そして未踏の世界へと

 球技の練習にも使えそうな、広大な一室であった。
直径に換算すれば100m以上は下るまいその一室は、床一面が磨き上げられた大理石で出来ており、ビル一棟分の高さもある天井からは、
太陽がそのまま降りて来たのかと錯覚させる程に巨大なシャンデリアがぶら下がり、この部屋を余す事無く強烈な光で照らしていた。
壁面には、示威的な装備に身を包んだ立派な戦士が、燃え盛る剣を構えた大巨人や、氷の吐息を放つ魔狼と対峙し、
これを打ち倒す様子がストーリー仕立てで表現された壁画が彫られている。写真にも迫るそのリアルさ、そしてそのダイナミズム。
人の手では、果たして万年の時間を掛けようが到達し得ない美の極点が、その壁には表現されていた。この一室は例えるなら、勇壮かつ麗美な神々の活躍と功績を久遠の長きに渡り讃える為の場所に見えた。人はただ、この部屋を見て、圧倒だけされていれば良い。それだけで、この部屋が作られた意味は充足されるのだ。

 部屋の中央には、竜骨を削って造られた、これまた大きな半径10m超もある円卓が設置され、その上座に相当する所に、男が1人、座っていた。
銀髪の美青年とも言うべき風情のその青年は、非常に若々しい人物だった。黒いコートに袖を通したその男は、十代の半ばを過ぎて間もない、
人によっては少年とも表現されよう齢であったが、発散される気風は、大人物のそれでは説明出来ない程老成されていた。
落ち着いた佇まい、腕と脚を組み虚空を眺めるその様子。彼の姿は、諸人に帝王の何たるかを想起させるに足る説得力で溢れていた。

 ブンッ、と言う音が、広大な一室に鳴り響いた。
男が座る円卓には、彼の分も含めて椅子が七つ用意されており、その内の一つに、光の塊が生まれた。
それはある種のホログラム或いは、立体映像であるらしかった。光の塊は一瞬で人の形を構成し始め、明白な一個人の姿を表現し始めた。

「『吹雪』、ただ今参上しました!!」

 セーラー服を身に纏った黒髪の少女、吹雪は男――『峰津院大和』に対し、ビッと敬礼した。

「君は相変わらず時間に律儀だな。待ち合わせにはいつも君が早く到着する」

「えへへ、ありがとうございます」

 其処で吹雪は、今までキリッとした表情を、にへらと笑みで崩した。
褒められて、嬉しかったらしい。この辺りのリアクションは、年相応の少女と大差がなかった。

ブン、と言う音がまたしても響き渡る。遠隔映像が、この部屋に投影される音だ。
円卓の一席に、その男のホログラムは姿を現した。瞳に湛えられた感情を読み取らせる事を拒む、濃い黒のサングラスを掛けた、同じく、墨に浸した様に濃いブラックスーツ。
皮肉気な笑みを唇だけで形作るこの男の名を、『神取鷹久』。表の世界に於いては、SEBECと言う名前の大企業のCEOを務める、卑近な言葉で飾るなら、成功者とか、人生の勝ち組に相当する人物だった。

「おや、またしても吹雪君に負けてしまったか。到着時間には気を配ったつもりなのだが」

「いえいえ、神取さんだって早いですよ。やっぱり、社会人はちゃんと時間を守るんですね」

「時を守るのは私の性分だ。社会人だから、と言う事は関係ない」

 神取はそう言って、クッションも何も敷かれていない、大理石で出来た椅子に腰を下ろす。
神取が座った後で、椅子の存在に吹雪も気づき、ゆっくりと腰を下ろした。
彼らの座る椅子は異様に背もたれが高く、数m程もあろうかと言う長さがあった。峰津院が座る椅子も、他の者達に用意された椅子も、皆等しく同じデザインである。
古の伝説に曰く、アーサー王伝説の象徴とも言えるアイテムの1つである円卓は、その席に座る者達が、席次や序列に拘る事無く対等に意見を交わせるような意図の下用意されたと言うが、如何やら峰津院は、椅子のデザインも統一する事で真の平等を表現しようとしたらしい。

 1分間程、吹雪と神取が会話を楽しんでいると、ホログラムの出現音が鳴り響いた。それも、2つ同時に。
現れたのは、白衣を着流し、無地のシャツに長ズボンと言う地味にも程がある出で立ちをした、金髪の女性だ。
服装は極めて地味目で、色気の欠片も感じないのと反比例して、その顔立ちは、天から遣わされた芸工がその手で長い時間を掛けて作り上げた。
そうと言われても万民が納得する程の美しさだった。『フランシーヌ』と自らを遠慮がちに名乗るその女性は、カルデアに在職時は男性職員の多くに少なからぬ好意を寄せられていた事を知らない。

 一方、もう1人の方は、黒いカンフー着を着こなす大男だった。180、いや、190cmは堅い。一般の感性から言えば、巨躯に相当する身長の持ち主だろう。
しかも、ただの大男ではない。厚手のカンフー着の上からでも解る立派な――否、異常とも言える程発達した筋肉(マッスル)の持ち主で、
この上その筋肉はドーピングなどのアンナチュラルな手段を用いて得たそれではなく、生まれ持ったままのそれである事を誰も彼もに知らせしめるだけの力があった。
まるで、力と闘争を司るマルス神の恩寵を受けて生まれたような男だった。顔立ちは峰津院や神取が紳士の顔に見える程凶悪そうなそれで、揺らめく茶髪が、ライオンの鬣を連想させる。名を、『範馬勇次郎』。カルデアに来る前は、地上最強の生物とすら自負していた、独善の塊の様な男だった。

