他者の【其れ】に己が内包される事態など誰が予想していただろうか。
円祈荒は少しばかり肌寒い書架で欠伸をかみ殺した。誰もいない其処には、今は此処の主である男は居ない。談笑をしたかったのだが仕方がない。彼の頭の悪い少女に甘えられているのだろうか。彼の男はそうは見えないが面倒見がよく女性の扱いが上手かった。昔女学校の教師をして居たのは知っているが、その頃の杵柄なのか浮付いた少女のいなし方が巧みなのだ。まるで銀盆の少女は中禅寺に懐いていた。円自身もあの男は好ましい。自らの素性が影響してはいるのだろうが。
目の前にあるノベルス版の辞書のように厚い本を捲った。
表紙には鼠のような顔の汚らしい僧が描かれている。絵師は鳥山石燕、書名は鉄鼠の檻といった。平成の小説家の作で禅僧を扱った良書であり、真言尼である己にも関連がある。寧ろ、そのものであるかもしれない。
円祈荒は真言宗金剛三密会という新興宗教教団の教祖である。
此の尼僧が生まれる遥か以前、円覚道という修験僧が開き一度潰えた小さな新興宗派、元は殺生院という姓であった、山にあった生家を捨て生家の宗教を棄てた女がその名を目に留めたのは偶然だったのだろうか。己で今も問い続けて居る疑問ではあるが、その思考の淀みに豁然大悟などという流れは未だ得られず開き直りも出来ぬ、腹のなかに泥を溜めた未熟者が円祈荒である。厭気が差す、消えてしまいたい、なのに自分は––––––
「自分ではない自分を捜して仕舞った。」
口にした其れは聞くものも居らず海の底の城に霧散した。大悟というものは素は禅宗のことばであるし、自らが救いを求めた教義には不適当だ。其れを言うなら真如と波羅蜜だろう。以前交流を持った卧藤という男の影響だろうか、そこに至って少しおかしくなって笑みを溢した。
結局自分が着地したところがあろうことか古巣と変わらぬ真言密教であったという点も加味して、卧藤は自らと本当に真逆の男であった。兎角なんでも吸収する男であった。彼は全てが愛おしく全てを救いたく、そのための教義を選びに選んだのだから「なんでも」というわけではないのかもしれないという感慨も綯交ぜにして、円は彼の男が羨ましかった。そんなものだから、戯れに彼と交わした禅問答にも敗けた。敗けて仕舞った。
––––––敗けて良かったのだと、なんとなく思っている。
「おかあさま」
書架の扉を開いて、少女がこちらを覗いている。
成熟と未成熟の狭間に置き去りにされたこどもは、円を母と呼んでいた。其れを良しとしている女は頷いて、いらっしゃいと手招きをする。乱反射の宝石の眼をこれ以上ないほど輝かせて母の椅子に腰掛けた膝にまろんで、少女は円の手が髪を梳くのを待つ。待つから梳いた。少女は嬉しそうに笑った。
「おとこのこが来たのよ。」
「知っています。藤丸立香という方でしょう?」
「アタシはヨハンって呼ぶわ。ねえおかあさまカルデアってごぞんじ?」
「ええ。カルデア王朝、新バビロニア帝国。天文学と占星術の申し子。」
そしてその名を冠した南極に在る魔術的な研究所。または観測所。
【おとこのこ】の素性に関する最後の、実の答えは口にはしなかった。したとしてもこのこどもには理解ができない。撓んで居る【此処】では特に。私は其処にいたのよと嘯くと、おかあさまはどこにでもいるのねと楽しそうにくすくすと少女が笑った。そう、私ではない私が。其れも胸の内だ。
【私ではない私】はこどもには関係がないからであったが、結局のところ面倒だという感慨が勝った。一から十まで説明しなければならないのも手間で、またその一から十は円のものではなく語るのも億劫だ。何よりあれは円の一番嫌いなもので、正視するのは煩わしかったし吐き気もする。その欲の記憶を持ち合わせていること自体が円の持つ疵だった。
どうして【私ではない私】の記憶があるのか。円にはその理由など知る由もなく、ただ知って嫌悪して行動したのみであったが、どうやら【私ではない私】も円のことを認識しているということはなんとなしに知っていた。月の聖杯戦争に至った己と融合した【私ではない私】の例もあるし、殺生院祈荒という個体はなべてそういうものらしい。但し只否定するだけの半端者である【己の影】に対してアルターエゴの抱いた感慨は無感慨で、箸にも棒にもかからず、脅威とも思われず、アルターエゴのオルタはその存在を全くもって無視された。無視ではなく、多分認識はしているがどうでもいいから忘れているのだ。そういう女だ。自分だからよく知っている。
円は殆どが己の欲と変わらぬパーソナリティを抱いている。そのパーソナリティに対して多大な嫌悪感を持っていることを考慮に入れなければアルターエゴとさして変わりはなかったが、その嫌悪が歩む道程に差を生んだ。
病に侵されながら幸運にも生きながらえたので、嫌いだった家から嫌いな女が使った方法を使わずに只家を出た。本当に身一つで家出をした。だから山の上のコアな宗教団体はきっとそのままだし、嫌いな女が組み上げた電脳に於いてひたすらに危険な救済の手を生み出すこともしなかった。ただ嫌いなだけで欲はあるから其れをいなすためにだらだらと己のために宗教をやっている。そう、嫌いな自分と同じで、結局は己のために節制をしていた。己を嫌いな自我を満たすために。ただ満たすために。どうすれば満たされるのか考えて考えて考えて、結局は別の教義に軟着地した挙句宗教団体という名前のカウンセリングを行うNPO法人を立ち上げて、教祖という名の代表を務めて、ただ己を求めるひとの話を聞いて底々に癒して底々に感謝され、細々と普通に生きた。苛烈なことをせずに、本当にただ普通に。
––––––細々と普通に生きて普通に満足して子も持たず死んだ己が、死んだ後にマザーテレサの再来などと嘯かれ聖人として崇められるようになるとは思っても見なかった。
そして今は「おかあさま」と呼ばれて少女を膝にまろばせている。非常に不可解だった。不可解ではあるが厭ではないから己をおかあさまと呼ぶこのアヴェンジャーをそのままにしている。自分はルーラーとして召喚されたはずだと円は認識しているが、ルーラーに懐くアヴェンジャーなど聞いたことがない。あのサンタの少女はランサーだった。全てがよくわからないのだ。どうして自らがこの場へ召喚されたのか、どうして此処にあのキャスターがいるのか、どうして自分は別のキャスターが此処を破壊しようとするのを妨害しているのか、此処は小説の中にだけ存在するはずではないのか、どうしてそのフィクションに、彼のマスターがやってくることだけは知っているのか。
––––––どうして此処が、誰かの胎の中だと確信しているのか。
思考に沈む円の膝で、ヨハンを此処においてもいいでしょう?と少女がおねだりをする。
まるで犬を飼うかのような言い方で、少しおかしかったので、円は穏やかに笑った。
円はこの頭の悪い少女を愛していた。無論少女以外の全ても。ただその全てに自分は含まれておらず、それは究極【私ではない私】に於いても似通っていて、結局は取る手段が別であるだけでひたすらに嫌悪するアルターエゴと同じであるということをまた自覚して、ひとしれず吐き気を飲み下した。
最終更新:2018年04月14日 02:45