「マシュ」
「……先輩」
オレンジ色の髪。先輩。藤丸立香。人類最後のマスター。わたしの先輩。わたしの。
……嘘だ。そうだ、嘘だ。アーチャーの見せた幻に過ぎない。でも。
先輩の、首が、目の前でぼとりと落ちる。血が吹き出し、地面を朱に染める。先輩の膝が折れ、地面に倒れ伏す。
『見よ。お前の愛する友は殺した。おれが殺したぞ。どうだ』
闇の中で、アーチャーが嗤う。六本の腕に武器や生首を持ち、先輩の死体を踏みにじって。嗤う。嗤う。
侮辱された。自分の命よりも大事なものを、侮辱された! そうだ、怒れ。怒れ。怒りがわたしの力となる。怒り狂え!
目の前に、アーチャーの鞭剣が迫る。拒め! 防ぐのではなく、攻撃を……!!
『シールダー殿!』
「スゥーッ……ハァーッ……!」
調息せよ。己が身体をゼンで満たせ。
シールダー、マシュ・キリエライトは、ランサーから教わった呼吸法を繰り返す。
ランサーは死んだ。英霊の座に還った。だが彼のインストラクションは、ミームは、生きている。ここに!
超自然的な何かにより……アーチャーが与えた霊的な毒が、マシュの体から消えていく。自我が修復され、瞳と精神が澄み渡る。
人が、感覚の対象を思う時、それらに対する執着が彼に生じる。
執着から欲望が、欲望から怒りが生まれる。怒りは迷妄を、迷妄は記憶の混乱を呼ぶ。
記憶の混乱によって知性が失われ、人は破滅に至る。
―――――バガヴァッド・ギーター
「イヤーッ!」
「グワーッ!?」
マシュが……キャスター・チャーナキヤの後頭部を裏拳で攻撃! 驚いたキャスターは幻術世界から解放され、振り向く!
「な、何を……!?」
「すみません、キャスターさん。鼎を全部、貸してください!」
「「「血迷ったか! バカめ!!!」」」
アーチャーが巨大化! キャスターが抑え込んでいた幻力が解放されたのだ! 鼎ひとつでも恐るべき魔力!
「急いで!」
巨大なアーチャーが稲妻の如く武器を振り下ろす! マシュが防御! だが、鼎との接続が間に合わぬ! 引っ張られる!
「「「小娘。お前如きが、おれを倒せると思うたか。盾の蔭で震えておることしかできまい! 諸行無常、是生滅法!!」」」
連撃!連撃!連撃!猛攻! 雷光が走り、地面にクレーターが生じる! シールドと鼎ごと地中に埋め込もうとするかのような勢い!
マスターが頭を抱える! キャスターがしゃがむ! セイバーとアサシンに毒が回ってゆく! 鼎があるとはいえ、半神をも冒す猛毒! 防ぎきれぬ! 盾に亀裂!
「ぐうッ……まだか!」「お嬢ちゃん! なんでもいいから、早くしな!」
「色即是空、空即是色……。幻に幻で対抗してはならぬ……。道高ければすなわち魔盛んなり。故にすべからくよく魔事を識るべし……!」
八鼎と接続! マシュの持つ巨大シールドが真っ二つに割れ―――――
両腕に纏い付き、堅固なブレーサーと化す! そしてマシュの両肩に、縄めいた筋肉が盛り上がる!
「WASSHOI!」
マシュが呼吸を調え、拳を胸の前で合わせて鼎から跳躍! アーチャーの眼前に! まさか防御を捨てて、殴りかかろうというのか!?
「「「滅びよ、人間めが!!!」」」
アーチャーが羽虫でも叩き潰そうとするかのように、千本の腕でマシュに斬りかかる! マシュが目を見開く!
「『魔手悟空拳』!!」
業!!
閃光、轟音! モンハナシャコめいた、両拳による裏拳だ! 実際恐るべき威力だが、それはアーチャーに届く距離ではない! 猫騙しか!?
否! 否! 見るがいい! それはアーチャーを狙ったものではない! マシュの両裏拳が空間を、次元を歪ませ、虚空に穴を開ける!!
両者のニューロンが加速し、時間感覚が泥めいて鈍化! 念話が通じる!