「フランシーヌ嬢は兎も角として、範馬。そちらが時間を守る性分だと言う事は毎度の事だが驚かされるな」

「時間にルーズなのは嫌いなだけだ、峰津院」

 どかっ、と椅子に腰を下ろし、円卓の上に足を乗せ、リラックスの体勢を取る勇次郎。
この辺りの礼儀は、考慮しないらしい。或いは、この集まり自体が、気乗りがしないのか。

「失礼します」

 感情の抑揚を感じさせぬ声で、フランシーヌは一礼し、椅子に腰を下ろした。
残る空席は2席。「いつもの2人ですね……」、と、吹雪が呟く。口ぶりから察するに、集まりにはいつも遅れる2名であるらしかった。

 ……それから5分程経って、ブン、と言う音が生じた。
席の1つに現れたのは、赤いバンダナを巻き、ジャケットを羽織った、後ろ髪を長く伸ばした金髪の優男だった。
快活そうな笑みを浮かべ、ユニオンジャックを模した長袖のシャツと、色の褪せたジーンズを穿いたその姿は、この場に於いては不釣り合いな程に、当世風の若者だった。
名を、『アクセル・ロウ』と言うその男は、後頭部を掻きながら、バツが悪そうに口が開いた。

「やーメンゴメンゴ!! 定例会の事すーっかり忘れててさ、今すぐにでも始めようか!!」

「……悪いが、アクセル。お前よりも遅刻してる豪胆な者がいるのだよ」

「あん? 誰それ、えーっと、今いるのはっと……」

 ひいふうみ、と、円卓に座る者達を確認し、「あー」、と。誰が遅刻しているのかを理解した。

「霊夢ちゃんか」

「放っておけ。毎度の事ながら、奴を待つ時間が苦痛でしょうがない。とっとと話とやらを始めろよ峰津院」

 勇次郎が苛立ちながら提案する。正直、その方が精神衛生上楽だ、と皆が思い始めたのか。
峰津院が議題に入ろうとした、その瞬間だった。ブン、と言う音が生じたのは。

「なによ、また私が最後って訳? まったく、律儀な連中ばかりね。少しはゆるりと構えたらいいじゃない、アンタ達」

 最後の1席に座る女性は、湯呑みに入れた茶を飲みながら言っていた。自らが遅刻していると言う自覚が、まるでないらしかった。
紅白の2色が目立つ、やけに露出度の高い巫女服を纏った、石鹸の様に白い肌の少女だった。
同年代の少女達と比較しても際立った愛らしさを持つその黒髪の少女こそが、『博麗霊夢』なのだった。

「……もう良い、お前については諦めている。皆が揃ったのだ、定例会を開催しよう」

 皆に目配せをしてから、峰津院は口を開いた。

「空想樹の発芽から90日……三ヶ月もの月日が経過した。……尤も、この三ヶ月と言うのはあくまでも、此方の異聞帯(ロストベルト)で経過した月日だ。君達の異聞帯の中には、通常と異なる時間の流れの世界もあるかも知れない。三ヶ月と言う月日は、基準としていい加減なのかも知れないがね」

「大体、ウチのところの異聞帯もそれ位の時間が経過したぜ、峰津院の若旦那」

 アクセルが同調する。その後から、フランシーヌがゆっくりと首を縦に振った。2人のいる異聞帯の時間の流れは等しいらしい。

「あ、私の所も三ヶ月位でしたよ、峰津院さん!!」

「俺の所も、三ヶ月だったな」

 吹雪と勇次郎も、経過した月日を報告するが、神取と霊夢は特に何も報告しない。語りたくない事情があるのか。或いは、面倒くさいだけなのか。峰津院は、話を続けた。

「凡そ、それぞれの異聞帯の時間の速度は等しいらしい。だが、重要なのは其処ではない。この定例会に参加出来ていると言う事は、皆が滞りなく濾過異聞史現象――既存異聞帯の『吸収』を終え、異聞帯としての軌道に乗ったと言う事なのだ」

 其処で峰津院は、日本人離れした整った美貌に微笑みを浮かべ、次の言葉を紡いだ。

「一先ずは、第一段階の終了を祝うとしよう。諸君らの優れた力が、在るべき筈だった異聞帯に勝利したのだ」

「勝利した、と言う実感が欠片も湧かないわね」

 茶をある程度啜ってから、霊夢が言った。

「適当に、割り振られた世界で過ごしてたら、いつの間にか勝ってた。いつ戦ったのか、全く解らないわ。どれだけ、私の異聞帯とやらが吸収した、『本来顕現する筈だった異聞帯』は弱かったの?」

