ポポヨラ11

「……そりゃバレるよな。分かってんだ、そんなこと」

◆怒りにまみれていた彼の語り口は諦念を帯びる。
彼の“汚名”は、そして“汚名”の象徴は、あまりにも有名だ。
――あるいは、教訓たりうるためには有名でなくてはならなかったのかもしれない。

「確かに僕はイカロスだ。この蝋の翼がなによりの証左といってもいいだろう」

◆彼自身も真名を隠蔽に力を注いでいるようには見えなかった。
彼にとって真名が露呈することは、あるいは前提に据えられていたのかもしれない。

◆彼の形相に、焦燥にも似た怒りが浮かび上がる。
イカロスの言葉は途切れず紡がれた。

「でも、だから、そうだったとして、なんだっていうんだ。僕がやることは変わらない」

◆確かにそうなのかもしれない。彼の要求は一貫している。
カルデアのマスターを殺すこと。例え、自身の真名が知れたところで、彼は決行するだろう。決行は、するのだろう。

「……そう」

◆マタ・ハリは困ったように唸る。
進退窮まったから、ではない。むしろ今、窮地に立たされているのはイカロスだ。
それはこの短い間の中でも十全に伝わった。だからこそマタ・ハリは、そして自分もまた、困惑する。

「それでイカロス、もう一度尋ねるわ。貴方はこの状況下でどうやって、マスターを“――”のかしら」

◆彼の決意は、マタ・ハリの問いかけの答えにはなっていない。
決意は結実する。そうした理想は好きだけれど、必ずしも叶うわけではない。
ある種残酷な真実は、他ならぬイカロスの存在をもって語り継がれている。

「どうにかしてだ」
「……悪いけど無理よ。いくら貴方であろうと私じゃ倒せないかもしれない。
 それでも私にはマスターがいるもの。援軍が来るまでの時間稼ぎぐらいできるわ」

◆マタ・ハリは“弱い”英霊だ。これには様々な要因が重なっている。
現代に近しい出自や逸話の傾向が、彼女の霊基を虚弱なものとして築き上げた。

◆対してイカロスの生きた時代は、心優しき“雷光”などと等しく古い。
そして借り物の翼とはいえども、神々もおわした空を飛び回った彼の過去を考慮すれば、霊基はマタ・ハリよりも強くあるべきだ。
しかし、オルフェウスたちいわく、彼に限っていえば“そうはならない”。

「……ちっ」

◆イカロスは英霊でありながら、決して英雄に値しない。反英雄にすらなれない。
されど間違いなく、彼はあやふやで不安定な幻なんかではない。幸か不幸か、彼を祀る負の信仰は根強い。
空に堕ちた彼の愚行は“イカロスという人間だから”、で片づけてはならないという、人々の願い。
人として当たり前の“悪性”を象徴するイカロス。故にこそ、彼の霊基は、彼という英霊は、凡百そのものでなくてはならない。
彼の霊基はマタ・ハリに負けず劣らず貧弱だ。物言いこそ物騒な彼が今に至ってなお、強行してこないことが雄弁に物語っている。

「貴方もロウヒに仕えているのならタマモキャットの実力ぐらいわかるでしょう。彼女は色々とデタラメよ」

◆オルフェウスが館に向かってから、それなりに時間は経過している。タマモキャットの到着は間もなくだ。
彼の霊基が貧弱であろうと、宝具やスキルが未詳である以上油断はならない。
ただこれまでの交流を経て、改めてタマモキャットならば彼に勝てるだろうと算段を立てることはできた。

◆イカロスの苛立ちは収まる兆しを見せない。親指の爪を噛んでいる。

「――だから何度も言わせるなよ。僕はどうにかして、そいつを」
「……分からないわね。よしんば貴方の願いが叶ったとして、それでどうするつもりなの」
「空を飛ぶんだよ」
「飛べるじゃない」

◆今はなりを潜めているが、彼の翼はいまだ健在だ。
マタ・ハリの呆れたような物言いは、確かにその通りだと思う。
ただ、彼がその言葉に秘めた欲望そのものはなんとなく理解できる。――より高みへ。

「もっと、もっと高く! 僕という存在が認められるぐらい、もっと高くへ、僕は飛ばなきゃならないんだ!!」

◆痛烈な叫びだった。マタ・ハリは理解できないように唸っているけれど、彼の叫びは本物だ。
高く飛びたい。もっともっと、もっともっと。いずれ天に届くまで、宙の向こうに至るまで。
その気持ちは理解できる。共感できる。――だからこそ、彼は“晒し者”なのだという実感が遅れてやってくる。

