私は一体、何だったのだろう。
地球に住まう人類と彼ら以外の生き物は、その年を、当たり前のように危なげなく過ごした。
無事に家族と年を越した者もいた。一人寂しく、怠惰に緩やかに次年を待った者もいた。結局年内に仕事が終わらず、職場で年を迎えた者もいた。
世紀の最後は何の問題も変哲もなく過ぎて行き――それと同時に、私の力は、失われた。
私は一体、何だったのだろう。
人の生きる社会を破壊する事を、彼ら自身が期待する事で私は生まれた。
諸処諸々の国家を破壊し、人類を混沌の坩堝に叩き落とす事を人自身に期待され、私はその身に力を付けて行った。
――人が生きる基礎にして究極の土台、地球を破壊する外宇宙からの『脅威』として夢見られ、力の限り私は頑張って見せた。
だが、遅かった。人は表面上破滅と死を望んでいながら、結局心の底では多くの人類が、終わりを求めていなかったのだ。
だから、私と言う爆弾は不発に終わった。一年の間に付けて来た、太古の地球や神代の霊をも凌ぐ破滅の力は、一月一日を以って全て失われた。
人を許さぬ訳ではない。私と言う存在を生み出した人類には、ある種の感謝すら覚えている。
覚えているが――ああ。ああ。この心の奥底に芽吹く、焦げ跡の様に燻る感情は、何なのだろう。
私も、破滅の使徒としての力を解放したい。人が嘗て私に望んだ役割を、果たしたい。
ああ、もしも。もしも。
今が■■■■■であったなら。私は――私の生まれて来た使命を果たせると言うのに
――――
カルデア、と言う言葉について藤丸立香は深い注意関心を抱いた事がない。
以前、オケアノスの海でドレイクが、その名前を聞いたとき星見屋と呼んでいたが、これはカルデアと言う言葉の本来の意味を知っていたから出た言葉だ。
カルデアと言う言葉は元来、占星術や天文学に秀でた才能を持った、古代民族ないしこれらを生業とする特権階級の者達であったと言う。
成程、つまりカルデアと言う組織は、地球と言う惑『星』の未来を観測して人類の未来を護る事から、その名前が付けられたんだな、と言う解釈は、
実に半一般人である立香らしい解釈であろう。本当は違うかも知れないが、それでも良いじゃないか。意味的に間違ってないんだし。
カルデアのマスターとして、立香の知識量と言うのは余りにも、本来カルデアが想定していた水準のそれに達していない。
それはそうだ、グランドオーダーが始まる前まで、この青年は市井に生きる本当にただの一般人だったのだ。
運命の悪戯次第では、人理焼却に巻き込まれていたのであるから、実にゾッとしない話である。そんな青年であったから、魔術の腕などそもそもなく、
彼らに通常備わっている魔術の知識も下の下の下。これが聖杯戦争のマスターであったのなら御先が見えない程、マスター適性に疑問を持つような青年であるのだが、
これを天性の幸運と持ち前の柔軟性、そして他のサーヴァントから『人たらし』とすら言われる程のコミュ力と行動力、立香はカバーしている状態なのだ。
そしてそれを以って、事実立香は人理焼却の事件を解決し、人理焼却後に発生した二つの特異点と、不思議な不思議な並行世界での事件を収束に導いた。
カルデアに所属しているスタッフならば、最早誰もが認める所であろう。この青年は、フィニス・カルデアと呼ばれる組織のキーマンである、と。
だがいつまでも、持ち前の天運とコミュニケーション能力、発想の柔軟性、そしてある種無鉄砲とすら言える行動力を武器とする訳には行かない。
当たり前の事だが、身体能力や魔術としての腕前、そして神秘の方面での知識をシッカリと保有していて損はないのだ。
寧ろ立香の場合は、なくて損をする可能性があるどころか、ないと逆に損しかないのである。だから彼は、特異点発見の合間を縫って、日々の勉強やトレーニングを欠かさない。
キャスタークラスのサーヴァントから、魔術についての基礎的な練習や講義を受ける事もあるし、三騎士のクラスの中でも、
まだ『こっちが生身の一般人』である事を理解した上で常識的なトレーニングを設定してくれるサーヴァント達に訓練を見て貰う事もある。
此処に来てから立香はずっと、勉強とトレーニング、そしてたまの休暇やオフを楽しむ、と言うサイクルを続けていた。
音を上げそうな事もあるが、それ以上にサーヴァント達と接する事は楽しい。キツい辛いと零す事はあれど、『辞めたい』と口にした事は一度もないのは誇りだった。