「霊夢、君の異聞帯が吸収した、本来の異聞帯……在り得た筈の『秦帝国』は、決して弱い訳ではなかった。強くなる前に、我々の世界が併呑してしまったのだ」

「電撃作戦、と言うわけですね!!」

 吹雪としては、そっちの言葉の方が理解しやすいらしい。納得の行ったと言う表情だった。

「峰津院。本来出現する筈だった異聞帯と言う場所にも、強い存在がいたんだろ?」

「可能性としては在り得る、と言った所だ」

「……惜しい事をしたな」

 舌打ちを響かせ、勇次郎は無言になった。自分が吸収したと言う異聞帯に、思いを馳せながら。

「霊夢の言う通り、異聞帯を吸収したと言う実感が湧かない者が殆どだろう。諸君らの異聞帯にいる『王』と接し、或いは機嫌を取っていたら、いつの間にか終わっていた。実感としてはこのようなものだろうが、それで正しい。おかしいところは何もない」

「平和に終わったんなら、ま、オレとしては何よりだね。争うって事があんまり好きじゃないんだよね。な、同じ平和主義者として、オレっちと同感だろ霊夢ちゃん? そっちの異聞帯も、オレの世界同様争いとは無縁の世界らしいじゃない?」

 目線を、茶を啜る霊夢の方に向けてアクセルが言った。ジロリ、とアクセルを睨む霊夢。一瞬だが、アクセルがたじろいだ。凄まじいまでの、眼力だった。

「その気のない嫌味程、腹の立つものもないわね……。こちとら、見せ掛けだけの平和に辟易してるってのに……当たりの異聞帯を割り振られて、相当浮かれているようね、アクセル」

「んなっ、その気はないぜ霊夢ちゃん!! そりゃあ平和の方向性はオレやそっちの異聞帯もちょっち違うけど……争いがないんだから凄い良い世界じゃん?」

「生きててつまらない異聞帯みてぇだな」

 勇次郎が何気なく口にした言葉に、アクセルは反応する。
困ったような表情だ。勇次郎と言う男が、アクセルは苦手な様であった。

「心底から、お前達の異聞帯を割り振られなくて良かったと思う他ねぇな。お前達の世界は、平和じゃなくて退屈だ。とても、最終的に勝利する器にないぜ」

「ゆ、勇次郎の旦那……何もそこまで言わなくても――」

「年がら年中殺しあって奪い合う非生産の極みみたいな世界が至上だとでも言うのなら、頭の中身を空だと疑われるわよ。勇次郎」

 霊夢の直球の批判に、アクセルと吹雪が青ざめる。勇次郎の危険性を、彼らは理解しているからだ。
暴れられれば手が付けられず、異聞帯の強度も極めて高い。この男の異聞帯に標的にされれば、果たしてどうなるか。
恐る恐るアクセルが勇次郎の方を見ると、意外な事に、勇次郎は笑みを零していた。……微笑みと言うには余りにも兇悪な、肉食獣の笑みであるが。

「奪い合う非生産の極みの世界……か……。お前の異聞帯がそれを言うのが嗤っちまうジョークだが……良いぜ、そう言う事にしておいてやるよ、博麗」

「ええ、そうしてくれると嬉しいわ。こっちの異聞帯が貴方の異聞帯を潰す手間が省けるもの。ロクでもない異聞帯担当仲間として、吹雪と頑張ってて頂戴」

「わ、私の異聞帯はロクでもない訳じゃないです!! ただその……修復にちょっと手間取ってるだけですから!!」

 霊夢の言葉には、流石に思う所があったらしい。
ちょっと怒ったような表情で強く反論するが……ワケあり、と言う点については事実らしい。少し表情が、曇っている。

「峰津院」

 フランシーヌと同様、今まで沈黙を貫いていた神取が、やおら、と言う風に口を開く。
言い争いを続けていた4名のマスター達は、水でも打ったように終わる事がなさそうだった口論を自ら止め、神取の言葉を待った。
滅びた筈の世界でなら幾らでも見られたであろう、スーツを纏ったビジネスマンにしか見えないこの男がその実。
この場に於いて一番得体の知れない才能の持ち主であり、一目置く程の存在だと認識しているからだった。

「異聞帯が異聞帯として成立した事を喜ぶ為のパーティーを開く為に、我々を集めたとは到底思えん。異聞帯の成長度合いの報告にしても、君が飼う猟犬(ガルム)を放てば、態々ここに集まる必要もなくなる」

「ケッ、峰津院の犬ですら到達出来ない、胡散臭い異聞帯の担当者がよくもまぁ言うぜ。俺達も峰津院も、お前の異聞帯の事まるで解らないじゃねーか」

「それについては弁明のしようもないな。だが、異聞帯を育てると言う義務を放棄した訳ではない。私の異聞帯は強度の面で不安でね。なるべくなら、君達との競争を遅らせるよう、正確な座標も様相も不明瞭にしているだけだ」

「うーん、そんな戦略があったんですね……。……私も、自分の異聞帯の様子は内緒にしといた方が良かったかな……。峰津院さんの異聞帯は当然だけど、他の異聞帯にだってこのままじゃ……」

「……呆れた、吹雪。アンタまさか、峰津院の異聞帯に本当に勝てると思ってたの?」

 最初の呆れた、と言う言葉の通りだ。霊夢は、ポカンとした様子で、吹雪の顔を見つめていた。

「だ、だってやるからには私の異聞帯を栄えさせたいですし……」

「峰津院の異聞帯なんてインチキそのものじゃない。下手すれば汎人類史より栄えてるばかりか、常駐してるサーヴァントも怪物ばかりの異聞帯じゃない。神取の異聞帯は知らないけど、全ての異聞帯の中で一番現代に近い時代のアンタじゃ、勝ち目なんてないわよ」