+
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... |
【メーガナーダさん。感謝します。わたしに気づかせてくれて】
「「「感謝される謂われはない。礼に鼎を呉れるか。それとも、お前の血肉を割いて寄越すか。おれは羅刹、人喰いだ」」」
【あなたが本当に我々を殺そうと思えば、いつでも、掌を返すよりたやすく出来たでしょう。
あなたのまことの望みは、解脱。苦しみの世界を離れて、涅槃に入ること。門が開いています。迎えが来ました】
虚空への扉が開く。その中から、輝く人影が出現した。十羅刹女と鬼子母神を伴い、六牙白象に乗り、後光を背負い……。
象の上に、おれの妻スローチャナが座し、微笑んでいる。いや……あれは、ブッダの弟子。菩薩摩訶薩、本初仏。
「「「普賢…………!!!」」」
♪実相無漏の大海に 五塵六欲の風は吹かねども 随縁真如の波の立たぬ時なし
菩薩が歌う。鬼子母神と十羅刹女が唱和する。妙音が光明となり、妙香、歓喜となる。
♪諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
♪羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
魔王メーガナーダは惑迷無明の幻身を脱し、合掌して笑いながら、無限の妙音と光明と妙香と歓喜に包まれ、虚空へ吸い込まれていく。
彼は永遠に逝き去った。何処かへ……三千大千世界の、輪廻の外へ。
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そして……門が閉じた。マシュは両腕を広げ、ふわりと地上に降りる。
蚩尤が荒れ狂い、メーガナーダが暴れまわり、混沌と化した、荒れ果てた地上に。
地平線の彼方、東の空から日が昇る。魔の時が終わりを告げる。
「……終わったのかい、お嬢ちゃん」
「はい。彼は―――成仏しました」
マシュはすーっと涙を流し、瞑目して、合掌する。
どすん、と空中から何か落ちてきた。鼎だ。メーガナーダは虚空へ消え、最後の鼎が戻って来たのだ。
◇□◇
「…………勝った」
カルデアのダ・ヴィンチが、どっと椅子に倒れ込む。何がなんだかさっぱりわからなかったが、ともかく勝利だ。
それも、マシュがあいつに、アーチャー・メーガナーダにトドメを刺したようだ。我がカルデアの誇る彼女が。
ランサーのことは残念だったが、こちらの英霊召喚システムが復旧すれば、いずれ呼び出して送り込めるか。ウォッチャーが許可すれば、だろうが。
『お疲れさん。このへんで休憩をとらせてやるよ。特異点の案内は、後であっちでやる』
ウォッチャーの声が響く。……サライの姿を取ってくれても、いいじゃないか。
「…………おい、起きろ」
「あン?」
どっかで聞いたガキの声だ。目を覚ますと、セイバー。辺りは明るい。朝か。なんか視界が歪んでるのは、水晶髑髏をまだ被ってるせいか。
「……おう、おはようさん。俺は生きてンのか。何がどうなった」
「お前が震えておるうちに、シールダーがかたをつけてくれたわ。九鼎は揃った。これからキャスターのガルダで、孟津へ帰るところだ」
鼎から苦労して這い出す。辺りはヒデェ有り様だ。空爆食らったか、核兵器でも爆発したみてぇだ。
そりゃまァ、あの大怪獣と大魔王が殴り合ってたんだからな。こうもなるか。犠牲は結局、ランサーだけか……。
アサシンとキャスターは、あっちで太陽に向かってぼんやり立っている。その向こうに、シールダー。傍らに、ダ・ヴィンチちゃんの映ってるモニター。
「そっかァ。やれやれ、これでロサンゼルスに帰れりゃいいんだが。ウォッチャーの野郎はなんて言ってる」
「知らぬ。……あっちでシールダーが祈りを捧げておるゆえ、行って来い」
「は? 慰めろってか。めんどくせぇな、あのガキは。ランサーはしょうがねぇじゃねぇか、あの状況じゃよぉ……」
アサシンが振り向く。
「それもあるけど、アーチャーにも、かな……」
「慈悲深いねぇ、お嬢ちゃんたら。どうせあいつら本体は、英霊の座ってとこでピンピンしてんだろ。俺は……」
エピメテウスを脱いで片手に乗せ、もう片方の掌で顔を拭う。頬を膨らませて、息を吹く。
俺は死んだらおしまいだ。後どれだけ、死にかけりゃいいんだ。
「おう、シールダー。いつまでもセンチメントしてんじゃねぇ! 孟津へ帰るぞ」
ゆっくりと、シールダーが振り向く。―――ゾッとするような無表情。百年も千年も修羅場を潜って来たような凄み。俺は気圧され、後じさる。
「はい」
いつも担いでる巨大な盾は、どこかへ消えている。代わりに、同じデザインの篭手を身に着けている。イメチェンか。
青褪めてる俺の横を、シールダーが通り過ぎた。なんだ、この、威圧感は。マジであいつなのか。
「……◆◆◆さん。わたしは、いろいろなことを知りました。カルデアで生まれ育ち、書物を読み、実戦を積み、数々の特異点を潜り抜け……。
たくさんの出会いがありました。先輩やカルデアのみんな、英霊たち……。いろいろなことを、学びました」
突然背後で喋りだされ、俺は振り向く。お嬢ちゃんは背を向けたままだ。
キャスター、アサシン、セイバーは、気の抜けた表情でこっちを見ている。ダ・ヴィンチちゃんは、何も言わない。
おい、なんだよ。別れの挨拶でもしようってのか。まだお前さんにゃ、仕事が残ってるだろうがよ。
シールダーが、振り向く。無表情だ。
「そして今、分かりました。わたしは『マシュ・キリエライト』であり、『マシュ・キリエライト』では、ない」
「……は?」
最終更新:2018年06月09日 13:21