現在、立香はカルデアに存在する図書室のスペースで、殊勝にも自習に取り組んでいた。
結構前から、暇があれば此処に召喚されたサーヴァント達について記された書物を読む事にしていた。
彼らについての理解を深めるのと同時に、頼れる後方支援者。嘗て自分と一緒に前線で戦い抜いた盾役にして、今はその仕事を隠居し青年のサポートに務める少女。
マシュ・キリエライトの負担を少しでも軽くしたいと言う思いもあった。マシュの知識量は驚異的で、立香も舌を巻く位だが、彼女のサポートにのみ頼る訳には行かない。
現に彼女の通信が届かない下総での一件の時は、彼女の的確なアドバイスや補足がなかったせいで、大なり少なりの泣きを見た。と言うか酒呑に滅茶苦茶泣かされた。
自分にも知識が必要なのだ、と思い、立香は自主的な学習を頑張っている。その一環が、図書室で見ている、星について記された諸々の書物だ。
……正直言って、カルデアにおさめられた諸々の書物は、立香にとって解り難いと言うのが本音であった。
それはそうだ、この組織の理念は、ガチガチにお堅いもの。揃えられている資料や書物は、所謂『一次文献』。
解りやすく噛み砕かれ、アレンジのされた二次文献ではないのである。だから、まだ年若い立香には、一次文献特有の固い文体や、あそびも何もない表現に馴染みがない。
それに、殆どの資料が立香の喋れぬ国の言語の本である事が多く、同じ日本語で書かれてる……らしい書物にしたって、何世紀も前の表現や文体である為、
読み難い事この上ない。だから正直な話、勉強しようにもこのカルデアは、勉強する為の資料や文献からしてレベルが高い為、立香は非常に難儀しているのである。
>>ア、ア……アベ……アベプ……
「せ、先輩。無理して読もうとしなくても大丈夫です、私がサポートいたしますので!!」
全文字全段落、全頁英語で書かれた、百科事典か何か? と言うべき、角で殴れば人が死ぬレベルの厚さの、ハードカバーの本を見て目を回す立香。
それを、隣に座るマシュ・キリエライトがサポートする。正直立香の英語力は並程度しかない。日本の英語の授業などで使われる、
解かせる・読ませる・訳させる事に重点を置いた教科書に書かれる英文とは違い、この本に書かれてる英語はネイティブ、それもかなりのインテリ層にターゲットを絞った、
マジのガチの英語である。英語辞書を持ってきてサポートをしようにも、立香からすれば訳ワカメ。全然頁が進まない。
そこで、この頼れる後輩、マシュ・キリエライトなわけだ。戦闘面、レイシフト先でのサポート以外でも、この後輩は実に頼りになる。
隣で立香の為、英文を翻訳し、伝えると言う作業。これが今のマシュの仕事だった。これが、本当に難文部分のみを訳しているのなら兎も角、
全文マシュが訳してやっていると言うのであるから、立香としては立つ瀬もないし、男としてもそれはどうなんだ? と思ったのである。
だから、独力で読ませて欲しいとマシュに断り、チャレンジをして見た物の……結果はご覧の通り。
まず序文の段階で蹴躓く程である。無理して読んでみても、脳内に浮かび上がる訳とも言えぬ訳が本当に正しいのかどうかも解らない。
流石にマシュとしても、無理して読もうとする、頼れる先輩の姿を見ていられなくなったか、自分を頼れと言うような身振りと目線を送り続けるが――助け舟は、意外な男から出された。
「『アンティクトン』、と読むのだよ。マスター」
知恵熱で耳と目と鼻から煙が出そうな程唸っている立香と、図書室の本だと言うのにペンを取り出して要点を丸で囲もうとしているマシュ達の耳に、聞こえてくるのはナイスミドルの声。……ミドル、と言うよりは、もうそろそろアッパーに入りそうな気がするが。
「教授」
と、口にしたのは立香とマシュだった。
一目で上物だと解る洒落たコートに、向こうの伊達者が身に着けていそうなマントが、その男にはよく似合う。
インテリジェンスを一目で感じ取らせる、知性的な風貌と佇まいをしたこの男が、コナン・ドイルの世界的に有名な著作の押絵と同一人物とは思えないだろう。
イラストと実際の姿が違い過ぎるからだ。名を、ジェームス・モリアーティ。このカルデアに召喚された、サーヴァントの一人である。
>>どうして此処に?