「ウーン、オレはそうは思わないぜ? 吹雪ちゃんの頑張りはオレッちがよーーーーく見てるからよ」

「此処まで心に響かねぇ世辞は稀に見るな、アクセル。峰津院の異聞帯に次いで強度の高い異聞帯を担当してる現状だと、嫌味以外の何者でもねぇぞ」

「まぁ事実だけ見たらそうなのかもしれないけどさぁ、旦那……」

 落ち込みの激しい吹雪を見て、流石に心が痛むアクセル。そんな様子を気にも留めず、峰津院は口を開き、言葉を紡いだ。

「神取氏が仰った通り、諸君らを招聘したのは、異聞帯の成長度合いを確かめ、それを祝う為ではない」

 一呼吸置いてから、峰津院は語った。

「10時間程前、つまり、私がこの定例会を行うと言う言伝の為猟犬を走らせた時だが……。私のサーヴァントの1騎が、霊基グラフと召喚武装(ラウンドサークル)の出現を予言した」

「つ、つまり……?」

 アクセルが訊ねる。峰津院の言葉の意味を、理解しかねる様子だった。

「カルデアの残党が、姿を現すと言う事だ」

 思い思いの反応を、一同は示した。

 峰津院は、真率そうな表情を保ったままだ。

 霊夢は、まぁ生きてるだろう、と言う様な表情で報告を受け止めている。

 勇次郎は、肉食獣でも浮べまいと言う程剣呑で危険な笑みを浮かべていた。

 吹雪の方は、向日葵の花でも開いたような、魅力的な笑みを浮べている。込められている意味が、勇次郎とはまるで違う笑みだった。

 アクセルの方も、笑みを浮かべ、ホッと胸を撫で下ろしている。安堵の色が強かった。

 フランシーヌの方は、全く驚いてもない。どころか、峰津院の報告を受けても何らの反応も示していない。事実のみを、冷静に認識している顔だ。

 神取は、やはり微笑みを浮べている。口元だけで形作られたその笑みに、掴み所は何処にもない。まるで、煙で出来た蛇のような男だった。

「い、生きてたんですね!! よ、良かったぁ……」

「事態を考えるのであれば、全滅した方が良かったのでは……違うのですか? 峰津院」 

 フランシーヌの疑問に対し、腕を組んだ峰津院がこう答える。

「無論その通りだ。カルデアは今となっては我々にとって障害物。路傍の石のように、気をつけていれば躓く事を回避出来る存在ではない。意思を持った人間だ、自分から我々の異聞帯に出現する事も出来る。吹雪、カルデアの生存は全く喜べる事ではないぞ」

「で、でも、ちょっと前までは一緒に世界を救う筈だった仲間達でしたし……」

「筋金入りの善良さね。『無貌の神』とやらの人選を疑うわ」

 はぁ、と溜息を吐き、霊夢は茶を啜ろうとする。もうなかったらしい。コトリ、と湯呑を傍に置いた。

「生き残りは死んだ訳じゃないのか。オレも、正直死んで欲しくなかったから嬉しいんだけどさ……三ヶ月も、虚なんとか空間に潜ってて、食料とか無事だったのか?」

「アクセル。虚数空間を流れる時間と、我々が過ごす通常の時空を流れる時間とでは、時間の流れに誤差があります。我々は三ヶ月を異聞帯で過ごしましたが、恐らくカルデアの者達は、正味1週間程度の時間しか経験しておられないでしょう。それ位の時間であるのならば、食料や飲料水の備蓄も何とか、と言ったところかと」

「フランシーヌの言う通りだ。虚数空間と現実世界の時間の流れは同一ではない、大なり小なりの誤差が生じる。珍しい事ではない」

「それにしても、無貌の神とやらが用意したサーヴァントとやらは相当無能らしいわね。『仕損じる事はない』なんてこの席で大見得切っておいて、結局これ? 峰津院、人選をしくじったわね。アンタのサーヴァントだったら、基地ごと木っ端微塵に出来たでしょ?」

 非難がましい目線で峰津院を見つめる霊夢だったが、彼は気に留める様子もない。動揺も狼狽も、勿論見せはしない。
泰然自若の気風を発散させ、かつ、霊夢の目線も受け止めた上で、威厳を以ってこう反論した。

「カルデアがまだ、レイシフトと言う切り札を残している以上、外部から強固な力を加えて一瞬で、と言う手段はリスクがあった。悔しいが、こう言う事態についての経験値はカルデアの方が上手だ。攻撃の予兆を感知され、レイシフトで対処されれば我々とて如何する事も出来なかったからな」

