アットウィキロゴ

第0節:理想郷を臨む



トマス・モアの『ユートピア』に曰く――


ユートピアは、三日月が輪になったような形をした島である。
そこには五十四の壮麗な都市があり、それらは全て同じ建物によって構成されている。
そしてユートピアに住まう人々もまた、同じ文化、言語、教養、生活様式を共有している。

彼らはみな同じ時間に起床し、同じ時間に食事を取り、同じ時間に眠りに就くことになっている。
人々は一日のうち、僅か6時間しか働かない。それ以上の労働は社会にとって不要だからである。
午前中に三時間、午後に三時間働き、それ以外の時間をすべて学問や芸術で自分を高めるために使う。

彼らは財産を持たない。全ての財は国が管理し、人々は与えられたものだけで満ち足りているからである。
財は全ての国民に均等に配分されるため、彼らは蓄えることなど考えもしない。
彼らにとって黄金とは奴隷の足枷に使うような卑しい金属であり、宝石は子供が遊びに使う石ころと同じである。
全ての国民は全く同じ作りの家を持つが、それらの扉にはただのひとつの鍵もない。
なぜなら家の中のものは全て国民の共有物であり、自分の家もまた当たり前に他人のものだからである。

ユートピア人は病人を篤く遇する。医薬や療養環境において、病人は全てを与えられている。
そればかりでなく、治る見込みがなく苦痛ばかりが続く患者には、死がいかに素晴らしい選択かが説かれる。
そうして納得した患者は絶食して死に至るか、あるいは安らかな眠りの中で死んでいくのである。

ユートピアでは戦争は忌み嫌われており、戦争で得られた名誉ほど不名誉なことはないとされる。
彼らは日頃から戦闘の訓練を欠かさないが、武器を取るのはあくまで自衛や友邦を守るためである。
それらは決して私欲ではなく、ユートピアの人間の甚大な同情の念があってはじめて行われるのだ。


『ユートピア』の語り部であるラファエル・ヒロスデイは、こう語る。
「恐らくこういう国家の基礎は、少なくとも人間の智慧がものを判断し推論する力を持つかぎり、永久に幸福に続くであろう」と。

さて――そんな社会は、本当に実現可能なのだろうか?




                    ▼  ▼  ▼




【1516年 ユートピア首都 アーモロート市】


一人の女が、大理石作りの建物の窓の外に広がる夜の世界を眺めていた。

高位の司祭であることを示す僧服に身を包んだ、男装の麗人である。
しかしその布地の中に窮屈に詰め込まれた膨らみは、彼女が成熟した女性であることをはっきりと示していた。
肩まで伸ばした髪も、陶器のように白い横顔も、輝かんばかりの美を湛えている。
しかし、氷、あるいは機械のような無表情さが、彼女をどこか現実離れした存在に見せかけていた。

「――同志ルーラー。またこんなところにいたのかい」

背後からかけられた声のほうへ、ルーラーと呼ばれた女は振り向いた。

「同志キャスター。ええ、ここから見える景色は本当に素晴らしいものです」

まったく感情が伺えない顔でそう告げるルーラーに、涼しげな顔の青年――キャスター――は微笑みを返した。

「僕にもそれは分かるよ。まったく同じ家々で、まったく同じ人々が、まったく同じ時間に行動する。
 まさに完成された社会がここにある。ただ、さすがにこうも変化がないと飽きないかな」
「飽きる? まさか。彼らはみな一様に幸福なのです。彼らの幸福は私の幸福です」

ルーラーの返答へ、キャスターは大げさに肩をすくめることで応えた。
キャスターという名が示す通り、彼の服装は丈が長い魔術師然としたもので、余計に仕草が芝居じみて見えた。
華奢な腕をわざとらしくひらひらと振って見せ、キャスターは微笑みを浮かべた。

「そんなささやかな幸せを感じているところに済まないが、二つほど報告だ」

ルーラーはその眉をほんの僅か、注視していなければ気付かないほど僅かにひそめた。
このキャスターがこうやって前置きをする時は、それがキャスターにとって愉快な話である時だ。
そして困ったことに、そういう話は大抵の場合、ルーラーにとって愉快ではないと経験が語っている。

「それはこの『特異点ユートピア』を管轄する、ルーラーのサーヴァントたる私に対しての報告ですか」
「そうとも。僕だってこのユートピアの完成された社会は、これから先も盤石であってもらいたい。
 そのためにも、統治者たる君には、この都市に起こる事柄には正しく知っていてもらなわければ」

ルーラーの抗議するような視線を気にもせず、キャスターは虚空から一冊の本を取り出した。
その仰々しい革表紙を開くと、ページの隙間から魔力の光が溢れ出し、空中にいくつかの像を結んだ。

