――ローマを憎む/愛する、全てのものへ
1:
「ローマよ、地上に結ばれ、人の心に刻まれ、遂には天へと至った、滅びを知らぬ永遠の国よ。地に、堕ちる刻が来た」
ザッ、と無辺の荒野を、遥かな高みから見渡す男がいた。
筋骨隆々、と言う言葉では尚足りぬ、完全完璧な身体の持ち主だった。
浅黒い肌、贅肉など一かけらとして存在しない、全てが磨き上げられ、鍛え上げられた、銅像もかくやと言うべき肉体。
一九〇cm程もある恵まれたその身体つきは正に、神より与えられた天性のボディと言う他はなかった。
青色のマントと、ブーメランパンツ一枚のその恰好が、神聖で、また、見る者に不快感を与えず、寧ろ拝跪すらせねばならぬと思い起こさせるのは、この男の身体から発散される、カリスマの故であった。
「――兄(ローマ)よ、パラティヌスの丘を建国の土壌と宣告した、我が狂おしき大敵よ!! 貴様の築いた全てを、砕きに参ったぞ!!」
抜けるような青空目掛けて、男が叫ぶ。
稲妻の如き大音声であった。人の喉から、迸る声ではない。喉に、雷雲が蠢き、其処で稲妻を孕んででもいなければ、到底出せぬ声の大きさであった。
心なしか、空に浮かぶ白い千切れ雲が、震えた様に見えたのは、きっと、気のせいではないのだろう。
「今度こそ、ああ、今度こそ、俺は、俺の国を築いて見せる!!」
人がおらず、獣だけが我が物顔で闊歩する、眼下の荒野を眺めながら、男は叫び続けた。
眼球の強膜の部分が赤く、瞳が深紅の如く赤い、その特徴的な瞳から、血の涙を流し続けて、男は、我が喉が壊れんばかりに、その思いの丈を叫び続けた。
「兄(ローマ)よ、勝つのは、このアウェンティヌスを国と定めたこの俺だ!!」
「そう――」
「この、『俺(レモラ)』だ!!」
かくて、男はいつまでもその丘で、此処にはいない兄の事を叫び続けた。
やがてローマと呼ばれる国が興ったとされる、パラティヌスの丘。その向かいに切り立った、アウェンティヌスの丘で起こった、五日前の出来事であった。
2:
「奇蹟だ――嗚呼、これを奇蹟と呼ばずして何と呼ぶ!!」
誰もいない、枯草だけが広がる荒れ果てた草原の真ん中で、男は、快哉を叫んだ。
鍛え上げられた上半身を露出させ、その上に裏地の紅い黒マントを羽織り、カーキ色の長ズボンを履き、眼鏡をかけた赤髪の青年だった。
目の下には不健康そうなクマが、人体の黄金比とも言えるその肉体の中に在って、異彩を放っている。不摂生な生活を、この身体で送っているらしかった。
「俺は今、あの人を殺した憎き国家のおこりにいる!!」
バッと、太陽に向かって両手を広げる男。
それはまるで、太陽がこれから地上に堕ちて来ても、それを己の胸で抱きいれ、受け入れようとしている様子さながらであった。
「過去が違ったら、過去を変えられたら? そう思った事は、一度や二度では効かない!! だが、そんな事は起こらないと諦めていた。だが、奇蹟が起ったのだ!!」
太陽に向かって男が叫び続ける。その瞳から、火花が飛び散らんばかりに血走らせて。
「俺が愛を示したら、貴方は蘇るのだろうか? また、ペトロやヨハネ、ヤコブ達と、辛く厳しくも楽しかった行脚に行けるのだろうか?」
「――そして、」
「俺が、貴方を『神』とするために、裏切りを行う必要もなくなるのだろうか?」
ググ、と、男は力強く己の手を握りしめた。爪が、掌に食い込む程強く拳を握っていた。掌から血が流れ落ち、荒野の砂地に滴って行く。
「これが罪でも構わない。これが、貴方の否とする道でも、俺は構わない!! 俺は、他の使徒と同じく、貴方に生きていて欲しかったのだ、『■■■』よ!!」
ギラギラと、真上で輝き続ける太陽目掛けて、男は怒号を上げ続けた。
太陽は。地上に等しく恵みの光を降り注がせる、遥かな宇宙の皇帝は、黙して語らない。地上で叫ぶ、愚かな蟻の言葉など、取るに足らぬと言わんばかりに、沈黙を保っていた。
「ローマよ、嘗て貴様らがあの人を供物とした罪を贖え!! これは、あの時の再来である!! ■■■を、己の国の存続の為に磔にした時を思い出せ!! 今度は俺が、貴様らを■■■の復活の為の贄とする番だ!!」
そこで、爆発したような哄笑を上げ続け、男は、空に向かって笑い声を上げ続けた。
やがて一人の男が磔にされて命を絶ったと言う丘へと続く道。そこで起こった、三日前の出来事であった。
3:
「おや、私が召喚に応じた理由ですか」
んー、と、顎に手を当て考え込む、スラッとした長身で、紫色の髪をした男。
灰色のスーツを嫌味なく着こなし、瞳を閉じているのか、それとも、閉じているとしか解らぬ程細いのか、判別がつかない――糸目の美男子だった。
「律法(トーラー)を正す為、でしょうか。此処には余りにも、過去を変えれば全てが変わると思っている者が多すぎる」
そう言って男は、空を見上げた。月が輝き、満点の星々が存在を謳歌する、夜の空模様を。
肌が切れんばかりの、荒野の寒気は、この男の微笑みを崩す要因には、何らなり得ないようであった。
「私の仕事は、魂の監視です。堕落し、悪に染まった魂は、神の懐へと還されねばなりません」
スッ、と。男はその一方向を向いた。閉じた瞳の間から、紅色の光が迸った気がするのは、偶然なのであろうか。
「何物も、我が魔眼から逃れられる術はない。『眼』に物を言わせる、とはどう言う事なのか、教えて差し上げましょう」
そう言って、ニコリと男が誰かに微笑みかけた。
明けき月明かりだけしか、地上を照らすものがない、岩の荒野が広がる世界。そこで起こった、一日前の出来事であった。
最終更新:2017年05月11日 23:28