「年中悪巧みばかりしてる訳じゃないサ。悪の組織のボスと言うのは往々にして、こじんまりした趣味の一つや二つ、持っているものだよ。小鳥を飼ったりとかね」
「ミスター・モリアーティの場合は読書、と言う事ですか……?」
「趣味の一つではあるね。人の上に立つ上でも、プランニングに於いても重要な知恵も身に付けられる、この世で最も有益な趣味の一つさ」
ふむ、と顎に手を当て、モリアーティは立香達が読んでいる本に目線を送る。
「私が借りようと思っていた本だね、それは」
>>え、そうなの? ごめん、今渡すよ
「ああ、いいよいいよ。優先して君が持っていてくれて構わない。生徒の自習を邪魔する程意地が悪い男じゃあないんだが……せめて、文献を読めるだけの最低限の語学力は……つけておいた方がいいと思うナー」
その一言にグサッと来たか、ショックを受ける立香。遠回しに、もう少し勉強しろと言われたに等しい。
この正論を、よりにもよって問題児であるところのモリアーティに言われた、と言うのが大きい。「先輩、大丈夫です!! まだ巻き返しは出来ますよ!!」と、まるで出来の悪い生徒を励ます予備校の講師みたいな事を口にするマシュ。いいコンビだった。
「とは言っても、マスター。君が読み淀んでいたその言葉を、スムーズに口に出来ないのも、当然の事なんだよ。それは、古代ギリシャ語だ」
>>あ、そうだったの
「そりゃあそうさ。そんな文字英語には使われてないだろう。まぁ、英語以外の文字かと思ったのだろうが、真実それはギリシャ語だよ」
「それで……アンティクトン、とは、どう言う意味なんですか?」
マシュが、至極当然の疑問を投げかけて来る。読みは解ったが、意味が解らないのである。マシュですら解らないのだから、勿論立香にも解らない。
「そうだね……敢えて言うのなら、『反地球』、と言う事になるのかな」
>>はん、ちきゅう……? 半分の『はん』じゃないよね?
「Halfの方じゃなくて、Counterの方だ。つまり、反対の方の『はん』さ」
「つまり、地球とは何から何まで正反対の星、と言う事ですか?」
マシュの言葉に、立香は考える。海と陸地の比率や、空気が毒か否かとかを言っているのだろうか?
「反対側なのは位置さ。その星は、地球から見て太陽を挟んだ反対側にあると言う。故に、反地球、Counter Earthと呼ばれている」
>>太陽を挟んだ反対側……?
「古代ギリシャの学者と言うのは、相当優れていてね。あの時代で既に、地球が丸いと言う事は既に彼らは解っていたのサ。だが、地動説。太陽を中心に惑星が公転していると言う事実に辿り着けた者は、彼らの時代であっても少ない。私が知る限りでは、地動説に指をかけた天文学者は二人。フィロラオスと、アリスタルコスだ」
カルデアに召喚されてから様々な厄介事を持ち込む事が多いモリアーティであったが、その本質は極めて頭が切れる上に、人に物を教える才能に溢れるプロフェッサーだ。
その語り口は滑らかで、自信に溢れ、そして何より解りやすい。立香もマシュも、聞き入っていた。
「さて、この反地球、古代ギリシャの言葉でアンティクトンと言うこの概念を最初に考えたらしいのは、フィロラオスだと言う。フィロラオスが地動説を考えていた事は先程も言ったが、推論を続けて行く内に、自分の推論を裏付ける仮説がない事に気付いた」
「その仮説とは、何なのでしょう?」
「カウンターウェイト。詰まる所、重さの釣り合いを図る為の重石だ。彼は、太陽の周りを地球が公転するには、地球と全く同じ大きさ・質量の惑星が必要だと思ったんだな」
>>だけどその考えって……
「そう。今日天文学を研究している者で、この説を信じている学者は存在しないだろう。現に、私の生きていた時代ですらこれを信じていた学者は狂人扱いだったよ」
「夢はあるから、嫌いじゃないがネ」、とフォローするモリアーティ。
「さて、この反地球の最大の特徴は、地球からでは『その姿が見えない』と言う所にある」
>>望遠鏡を使っても?
