晩餐

 何処となく、少女は心が浮つくのを鎮められない。
理由は、深く考えずとも解ってる。2年もの間苦楽を過ごしてきた、このカルデアから退去するのが、名残惜しいのだ。

 立香は既に、人理焼却の1件から、その後に起こった亜種とも言うべき特異点の数々の解決の際に契約していたサーヴァント達と別れを済ませていた。
一人一人に、丁寧に。楽しかった思い出から感謝の言葉、ちょっとアレだなぁと思った点まで。全部を全部洗い浚い話し合って。
一人の例外もなく、後腐れを残さず全てのサーヴァンとはカルデアから去っていった。驚異的だとしか、言いようがない。
一人ぐらいはもう少しカルデアにいたいと駄々を捏ねそうなものだったが、皆立香の事を労い、快くカルデアを後にしてくれた。実に素晴らしい、コミュニケーション能力だった。

 もっと色々な思い出を紡いで行きたかったが、事情が事情なら、仕方がない。
それに、あの個性豊かな英霊達がカルデアを去っても、今を生きる立香から、その思い出が消えてなくなる訳ではない。
英霊達との日常を写したフォトグラフは写真としても残してあるし、スマートフォンにも記録している。
何よりも若い立香の記憶には鮮明に、彼らと過ごした年月が焼きついている。消そうと思って消せる記憶ではない。消そうとなんて、思わない。
この2年、彼女自身の身に降りかかったあらゆる出来事を記憶し、背負いながら、彼女は再び世俗に溶けて行く。
それはまるで、カルデアと言う非日常の世界に取り込まれ、結果的に失ってしまった丸2年を、これからの何事もない日常を十分に楽しむ事で、取り戻そうとするかのようであった。

「……だけどその前に」

 はぁ、と。廊下を歩きながら、溜息を一つ吐く立香。
廊下はやけに静かである。百を優に越すサーヴァント達が一気にいなくなったと言う事は、当然、その人数分が有していた賑やかさも消滅するのと同じ事だ。
その分、静けさが優位を強めさせるのも当然の話。ほんの少し前までは、食堂は当然の事、廊下ですら賑やかな事が多かったと言うのに。
この静けさだと、少女のかすかな溜息ですら良く響く。少し前ならその溜息に反応して、アストルフォや清姫達が、様子を訊ねて来てくれたのだが。

 先程すれ違った技師やスタッフの話によると、立香は査問にかけられるらしい。
今知った情報と言う訳じゃない。元より結構前から、ダ・ヴィンチやマシュ、よく話すカルデアのスタッフ達から知らされていた。
この査問を行う魔術協会の陰湿さや冷酷さは良く知れ渡っているらしく、まるで裁判か、拷問スレスレの尋問に等しいと言うではないか。
そんな事をやらされるのであるから、気が気でない。これでは自分の口座に振り込まれていると言う、東京の一等地に広大な土地を買ってしかも残った金で、
一軒家をも余裕で建てられる程の額の給金の使い道を全然空想出来ないではないか。

「やになるなぁ」

 また、溜息。いけないいけないと立香は自粛する。
溜息をする毎に幸運は逃げて行くよ、とダビデ辺りが言っていた気がする。そうかも知れないと思ってからは、なるべく封印していたのだ。
いなくなったからと言って、解禁して言い訳じゃない。投資信託大好き羊飼いのアドバイスを思い出しながら、立香はダ・ヴィンチの下へと歩いていく。

「あれ?」

「……ん?」

 ダ・ヴィンチのアトリエに続く扉の前で、立香と、もう一人。
彼女がやってきた方向とは反対の方向から、今まで見かけた事もなかった、カルデアの技師ともスタッフとも違う若い男性が、扉の前で立ち止まった。

「おはようございます」

「あ、ああ。おはよう」

 年の頃は、立香と同じ位か。
日本人である立香は顔立ちからヨーロッパ系である事は解るが、流石にダ・ヴィンチ達の様に、それがイギリス系だとかイタリア系だとかの判別は詳しくない。
それでも、目の前にいる、銀色の髪をしたやや陰気風な青年が、アジア人の顔をしていない事は一目瞭然で直ぐ解るし、何よりも。
服装がカルデア職員の物とは違い私服である。これが、技師でもスタッフでもないと判断した理由であった。

「余り見ない顔ですけどもしかして……今まで凍結してたマスターさんですか?」

「そう……なるな」

 やっぱりそうか、と立香は得心する。
レフ・ライノールの謀略の手によって、コフィン内部で意識不明状態にさせられていた、47人のマスター。
その解凍、蘇生作業がこの1年間通しで行われていた事は立香も知っている。蘇生を終え、無事故郷に戻る元マスター候補を見送った回数も、一度や二度ではない。
人理焼却の件以降、このカルデアで働いていたスタッフ達の顔も名前も、立香は全員理解している。
その彼女が知らない、カルデアの人間となると、それはもう今まで凍結状態であったマスター達か、これから自分達の役目を引き継ぐと言う新規スタッフ達以外にいないのである。