「だから、内部から先ず骨抜きにして、要のカルデアスを停止させる必要があった……。峰津院さんは、そう説明してましたね」

「そう言うスパイ活動は好きじゃねぇ。峰津院、テメェがカルデアに攻撃を仕掛けるって言うんだったら、喜んでこっちのサーヴァントを貸し出したろうぜ」

「あの妖獣の計画は見事だった。綿密で穴がなく、必殺の策だった。問題があったとすれば……あのフリンなる男が、期待を大幅に下回る活躍しかしなかった事だろう」

「フン、何時の時代も、外様は信用ならねぇってか」

 勇次郎の言葉の後に、数秒程の沈黙が降りた。その後で、何かに気付いたらしい。アクセルが口を開いた。

「なぁ、カルデアの生き残りって、何処に出現すんの?」 

「其処までは、未来(スクルド)は語らなかった。今から残り数時間程度で、浮上すると言う事しか解らなかったそうだ」

「オイオイ、峰津院の若旦那。それじゃ自分の異聞帯で、生き残りを祝う為の飾り付けを頑張ってろって訳? 弱ったな、飾りつけは兎も角、料理はそうは行かないぜ。何せ冷めて美味しくなくなっち――」

「中国よ。異聞帯の中にカルデアは浮上するわ」

 アクセルの長話を打ち切って、霊夢がそう言った。
全員の目線が、彼女の小柄な体躯に注がれる。「何よ」、と霊夢。疑問気な表情だった。

「オイ、博麗。そう思った根拠を聞かせろ。得意の直感か?」

「当てずっぽうに頼るまでもないわよ、道理でしょ。カルデアの連中が今の地球で知っている事柄は、カルデアを襲ったあの土人形達よ。勇次郎、アンタは知らないだろうけど、『縁』は死しても切れないものよ。あの土人形は、カルデアにとっては錨、芥川龍之介の蜘蛛の糸。虚数空間とやらから現実世界に浮上するには、その縁を辿るしかない」

 霊夢の意見に、神取が笑みを強めた。「よく解ってる」、そう言う風な笑みだった。

「例え些細な時間の物であっても、触れたものどうしは共感する。共感呪術。原始呪術の基礎的な概念であり、しかし、洋の東西問わぬ遍く魔術の理論の中で、最も優位に立つ理論でもある。サーヴァントの召喚も、この理論を則り、目当ての者を召喚する者もいると言う」

「勉強不足よ、峰津院。縁の概念は、日本の魔術でも学べる事でしょう。ヨーロッパの魔術とやらにも手を出す前に、自国の文化にも目を通しておくべきだったわね」

「君の意見は耳が痛いな、博麗。その通りだ、今回は私の方が結論に至る時間が遅かった。それは認めよう」

「あの、カルデアに派遣されたって言う土人形は確か……」

 吹雪が少しおどおどした様子で、フランシーヌの方に顔を向ける。

「ええ、私の異聞帯の王の宝具です」

 頷くフランシーヌ。

「物量、制圧力、何よりも個としての強さ。それらのバランスを加味し、カルデアの襲撃にはフランシーヌ、君の異聞帯の王の宝具が適当だと思い、私は君に今回の任務を頼んだが……今となっては裏目に出てしまったな」

「構いません、峰津院。降りかかる火の粉を払う事には、慣れております」

 相変わらず、感情の波のない声音でフランシーヌが言う。
フランシーヌを見る勇次郎と、霊夢、そして峰津院。彼らは皆、フランシーヌと言う女性に思うところがあるらしかったが……。

「カルデアの対処についてはフランシーヌ、君に一任する。私が特に何かを言う事もない。殺すもよし、無力化するもよし。どちらにしても、我らに対抗出来る力だけは徹底的に殺いでおいて欲しい」

「畏まりました」

 頷くフランシーヌに対し、神取が言葉を発した。

「因果応報にならないように、気をつけておけ。ミス」

「不穏な事を言うんじゃねぇよ神取。カルデアを破壊した因果が還って来る相手は、フランシーヌだけに限らねぇだろう」

 勇次郎の言う通りだ。
カルデアの破壊は、フランシーヌの独断によって行われたものではない。
この円卓の席で、ダッシュチームのマスター達全員の同意の下で行われた。尤も、吹雪とアクセルは最後の最後まで反対で、霊夢はどちらでも良いという立場だったが。
結局、残りの賛成派4人に押し切られ、カルデアは壊滅と言う運びになった。もしも、カルデアを破壊した行為の報いを受けるとするならば。
それは、この場にいる7人全員なのだ。それを皆は、理解している。解っていて、因果応報などと言う言葉を使うのは、不吉な事以外の何物でもなかろう。

「彼女に廻り廻る因果は、何もカルデア破壊だけではない」

 その言葉に、フランシーヌだけが反応した。顔を、足を組んで座る神取の方に向けるフランシーヌ。

「機械仕掛けの神と親交があるだけだ、気にする程でもない」

「……カルデアの件を終えたら、貴方の話を伺う必要性が出て来ました」

「結構。その件の後で、話をして差し上げよう。今は、自分の異聞帯に現れるだろう小虫を対処したまえ。戦力が大幅に弱体化しているとは言え、世界を覆す経験値だけなら我々よりも遥かに上だ。足元を、掬われぬようにな」

「フランシーヌ。君に外れクジを引かせてしまった者として、助け舟の1つは出してやりたい所だが……異聞帯同士は不可侵だ。協力は許されない」

「存じております」

「セプテントリオンは自らの担当する異聞帯の領域拡大を第一目的とする。そして、肥大した異聞帯はやがて他の異聞帯と衝突しあい、どちらかが吸収される。大きさや強度で勝る異聞帯が勝つと言う事だ」