「地球の自転と公転と、反地球の自転・公転が同期してるのさ。この条件に加えて、太陽の反対側に存在するのだ。地上から人間が、その姿を拝むべくもない。そう言う寸法さ」
「少し借りるよ」、と言って、モリアーティは立香達が読んでいた分厚いハードカバーの本を手に取り、その表紙を眺めてみる。
「カルデアを創始したアニムスフィア家とは、時計塔の天文科の大重鎮だそうだな。成程、こう言った本があるのも頷ける」
「あの、その本って……」
「天文科に所属する、位の高い魔術師等が所持するレアな占星術・天文学の手解き書だ。現代の天文学の文献で、アンティクトンについて説明する本があるとは思えん。あったとしても、天文学の成り立ちや歴史について説明した本位のものだろう。何をマスターが学ぼうとしていたのかは知らないが、天文学を用いた魔術は向いていないのではないか?」
>>カルデアだから、一応星についての知識も学んでおいた方がいいかなって
「素直だねー君は。騙す事すら気が引ける位純粋だ。適度に嘘吐きで、小賢しくないと意識誘導は難しいし、やっていて楽しくないんだよ?
「ミスター?」
「ごめんごめん、嘘サ。嘘!!」
睨みつけて来るマシュに対し、モリアーティはハンズアップ。
今言った事は全部アラフィフの茶目っ気、内なるゴーストの囁き、黒幕はホームズと言う事で乗り切ろうとした、その瞬間だった。
――聞き慣れた、アラート音。
アラートを聞き慣れてしまった、と言うのも奇妙で、そして、良くない話であるとは思うが、カルデアに来てからこの警報の音を立香もマシュも、
随分と耳にして来た。人理焼却を解決する際にも、そして、解決してからも。このアラートはいつだって、不意打ち気味に鳴り響く。
そして、この音が鳴った時はいつだって、立香の出番でもあった。アラートだから至極当然ではあるが、この音が鳴った時は――厄介事の合図であった。
【立香君、マシュ!! 緊急事態だ、休暇中悪いが、直に管制室に来てくれ!!】
スピーカーから聞こえてくる、ダ・ヴィンチの声。言われなくても。
>>マシュ!!
「はい、先輩!!」
読んでいた本をパンッ、と閉じ、二人は急いで管制室の方へとダッシュ。
「若いって良いなー」、と口にしながら、モリアーティは小さくなって行く彼らの背中を眺める。
元より走るのはアラフィフだ、相当きついし、宝具の時の大ジャンプなどヘルニア・ぎっくり腰、その他諸々を我慢して行っているサーヴァントだ。若さに任せて走れると言うのは魅力的な事であった。
「……乗りかかった船だ。彼らの様子を見届けてやるべきだろう」
自分のペースを計算して、モリアーティは自分なりに楽な速度配分で走り始めたのだった。
――ぐおっ、足を挫いた……
――――
>>藤丸立香、到着!!
「マシュ・キリエライト、到着しました!!」
「すまない!! オフの日で恐縮なんだが……特異点だ!!」
>>そんな事だろうと思った!!