最初に現れた像は、ここユートピアには似つかわしくない和装の男だった。
精悍な顔立ち。腰まで届くであろう長髪を頭の後ろで結い、片手には大きな弓を携えていた。

「まずは最初の報告。君が気を悪くしないように、良いニュースからだ。
 このユートピアに最新のサーヴァント、アーチャーが召喚された。
 これでこの特異点に存在するサーヴァントは全部で六騎となったわけだ。
 ルーラー。セイバー。ライダー。キャスター。アサシン。そしてこのアーチャー。
 断言してしまうが、彼はこの六騎の中で最強だよ。君と僕とも含めてね」
「……同志キャスター。あなたの口の軽率さは理解しているつもりですが、私は強さを求めてはいません」
「おっと失敬。しかし、彼の力があれば、このユートピアをより完全な形で管理できるはずだ」

ルーラーは空中に浮かぶアーチャーの横顔に目をやった。
きりりと結ばれたその表情の影が、どこか憂いを帯びているように彼女には感じられた。

「――それで、もう片方の報告は?」
「こちらは悪いニュースだ。今のうちに深呼吸しておくといい」
「構いません。続けなさい」

先を急かすと、キャスターは「同志セイバーが、ライダーを取り逃がした」と端的に言った。

「セイバーに与えた反逆者追撃の任は、失敗ということですか」
「ああ。しかしそのことで彼を責めてはいけないよ。同志セイバーはよくやった。
 これについては、あのライダーが思ったよりしたたかだったという他ない。
 まさかセイバーに宝具までもを使わせるとは――」
「……お待ちなさい。この理想郷で、そこまでの戦闘行為を? なんと愚かな」
「愚かなのが人間さ。本来の、つまりユートピア以前の人間、と言うべきかもしれないがね」

困ったものだと、キャスターはちっとも困っていないような涼しい顔で言う。

「そしてそこからが問題でね。
 恐らくはライダーの宝具によるものだと思うんだが……。
 セイバーの宝具はその発動の瞬間、魔力の流れを『外側に逸らされた』。
 僕も直に見たわけではないが、セイバーのあれは『聖剣』だ。神秘の格が違う。
 つまり膨大な魔力がユートピアの外へと漏れ出したことになる」

話す内容とは似つかわしくない笑顔で、キャスターはわざとらしく言葉を区切った。
ルーラーは対照的な無表情のまま、視線だけで先を促した。
キャスターは笑顔を張り付かせたまま、続きを口にした。

「結論から言おう――この特異点は、カルデアに捕捉された」

キャスターの涼しげな笑みの奥に、一瞬だけ喜悦が滲んだように見えた。

「存在しないはずの特異点。存在しないはずの国家。存在しないはずの社会。
 それらが明るみに出てしまった。星見の民によって観測されてしまった。
 そう遠くないうちに、彼らはこの特異点に対して介入行動を取るだろう。
 やってくるぞ――ソロモンの時間神殿を乗り越えた、人類最後のマスターが」

ルーラーはかぶりを振って、真っ直ぐな目で目の前の青年を見据えた。

「誰がやってこようと同じこと。何をやろうとしようと同じこと。
 この特異点ユートピアが完成させようとしているのは、人々の『完全なる幸福』。
 それを蹂躙しようとするのは、そう、悪と断ぜられるべき行いです。
 ユートピアは変革を求めない。ユートピアは破壊を許さない。
 我が慈愛と同志たちの力をもって障害を排除し、正しき行いを為しましょう」

キャスターはおかしそうに手を叩いた。

「そうとも。流石は教皇様だ。そうこなくっちゃ、僕も面白くはない。
 ところで君、さっきは力は不要だとか、争いは愚かだとか言ってなかったかい」

ルーラーは事もなげに応えた。

「ええ、その通り。だからこそ私はいずれ、かのマスターの亡骸の前で嘆きましょう」

そうして跪き、祈りを捧げる姿は、確かにルーラーとして召喚されるべき聖女のように見えた。


                    ▼  ▼  ▼


【同時刻 ユートピア 第十三都市 郊外】


蹄が石畳を叩く。

ごうごうと、吹き荒れる風を引き連れながら。

乗り手の髪をなびかせ、マントをなびかせ、闇色の馬がひた走る。

「……これで、ようやく物語は始まる」

馬上の少女が、風の中でそう呟いた。
軽装の鎧を纏い、背には身の丈ほどの巨剣を背負ったその姿。

――理想郷のライダー。彼女はそう呼ばれている。

ライダーは馬を疾らせながら、瞬く星のひとつに目をやった。
まるでその向こうに、こちらを見つめる人がいるというかのように。
いや、少なくとも彼女は、それを確信していた。

そして、期待する。
彼方からの来訪者が、この狂った理想郷を打ち砕くことを。

「一度始まった物語は、必ず終わる。終わらなくちゃ、いけないんだ」

自分に言い聞かせるようにそう呟いて、彼女は愛馬とともに風になった。

ここはユートピア。
全ての人間が等しく、永久に幸せであるようにと作られた世界。
だけど、やがて人は知るだろう。
人が人である限り、変化はやがて訪れる。

――永遠なんて、何処にもないのだと。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年05月11日 01:16