第2節:復讐の竜、復讐の人(2)

 影が走る。
 狸耳の愛らしい少年を象った分身たちが、一斉に江戸の心臓を目指す竜の行く手を阻まんと殺到する。
 元々キャスタークラスに適性を持つような英霊が、前日譚としての現界によって更にスペックを落とされているのだ。
 ステータスは讐竜からすれば木っ端のようなものであり、先の武士達同様、何ら特別なアクションを起こすまでもなく粉砕出来るものだったが――

「仰天しなよ、癇癪玉だ!」

 無論、そんなことはアルターエゴとて百も承知。
 零落した狸の群れごときで竜の歩みが止められるなどと夢見はしない。
 だがこれは所詮分身。いくら死のうと本体には何の痛みも生じない影絵だ。
 ならば、取れる戦法も増えてくる。その一つが、数に飽かした自爆特攻。

 総数数十の分身達が、一斉に讐竜の目の前で炸裂した。
 今までのような間抜けなものではない、明確な攻撃性を秘めた爆発。
 一発一発の威力こそ弱いが、しかし塵も積もれば何とやらだ。

 その証拠に、見よ。
 予期せぬ――もとい真実眼中に入ってすらいなかった伏兵から予想外の痛手を受けた讐竜が忌まわしそうに歩みを止めた。
 血涙を流す赤瞳が、残った本体の狸少年を射殺さんばかりに睨めつける。
 が、それに対しアルターエゴはご機嫌に笑って口笛を鳴らすのみだった。

「わたくしの邪魔をするな」

 地の底から響くような、くぐもった女の声が竜の喉奥より響く。
 大気を冗談でも何でもなくビリビリと震わせながら放たれた声は、しかしトリックスターたる彼には無力。
 彼ら化かす者は殴られることには弱くても、脅かし脅かされのやり取りにおいては悪魔さえも凌駕する。

「そこそこ痛いだろ? 壊れたナントカって技からリスクの部分だけを取っ払ったオリジナルさ。
 ……とはいえ発想はありきたりだ。先駆者は既に居そうだけど、細かいことは気にしない」

 壊れた幻想。宝具を意図的に自壊させ、使い捨てる諸刃の剣。
 当然そんな真似をすれば自分の手の内が減るだけ、故に基本は推奨されない。
 だが、自壊させても代わりを用立てられる仕組みがあるならば話は別だ。
 アルターエゴは自身の宝具『久万山異聞・八百八狸行軍(くまやまいぶん・はっぴゃくやたぬきぎょうぐん)』によって宝具の断片として分身を生み出し、その全てを“壊れた幻想”の要領で起爆させることが出来る。

 言うまでもなく、分身がどれだけ消費されようとアルターエゴは痛くも痒くもない。
 精々、多少魔力の消費が嵩む程度だ。
 ……とはいえ、あまり気が進むやり方ではないのだったが。
 彼はあくまでも人の隣人、悪戯好きで面倒見の良い小さな化け狸。
 こうして乱破まがいの戦い方をするのは、得意ではあれど好きではなかった。

 故に早く倒れて、目を回して伸びて欲しいのだが……
 仮初とはいえ、敵は竜。憤怒を以て変生した、復讐の大蛇である。
 アルターエゴの攻撃がどれほど巧く当たろうと、硬い鱗を超えて通っている分のダメージは微々たるものだ。
 口の中や眼球のような防御不能の箇所に打ち込んで、ようやく勝負になるかどうか。
 全くどこの悪役レスラーだよと、アルターエゴは心の中で毒づく。

 その瞬間のことだ。
 いざ二次波を叩き込まんと地面を蹴った大量の分身達が、尾の一振りで文字通り一掃されてしまう。
 分身だから耐久に悖るというのも、もちろんある。
 だが、それを差し引いても十分に異様な威力だった。
 仮に受けたのが本体だったとしても、甚大な痛手となっていたに違いない。

「(しかし、自分の激情だけを糧に竜種化するなんて芸当の出来る英霊となると……真名の心当たりは一つしかないな。
  伝説の中の彼女とは、どうやら少し在り方が違うようだけど)」

 アルターエゴが思い浮かべた名前は、日ノ本に伝わる数多の昔話の中でも一際情熱的な〝愛〟を宿す女のそれ。
 清姫。参詣に訪れた美僧安珍に一目惚れし、遂には想い人を焼き殺してしまった淑やかなる鬼女。
 この国に根付く陰の世界の住人であるアルターエゴは、当然その名前と伝承についての知識を正確に保有していた。

「らしくないじゃないかヤンデレ娘。
 確かに執拗に追いかけて焼き殺すのは君の得意技だろうが、時の政府を滅ぼすために竜になるなんて。
 何をどう拗らせたらそうなるんだい? それとも、安珍の甲斐性なしに何か吹き込まれた?」

 清姫がこれほど強い情熱を燃やしているのだ、そこに安珍の名前が絡んでいるのはまず間違いない。
 江戸幕府の本丸を落とそうとしている辺り、雇い主は元であるのだろうが……
 もしや安珍が元に与し、日ノ本転覆を目論んでいるのではとアルターエゴは推察した。それ故の、台詞だった。
 だが。彼が安珍の名を口にした途端、竜が全ての動作を停止させる。

「いま――なんと仰ったのです?
 安珍様の名を、ああ、よりにもよって。
 徳川めの狗が口にしたのですか?」

 ギョロリと、壊れた蛇口のように血涙を垂れ流す竜の眼がアルターエゴの〝本体を〟睥睨した。
 日ノ本広しといえど、数えるほどしか並ぶ者のない大妖怪。化け狸の王。
 如何に未成熟な霊基といえど、大成の素養を既に備えている彼をして、全身が凍り付くような寒気を覚える。
 死を直感させるほどの殺意がそこにはあった。元は人間だったモノが放つにしては、あまりにも濃密すぎる殺気。