そう言う立香だったが、非難めいた声音はそこにない。
「それで、ダ・ヴィンチちゃん。今回の特異点の場所は……?」
「それは私の方から説明しよう」
言って、管制室の一角から、声の主が姿を現した。
実に理知的で、落ち着いていて、端正で整った顔付きと容姿をした、ブルーブラックのインバネスを纏う紳士だった。
後世においてトレードマークとされるベレー帽を、今男は被っていない。本当は、それ程彼のファッションセンスにはそぐわない物だったのかも知れない。
シャーロック・ホームズ。探偵の祖であり、明かす者の代表。彼もまた、このカルデアに招かれたサーヴァントの一人であった。
「ミスター・ホームズ……?」
「今回の特異点についてだが、君達は別の意味で驚くかも知れない。場所が特殊なんだよ」
「特殊な所なら、先輩も私も、今まで色々と……」
「時間神殿の様に特殊な異空間でもなければ、アガルタの如き地下世界でもなく、マスターが足を運んだジャパンの下総のような並行世界でもないのだよ」
>>それじゃあ、何処なんだ?
「結論を言う。時代はA.D1999、場所は『東京』だ」
「東京!? それじゃこれは……」
「以前レムナント・オーダーでレイシフトした、新宿と全く同じ場所だ、と言いたいかな?」
ダ・ヴィンチにこれから言うべき言葉を奪われたマシュ。
「だが、間違いなくシバのレンズはその地点にポイントを指示しているんだ。私とて、夢かな? と思わないでもないよ。何せ、一度立香君が解決させた特異点と、実質殆ど同じ所でまた特異点が発生するんだからね」
肩を竦め、カルデアスにシバがポイントしている地点を眺めるダ・ヴィンチ。
「以前ダ・ヴィンチが語ったかも知れないが、本来この時代の日本には、差し迫った危機などなかった。いや、日本に限らないな、世界全土を見渡しても、それらしい危機など見られなかった。そう、特異点が発生するとしたら――」
「私みたいなヴィランが、悪巧みしている以外にあり得ない、かね?」
管制室のドアが開き、其処から、仕込み杖を使って苦しそうにモリアーティが到着する。
珍しい客が来たな、と言うような表情を、ダ・ヴィンチもホームズも浮かべる。だがすぐに、厄介で面倒くさくてそろそろご退城願おうかしらな奴が来た、と言う風な顔に変化する。それは、この管制室で作業する他のスタッフについても同様であった。
「アレ、凄い目線が冷たいのだけれど? ライヘンバッハみたいに。ライヘンバッハみたいに!!」
「そう言う目線を送られる理由は何なのか、胸に手を当てて考えてみる時だろうな、モリアーティ。それで、何の用かね」
「何、先程までマスターと、可愛らしい御嬢さんと話していたのでね。そのついでに足を運んだだけサ。そうして来てみたら、何でも今の私とは違う私が大暴れした特異点の場所と、全く同じ所に特異点があると言うじゃないか」
ニッ、とホームズの方に笑みを浮かべるモリアーティ。腹に一物どころか、二物位ありそうな笑みだった。
「正直な所、面白いと思わない筈がないだろう、ホームズ?」
「君に同意するのは中々抵抗感があるが……実を言うと同じ気持ちだ。つくづく探偵と言うのは不謹慎な生き物だな」
「そんな探偵は君だけだよホームズ……」、と、わざと聞こえるようなレベルの小声を口にするのは、ダ・ヴィンチであった。
「何故、東京に特異点が? それを考え、推論や仮説を立てて行くのは容易いが、何れにしても、真実に辿り着ける程の道筋は、現状の所立てられていないと言うのが本当の所だ」
「ミスター・ホームズですら……」
「但し、一つだけ確かな事がある。正確に言えば、極めてその蓋然性が高い仮説とも言うべきだが――」
「罠(アプローチ)の可能性がある、そう言いたいのだろう?」
ホームズばかりが良い顔して推理を披露する事をよしとしなかったか。
モリアーティは、彼の言葉尻を奪うように、これからホームズが口にしようとしていた言葉を先手を打って口にする。