「あー、ラーメンのスープに浮かぶ油の点を箸でくっ付けたりして遊ぶアレっしょ? 要するに」

 アクセルの言葉を峰津院は無視する。

「だが、異聞帯どうしの衝突以外……他のセプテントリオンの異聞帯内への干渉は許されない。中国にカルデアが現れるなら、フランシーヌ。彼らの処置は君と、君の異聞帯の王の仕事だ」

「それも、存じております」

「君は優秀なセプテントリオンだ、フランシーヌ。無貌の神によって齎される、新世界の創造。君がその覇を唱える可能性も、多分にあり得る。辣腕を振るうが良い、そしてその腕で……旧い世界の残滓を一掃してやれ。机の上の綿埃でも、払うが如くにな」

「通信は……この辺りで切らせて頂きましょう。カルデアが来訪すると言うのなら、万全を期して迎え撃ちたいですから」

「ご、御武運を!!」

 ビシッ、と敬礼する冬木を、感情のない瞳で見つめるフランシーヌ。
ブラウン管のテレビのスイッチを切ったかのように、立体映像が消え行くその最中で、フランシーヌは確かに小さく頷いていた。

「俺もこの辺りで帰るぜ。峰津院、伝えたい事は、カルデアの件だけだろ?」

「ああ」

 峰津院のその言葉を聞き届けるや、勇次郎もまた通信を打ち切った。

「悪ぃ、峰津院。オレっちもこの辺りで退散していいかね?」

「構わない。伝えたい事は伝えた。後は好きにしたまえ」

「んじゃ、お先。あ、霊夢ちゃんや吹雪ちゃんも困ったらオレの異聞帯に遊びに来てね、歓迎するから!!」

「不可侵の協約がなくなっても行く事はないから安心しなさい」

 露骨に残念そうな態度を見せながら、アクセルも通信を切った。
「それじゃ、私も。お疲れ~」、次いで霊夢も、そう言って通信を切断した。

「お開き、ですかね?」

「ああ、そのようだ。吹雪。君も自分の異聞帯に戻りたまえ。君の異聞帯は他のセプテントリオンのものと違い、特に不安定だ。諦める事無く、勤めを果たせ」

「は、はい!!」

 ビッ、と敬礼をしてから、吹雪も通信を切った。後には、2人が残った。
峰津院大和、そして、神取鷹久。片や魔術の世界に燦然とその名を輝かせる麒麟児。片や、政財、そして科学の世界に於いて天才と称されて久しい重鎮。

「……カルデアに、フランシーヌが勝てると思うかね。神取氏」

 瞑目した状態で、峰津院が問うた。不敵な笑みを浮べて、神取は言った。

「無論、勝つさ……と言いたいが。まぁ、それが解れば苦労はせんよ。曲者揃いのカルデアチームだ。或いは……な」

「……そうか」

 ゆるりと、2人の時間が流れて行く。
結局彼らが、いつ頃別れたのか。その時刻は、誰にも解らないのであった。

 ◆

 バルコニーからその女性は、治水王と呼ばれる者が統治する王国を見下ろしていた。
白金のような輝きを誇る建造物が剣山の様に立ち並び、昼の太陽の輝きを受けて眩くその都市――陽城は、今日も平和であった。
――袋小路に迷い込み、消滅する筈だった異聞の中国は、そうと感じさせない程平和なものに……フランシーヌの、瞬きを忘れた瞳には映っているのだった。

「此処が、私の造物主が生まれた国の……」

 異なる姿。
造物主はこの国、今で言う所の中華人民共和国で生まれたと言うのは話で聞き及んでいた。
この異聞帯に自分が割り振られたのは、偶然である。そうと解っていても、歯車仕掛けの運命の存在を、感じずに入られなかった。
この世界でなら、自分は笑う事が出来るのだろうか。今はもういない配下達が、闇の帳の落ちたサーカスのテントで、どんな芸を披露しても笑わなかった自分は。
異なる歴史を歩んだ世界でなら……笑えるような面白おかしい出来事の存在が、起こりうるのだろうか。
そう、彼女はその可能性の為だけに。無貌の神の誘いを、乗ったのだ。それが、ただならぬコトの引き金になるのではないか。そうと解っていても……その思いを、抑える事が、フランシーヌには出来なかったのだった。



Lostbelt No.1

異聞深度 D

BC.1600


白金傀儡帝国 XIA

機械帝国の道化


 ◆

 広い空だった。そして、澄み渡るように青かった。
地上がどれだけ、人間の生み出した汚穢や文明に包まれようが、あの空の青さと広さだけは、普遍のもの。それだけは、時がどれだけ経とうとも変わらない。
そうと解っていても、勇次郎は思わずにはいられない。古の空は、俺が生きる時代のそれよりも、より青く、より美しかったのではないかと。

 異聞帯の空の青さを噛み締めた後で、勇次郎は、心胆を寒からしめ、全天を轟かせんばかりの狼の咆哮を聞いた。
それに合わせて、勇次郎も、稲妻が迸ったと思わんばかりの雄たけびを上げ、草もまばらな荒野を駆け出した。
彼の後に続いて、灰色の毛並みを持った、全長数mにも及ぶ程の巨躯の狼が駆け出した。狼の疾駆に負けぬ程の速度で、勇次郎は走る。
今日滅ぼすのは、アフリカの大地だった。今日、全てが奪われんとしているのは、ヨーロッパの手が未だ及ばぬアフリカの、未開拓の自然であった。
天(テンゲリ)は、彼らの暴虐を今日も見ている。草原地帯が生んだ、神の血を引く狼の一族の略奪と暴力に、あの蒼穹は、何を思うのか



