しているはずのダ・ヴィンチも、この時初めてそれに気付いたらしく目を丸くする。
だが、それも一瞬。巴は己の得物に手を伸ばし、茶々もいつでも吶喊できるように臨戦態勢を取る。
そんな彼女達に今度は青年の方が面食らったのか、うおっと、と声をあげて後ろに一歩後退った。
「随分と不躾な登場よのう! さしものわらわも、こんな堂々と敵が出てくるとは思わなかったわ!!」
「お、おいおい。いきなり物騒な真似はよしてくれよ、往来の真ん中だぞ?
それに、敵だなんて失敬だなあ。オレはただ、この兄さんの召し物が珍しくてつい見惚れちまってただけだよ」
「戯言を並べるのは構いませんが、時と場所を考えることを勧めます」
そう、とぼけても無駄だ。
カルデアのサーヴァント達と、そしてそのマスターである藤丸立香には通じない。
現に立香の目には、既にこの男の〝ステータス〟……サーヴァントとしての霊基が見えていた。
各種パラメータの高さは平均より少し上程度だが、問題はそこではない。
「立香様はともかくとして、私と茶々様。カルデアの司令塔であるダ・ヴィンチ様の三騎がかりでも気配を察知出来なかった。
……かなり高い位の気配遮断を所持していなければ話が通りません。暗殺者のサーヴァント辺りでしょう、貴方の素性は」
全員に警戒の目を向けられた挙句、巴に論破されてしまった青年。
彼は一瞬沈黙したが、やがて堪えきれなくなったように「ぷっ」とその頬を膨らませた。
その後、「ぶはははははははは!!!」と聞いていて気持ちよくなるくらいの呵々大笑を響かせる。
どうやら彼自身、流石にあれで誤魔化し切れるとは思っていなかったらしい。
「ははははは、あー可笑しい。悪い悪い、ちょっとからかっただけだよ。そう怒るなって、別嬪さんが台無しだぜ?」
ひらひらと手を振って、青年改め素性不明のサーヴァントは戦意のないことを示す。
夕焼け空を思わせる橙色の髪がよく目立つ、長身の青年だった。
顔立ちは精悍で、体つきもよく引き締まっている。相当な鍛錬を積んできた英霊であると、立香はすぐに理解した。
さて、問題は。彼が果たして敵か味方か、どちらなのかということだが。
「安心しなよ、オレはおたくらの敵じゃあない。むしろ、その逆だぜ? 多分」
「多分って……アンタは、この町で起きてることについて知ってるのか?」
「当たり前だろ。そのくらい把握してなきゃ、〝おたくらの敵じゃない〟なんて台詞は出てこないっつの」
なんとも癖の強そうな男だが、此処で起きていることについて色々と知識を持っていそうな辺りは素直にありがたかった。
一民草の視点ではなく、特異点に召喚されたサーヴァントならではの視点から語られる情報は言うまでもなくかなり重要度が高い。
巴達はまだ完全に信用したわけではないようで、いつ何が起きても対応出来る姿勢を取ったままであったが。
「つっても、情けない話。オレもスタートはおたくらと同じような感じでね、事を把握してるってのも所詮ただの受け売りだ」
「それでもいいよ。何か知ってるなら、聞かせてほしい」
「そう急ぐなって。オレが話してやってもいいが、やっぱり一番詳しい奴から聞いた方が色々と捗るだろ」
どうどうと立香を宥めながら、サーヴァントはそんなことを言う。
一番詳しい奴。話の内容から鑑みるに、その人物こそ彼に事の次第を教えた張本人なのだろう。
恐らくは、サーヴァント。
〝彼〟なのか〝彼女〟なのかすらも解らないが、とにかくそいつと接触できれば状況は大きく前進するに違いない。
「そこまで言うからには、わらわ達のことをしっかり案内してくれるのであろうな?」
「応ともよ。……ていうか、オレも雇われの身でね。仕事はきっちりこなしとかねえと、色々居心地が悪いんだ」