「その通りだ、モリアーティ」、無表情でホームズがそう口にしたのを耳にし、グッとガッツポーズをするモリアーティ四十代後半児。
「魔神柱間で情報の共有がなされているのか否かは、我々とて知る事ではないが、昔私が特異点に使ったと言う場所と全く同じ……しかも年代まで寸分の狂いもないと来ると、作為のような物を感じるのも、無理からぬ事だろうなぁ」
魔神柱達との間に、一度特異点として使った年代や場所は、二度と特異点として使わない、と言うルールは確かにない。と言うより、聞いた事がないからだ。
だが、既に立香達も思い知って居るように、魔神柱達は結合を解かれた事により、極めて人間的な性格を獲得するに至っている。
仮にそのような盟約や決まり事があったとしても、それを反故にする魔神柱がいたとて、何ら不思議ではない。
その可能性を念頭に置いて、向かった方が良いのかも知れない。罠である、と警戒して向かう事に、何の失点もないのであるから。
「――調査結果、判明しました!!」
と、管制室にいるスタッフの一人が、ダ・ヴィンチに向かって叫ぶ。「どうだ!?」、と結果を促すダ・ヴィンチ。
「調査の結果、この年代における東京に、魔神柱が関与している可能性は、限りなくゼロです!!」
「相手は特異な力を持つ魔神だ。何かしらの手段を使って、徹底的に己の姿を隠匿していると言う可能性もあるだろう。アガルタの時の様に、ね」
そう、ホームズが言うアガルタの特異点の時も、魔神柱フェニクスは自らは死んでいる状態、と偽る事でカルデアのサーチを回避していた。
今回の特異点でも、そんな離れ業を使っている可能性も、ゼロではない。寧ろ大いにあり得る、が。
「だが現状、その情報を元に推理するしか道はないようだ。今そこの優秀なスタッフの調査した結果を信じるのであれば、この特異点は、人理焼却の件を解決した際の『ゆらぎ』かも知れないが……」
「どちらにしても、今はこの、発生してしまった特異点を解決するしか道はないようだね。すまない、立香くん。――頼まれてくれるかい?」
一同の目線が、立香の方に集中する。そして勿論、彼の答えは決まっていた。
>>行ってきます!!
「……本当にすまないと思っているよ。その元気な言葉で、私達も救われる」
微笑みを零すダ・ヴィンチ。立香も良く知る、モナ・リザの笑みだが、絵画のそれより笑みが柔かい。
「それでは藤丸立香、君にオーダーを下そう。オーダー内容は、1999年の日本の首都、東京で発生した特異点の修正、そして、関与していると考えられる魔神柱の討伐だ!!」
>>――了解!!
「先輩……いつものように、先輩の存在証明は、我々が……特に、この私が万全に行って見せます。安心して、特異点の解決に、全力を奮って下さい!!」
>>ありがとう、マシュ
その言葉に笑みを浮かべたマシュ。そして、コフィンの方へと走って行く立香。
手慣れた様子でコフィンへと入って行くと、待ってましたと言わんばかりに、レイシフトへの準備が、コフィンの方から整わせて行く。
「よし……では、レイシフトプログラム、スタート!!」
ダ・ヴィンチの言葉と同時に、スタッフ達が一斉に作業を行った。
全ては、このカルデアにおける希望であるところの藤丸立香を、何が起こるか解らない死地へと送り――そして、その無事と、事態の解決を祈る為に。
アンサモンプログラム、スタート。
霊子変換を開始します。
レイシフト開始まで、あと3、2、1……
全工程、完了(クリアー)。
……アナライズ・『ヴァニッシュメント』・オーダー
人類絶滅阻止作業、検証を開始します。
「――は!?」
と、声を上げるのはダ・ヴィンチだった。
管制室の通達が、『ヴァニッシュメント』と口にした時点で、この場にいる全員が愕然の表情を浮かべていたが、その後に続いた言葉を聞いて、
どよめきが部屋中を支配した。人類消滅阻止作業……そんなミッションは聞いた事もないし、そもそもそのような音声は設定していない!!