Lostbelt No.2

異聞深度 C

AC.1400


餓狼咆哮地獄 アター・オラーン

■■■■■僕に勇気を


 ◆

 視界に広がる大量のモニター。そして、これらを操作する為の大小様々なPC端末。
それが無数に設置された広大な一室に、吹雪は佇んでいた。大会社の情報室など足元にも及ばぬほど大規模な施設。 
しかし、壁面に設置されたものから、何もない空中に投影されるホログラム・スクリーンに至るまで。
優に数百を越える画面が吹雪の目の前に展開されているが、映し出されている映像は、皆同じであった。

 草の一本も生えていない、茶けた荒野。それが、モニターやスクリーンに映し出される映像の全てだった。
昼の風景もあれば、夜の風景もある。しかし、そう言う時刻の差異を除けば、一切の例外なく映っているのは荒野のそれだ。
はぁ、と悲しげな溜息を吐いてから、吹雪は部屋を立ち去ろうとする。悪魔の頭脳と名高い、この異聞帯の王の叡智が、あの死んだ土地を蘇らせてくれる事を期待しながら。



Lostbelt No.3

異聞深度 E

AC.2200


二万五千荒野 ■■■■・アウト

ラプラスの頭脳


 ◆

「なあ、めぐみ。何かオレ、知らねぇ間にビッグになっちまったよ」

 1枚の、セピア色の写真を眺め、皮肉気な笑みを浮べてアクセルが言った。

「異聞帯とか言う世界の王の側近なんてモンになっちまったし……オレっちが勝てば、苦しみのない平和な世界って奴が訪れるんだってよ」

 写真の中に映る、ワンピースを纏い優しげな微笑みを浮べる少女と、彼女の肩を組んでピースサインを浮べるアクセル。
写真の中のアクセルは満面の笑みを浮べていたが、現実のアクセルは如何にも精彩に欠ける。笑みにも何処か、力がなかった。

「オレを見てさ……めぐみは、凄いって言ってくれるか? それとも……今すぐやめろ、って怒るのかな……」

 アクセルはそう言って、目の前に広がる異聞帯の風景を見下ろした。
何処か高い建物の屋上だった。柵も何もなく、飛び降りようと思えば何時でも飛び降りられる。そんな事をすれば、高度数百mの高さから、己が無謀な蛮勇を示す事になろうが。

 白い水晶めいた健在で出来た、ビルとは違う趣の、直方体の建物の上に、無数の人間が立っている。
黒い髪の者もいれば、金色の髪の者も、白髪の者もいれば、そもそも髪が生えていない者だって。
思い思いの服装を纏った彼らが、見事な調律と調子で、聖なる歌唱を口にしていた。
数万人規模の口腔から紡がれるその歌は、神の威光と御業を讃え、この世界の安定と平和を確たる物とだと誰しもに証明出来る、何よりの証拠であった。

 聖歌を歌う彼らを眺め、アクセルは複雑そうな表情を浮べる。
平和だと、他のセプテントリオンは言っていたが、そうなのだろうか? めぐみは……汎人類史の世界に置き去りにしてきた、最愛の彼女は、この世界を見て、何を思うのだろうか。アクセルは、心のどこかでそう思うのだった。



Lostbelt No.4

異聞深度 A+

BC.1700


永久平和賛歌 エル・シャダイ

誰が為のアヴェ・マリア


 ◆

 漸く、霊夢は全てのしがらみから解き放たれたと思っていた。
我が身を縛る、古の時代から伝わると言う博麗の使命。そして、その使命の足掛かりとして派遣された、カルデアでのグランドオーダーなる任務。
それらの束縛から解き放たれ、彼女は遂に自由になったのだと初めは思っていた。
レフだかラフだか知らないが、正直な話、爆弾で痛みなく吹っ飛ばしてくれて、感謝すらしていた程だ。
全く面倒な使命から遂に解放され、空へと還れる。そう思っていた矢先で、彼女は、セプテントリオンだか言う訳の解らないモノに、選ばれてしまった。

 何処までも、自分は特別扱いされるのかと、霊夢は内心でウンザリしていた。
他で、良いじゃないか。もっと凄い奴なら他にもいたでしょう。キリシュタリアなる男でも良い、オフェリアと言う女性だって凄いものがあったじゃないか。
それらを差し置いて、何故自分なのだと、霊夢は怒る。自由に、させてくれ。自分はただ、庭先の縁台に腰を下ろし、茶を飲み、時に働いて日銭を稼ぐ。
その程度の生活しか、求めていないのだ。まぁ、金はあるに越した事はないが、特別な地位や力は、要らない。自分の重石になるだけだ。

「……本当、腹が立つったらないわね」

 それだけ言って、霊夢は、置いてあった御幣を手に取り、布団のみが敷かれた一室を後にした。
仕事が、この後あるのだ。この異聞帯の王である、■■■■公。彼から仰せ遣わされた、巫女としての職務。
今の彼女は、公の娘であるところの、とある女性と並び立つ、この世界の巫女を取り仕切る者の1人として、君臨していたのであった。