「雇われ、のう。そもそも貴様、日ノ本の英霊ではないな? なんだってわざわざこんなところに召喚されておる?」
「ンー……」
茶々の言う通り、彼は見るからに日本の英霊ではなかった。
橙の髪もそうだが、2メートル近いであろう長身に琥珀のような瞳。
顔立ちこそアジア系のそれであるものの、他の構成要素が悉く日本のそれと結びつかない。
偶然、何かの間違いで召喚されたサーヴァントなのか。それとも、何か意味があるのか。
問われた彼は、明らかに痛いところを突かれた様子であった。
しばらくどう答えるか考えた末――「待った」と手を突き出す。
何のつもりだと思っていると、今度は両手を顔の前で合わせて謝意を示し始める。
「悪いね。その辺りは、今は言えない」
「は? な、なんじゃそりゃ!」
「ついでに真名もまだ秘密だ。でもクラスだけは教えてやってもいい」
むう、と茶々は不服な様子でむくれている。
そんな彼女を宥めるように、橙髪のサーヴァントは自らを親指で差し示す。
そして、言った。立香達が全員瞠目するような、そのクラス名を。
「オレはサーヴァント・アヴェンジャー。
とは言っても、今はちょいと訳あって復讐者の側面がほとんど動いてないから安心していいぜ。
江戸の頼れるお兄さん、くらいに思っといてくれりゃそれでいい」
◇ ◇ ◇
「のう、のう。あの男、本当に信用できるのか?」
肩を小突いてくる茶々の顔は、不信感を露わにしたそれだ。
アヴェンジャーのサーヴァント。恐らくは、気配遮断に類するスキル持ち。
何故か江戸時代の日本なのに外人。真名は例の如く教えられない。自分はおたくらの味方だと豪語しているにも関わらず、である。
これですぐに信用しろという方が、無茶な話だった。
「わからない。でも、今は彼に付いて行くしかないよ」
「先程から、何かあればすぐにでも離脱できるよう常に備えております。
あの御仁……アヴェンジャー様が今一つ信用ならないというのは同感ですが、今はご辛抱を」
「ぬー……巴が言うならいいけどさあ」
何かあれば、即離脱。
或いは、二騎がかりでの応戦。
無策のまま嵌め殺されるような事態だけは絶対に避ける。
堂々と無防備な背中を晒しながら一行を先導するアヴェンジャーをよそに、カルデアの方針は一致していた。
『あー、時にアヴェンジャー。キミに一つ聞いておきたいことがあるんだが、いいかい?』
「おや、カルデアの司令塔殿。良いよ、言ってみてくれ。答えられる範囲でなら答えてあげよう」
立香達の情報は、江戸の現状の情報と等価交換ということで部分的にしか伝えていない。
教えたのは、自分達がカルデアという特殊な機関からやって来た身であるということ。
時空を超えて通信で連絡が取れると聞いて、アヴェンジャーは「便利なもんだなあ」とえらく感嘆していたが、閑話休題。
『キミの言う、この街の事情に〝一番詳しい奴〟とやらは具体的にどこの誰だい?
これも教えられないというのなら仕方ないが、そのくらいの譲歩は見せてほしいところだな』
「ン……そうだな。まあ、それくらいならいいだろ。正直、そっちは隠す意味がないからな」
隠す意味がない――それほど有名な相手なのか。
立香はごくりと生唾を呑み込んで、アヴェンジャーの次の言葉を待つ。
それがどこの誰であれ、国籍や人種を問わずこの亜種特異点のキーマンであることは間違いないのだ。
やがて、実に軽い調子でアヴェンジャーは言った。
「江戸幕府初代征夷大将軍、徳川家康公。一応、クラスはキャスターらしい」
「―――帰゛る゛!゛!゛!゛!゛!゛」
……人気の失せた江戸の町に、茶々の絶叫が轟いた。
最終更新:2017年11月15日 03:00