何が起こった、と、眼を見開かせ、必死に右脳と左脳をフル回転させるダ・ヴィンチだったが……変化は、これだけではなかった。
「な、何あれ!? シバが……シバが!!」
どよめきとは一線を画する、スタッフの狼狽の声に、マシュやダ・ヴィンチ達が反応。
スタッフの声を信じ、シバの方向に目線を向けるダ・ヴィンチ達は……シバの驚くべき変化に、目を瞠った。
それまで、日本の東京に照準を向けていたシバが、藤丸立香がレイシフトしたのを見計らって、一斉に方向を転換させる。
何処に、シバは照準を合わせている? 中国か? 中央アジアか? ヨーロッパか、アメリカか!?
違う、そのどちらもに、シバはレンズを合せていない。――『壁』だ。シバは、そもそも『カルデアスにレンズを向けていない』。
全くあらぬ方向である、管制室の壁の一角にレンズを向けているのだ!!
「何だ、何が起こっている!! 観測班、どうした!! 何も起こっていないのにシバの故障など、洒落にもならんぞ!!」
「わ、解りません!! 確かにシバの動作は異常な筈なのに……シバ自体は、全く異常なしで……」
「せ、先輩は、先輩はどうなっているんですか!?」
マシュが、コフィンの方とシバの方に、不安げな目線を送る。
その言葉を受けて、他のスタッフ達が立香の方に目線を向ける。……異常はない、レイシフト自体は、成功しているようである。それが猶更、無気味であった。
「……どう思うね、ホームズ」
間延びした口調ではない。実に剣呑な語調で、モリアーティは、あろう事か宿敵に対して意見を求めた。
いや、事此処に至っては、もう宿敵・仇敵の間柄ではない。この地上で唯一、同じ推理力の視座を持った、相似の存在に意見を求めているに等しかった。
「月並みで凡庸な意見だが、『ユダ』がいるね。この場所に」
「結構。あまりにもチープな推理過ぎて、私から言うのは恥ずかしかったから君に振ったが……貸し一つかね、ホームズ?」
「年上は敬う物だと教わっているのでね。気にする事はない、サー・モリアーティ」
ホームズの言葉に特にレスポンスを示さないモリアーティ。事態が、のっぴきならない事を指し示す何よりの証であった。
だがそれ以上に重要なのは、ユダと言う言葉。裏切り者が、いると言うのか? この管制室に。
あの、人理焼却の一件を一丸となって乗り切ったこの組織に。よもや、藤丸立香を謀って殺そうとする者が、いると言うのか!?
「そ、そんな者がいる筈がない!! 立香くんの人柄や活躍を知っているだろう!? 誰なんだ、その愚か者は!! ミスター・ホームズ、モリアーティ!!」
「素晴らしい心構えじゃあないか、ミスター・フレデリック。自首は尊重されるべき行いだよ」
モリアーティがそう口にすると、彼は、手にしていた杖――否。
銃の機構を搭載した仕込み杖の先端を、フレデリックと名乗る男の方に向ける。
すると、先端部に取り付けられた、カメラの絞りに似た部分がオープンし始め、其処から橙色の火柱が、噴出する!!
管制室に響き渡る銃声。モリアーティ!? とダ・ヴィンチが叫ぶが、それにもまして驚きだったのは――放たれた銃弾を左手一つで、全て指で挟んで防御した、フレデリックと名乗るスタッフであった!!
