いくつかの尾

「お、わあ……」

法衣の女性に運ばれること、約二時間。
人間のペースならば相当な時間がかかるであろうと予測された距離も、サーヴァントの脚力ならば軽いジョギング程度。
山の奥深くから森へ。
森から林へ。
林からその先へ進むと、木製の壁が視認できた。
高く高く、およそ3メートルは高さがあるであろう壁。
その根本に、固く閉じられた門が在った。
門はその役目を果たすかの如く硬く閉じられていて。
更に警備を固めているのか、帯刀した男たちが陣取っている。
日本刀、だろうか。

(…侵入者を拒む門。蟻一匹すら通さない、木製の砦。まるで……)

―――国境みたいだ、と。
そんな感想を、抱いてしまった。
すると。

「あながち、間違いじゃないねえ。あの『壁』は離宮を分ける結界さね。
アレがある限り、上空だろうと地中だろうと一切の侵入を許さない。
通りたけりゃ真っ直ぐ正面から入るしかないのよ」

軽く考えを見通されているのか。
脳内に浮かんだ疑問は、直後に解答が示された。
侵入者を拒む結界。外界と内界を別ける壁。
今までの特異点でも『壁』というものは何度も見た。
一つは、円卓の騎士が守護する『聖都』の壁。
一つは、魔獣の進攻を遮る『最前線』の壁。
目の前に直立するこの壁は、そのどちらとも違う。
前者の―――円卓の騎士が護りし聖都は、一滴の穢れも通さぬ『拒絶の壁』。
血を流すこともあった。命が奪われることもあった。
しかし、その在り方は途方もない『善』に満ちていた。
後者の―――人が支えし難攻不落の絶対魔獣戦線は、人の営みを守る『最後の砦』。
数えるだけで数日を終えてしまいそうな数の魔獣が押し寄せ。
人間が、その全てを賭け生きていた。
種族を問わず恐ろしいほどの命が命を奪い、また奪われていたが―――しかし。
そこに生きていた人々は、輝かしいほどに人間の尊厳に満ちていた。
しかし。
この『壁』は違う。
入る者を拒み―――しかして、人を誘う甘い香りを漂わせ。
そして、足を踏み入れたら二度と逃がさない、外と内を隔てる『檻』。
…何処か。
人に対する強い拒絶を含みつつ、恐ろしいほどに孤独を嫌う、その性質が見えた気がして―――

「おっと。顔伏せな。目ェ合ったら斬られるよ」

ぼふっ、と。
視界を塞ぐように、掌で顔を覆われた。
…硬い。女性の掌とは思えないほど、硬い。
カルデアで例えるならば―――そう、ヘラクレスだ。
彼と同じくらいこの女性の掌は堅く、無骨で、そして―――暖かい。
戦う者の、拳だ。

「開けな。この東の主の招いた『星見のお客さん』だ」



△ ▽ △




そうして。
『壁』の中に案内されてからは、驚きの連続だった。
開かれた壁の中には街があった。
多くの人で賑わい、商売をしていた。
子が駆け回り、子犬がその後をてちてちと追う。
親はそれを微笑ましく見つめ、しかして暇を持て余している訳ではなく、うんうんと唸りながら今晩の献立を考えている。
ランサーさんおはよう、と声をかけてくる子もいる。
ランサーさん今日も別嬪だねえ、と魚屋の店主が声をあげる。
ランサーさんそれ今日の得物かい、と花屋の女性が茶化す。
わたしを担いでいる法衣の女性はそれらに笑顔で応え、駆け寄る子の頭を撫でる。
誰も彼もが、彼女が通ると振り返り笑顔で声をかける。
一人足りとも顔を俯かせている者はおらず、彼女が現れるだけで笑顔を浮かべる。
そこに邪なモノはない。
情欲の類いも感じられなければ、下心の類いも一切無し。
…心から尊敬し、そして友愛の感情を抱いているのが無関係な自分にさえ伝わってきた。

(ランサーの、サーヴァント)

呼び名からクラスは把握した。
しかし真名まではわからない。
その姿から日本の英雄であることは確かだろうが―――生憎と、わたしはそこまで歴史に知識が深いわけでもない。
ちゃんと勉強すればよかったなぁ、と自らが少し恥ずかしくなる。
カルデアから同行した酒呑童子も、坂田金時もいない。
カルデアへの通信も完全に途絶している。
…心細いと言えば心細いのだが、ランサーに担がれているとそんな気持ちも少し和らいだ。

「なあ嬢ちゃん。この街は良いとこだろ?」
「え、あ、はい」
「そう畏まらなくてもいいさ。別に脅してる訳じゃない」

けらけらと笑う、ランサーのサーヴァント。
…まだ信用してはいけない。
敵意はないのだろう。
今すぐ殺すつもりもないのだろう。
警戒を解いてはいけない―――わかっているが、敵とは思えない。
そんな感覚さえ湧いてくるような、快活な笑みだった。