「レフの奴は僕らを特に念入りに損壊させようとしたらしくてな……結局凍結と蘇生作業がこんな時期にまでもつれ込んだんだ。……アンタも運悪く、その目にあったのか?」

「え?」

 目の前の人物は、何か勘違いしていると立香は思った。
どうやら彼は、立香の事を、自分同様今まで凍結と蘇生に梃子摺っていたマスターだと認識しているようである。

「蘇らせてくれたんだ……礼も言えない恩知らずじゃない。僕は今からそうするつもりなんだが、アンタもそうなんだろ?」

「え、あ、その」

「僕は先に行ってる、アンタも僕もどうせ直ぐ退去させられる身だ。やり残しはないようにしよう」

 言って男は、ダ・ヴィンチのアトリエへと続く自動ドアを開け、その中に入ってゆく。
芸術家としての側面を持つダ・ヴィンチは、芸術家の多くに共通する特徴をそのまま受け継いでいる。要は、アトリエを全く整頓出来ない。
床や壁際、部屋の至るところに、何に使うのだかサッパリな道具から、立香でも用途が明白なものまで散らかっており、はっきり言ってカオスの具現だ。
特に机など酷いもの……の筈なのだが、今回は何故か、机の上が綺麗であった。いや、綺麗にせざるを得ないのだ。
何せダ・ヴィンチの机の上においてあるのは、事務員が見れば卒倒しかねない程の、書類の山、山、山。
何も印刷されていない、購入したばかりの印刷用紙の束をそのまま積み重ねていったとしか思えない程、大量の書類とダ・ヴィンチは格闘していたのである。

「やあ、『カドック』じゃあないか。良い夢はみれたかい?」

「何だか不思議な気分だ……。目を覚ましたら、もう2年も経過していたみたいな感じで……夢を見る暇もない」

「人理焼却時のカルデア外にいた人達と、同じ感覚って訳か。それで、このダ・ヴィンチちゃんに用でもあるのかな?」

「ああ……、アンタ達の丁寧な蘇生作業もあって、無事この世界に戻れたんだ……ありがとうぐらいは言っておこうと思ってな。僕の後ろにいる、マスターもそのつもりらしい」

 チラッ、と目線を、開きっぱなしの自動ドアの先にいる立香に向けるダ・ヴィンチ。はて、と言う様な表情をダ・ヴィンチが浮べる。

「いや、彼女は違うよカドック。立香くんは今まで重体だった47人のマスターじゃないぜ」

「何……? だけど彼女は確かにマスターなんだろ? 多分魔力量から言ってDチームの……」

「ああ、まだ詳しくは知らされてないんだね。紹介しようカドック。彼女こそが、藤丸立香。47人のマスターに代わり様々な特異点を必死に駆け回っていた、人理修復の立役者その人さ」

 途端にカドックが驚きの表情を浮かべ、バッと立香の方に顔を向けた。
目を丸くしたカドックと目線があってしまった立香は、バツが悪そうに、「あ、どうも、藤丸立香です」と歯切れの悪い挨拶をし始めた。

「……彼女が……そう、なのか……」

 呆然の念が若干込み入った声を出しながら、カドックは、自分が意識を失っている間に世界を救った英雄の貌を、無言で眺め続けているのであった。

 ◆

 カルデアのマスターである藤丸立香の送別会は同日解凍、蘇生に成功した4人のマスターも含めて、食堂にてしめやかに行われた。
ここに、俵藤田やエミヤ、タマモキャットなどという面々がいたのなら料理もさぞや豪華なものが出てきたが、英霊の座へと送還されてしまった今ではそうも行かない。
本来のカルデアの厨房担当が作った、平時に比べれば奮発の様子が見られる肉料理をつまみながら、スタッフ達は、今回の送別会の主役。
とどのつまり藤丸立香を一番目立つ席に座らせて、歓談を楽しんでいた。魔術の世界に携わるものもそうでない者も、等しくだ。

「ねぇねぇフジマル、貴女聞いたわよ!! ラーマにカルナ、アルジュナとも契約した事があるんですって!?」

「えぇ、まぁ」

「キャー!! 貴女って相当恵まれたマスターよ!! さぞ徳を積んだのね、ラーマーヤナにマハーバーラタを代表する大英雄を使役出来たなんて、羨ましい限りよねぇカドック!!」