 それは、アルターエゴが彼女の〝地雷〟を踏み抜いてしまったことを明確に示していて――

「……どうかご笑覧あれ、安珍様」

 ――ヤバい!
 アルターエゴがそれを察知した瞬間の行動は、早かった。
 せめてもの悪足掻きにと分身を百と少しほど撒き散らしながら、屋根瓦を蹴って脱兎の如く逃走。

 幸い、清姫の殺意は今自分に集中している。
 自分が逃げたからこれ幸いと城に向けて進軍を再開するような利口な選択を取りはしないだろうが……安堵の感情など全く湧いてこない。
 本来徳川、江戸という概念に向けられる筈だった熱量の全てが自分一人に向けられるのだから当然であろう。
 損な役回りを買って出たなと後悔しながらも、取れるだけ距離を取る狸耳。

「これより貴方を害した下劣畜生は、灰塵と化すでしょう」

 宝具真名解放――
 竜化宝具の真髄が、変転した狂気の根源が来る。
 それは感情の火砕流だ。憎しみの鉄砲水だ。
 神すら恐れぬ憎悪の息吹は今、局所的な大災害の色を帯びて讐竜のアギトへと収束する。

「『転身(てんしん)――ッ!?」

 が、墨色の炎が吐き出されることはなかった。
 その寸前に、真横から見事な軌道のドロップキックで飛来した何者かが、讐竜の頭を横から蹴り飛ばしたからだ。
 大きく揺らぐ竜体。吐き出されぬまま空に溶ける炎。
 驚きながら振り向いたアルターエゴの傍らに、ひょいと身軽に攻撃の主が着地する。

 少女であった。
 竹千代やその側近・アルターエゴほどではないにしろ、まだ稚い娘。
 彼女は本来この時代を生きている筈のない、徳川天下の前に滅んだ者だ。

「……驚いたな、まさかいの一番にキミが来てくれるとは」
「……別にそういうわけではない。
 立香達がアヴェ助の方に加勢するそうだから、仕方な~く助けに来てやっただけじゃ。
 茶々の優しさ、心の広さによ~~く、感謝するように!」 

 ――茶々。クラスをバーサーカー。
 徳川天下の踏み台として消え去った豊臣の人間である彼女は、徳川を……もとい徳川家康を忌み嫌っている。
 やや奇妙な偶然が働いて色々狂ってはいるものの、竹千代に対してもその部分は揺るぎはしない。

 故にこそ、アルターエゴにとっては実に意外な展開だった。
 戦いを引き伸ばせば誰かしら駆け付けるだろうとは思っていたが……まさかそれが彼女だとは。

「何なら君だけ出てこないまであると踏んでたんだけどね……ま、恩に着るよ淀殿。
 何百年後かのオイラならまだしも、この幼体で竜種の相手は分が悪い」

 清姫が如何に想いの力のみで転身に至った規格外とはいえ、そこに宿る神秘の桁はたかが知れている。
 だが今の彼女は、そこを徳川幕府への憎悪という凶悪な〝追加意志(外付けパーツ)〟で補強しているのだ。
 讐竜清姫は怪物である。その脅威度は、日ノ本に名を轟かせた大妖達のそれにも匹敵しよう。

「何百年ものの化け狸、ねえ。
 ……爺の狸友達の心配なんてするつもりはさらさらないけど、もうちょっと隠したらどうなのさ」
「ありゃ。やっぱりバレバレかい?」
「分かってないのは立香くらいのもんでしょ。
 茶々に分かったんだから、巴が気付いてないとは到底思えないし。
 ちなみにこれは妾が巴よりうつけだって意味ではないので勘違いしないように」

 化け狸の怪談や説話は、日ノ本にはそれこそ星の数ほど存在する。
 だが、それはあくまで市井を賑やかす与太話の域を出ないようなものばかり。
 本当の化け狸が絡んでいたとしても、そこらの亡霊に毛が生えた程度の力しか持たない場合が殆どだ。
 その中で英霊の座に登録されるほどの個体というと、数は相当に限られる。

 ましてアルターエゴの場合、宝具の名前が名前である。
 久万山異聞・八百八狸行軍。この銘は、己の真名を声高に叫んでいるのに等しい。
 久万山に封じられた狸の王。八百八の化け狸。
 このキーワードと合致する大妖など、一体以外にはまず存在すまい。

 日ノ本の歴史全てを見ても、上から数えた方が早い程の力を持った古狸王。
 妖魔でありながら人の味方であり続けたが、最後は人の手によって永遠に封印された……
 それだけの目に遭わされながら、それでも人を憎むことの出来なかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)お人好し。

「――焼き、払う!!」

「おっと。どうやら身の上話は後になりそうだ。
 ただでさえ恋するオトメってやつはおっかないのに、それが少女のまま未亡人になったんだ。
 用意と覚悟はいいかい淀殿。あれの炎は、最早道明寺鐘程度じゃ済まないぞ」

「誰に物を言っておる。あれしきの熱、茶々のぱーふぇくとなボディとパワーの前には囲炉裏のぬくもりも同然よ!」

 猛り狂う、歪められた焔色。
 それに相対するは少年少女。
 徳川の友人と、徳川を憎む者。

 これより戦いは、次の段階へと突入する。

「貴様こそ、妾の足を引っ張るでないぞ――隠神刑部狸」

「残念、今はリリィだ」


     真名判明
江戸のアルターエゴ 真名 隠神刑部[リリィ]


BACK TOP NEXT
前の話 特異点トップ 次の話

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2018年01月03日 15:39