「…この都は名を『妖婦離宮』って言ってね。巨大な円状に作られ、四つに別れた巨大な都さ。
北。西。東。南。その四つに別れてる。
この『東』の地はね。妖婦離宮の中でも特に安全な地区だ。
『西』や『北』で命からがら逃げてきたヤツが此所に移住し、休息と安全を得る。
…九割の人間は此所、東に辿り着く前に西や北の追手に殺されちまうがね」

妖婦離宮。
それが、この都市の名なのだという。
巨大な円上に作られ、アルファベットのXの文字のように国境が存在し、それが東西南北四つの都を別けているという。
安全な地区、『東』。
ああ、だから。
この町の住人は―――こんなにも、幸せそうに暮らしているんだ。
此所なら安全だと。
無用心でも命を奪われることはないと、確信しているのだ。

「あんたも幸運だったねえ。
あのまま西のアーチャーに捕まってたらその場で殺されてるか、西の離宮で美味しく戴かれてるかのどっちかさ」

…わたしも東に運ばれて良かったなぁ、と思うこの頃だった。
しかし。
東は安全な部類だというなら、それは。
酒呑童子や坂田金時…カルデアのサーヴァントは一体何処に飛ばされしまったのだろう―――?

「…さて。着いたよ。
『東』のお狐様との御対面だ」

巨大な、神宮。
神社の一種であろうそれは、今まで見たソレより遥かに巨大で、大きく。
まるで、城のようだ。
何処からともなく桜の花弁が舞う。
大昔の綺麗な日本のイメージ、とでも言うべきだろうか。

ギィ、と巨大な扉が開く。
内部は閑散としていた。
広い庭園にはその整えられた外見に反し生命の気配は無く。
太陽の光を反射する池には、一匹の魚すら泳いでいない。
庭園や神宮の内部へ続く道は美しかった。
人の手が加えられているというのに、生命の気配が存在しない空間。
人の手で作られ、しかし人の雑念が介入しない空間。
一つとして生命を感じられないその在り方は、途方もなく美しく―――何処か、寂しい。
ああ、きっと。
この城の持ち主は、人を愛してはいないのだろう―――何故か、そう感じた。

暫く徒歩を続ける。
ランサーに担がれた状態では疲労が溜まることはないが、それでも拒否権が無いというのは少々心に重荷を乗せた。
障子を開け。
木製の床を歩き。
長い長い回廊を進み。
大きな広間へと、辿り着いた。
…何処と無く、閉鎖的だ。
空気が重い。肺に取り込んだ酸素は鉛のように存在を主張する。
暗闇が重い。僅かな光に照らされた空間が来客を拒んでいる。
空間が重い。まるで食虫植物が口を拡げて此方を呑み込もうとしているような違和感すら感じる。
この空間自体が、徹底的にまで来客を拒んでいる。
もし許可無しに踏み込めば、その時こそわたしの魂は夏の蚊のように潰される。
マスターとして未熟なわたしでも、充分と肌で理解できた。
此処は―――魔術師の『工房』だ。
それを上回る神殿の可能性すらある。

『…マスターに忠告しておくがね。
魔術師の工房とは本来閉鎖的でね。
来る者を拒み、その癖入った者は逃がさない。
研究成果の防御と外敵の処刑を兼ねた要塞、と思っておくといい。
君も将来魔術師を目指すのかは我々の知ることではないが―――他人の工房に招かれた時は努々気を抜かないことだ』

ある日カルデアにてそう教えてくれたのは、誰だったか。
魂に寄り掛かる重圧に、思考回路が上手く働かない。
…脳が潰れそうだ。その癖、瞼は針で固定されたように動かず瞳は開かれたままだ。
そして。
いつの間にかわたしはランサーの肩から床に降ろされていた。
目の前には障子で閉ざされた部屋がある。
…ああ、感覚でわかる。
この目の前の部屋に座す存在が、この工房の主だと。

「連れてきたよ、お狐様よ。
あんたの言う『星見』の者さ」

"お狐様"。
その言葉だけで、何処か懐かしい雰囲気が漂う。

「―――苦労かけたの、槍兵。
下がって良いぞ」

聞き覚えのある声だった。
記憶に残っている声だった。
目前を遮っている障子が開くのと己の瞳が見開かれるのは同時だった。
頭部に動く狐耳。
背後に咲き誇るが如く展開される『9本の』狐の尾。
着物や細部の違いこそあれど、その姿は。
目の前に君臨する女帝のこの姿は。
とても、見覚えのあるもので。


「―――タマ、モ……?」
「ほう、妾の名を知っておるか。
…存外、無知ではないらしいな?」

…彼女が、この東の女帝。
日本三大化生。
太陽神。
天照大神の一側面。
九尾の尾を全て持つ―――玉藻の前である。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2018年02月03日 19:18