「そ、そりゃそうだが……だけど、そんな奴らまともに動かそうとすると魔力が……」

「もう、浪漫がないわよカドック!! 大事なのは彼らを動かす事で消費する魔力よりも、彼らとの語らいの時間。それは時に単純な戦闘力よりも頼れる道しるべになるのよ?」

「そう……かな……」

 カルデアのスタッフ達が会話に興じている中、一人だけ、一回り大きい声ではしゃいでいる男がいた。
一見して裏声だと解る高い声の上、隣のカドックに比べて声のトーンの明るさも数百倍上である。
名前を立香は聞いてはみたが、全然本当の名前を教えてくれない。教えられない事情があるのか、兎も角、この裏声ではしゃいでる男性は、
自身の事を『スカンジナビア・ペペロンチーノ』と言う、人を喰うにも程がある名を名乗ったのだ。流石の立香でも、この名前はないと解るレベルであった。
兎も角、そのペペロンチーノのグイグイと引っ張って行くような会話のペースに、立香もカドックもややたじたじの様子であった。

「……」

 一方、会話に積極的に参加してるペペロンチーノや、彼程ではないにしろ会話に入っている――ペペロンチーノが話を振る為せざるを得ない――カドックとは対照的に、
その向かいに座る女性は無口なものだった。オレンジ色の髪に、右目に巻かれたベルト状の眼帯。眼帯をしている状態でも解る、見事な美女であった。
凛とした雰囲気に惹かれる男も、数多かろう。恋を知らぬと言われる魔術師であろうとも惹起を起こしかねない女性だった。

 ……よく見ると、女性は無口に徹している訳でない事が解る。
肉に余り手をつけず、そわそわとした様子で水を飲みながら、自身の隣に座る少女。
立香やペペロンチーノ、カドック達と楽しげに会話するマシュ・キリエライトの様子を、やや困惑気味に眺めているのだ。

「……? あの、『オフェリア』さん?」

「え? な、何かしらマシュ」

 それまで気にしていた少女の方から唐突に声を掛けられたせいか、オフェリアは少し狼狽した声の調子で返事をしてしまった。

「いえ、何と言いますか……先程から会話に混ざりたそうな目をしていましたので……。よろしければ、御一緒しますか?」

「……その、こんな言い方は失礼かも知れないけど……。変わったわね、マシュ」

「はい?」

「昔のマシュは何処か冷めてて、近寄り難い雰囲気だったのだけれど……。今の貴女は、とても綺麗で良い瞳をして、しかも雰囲気も明るい素敵な女性よ。……人理修復の旅が、貴女をそうさせたのかしら?」

 オフェリアの、思いも寄らない角度からの質問に、マシュは一瞬目を丸くする。
が、オフェリアが真摯にそう訊ねている事を直ぐに理解したマシュは、彼女の真摯さと同じ位真面目に質問に答えた。

「その問いには……はい、そうであると答えます。この送別会の時間だけでは、到底語り切れない経験を、私はして来ました。その経験が、私の中の糧になっていると、思ってます」

「良い旅をしたのね、マシュ。……その、もう少し貴女達の話、聞かせてくれないかしら?」

「はい、喜んで!!」

 マシュとオフェリアがそう言う話をしてる間、カドックやペペロンチーノ、立香の三人は、召喚したサーヴァント達のあれこれについてやはり盛り上がっていた。
二人とも魔術師、特に神話や伝承に非常に詳しいインテリだ。書物や伝説の中で表現される彼らサーヴァントが、実際にはどんな姿とひととなりをしているのか。気にならない筈もなかった。

「それにしてもあの玄奘三蔵とも契約してたなんてねぇ。その上女性だったなんて。フジマル? 他に中国のサーヴァントで面白い人とかいたの?」

「えーっと……項羽とか誠実でしたね。伝わっているエピソードから警戒されてたけど、話してみると凄く真面目で……」

 何か触れる言葉でもあったのか。
立香から見て右斜め上の離れた席に座る、『芥ヒナコ』と言う名前をした眼鏡の女性が、凄い剣幕で此方を睨みつけて来た。
目線の方から凄い圧を感じたので、目だけをヒナコの方に向ける立香。

 ――『様』、よ。小娘――

 そんなヒナコの、声なき声が、聞こえてきそうだった。ヒナコの瞳の奥の、危険な光に立香は気付いてしまった。

「? 如何したのフジマル?」

「……あ、はい。その項羽様って凄い優しくて誠実で――」

「何か急に褒め称え始めたぞ……」

 カドックが怪訝そうな顔を浮べる一方で、離れた席のヒナコは、小さく「よし」、と呟きながら、ステーキの切り分けを行い始めたのであった。

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最終更新:2019年01月29日 01:42