「――やるね」
死んだような静寂が、銃声のエコーする管制室を支配する。耳が痛い程の、静けさだった。
そんな中で、フレデリックが放り捨てた、モリアーティの仕込み杖から放たれた弾丸が床に弾む音が、よく響いた。小気味の良い、金属音であった。
「流石に音に聞こえた洞察力だよ。何時から気付いていた?」
「シバの異変を察知した時の、表情の変化が遅すぎる。皆がシバに目線を向けてからの表情の変化が、わざとらしい。急に三文役者になったようじゃあないか」
「モリアーティと同意見だ。君がその気になっていたら、我々とて君の変装に気付けなかったろう。となれば、君は、僕らに気付かせるべく、芝居に下手を打ったね」
「正解だよ、探偵先生。今回ばかりは、推理の後出しと謗られないね。何せ、事態が此処に至るまで、本当に気付けなかったんだから、サ」
ケラケラと笑うフレデリックの姿に、先程の、本当に藤丸立香の身を案じていた男の姿はない。
この場にいる全員を、嘲り尽くすような、小馬鹿にするような。そんな笑みを上げているではないか。
「貴様、カルデアに何の目的がある。シバ観測班の、フレデリック・マストリアスに何をした。藤丸立香をどうしたんだ!!」
ダ・ヴィンチの一喝と、叩き付けられるカルデア管制室のスタッフの敵意に、フレデリックの姿をした何かは動じない。
スタッフの一人が、最上位の緊急レベルのアラートを鳴らすボタンを押して見せる。これでこの場所に、カルデアに配属されている一級所のサーヴァントが、やってくる。
「焦らないでくれよ、美しいモナ・リザの笑みが形無しだ。順繰りに答える。先ず、カルデアの施設に対して破壊工作をした訳じゃあない。やった事と言えば、シバ、って言う板が、東京の方に向いてくれるよう小細工を弄した事と、今のレイシフトのアナウンスを、それっぽくして見ただけさ。それ以外は天空と、僕の役割に誓って何も細工を施してない」
二つ目、と、先程の事項を説明を説明する際に立てていた、左手の人差し指に追加する形で、左中指が立てられた。
「本物のフレデリック・マストリアスは無事さ。自室で少し、長いお休みをしてるだけだ。水でも顔にかければ起きてくれるよ」
三つ目。
「藤丸立香については、僕も細心の注意を払っている。ともすれば、彼の存在を証明する君達よりも、ナーバスに扱ってるつもりさ」
「ふざけないで下さい!!」
フレデリックを騙る何者かに対して、初めて激昂の念を示したのは、他ならぬマシュ・キリエライトだった。
カルデアや、立香を謀っておいて、口にした言葉が、自分達以上に存在証明に気を配っている?
これ程恥知らずな言葉もあるまい。あのダ・ヴィンチですら、不愉快そうな様子を隠し通すのが難しい状態だ。苛立ちが、表情から如実に窺える。
「まぁ、僕がどれだけ頑張ってるのか、と言われても、それを此処で証明するのは難しいな。とは言え、それは一応本当なんだよね。詳しい事はそうだね……」
シバの方に目線を向ける、フレデリックではない何か。
「あれを通じて、特異点……いや、特異『星』かな? それを見てくれれば、大体解ってくれるだろう」
「さて、もう時間かな?」、と、腕に巻き付けていた腕時計に目線を下ろしたその隙を縫って、
モリアーティが、幻霊である魔弾の射手を融合させた事で入手した銃の機構を内蔵した鉄製の棺桶から、誘導ミサイルを一つ、超音速で発射。
それに対して成す術もなく、フレデリックを名乗る男は――直撃!!。 胴体の半分以上、右足と右腕は完全に吹っ飛び、頭部の三割も、グシャグシャに吹き散った。
――残念だね。これは一種のアバターさ。消した所で、藤丸立香の向かった特異点に既に待機してる僕にはノーダメージなんだな――
喉を吹き飛ばされ、声を発する事が出来なくなっていると言うのに、フレデリックの声は管制室によく響いた。
如何やら彼の口にした内容は本当らしく、血の代わりに煙が、体中から噴出し、ミサイルの影響で、この部屋から消滅を始めていた。
その一言を言い終えると同時に、フレデリックの姿は完全に消滅した。
後には、嵐のような出来事に突如として終わりを告げられ、呆然とした体のスタッフ達と、次のプランを考えているダ・ヴィンチ、存在証明を行おうとするマシュと、
遅れて管制室にやって来たサーヴァント達。そして、鋭い目つきで、シバが照準を当てている壁際の方に顔を向けるホームズとモリアーティ。
「……アレをどう見る、モリアーティ」
ホームズの問い。
「……あえて言うなら、『惑星』だな」
「やはり、こう言う時になると異様に君とは意見があってしまうな」
二人の目線の先には――青と白と緑とに彩られた、不思議な球体が存在した。
カルデアスは明らかに、その球体の方に照準を向けている事に皆が気付いたのは、二人のやり取りから数秒後程経った時の事なのだった。
A.D.1999...?殺戮終局破滅惑星 アンティクトン
最終更新:2017年12月05日 23:49