◆そんな自分の様子を見てほとほと呆れたのか、あるいは乗り切れないマタ・ハリ自身に不満なのか。
マタ・ハリは大きく息を吐く。彼の理想はどうであれ、イカロスが自分に殺意を向けているには違いない。
切り替えよう。彼がこちらを阻んでくるというのであれば、打倒さねばいけないのだから。

「貴方が命を賭してまで叶えたい願いっていうのが、それなの?」
「……。“弱い”英霊同士でも僕はあんたとは違うんだよ。
 願いを願いで終わらせる気はない。何もかもを諦めたような顔をしたあんたとは、違うんだ」
「…………」

◆イカロスのそれは明らかな煽りだ。しかしてマタ・ハリは黙す。
マタ・ハリは自身の“弱さ”を自覚している。だからこちらも下手に慰めたりはしない。
ただ、そうした事情があるゆえに、マタ・ハリの真の願いについてこちらから迫ることもしてこなかった。
“永遠の若さが欲しい”。彼女は嘯くが、サーヴァントという存在に取り込まれた以上、彼女の願いは半ば叶っている。

◆彼女の言が嘘と訴えたいわけではない。それでも彼女の願いは、他にあるのではないか。
――考えることもしきりにあるが、こうした邪推は自分の傲慢に他ならなかった。
本人が告げない以上、やはりこちらから踏み込む話でもなかったからだ。

「そんな顔、しているかしら私」
「……鏡でも見るんだな」
「おかしいわね、毎日見ているのだけれど」

◆ようやく絞り出したマタ・ハリの言葉は、軽くいなされる。マタ・ハリにしては珍しい態度だ。
単に図星を突かれた程度であれば、彼女は何食わぬ顔でしらを切れる。煮え切らない態度は貴重だった。

◆だとしたら、自分が動くべきなのだろう。彼女は自分のサーヴァントだ。彼女の肩に触れる。

「マスター?」

◆彼女がどんな願いを抱いているかは知らない。もしかしたら、途方もないことなのかもしれない。
自分にはマタ・ハリの願いを叶えてあげる術を持ち合わせていないかもしれない。
だが、そんなマスターでも支えてくれるマタ・ハリは間違いなくここにいるのだ。
マタ・ハリは願いを諦めていたのだとしても、それでもマスターである自分を慮って行動してくれていることは何よりも嬉しい。

◆自分はマタ・ハリが諦めるような願いなんて知らない。
慰めようにも、慰めることなんて初めからできやしない。
ただ、それでもかける言葉あるのだとすれば、“隣にいてくれてありがとう”しかなかった。
そんな自分が恥ずかしい。

「いえ、いいえ。――マスター」

◆マタ・ハリは頭を軽く振ると、身体はイカロスに向けたまま、左手だけをこちらに差し出してきた。
彼女との付き合いは相応に長くなる。それが何を求めているのかは、察することができた。

「ええ、ええ。マスター。触り方上手になったじゃない」

◆マタ・ハリの小指と、こちらの右手の小指と僅かに触れ合い、それから交じりあう。指切りげんまんみたいに。
彼女と行う、遊びみたいな、それでも楽しく有意義な交流の仕方。マタ・ハリは指切りを交わしたまま、仄かに笑う。

「ありがとうマスター。落ち着いたわ。そうね。今は、これでいいのよ」

◆そうして、指を離す。一抹の寂しさがよぎる。
それも一瞬だ。イカロスは憤然とこちらを睨み続けている。

◆マタ・ハリはそんな彼の様子には意を介さない。
もう一度大きく息を吐くと、言葉を紡ぎだす。

「ごめんなさいイカロス。貴方の願いは私には理解できないけれど、非難することでもなかったわ」
「…………」

◆謝罪にイカロスは応えない。
眼差しの威光は鋭さを増すばかりだ。
マタ・ハリは、狼狽えることなく、問い掛ける。

「それでも一つ聞かせてほしいの。太陽に至る。誰でもない誰かに認められる。それは本当に、貴方がしたいことなのかしら」

◆イカロスは黙して答えない。
マタ・ハリもそれ以上は追求しなかった。
ましてや自分が問いただすのはお門違いもいいところ。
沈黙。
時間は経過する。

◆そして彼女はやってきた。



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最終更新:2018年03月28日 23:29