Lostbelt No.5

異聞深度 D+

AC.1200


■鬼共生幻想 坂東

■が砕かれし時

 ◆

 峰津院大和がその姿を見せた時、あらゆる者が片膝をつき、彼の若々しくも威厳ある姿に平伏した。
総勢300を越す無数のワルキューレ達。麗しい顔立ちを持った、此の世の如何なる男や女よりも美しい中性的な姿の人間。
隻腕ながらも、不具の者特有の不安定さを感じさせない驚異的な力を発散させる鍛えられた肉体を持つ戦士。
言語化すれば、それこそ枚挙に暇がない。兎に角、あらゆる者が、峰津院に屈服している。
ただの『人間』に、神々ともあろう者が、膝をついている。そうである事が、当然であるかのように。

「オーディンの分霊は見付かったか?」

 峰津院がそう口にする。言の葉は、彼が今いる謁見の間に良く響いた。
先程まで峰津院達セプテントリオンが会議していた部屋に数倍する広さの部屋であると言うのに。彼の声は、数百m先まで均一に、それこそ魔法の様に響き渡る。

「分霊とは言え、お父さ……いえ、彼の大神の御魂……。我らの全霊を以ってしても、芳しい結果とは言えません」

 黄金色の長髪が麗しい、ワルキューレの一体が口にした。報告した彼女に目線だけを向けた峰津院。だが、その時間は一秒にも満たない僅かな一瞬だった。

「神座(フリズスキャールヴ)で世界の支配者と構えていた神の今とは思えんな。まるで、狩られる事を恐れる野兎だな」

 言って峰津院は、謁見の間の最奥に設置された、黒塗りの玉座の前で歩みを止めた。
黒檀のようにも、黒曜石のようにも見えるその不思議な材質で出来た玉座は、不気味な程艶やかで、凹凸がない。
何らの装飾が施されていない、地味な装いの玉座に見える。事実、王が腰を下ろすには、余りにも華がない。
が、違う。地味なのはその外観だけだ。その椅子は生きている。生きて、その形を目の当たりにした物に、得体の知れない王威を放っているのだ。
一目で、その玉座は解らせる。これなるは、神々の王、地上を支配し空を統べ、海を我が庭とする大王のみが座す事を許された、神の為の席なのだと。

「ヴァルハズル、ガグンラーズ、ヴェラチュールの名に於いて命ずる。力ある者が真に優れ、美しいとされる世界を望むなら、隠れたオーディンを何としてでも捕らえろ!!」

 平伏する神々達の方を振り返る、下知を飛ばす峰津院。
了承の言葉が、津波のような意思の波濤となって謁見の間を荒れ狂った。



Lostbelt No.6

異聞深度 EX

■■.■■■■


全天殺戮錬界 ヴァルハラ

オーディン■■■■■■■■■■

 ◆

「無貌の神の所には、行かなくて良いのかね」

 黄色い、壁についた煙草のヤニみたいに黄ばんだ空。
その真ん中に、まるで墨汁を垂らした後のように、黒い何かが燃え盛っている。
――きっと、敬虔な信者は、あれを見なければ良かったと思うに違いない。空で燃えるその黒く暗い塊こそが。
汎人類史のみならず、他の異聞史でも、地上を生きる人間に恵みを齎して然るべき筈の、太陽であるだなどと。
アレではまるで……悪魔や、悪霊、言葉にするのも憚られる邪悪なる者共が通る為に、地獄の魔王が天空に生じさせた扉(ゲート)ではないか。

「白々しいじゃないか、君の所にいても同じだろう」

 そう言うのは、青いコートに白いワイシャツの、美青年。
彼こそがフリン。カルデアの要たるカルデアスを一刀の下に破壊し、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチを抹殺した、カルデアの仇敵。
セプテントリオンが言うところの、無貌の神の使者(ヘラルド)の1人であった。

「同じ事なのだろ? 君も、無貌の神も――」

「必ずしも、そうとは言えないよ。複雑なのだよ、化身どうしの関係と言うのもな」

 空に浮かぶ太陽を見ながら、神取は口にする。

「では、滑稽な芝居(グランギニョル)を、この異聞帯で楽しむとするか。フリン……いや、『クリシュナ』よ」

 口が裂けんばかりの強い笑みを浮かべ、フリンと言う男が笑った。
其処に、カルデアで藤丸立香に見せた時のような、優しげな雰囲気など、欠片も見当たらないのであった。



Lostbelt No.7

異聞深度 ■■■■■■

■D.■■■■■■■


■■太陽■■ ■■■

■夜■■■■■、■■■


 ◆

 ――そして少女は、異聞帯の土地に上陸する。
決然たる光をその双眸に宿し、決意の強さを具象化させたような、黒い戦闘服を身に纏って。
藤丸立香は、異聞帯の中国に、その姿を見せたのであった。

 彼女の旅は、此処から始まる。
カルデアに宣戦布告をした、峰津院大和達セプテントリオンへ反逆する為の物語が。
それまで続いていた歴史のレールと、これからも続いていたであろう未来へのレールを取り戻す為の旅が。
今、幕を開けたのであった。

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最終更新:2019年02月06日 22:32